高畑勲監督が亡くなって、代表作として「火垂るの墓」が紹介されていた。この映画は、劇場ではなくテレビ放映で見たと思う。原作は野坂昭如の短編小説だそうだが、仲の良い兄と妹が、戦後の混乱の中で家族の支えを失い、しだいに追いつめられて死んでいく姿が哀れでならない。その悲しみの底から、人の営みを破壊する戦争への怒りが、こみ上げてくる。
 この映画の終りに重要な小道具として登場するのがサクマ式ドロップスの空き缶である。子供のころ、私の家にもこれがあった。もちろん「お菓子が家にあった時代」を思い出させる空き缶でしかなかったが、玩具箱の中にずっと入っていた。おはじきのガラス玉の入れ物になっていたのだ。缶を振ると、カラカラと音がした。
 私は国民学校6年で終戦だから、ちょうど同じ年代に当る。家が焼けず親も死ななかったから生きていられたが、家が焼け親が死んでいたら、同じような経験をしたかもしれない。何もなくなってしまった妹が、大事に持っていたのがこの空き缶だった。栄養失調で死んでしまう直前に、石ころを一つ取り出して口に入れ、「おいしい」と一瞬の笑顔を兄に見せる場面が、本当に映画の中にあったのか、それとも、そんな場面を見たいと思ったのか、私の記憶は定かでない。
 夢でもいいから子供は甘いものが食べたかった。昔はそういうものがあったことを知っている年代だから、余計にそう思った。
 話は飛ぶが、終戦になってアメリカ兵のジープから、円筒型に巻いたドロップスを投げてもらったことがある。みんなで一粒ずつ分けて、えも言われぬ旨さに浸っていたら、交番の巡査に叱られた。巡査は「アメリカのジープに釘さしてパンクさせてやれ」と言ったのだが、子供心にも、そんなことしちゃまずいだろうと思った。
 大人たちよ、若者たちよ、子供たちに、二度とひもじい思いをさせるな。絶対に、だ。