この1日の日曜日、義兄(妻の兄)の一周忌の法事で、静岡へ行ってきました。熱暑の日になるのが予報でわかっていたので、今回は半袖の白シャツを用意し、黒い式服を着るのは、法事の間だけにしました。葬儀の本番のときもそうでしたが、今回も東京からは私が一人だけで参加し、体調が万全でない妻は、参加しないことにしました。
 法要は寺(曹洞宗静岡瑞龍寺)で営み、裏庭にある志村家の先祖代々の墓で焼香をしました。現在、墓の中には、私も知っている伯父の志村久五郎さん以下の骨壺が納められていて、今後は新しい骨壺が入ると、古い壺から順に墓から出して、共同の墓地に埋めると聞きました。私たち夫婦の最初の娘で、胎内死亡により名もつけられなかった幼女の遺骨も、一時的にこの墓に入れてもらっていた時期がありました。今は自宅に引き取って、私たちの寝室に置いています。妻が死んだときに、骨をいっしょにしてあげる約束です。
 墓前の焼香のときは、寺の若いお坊さんが一人、墓の横で読経をつづけていました。真昼の太陽の下で、焼けた墓石の列の間に立っているのですから、その暑さは大変だろうと思いまた。私の番の焼香が終ってから、そのお坊さんの方に向き直って一礼したら、お坊さんも返礼してくれました。それからあとは、そのようにするのが例になりました。その様子を、私は一回りした本堂の庇の影の下から眺めていました。
 死者を弔う行事とは、死んだ本人よりも、むしろ生き残った人たちのためのものでしょう。死んだ人のおかげで、疎遠になりかかっていた親族の人たちと会うこともできました。妻と仲良しの妹と、静岡の駅前で、遠くまで手を振って別れてきました。静岡の人は、静岡を「シゾーカ」と言います。私もシゾーカが好きです。