今年の2月から参加するようになった、サンプラザ・ポウリング場を会場とする「ボウリング健康教室・火曜午前コース」の、きょうは最終回を次回に控えての「懇親・昼食会」だった。昨年暮れに妻を亡くしたあと、毎週通っていた妻のための「毎週火曜日・午前中のデイサービス」に同行することもなくなり、私の暮らしは、毎日が休日の、とりとめのない自由時間の連続になるところだった。たまたま正月の新聞折り込み広告の中に、「ボウリング健康教室」のチラシがあって、これなら会場も歩いてすぐ行けるし、ちょっといいかなと思っていたら、私のボケを心配していたと思われる長女が、さっそくに賛成してくれて、様子をみながら写真を撮りにきてくれたのだった。
 日本でボウリングが本格的に流行した最初は、昭和30年代だったと思う。その頃は私の家族は埼玉の草加に住んでいて、当時のボウリングは、なにか時代の先端を行くような、いわゆる「カッコイイ」遊びという印象があった。テレビのCMに、「中山律子さん」が実名で登場した時代である。私は地元のボウリング場が物足りなくて、車を走らせて川口まで行った記憶がある。
 ボウリングはその後、人気の一時的な過熱と施設の乱立および淘汰の時代を経て、ようやく誰にもできる手ごろなスポーツとして定着してきたように思われる。運動としては決して過激ではなく、身体的能力と、求められる正確さなどの技術的な要素とが、適度にバランスしていると言えるのではないだろうか。さらに良いのは、今回は「健康教室」を看板に掲げていることだった。ただ遊びに行くのではなく、毎回が準備体操から始まる。その体操の指導ぶりは、いわゆる体育系ではなくて、一応きちんとしてはいるが、参加者のやる気に合わせて、まじめにもやれるし、いいかげんにやっても叱られない「ゆるさ」をもっているのだった。
 私は昔、サッカーの部活もやっていたから、体を動かすのは嫌いではない。体が固くはなっているが、関節の限界まで曲げ伸ばしを繰り返すのは、体のメンテナンスをする快感がある。「遊び」だけではない「教室」だからこそできることだろう。
 そしてまた、競技を通して人との交流が始まるところがいい。ボールを投げる「運動」の部分と、その前後のチーム仲間との「会話」の部分が、これまたバランスよく連結しているのではないだろうか。食事会での話し合いで、全員の中で私は最高齢らしかった。私の親友の山本荘二(故人)は、3浪して京大に入り「長老」と呼ばれたそうだが、私もボウリング仲間の「長老」になれたらいいかな、と思った。