昨日は、オペラシアターこんにゃく座の「スマイル〜いつの日か、ひまわりのように」を俳優座劇場で(17日・日曜日まで)見た。初演は20年前だそうで、鄭義信台本・萩京子作曲によるオペラの第1弾だったとのこと。解説によると、その後の「ロはロボットのロ」「まげもん」「ネズミの涙」の源流とも言える作品で、こんにゃく座の中でも「うわさに聞く幻の作品」であったらしい。
 休憩なしで2時間弱の作品だったが、見ているうちに、戦争の記憶が、まだ「ナマの記憶として残っていた時代」の雰囲気が感じられた。この違いは大きい。たまたまこの朝のテレビで流れていた「ミサイルのアラート騒ぎ」まで思い出してしまった。
 話の本筋からは外れるかもしれないが、見ながら思ったのは、「このようにして戦争の記憶は人間の文化になって行く」ということだった。たとえば劇中には、多くの人々が死体として横たわる場面が出てきた。私は一瞬にして、3月10日の下町大空襲で10万人が焼死したときの、高台から眺めた赤い空を思い出したのだった。
 「スマイル」の中心テーマは戦争ではなく、戦争はその環境としてあるに過ぎない。それでもなお戦争は「気になる巨大なもの」として在りつづける。そして、こんにゃく座の演目には、戦争そのもの、あるいは戦争につながる人間の不条理を描いたものが多いことに気づくのだ。戦争を人間の文化として、より良く伝えようとすれば、それは必然的に反戦平和の思想に行きつくほかはない。私はそう思うし、それは「こんにゃく座」の戦争観と通底しているに違いない。
 こうして一つの観劇から、「戦争を人間の文化として伝える」ということを考えた。こんにゃく座の現役の座員で、空襲の火の雨が頭上から降ってくるのを実体験した人はいないだろう。そんな経験は、今後もしなくていい。その代わりに、戦争を「人間の文化」として、しっかりと後世に伝えて欲しいと思うのだ。もちろんそれが「反戦平和」の文化として残って行くことになる。これが常識だと思っていたのだが、どうやら甘かったらしい。
 今の世にも戦争をしたい人たち、物欲、名誉欲、生きがいが戦争で満たされると思っている人がいることが、わかってきた。だからこそ手を抜いてはだめなのだ。戦争よりも平和がいいという当り前のことを、飽きずに諦めずに訴え続けなければならない。その大切さは、たぶん永久に終らないのだろう。