本日で、めでたく85歳になりました。次の日曜日には、妻の実家のある静岡へ行くことにしています。そんなこんなで、古いことが話題になりました。60年前の3月に、21歳の妻が「東京へ行く」ことを決断してバスに飛び乗ったとき、市役所で取った戸籍謄本を持っていたというのです。それが必要になることは、私が知らせていたのでしょう。これがあったおかげで、その週のうちに結婚式をあげ、豊島区役所で新しい戸籍を作ることができたのでした。
 私の父が、私たちの結婚に反対した理由は、「親族で血が近い」でした。ただし妻は従兄の娘ですから5等親になり、結婚が可能になる4等親よりも1段遠くなります。それでも私がこの問題を気にしなかったわけではありません。当時は「優生保護法」が生きており、各保健所には「優生結婚相談所」なるものが併設される建て前になっていました。法律書の編集でそのことを知っていた私は、地元の保健所を訪ねたのですが、実体はほとんど機能しておらず、適当な医療機関の名を教えてくれただけでした。そのうち二つの医院で、医師に相談することができました。
 最初の医師は頑固者らしい年配者で、「心配なら止めりゃいいんだ」の一点ばりで、何の役にも立ちませんでした。その次に出会った若い医師が、私には救いの神のように思われました。「遺伝で何が出て来るかは、実証されている少数の例を除いては、基本的にわかりません。いちばん大事なのは、当事者のお二人が、多少のリスクはあっても引き受ける覚悟を持つことだと思いますよ。絶対安全を医者が保障する結婚なんて、ありえないんです。」と言ってくれたのです。名前も覚えていないこの医師が、私たち家族の恩人になりました。ちなみに、このときどちらの医院でも「相談料」を取られなかったのは、これが法律に基づく「優生結婚の相談」として扱われたからでしょう。 
 ところで、この20日の日曜日、私と妻は静岡まで行って、「神明さんと浅間さんに、お礼のお参りをしてくる」ことにしています。
 21歳の小娘に、生まれ育った家を捨てさせた負い目を、私はその後の生涯で晴らすことができたのでしょうか。善良だった妻の両親は、最後には喜んでくれたと思うのですが、強引なつらい別れを経験させてしまった事実は消すことができません。私は妻の両親の墓にも、心を込めてお参りしてこようと思っています。