何の拍子だったか、長女が昔に読んだという、浅田次郎の「地下鉄(メトロ)に乗って」(文庫版)を貸してもらって読んだが面白かった。かなり部厚かったが、昨日のほぼ一日をかけて読んでいた。昔からよくなじんでいる地下鉄で、丸ノ内線の方南町の車両基地なども出てくるから親しみを感じられた。私が大学生の時代に、それまでは浅草から上野経由で渋谷まで行く銀座線だけだったのが、池袋からお茶の水へ通じる新しい地下鉄が出来て話題になっていた。ただし地下鉄なのに地上を走る部分が多くて、予算がないから本格的な地下鉄の新設は、まだ無理なのだろうと思っていた。「丸ノ内線」という名称はなくて、私たちは単に「新しい地下鉄」と呼んでいた。
 銀座線の開通は、浅草・上野間が最初で、それは昭和2年という早い時期だった。そして昭和14年には路線は上野から銀座・新橋そして渋谷へと延伸して、直通運転を始めている。そしてそのあと新しい地下鉄路線が出来たのが上述の昭和30年代なのだから、私が育った時代の地下鉄と言えば、今の銀座線に決まっていた。
 私は地下鉄が好きで、それを知っている母は、私を連れた「お出かけ」のときは、地下鉄の先頭車両に乗って、前面のガラス越しに、トンネルの先を見せてくれるのだった。信号灯の色が鮮やかで、次の駅が遠くに明るく見えて、それがだんだん近づいて来る。それは、わくわくする風景だった。当時の運転士は、左端の狭い区画の中に入っているのだった。
 ただし、きょう書きたいのは、この本の書評ではない。この作品に出てくる、電話で話している二人の間に、何年もの時間差が生まれているという設定が、意表を突いて新鮮だったのだ。そうか、電話線で時間を越えられたらいいなと思った。
 死んでしまった妻に、ぜひ聞いておきたいことがある。「あなたの心臓が止まる前に、一瞬でもいいから、温かい湯に入って『ああ、いい気持ち』と思ったんだよね」と確かめて置きたいのだ。彼女が「ええ、そうよ」と、やさしく答えてくれたらそれでいい。「あんたは、そっちにいていいよ。いずれ、そっちへ行くから。」
 浅田次郎は、この本を書いて新人賞を取ったということだ。小説家でなくても、故人と電話で話すことは、できるのかも知れない。妻のすぐ近くには、母もいそうな気がする。時間を越える電話を、また掛けてみよう。