この数日来、頭の中に靄(もや)のように立ち込めていた想念に、おぼろげながら形が見えてきた。何となくもう一冊、本を書かなければならないような気がしていたのだ。
 またブログの上で1200字、100回分ぐらい書けばいいのかな、などと考えていた。私が知っているこの人類は、この先どれくらい長い間、地球の主人公でいられるのだろう、と思ったのだ。
 思えば、人類が地球の主人公と言えるほどの存在になったのは、それほど古い昔のことではない。メソポタミア、エジプト、インダス、黄河の四大文明が発祥したあたりでは、まだ地球全体としては、陸地の一部分に巣を作って住みついた動物の集団がいたという程度のことだったろう。自分たちの巣ばかりでなく、ピラミッドや万里の長城といった建造物も作り始めたが、いずれも自然石を削って積み上げた構造物だった。
 ただし彼ら人類には、地上の生物の中で唯一、知能を持ち言語を発達させ文明を発達させるという、際立った特徴があった。そして何種類かの亜種の中でも最も有力になり、競合する亜種を次々に絶滅させて生き残った一種類だけが、人類という単一の種として世界に散って行ったのだった。人類みな同胞というのは、理想主義者のスローガンではなくて、歴史的な事実であったのだ。
 ではその人類は、いつごろから地球の主人公になったと言えるのだろうか。地球が地球であることを知った、つまり世界というのは地球の上にあり、その地球は宇宙にある天体の中の一つだということを知らせたのはコペルニクスだったが、まだ信じる人は、ほとんどいなかった。強国の君主たちは、正確な世界地図や地球儀が作られるようになってからも、自分の領土のことしか考えていなかった。
 人類が、限りある地球の上に住んでいて、みんなが「宇宙船地球号」に乗り合わせているという認識を持つようになったのは、第二次世界大戦も終って「万国博覧会」が人気を集めるようになった頃からではないかと、私は思っている。自分も家族を連れてその場へ行き、人類の未来といったことを考えた。私の個人としても幸福な時期だったが、人類にとっても幸せな時代だったと思う。