「本当の戦争の話をしよう」(ティム・オブライエン著〜村上春樹訳〜文芸春秋社1990年)を読んだ。ほとんど題名だけに引かれて図書館で借りてきたのだが、ここで描かれている戦争は、著者が体験したベトナム戦争である。ベトナム戦争で「本当の戦争」がわかるのかというという抵抗感はあったが、ふつうに大学を出て社会人になるつもりだった青年が、徴兵のくじ運が悪くて戦場へ連れて行かれた。今の若者には、そういう形での戦争参加が多いのだろうと納得した。
 ベトナム戦争は、敵がほとんど姿を見せない非対称の戦争だった。現地にいる住民は、少なくとも協力的な「味方」ではないから、誰のために戦っているのかはわからない。わかっているのは、ともかく戦友を守るために戦わなければならないということだけだった。
 しかしアメリカ軍とは、なんと贅沢な軍隊なのだろう。戦死者や負傷者が出れば、直ちにヘリが収容に来てくれる。物資の補給も万全だから、前線での食事にもデザートやタバコがついている。それでいて、兵隊は常に予期せぬ狙撃や巧妙に仕掛けられた地雷や落とし穴を警戒していなければならないのだ。敵の存在さえ確認できれば、直ちに砲撃や空爆で吹き飛ばすことができるのだが、そんな機会はめったにない。念のために村落を焼き払ったりする 。
 上層部も現地の地理に明るくないから、どうしようもない沼地に進出を命じたりする。そこへ予期せぬ豪雨が降ってきたりする。そんな戦地の描写の中に時たま「日本での休養」が天国のような全員のあこがれとして登場するのが印象的だった。
 主人公である著者には、故郷に残した恋人がいた。その人は、あまりにも若い子供のうちに死んでしまった。そこで著者は「死者の命」ということを考える。この本の全体は、それを考えるための小説だったのだ。最後に出てきた彼女は言う「私は……誰も読んでいない本の中に納まっているような感じだと思う……だからただ待つしかないわけ……」
 著者はアイイスケートのイメージでこの本を締めている。暗闇の中でスピンしジャンプして、30年後に降り立つのだそうだ。小説を書いて命を救うとは、そういうことだ。昨夜は羽生結弦という一人の男が、氷の上に永遠の命を刻んだと言ってもいいかもしれない。