昨夜のサッカー中継は、「あまり興味はない」と言いながらも、結局は終りまで見てしまった。見ながらの感想として家人に語ったのは、「オレたちがやってたのは、サッカーじゃなくて『蹴球』だったなぁ」ということだった。武蔵高校を卒業する前後の数年間だけ、かなりサッカーをやったことがあった。ただし当時の「蹴球部」に入ったことはなく、親友の山本荘二が浪人時代に、自然消滅に近かった蹴球部の「中興の祖」となって活動するのを身近に見ながら、「名誉部員」と呼ばれていたのだった。つまり浪人しなかった私は、現役としての参加は不可能だった。一度だけ、人数が足りないとかで、対外試合に身分を伏せた忍者として参加したことがある。
 昔の蹴球では、フォワードもバックスも、W字型の2段に展開することになっていた。センターフォワード下の左右は「インナー」と呼ばれ、センターバック下の2名は「フルバック」と呼ばれていて、私はフルバックになることが多かった。山本は「お前にフォワードは無理だから」と言っていた。その位置だと、球が相手側コートの中にある間は、基本的に休憩していられる時間だった。キーパー以外の10人が、時間中は休みもなくコート全体を走り回る、バスケットボールのような、せわしない競技にサッカーが変化してきたのは、それからずっと後のことだったと思う。その当時は、相手側ゴールというものは、ずいぶん遠方にあるものだと思っていた。
 それよりも忘れられないのは、グラウンドまで行かずに休み時間などに校舎横の空き地でやっていた「草サッカー」の面白さだった。ボールもバレーボール用の軽い球や、それがなければテニスボールでも用が足りた。要するにボールを足で操って相手陣に蹴り込めばいいのだった。曲りなりにも「蹴球部」で蹴っていた私には、得意技だったのだろう。
 スポーツに生涯をかけて世界で活躍するといった発想とは、無縁の世界に私たちはいたのだと思う。学園生活の一部分として組み込まれる部活動ではあり、そこに青春らしい思い出が残ってはいるのだが、あくまでも「蹴球」と呼ばれていた時代の、長閑な美しい時間だった。