志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

愛それによって

「愛それによって」の連載を終って

 あとがき

船というのは何と不思議な乗り物だろう
洋上研修船の二週間で
四十歳の男がこうも変り得るとは

眠っていたものが目をさました
忘れていた歌が口をついて出た
消えていた火が燃え上った

二十五歳の情熱と四十歳の自信が
同時に存在するという奇跡のようなことが
そこでは実際に起こった

その中で十八年前の自分の言葉が
若者の心を明らかにゆり動かすのを
私はこの目で見た

そのときから 私は
自分が書いたものについて
恥ずかしがることをやめた

そしてこの小冊子が世に出た

      (昭和49年3月4日)

今年の1日1日から、毎日のブログの「続きを読む」を使って連載してきた私の詩集「愛 それによって」が、最終回となりました。「あとがき」として書いたように、詩集としてまとめる動機になったのは、洋上研修船に乗った経験でした。民社党が昭和49年(1974年)2月に、ただ1回出した2週間の洋上大学に、私は写真教室と放送クラブの講師として乗船したのでした。これに参加したことで、それまでアルバイトのつもりだった映像制作の仕事を、本業にする気になりました。船上で結んだ若い人たちとの信頼関係が、その決心を後押ししてくれました。
 今回読み直してみて、詩としての良し悪しは別として、自分の精神史そのものが記録されていることを感じました。読者からコメントをいただけなかったのは残念ですが、心に残るものが、一つでもあってくれたら、私は幸せです。奇しくもきょうは、私たち夫婦の満49年の結婚記念日に当ります。残りの人生を、少しでもよい形で完結させたいと願っています。
 明日からは、同じ方式で、私の第一著書「おじいちゃんの書き置き」の連載を開始します。引き続きよろしくお願いいたします。

愛それによって・81

 愛 それによって

その昔 
神が人を造ったとき
神の似姿を永遠に伝えるために
減数分裂と受精という
途方もなく巧妙なシステムを
遺伝の方式として採用した

そのときから人類は
愛し合うことなしには
生存を許されないものとなった

そして
どんな愚かな者にも
人を愛するとはどんなことかを
理解させるために
男と女の間に「恋」を置いた

ああ 実に
恋は愛の入口
愛 それによって
人は生きることに堪えられる

     (昭和49年3月3日) 

愛それによって・80

 母死す

深夜のベル
途切れる声
見上げる時計

きしるタイヤ
にじむ信号
明けはじめる街路

横たわる人の
額のあたたかさは常と変るともなく
呼吸をやめた胸の静かさは
わずかに眠りと死との区別を告げる

病床に侍する白衣の人の
もはや役立つことのない
手厚い看護

病理解剖を待つ間の
待ち甲斐のない
長い時間

白木の棺
白装束
ドライアイス

葬いを業とする人々の
いんぎんなたくましさは
母だった人の姿を
否応なく一個の遺体と化する

形ばかりの足袋 杖 笠 数珠は
最後のやさしさを見せる
おとなのままごと

無言の帰宅
多弁の人々
故人の全盛を再現する
かりそめの にぎやかさ

誰かれの思いつきの言葉に促されて
稽古のたりない芝居のように
あやふやながらも行事は進行する

しかし一人の男にとって
母親が真に母親であったことほど
たしかな事実があろうか

母死す
昭和四十八年六月二十四日
母死す
午前三時五十五分
母は死んだ

      (昭和48年7月1日)

愛それによって・79

 サンタクロースの手紙

サンタクロースはことしも来ました
すみよちゃんとマーちゃんが待っていたので
ことしもやっぱり来たのです

あなたたちがおとなになって
赤ちゃんを育てるようになったとき
その赤ちゃんのところへ
きっとまたサンタクロースが来るでしょう

だから サンタクロースは
やっぱりほんとうに いるのです

      (昭和47年12月24日)

愛それによって・78

 占星術

上野の街のネオンの間に
月と星とが見えていたのは
空気がよほど澄んでいたからでしょう
街あかりの中の女性が
みんなきれいに見えたのは
風邪をひく前の熱っぽい感覚が
大脳の働きをやさしく眠らせたからでしょうか

坦々とした「中年」の海で
この上なく安全な航海をしていた船長は
久しく忘れていた古い映画の一コマのように
嵐に揉まれる帆船の指揮をとっていました
「そう言えば月が星を食べたがっていた
自分はこの海に沈むのかも知れない」
しかし足をふんばった彼の全身は
波とたたかう男の活力に満ちあふれ
いのちの瀬戸ぎわを感じた彼の精神は
一点の光を求めて美しく集中していました

その夢が長かったのか短かったのか
本人であった私には何も言うことができません
ただ その夜の私は
そんなことがなければ決して思い出さなかったであろう
一つの記憶をいつまでも大切に思い返していました

深夜の湖水をひとりボートで横断した
少年の日があったことを

         (昭和47年10月19日)

愛それによって・77

 地底の歌

無気力の空間に沈下する
無為の時間が経過する
古い地底の歌だけが聞こえてくる
「なぜ生きてる なぜ生きてる」と

それが聞こえると思うとき
自分はすべての考える努力を放棄する
あらゆる面倒な現実の努力を免れる

にぶくなった視力の中央に
高校三年生の自分が
遺書を握って影のように立っている

     (昭和44年9月19日)

愛それによって・76

退行

ぼくまたあかちゃんになりたいな
ちいさくちいさくちいさくなって
ママのおっぱいのませてもらって
おとなしくおねんねしているよ
なんにもしないでいちんちぢゅう
おとなしくおねんねしているよ

そしたらみんなが
「いい子だね」って
ほめてくれる

ぼくきっと
いいこになるよ
ママ

    (昭和44年1月29日)

愛それによって・75

 結婚十年

あなたがあんまり近くにいるから
僕は時々あなたを忘れる
同じことを あなたはこう言う
「ボクはあんまり遠いから
私もう ついて行けないわ」

あなたがあんまり必要だから
好きだの嫌いだの今さら言えない
同じことを あなたはこう言う
「ボクの奥さんは なにも
私じゃなくてもよかったんだわ」

同じことを言いながらケンカして
背を向けながら同じふとんで眠る
結婚十年

     (昭和43年6月12日)

愛それによって・74

「東京の恋人たち」の内

 墓地にて 

有名人も無名の人も
今はもの言わぬ石の柱
昼さがりの平日の墓地は
見知らぬ人さえ目礼して過ぎる

「私たち結婚して長く幸福に暮らしたら
きっと死ぬときは別々の日になるわ」
ほのかに漂っていた線香のかおり
黙っていたあなたの おだやかな微笑

       (昭和43年4月)

愛それによって・73

「東京の恋人たち」の内

 雨の並木道

愛されたあとの心は
雨の日の街路樹
よみがえる緑のひだの
やわらかな感触

身を浸すしあわせは
滴って歩道に落ち
その滴りはなぜか涙に似て
私はひたすらにうつむいて歩く

「なぜ泣いてしまったの」
「だって幸福すぎるから」
その言葉に嘘はなかったが

愛それによって・72

「東京の恋人たち」の内
 
 夜の高速道路

「東京の高速道路は環状線になっている
だから いつまで走っても終りがない」
あなたに教えてもらうまで
私はそのことを知らなかった

快いエンジンの唸りと
遠くに流れる街の灯
東京タワーが二度目に見えたとき
とうとう言ってしまった最後の言葉
「いいわ どこへでも」

後悔ではない しかし
あのとき私が本当に言いたかったのは
いつまでも終らない二人だけの旅を
誓いたかったということ

愛それによって・71

「東京の恋人たち」の内

 ラッシュアワー

押されて揉まれて
きょうも私の一日が始まる
強い力で いま私の体を支えている
知らない男性の幅広い胸の前で
あなたに抱かれた日のことを思い出して
目をつぶっては罪になるのでしょうか

目を開けば
一つの大きな流れになって運ばれて行く
この無数の人の間で
私はいま おそろしいほど一人ぼっち

この後ろめたい不安な気持を
早くあなたに会って忘れたい
二人だけの場所で

愛それによって・70

 残雪

黒土の上に残された雪の
溶けかかるただ一度だけのやさしさ
身の回りを包む春の気配に
やがてほろぶ白い裸身で
抱きしめた大地を濡らしていた

「私は雪が好き
死ぬときは雪に埋もれて」と
あなたは言いましたね

    (昭和43年4月10日)

愛それによって・69

 春の別れは

春の別れは
寒さのあとの暖かい風
どこまで行くの
 だれも知らない

春の別れは
ほころびた桜の散りかかる花びら
いつまた会えるの
 だれも知らない

春の別れは
卒業する少女たちの涙とハンカチ
いつまた会えるの
 いつまでも きっと

春の別れは
墓地にただよう線香のかおり
いつまた会えるの
 いつの日か きっと

     (昭和43年3月)

愛それによって・68

 幸福

食卓には夕飯
妻と向き合う
片手には夕刊
子供たちはもう二階

「お姉ちゃんたらね
大きくなったらお薬屋さんになるんですって
お薬ならべたり紙で包んだりして
買いにくる人にたくさん売ってあげるんですって」

「そしたら横からマーコがね」
話しながらクックと笑う
「ツノイさんになりたい だって」
ツノイさんとは団地の中の菓子屋の名だ
こらえ切れずに私も笑いころげる

テーブルのお茶がかすかに湯気を立てる
きょうは昭和四十三年の一月三十日
なに事もなかった日

       (昭和43年2月1日)

愛それによって・67

 花の乙女

いつの間に
あなたはこんなに美しくなったのか
若い男たちの眼に
あなたの存在そのものが
今どんなにまぶしく見えていることか
私には よくわかる
それはおそらく
あなたの想像を超えているでしょう

もう十年も前だったら
私も騎士の一人として
あなたをめぐる華やかな争いに
細身の剣をさげて参加したかもしれない
そんなことを
微笑みながら ふと思う

花はうつろいやすいから
時はすぐに過ぎるから
女の美は一瞬のものだから
だからこそ実を大切に
などという人生訓が
今のあなたに何のかかわりを持ち得よう

額にかかる巻毛の一すじに
薄紅の頬の程よいふくらみに
よく磨き上げられた高価な果物のような
甘い香気を感じる者は
決して私だけではない筈です

あなたの年齢が
あなたの生理を動かしてそうさせている
この今のひとときの美しさを
その限りない いとしさを
多分あなたは本当には知らない
それでよい
しかし
どうしたらよいのだろう

どうしようもない深淵
二十歳の娘と三十歳の母親との間の
気の遠くなるような距離

私には やっとこれだけしか言えないのです
「この道を途中から戻った者は一人もいない
有史以来 すべての女がそこを歩いた
勇気をもってあなたもお行きなさい
私の愛する 花の乙女よ」

       (昭和43年1月5日)

愛それによって・66

 あなたは五歳

誕生日おめでとう
きょうからあなたは五歳です
赤ちゃんだったのは昔のこと
今はもう しっかりしたお姉さん

誕生日おめでとう
私はあなたの父親です
これからも どうぞよろしく

    (昭和42年11月28日)

愛それによって・65

 石

石となるな
石を投げよ

過去の無数の偉大な思想は
解読不能の石となってここにある

おのれが石とはなるな
わが手で石を拾え
力をこめて投げよ

投げられた石こそ
鳥を落とし人を殺し波を起こす

はじめて聞け 石の声を

      (昭和42年)

愛それによって・64

 悪夢

いつも見るいやな夢を
今夜もまた見ているらしい

俺はさっきから
真っ暗で不潔な地下道を
いやいやながら歩いている
もう疲れ切っているのだが
こんなところで立ち止まっては窒息して死ぬしかない

ついさっき
俺は出口の階段を上って
地上へ出たような気がした
地上もやはり夜だったが
遠くに裸電球が一つ灯り
生あたたかい風が吹いて
俺は安心して深く息を吸った
ところがいつの間にか
俺の歩いている所は
またいやな地下道の中だ

思い出してみると
出口の階段を上ったのは
どうもさっきの一度だけではない
その前にもたしか俺は
階段を上って夜の地上へ出たような気がする
ところが歩いているうちに
気がついてみるとやっぱり地下道の中だった
そんなことが
その前にもそのまた前にも
際限なくあったような気がする

そしてまた
地上へ出られる上り階段がここにある
俺はまたこれを上るしかない
上っても無駄になりそうな予感がするが
立ち止まっては身の破滅だ

俺はもう疲れ切った
だが立ち止まっては身の破滅だ

       (昭和42年8月20日)

愛それによって・63

 信号灯

ぼくは もう
つめたい青に疲れた
どうしてあなたは
そんなに急いで
渡ってしまおうとするの

ほら もう変った
あたたかな橙色が
許すように
ぼくとあなたを
歩道の上に並ばせる

おかげでぼくは
やっと気がついた
歩くこと自体を楽しむような
そんな歩き方を
ぼくは久しくしなかった

次の青を待つ間に
ぼくの心に赤い灯がともる
それは一瞬のうちによみがえらせる
生きること自体が楽しくて
生きた日のことを

    (昭和41年10月24日)

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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