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 13日(火)から15日(木)まで、長女夫妻とその長男と私の4人で、2泊3日で帯広にある婿殿の実家へ行ってきました。天候は台風がらみでやや不安定でしたが、雨にも会わず、無事に帰ってきました。中日には、孫の運転する、ゆったりしたレンタカーに乗り、180キロ走って道南の名所を訪ねて回りました。冬の北海道の気候は、本当に快適です。窓を少し開ければ涼風が入り、冷房を使うこともない汗知らずの旅でした。
 写真は上から、着陸する寸前の帯広空港の周辺です。広い農地と牧草地の連続は、2013年に「そりゃないよ獣医さん」を訪ねた道東中標津とよく似ていると思いました。降り立ってからの、大平原を貫く直線道路の風景も似ています。
 ただし訪ねたお宅は、帯広の中心街から少し離れた住宅街の中です。長女は静岡に似ていると言っていましたが、総じて宅地が東京よりは広く、そして個別に塀で囲う習慣がないのです。
 そんなことよりも、今回は婿殿のルーツにつながる「家族の物語」を聞けたことが収穫でした。婿殿の母上は、私の妻と同年(同学年)なのです。そして帯広から遠くない芽室という町の出身で、9人きょうだいという大家族で育ったとのことです。結婚の縁は、教育者の家系から結ばれたようですが、夫は長命ではありませんでした。早くから母一人、子一人となり、息子が高校を出たあとは、東京へ送り出して自立を促し、自分も自立しようと覚悟を決めたとのことです。
 家はしっかりした作りの二階屋で、書棚には世界文学全集などの教養書が詰まり、ピアノも高度なステレオセットも備えてあり、クラシックのレコードも揃っていました。この家から学齢期の一人息子が去ったあとの、母親一人だけの暮らしは、どんなものだったのでしょうか。朝に目覚めて起きるまでの床の中で、こんな歌ができました。
(ふと思う)
この家を ひとり守りて過ごしたる
その年月(としつき)の長かりしこと 
 朝の食卓の席で、この歌の贈呈式をしようと思ったのですが、読もうとした瞬間に、不覚にも涙腺がゆるんで涙声になってしまいました。それでも母上は、一応の書式は整えた私のメモ用紙を、大事そうに箪笥の最上段の小引き出しに仕舞って下さいました。
 一組の男女が結ばれると、そこから一つの家族が生まれます。その血縁は、子の世代に引き継がれて、また新しい縁を結びます。その連鎖は、おそらく考えられる限りの永遠に続いて行くのでしょう。生きていて良かったと、本当にそう思います。