中野サンプラザビルの地階にあるボウリング場は、この2月以降、私にとって「毎週火曜日午前中のホームグランド」になっています。「健康ボウリング教室」のチラシを見た娘たちが、「こんなのどう?」と勧めてくれたのがきっかけでした。かなり昔から心得はあったので、参加することに抵抗はありませんでした。息が切れるほどの運動量でもなく、それでも投球の一瞬にはそれなりの力も使うので、中高年に向いたスポーツだとも思っていました。
 そのボウリング場通いが、半年以上継続して今になりました。自分のチーム3名と、隣接レーンの3名を加えて合計6名、この6名が1フレームごとに左右のレーンを交代しながらゲームを続けて行きます。途中でストライクかスペアが出れば、スコアにマークが入ります。フレームが10回で1ゲームですから、1ゲーム30分強ごとに20球ぐらいを投げることになるでしょうか。ちょうど適度の運動量になるような気がします。
 考えてみると、妻がいた昨年までだったら、妻はたぶんいっしょには参加しなかったろうと思います。かといって見にくるだけも不自然だったでしょう。つまりは、妻が不在になったから可能になったボウリングだろうと思うのです。
 過去の一週間ほど、私は兄の死去に伴う実家の状況に、片足を踏み込んだような、不安定な状態にいたような気がします。それは兄が残した遺言という、私にはまだ実体のわからないものによって左右される可能性を秘めています。私には、何が欲しいというものはありません。むしろ何もないのが望みでした。
 しかしそれは、自分の育った実家が、どうなってもいいということとは違うのです。今のホームグランドは中野ですが、私のルーツは、間違いなく北区西ヶ原にあるのですから。