月変わりでカレンダーを1枚めくるたびに、思い出すことがある。「あしたからがつがかわるね」という、うれしそうな声だ。長女は幼稚園の年長さんだった。「がつがかわる?」と聞き返して、一瞬は何を言っているのかわからなかった。「だって、いまは9がつで、あしたから10がつで、だから、がつがかわるでしょ」と、得意そうに言う。
 そのあと、娘とどんな話をしたかは、もう覚えていない。だが娘の言うことももっともだと思ったから、叱ったりはしていない。そういうときに、おとなは「つきが変わる」と言うんだよと教えたとは思う。でもこれは日本語における漢字の読み方という、世界でも希な現象の入り口なのだ。
 日本語の成り立ちとその問題点については、大学で大野晋先生の授業を聴講して以来、ずっと関心を持ち続けてきた。漢字の母国の中国でも、時代による変遷は別として、一つの字の読み方は、原則として一つに決まっている。日本のように意味をとって自由自在に読み方を増やして行くなどは、中国の人には理解不能だろう。最近のテレビ番組で「日本人の名前」を特集していたが、その中で「日本の戸籍簿は、人名の文字は厳密に登録するが、読み方については無関心」という説明を聞いて、思い当ることが多かった。それにしても、最近の子供への名付けに、あまりにも勝手な読み方が横行しているのを知らされて唖然とした。
 と、こんな話を掘り下げるのが、今朝のテーマではなかった。カラリと晴れた青空を見て、岡本太郎さんの言葉を思い出していた。NHK時代に、いろいろな人にナマのインタビュー取材ができたのは、生涯の宝になった。「空を見て、ああ青いなと感じられる感性が、人間の原点だ」という趣旨の話をしてくれた。教育テレビ「われら10代」の取材だったと思うが……
 ここまで書いて検索したら、自分の過去記事で書いていた。私にも、いろいろなことがあって今の私になった。そのことに感謝しながら、外の秋晴れを浴びに歩いてくる。 
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