滝野川国民学校の卒業生でつくる「杉の子(有志の)会」に行ってきました。私たちは厳密に言うと、昭和15年に東京府東京市滝野川区立滝野川小学校に入学し、2年生になった昭和16年の4月からは学校の名称が「国民学校」と変って、その年の12月から太平洋戦争が始まり、昭和18年から東京都滝野川区となり、昭和20年8月に6年生で戦争が終り、昭和21年の3月に卒業したのです。学校の名称が「小学校」にもどったのは、昭和22年の4月からでした。また、入学時には5クラスあった同期生は、卒業時には3クラスに減っていました。友だちの4割は、まだ疎開から帰っていなかったことになります。ちなみに、当時は男女別の学級が原則でしたが、私は1年のときは5組、6年のときは3組で、いずれも男女混合の組に入っていました。
 本日の出席者は11名でした。みんな85歳(または84歳)になっていることを考えれば、よく集まったとも言えるでしょう。ただし生存者が多いはずの女子が2名しかいなかったのは、少し残念なところです。3組の女子の中に幹事がいたら良かったのかもしれません。配られた欠席者からの便りなども合わせて、友人たちの消息を知ることができたのも収穫でした。大学の同窓会でも同じことですが、この年になって旧友を動かすというのは、幹事には大変なことなのです。
 話し合いでは思い出話が行き交うのですが、やはり集団疎開中の話題が多いようでした。その点では、1ヶ月で脱落した私には接点がありません。体調がカゼ気味で万全でないのも手伝って、珍しく疲労を感じる会合になりました。
 一通りの会食が終り、記念の写真を撮ると、公式の行事としてはお開きになります。このあと任意で近所の喫茶店などに入り、気の合う同士で話し合いを続けるのが慣例ですが、この部分では当り外れが大きいのです。家人が気になる私は、帰宅を急ぐことが多くなりました。
 12歳の春には、みんなに、いろいろな可能性があったのです。85歳になり、それぞれに人生を総括する年になりました。その成績表に、評価の上下はありません。