滝野川国民学校の同窓生で作っている「沼津会」に参加して来た。国民学校(小学校)5年生だったときに、私も1ヶ月だけ参加した集団疎開学園(沼津市静浦)での経験を共有する人たちの集まりで、その事情は今までにも2回ほど記事にしている。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55592972.html (沼津会のこと)
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55636453.html (滝野川国民学校沼津会と「静浦疎開学園ものがたり」)
 最盛期には毎年数十名が参加していたが、この会の中には推理作家として高名になった内田康夫氏がいた。疎開時には1年下の4年生だった学年だが、疎開学園物語りの発行の際には、その中心人物になったと聞いている。しかし今では会員はすべて85歳から83歳までの年齢になった。今年の参加者は、8名にとどまった。
 今年は、この3月13日に内田康夫氏が亡くなっているので、期せずしてその追悼会のようになった。私は3月19日のブログ記事「内田康夫氏の死去と『靖国への帰還』」
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55772007.html
を持参して追悼文とした。
 幹事が用意してくれていたのは、3年前の2015年に内田康夫氏から寄せられていた、沼津会への欠席を知らせる挨拶文だった。その内容を改めて読んでみて、内田氏にとっての沼津疎開時代が、懐かしい思い出として綴られていることに、驚きに近い強い印象を受けた。たとえば、こんな調子なのだ。(以下引用)

 懐かしいといえば、沼津疎開時代の思い出すべてが懐かしいのは僕だけでしょうか。……こんなことを言うと笑われるかもしれませんが、僕にとって、人生の中で最も幸せだった時期があの本能寺(宿泊先は地元の寺だった)での暮らしだったような気がします。……長い汽車の旅の後、バスに揺られて岬を回った瞬間のあの海の色も鮮やかだった。本能寺の生活のあれこれも、大勢のホームシックが出たのも、懐かしい思い出です。……(引用終り)

 これを読んで、なんと善意の人なのだろうと思った。とくに「大勢のホームシックが出たのも、懐かしい思い出です。」とまで言われるのは、率直に言って不本意だと思った。あの深刻な人間不信と、家族というものに対する切ないほどの愛着、そこから離れて来てしまったことへの取り返しのつかない後悔などは、私には、終生消えない傷を残したとも言えるほど深かった。
 そこで思い出したのが、「疎開学園物語り」を最初に読ませてもらったときの違和感だった。あくまでも「つらいこともあったけど楽しかった、懐かしい」というムードが通底していたのだ。そんなに過去を美化してしまっていいものかと思ったのだ。これは何から出てくるのか。おそらく私が「疎開学園の落ちこぼれ」だったからだと思う。とにかく私はあの学園で、「先生は人間として尊敬できない」ことを悟ったのだ。親が最後に持たせた貴重な菓子類を子供たちから一斉に取り上げて、「彼らの基準」で「平等」に分配したのだ。分配を受ける側には、ちゃっかりと教師も入った。食い物の恨みは根が深いのだ。私はあのころから、権威というものを疑う心を身につけたのかもしれない。