志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

政治・政党

立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム

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 政権交代可能な野党を作るという趣旨で、国会に新しい統一会派ができた。その会派名が、「立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム」という長い名になった。現憲法下での国会会派の名称としては、最長の19文字になるそうだ。ただし・(中黒点)も1文字にカウントするらしい。当初は「立憲民主党・国民フォーラム」にするつもりだったが、社保の名を残して欲しいなどの要望があって、このようになったらしい。
 ちなみに、従前の会派名の最長は、「生活の党と山本太郎となかまたち」の15文字だったということだ。名前の長さで人目を引くというのも一つの戦略かもしれないが、日常の使用には、あまり便利とは言えないだろう。
 この件で思い出したのが、昭和47年に制定された「男女雇用均等法」のことだ。採用や昇進についての男女の差別をなくすことを目的にしていた。ただしこの制定までには、業界団体の反対などもあり、かなり難航したことを覚えている。だいぶ骨抜きにされて、実効性には不安な面があった。私は当時、労働組合の教宣資料を作っていたから、「均等法と私たち」というスライド教材の中で、この法律の正式名称の長さを、落語仕立てで皮肉ってやったものだ。
「わーっ、すごく長い名前ですね。名前が長けりゃ、効き目もあるんでしょうか。」
「まさか、おまじないじゃあるまいし。」
といった内容だった。なんと「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」(42文字)というのだ。私の知るかぎりでは、一番長い名前の法律のように思われる。ただし現在では、内容の改定とともに、やや短い名称に変更されている。当初の名前が長かったのは、先行する「勤労婦人福祉法」などの、制定までの歴史経過を反映したからだった。 

安倍自民長期政権の下で

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 世上を騒がせた「森友問題」も、どうやらここまでで「お開き」になるようだ。朝日新聞社の幹部は、なお「徹底検証を」と呼びかけてはいるが、国会の主導権を握れる野党も存在しない現状で、目のさめるような「どんでん返し」が起きる可能性は、非常に少ないと思う。
 安倍内閣が、「第3次」を発足させてからだけでも、もう丸2年以上を経過した。「第1次」からだと、2006年からだから、13年以上も続いているわけで、これは日本の近代政治史の上でも、佐藤栄作内閣と吉田茂内閣(いずれも7年間以上)を抜いて、すでに第一位の長さになっている。これだけ長期にわたって最高権力者である「総理・総裁」の地位を占めているのだから、指揮される官僚組織が、それに適応する組織体制を固めていることには何の不思議もない。
 この長期政権が、なぜ成り立ったかと言えば、それは「選挙で勝ち続けたから」という単純な理由から来ている。最近は「勝つのが当たり前」になり過ぎて、逆に投票率の低下まで招いてしまった。棄権した過半数が参加すれば結果は変ったかも知れないと思うのは、たぶん幻想だろう。結果が見えていると思って投票に行かなかった人たちが投票に行っても、結果は似たようなものだったろうと私は思う。
 だが長期政権が続くと、必ずと言っていいほど政治家と官僚の倫理は低下する。国民を軽く見て、勝手なことを始めるからだ。この新聞の見出しを見ただけでも、不愉快な感想を持つ有権者は、決して少なくないだろうと私は思う。だから次の選挙では、必ず投票に行って欲しいのだ。
 そのとき、「誰に投票したらいいかわからない」と思う人がいたら、私からは、次のように提案したいと思っている。理由をくわしく説明するのは面倒だが、長年の経験から、自信をもっておすすめする。
 〕薪泙慮補者よりも、野党の候補者の方がいい。
◆|棒の候補者よりも、女性の候補者の方がいい。 
 つまらない候補者よりも、面白い候補者の方がいい。

不自由を言えなくなる不自由さ

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 このニュースには、よくわからないことが多い。「ガソリン缶を持って行く」などの脅迫をした犯人への捜索は、適正に行われたのだろうか。警察が協力して、当日の会場で持ち込み品の検査を厳重にするなどの対策は、考えられなかったのだろうか。テロの予告は、表現の自由という普遍的な価値への挑戦ではないか。それを野放しにしたのでは、「公安」を守るべき警察が役に立たなかったことになる。
 今の日本で、どのようなものが「公表してはまずい」と思われているのか、私も興味があったから、会場が近くなら見に行きたいと思っていた。人間が批判の精神を持つというのは大切なことだ。情緒に流されて「進め一億、火の玉だ!」で進んだ果てにどうなったかは、育ち盛りの小学生の頭で考えても、よくわかったものだ。何かに興奮して単純な考え方しかしない人間が増えると、ろくなことがない。
 この展覧会も、そんな批判精神に満ちた、すぐれた人たちが発想したものだろうと思う。テロの予告があったのなら、警察に相談して、警備を厳重にしてもらうことは出来なかったのだろうか。まさか「テロを予告されるような展示は止めなさい」とは言わなかったろうし、絶対にそんなことを言ってはならない。問題は表現の自由を守ることであって、展示内容が刑法に触れるものでない限りは、無条件に保護されるべきなのだ。内容の価値判断は、観客に任せればよい。
 この問題で一つだけ良かったのは、これが世界に知れ渡るニュースになったことだ。なるべく早く、新しい機会を作って、改めてちゃんと見せていただきたいと思う。

夜が明けても曇天で

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(熊さん)選挙が済んで夜が明けて、朝になっても曇天ですね。 
(ご隠居)そうさな、昼か夜か、はっきりしろってんだ。お天道さんが顔を見せないんじゃ、夜が明けた気がしねえんだよ。7月も末だってのに、ちっとも夏が来やしねぇ。半袖シャツは、腕が冷えて気分悪いや。だいぶ以前のことだが、こんな「冷夏」っていう年があって、夏らしくなる前に秋が来ちまった。農作物は記録的な不作だったそうだ。昔から「日照りに不作なし」といって、干ばつの害よりも、冷害の方が、ずっと怖いんだそうだよ。
(熊)そうですか。おいらもやっぱり、夏は暑いのがいいね。ところでさ、今度の選挙はどうでした。新聞の大見出しを見るだけでも、ご隠居が機嫌いいわけないね。
(隠)当り前よ。何より気に入らないのは、投票率が5割も行かないで、戦後2番目の低さだったってことだよ。棄権しちまった連中は、なに考えてるんだか。世の中こんなもんでしょ、政治は、やりたい人がやってればいいですよ、ってことかいな。
(熊)でもさ、よく読んだら、「立憲民主党」という新しい芽が出て来てるのを評価してる部分があるんですよ。
(隠)ああそうか、いつもと反対だな。お前さんの方が全体をよく見てるわけだ。私は面白くないから、ゆうべはテレビもあまり見ないで早く寝ちまったんだ。東京の地方区は、立憲の、大丈夫と思ってた方の候補が落ちてしまった。事前の情勢から、私は女性候補の方に入れたんだが、結果は逆だった。選挙ではよくある行き違いだな。ともかく、これで当分、安倍政権が続くことになる。歴史に残る長期政権というのが、現実味を帯びてくるだろう。それをどう評価するかは、後の人たちの仕事だな。

比例区には「れいわ」と書いた

 選挙の投票を済ませてきた。地方区には、地元の立憲民主党候補の名を書いた。比例区の投票記載台へ行ったら、書いていい候補者名と政党名と、それらの略称までが、わかりやすく一覧になっていた。「れいわ新選組」の略称のところには、「れいわ」という書きやすい三文字があったので、それを用紙に書いて投票してきた。
 私の家には、なぜか今回は「選挙公報」の配布がなかったのだが、ネット情報によると、山本太郎氏の「れいわ新選組」の比例候補者の順位は、山本太郎氏がトップではなくて、身体障碍者の候補者数名が、上位になっているとのことだ。たとえば車椅子を必須とする人が当選して議員になったら、国会の議場を、車椅子でも利用できるように改造する必要が出てくる。すべての国民を代表する議会であれば、いわゆる健常者でない議員がいても当然ではないかという、すぐれた問題提起がなされるわけだ。やはり山本太郎氏は「ただものではない」と思う。
 低調と言われている今回の参議院選挙だが、少しずつでも新しい流れが加わって来るのは良いことだ。選挙の結果が、いつもよりは少し楽しみが大きいような気がする。
 

「アベ政治を許さない」のなら

 そんなに遠くない昔、「アべ政治を許さない」というプラカードが、国会周辺を取り巻いたことがあった。今よりも少しは若かった私も、自分なりに、毎月9日には、金子兜太氏の筆になると言われる書を掲げて歩いたこともあった。その日に合わせて、いっしょに歩いてくれる「同志」に出会うこともあった。
 あれから何が変ったのか、「アベ政治」は少しでも良くなったのか。そんなことはあるまい。ただ惰性で動いている政治だったが、野党が弱かった。アベ政治が「一強」と呼ばれていて、それに代われそうな勢いのある野党が存在していなかった。だが今は違う。立憲民主党という本命野党が、ようやく立ち上がってくれたのだ。
 しかし、この夏の参議院選挙、今までに見たこともないほど話題にならず、存在感が薄いのは、どうしたことだろう。衆参同日の選挙になるかと言われていたのが、参議院単独が確定したとたんに、人々の意識から消えてしまったように思われる。もしかすると、記録的な低投票率になりそうな予感があるのだ。
 だが、これを裏返すと、政治に何事かを期待する人にとっては、チャンスかもしれないのだ。意識して投じた一票が、さらに重くなる可能性がある。いずれにしても、せっかくの選挙権を、まじめに投じようとしない人に政治を論じる資格はない。
 日本の未来がどうなっても構わないのでなければ、成人には投票に行く義務がある。理由なく選挙で棄権することを、法をもって処罰する国もあるくらいなのだ。支持する人も政党もないのなら、「棄権」という投票をしなければならない。
 「アベ政治を許さない」ためには、必ず投票に行かなければならない。それが有権者の義務というものだ。
 

若者の保守化は本当か

 少し前から気になっていたのだが、若者が保守化しているというのは本当だろうか。統計を精査した上で、そういう傾向があるという報告を、ネット上で複数見たような気がする。あまり信じたくはないのだが、わが家の子世代、孫世代を見ているだけでも、そんな現象があっても不思議ではないと思えてきた。
 それを簡単に要約すると、「環境への過度の適応」ということになる。人当たりも、物わかりもいいのだが、現状への不満は少ない。「世の中はこうあるべきだ」といった理想追求の姿勢がなくて、とにかく現状を前提にして、自分をそれに適応させることだけに頭を使っているように見えるのだ。その根底には、「自分が生きているこの世の中の現状は、そんなに悪いものではない」という認識がありそうだ。
 だから選挙に対しても、関心はあまり強くない。ただし私の政治的立場は、家族はよく知っているから、「今度は〇〇さんでいいんでしょ」程度のことは言ってくれる。そして選挙権を無駄に捨てるようなことは、ずっと以前から、私の家の中では考えられないことになっている。しかしこれが、政治家とは縁のない一般家庭だったらどうなるのだろう。家族や家庭の会話の中に、政治や選挙の話が出ることは、非常に少ないのではないだろうか。そして投票日になったらどうするか。
 自分に特段の意見もなく、世の中がそんなに悪くないと思っていれば、野党の候補者に投票する意味はなくなる。投票に行くとしたら、政権与党の候補に入れておけばいいや、ということになるのではないか。梅雨空の下で、あまり盛り上がっている様子もない選挙が進んでいる。
 

「なんとなく不まじめ」の印象

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 きょうの朝日新聞だが、きょうから参議院の選挙戦が始まるということで、「7党首討論会」という企画記事を掲載していた。その集合写真がこれなのだが、なにか「小学校の学級委員の選挙じゃあるまいし」という気がした。もちろん出席した各党首の責任ではなく、演出をした朝日新聞の担当者が思いついて、それを各党首が受け入れたのだろう。こういう場では、もし多少の違和感があったとしても、撮られる側としては、依頼された通りに協力するのがエチケットというものだ。私もカメラマンとしていろいろな人の肖像も撮ったから、そのことはよくわかる。
 それでも、この写真を見たときのザラっとした違和感は、何なのだろう。日本の進路が、いよいよ決まって行く実感がある、その大事な選挙が、こんな仲良し会的な雰囲気で行われていいのだろうかという違和感が、根底にありそうだ。
 今度の選挙では、安倍首相は、「とりあえず改選の過半数が取れればいい」という、非常に低くハードルを下げた目標を述べたと伝えられる。本当は欲しい「参議院でも3分の2以上」は、とても取れそうもない現状を踏まえた発言と思われる。悲願だと言っていた「憲法の改正」は当面隠しても、自分の「失点」にカウントされるような結果だけは、絶対に見たくないというのが本音だろう。
 自民党の目標がそれならそれでいい。自民党の改選議席数を、半数ぎりぎりか、それ以下にまで減らしてみたらよかろう。野党側は、一人区ですべて候補者一本化の調整を済ませたということだ。参議院の選挙結果は、影響が長く残るところに特徴がある。自民党の「改憲発議」の可能性を、絶望的に小さくしてやれる好機が、間もなくやってくる。

ベ平連〜市民が主役であろうとした時代

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(右端で話しているのは吉岡忍氏)

 昨日は、多摩市永山の公民館ホールで開催された集会、「市民が主役であろうとした時代〜ベ平連のメッセージ」へ行ってきた。ベ平連とは、「ベトナムに平和を!市民連合」の略称なのだが、今は、そのことさえ知らない人が多いのではないだろうか。南北ベトナムの間で始まった民族間紛争に、アメリカが武力で介入して大規模な地上軍の派遣と猛烈な「北爆」を行ったことから、広範な反戦運動が始まったのだった。
 この運動は、特定の政党とも結社とも無関係に、自由な個人の参加によって支えられ、発展したところに最大の特長があった。当時は、知人と話し合っていて何かで意見が一致すると、「それじゃ、〇〇をしよう、市民連合だ」といった話が、冗談のように出てきたものだ。ふつうの市民が、その気にさえなれば、社会的に意味のある行動をしてもいいんだという、突き抜けたような明るさがあったと思う。私も、アメリカ軍の北爆には怒りを感じていたから、一個人としての手紙を、アメリカ大使館に宛てて投かんした記憶がある。
 今回の集会の前半では、ベ平連の運動を記録したビデオ「殺すな!」の上映があり、新宿西口が「地下広場」と呼ばれていた頃の情景が見られた。私は当時はまだ問題意識もなく、何か世の中が騒がしいという程度の関心で新聞やテレビを眺めていたことを思い出した。あれから50年を経て、自分がその西口に立つことになったところに、時代の巡り合わせを感じる。
 この会場で吉岡忍氏の話を聞きながら、自分の責任ということを考えた。あるいはそれは、「使命」と言ってもいいのかも知れない。自分がここまで生きて来た中で、後の世に伝えるべきことが、まだ残っているのではないか、と思ったのだ。だとすれば怠けていられる場合ではない。重い宿題を、腹の底に感じたのだ。どうしよう。
 

知らしむべからず

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 今朝の新聞見出しで、「寄らしむ(原文は由らしむべしだが、意味はほぼ同じ)べし、知らしむべからず」という孔子の言葉を思い出した。これは吉川幸次郎氏の解説によれば、「べし」は可能の意味合いで、庶民に政治を理解させるのは難しいと言っているので、知らせない方がいいという愚民政策ではないということだ。ただし今回の麻生発言から始まった一連の動きを見ていると、やはり「国民には難しいことを考えさせるな」という、「余計なことは知らせない」主義を確認したプロセスだったように思われる。
 国民の支え合いである年金制度が、人口縮小に向かう日本の将来には、給付水準の低下を招くだろうことは、ふつうに考えたら誰にでもわかる。それなら今のうちに出来ることは何かと言えば、削減できる給付を洗い出して、少しでも多くの資産を将来のために残すことだろう。そこで自分の場合で考えると、そもそも年金が「保険」であることに違和感がある。保険なら、自己責任で民間に任せれば済む話だ。政府が管理する国民の福祉制度は、もっと生活保護に近いのが本来ではないだろうか。
 政府が管掌する年金制度が出来たとき、私は社員とともに、法人の役員として保険に加入した。それ以来ずっと保険料を納めてきたから、今は受給者になっている。それが当然の権利であることはわかるが、本音を言えば、老後の生活のために政府から給付金を頂戴するとは、想定外だったのだ。父親の代から、事業をやる以上は、生涯の生活を維持するのは自分の責任だと思っていた。
 それなら寄付をすればいいと言われると、それで終ってしまうが、国の制度としてはどうなのか。社会保障制度はどうあるべきか、「知らせないでおく」どころか、常に自由な討論と、制度の改善が求められているのだと思う。
(追記)
 自分の言いたかったことを再確認すると、「保険なら民間に任せておけばよい。政府は国民生活の保護を万全にせよ。」ということになる。公的社会保険料は、もっと税金に近い性格するか、あるいは税金と一元化してもよいような気がする。

衆参同日選挙はなくなった

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 きょうの新聞によると、安倍内閣は衆参同日選挙の回避を決めたということだ。その理由は、衆議院での3分の2割れを回避するためだという。安倍内閣の願望は、言わずと知れた「憲法の改正」だが、そのためには衆参両院で3分の2を占めなければならない。今は衆議院では3分の2を占めているからチャンスなのだが、参議院は半数ずつの選挙だから、今回だけではハードルが高いのだ。同日選挙は与党に有利と言われるから、魅力ではあっても、もし衆議院で3分の2を失ったら、元も子も失うことになる。そりよりも、3年待てば、もう一度挑戦のチャンスがあるから、それに賭けようということだろう。やや弱気になったというか、問題を先送りにしたという感もある。
 これを「護憲」の立場から見れば、今回の選挙によって、3年後のハードルを下げてやるようなことになってはならないということだ。3年待っても、逆に改憲は不可能になった、と思わせるぐらいの結果を出したいものである。
 衆議院に比べて存在感が薄いと言われる参議院だが、解散されることがなく、3年ごとに半数の改選で変化して行く参議院は、政治の安定性を保つために設けられている。二つの選挙を同時にすることで、ムードに乗せて事をはかるなどは、制度の趣旨に反する邪道だと言ってもいいのではなかろうか。


解散の大義と衆参同日選挙

 安倍自民党から「内閣不信任案の上程は、衆議院解散の大義になり得る」という発言が出てきて、政治情勢はにわかに緊迫してきた。同日選挙は、与党に有利な結果になり勝ちであることは、経験上知られている。政府自民党への支持率は、このところ悪くはない。天皇の退位・即位にまつわる行事も、いろいろ言われながらも、政府自民党への信頼感に寄与しているように見える。この状況での「解散の大義」発言である。「今なら勝てる」という読みがあってのことだろう。
 だが「大義」があろうがなかろうが、首相には衆議院を任意に解散する権限があるという法解釈を、強引に進めてきたのが他ならぬ自民党なのだ。憲法の第七条に、「天皇の国事行為」を定めた中に、第3項「衆議院を解散すること」と書いてあるのを根拠として、政府は任意のときに衆議院を解散できるとしたのだ。だから「解散の詔書」には、「憲法第七条により」と書かれるのが例になっている。しかし解散の原則としては、別に「内閣不信任案の可決」または「信任案の否決」という規定もあるのだ。私が大学で法学を習ったときは、「第七条」のみを根拠とする解散は違法であると教えられたものだ。
 今回、自民党が「内閣不信任案の上程」を解散の理由にあげたのは、これまでさんざん使ってきた「独断専行の解散」への後ろめたさが、多少はあったのかもしれない。でも、不信任案の上程だけを理由にするのでは弱いと思う。不信任案に賛成までは出来なくても、棄権か欠席をして、議会で可決させてみたらどうか。「本院は、安倍内閣を信任せず」という議決を、ぜひ聞いてみたいものである。
 この夏の参議院選挙に、衆議院の解散・総選挙が相乗りするかどうか、まだ予断はできないが、野党も立憲民主党を軸として総選挙対策を進めてほしいと思う。山本太郎新党も、にわかに話題になってきた。安倍自民党の一党支配を、みんなが良いと思っているわけではない。同日総選挙を仕掛けてきたら、これを安倍政治に強烈な一撃を加える好機としよう。今まで棄権して来た無関心層が動いたら、日本の政治にも新しい波が来る。 

正気かと思う今さら原発支援

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 原子力発電が導入されたとき、説明されていた理屈は、「準国産のエネルギー源で、環境への負荷が少なく、しかも低コストで理想的な発電」ということだった。だからこそ、「原子力、明るい未来のエネルギー」という標語もできたのだ。
 その夢は、福島原発の破たんで脆くも崩壊した。地震による停電で冷却が止まったら、とたんに炉心の溶融で水素爆発に見舞われて収拾がつかなくなった。それ以来、万難を排しての注水を続け、行き所のない汚染水を増やしながら今に至っている。
 その一方で、災害を受けなかった原発は順次に運転を再開した。現在(この3月)に運転中の原発は、玄海3・4号、川内1・2号、伊方3号、高浜3・4号、大飯3・4の9基となっている。ところがここへ来て、原発を支援するために補助金を出し、その財源は電力料金に上乗せして消費者に負担させるという案が出てきた。これでは、原発の電力は安いからと言って導入した最初の約束が違うではないか。不安要素の多い原発を動かす上に余計な負担を求めるなどは、全く筋の通らない理不尽な要求と言うほかはない。
 そうでなくても、発電は危険がなく環境にもやさしい太陽光や風力によっても開発が進んでいる。一部の地区では、発電量が多くなりすぎて、太陽光発電を一時的に遮断した例があったと伝えられた。原発は需要に応じて出力を変化させるのが難しい、不器用な電源なのだ。それが発電の単価でも高くつくのでは、良いところが何も無いことになる。そんなものは、さっさとやめる他はない。
 原発の技術は、輸出しようとしても出先国で軒並みに頓挫している。未来のない「失敗した技術」として封印するほかはあるまい。補助金を出して助成するなどは、もってのほかである。 

まだ破綻を認めぬのか〜高速増殖炉

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 写真の上段は、本日つまり2018年12月5日の朝日新聞の社説である。そして下段には、これに関連する昨日の同紙の記事を添えておいた。これらを合わせて読むとわかるのだが、要するに「高速炉計画はあきらめません、事業は継続します」ということだけを言っているのだ。これでまた多くの人間に職場が保障され、使った燃料よりも大きいエネルギー源が得られるという、「原子力村の夢」を追い続けることに、「お墨つき」が与えられることになる。しかしその「夢」は、本家のフランスでさえ行き詰って放棄されようとしている。そして、その前段階に当る原発の稼働も、一進一退を繰り返して、放射性廃棄物の処理の難しさなどを克服できない段階にあるのだ。
 その一方で、太陽光、風力など、再生可能エネルギーによる発電は、日進月歩で拡大してきた。原子力で電力を作らなければならない理由は、すでに消えたと言っていいだろう。それでもなお原子力にこだわるとすれば、それは核兵器につながる核技術の温存という側面しか考えられなくなる。もしかして政府には、世界の一等国として、核技術は手放したくないという思惑があるのだろうか。
 でもそれは、時代に逆行していると私は思う。国防のためであっても、核兵器を持つことは日本の未来のために有益だろうか。恐怖の均衡で平和が守られるというのは、前世紀の神話だった。民生のためでも、国防のためでも、どこから見ても高速増殖炉は日本には要らないというのが結論である。
 

トップが犯罪者になるとき

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 敏腕で知られる日産自動車のゴーン会長が逮捕された。衝撃のニュースだが、中でも驚きの大きかったのは、何も知らずにいた日産の社員たちだろう。何人かのインタビューが、テレビニュースでも流れていた。どんな大きな会社のトップでも、法にふれる行いをすれば司直の手にかかることがある。それが健全な民主国家というものだ。
 ところがこれが政治家の犯罪になると、やや微妙になる。現職の総理大臣が犯罪者として逮捕されたという例は、まだないようだ。田中角栄・元総理の収賄容疑による逮捕も、辞任のあとで行われた。総理には強い指揮権があるから、現職での逮捕というのは、日本では難しいのではなかろうか。もしあれば、それはクーデターに近い政権奪取を意味するから、これまでの日本に経験がないのは、幸せと言うべきかもしれない。
 日本の民主主義も、やや怪しくなったとは言われるが、まだ基本は守られていると言っていいだろう。だが油断はできない、時代の変化というのは、人々が気づかぬうちに進んでいることがあるからだ。選挙を何度やっても変り映えがしなくて、誰がやっても変らないと、関心が薄くなったりすると危ないことになる。
 会社のトップの犯罪は罪として裁かれるが、国政のトップの判断の誤りは、基本的に裁きをつける機関というものがない。ある程度の時間がたって、やはり間違っていたと結論が出るのを待つしかないし、その結論も、見方によっては評価が割れてしまう場合もある。そもそも国政のトップは、自覚的に犯罪に踏み込むことは少ない。たいていは良かれと思ったことが間違っていて失敗するのだ。
 でも政治家には時として暴走する確信犯が出てくる。ヒトラーがその典型だが、日本にも出てこないとは限らない。混迷する政治の現状は、不気味な予感を含んでいるように思われる。


内向きで全員野球だって

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(熊さん)第4次の安倍改造内閣ってのが出来たそうですよ。
(ご隠居)ああ、そうだね。自民党の政治家のことに興味はないが、大臣になるってのは経歴に箔がつくから、順番待ちの人が多いらしいね。内閣改造ってのは、遊園地の観覧車で、列の先頭の人から順に乗せてもらうようなもんだろうな。一回りしたら、お次と交代だよ。乗ってる間は、高いところへ行って回りからよく見えるし、自分でも少しは変った風景が見られるってわけだ。安倍首相も任期の先が見えてきたから、人選には気を使ってるつもりだろうよ。
(熊)それで、相変わらず、この内閣で「全員野球だ」って言ってるらしいですよ。政治はあんまりやらないで、みんなで野球をするんですかね。
(隠)そりゃ1つの例えだろうさ。野球をして勝つには、9人のみんなが、それぞれのポジションで役目を果たさないと守りが果たせないからね。全員野球というのは、甲子園で活躍する高校の監督さんが、好んで口にする言葉だよ。勝利インタビューなんかで、「選手がみんながんばってくれたおかげです」なんて、謙虚ぶって自慢してるのと似ているな。
(熊)なーるほどね。次の目標は別にあるわけだ。
(隠)安倍政権は、今の勢いだと史上最長の政権になる可能性があるんだ。そして本命として狙っているのは憲法に手をつけることだよ。それが自分の使命と思い込んでいるらしいから、要注意だな。国会で多数を占めている間に、最後の賭けに出て来る可能性がある。憲法改定は、最後に国民投票で多数にならないと通過しないんだが、本当にそこまで勝負してくるかもしれないよ。来年の夏には、参議院の半数改選の選挙があるけど、この選挙がとても大事になりそうだよ。改憲勢力が3分の2を超えたら、「国会での発議」が可能になってしまうからね。

安倍三選と最長不倒政権

 自民党の総裁選挙で安倍首相が三選され、日本の近代史上最長の政権になる可能性が出てきたということだ。類いまれな指導力で一つの時代を築いたというよりも、権力の空白に、ふんわりと乗っかって長期政権になったという印象がある。何よりも、政権交代が起こりそうもない、野党の弱さが作り出した状況と言うべきだろう。だから内閣支持率は、過半数には達しない40%あたりを上下している。
 日本の政治史の中では、安倍政権はどんな評価を受けるのだろうか。戦後最長だった佐藤栄作政権の場合は、日米安保の騒動の中で、良くも悪くもアメリカと一体化する道を選択して政策を推進した。その結果として現状があると言ってよい。しかし安倍政権の功績というものがあるとすれば、それはいったい何なのだろう。
 一言で言えば、それは「事なく過ごした」ということだと思う。もちろんそれは保守政治の枠内でのことだが、今回の三選では、ついに憲法の改定を口にするようになった。それは今のところ「自衛隊の存在を憲法に明記する」という段階になっている。これは本気と受け取っていいだろう。衆参の両院で3分の2の賛成を得られれば、国会として発議することができる。ただしその後に国民投票で過半数の賛成を得る必要がある。ここで不成立なら政権への打撃になるが、最後の勝負のつもりなら、一度は挑戦してみたいのではないか。
 するとこれは、日本の戦後政治史上初めての試みになる。国民投票の結果がどう出るかは未知数だが、どちらにしても、安倍晋三の名は、この件によって歴史に残るだろう。最長不倒と憲法改定の是非、このドラマが目の前に見られるとしたら、面白いのではないかと思えてきた。私としては、もちろん護憲の立場なのだが。
 

自民党が総裁選挙をやっているらしい

(熊さん)自民党が総裁選挙というのをやってるそうですよ。
(ご隠居)ああ、知ってるよ。だけどさ、総裁が交代するって話じゃないんだろ。それが何でニュースになるんだい。
(熊)あれ、ご機嫌うるわしくないね。何が気に入らないんですか?
(隠)くだらないことをニュースにして何だかんだやってるからだよ。たかが一政党の内部の選挙じゃないか。選挙権もない一般の人たちを相手に街頭演説までして、それをまたテレビが中継で流すなんて、無料で自民党の宣伝をしてるようなもんだ。結果が出て、総裁が代わって首相も交代なら、その部分はニュースになるだろうが、現職優勢がわかっていてやってるんだから、政権与党へのサービスと言われても仕方がないな。ほかに大事なニュースもあるだろうに。
(熊)でもさ、時の総理が交代する可能性は少しはあったわけだから、まるっきり無意味とは言えないんじゃないですか。
(隠)ああそうか。地方の知事とか市長とかで、任期がきても対立候補が出なくて、無投票で再選なんてのがあるが、あれよりはマシというわけか。自民党には、こういう意見もありますよと、挑戦することで党が活性化するということだな。今回は、たしかにそういう面はあったかも知れない。でもな、所詮は自民党内の論戦という「私」の部分を、広く一般国民の関心事であるかのような「公」らしい仕掛けで出してきたところが、やっぱり気に入らないんだよ。
(熊)マスコミとしたら、丸っきり報道しないで済ますわけには行かないでしょうよ。興味がないんなら、無視してればいいじゃないですか。
(隠)わかってるよ。だけどな、テレビを見るときに、何でこんなもの放送しやがるんだと、バッテンをつけてやる「マイナス視聴率」なんてのを出せないものかね。出た放送に不同意を示す「拒否率」が集計できるといいんだが。
(熊)気持はわかるけど、実用的じゃないね。つべこべ言ってないで、放送が気に入らなかったらチャンネルを変えればいいじゃないですか。どこかの人工頭脳が、視聴率をきちんと計測してくれてるかも知れませんよ。

正直と公正が禁句になる自民党の奇観

 自民党の総裁選挙が、久しぶりに行われる見込みだそうだ。どうせ党員ではないし関係ない話だと思っていたら、安倍氏の対立候補として名乗りをあげた石破氏が、立候補に際して掲げた「正直」と「公正」のスローガンが、「個人攻撃に当る可能性がある」として使わないことにするという珍ニュースが飛び込んできた。石破茂という政治家については何も知らないし、何となく顔に迫力があり過ぎて、好きになれないという印象を持っていただけなのだが、「正直」と「公正」を持ち出したところは悪くないと思った。逆に、これが「個人攻撃になる」という自民党の感覚が面白い。
 今の総裁は全く正直で、神のごとく公正なお方であられるのに無礼であろう、という感覚なのだろうか。3期目をめざす総裁であり、首相としての任期も重ねている人だから、大事にしたい目玉商品であるには違いないだろうが、それほどまでに祭り上げるのは滑稽に見える。それとも、党内には、神聖不可侵で、批判的な言動は禁制という不文律でも出来上がっているのだろうか。それならそれとして不気味なことである。自民党内が、個人独裁に近づいていることになる。
 何にしても自民党の党内事情などを論じるつもりは全くないから早く切り上げるが、正直と公正という、思いがけない言葉が自民党から飛び出して、それがたちまき禁句になったのだから二度びっくりした。
 

昭和天皇の悔恨

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 きょうの朝日新聞によると、昭和天皇の晩年の心情が、新たに公開された侍従の日記によって明らかになったということだ。昭和天皇の戦争責任については、東京裁判でも法廷での訴追は行われなかった。アメリカから見たら、天皇は日本の軍隊を無血で整然と降伏させ、かつ平和国家への転換に協力した功労者でもあったのだ。だから裁判では、東条以下の軍部が、天皇の平和への意向を無視して「平和への罪」を犯したという理論構成になった。
 だが現実には、太平洋戦争は天皇が「御名御璽」と署名捺印した宣戦の布告によって始まっている。御前会議で臣下が一致に達した結論に、天皇は拒否権を発動しないのが慣例であったとは言うものの、もし天皇が本気で拒否したら、会議は頓挫したことだろう。そして当時の雰囲気として、天皇を弑逆どころか、退位を迫られるといった事態にもならなかったに違いない。
 しかし「まことに止むを得ざるものあり」と言いながらも「御名御璽」は発出された。こうなったら、形式上であっても最高責任者としての立場を免れることはできない。それと同時に、「これが大日本帝国の使命なのかもしれない」という興奮も、感じたのではないかと私は想像する。
 そして誰もが知っている経過で日本は敗戦を迎えた。天皇は充分に自分の責任を自覚していたろうと私は思う。マッカーサーとの会見記録などから見ても、少なくとも自分の退位ぐらいは覚悟していたのではなかろうか。しかし意外にも、戦後日本の「平和国家としての再生」のシンボルとしての全国行脚が待っていた。よくよく運の良い人だったと、今これを書きながらも思う。
 それでも、280万の軍人と30万の民間人、合計310万人の国民を死なせた責任は消すことができない。昭和天皇の晩年が、悲しみに閉ざされた日々であったことは、きわめて健全な心情であったと思われる。
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

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