昨日の10日、10月の第二木曜日、学習院の中央研究棟の最上階にある「松本楼・学習院店」に、私と同期の英文科第3回卒業生が集まりました。正方形のテーブルを囲んで4人、それぞれ好みの昼食を取りながら、ゆったりとした2時間ほどの会話を楽しみました。中の一人は、わざわざ鹿児島から、日帰りの飛行機で来てくれたのでした。私たちの卒業は昭和31年(1956年)の3月、新制大学が出来てから3年目の入学ですから、「3回生」と呼ばれています。まだ4年生はいなくて、卒業生を出していない大学でした。
 時代は、戦後日本の混乱期が、すぐ近くにあった時期でした。学内には、松本楼のような上品な店があるわけもなく、同期生だった「殿下」つまり今の「上皇」さまも、武骨な学食で30円のカレーライスを食べていたのでした。
 敗戦を迎えて「戦後」になるまで、日本では女性は正規の大学に入ることができず、別枠の「女子大学」があるだけでした。それが戦後の民主化で、女性にも高等教育の道が開けたのです。釜石出身の親友は、「私が合格したら、地元の新聞に私の名前が出たのよ」と教えてくれました。日本全体では、まだ大学への進学率は、80人に1人という時代だったのです。
 その同期生の中で、誰よりも早く結婚したのは私でした。卒業の2年後に、家を出て四畳半のアパートに新居を構えたのです。同期の女性たちにとって、新婚家庭というのは好奇心の的だったのでしょう。代わる代わる訪問してくれて、家庭用品の差し入れをしてくれたり、3歳年下の妻の相談相手になってくれたのでした。
 その友人たちも、その後それぞれに結婚して、今は子も孫もいる年代になりました。久しぶりに会えば、それぞれの消息を問い合わせ、その話題の中には、そろそろ「連れ合いさんの介護」の問題が入ってきます。平均的に、私よりも年上の年代なのです。
 こうして時代は移り、私たちの世代は「現役」を終了して行きます。悪くない人生でした。その一部分にかかわって下さった皆さんには、心からの感謝あるのみです。