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 夏水仙(じつは「タマスダレ」)の花が、二輪になった。つづいてあと三つぐらいは、すぐにも咲きそうな花芽がある。このプランターの花の咲き方をレポートしていると、当分はブログのネタに困らずに済むかもしれない。
 私の父は、子供たちに日記を書かせることに熱心だった。自分が青年期に日記を書き続けていて、それが精神的な支柱になっていた記憶があったらしい。私の日記の習慣もそこから始まっていて、今のブログにもつながっているのだが、子供にもいろいろな個性がある。私の下の姉は、日記を書くのがきらいというか、不得意だった。それでも父は日記を書くことを強制していたから、女学生時代の姉はつらかったろうと思う。さらにいけないのは、時々書いた日記を見せろと言って検閲までしていたのだから気の毒だった。
 そこである時期、姉は、当時家の庭で飼っていた鶏が生んだ卵の数を、日記に記録するようになった。それなら書くのが楽で、長く続けられると思ったのだろう。他に書くことがなくても、日記帳が空白にならなくて済む。ところがその日記の書き方が、安易だと言って責められる事態になった。父はそれを見たら、子供にも得意なことと不得意なことがあるのを悟るべきだったと、今の私は思う。でも父は結局、死ぬまで頑固者としての性格を変えることはなかった。
 下の姉は、のちに友人のつてでスペイン大使館に手伝いとして入ったのだが、そこで短期間のうちにスペイン語の会話に上達して私たちを驚かせた。教科書的な学習ではなく、コミュニケーションとしての外国語習得には、すぐれた能力を発揮したのだった。自信をつけた彼女は、やがて私に「英語を教えて」と言ってきた。少しだけつきあってあげたら、次は「生まれて初めて試験で100点取った」と、私に笑顔を見せてくれたのだった。
 その姉は、やや高齢になってから理解ある夫を得たのだが、子供は授からなかった。数年前に、「もう私のことは心配しないで」と、さびしいような電話をかけてきたのだが、その声は明るかった。寡婦となって住んでいた家は、行ってみたら整地されて分譲地になっていた。