私にとってのこの一年間は何だったのか、神妙に振り返る気分になった今年の年末でした。表面的には大事件はありませんでした。あらゆる面で、現体制が維持されて年末まで来た、ということでしょう。それは反面で、来年は何が起こるかわからないという、漠然とした不安感と表裏の関係にあると言ってもいいでしょう。
会社の業績としては、年度決算が、赤字続きを脱して黒字に転換したと聞きました。見るところ縮小均衡ではないかと思うのですが、やはり一つの安心材料です。ただし私としては経営責任から離れて久しい立場ですから、せいぜい会社から家賃を受け取るときの気の毒感が、少し薄らいだという程度のことに過ぎないのですが。
その中で私たち夫婦の「世帯」としては、支える側から支えられる側になったことを実感させられた年になりました。今までは書類の上だけのことだった「要介護1」の認定が、実際に役に立ってくるステージを経験しました。介護保険とは、このように役に立つのかということを、妻が受けられるようになったサービスを通して教えられました。家族間の問題のように思われてきたことが、社会とつながっているのを実感したのです。介護施設を利用することにより、さまざまな形態の老後があることがわかり、私は一段広い世界に出たような心地を味わいました。
こうした変化は、今のところ私にとっては好ましいことばかりが続いています。私が育った時代の感覚では、老後の暮らしの安定などは、現役のうちに自分の責任で築いておくべきことでした。国家の責任で支援を受けられるなどとは思っても見ませんでした。私の父も、同じだったと思います。ですから事業をやりながら、少なからぬ年金型の貯金を積んでいました。それが戦後のインフレにより、子供の小遣い程度の金額になってしまって、父が口惜しがっているのを実際に目の当たりにしました。
それに比べたら、私たちは、はるかに安定した時代に生きていて、それは平和のおかげです。その意味でも、私たちは「戦争のない世界」に感謝すべきでしょう。家族、友人、知人の皆さんすべてへの感謝とともに、今のところ「戦争をしない国」でいてくれるこの日本の国に、最大の感謝を捧げながら、幸せだった2017年を見送ります。
会社の業績としては、年度決算が、赤字続きを脱して黒字に転換したと聞きました。見るところ縮小均衡ではないかと思うのですが、やはり一つの安心材料です。ただし私としては経営責任から離れて久しい立場ですから、せいぜい会社から家賃を受け取るときの気の毒感が、少し薄らいだという程度のことに過ぎないのですが。
その中で私たち夫婦の「世帯」としては、支える側から支えられる側になったことを実感させられた年になりました。今までは書類の上だけのことだった「要介護1」の認定が、実際に役に立ってくるステージを経験しました。介護保険とは、このように役に立つのかということを、妻が受けられるようになったサービスを通して教えられました。家族間の問題のように思われてきたことが、社会とつながっているのを実感したのです。介護施設を利用することにより、さまざまな形態の老後があることがわかり、私は一段広い世界に出たような心地を味わいました。
こうした変化は、今のところ私にとっては好ましいことばかりが続いています。私が育った時代の感覚では、老後の暮らしの安定などは、現役のうちに自分の責任で築いておくべきことでした。国家の責任で支援を受けられるなどとは思っても見ませんでした。私の父も、同じだったと思います。ですから事業をやりながら、少なからぬ年金型の貯金を積んでいました。それが戦後のインフレにより、子供の小遣い程度の金額になってしまって、父が口惜しがっているのを実際に目の当たりにしました。
それに比べたら、私たちは、はるかに安定した時代に生きていて、それは平和のおかげです。その意味でも、私たちは「戦争のない世界」に感謝すべきでしょう。家族、友人、知人の皆さんすべてへの感謝とともに、今のところ「戦争をしない国」でいてくれるこの日本の国に、最大の感謝を捧げながら、幸せだった2017年を見送ります。