きょうの明け方に見た夢が、妙にリアルだった。私はどこかの出版社で、週刊誌の編集長をしているらしかった。次号の構成を議論していたのだが、部員の一人が、只ならぬ面持ちで、中国の問題を特集しましょうと提案してきた。言われてみれば、最近の中国は気になる存在だが、その実体は、いまいちリクアにならないもどかしさがある。そこにメスを入れて特集にするというのは、いい提案かもしれない。そこで「うん、いいかもしれない、やってみるか」と応じた。
 するとその部員が「いいですか、やりましょう」と勇み立ったのはもちろんだが、その場にいた全員が賛同して、にわかに熱気が盛り上がってくるのがわかった。それを見ているうちに、この熱気なら、きっと全社が一丸となったすごい特集が出来るに違いないと確信することができた。それと同時に、こんな気分で仕事ができるのも久しぶりだなという感慨にふけっている自分がいることも意識していた。
 夢というのは、継続した長い時間で見ているものではないと思っている。長いように思えても、関連する場面が次々に現れては消えるのだ。つまり「動画」ではなくて、スチール写真の連続に近いように思うのだ。ただしその場の人の話し声や音楽などが聞こえることもあるから、スライド作品に近いのかも知れない。ただし自分が見る夢というのは、自分の実体験を素材にしているに違いないから、そこに自分の生活史が反映するのは必然的だと思っている。
 そこで自分の夢を、自分で解析してみたくなるのだが、今朝の夢が、私の欲望の一部分を表現していることは、ほぼ確実だろう。今でも信頼する部下を指揮して、何か意味のある仕事を成し遂げることを夢見ていたわけだ。少なくともその間は、自分の死に方だけを考えている老人ではなかった。それがいいことかどうかは今は問わない。だが、目覚めた気分は、いささか爽快であった。