そんなに遠くない昔、「アべ政治を許さない」というプラカードが、国会周辺を取り巻いたことがあった。今よりも少しは若かった私も、自分なりに、毎月9日には、金子兜太氏の筆になると言われる書を掲げて歩いたこともあった。その日に合わせて、いっしょに歩いてくれる「同志」に出会うこともあった。
 あれから何が変ったのか、「アベ政治」は少しでも良くなったのか。そんなことはあるまい。ただ惰性で動いている政治だったが、野党が弱かった。アベ政治が「一強」と呼ばれていて、それに代われそうな勢いのある野党が存在していなかった。だが今は違う。立憲民主党という本命野党が、ようやく立ち上がってくれたのだ。
 しかし、この夏の参議院選挙、今までに見たこともないほど話題にならず、存在感が薄いのは、どうしたことだろう。衆参同日の選挙になるかと言われていたのが、参議院単独が確定したとたんに、人々の意識から消えてしまったように思われる。もしかすると、記録的な低投票率になりそうな予感があるのだ。
 だが、これを裏返すと、政治に何事かを期待する人にとっては、チャンスかもしれないのだ。意識して投じた一票が、さらに重くなる可能性がある。いずれにしても、せっかくの選挙権を、まじめに投じようとしない人に政治を論じる資格はない。
 日本の未来がどうなっても構わないのでなければ、成人には投票に行く義務がある。理由なく選挙で棄権することを、法をもって処罰する国もあるくらいなのだ。支持する人も政党もないのなら、「棄権」という投票をしなければならない。
 「アベ政治を許さない」ためには、必ず投票に行かなければならない。それが有権者の義務というものだ。