カンヌ国際映画祭で「パルムドール賞」を受賞して話題になっている是枝裕和監督の映画「万引き家族」を見てきた。万引きという非合法手段を生業としている家族の濃密な人間関係を描くことで、家族つまり人間のつながりということを考えさせる優れた作品だった。初めて見る素直な鑑賞でも「面白かった」と言える内容だったが、妻を連れて見に行った帰り道に、新宿駅地下街の喫茶店で一休みしたあとで、解説パンフレットを読みたくなって劇場まで引き返したのが大正解だった。
 パンフレットの後半部分に、識者による感想文が掲載されているのだが、その中の「万引きされた家族」と題した内田樹氏の文章が秀逸で、「自分は何を見てきたのか」がわかったような気がした。この映画に通底する「なんだかよくわからないもの」は、「狭さ」だというのだ。万引きには、その場の偶然に左右される部分がある。だからあらかじめ「計画的に買い揃えた」ものではない雑然さがつきまとうのだ。それは、ただでさえ狭苦しい主人公たちの住む家の生活空間を、さらに狭くする一方となる。
 さらに万引きで結束している家族の中では、「個性」を主張することができなくなる。この現象を、内田樹氏は「家族が、ねばねばした『かたまり』のようなものに化す」と表現している。つまるところ、家族とは、放置すれば身動きできない「かたまり」に捕われたようなものになり、そこからの脱出は「誰からも見取られない孤独死」の覚悟を要するような大事業になるのではなかろうか。
 正直に言うと、私はこのパンフレットを買ったおかげで、「いい映画だったね」という円満な感想記をブログに書いて終りにすることが出来なくなったのだ。近いうちに出直して、もう一回見なければならないと思っている。それだけの内容のある映画だと言えば、作品に敬意を表したことになるのかも知れない。