志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

私の意見

何ができるか、何をしたいかを考える

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 人が、生きているうちにしておくべきこととは、何なのだろう。年寄りに求められる一般的な期待は、まず、他人に迷惑をかけず、自立して生活していられることだと思う。その意味でなら、いまのところ誰にも負担をかけずに自立して暮らしているとは言えそうな気がする。ただしそこには伝統的な男の甘えがあって、日々の食事のことは、娘たちから曜日による交代制のサービスを受けることになっている。きょうはたまたま木曜日だから長女の担当日で、夕方の5時ごろから、台所仕事の一部を手伝うことに約束ができている。
 写真は先週のものだが、大根と人参の、皮むきから刻みまでを担当した。この程度の包丁の使い方は、不安なくできる程度にまで習熟した。ただし妻の生前には、私はこんな手伝いもすることはなかった。妻も晩年には、ほぼ「世話をされる人」になっていたから、私たちは夫婦が丸抱えで、娘たちから食事のサービスをしてもらっていたのだと思う。それが、妻が亡くなってから半年、長女の提案で私の台所への参加が始まった。彼女の意図が、私のための「ボケ防止」であることは間違いないと思っている。
 今夜はどんな仕事があるのか、行ってみなければわからない。「オレは、やりたい大事な仕事があるから、きょうはかんべんしてくれ」と言えば、「それならいいんだよ」と言ってくれるのはわかっている。しかし、今夜はそんな立派な「お仕事」はない。だから、これから手伝いに行ってくる。
 
 

来し方・行く末

(熊さん)ご隠居、久しぶりの箱根はどうでした。なかなか良かったようじゃないですか。
(ご隠居)ああそうだね、宿も環境も、申し分のないところだったよ。気になっていた姉とも、ずっと近くにいられたから、思い残すことがないと言ったら変だが、何年分かのつきあいを取り返したような気がしたよ。先方の娘が、「おじちゃんがお母さんを可愛がってる」と言って笑ってたっけ。「ご苦労さま」を言って、抱きしめたかったのは、その通りだったね。しっかり者だった姉さんが、あんなに可愛らしく見えたことはなかった。一生けんめいがんばってる顔してるから、「疲れたの?」って聞いたら、「うん、疲れた」だって。「ご苦労さま、もういいから、ゆっくりお休みなさい」と言ってあげたくなったよ。ずっと仲良しだった恒さんといっしょに、セーヌ川へ行くのもいいだろうね。だけど少しは日本に残したらどうだろう。私のところへ残してくれたら、たぶん「富士山の見える長尾峠」にも行けることになるよ。
(熊)そうか、仲良しだったお姉さんといっしょというのも、ご隠居には、いいだろうね。もちろんそこには、ひさ江さんもいるわけだ。
(隠)まあ、そういうことだ。本当は、遺骨や遺灰がどうだろうと、そんなのはママゴトみたいなものだけどね。残る人にとっては、遺骨だの墓石だの、形のあるものを作っておくと安心という一面があるということだ。私は自分の判断で、墓地はお寺さんに無償で返還したけど、最終的な判断は、実際に残った人に任せるしかないのさ。
(熊)それはそうとして、ご隠居は、これから先のことは具体的にどう考えてるんですか。
(隠)私の世界観から、自分の名を刻んだ石の墓は作らないことにして、娘たちの了解は得たと思っているんだ。具体的には、遺骨は「遺灰」に加工して(あるいは火葬場で直接に「灰」にして貰って)、散骨は川や海でなく、山が好ましいと思っている。その趣旨を「遺言書」に書いてあるわけさ。
(熊)ああそうか、ご隠居の娘さんなら、やってくれそうじゃないですか。
(隠)てなわけで、題名は「来し方・行く末」って書いたけど、行く末の話ばっかりになっちゃったな。来し方は、また次の機会にしようか。
(熊)来し方は、ご隠居が今までさんざんブログに書いてるから、いいですよ。まだ書き足りないんなら、何か新しいテーマを一つ、立ててみたらどうですか。
(隠)ふんにゃ。それもそうだな。

今年も沼津会に行ってきた

 滝野川国民学校の集団疎開児童の同窓会、「沼津会」に行ってきました。昭和20年当時で5年生と4年生だった年代で、現在の年齢では84歳から86歳までに当ります。だんだん来られる人数が減って、今年は9名の参加でした。疎開児童で集団生活を経験したというのは、独特の親しみがあるようです。たとえば今回は夜間に寝小便の失敗をした話が出てきました。隣のふとんに移動して、2枚濡らしたという話が出てきたので、私も安心して、寮母さんに取り入って、要領よくごまかした話を紹介することができました。
 また、この会では、女子の幹事が男子を説得するときの殺し文句に、「いっしょに寝た仲じゃないの」というのがあるのです。こういう場合は、学年の1年違いも、微妙に関係してくるようです。
 同じ学校の、卒業年度による同窓会の「杉の子会」というのもあって、この6月7日に予定されているのですが、こちらの方は、「今回をもって最後にしたい」と幹事からの連絡がありました。誰も、責任をもって来年のことを決められる年齢でなくなっていることは、よくわかります。あとは、気心の知れた同士で、会いたいときに連絡をとって会えれば、それでいいのです。ただしこの「沼津会」は、「最後の二人」になるまでやることになっています。
 近所にいて「隣組」の仲間でもあった人が、最近に亡くなったという話も聞きました。生まれ育った町が、だんだんに遠くなるようです。私の「実家」の様子を、それとなく聞けるかと思っていた相手が、いなくなりました。 

これから何をしようか

 妻を失って、一つの不思議な感覚が湧き上がってきた。なんだか、とても自由になった気がするのだ。考えてみれば、心配ごとが何一つなくなった。家の仕事には、もう私の出る幕はない。口を出せば迷惑になるのが落ちだろう。せいぜい倉庫を見回して、目についた小さな見落としを、誰にも言わずに整えておく程度が似合っている。あとは意見を求められたら、そのときに考えて答えればいい。
 自動車の免許は、あと半年でやめると決めた。今の免許証をそのまま持っているつもりでいたのだが、有効なうちに返納すると、何かいいことがあるらしい。運転歴は、満70年に少し足りないところで終ることになる。娘たちも、それで安心するに違いない。外出は、たぶん今よりも自由になる。
 とは言っても海外に行くつもりはない。言葉が自由で、日本の金を使える国内の旅行がいい。列車の旅も、新幹線の通っていない在来線の長距離列車がいい。昔から宿は予約しない主義だったが、今はしかるべき宿を事前に決めた方が、娘たちは安心して送り出してくれそうである。それも、この2年間ぐらいが限度だろう。90歳が近づいたら、遠出はしないのが似合う。
 ここまでは移動の自由の範囲だが、もっと大事なのが精神の自由なのだ。自分の頭を使ってしたいことは何か、できることは何なのか、それを考えなくてはいけない。あちらで妻と再会した時に、「遅くなったけど、○○をしてきたよ」と、喜ばれるような話題を持って行きたいものである。
  

般若心経現代語訳〜2018改訂版

 落合火葬場にて、志村ひさ江を、本日荼毘(だび)に付しました。その炉前で、私は般若心経の現代語訳を朗読したのですが、その前に、長女の意見を参考にして、語りかける口調に改定しました。同じことを伝えるにしても、こちらの方が説教臭がなく、素直に聞けるようになったと思います。その改訂版を、ここにご披露してみます。

 仏陀が最上智(般若波羅密多)に達する修行を積まれたとき、この世にあるものは、あらゆる物質も、あらゆる生きものも、あらゆる精神の働きも、すべて空(くう)に帰することを見通されました。これにより仏陀は、一切の苦しみを超越する境地を得られたのです。
 仏法に志すものよ、すべて形あるものは空に帰し、すべて形あるものは空から生じるのです。(これは時間の経過によってそうなるのではありません。)すべて形あるものは直ちに空であり、空は直ちに形あるものなのです。人のさまざまな精神の働きも同じことです。仏法はこの空を根本の原理に据えるゆえに、生じることも滅ぶことも、汚れることも清くなることも、増すことも減ることもありません。空には形も意識もなく、色も香りも味も触覚もなく、法則さえもないのです。目に見えず、意識の対象とならず、無明の闇でもなく無明の闇の明けることでもない。空は老いたり死んだりすることなく、老いたり死んだりがなくなることでもないのです。苦を逃れるために知恵を尽くすことでもなく、また何かを得ることでもないのです。何も得るものがなく、ただただ仏陀の最上智に帰依するのですから心に煩悩が生じることがありません。煩悩がなければ恐怖はなく、一切の世俗の夢から離れて究極の涅槃に入ることができるのです。過去現在未来のもろもろの仏は、この最上智によって涅槃の境地を得られました。
 ですから仏法の最上智(般若波羅密多)こそは無上の光明であり、よく一切の苦厄を除き、真実に導くものなのです。般若波羅密多にすがる経文は次の通りです。掲帝(ぎゃてい)掲帝(ぎゃてい)波羅掲帝(はらぎゃてい)波羅僧掲帝(はらそうぎゃてい)菩提莎訶(ぼじそわか)。
 「いざ行かん、いざ行かん、悟りの国へ。うれしや。」般若心経。
               (2001年11月 志村建世訳〜2018年改定)
(原文)
 仏説間摩訶般若波羅密多心経(ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう)
観自在菩薩(かんじざいぼさつ)行深般若波羅密多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ)照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)度一切苦厄(どいっさいくやく)。舎利子(しゃりし)色不異空(しきふいくう)空不異色(くうふいしき)色即是空(しきそくぜくう)空即是色(くうそくぜしき)受想行識亦復如是(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)舎利子(しゃりし)是諸法空相(ぜしょほうくうそう)不生不滅(ふしょうふめつ)不垢不浄(ふくふじょう)不増不減(ふぞうふげん)是故空中(ぜこくうちゅう)無色(むしき)無受想行識(むじゅそうぎょうしき)無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜっしんい)無色声香味触法(むしきしょうこうみしょくほう)無限界(むげんかい)乃至無意識界(ないしむいしきかい)無無明(むむみょう)亦無無明尽(やくむむみょうじん)乃至無老死(ないしむろうし)亦無老死尽(やくむろうしじん)無苦集滅道(むくじゅうめつどう)無智亦無得(むちやくむとく)。以無所得故(いむしょとくこ)菩提薩?(ぼだいさった)依般若波羅密多故(えはんにゃはらみったこ)心無?礙(しんむけいげ)無?礙故(むけいぎこ)無有恐怖(むうくふ)遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)究竟涅槃(くきょうねはん)三世諸仏(さんぜしょぶつ)依般若波羅密多故(えはんにゃはらみたこ)得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)。故智般若波羅密多(こちはんにゃはらみった)是大神咒(ぜだいじんしゅ)是大明咒(ぜだいみょうしゅ)是無上咒(ぜむじょうしゅ)是無等等咒(ぜむとうどうしゅ)能除一切苦(のうじょいっさいく)真実(しんじつ)不虚故(ふきょこ)。説般若波羅密多咒(せつはんにゃはらみったしゅ)即説咒曰(そくせつしゅわつ)。掲帝(ぎゃてい)掲帝(ぎゃてい)波羅掲帝(はらぎゃてい)波羅僧掲帝(はらそうぎゃてい)菩提莎訶(ぼじそわか)。

(注・インド生まれの釈迦は、漢字を知りませんでした。仏教が中国を経由して伝来したために、日本では経文は漢字で書かれていますが、その一部はパーリー語(インドの古語)の音写です。たとえば般若波羅密多は、最高のパーラミータ(知恵)という意味です。)

転機が近づいている予感

 毎日日記を書くように、滑らかにブログを書き始めることができなくなってきた。基礎体力の低下で、階段を上がるのに疲労を感じるようになったのと似ている。かつては階段は、歩くべき道の一部分でしかなかったものが、近ごろは挑戦すべき障害の一種のように感じられる。
 でも今のこの感覚が、一時的な思い違いのような気もする。かつて私にとって日記を書くことは、生きることと同じだった。書くことで自分と対面しながら、明日への道をさがして来た。その構図は今も同じだと思うのだ。
 暑くも寒くもない、ちょうどよい季節になった。初心に返り、本来の自分を取り戻す好機かもしれない。

 

行きてし止まん

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 これは昨日の夕方、わがビル屋上からの撮影である。左に高く立っているのは、旗の掲揚ポールである。この景色を見ながら、心に浮かんだことがある。前後の脈絡もなしに、突然「行きてし止まん」と思ったのだ。戦時中によく聞いた「撃ちてし止まん」のスローガンに似ている。「止まん」は文語の係り結びで、正しくは「止まむ」で、撃たずにおくものかという意思未来になる。有楽町の日劇ビルの正面に、ビル全体を使って大きく書かれていて有名だった。
 自分は行ける限りは前を向いて生きて行こう、それしかないと思ったのだ。見送ったのが夕日であってもいいのだ。その方向を、心に刻んで見送った。

つまり 未来は 今なんだ

 昨日の「沖縄平和の日」に寄せた相良倫子さんの詩の中に

(なぜなら)未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。

 という部分があった。そのことと、今朝のNHK−Eテレ「こころの時代」で聞いていた「”豊かな終わり”を見つめて」という、終末医療の話とが、しっかりと結びついた。今朝の徳永進医師の話には、訪問医として多くの老死を看取ってきた人のやさしさと、そこから生まれる威厳とが満ちていた。そこにあったのは、限りない「生きることへの讃歌」であったと言ってよい。中学3年の少女に満ちている活力は、そのままの形で生涯を終わる老人の中にも生きているのだ。
 まことに、人は生きるために生まれてくる。この地上に、なぜ生命が生じたのかは、現代の科学をもってしても説明が難しい。ただ一つわかっているのは、生命体は生きることを前提として生まれ、生きる過程で子孫を残した上で、個体は必ず死を迎えるということだ。今は未来であり、そこには死を内包している。その危うい「今」に自分が存在していて、ほかの誰でもない「自分」であるとは、なんという奇跡なのだろう。
 前出の詩のテーマは「生きる」だった。作者の少女も、生まれたときには自分が生まれたとは思っていなかったろう。ただ思いっきり大きな泣き声で「生まれた」ことを宣言し、周囲の人たちを喜ばせただけだったに違いない。しかし生きるに従って自分が生きる意味を考えるようになった。そして生きる途中で有無を言わさず人を殺してしまう戦争の、罪の深さを知るようにもなったのだ。この詩の朗読は、彼女にとって、人としての第二の誕生の産声だったと言ってもよい。だから私たちはその誕生を心から喜び、同時に感謝の念を抱くのだ。
 「つまり 未来は 今なんだ」
 この言葉は、若者だけでなく、死を身近に感じている老人をも勇気づける。

できることと、できないこと

 世の中には、というよりも今の私には、出来ることと出来ないことがある。ブログを無断欠席しながら、そんなことを考えていました。カゼ気味の鈍くなった頭でも、世の中にいろいろなことが起きていることはわかります。不気味な「座間9遺体事件」も、被害者全員の身元が明らかになりました。豊かな未来もあったであろう若い女性たち8人と、若い男性1人が犠牲者にされました。命を奪わなければならないほどの理由があったのか、疑問は尽きません。
 トランプ大統領の来日も、大きな話題でした。安倍首相が率いる日本は、所詮はアメリカのカモであり、愛玩されるポチでもある、つまり「カモイヌ」だという論評も読みました。その一方では、日米同盟の強固さが再確認されたという公式ニュースもありました。折から早くも「今年の流行語大賞」の候補が取り沙汰されています。その中に「忖度(そんたく)」の語があったので、私は、今年はこれだなと思いました。当用漢字に入っていない字でありながら、今はみんなが知っています。そして、この漢字を使わないと簡単明瞭な説明のできない、複雑な概念なのです。
 忖度は、相手の心を推し量ることですが、単なる「思いやり」の心の温かさとは異質なものを含んでいます。そこには力関係で上位の人の気持ちを察して、先回りのサービスを提供して喜ばせるというニュアンスを含んでいます。自発的服従の心理と言ってもいいかもしれません。為政者にとっては、国民が定められた法令の趣旨をよく理解し、率先して服従するように行動してくれたら、これほど好都合なことはないに違いありません。
 私がいま、「できることと、できないこと」があると、やや尖った主張をしたくなったのは、昨今の「次々になりゆく勢い」の中に、「いま立ち止まらないと危ない」という危機感が芽生えてきたからなのです。衰えて行く体力・気力の制約で「できない」ことが増えてくるのは目に見えています。しかしそれとは違う次元で、「できないこと」「してはいけないこと」を、しっかりと見据えて、自分で実行し、それと同時に世の中に向けて発信して行こうと思います。
 

エイプリルフールの本当話

 年度初めの土曜日で、しかもエイプリルフールだから、何を話してもいいわけだが、なぜか書きたいことが出てこない。あんまり嘘が多い昨今だから、たまには「本当のことを言ってもいい日」にしたら、テレビも新聞も、少しは活性化するだろうか。
 それにしても、東京は寒い日になった。冷たい雨で、「真冬日」がもどってきたみたいだ。エアコンを暖房の22度に入れても、もの足りない。衣服は真冬と同じにしているので、意地で我慢している。この冬は、厚着で寒さをしのぐことにしてきたのだ。
 私はいま、84歳に近い83歳になっている。さっきまでは「120歳まで生きる宣言」でもしてやろうかと思っていたのだが、さすがに少し弱気になった。そこで、とりあえず10年後ぐらいまでなら今とあまり変らない頭でいられそうな気がするので、10年後の予想を10本立てて、的中率を確かめてみようと思いついた。いくつ当るかを予想するのも面白いかもしれない。それでは始める。2027年の4月1日の日本と世界はどうなっているか。
その1
日本の原発は動いているか。残念ながら稼働している。ただし全国で10基以下である。
その2
日本国憲法は改定されているか。改定されていない。実質では守られなくても、本文は今と同じである。改憲の是非を問う国民投票は、まだ行われていない。
その3
核兵器禁止条約は、国連総会の決議によって採択され、日本も批准した。
その4
福島の原発事故は、依然として収束していない。ただし悪化もしていない。
その5
リニア新幹線は2027年に品川〜名古屋間で開業の予定だったが、南アルプス・トンネルで障害があり、延期されている。ただし計画は継続中。
その6
沖縄・普天間基地の辺野古への移設は、まだ決着がついていない。辺野古での工事は断続的に試みられているが、これに抵抗する運動も衰えない。
その7
国内政局では基本的に自民党政権が継続している。ただし新・護憲政党の台頭により、野党が再編されて力をつけつつある。
その8
中国は太平洋への進出をはかり、アメリカと競合する関係になったが、トランプ後の大統領とは良好な関係を結ぶようになり、緊張は緩和した。
その9
韓国では新大統領が、新たに「南北対話」を開始している。
その10
日本の「横丁」では、「ご隠居」が相変わらずブログを書いている。

タクシーの運賃は100円単位にしたらいい

 東京のタクシー運賃が近く改定されて、初乗りが380〜410円になるとのことだ。近距離でも使いやすくする狙いがあるという。その後の80円ずつ加算される料金は、237メートルごとに計算して、全体としては減収にならないように配慮するとのことだ。今の初乗り700円よりも、都会地では使いやすくなるかもしれない。二人で利用すればバスよりも安くなる。
 それはそれでいいのだが、タクシーに乗るときに、10円単位の細かい計算を面倒に思うことがある。目的地に近くなると支払いの用意をするのだが、夜など暗い中では財布の中の硬貨の識別ができない。1000円札で釣銭を待つと、10円や20円では、ごそごそ用意している運転手にケチだと思われそうな気がして「いいですよ」と言いたくなったりする。
 そこで思うのだが、初乗りは500円にして、その後の加算は100円単位にできないものだろうか。料金体系としては、距離で調整すればいいのだから複雑にはならないだろう。タクシーは100円単位で乗るものだと決めてしまえば、客も運転手も、かなり面倒が少なくなるような気がする。タクシーは時間に追われて使うことも多いのだから、料金の計算はなるべく簡単なのがいい。
 と書いてみたのだが、これですぐに制度が変るとは期待していない。世の中の決まりごとは、長い時間をかけて作られているから、簡単には変らないのだ。不合理だと思いながらも続いて行くことが多い。今は来年の新しいカレンダーが出回っているが、2月だけが28日と妙に短いのは不合理だと思う。統計などにも不都合なのはわかっているが、当分は是正される見込みはない。改善案が出されたこともあったが、最近は話題にもならなくなった。
 それでも時として世の中が動くことがある。誰かが言い出して賛同者が多くなると、意外にすんなり変ったりもする。インターネット時代の現代では、そんな機会も増えているようだ。だから書いてみたのだが……
 

新宿西口「変らぬ夢」と「別れ」の予感


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(写真撮影は 河元 玲太朗さん)
 昨夜は本当に久しぶりに新宿西口のスタンディングに参加することができた。毎週土曜日の夕方、午後5時からは地上の小田急前の歩道で、午後6時から7時までは西口地下交番前広場の一隅で、思い思いの意思をプラカードなどに表示した複数の人たちが立っている。この「新宿西口反戦意思表示」は、2003年の2月から始まっているから、間もなく満14年になる。その「事始め」の事情と、私が2009年から参加するようになった経過については、「駅に立ち十四年目になるという 新宿西口反戦の意思」というブログ記事にしてあるので、興味のある方には参照していただけると有難い。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55676587.html
 ここに掲げらる各人の意思は、こうなって欲しいという願望であり、それと相反する現状への抗議である。ここでプラカードを掲げたからといって、それだけで明日から日本の政治が変るとは思わない。それでも抗議する者がいることを知らせ、同じ志を持つ人たちを勇気づけ、無意識だった人に気づきの機会を与えることには意味がある。世の中の動きというものは、そのような起点から始まるのだから。
 この場所に参加することで、私は未来への夢を持つことができ、多くの友人をも得た。そして決まった時間の間、自分の身を人目にさらすことによって得られる「強さ」をも得られたと思っている。それは自宅のパソコンの前で発信の文案を考えることとは一味ちがった、生き物としての強さだったように思われる。
 しかし、最近になってわかったことがある。この夏以降、就寝前の体操は一度も欠かさずに励行しているのだが、人間の体は確実に加齢する。それは自然なことなのだ。一時間立っているのが楽でなくなった。そして先日義兄を見送ったことで、この世から去ることの姿と意味とを味わい深く見聞することができた。そこには恐怖も悔いもない。輪廻が完結することの安心感がある。生きている間に夢を持ち、「一つの方向」として見定めることができたら幸せである。「方向」には終点はない。だから限りなく前へ進むことができるのだ。
 何度でも思い出すのだが、ブライス師は「恋人は有限、恋は永遠」と教えてくれた。万人を幸せにする理想の政治も、恋に似たところがある。たとえ成就しなくても、目指した方向が尊いのだ。世界の恒久平和とは何であるのか。人間の世から一切の争いがなくなることだとまで言い切れるか。
 それでもなお日本の憲法は世界の恒久平和を志向する。だから「文明は、人間とともに、厳然として歩み続ける」のだ。

「沖に出て見えて来るもの」

 こんな時間になり、しかもタイトルにカギ括弧をつけたのは、「沖に出て見えて来るもの」が、能登の禅僧、市堀玉宗さんのブログ「再生への旅」(11月24日)からいただいたものだからだ。
http://72463743.at.webry.info/201611/article_8.html
玉宗さんはこれを人生航路の各時点で見えてくる風景のように一般化して書いておられるようなのだが、私は一目見て、「島の形は沖に出てみないと見えない」ということに魅了されてしまった。
 自分のいる島の形は、沖に出て初めて見えてくる。それは島を離れるときかもしれないが、いつかまた戻ってくることもあるかもしれない。沖から眺める島には、もう自分がそこにいないさびしさがある。でもまた戻ってもいいのだ。自分はまだ死んでいないから。
 義兄の死に顔が今も目に浮かぶ。残された姉に、来週も行くよと電話で話した。あの人が沖から眺めた自分の島は、きっと美しかったよと話してあげよう。

いのちのあとさき

 昨日の告別式、火葬、納骨で、義兄の葬儀の関係は一段落しました。外部には通知をしない「家族葬」で、親族の以外には家族同然だった一人だけが参加し、8名だけの静かな見送りでした。形式も無宗教としたので僧侶も招かず、菊の献花をおもな供養にしましたが、遺体には旅姿の羽織で白無垢を着せ、棺は季節の花で一杯にしました。棺には、故人が好きだったルノアールの画集が納められました。
 告別式のとき、仏式なら読経のある時間に、喪主である姉の了解を得て、私は般若心経を読んでみたいと申し出ました。「嫌いじゃなかったから、お願いします」とのことだったので、以前にブログにも掲載した「般若心経現代語訳」(仏陀が最上智、般若波羅密多に達する修行を積まれたとき、この世にあるものは、あらゆる物質も、あらゆる生きものも、あらゆる精神の働きも、すべて空(くう)に帰することを見通された。これにより仏陀は、一切の苦厄を超越する境地を得られたのである。……)
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55592389.html
を朗読し、原文は「故智般若波羅密多(こちはんにゃはらみった)」から後、「波羅僧掲帝(はらそうぎゃてい)菩提莎訶(ぼじそわか)」で終る部分だけを読み上げました。
 これは「中身がわかって良かった」と喜ばれました。さらに、あとで葬儀社の担当者から、ぜひ教えてほしいとの申し出があり、「一つの提案として使っていただいても結構ですよ」と、読んだコピーを手渡してきました。
 義兄は生前に墓の用意をしませんでしたが、遺灰はセーヌ河に流してくれという雑談的な話はしていたそうです。精進落しの席で、姉は「私のもそれでいい……」と言っていました。二人で何度かフランスへ行っているのです。遺骨は遺体に準じて埋葬には許可が必要ですが、細かく砕いて「遺灰」にするとその制約がなくなります。「色即是空」の世界観に近くなるかもしれません。
 葬儀は終りましたが、姉の家には「おとうさん」のいなくなった月日がつづきます。仲のよい夫婦だっただけに、私より5歳上の姉の今後が少し気がかりです。のびのびと残りの人生を楽しんでくれるといいのですが……。人のいのちにあとさきがあるのは止むをえません。毎年の同じ木の花にだって「花のあとさき」はあるのですから。
 季節を過ぎたら枝に残る花は一つもありません。人間も同じことですから悩むことは何もないのです。いのちの終りは、誰にでも必ず来てくれるから心配ありません。それまでの毎日が、「きょうも一日ありがとう」と感謝して過ごせれば、それでいいのです。若い時だって、そうして懸命に生きてきたのではなかったでしょうか。愛する人と共に歩むことを選ぶとき、誰もその終り方は考えません。別々の日に死ぬのは、戦争でも天災でも事故でもなく、立派に生き通したことの証明なのです。

新聞のない日のネットサーフィン

 きょうは新聞休刊日で、朝の配達がなかった。その埋め合わせのつもりでネット上の情報を渡り歩いているうちに、意外に時間を食ってしまって夕方になった。そこで気がついたことがある。それは、新聞の紙面なら有限だが、ネットサーフィンには限界がないということだ。関連する情報を見出しだけで辿って行くと、どうしても興味本位の派手な話題に引っ張られる。そこでつい見に行くのだが、終りまで読んでもたいした内容のないものが多い。懲りてやめればいいのだが、なにか不満が残って次の話題を探してしまう。落ち着いて考えたら、そんなことを繰り返していたのだった。
 これは退屈しながらテレビを見ている状態にも近い。ただしテレビはチャンネルを一巡すれば、どれかを見るか、それともテレビを消すかが決まるのに、ネット上の情報には限りがない。うっかりすると底なしの「暇つぶし」に陥ることに気がついた。北方領土の問題、衆議院補選の情勢分析、南スーダン情勢なども目を通したのだが、目的意識があいまいだと「ああそうか」で終ってしまう。ブログの素材にしたくなるような、まとまったイメージが持てなくて、自分の頭が鈍くなったような気がした。
 これは要するに、眼も頭も疲れさせてしまった結果のように思われる。昨夜はかなり集中して遅くまで作詞の仕事をしていた。曲を聞いては、そこに入れる言葉をつむぎ出していた。充実した時間だったが、周囲の雑音や日常の会話が、ひどく邪魔に感じられて、家人には気の毒な夜だったかもしれない。
 疲れたら休めばいい。気のきいたブログ記事を書かなければと、プレッシャーを感じる必要もないのだ。だからきょうはブログを休んだっていいんだよということを、ブログに書いている。こういうときは、あいにく熊公も出てこない。役に立たないやつだ。

非生産的生活の技術

 最近の自分は生産的な仕事をしていない思う。会社の役員としての名は残っているが、売り上げに貢献することは長いことしていない。その代わり給与も無給で、退職金の支払いも受けていない。生活の原資は、おもに年金から得ている。83歳になって現役の仕事をしていないのは恥ではないだろうが、こうなっての「しごと」ということを考えている。
 「しごと」とは、「人が一定の目的を意識して為す行為」と定義できるだろう。食事を食べるのは仕事ではないが、食事を作ることは仕事になる。だから家事も育児も、りっぱな仕事になる。仕事に「お」をつけて「お仕事」と言うと、報酬を伴うとか、人として果たすべき責務といった語感になる。私でも、依頼された作詞を考えたり、問題意識を持ったブログ記事を書いたりするときは、今でも「お仕事」をしている気分になることがある。
 ところがその緊張感が抜けると、自分のすることはすべて「何かしている」意味でのゆるい「しごと」になるような気がするのだ。たとえば午前11時半ごろに冷蔵庫を開けて昼に食べられそうなものを点検し、何か買いに行くか、保存食品を出してくるかと考えそれを実行するまでの過程が、この「ゆるいしごと」になってくる。それは、わずらわしい雑事というよりも、人の暮らしをそれらしく成り立たせてくれる「自然のやさしさ」のように思われる。人はこのようにすれば生きていられるのかという、安心感と言ってもいい。
 人が生産的な仕事をする年齢は何歳までなのだろうか。55歳か65歳かといった定年制は虚構だろう。体力勝負の現場労働ならともかく、人の働き方は、ますます筋肉労働とは無関係になりつつある。とはいっても加齢とともに老人の生産的能力が低下してくるのは止むをえない。さらに連れ合いがいると、支え合って他人に迷惑をかけないことが第一の仕事になったりもする。もちろん自分も人に迷惑はかけたくないから、健康状態に不安があれば、早めに医者にかかるのも「しごと」になってくる。
 生産的でなくなっても、高齢者が生きて行くには費用がかかるから、消費者ではあり続ける。介護を受ける立場になれば、さらに費用はかさむだろう。そのための保険もあるのだが、介護産業というのも、現代を繰り回している経済の一部分を占めているようだ。高齢者が貯めておいた預金や保険料が、社会に出て行って役立つことになる。
 動物の世界では、老齢で非生産的になった個体は餓死するのが原則だろう。子供を産むとすぐ死んでしまう例も少なくない。幸いにして人間に生まれ、文化的な生活をしたおかげで老齢になるまで生きていられた。非生産的になっても、生きているだけで経済的意味もあるとは、望外の幸せである。その上に、思いついてはブログを書いて言いたい放題にしているのは、なんというぜいたくか。毎日の「しごと」があって、その上に「お仕事」までが重なっている。死ぬまでこうしていられたら、幸せな人生と言うべきだろう。

終日曇天の中で考えたこと

 一日を通して少しも日は照らなかった。しかし雨が落ちることはなく、安定した曇天が続いた。その一日が間もなく終りに近づいて行く。家人も安定していて、そこそこに食事も出来たのだが、背中が痛いから外へ歩きに出るのはいやだと言う。気圧が下がると背骨に痛みが来るのは通例になっているのだ。
 私は今ならまだ順序立ててものを考えることが出来る。考えたことを文章化して入力することもできる。必要があれば電車に乗って、かなり遠くへ行くことだってできる。車を運転して行くことだって、たぶん出来ると思っている。そんないろいろな可能性のある一日が、事無く過ぎて行ってしまうのが、少しさびしい。
 体力気力のレベルが、相当に下がっていることは自覚している。午後になったら少し休みたくなって、ベッドに横になったら、一時間あまり気持ちよく眠れた。たぶん夜間にあまり安眠していないことが関係していると思う。それが二人の間に、絶妙な調和を作り出していることに気がついた。ややゆるい会話、何かを食べるか、飲んでみるか、誰かが帰ってくる時間だといった話が、ぽつりぽつりと往来する。
 しかし考えてみると、人の暮らしとは、もともとこんなものだったのではないだろうか。畑に作物を育て、時期がくれば収穫して保存し、必要に応じて食べていた。今ではそれがどこそこの店で買い物をする話になったり、誰それに世話になって食事を作ってもらうことになったりする。働き方も変ったから、あのころは二人でよく働いたという記憶もある。そのおかげで今の暮らしがあることに不満はない。
 老化という現象に完治がないことは承知している。今は惰力で坂を下っているから動いていられる。下り坂の範囲でなら左右に舵を切ることもできる。自動車よりも、自転車に近い乗り心地だ。ペダルを漕いでもいいが、今さら急坂を登る力は、もうない。それでいいのだと思えてきた。
 今の私に出来ることは何だろうと、ふたたび思う。とりあえずは目の前に見えてきた心象風景を記録に残しておくことにしよう。私は「もうこれで終り」の人間なのか、それとも「この先にも何かがある」人間なのか。それは確かめてみたいと思っている。読者の助言をいただけたら、いまの私には何よりの力になりそうな気がしている。

連休の中の「ふつう」の日

(ご隠居)きょうは連休の中の「ふつう」の日だな。
(熊さん)そうですね。だけど休みとってる人も多くて、なんだか締まらない感じですよ。気候もいいし、あんまり働く気にはなれないね。
(隠)そこで考えたんだが、「ふつう」って、いったい何だい。
(熊)ふつうは、ふつうでしょ。みんながいつもやってる通りってことですよ。
(隠)まあ、それがふつうだな。ところが日本ではふつうでも、外国ではふつうでないことは、いっぱいある。日本の中では誰も気がつかなくても、外国から見たら「日本は変ってきた」と見える場合もあるようだよ。時代の動きに敏感な外国記者団なんかは、日本の変化をかなり気にしているようだ。先ごろは「報道の自由」が問題になってたろう。世の中の空気が、だんだん窮屈になってきている気はしないかい。
(熊)おいらなんかにゃわからんけど、ネットの書き込みなんかは、だいぶうるさくなってきてるみたいですね。
(隠)なんか世の中全体が、底の方から動き出した感じがあるんだ。それは、いやな予感だけれど、悪いばかりじゃなくて、これから育つ「いい芽」も出てきてるような気がするんだよ。昭和10年代の「戦争に近づく気配」に似ているのは確かだが、あの時代と同じということはないんだ。いちばん大きいのは、若い人たちの認識だろうね。あの時代には、子供たちまで「大きくなったら兵隊さんになる」と言ってたもんだ。だけど今は違うだろう。「本当に戦争になったら、若い君らが銃を持って殺し合いをするんだよ」と言われたら、勇ましいことを言ってる連中だって考える。海外と交流した経験は豊富だし、情報の量が昔とはまるで違っているんだからね。
(熊)そうですね。小さいいざこざはあるにしても、国をあげて本気で戦争をしちまったら、取り返しがつかないぐらいのことは、みんな知ってますよ。その安心感というか、自分は安全という前提で、ヘイトスピーチなんかも、やってるんだと思いますね。
(隠)だから大きな目で見れば、日本人は最後にはバランスのとれた温和な選択をするんじゃないかと、これには証拠もないんだが、そんな予感があるんだよ。日本の国は自然に恵まれているから、集団に適応できなくて山の中へ逃げ込んだって生きては行ける。水源をめぐって命がけの争いをしなくちゃならない砂漠の民とは、気質が違うのも当り前なんだ。従順だから一時的には極端な方向へ引っ張られることがあっても、いつの間にか復元力が働いて正気をとりもどす。そんなふうにして生きて行ったらいい。
(熊)最後はちょっと、ご隠居の遺言めいてませんか。
(隠)そんなことないよ、ふつうに考えてみただけだよ。きょうはいい日だ。

人工頭脳(AI)と人間の未来

 きょうの朝日新聞「オピニオン&フォーラム」面が面白かった。コンピューター研究者の北野宏明氏と情報社会学者の塚越健司が紹介されていて、人工頭脳(AI)と人間の未来について語っている。
 先ごろグーグル傘下のAI「アルファ碁」が、世界のトッププロを相手に対局して圧勝したという話題があった。ゲームの中でも最も難しいと思われていた囲碁の世界でも、人間の知力は人工頭脳に敗れたということだ。原因はコンピューターが「深層学習」という仕組みで、人間には不可能な対局数を経験して強くなったからだという。学習量で競争したら、人間は、疲れを知らないコンピューターには負けるわけだ。
 でもこれはルールが完成して閉じているゲームだから起きる現象で、人間の不確定要素がからむ場面だとAIは万能ではなくなる。たとえば自動車の完全自動運転が可能かというと、路上では他の車や歩行者の気ままな行動が関係してくるから、不完全情報問題がAIにとっては課題になると例示されていた。ただしこれは今の自動車をベースに考えるからそうなるので、今でも自動車の90%は動いていないのだから、移動手段を合理的に考えたら、自動車の概念は根本から変るだろう。自動車の運転は、人間にとっては一種のスポーツになればいいのだ。
 重要なのはAIは勝手に知識を拡大して行くということで、これを延長すると機械が機械を作れるようになる。すると人間が関与しないAI文明が生まれる可能性があって、そうなったら人間は電源を抜くこともできなくなる、とまで予想されていた。さらにAIは自ら考え始めているから、近い将来、人間対して命令の裏を読み取れるようになって、自己の判断で利己的に行動するようになる怖さも感じると述べられていた。
 しかしここでの結論は、いずれもAIに対して否定的ではない。その可能性について自由に想像しながらも、AIと人間との共存を展望してまとめていた。まさかAIの専門家が、否定論を展開するわけもないのだが。
 ただ私としては、少年期に読んだ「機械を封印した国」のことを思い出してしまう。どこかで書いた記憶があるので検索したら「母系制のすすめ」の中に入っていた。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55594725.html
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55594727.html
フェミニズムの文脈の中で、機械文明への疑問に共感していたことになる。今のAI時代は、20世紀の機械とは比較にもならないほど深刻な影響を人間に与えている。これを子育て中の女性たちは、どのように感じているのだろうか。おそらく手放しで喜んではいないだろう。私は急に、もう一冊本を書きたくなった。

散華という思想

 「散華」という思想がある。「死に花を咲かせる」とも言う。人間はいさぎよさが大切で、死に方で人生の評価が決まるというのだ。桜の時期になると、ときどきそんなことを思い出す。散華の思想の典型は、「やがて九段の桜花」や「靖国で会おう」といった、玉砕の奨励だろう。補給も与えず前線に放置して、死ぬまで戦わせるには都合がよかった。死んでいく本人のためにも、少しは慰めになったかもしれない。
 敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花
という和歌があって、国民学校低学年のとき、教室で先生が吟唱して聞かせてくれたものだ。日本人として大切な心構えだということだった。そのころは学校の先生の中からも、召集されて戦地へ行く人が出はじめていた。
 人は誰でも死ぬのだから、死ぬのは怖いことではない。桜の花のように、いつか自分も死ぬのかと思うことは、決して不愉快ではなかった。むしろ少し大人になったような誇らしい気分になったことを覚えている。
 それにしても、桜は派手な花だ。春の気配でいきなり花芽が最初に出てきて、あっという間に満開の花盛りで風景を一変させてしまう。人々は用もないのに町へ出て、あちこちで写真を撮ったりしている。今年は咲き始めごろから気温が下がって、満開の期間が長かった。その代わりに明るい日差しの中の花盛りを見なかったので、なんとなく地味なまま終わった印象がある。それでも中野駅から北へ、哲学堂まで伸びる中野通りの桜並木の満開は見事だった。
 手近の花を見て気がついたのだが、咲いている花弁の中にも、微妙な色の違いがあった。どうやら咲き始めは純白に近くて、散りぎわになると中心部から少し赤みが濃くなってくるようなのだ。それでも、ソメイヨシノの花びらは、総じて桜色よりも白色に近い。歩道に吹きだまる花びらも、夕方には白にしか見えない。
 とにかく今年の桜も終りに近づいてきた。花盛りと散華が隣接しているのが桜の特徴だということは言えそうだ。それは人生の盛りに「死を思う」ことにつながる。死を思うことは、決して悪いことではない。それは人生を深くするからだ。しかし、あきらめの良さを強調して、任務に死の覚悟を求め、それを美化するのは間違っている。人は死ぬために生まれてくるのではないからだ。日本の自衛隊員は、公務員ではあっても、今後もずっと「軍人」にはならずにいて欲しい。
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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