この本を読みながら、出てくる人名については、国民学校6年生だった当時の記憶と一致する部分もあった。新聞に出る「特攻大戦果」の大見出しと、写真入りの実名記事が、紙面を飾っていたものだ。佐々木伍長の功績も、本人の記憶では「揚陸船に爆弾を命中させ、船が傾いたと思う」という内容なのだが、その後の不時着陸で行方不明になっている間に、これが「戦艦を撃沈した壮烈な特攻死」に化けていた。二階級特進の死後表彰で、武勲は「上聞に達し(天皇の耳に入る)」、故郷は感動の行事で沸き返ったということだ。
 やがて本人の生還がわかり、二階級特進は取り消されるのだが、一度死んだ筈の人間を生かしておくわけには行かない。すぐに次の特攻に出して、またも「上聞に達する」戦果をあげたことにしたのだが、本人はやはり生きていた。ここから「早く死なせたい」上層部と、「無駄死にはしない」と腹をくくった佐々木氏との我慢くらべが始まったのだった。
 そして「9回も特攻に出撃しても死ななかった奇跡」へと話は進んで行く。ただし内容をよく読むと、発進の直前に敵の空襲に会い、エンジンを止めて退避した例や、命令は受けたものの機体の不備で飛び立てなかった場合も含んでいる。それでも、何としても戦死させたい上層部と、抵抗する名人パイロットとの駆け引きは続き、直属上官や整備員たちの同情も集めていた。特攻用に投下不能に設定された爆弾には、工夫して投下ができるような細工を施した。
 なお、使用された機体は双発の軽爆撃機だった。本来は急降下爆撃を任務としている。そして定員4名で飛ぶべき飛行機を、特攻では一人で操縦させ、前後の機銃も取り外した丸腰で出撃させたのだった。これを援護もなしで単機で行かせることもあった。これを著者は「処刑飛行」と呼んでいる。
 最後となった単独行で、佐々木氏はエンジンの不調に気付いて爆弾を海に投棄し、沖縄北方の離島に不時着した。またもや生還したことを知った上層部は対応に苦慮し、参謀は密かに消すための銃殺隊の手配を考えた。しかし終戦の情報が流れて来たために沙汰止みになったという。
 佐々木氏の心の支えになったのは、日露戦争の旅順203高地攻撃に参加しながら生還した祖父が口にしていた「人間、そう簡単に死ぬものじゃない」という言葉だったそうだ。人間、あきらめたら終りである。誰でも、簡単に死んではいけない。日本に徴兵制が復活しても、このことは覚えておいてほしい。

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