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 妻を見送り、自分も老体となって、あとは静かに人生の終結を考えればいいという境地になっていた(つもりだった)。しかし兄の死で状況が変った。父が残した小さいながら伝統のある出版社と、同じく夢を描いた箱根山の不動産の管理者が不在になった。
 このまま放置しても、「何とかなる」ことはわかっている。数年のうちに権利者がすべて消滅して、「国の財産になる」可能性もある。それも悪くはないのだが、生涯をかけた父の夢はどうなるのか。正当に管理権を取得して将来に向けて保全する機会があるのなら、それは試みるべきではないのか。
 そんなことを考えている中で、偶然のように本棚の隅から、大学3年のときの教科書が出てきた。その中に、ブライス師と対面して質問し、教えてもらったときのメモが挟んであった。授業のあとで、個人的に質問したときのものだと思う。試験のあとで、「一人も正解者がいなかった」という厳しい評点に対し、食い下がってその真意を教えてもらったことがあったのだ。そこで私は、「禅の悟りについての根本的な勘違い」を指摘されたのだった。つまり、空(くう)とは、「すべてを諦めた空白」ではなくて、「100パーセント充実した解脱」だということだった。
 ここで説明されたのは、「悟りとは、地球の回転に乗せられているという認識ではなくて、自分が地球を回しているという自覚だ」ということだった。荒唐無稽のようだが、禅ではそれが当り前なのだ。悟った心は宇宙と同じ大きさになる。だからこそ、あらゆる現実を超えることが出来るのだ。
 その極意が左下に手書きで書いてある。「禅とは、君が石や木(つまり地球)を回転させることなのだよ」と。