安倍首相は、4日に伊勢神宮に参拝したあとの年頭記者会見で、「今年こそ新しい時代への希望を生み出すような憲法のあるべき姿を国民にしっかりと提示する」と述べたとのことだ。新年の誓いとして神前に祈った内容を、そのまま表明したと見ていいだろう。この人の憲法観を、正直に映し出している。
 つまり、今の憲法は国の未来に希望を生み出さないと考えているのだ。国際紛争を解決する手段としての武力の行使や武力による威嚇は、永久に放棄するとした平和憲法は、国民のためにならないと本気で考えていることがわかる。そこにあるのは、自国防衛のためには武力で戦うことのできる「ふつうの国」になりたいという、強い願望である。
 安倍政権にとって、北朝鮮のミサイル発射は、何よりもありがたいプレゼントだった。迎撃ミサイルの充実や、敵基地を破壊できる巡航ミサイルの導入などが、おかげで禁忌なく議論できるようになった。対抗できる防衛力を高め、同盟国とともに圧力をかけるという手法は、平和外交を駆使し、あくまでも非軍事的な手段で脅威をなくして行こうとする努力に比べたら、はるかに簡単で容易でわかりやすい。武器を買うからアメリカも喜んでくれる。
 だがここで障害になるのが平和憲法である。巡航ミサイルは憲法上許されない攻撃的兵器ではないのかという議論が必ず出てくる。間もなく始まる国会でも、その議論は本格化するに違いない。一事が万事で、現政権が「戦えるふつうの国」になろうとすればするほど、ことごとに「憲法の縛り」が障害として立ちはだかってくるのだ。安倍政権が、憲法を「あるべき姿ではない」として敵視するのは当然なのである。
 しかし、ここで私たちは考えなければならない。今の日本国憲法が、戦争と両立しないことは最初からわかっていた。憲法を無視して解釈改憲の無理を重ねるにしても限界というものがある。安倍政権は、その限界にまで来てしまったのだ。だからこそ「改憲の議論」に期待しているのである。もうこれ以上のごまかしは効かない。今の平和憲法は「あるべき姿ではない」のか、それとも未来の平和な世界を先取りした「あるべき姿」なのか、どちらかを選ぶ時が間もなく来るということだ。その時のために、しっかりと心を決めておこう。
          
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