志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

おじいちゃんの書き置き

おじいちゃんの書き置・コメント補遺

「おじいちゃんの書き置き」に投稿されたコメントのうち、長さの関係で本文に収容できなかったものを「コメント補遺」として掲載しておきます。

(からしだね)2016.5.17
 志村さんの子供時代のことは、以前読ませていただいた「少国民たちの戦争」に詳しく書かれていましたので、戦後、特に社会人になられてからのお話に興味を持っていました。でも、この部分は意外にさらっと書かれているという印象でした。
 私はそれよりも、後半の「人間とは何か」「宗教とは何か」「社会思想と労働組合」「漢字と日本語、英語と世界語」の章が面白く、考えさせられました。私は一応洗礼は受けていますが今は教会に通っていませんのであまり堂々と「クリスチャンです。」と言えないクリスチャン(カトリック)です。ただ、若い頃に神父さまやシスターに言われたことが、むしろ今になって自分の心の中で生きてきているということはあると思います。ですから「宗教とは何か」の章は特に興味を持って読んだのですが、仏教の考え方が一番興味深く、縁があったら仏教徒が良かったかなあなどと考えてしまいました。
 私には宗教がどうとか偉そうに言うことは出来ないのですが、結局、大切なのは〇〇教ということではなく、誰もが何か「永遠」や「真実」と言ったことを心の深いところで求めていて、その人の育った環境などによってある人は仏教、ある人はキリスト教、ある人はイスラム教、またある人は共産主義、などと出会うのではないでしょうか。
 少し前に「HOMELAND」というアメリカのドラマを見ました。イラク戦争に従軍し、捕虜となっていたアメリカの軍人が8年ぶりに救出され、英雄としてアメリカに帰国するところからこのドラマは始まります。しかし、特定はできないけれどアルカイダによって洗脳されたテロリストがアメリカに潜入したという情報が流れ、この人物の特定にCIAの秘密工作員が乗り出します。結局この救出された軍人がそのテロリストだったのですが、私からみると洗脳されたというよりイラクの人たちの悲しみに共感したが故の転向、という気がしました。この軍人は捕虜になって何年もの間拷問や暴力を受け続けていたのですが、ある日突然アルカイダの重要人物の息子の英語教師となるよう命じられます。家族と引き離され孤独だった彼にとってこの男の子は息子のような存在になるわけですが、ある日アメリカ軍の空爆で大勢の子供たちとともにその子は殺されてしまいます。
 敵と思っていたアルカイダにも家族があり、普通の暮らしがある。そういうことを理解するようになると、民間人まで無差別に空爆によって殺傷しているアメリカは本当に正義だろうか?と疑問を持つようになった。という風にこの人物は描かれていて、アメリカの娯楽ドラマですから限界はありますしテロはそもそもいけませんが、こういう人物をイラク戦争以降のアメリカが描くようになったということが興味深かったです。
 このドラマと、志村さんがご本で書かれていることは共通するものがあるように私は感じました。つまり、「他者への理解」「他者との共感」ということです。宗教における共通理解、エスペラント語のような世界補助語によるコミュニケーション、お互いを知ることにより理解を深めることで争いをなくして行く。この希望が、大切なのだと思いました。
 このご本はお孫さんのために書かれたということですが、人生について深く考えるヒントがたくさん盛り込まれていると思います。そういう意味ではすべての方にとって読まれて価値のある本だと思いました。また、志村さんのお母様に対する深い思いがとても印象に残りました。人は誰かを深く愛し、愛されることでさらに周囲の人たちに愛を与えることが出来るようになるのですね。
 私も志村さんに倣い、身近な人たちに愛を与えることのできる人間になりたいと思います。

おじいちゃんの書き置き・117

 あとがき

この本は 孫のために書きはじめた
おじいちゃんはこんな人だったということを
成人してから思い出して貰いたいと思った
それはその通りなのだが 書いているうちに
自分には言いたいことが
まだまだ たくさんあることに気がついた

いろいろなことをやってきた
いろいろな本をたくさん読んだ
それらのすべてが
いま自分の中で一つのものにまとまりつつある
これは最後の一冊のつもりだったが そうではなかった
複雑に分解して行くように見える現代の世の中で
人間の「知の統合」をめざす最初の一冊になる

2005年7月20日         (完)



おじいちゃんの書き置き・116

(書き残したこと)

 育てること

人を育てるとは
自分の分身をつくることだと思った
いとしさ やすらぎ 希望 未来
それらのすべてを わが子の中に見た

しかし 成長させる 個性を伸ばすとは
自分とは違う人間をつくることだった
そのことに気がついたのは
何十年もたってからだった

自由を束縛しないことと
安心を分かち合うことと
両立させるには 人間の知恵が要る
地上の楽園は 数日の小春日和のように訪れる



おじいちゃんの書き置き・115

(書き残したこと)

 受けつぐこと

私は母から生を受けた
母は私のいのちを守り
わが身を削ろうとも
私の未来を祝福した

母の愛に 私は報いたか
母の期待に 私はこたえたか
母が言いたかったことを 言えたか
したかったことを なしとげたか

私の今が いかに不完全であろうと
母が私を 責めることはないだろう
だから 私はいつも
いのちあるかぎりの 勇気を貰うのだ






おじいちゃんの書き置き・114

(書き残したこと)

永遠の恋

 学生時代に、ブライス師から「恋人は有限、恋は永遠」と教えられたことがある。私の恋人は今はおばあちゃんと呼ばれ、孫の世話に明け暮れている。その人はかつて私にとって「自分以外のすべて」だった。その輝きはいまも私の心の中にある。
 人は恋人によって恋を知るが、恋は恋人よりも遠くにある。恋するとき、人は恋人を見つめる視線で、じつはもっと遠くを見ているのだ。だから恋人が急に立ち去ったとき、人はほんの一瞬だけ「恋そのもの」の残像を見ることができる。失恋が人を成長させると言われるのは、多分、そのためなのだ。その遠くに見えたものは何か。それは「永遠のいのちへのあこがれ」だったというのが、私の出した一応の答えだった。
 仕事をするようになってからの私は、精魂こめてものを作ろうとするときの気持が、恋に似ていることに気づいた。手の中にある仕事を通して、もっと遠くにあるものを見ている自分がいる。その遠くに見えるものと目の前の仕事が同じ線の上に重なったとき、何かができたという幸せな時間がくるのだ。そして急に、これは何かを求めて努力している人間が、みんなやっていることと同じだと思い至った。目の前の手段は何でもいい。画家はカンバスと絵の具を使い、詩人は言葉をつむ紡ぎ、音楽家は音をあやつ操って、この世にないものをこの世にあ在らしめようと格闘しているのだ。歴史に残る名画が、古びたカンバスとひ干からびた絵の具からできているといって、画家が描こうとした真実の姿が、少しでも損なわれることがあるだろうか。
 ブライス師は禅の研究家として、英文学の中にも、聖書の中にも禅を発見したという。そこまで言うのなら、もう釈迦の悟りも、キリストの霊感も同じことではないか。真実はたった一つ、天空のかなた彼方にある。それはたとえば北極星だと思ってもいいが、もちろん北極星という物質に価値があるのではない。それが指し示す方向が尊いのだ。
 それは方向だから、どこまで行っても終点はない。だから知をきわめつくした人も、悟りをきわめつくした人もいない。きわめつくすことができないという真理を悟った人がいるだけである。それは恐ろしい真実であって、同時にこの上なくやさしい真実でもある。どんな人間も、努力すればその分だけ、限りなく遠くまで行くことができるのだ。
 これは私が少年期からずっと抱えてきた「人はなぜ生きるか」という問いへの、一つの答えになる。なぜ途中で勝手に死んではいけないのか。それは遠くまで行ける可能性を、みずから閉じてしまうからだ。もう他人のことはどうでもよい。私は自分の道を、行けるところまでは行くことにしよう。二十一世紀の終りを私は見ることができない。しかし私は最後まで無限の彼方を見つめ、そこで母親と再会できる筈である。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)

おじいちゃんの書き置き・113

(書き残したこと)

墓地の作り方

 私もいい年になったので、遠からず墓地が必要になる。そこで近所の寺に小さな墓地を一区画、すでに確保してある。いずれそこに納まればいいのだが、ちょっと気になることがあって、まだ本当には納得できていない。というのは最近の弔いで常識になっている、いはい遺灰を陶器の壷に入れてはかいし墓石の下に納める方式がきらいなのだ。あれでは完全に土に返ることができないではないか。だいたい全部の人間が死んだあと壷に入って保存されたのでは、地上が壷でいっぱいになってしまう。やはり、自分の一代できれいに始末がつかないと安心できない気がするのである。
 日本では仏教伝来の頃から火葬が行われるようになったらしいが、土葬も一貫して行われてきた。父の郷里でも、父の前の世代までは土葬がふつうだったと聞いている。村の墓地に新しくはかあな墓穴を掘るときは、古い骨がよく出てきたそうである。
 死者を葬るのは後に残った人の仕事で、墓は死んだ人のためというよりも、残った人のためのものなのだろう。だから遺灰を壷に入れて保存する習慣も始まったのに違いない。しかしそれも、死んだ人を直接に知っている人が生存している間ぐらいでいいのではないか。そのためには、壷に入れての保存は長すぎると思う。結局は後々の人たちの重荷になって行くのではあるまいか。
 私が夢として描いている霊園の風景がある。そこは四季の花が絶えないように整備されてはいるが、樹木が茂り、自然の姿を残した一つの山である。そして、そこここに控えめな木製の札が立っていて、故人の名前や、その人に寄せる愛の言葉が書いてある。遺灰を埋めた人が、思い思いに立てたものである。標識を立てず、気に入った場所に遺灰をま撒くだけで帰る人もいる。その山の全体が霊地なのだ。一隅の広場には、土葬のための場所が用意されていてもよい。そこにも、立てられるのは木製の墓標ばかりである。管理人は園内のどこでも安全に歩けるように手入れを怠らないが、墓標は朽ちるに任せている。ただし立てた人が同じところへ立て直すことは差し支えない。墓前への供物は自然に分解するものに限るように、ガラスや金属製品はご遠慮くださいと掲示してある。
 霊園は無宗教だが、僧侶や神父を伴って訪れるのは自由である。故人をしの偲ぶ集いを開けるような集会所も用意されている。管理センターの周辺には、葬儀とは関係なく、公園として入園しても家族で楽しめるような、きれいな花壇や芝生の広場、木登りのできる森などもある。経営は、墓地使用料と、一般の入園料、そして来訪者へ食事など各種のサービスを提供することでまかなうことにする。こんな「散骨霊園」が成り立つかどうかわからないが、私が最後にやってみたい事業である。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)

おじいちゃんの書き置き・112

(書き残したこと)

君が代について

 君が代は一九九九年、平成十一年にあわただしく国歌として法制化されてしまったが、歌としても、内容からも、問題の多い歌である。歌としては歌詞と音形が合わないところがあって歌いにくい。内容的には、日本の国情に合わないとする反対意見がある。
 曲は雅楽奏者による作曲だが、伝統的な雅楽でもなく、西洋音楽としては無理に歌詞を引き伸ばしている。試みに歌詞を次のように変えてみると、ずっと歌いやすくなる。
  ひ日のもと本の国 ときわにさか栄えよ さざれ石の いわお巌となりて 山にそび聳ゆるまでも
 君が代の歌詞は読み人知らずの、天皇に捧げたことほ寿ぎ歌である。小石にも生命があって生長して巨岩になるというのは、古代人の自然崇拝を反映している。君が代は明治の初めに天皇への礼式歌として採用され、宮廷行事に使用された。別に文部省は同じ時期に二度にわたって国歌の制定を試みている。しかし決定的な作品を得られぬまま、いくつかの候補曲を発表して一般の反応をみることにした。後に軍隊でよく使われた「すめら皇みくに御国」はその中の一つである。一方、君が代は外国使節の送迎などにも使われて、対外的に日本を代表する歌になってきた。宮内省との縄張り争いに負けた文部省は、結局、国民一般が歌うことも許すという形で君が代を普及することになったのである。法定によらずに国歌らしく扱うことにしたのには、いかにも日本的な経過があったのだ。
 君が代の問題点は、それが国粋主義に傾いて侵略戦争を起こした過去の記憶と結びつくことと、天皇個人を賛美するだけでは、新憲法下の日本にふさわしくないということである。ではどうするか、私に一つの提案がある。
 和歌の七・五調を乗せた曲で、日本を代表するのにふさわしい名曲がある。それは「海ゆかば」の曲で、戦時中は軍人の葬送歌として使われたが、本来は国民歌謡である。次の歌詞をこの曲で、ぜひ声に出して歌ってみてほしい。
  わが国は 千代に八千代に 君が代は 千代に八千代に
  さざれ石の いわおとなりて こけ苔のむすまで
音数もイントネーションも整合して、完成度の高い歌になる。「わが国」を最初に置くことで、国の統合の象徴としての天皇の長寿を、素直に祝う気持にもなれるのではないか。この曲なら演奏しても合唱しても、感動的に盛り上がることは間違いない。 
 私は性急に国歌を変えようと提案するのではないが、世界には複数の国歌・国民歌を持つ国も少なからずある。たとえば国際競技の表彰式などで使ってみる方法もあるだろう。国民みんなが抵抗感なく歌えて、音楽としても演奏効果があり、日本人としての一体感を確かめられるような歌が、ぜひあってほしいと思う。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)


おじいちゃんの書き置き・111

(第10章 漢字と日本語、英語と世界語)

国際共通補助語の実現へ

 国際共通語は、補助語に徹しなければいけない。世界の自然言語の代用品になってはいけないのだ。その分限を守った上で国際共通補助言語が導入されたら、その利益ははかり知れないほど大きい。すべての国際会議や国際文書で翻訳のわずらわしさがなくなる。翻訳がなければ誤訳のトラブルもありえない。すべての人が旅行でもインターネットでも、自由に他国の人と意思を通じ合うことができるようになる。
 しかしそれは各民族文化が衰退することを意味しない。歴史と伝統は従来と同じように尊重され、他民族の文化に魅力を感じる人は、従来と同じように熱心に他民族の言語を学ぼうとするだろう。翻訳という本質的に無駄な労力から解放された文化的エネルギーは、もっと建設的な方面に行き渡る可能性もある。
 国際共通補助語は人工語、つまり人類の英知を集めて創造され管理される言語でなければならない。その理由はこれまでに説明した。するとその資格をもっともよく備えているのは今のところエスペラントである。ベーシック・イングリッシュも魅力的であり、現在英語が世界に普及している点が採用の理由になりうるが、所詮はその名の通り英語の一種であり、非英語国民の抵抗感は強いだろう。また国際共通補助語になったら大幅に手を加え、民族語の米英語とは別の言語であることを厳しく徹底することになるが、それは米英国民にとって、なまじ母語と似ているだけに、つらいことかもしれない。
 エスペラントも完全無欠ではありえないから、もし採用したら、国際機関の管理の下に定期的に見直す必要があるだろう。新語の採用などは、国際機関が承認するまでは引用符をつけて使うといったルールにするとよいかもしれない。とにかく国際機関が発行する公式の文法書と辞書が世界標準となる。創始者のザメンホフも、正式に国際機関に採用された場合にのみ、エスペラントに改変を加えることを容認しているのである。
 人類が世界共通言語を採用するまでには、まだまだ多くの努力と時間が必要だろう。その中で私たちがこれからすべきことは、あらゆる機会に共通語の必要性を世界に向けて訴え続けること、そしてインターネットなどを活用して世界を往来するエスペラントの通信を少しでも増やして行くことである。このとき英語圏だけでなく、ヨーロッパ、ロシア、中国、アラブも視野に入れておく必要がある。そして最後で最大の課題は、英語国民とりわけアメリカを説得して賛成の陣営に加わらせることである。これに成功すれば実現の可能性は大きくふくらむ。国連の場で言語の共通化が採用され機能し始めたとき、その先には通貨の共通化と政治の共通化も見えてくるだろう。アメリカの世界制覇によらない民主的な世界の統一が、夢でなくなるのである。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)


おじいちゃんの書き置き・110

(第10章 漢字と日本語、英語と世界語)

英語を世界語にしてよいか

 二十一世紀初頭の現在、英語の世界的な普及は目覚ましいものがある。アジアでは以前から事実上の共通言語だったし、英語を母語とする人口よりも多くの人が英語を話していると言われてきた。ことに最近はインターネットの普及により、英語の通用範囲は加速度的に広がりつつあるように見える。このままの勢いで推移すれば、遠くない将来に国際共通語は英語ということで決着がついてしまいそうな予感さえする。米英の国民は、すでにそうなることを期待しているのではあるまいか。しかしそれでは困るのだ。
 特定の国の言語が世界標準になったら、正しい世界標準語を指導する「本家」に対して、それ以外の国は対抗する手段を持つことができない。民族文化の間に、必ず力関係の不平等が生まれてしまうのだ。やはり国際共通補助語は、あくまでも各民族の言語に対して中立でなければならないのである。
 それに、私の見るところ、英語はかなりの欠陥言語である。たとえば「誰か来る、黒い服を着ている」という簡単な表現を英語で言おうとすると、とたんにえらく面倒なことになる。来る人が一人なのか二人以上なのか、そして男なのか女なのか、それらを決めないことには文を作ることができない。とくに人が一人なのか二人なのかで「来る」という動詞の形が変わるなどは愚劣のきわみで、インド・ヨーロッパ語族を母語としなかった私にはとうてい容認できないことである。
 英語の歴史を辿ってみると、意外に若い言語であることに驚く。日本で紫式部が源氏物語を書いていた平安朝の頃には、まだイギリスという国はなく、英語という言語も存在していなかった。ドイツ語に似た古代英語から始まって、ノルマンに征服されたり、フランスの文化に圧倒されたり、曲折を経ながらさまざまな要素を吸収して英語は成立した。だから英語には違う語源から来て同じ意味を持つ単語の組み合わせがいくつもある。日本語の漢語と和語のように、微妙なニュアンスの違いで使いわけるようなのだが、外国人には迷惑なことで、その点では日本語のように「奥が深い」のである。また、語尾変化が簡略化されているのはいいのだが、文法にも発音にも例外が多くて複雑である。
 英語が今の世界にこれほど普及しているのは、たまたま近代になってイギリスが、続いてアメリカが政治・経済の力で世界に制覇したからに過ぎない。英語が言語としてすぐれているかどうかとは、関係のないことである。日本でも中学・高校で英語を学ぶから何となく英語に親しみを感じるのだが、六年間習った英語よりも、三カ月勉強したエスペラントの方が実地で役に立つことはほぼ確実である。ただし相手もエスペラントを知っていることが条件ではあるのだが。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。) 


おじいちゃんの書き置き・109

(第10章 漢字と日本語、英語と世界語)

ベーシック・イングリッシュの試み

 エスペラントよりも少し後の一九三〇年頃に、イギリスの言語学者オグデンはベーシック・イングリッシュを提唱した。これはきわめて大胆な英語改良の提案だったが、学習が容易なことから、世界共通の補助語としても使用できる可能性を持つものだった。
 ベーシック・イングリッシュの特徴は、単語の数を極限まで減らしたことだった。総数八百五十語ですべての言語表現が可能だとしたのである。その一方で発音と文法には手をつけず、あくまでも英語の枠内で言語の合理化を追求したものだった。そこでベーシック・イングリッシュはその支持者によって、英語学習の能率のよい方法として、また分析的に物を考える知的訓練の手段としてもすいしょう推奨された。
 知的訓練に役立つとは、次のようなことである。ベーシック・イングリッシュには動詞が十六語しかない。だから「忘れる」ということを言いたいときには、forgetの語がないから「記憶から去る」と言うのである。このような例を多数経験すると、単語の数が多いことは物事を正確に言い表すことではなく、単に便宜のためであることがわかってくる。むしろ一つの単語で済ましてしまう方があいまいで、簡単な単語の組み合わせを工夫する方が、言いたいことが正確に伝わるという逆説が生まれるのである。
 それにしても、わずか八百五十語で一つの言語が成り立つとは驚くほかはない。ベーシック・イングリッシュには、聖書から学術書まで各種の作例があるが、どれを読んでみても事前に知らされていなければ、素直で読みやすい英文という印象だけで違和感なく読めてしまう。これは国際補助語のあり方を考える上で貴重なヒントになる。エスペラントもこの方式によれば語彙の数を大幅に減らすことも可能だろう。
 エスペラントもベーシック・イングリッシュも、いまだに国際機関を通して世界に普及をはかる段階にはなっていない。それぞれに任意の国際学会を結成して、熱心な支持者によって細々と維持されている状態である。国際社会は将来もずっと、世界共通言語に関心を示すことはないのだろうか。そんなことはあるまい。
 国連もEUも、複数の公用語をかかえて翻訳・通訳に膨大な労力と経費を費やしている。もしも世界共通の言語があれば、世界の人が母国語と共通語の二つを学ぶだけで、一切の翻訳・通訳が不要になるのだ。誰が考えても有益なこの方法の実現を妨げているのは、やはり各国の民族文化の地位低下を警戒する、世界言語に対する誤解ないし不信感だろう。しかし国際共通・・・補助語は世界の自然言語と対立する意図を最初から持ってはいない。各国の言語と文化を尊重しながら、相互の橋渡しの役目だけをつとめようとするのである。それでも世界の民族主義者は絶対反対を叫ぶのだろうか。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)


おじいちゃんの書き置き・108

(第10章 漢字と日本語、英語と世界語)

エスペラントの悲惨な歴史

 国際理解と平和のために提案されたエスペラントだったが、どこの国の政府もこれを好意的に扱うことはなかった。まずザメンホフが所属した帝政ロシアの政府は、最初から反帝政の運動ではないかと疑いの目を向けて、出版活動を妨害した。エスペランチストたちが民族を超えた平和を唱えれば唱えるほど、エスペラントをユダヤ人と共産主義者の言葉と見なして警戒を強めたのである。
 ロシア革命が成功すると、ソ連は一時的に世界でいちばんエスペラント運動が盛んな国になった。しかし長くは続かなかった。一国社会主義の独裁体制が確立するとともに、国際連帯を信奉する理想主義者たちはソ連にとって危険な存在と見なされるようになった。数万人にのぼるエスペランチストは、そのほとんどすべてが大粛清時代を生き延びることができなかったと言われる。さらにエスペラントが一時的にせよ社会主義革命の理想と結びつけて語られたことが次の不幸を招いた。ナチス・ドイツもまたエスペラントを国際共産主義の道具と見なし、またドイツ至上主義に反するものとして危険視したのである。ザメンホフの三人の子供たちはいずれも熱心なエスペランチストになったのだが、ナチスによって長男は銃殺され、二人の娘はガス室に送られた。
 エスペラントは国際連盟でも温かく迎えられることはなかった。世界平和の理想をかかげて創立された国際連盟こそは、民族と民族の間を中立の言葉で結ぶのにふさわしい場である筈だった。しかし当時の国際連盟は今の国連とは違って、国家を超えた理想を追求するよりも、おもに大国が利益の調整をするための話し合いの場だった。一九二〇年に中小国が共同してエスペラントについて研究を進めるよう決議案を提出したとき、強硬に反対したのはフランスだった。当時フランス語は国際公用語として権威を持っていたが、英語の台頭を脅威に感じはじめてもいた。フランス語の地位を危うくするような提案は絶対に許せなかったのである。
 同じ提案は翌年にも行われ、このときには日本も提案国に参加して、事務局次長だったにと新渡ぺ戸稲造が賛成の演説をしている。しかしフランスの強硬姿勢は変らなかった。エスペラントは各国の民衆間の言語関係を簡略化することにより、歴史と誇りに裏付けられた民族文化の存在理由を失わせるというのである。そしてフランス語以外のいかなる世界語にも反対すると宣言した。
 エスペラントが国際連盟でどのように扱われたかは、今後を考えるときの参考になる。有効な国際コミュニケーションの手段を構築するときに、何よりも大切なのは大国が自らの特権の一部を放棄することなのである。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)

おじいちゃんの書き置き・107

(第10章 漢字と日本語、英語と世界語)

世界言語の提案、エスペラント

 なぜ世界にはいろいろな言語があるのだろうか。人間は生物としては単一の種類で、アフリカを誕生の地として全世界に広がって行ったと言われる。それならば言語も共通の一種類でよさそうなものだが、いま世界には二千種以上の言語がある。それは人間が世界の各地に定住してから後に、それぞれの言語を発達させたことを示している。土地が変われば言葉も変わる。遠くから来た人と話が通じないのは、昔から不便なことだったろう。旧約聖書のバベルの塔の伝説で、神の怒りにふれたために人々の言葉が通じなくなったというのは、古代人にとっても言葉の壁が悩みの種だったことを伝えている。
 十九世紀の末近くになって、世界共通の言葉を発明したら人々の共通理解が進み、平和に役立つだろうと考える人が現れた。それがエスペラントの創始者ザメンホフで、当時ロシア領だったポーランドのユダヤ人の眼科医だった。彼はドイツ、ロシア、ユダヤ、ポーランドの四民族が争いを繰り返す土地で育ったから、互いの理解不足から紛争が起こることを、いやというほど知っていたのである。
 「希望の人」を意味して名づけられたエスペラントは、当初から国際共通・・・補助語として開発された。これはザメンホフの非常にすぐれた着想だった。各民族語にとってかわろうとするのではなく、意思疎通のための共通の道具であればこそ、もっとも合理的に作り上げることができるのだ。こうして開発されたエスペラントは当然のことながら、自然言語には不可能な多くの長所をもっている。まず文法が明快で例外がない。発音と表記が完全に一致しているから、読むとき書くときに迷うことがない。母音を「アイウエオ」の五個に限定してあいまいな音を使わず、子音も明瞭に区別できるものを選んでいるので発音も聞き取りも容易である。数詞は日本語(漢語)と同じ規則的な繰り上がり法による。さらにごい語彙はヨーロッパ系の単語を整理して借用しながら、派生語の作り方を規則的にして、新語の追加にも備えている。無味乾燥に陥らないように、強調の語法、感動表現などにも配慮している。この辺にはザメンホフのすぐれたバランス感覚が生きており、要するに人工語の異様さがどこにもなく、「やさしい外国語」の感覚で学べるようになっているのだ。
 トルストイはエスペラントの解説を読んで、その日のうちに全体系を把握したと言われる。エスペラントはザメンホフが予想した以上に、熱心な支持者を増やして行った。人工語の開発・発表は他にもいくつか例があるが、その中でエスペラントはただ一つ、実用に耐えることが実証されたのである。しかしその後のエスペラントの歩みは、無残としか言いようがないほどの苦難の連続になった。
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おじいちゃんの書き置き・106

(第10章 漢字と日本語、英語と世界語)

日本語とどうつきあうか

 日本人は日本語に浸りながら育つから、だいぶ大きくなって外国には別の言葉があることを知るまでは、自分の使う言葉が日本語であることを意識していない。身近なものの名前もさまざまな動作も、それが絶対の呼び名であるかのように日本語と結びつけながら覚えて行く。こうして幼児期に身につけた言語は「母語」となって、その記憶は生涯を通して消え去ることはないと言われる。だから日本人が日本語に対して批判的な問題意識を持たなくても、それは当り前なのかもしれない。
 それにしても、日本語はあまりにも多くの問題を抱えていると私は思う。中でも深刻なのはごい語彙を増やすときに、本来は外国語だった漢語に頼り過ぎたため、「やまと言葉」系の造語力がほとんど機能しなくなっていることである。
 現代の日本は海外から入ってくる先端の技術や思想を言い表すために、大量の新語を作らなければならないのだが、適当な訳語を作ることができず、カタカナ語を氾濫させる結果になった。カタカナ語は字数が多い上に、原語の発音を正しく伝えるわけでもないのだから始末が悪い。さらに「パソコン、スパコン」などとカタカナの一部を省略した判じ物のような新語も続々と登場するようになった。こうなると、その分野にくわしい人以外には何のことか見当がつかないという不都合が生じてくる。そこでお役所までが音頭をとって、カタカナ語の言い替え例などを提案するのだが、これがほとんどすべて漢語の新作である。漢字ならばじづら字面からある程度は内容が推測できる利点はあるが、和製漢語という変種を増やすだけで、本当の意味で日本語に訳したことにはなっていないのだ。
 とは言うものの、結論から言えば漢字の造語力と縁を切ったら日本語は成り立たないところまで来ている。せめて使いこなし可能な二千字程度以上には増やさないように気をつけながら、漢字とつきあって行くしかないだろう。それと同時に、生き残っている「やまと言葉」を少しでも活性化しながら、大事に育てて行くことが望ましいと思う。「やまと言葉」は、「やま」「はな」「ひかり」「おもう」「いきる」「うつくしい」など、ひらがなだけで書いてもよく意味のわかる言葉である。それは日本人が古代から会話の中で使いつづけて来たからだ。私はこうした言葉に深い愛着を感じている。
 「やまと言葉」の復権については、一つだけ例をあげて問題提起しておこう。それは英語の sheの訳語として使われる「彼女」という言葉である。日本語の三人称は「われ」に対する「かれ」であって、本来そこには男女の区別はない。「彼女」「彼氏」などと語感の悪い言葉を流行させるよりも、か彼のおんな女も「かれ」と呼べばよいではないか。日本語は古代からずっと、男女を差別していなかったのだから。
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おじいちゃんの書き置き・105

(第10章 漢字と日本語、英語と世界語)

世界の中の日本語

 日本語を今のままでよしとしないで、なんとかしたいと考える人は少なくない。一九四五年に戦争に負けた直後には、「これを機会に日本語を使うのをやめてフランス語を国語にしよう」と大まじめに提案する高名な文学者が現れた。そのほかに日本語の表記をローマ字にしよう、かな文字にしようという運動もあって、ローマ字会は今も活動を続けている。しかし日本語を現状のままローマ字やかな文字だけで表記すると、漢字を手がかりに文意をつかむことができないから、読み取りがつらいという問題が出てくる。
 戦後に行われた当用漢字と音訓表の採用は、少なくとも当初は日本語の表音文字化をはっきりと指向するものだった。漢字の字数と読み方を制限すれば、日本語の表記は有限の数の中に納まるから、教育の民主化に役立つと考えられたのである。これが時代とともに漢字自由化の圧力がかかり、さらに近年のワープロ、パソコンの普及が加わって、方向性が揺らいできた。今では字画の多い漢字をたくさん使っても、機械が変換してくれるから実際上はほとんど苦にならない。その字が書けなくても読めればいいので、変換したときに正しい字かどうかの見わけさえつけばよい、ということになった。
 話が先走ってしまったが、今の日本語は、国際比較をしたらどのような位置を占めるのだろうか。読み取りの速度から見たら、断然世界のトップに立つだろうと私は思う。とくに「ななめ読み」で文の大意を早くつかむことにかけては、世界のどの言語と比べても、決して負けることはないだろう。かな文字の間に散らばる漢字がおの自ずからキーワードとなり、しかも形として認識されるのだから、これほど能率のよい要約の方法はない。
 ところが書く早さでは、たとえワープロを使っても英語には勝てないだろうという気がする。タイプライターの時代から、あの機関銃のような早さにかなうわけがないと思った。文字打ちの早さだけではない。ここは漢字にするか仮名にするか、あるいはカタカナを使ってみるか、さらには自信のない語句を辞書で確かめたくなるなど、納得のいく文章にしようとすると、けっこう迷う場合が多いのである。
 結論を世俗的な表現で言えば、それだけ日本語は奥が深いのである。ということは、会話も文章も、使い手によって個人差が大きく出ることになる。それを魅力的と感じる人は、おそらく自分の日本語表現力に自信を持っている人だろう。日本文化にぞうけい造詣の深い西欧人が「人が百年以上生きるのなら、日本語はいい言語だ」と言ったという話を聞いたことがあるが、その辺が正解に近いのかもしれない。
 私たちが日本語を誇りと思うか重荷と思うか、そのどちらであっても、日本語が国際共通言語に不向きであることだけは間違いのないところである。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)

おじいちゃんの書き置き・104

(第10章 漢字と日本語、英語と世界語)

男は漢文、女は和文
 
 漢文は公文書だから、それを読み書きしたのはおもに支配階級つまり男だった。漢文はかなりレベルの高い完成された言語体系だから、学んで使い始めれば、しんら森羅ばんしょう万象なんでも表現できないものはない。しかも漢文の読み書き能力の高さはエリートの証明でもあるのだから、有能な男ほど競って漢文の修業に精を出したであろうことは想像に難くない。そこには、本来の日本語である「やまと言葉」を大切にしようなどという意識は、芽生える余地もなかったことだろう。
 一方、古くからの伝承を書き残す場合や、和歌の世界、非公式の生活場面などでは、「やまと言葉」が相変わらず主役だったから、これらを文字にするときは仮名文字に若干の漢語を加えた漢字と仮名のまじり文が使われるようになった。しかし文字はあくまでも漢字が正しい字で、仮名は仮のものとして一段低く見られていたに違いない。漢字を意味するまな真名、仮の字のかな仮名という名づけ方からも、それはわかる。
 しかし漢字仮名まじり文を使いこなした女たちは、生活実感のこもった文章表現力をみがき、「源氏物語」などのすぐれた物語文学を誕生させた。日本語は彼女たちの活躍によって、その豊かな表現力のもっとも良質な部分を後世に伝えることができたと言ってもいいだろう。ただ惜しむらくは、物語文学はその性格上、人間にまつわる情緒の表現に重きが置かれて、そのごい語彙にもかたよ偏りがあり、人間生活のすべてをカバーすることはできなかった。
 じつはここに、漢字の輸入が悲劇だったことの最大の理由がある。漢文の魅力に取りつかれた男たちは、「やまと言葉」を発達させることをすっかり忘れてしまった。とくにエリートの守備範囲だった政治、経済、科学などの分野では、すべてを漢語で表記するのが正式ということになって、「やまと言葉」の衰退は決定的となった。
 もしも日本語が漢字と出会わなかったらどうなっていたか、それを想像することは難しい。人体について、「め」「はな」「くち」「はら」などの基本語は持っていた日本人が、自前で解剖学を手がけるようになったとき、「はらわた」をくわしく区別するために、どんな言葉を発明しただろうか。ローマ字系の文字に出会っていたら、「やまと言葉」をかなり高度に発達させることができただろうが、今となっては、ただ役に立たない想像をめぐらすことができるだけである。
 こうして私たちが今使っている日本語ができあがった。私たちは、ひらがなを多く使って、和語中心の柔らかな感じの文を書くこともできるし、意図的に漢語を多くして、硬い感じの威厳ありげな文を書くこともできる。それは日本語の魅力であって、同時に難点でもある。そしてどちらも真実なのである。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)


おじいちゃんの書き置き・103

(第10章 漢字と日本語、英語と世界語)

漢文という不思議な読み物
 
中国との交流を始めた日本の指導者層は、漢字文化の習得につとめて、日本国内の公文書も漢文で書くようになった。漢文は文字の通りに中国文の意味だから、これは公用語に中国語を採用したことになる。ところがここに抜け穴があって、単語の意味も音もそのまま輸入したのに、文法だけは古来の日本語を変えようとはしなかった。これは漢字が表意文字だからこそできたことで、ヨーロッパ系の言語では考えられないことである。
 漢文がいかに不思議な表現法で成り立っているかは、英語を漢文の方式で読んだらどうなるかを考えるとよくわかる。たとえば I go to school. は、返り点と送りガナを加えて、「 Iハ school へ (toにふりがな)goス」と読むのである。冗談のようだが、明治時代の初期には実際にこの方式で英語を教えようとしたことがある。単語の意味さえわかれば、これでも英文を読むことはできるのだ。ただし英米人に通じるわけはない。
 話を漢文にもどすと、漢字の行列に返り点や一二三、上中下などの記号をつけるのは、中国語と日本語とでは語順つまり文法が違うからである。だから漢文は日本語の一種なのだが、その内容は漢語の羅列で構成されている。ここから、本来は外国語だった漢語が、日本語の一部であるかのようなあいまいさが生まれてきた。さらに一部の漢字は、その意味をとって日本語つまり訓を当てて読むことが習慣になったので、問題は余計に複雑になった。同じ漢字たとえば「東」を、漢文の中では「トウ」と読み、和文の中では「ひがし」というように、場面によって読みわけなければならなくなったのである。現代の小学生をも悩ませる漢字の難しさ、いくら覚えても覚えきれない複雑さがここから始まった。
 漢字の本来の音声は、直接に中国人から聞いて覚えた初代の留学生から遠ざかるにつれて、日本的に変形して行った。いちばん重要な変化は、発音する時の声調の違いによる「四声」の区別が消えてしまったことである。その結果、たとえば「コウ」と読む漢字は中国では四種類に区別されるのに、日本ではただ一種類で、同音の文字数が四倍に増えることになった。たいしたことではないと思われるかもしれないが、二字三字と重ねる熟語がどうなるかを考えたら、事の重大さがわかるだろう。二字の漢語は四声を二回組み合わせるから十六通りの区別ができる。三字ならば六十四通りが区別できる。それなのに、日本人の発音では、すべてが同じになってしまうのだ。
 現代の日本語で同音異義語の数がいちばん多いのは、おそらく「コウショウ」という言葉だろう。手もとの「広辞苑」を引くと、この見出しで四十九の項目が立っている。これでよく会話が成り立つものだと思うが、文脈からの推測と、必要なら「公の傷の公傷です」などと、文字を思い浮かべることで用を足しているのである。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)


おじいちゃんの書き置き・102

(第10章 漢字と日本語、英語と世界語)

漢字と日本語
 
 日本人が漢字と出会ったのは、不運な歴史の始まりだった。隣の国がたまたま中国だったおかげで漢字を輸入してしまったのだが、じつはこれが、日本語を書き表すにはもっとも都合の悪い文字だったのだ。もしも日本の隣国がアメリカだったら、日本人は苦もなくローマ字表記を開発して、その後の日本語を順調に発展させたことだろう。
 中国の人たちは、かなり早い時期から言葉を文字で書き表すことを始めていた。その際に、意味を持つ一語を一つの文字で表す表意文字を発達させた。表意文字つまり漢字は、それ自体が意味を持っているから、発音が多少ぶれても文字さえ見れば意味は正しく通じる。中国で漢字が発達したのは、広い国土に早い時期から政治権力が成立したことと関係がありそうである。ともかく中国は、今の世界では少数派の表意文字の国になった。
 漢字は意味を正しく伝えるのが長所だが、伝えたい意味内容の高度化とともに際限なく文字数が増えて行くことが短所になる。その短所を補うために、部首による文字の系統化と、複数の文字を連ねる漢語が発達した。
 大和朝廷が成立するまで、日本には文字がなかった。だから大事なことは語り部と呼ばれる専門職の者が話として記憶することになっていた。数字とか国の名とか、多少は記号のようなものは使ったかもしれないが、漢字以前の「やまと文字」の確認されたものは残っていない。しかしそれは必ずしも文化の低さを意味しない。漢字が輸入されてすぐに記録された万葉集の表現の豊かさを見ても、それはわかる。
 言葉を文字で書き表すことを学んだ日本人の前には、漢字しか文字がなかった。だから「やまと言葉」を漢字の音だけを借りて書いてみたのだが、日本語の一つの音に対して一つの文字を当てて行くのでは能率が悪いことこの上ない。「いのち」は「伊能知」、「おほみや」は「於保美也」と、短い言葉も難しい漢字の行列になってしまう。それに日本語の音を表すには五十字もあれば足りるのだから、字の種類が多いのはかえって混乱のもとになる。そこで比較的早く特定の漢字の省略と記号化が進んだ。それが今も使われている「ひらがな」と「カタカナ」である。これこそ日本人の創意工夫による大発明だった。
 だが、事はそれほど簡単ではなかった。日本語の表記のためなら「かな文字」を発明しただけで済んだ筈なのに、漢字文化があまりにも魅力的であり過ぎたのである。漢字の読み書きを覚えた日本人は、その豊かで正確な表現力にすっかり圧倒されてしまった。そして漢字の音を借りるだけでなく、その意味も表現内容も、つまりは漢字文化を丸ごと輸入して使い始めてしまったのである。そのかげで発展途上だった「やまと言葉」は健全に発達する機会を失ってしまった。一種の文化侵略が始まったのである。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)

おじいちゃんの書き置き・101

(第9章 科学技術と人間)

パソコンの前で考える

 私はいまパソコン画面を見ながらこの原稿を書いている。少年期の私には想像もできなかったことである。少年期の思い出は懐かしい。テレビもビデオも便利な電化製品もなかったが、そこには充実した日常と濃密な人間関係があった。サムエル・バトラーが、小説の中で「一世代ほど前の生活」への回帰を描いた気持がよくわかる。
 しかし孫たちはパソコンを日常のものとして育っている。私もこんなに便利なものを手放す気は毛頭ない。コンピューターはすでに人間の頭脳に近い能力を備えていると言われる。二進法の電気信号の積み重ねで、よくそんなことまで出来るものだと思ったが、何のことはない、脳細胞がやっていることと同じなのだそうだ。私はパソコンの使い方のほんの小部分を習得するので精一杯だが、こういう機械を開発する人間がいるということが、私には別世界の話のように思われる。
 ところが小学校に通う孫たちが受けている教育は、私たちの小学生時代とあまり変っていないようだ。大量の計算問題と格闘したり、歴史年代の暗記に没頭したりしている。頭のトレーニングに有益ではあるだろうが、学ぶ楽しさ、生きる楽しさを実感できているのかどうか、少し気になる。現代のよき社会人になるための「読み、書き、そろばん」は何なのだろう。電卓やパソコンはいつでも自由に使えることを前提にして、その上で何をするかを考える勉強は、誰がいつ教えることになるのだろうか。
 科学技術の発達で、人間の何が変り何が変らなかったのか。生きものとしての人間が、この数百年でほとんど変っていないことは確かである。身体だけではない、頭脳の中の古い部分である本能、情感なども変らぬままだろう。変ったのは表層の新しい部分に蓄えられる知識だけである。その知識の源泉は、私たちの時代には、もっぱら読書だった。今はそれにパソコンやインターネットが加わっている。インターネットは読書よりも早く最新知識の吸収を可能にする。大切なのはその知識を何に使うかということだ。
 ここまで科学技術を発達させた先人たちは、何を目的にして新しいものを世に送り出したのだろう。こうすればもっと良くなると、一つひとつ夢を実現したのではなかったか。新兵器を開発した人間さえも、人を不幸にしようとしたのではあるまい。味方の人たちの幸せを守るために役に立つと思ったからそうしたのだ。つまり人間は幸せになるために科学技術を発達させてきた。だから人間を不幸にする科学技術に対しては、自信をもって制限を加えてよいのである。また同じ科学技術が、使いようによって人間を幸せにも不幸にもする場合がある。その見きわめをすることが人間がなすべき永遠の仕事なのだ。人間が幸せになれる条件は、昔も今も変っていないのだから。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)

おじいちゃんの書き置き・100

(第9章 科学技術と人間)

地球の定員は何人か

 世界の人口は二〇〇一年時点ですでに六十億人を超えたと言われている。国連の推計では、二〇五〇年には九十六億人になるとする資料もある。いずれ百億人の大台に達することも避けられそうもない。地球は大丈夫だろうか。
 居住可能な人間の数は、一人当りの水の使用量とエネルギーの消費量で決まる。世界中の人が今のアメリカ人なみの生活をしようとすると地球の定員は二十億人、日本人なみなら定員は五十億人と聞いたことがある。世界を平均したら、今の日本の生活水準もぜいたく過ぎることになるのだ。水の使用量とは家庭で使う水だけのことではない。たとえば牛肉を食べると、牛の飼料になる穀物を育てるための水も消費することになるから、水が豊富そうな日本もじつは水の輸入国だと聞いて驚いたことがある。
 また動物学者の立場で考えると、人間のような大型動物が、単一の種として五十億にも繁殖するとはぜんだい前代みもん未聞で、ほとんどありえない異常事態なのだそうだ。人間の働きによる自然改造が、それほど大きく進んだということを示している。
 とにかく定員が限られているなら生活水準を下げるしかない。私が生きてきた一世代を考えてみても、ずいぶん浪費的になったという反省はある。しかしいまの生活の中から、たとえばシャワーつきの水洗トイレや毎日の入浴をやめることは苦痛だと思う。エアコンやテレビ、パソコンなども必需品になっている。私はこれらのものがなかった時代を知っているから、いざとなればなくても生きて行けると思うが、子供たち孫たちは絶対にいやだと言うだろう。孫が成人するころには、さらに新しい必需品が加わっている可能性もある。生活水準を下げることは、人間の生きる意欲に逆らうから難しい。
 しかし対策がないわけではない。私が使う水のうち、飲んで消費するのはごく一部でしかない。あとの水は適宜に循環させれば何回でも使うことができる。食事の肉食の一部を穀物製品に替えるだけで、大量の水とエネルギーを節約することになる。公共の交通手段が充実していれば、自家用自動車の使用を大幅に減らしても困ることはない。
 これからの科学技術は、省エネルギーや水の節約に向けて大きく発展すべきだろう。地球の定員はそれによって柔軟に変動するから、固定した定員を考えてもあまり意味がないのである。それにしても、人間の生活水準は過度に高くしない方がいいと私は思う。そして人口も、過度に多くない適正な水準があるように思う。自然とのふれあいを残す簡素な生活の魅力を失いたくないものである。日本の適正人口は、せいぜい七千万人ぐらいだという説を、敗戦直後に聞いたことがあるが、私は国内を旅してみて、今でもそのあたりが程よいところではないかと思っている。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)

おじいちゃんの書き置き・99

(第9章 科学技術と人間)

地球維持の技術へ 
 
 世界の地下資源には限りがあって、今のペースで消費するとあと何年分という資料などを見ると、ちょっと心細い気分になるのは私だけではないだろう。資源が少なくなれば価格が上がり、探査や採掘が活発化するが、それでもいずれこかつ枯渇することは知れている。
 ところで資源を消費すると言っても、物理学の初歩では物質は形を変えることはあっても消滅することはないと教えられた。これはどうしたことだろう。
 代表的な金属の鉄の場合、現在新しく作られる鉄の原料は、七割が鉄鉱石で三割がスクラップである。だから鉄のリサイクル率は三十パーセントになる。すると七十パーセントの鉄は使い捨てられていると思う人が多いだろうが、それは違う。大半の鉄は建造物や各種の製品として人間社会に蓄積され続けているのである。ゴミ捨て場で錆びて酸化鉄になるのは、全体から見ればごく少量と推定されている。こう考えるとリサイクルの大切さがよくわかる。人間にとって必要な量の鉄を確保したら、あとは上手に使い回せば、半永久的に地下資源の枯渇を心配する必要はないのだ。
 ところがリサイクルのきかない地下資源もある。石油は燃料として消費されれば二酸化炭素となって空気中に放出される。各種のプラスチック製品になる場合もあるが、これも数回はリサイクルするとしても、いずれはゴミとして焼却されるか、地中に埋められても時間をかけて二酸化炭素になって終る一方通行になる。もともと石油は植物が空中の二酸化炭素をこうごうせい光合成したものだから、この成り行きは仕方がない。完全なリサイクルを考えるなら、植物系(バイオマス)のプラスチックに切り替えることである。
 物としての資源よりも重要なのは、エネルギー資源の方である。鉄のリサイクルにしても、大量のエネルギーを必要とする。これを長年石油と石炭に頼ってきたのだが、二十一世紀の半ばには石油の枯渇が現実の問題になることは間違いない。それまでに太陽光・太陽熱をエネルギー資源とする技術が間に合うかどうかに、人類の運命は大きく左右されるだろう。原子力の利用という道もあるが、安全性と、地球環境に新しい熱源を持ち込むという両面で好ましいものではない。地球に降り注ぐ太陽エネルギーを利用する方が、地球環境を維持するために望ましいのである。
 石油もある日突然になくなるわけではない。それまでに各種の代替エネルギーの開発や省エネルギーの技術が開発されるだろう。地球の温暖化も確実に進行するだろうが、これも予測可能で時間をかけてやってくる。人間は個人としても種としても、高い適応力を備えた生きものである。だからここまで栄えてきた。人類共通の危機に対しては、強者生存の闘争におちい陥ることなく、協力して対応することができると信じたい。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
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