志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

あなたの孫が幸せであるために

あとがきと予告(通算93)

あとがき

前著「おじいちゃんの書き置き」の最後に、私は
「これは最後の一冊のつもりだったが、そうではなかった
複雑に分解して行くように見える現代の世の中で
人間の『知の統合』をめざす最初の一冊になる」
と予告しました。そうして二冊目として書いたのがこの本です。
 この本では世界の未来を考えました。「あなたの孫が幸せであるために」と題したのは、この問題を身近なこととして感じていただきたかったからです。あなたが若い世代なら、まだ生まれていないあなたの孫は、百年先の時代を生きるでしょう。その孫の幸せを考えることができたら、あなたの今の生活は、もっと落ち着いた、希望の持てるものにならないでしょうか。……
 
以上でブログ上に連載した「あなたの孫が幸せであるために」を終ります。
ここまでお読みくださって、ありがとうございます。
私の思い描いた世界観を、一度は書いておきたいと思ったら、こんなものになりました。
荒唐無稽は承知の上で、こういう世界なら納得できるというものを書いてみました。
お読みになった方が、この中のどんな部分でも、覚えていた下さったら幸せです。
理想を描くことなしには、現在を批判する力は生まれないと思うからです。

この次には、「70代からの情報革命」というのを書いてみたいと思います。2005年の末に、わけがわからぬままにブログを始めて以来の、私の生活やものの考え方の変化を、経験したことを時系列に思い出しながら辿ってみたいと思います。書き溜めた原稿はないので、すべて一回ごとの書き下ろしになります。70代以降の私の人生に、思いもかけぬ刺激と発想の転換を持ち込んだ「情報化社会」の正体は、いったい何であるのか、それは将来の人間社会にどう位置づけられるのか、考えてみたいと思います。
 これまでおつきあいいただいたブログ友の皆さんからも、途中で随時コメントをいただきたいと思います。コメントを貰うことで自分の発想がふくらむ実感を、これまでに何度も経験しました。そういう相互作用がブログの大きな特長の一つだと思います。その意味からも、どうぞ応援をよろしくお願いいたします。






人類百世紀の概観(通算92)

人類は新人類へ飛躍するか

 五十世紀から百世紀の終りまで、五千年という長い時間経過があるのですが、その間に特に記述しておきたいような大事件がないのはどうしたことでしょうか。もちろん正規の歴史記録はあるのですが、それらはおしなべて人事記録であり、固有名詞が並んでいるだけの退屈きわまりない読み物です。その時代の人には誰が大統領であるかは大事な情報でしょうが、歴史を流れと見る立場では、「この間に特記事項なし」で終ってしまいます。
 今にして思えば、人類の先史時代が、やはり同じような状態だったのでしょう。一万年近くも同じような生活を続ける中で、残された記録こそありませんが、多くの人々が登場し、去って行ったに違いないのです。
 五千年の平穏な年数を重ねてきた今、人類すべてを覆っているのは、言いようのない閉塞感と、あきらめの気分です。日常のニュースには、事故や犯罪さえもほとんど登場しなくなりました。哲学者は「罪を犯す気力さえ失った人類の危機」を論じています。来年は百世紀の最後の年ということで、一種の回顧ブームがあり、二十世紀の記録が見直されています。当時繰り返されていた戦争について、改めて関心が掘り起こされ、戦争の時代にあこがれを感じるという人も少なくありません。ただし現実に戦争が起こされる可能性は皆無で、現在の世界には戦争につながるような動機が何もありません。もし無理やり戦争を始めようとしても、武器もなければ戦い方のノウハウも失われているのです。
 それよりも、私の心に忍び寄ってくるのは、人類が何か根本的な変化を起こしそうな漠然とした不安です。気になるニュースと言えば、長らく禁じられていた人間の遺伝子組み替えを提唱する学者が現れたということです。人間の何をどのように変えたいのか、主張の内容は明快ではありませんが、要するにここで人類を再生させなければ、じり貧で自然死を待つだけの無価値な生物で終ってしまう、ということのようです。私は人類が自然死するのは当然であり幸せなことだとさえ思うのですが、もっと特別な使命を果たすような役割を、人類に負わせたいと考える人たちもいるのでしょう。
 人類全体は何のためにあるのかという問いは、宇宙は何のためにあるのかという根源的な問いかけと重なります。遺伝子を操作すれば解決できるとは、私は思いません。もしも遺伝子組み替えが次の世代から始まれば、私は現人類の歴史を書くことのできる最後の人間ということになるのでしょう。
 百世紀を生き抜いた人類を、私は充分に価値ある存在だと思います。私の愛する家族も子孫も知人たちも、みなその中にいます。先祖から伝わる生命を守り、愛する人たちとともに力を尽くした人生を誇りとしつつ、私は人類の未来を祝福します。


人類百世紀の概観(通算91)

人間の暮らし今と昔

 三十一世紀以降、人類は長く続く安定期に入りました。人口が増えないということは、人間の暮らし方を根本的に保守的にすることが証明されました。子供の世代と親の世代で人数が同じならば、新しい家を建てる必要がなくなります。少しずつ手直ししながら使いつづけて、物理的に使えなくなる百年に一度ぐらいのサイクルで同じ場所に建て直せばよいのです。生活の手段も同じことで、自営業はもちろん賃労働でも、親のしていることを代々引き継いで行けば、基本的に問題はないのです。
 ふつうの生活をするためだけでも昔は競争しなければならなかったなどと、今の若者に話して聞かせても信じては貰えないでしょう。八千年前の人類について多少の興味は持つとしても、八千年前の人類と同じように行動すべきだなどと思う筈がありません。
 安定期に入ってからは、経済活動もすっかり落ち着きました。科学技術の面では二十二世紀に核融合を利用した発電が実用化して、当時のエネルギー危機を救うのに活躍したのですが、結局は後の世紀までは続きませんでした。太陽光発電が安全で扱いやすくなり、大規模発電の需要そのものが減少したこともあって、エネルギー問題は人類の大きな関心事ではなくなりました。経済成長が豊かな生活のために必要だとする思想も過去のものになりました。需要と供給は経験則から一定の水準がきわめて安定的に維持されて、生産は二十世紀に提唱された社会主義の計画経済とよく似たものになりました。
 そんな中でも、時には野心的な人物が現れて新しい商品を開発することもあり、現に立志伝中の人物は安定期にも何人もいるのですが、総じて文化的あるいは遊びと飾りの分野のものが多く、生産システムの根幹にかかわるような例は、非常にまれ希です。
 人間の移動手段も、二十世紀に確立した技術は基本的にその後も継承されました。近距離は自動車、中距離は鉄道、遠距離は飛行機という使い分けは一貫しています。自動車も飛行機も、燃料は植物系になり、大気汚染の心配はなくなりました。総じて安全性も向上したのですが、自動車事故はいまだに根絶できていません。
 一方、文明生活を批判して自然を尊重する運動も、底流として一定の力を持ちつづけました。陸地面積の三割に自然林を復活して人間の管理外に置く計画は、三十世紀代の半ばに実現したのですが、この自然林の中にあえて生活の場を求め、電気のない生活を送る「自然回帰運動」は、イベントとしても人気を集めました。その教育効果も実証されて、義務教育に積極的に組み込まれる時期もあったと記録されています。
 このように安定期の確立と、その安定期に人類を適応させるための各種の試みが行われたのが、五十世紀頃までであったと概観することができるでしょう。


人類百世紀の概観(通算90)

平和と安全の代償

 世界連邦の成立当時、平和は最優先で守るべき絶対的な価値でした。戦争とテロ攻撃の恐怖に疲れ果てていた人類は、永続する平和への最後の望みを託して世界連邦の結成へと向かったのでした。曲がりなりにもそれが実現した後も、人口百億人時代には世界の緊張は続いていたと言えます。事実、加盟各国の軍備は、世界連邦議会での度重なる決議にもかかわらず、二十二世紀末までは全くと言っていいほど削減されなかったのです。ただ救いは、新兵器の開発を凍結する協定がかなりよく守られたことと、形式的にもせよ最高の指揮権が世界連邦軍総司令官に委譲されていたために、安易な軍事力の行使が抑制されたことでした。中でも特筆すべき成果は、核兵器の全面的な解体が二十二世紀の早いうちに実現したことです。
 二十一世紀末のテロによる世界連邦政府ビルの爆破は、全世界に激しい衝撃を与えたのですが、とりわけ直接に惨劇の舞台となったアメリカ国民の受けた衝撃は、二〇〇一年の同時多発テロよりも比較にならないほど大きなものでした。ヒロシマやナガサキの悲劇を遠い国の昔話と思っていた人たちは、原爆の悲惨をニューヨークの真ん中で見たのです。
最大の核保有国だったアメリカの世論は、これを境に大きく核兵器の廃絶へと動き出しました。理由は何であれ、核兵器が使われない最善の方策は、核兵器をなくすことだという当然の議論が、ようやく市民権を得たのでした。
 二十三世紀に入り人口減少の時代になると、軍備の削減も本格的に進むようになりました。この頃に採用されたのが「デスカレート理論」でした。軍備は隣国に脅威を与えない程度とする、というものです。この理論を採用すると、隣国との間で軍備削減の競争が起こるのでした。そして三十世紀に近づく頃には各国別の軍備は警察力程度となり、世界連邦の警察軍が戦力的にも加盟各国の軍事力を上回るようになりました。
 こうして戦争の影は世界から遠ざかって行ったのですが、意外な反動が社会文化の面から現れました。闘争本能を抑圧された人類は活力を失って滅亡に向かうというのです。この議論は現代にも続いていますが、デスカレートの時代に若干の行き過ぎがあったことは事実です。たとえばスポーツのボクシングは、暴力的であるという理由で長く禁止されていました。相手に物理的な打撃を与えダウンさせるというルールが問題視されたのです。しかしスポーツで闘争本能を発散させるのは健康的であるという見直しが行われた結果、ボクシングは三十一世紀からオリンピック種目としても復活しました。
 それにしても、平和の続く世の中が緊張感を失うことは事実です。人類が戦争をしていた時代の記録は、文学の中でも映像の世界でも、百世紀の今も人気を集めています。


人類百世紀の概観(通算89)

一つになった世界の言語

 エスペラントは当初から世界の共通補助言語として開発されました。世界の言語に取って代わることを意図せず、共通の補助語に徹するところにエスペラントの真価があったのでした。ですから世界連邦がエスペラントを公用語の一つとして公認してからも、エスペラントを母語として使う人々が現れることを想定していませんでした。ユネスコの委員会がエスペラントにかなり大胆な改良を加え、単語の数を大幅に減らしたのも、人造語であるからこそ理想的な改造ができたのでした。
 ところがエスペラントが実際に導入されてみると、その合理性と便利さが人々を魅了して、予想よりも早く世界連邦唯一の公用語の地位を獲得することになりました。一切の翻訳と通訳が不要となって、世界連邦の事務能率が格段に向上したことは言うまでもありません。ところが二十二世紀になると、エスペラントがあまりにも便利であるために、エスペラントを母語にしてしまう例がアフリカから報告されるようになりました。生まれたときからエスペラントしか知らない人たちが出現したのです。
 こうなると実際に母語としてエスペラントを話す人たちの言葉をどう扱うかが問題になってきます。人造語であれば公式の辞書と文法書に従わせればよいだけの話ですが、実際に通用する表現を「方言」として認めるかどうか、認めればエスペラントの長所である合理性を損なうことになりかねません。逆に方言を禁止すれば、実際に使われている言語に介入することになります。難しい論争になりましたが、若干の許容範囲を委員会が決定する枠内で認めるという、苦渋の結論になりました。
 それにしても、エスペラントの採用は世界の文化交流の促進に絶大な威力を発揮しました。とくにコンピューターにエスペラントの情報を蓄積することにより、それをベースとして各国語へ翻訳する、あるいはその逆方向に翻訳する技術の確立は、言語の違いをほとんど意識させないほどの正確さとスピードを可能にしました。
 今では世界を舞台に活躍する人たちは、エスペラントで読み書きする時間が生活の九割以上を占めるようになったと言われます。また、国際結婚で家庭内の言葉をエスペラントにすることは、当初はけいべつ軽蔑される行為だったのですが、今では抵抗を感じないと言う人たちの方が多数を占めるようになりました。
 時代のすうせい趨勢としてエスペラントが大多数の人の日常に使う言語になったのであれば、今後は自然言語と同様に、方言や俗語の存在も認めざるをえないだろうと、私も思います。伝統的自然言語のいくつかは死語になって行くでしょうが、すべての文化のすべての文献は、エスペラントとしてデータ・ベース化が完了しています。


人類百世紀の概観(通算88)

人口安定までの十世紀

 首都が広島に移ってから、世界連邦はようやく名実ともに連邦国家の役割を果たせるようになりました。独立機関の性格を残していたユネスコ、ILO、IMFなどの各種機関も、首相が統率する内閣の機関として、担当閣僚の指揮下に入りました。
 加盟各国の国内法を世界連邦憲法に合致させることも厳格に守られるようになり、世界連邦裁判所の命令によって、不合理な法律は世界各地で次々に無効を宣告されました。イスラム圏における宗教と教育の分離もしだいに進み、イスラム教内部からの改革も手伝って、イスラム教徒も他宗教の人たちと違和感なく共同生活を送れるようになりました。一日に五回のメッカに向けての礼拝も、二十五世紀頃までには聖職者だけの勤めになったようです。イスラエルでもユダヤ教徒とイスラム教徒の歴史的な和解が成り、エルサレムの共同管理が確認されました。ヨルダン川西岸地区については、パレスチナに返還することを基本に、ユダヤ人の居住も排除しないことで決着しました。
 二十一世紀に百億人を突破した世界の人口は、ほぼ静止した状態で百年近く継続し、二十二世紀の中頃からようやくゆるやかな減少に向かいました。この百億人時代が、地球環境にとって重荷であったことは明らかです。エネルギーの供給は常にひっぱく逼迫した状態で、当時の技術で採掘可能だった石油は、二十二世紀初頭には完全な枯渇状態となりました。森林の回復も計画通りには進まず、二十一世紀中は伐採面積の方が上回る状態で、二十二世紀になって現状維持が可能になり、本格的な森林の再生は、結局二十三世紀に先送りされました。このため海水面の上昇は一メートルを超え、多くの地域で海岸線は後退を余儀なくされました。東南アジアだけで二億人が移住を強いられたと言われます。
 世界の人種の混合は、移住の自由が大幅に認められてからも、予想されたほどには進みませんでした。とくにヨーロッパでは民族意識が強く残り、八千年後の今日までその痕跡を残しているのは驚くべきことです。結果として、かつて世界の文化をリードしたドイツもフランスも、今では独特の言語と文化を伝承する少数民族となっています。
 二十三世紀以降は、人口の減少は順調に進みました。ここから三十世紀に至る長い人口減少時代は、人類史の中でも特異な位置を占めています。この期間は社会が縮小再生産を繰り返す時代でした。人口の減少が社会の荒廃を招かず、逆に社会の豊かさをもたらすような大規模なスクラップ・アンド・ビルドの技法は、この時代の産物です。リサイクルが徹底して、地下資源の採掘量が劇的に減少したのもこの時代の特徴です。
 こうして世界の総人口は、三十世紀までに現在と同じ二十億人の水準となり、以降、数億人の範囲で変動はあるものの、同水準を維持しながら現在に至っているのです。


人類百世紀の概観(通算87)

二十一世紀のドラマ

 二十一世紀は後に「ドラマチックな」という形容詞をつけて呼ばれるようになりました。アメリカは一変して世界連邦建設の強力な推進者となりました。破綻国家とまで呼ばれて誇りと自信を失いかけていたアメリカ国民は、世界連邦建設に新しい夢を見たのです。動き出してからの世界連邦構想は、中小諸国の圧倒的な支持のもとにアメリカを国連総会における多数派の盟主にしました。頑強に慎重論を唱えたのは、むしろEU加盟の諸国でした。世界連邦におけるEUの地位が不透明だったからです。
 世界連邦は結局、国連と大差のない、非常にゆるやかな連合組織として結成されることになりました。施設も国連のものをそのまま使い、加盟国は独立国とほとんど変らない大幅な自治権を認められることになりました。国連総会は世界連邦議会と呼ばれ、事務総長は首相と呼ばれ、名誉職の世界大統領も置かれましたが、要するに「看板をかけ替えただけの安上がりな世界連邦」との陰口は、甘んじて受けなければなりませんでした。
 しかし、世界連邦議会が立法機能を持ったことは、徐々に世界連邦を力強い組織に変えて行くことを可能にしました。結成から五年でエスペラントを世界連邦の公用語に追加することが認められました。導入されてからはその便利さが実証されて、三年もたたないうちに世界連邦の内部ではエスペラントだけですべての用が足りるようになりました。通貨の共通化と、世界の軍隊を世界連邦軍総司令官の指揮下に置くことは、世界連邦の結成から十年後に実現しました。
 年表の上では順調に発展したように見える世界連邦ですが、二十一世紀後半に最初で最大の危機を迎えることになりました。原因は世界人口の増加と、地域によるその極端な偏在でした。世界連邦議会では人口比例の議員数の増加で中国とインドが大国となり、議決権を制限しようとするアメリカとの間で対立が日常化してきました。人口が減少する旧先進国地域への移民流入の圧力は非常に大きなものになり、社会の不安定化を恐れる受け入れ制限は、絶え間のない紛争の種になりました。
 こうした不安の頂点で、ついにクーデターが決行されました。世界連邦に不満を持ち、再び自由な自治を要求する白人グループが決起したのです。彼らは核爆弾を世界連邦ビルに装着し、大統領以下の多数を人質として立てこもりました。しかし、拘束を免れていたアメリカ出身の副大統領は、一カ月に及ぶ交渉の末に、実力による鎮圧を決断しました。結果は悲劇的でした。世界連邦ビルは大半の職員とともに消え失せ、マンハツタン島は壊滅して、十万あまりの人命が失われました。
 それから二年後、新しい世界連邦ビルは、日本の広島に再建されたのです。


人類百世紀の概観(通算86)

転換点となった紀元二千年

 紀元二千年は、人類の発展期から安定期への、重要な転換点と位置づけることができます。まず、この頃を境として人類は大規模な戦争をしなくなりました。核兵器も、第二次世界大戦末期の日本に対する二発と、二十一世紀末の偶発的な一発の他は、使用されずに解体されました。しかし二十一世紀中には戦争の危機は何度もあり、大規模戦争に突入しないで済んだのは、幸運と言うほかはありません。
 改めて二十一世紀初頭の世界を振り返ってみると、経済活動がグローバル化して各国政府の制御能力が低下しているにもかかわらず、世界政府の統治能力がまだ確立していないという、非常に不安定な状態にあったと言うことができます。また軍事面から見ると、超大国アメリカの軍事力が突出していて、その意味では安定的なのですが、それは「アメリカによるアメリカのための安定」だった点に、最大の危険をはらんでいました。
 人口問題、環境問題については、先進諸国の人口は静止の状態を超えてすでに減少の方向に転じており、社会の活力の低下が不安材料になっていました。その一方で環境問題に対する取り組みは遅々として進まず、温暖化ガス規制についての国際協定さえ、アメリカの脱退で実行は絶望的な状況に追い込まれていました。そんな中で二〇〇五年秋にはアメリカ南部が相次ぐ大型ハリケーンに襲われて大きな被害を出すなど、地球環境の不気味な変化を予感させるような出来事もありました。
 しかしながら経済界は依然として成長を指向する体質を改めることなく、中国・アジアやインドを若い市場・工場として育成することに熱心で、世界の自動車生産台数は年ごとに記録を更新しつづけていました。当然の結果として石油に対する需要は高まる一方となり、価格が史上最高値となってなお増産を求めるような状況でした。
 こうした状況を総合的に判断すれば、人類が国家単位の統治の下にあっては根本的な問題を解決できなくなっていることが明らかでした。また国連も、イラクへの派兵問題でアメリカの独走により権威を失い、意思決定の方法を抜本的に改めなければならないことが明らかになってきました。国連改革の問題意識は、こうして世界連邦待望論へと発展して行ったのです。そのきっかけが、しばしば国連と対立してきたアメリカの誤算から生まれたことは歴史の皮肉と言うほかはありません。
 二十一世紀前半に「テロ支援国家」に対する制圧戦略に失敗したアメリカは、長年放置してきた赤字財政の矛盾が一気に噴出して、軍事的にも経済的にも、建国以来最大の破綻に直面しました。このときアメリカ国民は、世界と協調し、アメリカを世界の超大国ではなく、「世界各国の善良なパートナー」に変えようと唱えた大統領を選んだのです。


人類百世紀の概観(通算85)

国家全盛の二十世紀

 人類史上もっとも興味をそそる時代は二十世紀と言われますが、その特徴を一言で言えば、国家の全盛期だったと位置づけてよいと思います。
 生産力に裏付けられて国力を増した先進諸国は、十九世紀から二十世紀の初めにかけて世界分割の大競争を展開しました。競争の草刈場になったのは、おもにアジアとアフリカでした。この時期の先進国は、移民国家のアメリカを除いては、すべて民族国家でした。国家と国家の競争は、民族と民族の競争でもあったのです。この文脈の中で第一次世界大戦が戦われました。産業革命以後の戦争は、軍備ばかりでなく、後方の生産力や国民の戦意をも動員する総力戦になりました。さらに、科学技術を集中した兵器の開発競争が戦争の規模をますます大きくして行きました。
 こうした中では人間共通の価値観は埋没せざるをえません。社会思想として最大の政治的影響力を持った社会主義も、戦争の防止に対しては無力でした。国際的な階級の連帯よりも、各自が所属する国家の存亡の方が急務だったのです。しかしこうした中でも、国際赤十字などの人道的な活動は維持されましたし、戦後には非人道的な兵器の使用禁止なども協定されました。さらに戦争防止の期待をこめて国際連盟も結成されました。不徹底に終ったとは言え、これが世界連邦への最初の試みでした。
 第二次世界大戦も、基本的には先進諸国間の権力闘争でした。ただし日本、ドイツ、イタリアの枢軸国側には、出遅れた世界分割を再編するために軍事力の行使も止むをえないという意識があったのに対して、連合国側には、既得権の確保とともに、民主主義を守るという大義名分がありました。緒戦では枢軸国側の先制攻撃が効果をあげましたが、アメリカを中心とする連合国側の圧倒的な生産力の優位は、数年のうちに枢軸国側の軍事力を壊滅させました。戦後処理は、第一次大戦後の失敗を教訓として、敗戦国を民主主義国家として再建することを主眼とした、寛大なものになりました。
 第二次世界大戦後には、ソ連の共産主義体制とアメリカ・ヨーロッパの民主主義体制が対立する構図が続きましたが、それもやがてソ連の崩壊により終了しました。ソ連の政治体制は、社会主義の実現というよりも、前近代絶対主義に近いものだったのです。
 大規模な戦争は二十世紀の前半で終り、後半は空前の民生向上の期間となりました。アメリカを中心とする資本主義経済は急速に世界に浸透し、自動車の普及を一つの指標として各国国民の生活を大きく変えて行きました。医療の普及で世界の人口は爆発的に増加し始めましたが、食糧の生産もそれに応じて増加しました。その一方で国家の役割は相対的に小さなものになり、EU統合などの動きも出てきました。


人類百世紀の概観(通算84)

産業革命が人間を変えた

 十五世紀に入ると、印刷術や航海用羅針盤がヨーロッパで発明され、沈滞していた中世の文明社会に新しい刺激を与えました。宗教改革は印刷術の普及によって、大航海時代は羅針盤の開発によって、それぞれ可能になったのでした。宗教改革は古い権威を打破することにより、新しい科学技術の受け入れを容易にしました。十六世紀から十九世紀にかけて、ヨーロッパ諸国はアメリカ、アジア、そしてアフリカへと進出して行きました。ヨーロッパ人にとっては、それは「未開の地」の開発でしたが、人類は一万年も前から全世界に分布していたのですから、未開の地などがある筈がありません。多くの場合、ヨーロッパ人の進出は、先住民の滅亡や奴隷化、そして国土の植民地化を意味しました。
 十六世紀以降、ヨーロッパの科学技術は中国・アジアのそれを大きくりょうが凌駕するようになりました。科学技術の優位は、そのまま軍事力の優位となって世界を圧倒しました。これ以後、ヨーロッパ・キリスト教的な価値観が、すべての面で世界標準として通用するようになって行ったのです。
 ヨーロッパの世界制覇を、さらに確定的にしたのが十八世紀から始まった産業革命でした。生産力の飛躍的な向上は、農業時代とは比較にならない国力の格差を、国家間に作り出しました。いわゆる先進国の出現です。先進国の内部では、国民の生活にも大きな変化が起こりました。工場で働く多数の労働者が登場し、働く対価として得られる賃金で生活するようになったのです。こうして史上初めて君主と農民との間に、商工業従事者という大人数の中間層が出現しました。いわゆる市民の登場です。これと平行して、政治思想では民主主義が力を得るようになりました。
 産業革命以後、ヨーロッパの先進国では次々に王制が廃止されて行きました。革命によらず平和的に権力の委譲ができた国では、形式的に王制が残される例はありましたが、実質は市民が主役の政治体制が確立して行ったのです。国民は絶対権力を持つ指導者に支配されるのではなく、自分たちの意思で自分たちの未来を選べるようになりました。中でも新大陸に成立したアメリカは、古い歴史に縛られることもなく、新しい時代の産業国家の典型として発展することに成功しました。
 産業革命から二十世紀に入るまで、地球にはまだ無限の広がりがあるように思われていました。大陸の奥地や極地方への探検は、人類の領域を広げる夢の実現として賞賛されました。科学技術の発展も資本の蓄積も、大きければ大きいほどよいと考えられた幸せな時代でした。新しい発明品が次々に登場して人々の生活を変え、新しい生活様式がまた新しい需要を生み出して、生産の拡大を促して行きました。


人類百世紀の概観(通算83)

人類百世紀の終りに当って

 この章は九九九九年、百世紀が終る前年に身を置いて書くことにします。来年は百世紀最後の年、そして再来年は百一世紀に入るというので、いろいろ記念の行事が予定されているようです。私も百世紀までの歴史を概観して、私の考え方を具体的な形として理解していただくための資料にしたいと思います。
 地球の誕生は四十六億年前、そして生命の発生は四十億年前という説がありますから、意外に早い時期の誕生です。ただし酸素発生型光合成をする生物の出現は、ずっと後の二十七億年前になります。そして多細胞生物が現れるのは十億年前ですから、今の感覚で生物らしいものは、このあたりから進化を始めたと考えてもいいでしょう。
 五・五億年前には大気中の酸素が急増して、硬骨格生物が出現しました。四・五億年前になるとオゾン層が形成され、生物は上陸を開始しました。その後、生物の進化は加速度的に早くなります。恐竜が絶滅して哺乳類が台頭したのは六千五百万年前、そして人類が類人猿から分岐したのが四百万年前、現人類の直接の先祖の出現は、わずか二十万年前です。その人類が全世界に分布したのが二万二千年前で、この頃に最後の氷河期が終って気候が温暖になり、農耕が始まりました。そして一万五千年ほど前、メソポタミア、エジプト、中国、インドの四カ所で、ほぼ同時に文明が開花しました。
 現在も使われている西暦は、メソポタミアから始まったキリスト教を起源としていますが、大まかに言って、各文明が分立していた時代から、相互の交流で世界史が成立するようになった時代の始まりを、元年にしていると考えてもいいでしょう。とはいうものの、エジプト王朝は紀元前二千年より前に全盛期を迎え、紀元前に滅亡していますし、古代ギリシャ・ローマ文明も、中国の古典時代も、インドの仏教王国も、すべて紀元前の出来事です。ですから、人類の文明史の時間尺度としては、西暦紀元前二千年あたりを元年とする暦法がふさわしいのかもしれません。しかし今さらそんなことを言い出しては混乱が起こりますから、私も西暦に従うことにします。
 紀元後になっても、十四世紀頃までは、各地域の文明は基本的に相互に独立していました。十三世紀のモンゴル帝国による西方進出などの例はあり、また、遠い外国の存在は互いに知られていて、交易や技術の伝達なども行われていたのですが、それらが歴史の本流になることはありませんでした。どの歴史教科書を見ても、近代以前の世界史が、ヨーロッパ、アジアなど、各地域ごとに記述されているのはそのためです。
 全世界の人口はほぼ五億人で増減せず、科学技術の進歩は非常にゆっくりしたものでした。繰り返される戦争に使われる武器も、刀と槍と弓矢のままでした。


人間の幸せに奉仕する科学技術(通算82)

再び問う、人間の幸せとは

 人間の幸せに奉仕する科学技術を考える最後に、人間の幸せとは何かを、再度確かめておく必要がありそうです。私の定義によれば、人間とは「かなり高度な知能を持ち、自分の領域を広げることを喜びとし、仲間といっしょにいることを好む大型哺乳類動物」ということになります。自分の領域を広げようとするのも、仲間といっしょにいようとするのも、知能を持った動物としての、生存のための本能であろうと思います。
 ここから人間は文明への旅に出ました。私が学生時代に見た外国のマンガに、知恵のリンゴを食べたアダムとイブが楽園から追放される場面がありました。そこでアダムがイブを慰めて言うセリフが、「仕方がないよ、僕たちは過渡期にいるんだ」でした。人類は始まって以来、過渡期の連続でやってきた、今でもそうだというわけです。ニンジンを前にぶら下げられた馬のように、もうちょっと先にいいことがあるとだま騙されながら、歩きつづけて五千年、一休みできる安定期は来るのでしょうか。
 安定期と言えば、日本の江戸時代は三百年の太平の世と言われます。この江戸時代に、「しんき新奇はっと法度」という世界にも珍しい法令が幕府から出されています。新しい工夫をした道具類を作ることを、公式に禁止していたのです。外国との貿易停止やぜいたく禁止令と同じ発想の政策でしょうが、国内の安定のためには「新しいものは良いもの」ではなくて、その反対だったのです。
 現代に「新奇法度」は非現実的でしょうが、人間の「領域を広げたい」本能は、経済活動では国際巨大資本を、科学技術では強力な原水爆を作り出しました。それらはすでに人間の喜びの段階を通り越して、恐怖と嫌悪の対象にさえなりつつあります。本能のままの領域拡大は、地球そのものの大きさによって限界に達したのではないでしょうか。人間が
地球を飛び出して宇宙空間にまで拡大を続けるほど偉大な存在であるとは、私は信じません。ならば地球の上で幸せであり続けることを考えるべきです。
 仲間といっしょにいたい願いは、事故と戦争さえなければ、ほぼ満たされる世の中にすることができました。戦争の原動力となった「限りなく拡大したい欲望」の方を、戦争も地球の破壊もせずにどのように満たして行くかが、これからの科学技術の課題です。幸いにして人間は、理性と知性と人間愛を高めることに人生の喜びを感じられるようにもなりました。一部で心配されているように、コンピューターが人間の理性と知性と人間愛を弱めるような方向に利用されてはなりません。そうではなくて、人間についての好ましい情報をコンピューターに蓄積しながら、その助けを借りながら、人間の幸せを限りなく追求して行く旅路こそ、人類百世紀の歴史になって行くのです。


人間の幸せに奉仕する科学技術(通算81)

人間とコンピューターの共存

 コンピューターは人類の発明品としては新参者です。しかし、これほど人類の未来に大きな影響を与えそうなものはありません。人類は五千年もかけて営々と文明を築いてきましたが、そのすべての集積を呑み込む存在としてコンピューターは人間社会の一等席を占めてしまいました。それは最初は単なる電気による計算機でした。しかし、人間が考えることのすべてが計算に還元できること、それは人間の脳細胞がコンピューターと酷似した機能を持っているからであることが証明されるにつれて、コンピューターは人間の頭脳のもっとも信頼できる分身になったのでした。
 人間の頭脳が子供の誕生ごとにリセットされてゼロから始まるのに対して、コンピューターは容量さえあれば、人間が考えた最善の成果を、何世代分でも蓄積することができます。そこだけを見れば、人間の脳はコンピューターに劣るのではないかとさえ思います。しかしそれは、一人の人間の知識量を、図書館に詰め込まれている全知識量と比べようとするような、無意味なことなのかもしれません。
 コンピューターの特徴は、その価値のすべてが、抱えている情報であって、実体ではないということです。たとえば私が家を建てたいと思い、望んでいる大きさ、間取り、予算などをコンピューターに入力して、出された答えにまた細かい条件を加えたりして設計図を作ったとしても、実際の工事をするのは人間であり、工事中にも気に入らないところがあれば私は設計をその場で変更するでしょう。コンピューターは与えられた条件の中では最善の判断を出せるとしても、人間の感覚と決断には介入できないのです。
 人間がコンピューターを賢く使いこなして行く上で何よりも大切なのは、コンピューターに任せてよいことと、コンピューターに任せてはいけないこととの分別を、しっかりとつけることです。人間は人間の限界を知り、コンピューターの優れた計算能力と、愚直な正確さを大いに活用すべきです。それは人間の不確実性を、かなりの程度まで救ってくれる筈です。それと同時に、絶対にしてはならないのは、コンピューターを最終責任者にしてしまうことです。コンピューターは自分の中にある情報からしか判断ができません。しかし人間の脳細胞は、ふだんは使わない古い部分が突然活性化するような、予測できない部分をも持っています。これはコンピューターにはまね真似ができません。そして人間は自分が下した判断について責任をとることができますが、コンピューターは人間に対して責任をとることができないのです。人間がコンピューターの助けを借りなければ文明を維持できない、つまりコンピューターがあるからこそ人間になれる時代はもう始まっているような気がしますが、それでも人間はコンピューターの主人なのです。


人間の幸せに奉仕する科学技術(通算80)

科学技術と人間の生命

 科学技術は医療の世界でも大きな成果をあげてきました。どこの国でも中世までは人の平均寿命は二十五歳程度だったと推定されていますが、今の日本では男は七八・三二歳、女は八五・二三歳で、これは世界最高水準です。長い間人類を苦しめてきた疾病の多くは、医療技術の進歩とともに制圧され、最後まで残っている細胞の癌化現象も、そう遠くない将来に解明され、対策が確立しそうな勢いです。不慮の事故死は別として、人間の老衰による自然死までの限界時間は、百二十年程度であろうと言われています。
 各種の病原体は、有効な薬の開発によって次々に制圧されて行ったのですが、その一方でごく少数生き残った病原体が、薬に対する耐性を獲得するという、気になる現象も報告されています。人間と病原体が軍備拡張競争をしているようで、生物界はどこへ行っても同じだな、と思います。さらには突然変異の可能性も常にありますから、いつ、どこから新しい強力な病原体が出現するか、予測は不可能です。しかし、人類が一挙に死滅するようなことはなく、最悪でも一部の「耐性人間」は生き残ることでしょう。
 医療は外科の分野でも画期的な成果をあげるようになりました。切り落とした自分の腕の接合などは序の口で、他人の臓器の移植などはすでに実用の段階に入っていますし、部位を問わず、他人の組織の移植も、提供側の条件さえ整えば可能のようです。最近は事故死した他人から鼻と唇の提供を受け、顔を修復したという手術の成功例がニュースになっていました。顔全体ではないので許可されたということです。
 こうなるとユーモアさえ感じますが、人間の改造はどこまで許されるのでしょうか。今は他人から貰っていますが、次には自分の細胞を利用する再生医療が発達してくると予想されます。失った機能の回復という、生活の質の維持に役立つのなら、それは福音と言うべきでしょう。しかし超人的運動能力の獲得など、欲望を満たすための応用は、将来ともに許してはなりません。それは人間の堕落でしょう。
 それよりも人間の終り方について、深刻な考察をしておかなければなりません。医療技術の進歩で平均寿命が百歳を超え、最大の死亡原因が老衰自然死になったとしても、全員が最後まで人間らしい人格を維持していられるとは限りません。事故でも病変でも、脳に回復不能の損傷を生じた人が、生命維持装置によっていつまでも生きていたとしても、それが本人にとって、周囲の人たちにとって、望ましいことでしょうか。しかもそのような人の数は、ますます増加すると予想されます。個人の自由を尊重しながらも、人間が生きるということに対して医療が行うべき「終末医療」について、社会的な合意が必要になるでしょう。


人間の幸せに奉仕する科学技術(通算79)

人間の快適な生活とは

 便利なもの、役に立つもの、生活を楽にしてくれるものを求めて、人間は科学技術を発達させてきました。人類に恩恵をもたらした史上最大の発明は、二十世紀初頭から本格化した電気の利用であったと私は思います。そして、それがわずか百年前であったことに衝撃をおぼえます。現代人の生活を支えているものは、ほとんどすべてが電気で動いていると言って過言ではありません。居室の冷暖房、照明、パソコン、テレビなど、すべて電気が来なかったら何の役にも立ちません。
 その電気が不要になるような時代は、人類のこれから先には、絶対に来ないだろうと私は思います。電気の供給方法などは変化して、たとえば蓄電池の高性能化で、ほとんどすべての電化製品がポータブルになったりはするかもしれませんが、電気を使うこと自体は変らないでしょう。つまり電気よりももっと便利なエネルギー源が開発されて、人々の生活を一変させるようなことは、もう起こらないだろうと思うのです。
 そう考えると、山奥の農家でランプといろり囲炉裏の少年時代を過ごし、都会に出てから電気を使う生活をした私の父の世代は、人類史上ただ一度の生活激変を経験したことになります。まことに感慨の深いものがあります。その子である私も、思い出してみると少年期の生活はテレビもエアコンも冷蔵庫もなく、ランプが電灯に変り、囲炉裏が火鉢に変った程度の、父の世代に近いものでした。
 今は人なみの現代生活を楽しんでいる私ですが、これからの電脳化時代の家電製品は、ますます便利になると言われています。その内容は、一年を通して全く調整する必要のない空調設備だったり、外出先から携帯電話で沸かすことのできる風呂だったりするというのですが、残念ながらあまり魅力は感じません。私が本当に欲しいものはそんなものではないと言いたくなります。では何がいちばん欲しいのかと問われると、その答えは次元の違ったものにならざるを得ません。それは都会でも安心して吸える空気と安心して飲める水、冬でも晴れた日に窓から射し込む太陽の光、いつでも安心して歩ける道路などです。品物の性能はこの程度でいいから、えたい得体の知れない化学物質などを環境に放出しないでほしい、すでに出てしまった有害物質も回収してほしいと、切に思います。
 科学技術が商品という形で提供されるとき、そこには消費者に気に入られるための迎合が生じがちです。また、セールス活動は常に新しい需要を掘り起こすことに熱中しています。科学技術と資本主義の結合は、人間生活に多くの便利さを提供するとともに、無視できない不健全な生活習慣をも持ち込みました。その反省の上に立つ科学技術の見直しが、二十一世紀以降の課題です。


人間の幸せに奉仕する科学技術(通算78)

宇宙開発はどこまで行くか

 人類は地球環境という奇跡のように恵まれた空間に生きています。この場所を離れても生存できるようには作られていません。それでも人類は天空の彼方にあこがれ、莫大な費用と時間を費やして月面に立つまでになりました。今では無数の人工衛星が地球の周辺を周回しており、地球の引力圏外へも探査機が旅立っています。宇宙ステーションでは、宇宙空間での人間の長期滞在の実験が行われており、ロケットに乗って地球を宇宙空間から眺める観光旅行までが、現実味のある話題になってきました。
 SFの世界では、人類が宇宙を自由に飛行して異星人と接触したりするのですが、それがいかに非現実的であるかは、冷静に考えてみればわかることです。人間は宇宙服か宇宙船か、とにかく地球と似た空間から外へ出ることはできません。宇宙空間での自由な活動など、できる筈がないのです。金魚が突如として高い知能を持ったとしても、金魚鉢の中から地上を支配するのは無理なのと同じことです。人間が地球の外に生活圏を築くのは、いちばん近い月面でも、小規模な実験棟以上にはならないでしょう。
 それでも宇宙開発は決して無意味ではありません。人工衛星はすでに通信・情報技術に必要不可欠なものになっていますし、地球圏以外への探査も、地球や宇宙の成り立ちを知る、つまり地球自身を研究するために有用です。そして好奇心の強い人類は、要するに、できそうなことは、やってみないと気が済まないのです。
 宇宙開発に膨大な予算と労力を費やすよりも、地上の問題の解決に力を振り向けるべきだという議論は、過去にもあったし、今もあるし、これからもあるでしょう。ロケット一機の予算で何人の貧困が救えるといった議論を始めたら、それこそきりがありません。しかし人類は、宇宙がそこにある以上は、やはり出て行きたいのです。なぜ山に登るのかと問われた登山家が、「そこに山があるからだ」と答えたのと同じことです。
 世界の高山は、最高峰を含めてすべて踏破されました。しかしながら宇宙はあまりにも広大で、人間の技術力をもってしても探検し尽くすことは不可能でしょう。今後一万年の範囲では、せいぜい月に人間が常駐する天文台と観光施設を作り、地上の観光に飽きた人たちが、ぜいたくな旅行で訪れる程度で落ち着くのではないでしょうか。火星などの地球圏以外への旅は、少数の専門家による探検の域を出ないでしょう。
 SFに出てくるような、地球が人類で満員になり、新しい天地を求めて宇宙へ発展して行くというようなシナリオが、現実のものになるとは私は思いません。それよりも地球の上でどのように暮らすかの方が、人間にとって、はるかに大きな関心事でありつづけるでしょう。宇宙は、人類の見果てぬ夢の舞台であっていいのです。


人間の幸せに奉仕する科学技術(通算77)

新優生学への期待と不安

 優生学はダーウィンの進化論の人間への応用として、十九世紀の終りから提唱されてきました。優秀な子孫を残すことで民族の資質を向上させようとするもので、劣悪な遺伝子を持つ人に子孫を作らせないことで目的を達しようとしました。これを大規模に政策に取り入れたのはナチス・ドイツで、障害者の断種や隔離でドイツ民族の優秀性を保とうと努め、その思想はユダヤ人の絶滅計画へと拡大して行きました。
 日本でも敗戦後の一九四八年(昭和二十三)に優生学の立場での優生保護法が施行されています。ただしこれは間もなく経済的理由での妊娠中絶に利用される場合が圧倒的に多くなり、当初の立法の趣旨からは、ずれが生じてきました。今では障害者の基本的人権を尊重する立場から、障害者の結婚や育児も、むしろ支援する方向に変りつつあります。科学的にも、障害の発生は遺伝に由来するよりも、偶然に左右される部分の方がはるかに大きいことが明らかになり、旧来の優生学は根拠を失いました。
 しかし最近の遺伝子研究の飛躍的な発達により、特定の障害や病変が遺伝子のどの部分に由来するかが明らかになってきました。こうなると旧来の優生学よりもはるかに確実な情報に基づく、新しい優生学の可能性が生まれてきます。さらに、最近の子供の出生数は大幅に減り、生まれた子供はすべて確実に成人するのが当り前になりました。こうなると多数の子供の中から適者だけが生き残るという、自然淘汰は働かなくなります。その面からも、新しい優生学が期待される可能性はあるでしょう。
 ただし、人間のDNAについての遺伝子操作は、どんな理由があろうと認めるべきではないでしょう。それは人間の新種を作り出すことであり、そのような新種が出現したら、私たち現人類の歴史は、新人類の歴史と区別しなければなりません。それでも人類は、新人類への進化を目指して行くでしょうか。私にも判断はできません。
 それよりも可能性が大きいのは、男女が互いの遺伝子情報を交換して、結婚を決める際の参考にすること、そして妊娠したらその初期に胎児の遺伝子情報を知り、重度の障害などが予想される場合には妊娠を中絶する、といった対策でしょう。
 そんな時代になっても、結婚や妊娠は天の意思に沿うことだから、本人同士の合意以外には何ものにも頼らないという人たちは、少なからず残るだろうと思います。そんな人たちを尊敬することはできても、非難することは誰にもできません。それと同時に、人間の知恵でできる手段は尽くして、なるべく健康で優秀な子孫に恵まれたい、少なくとも重い障害や病気を、出生のときから背負っている子供を、事前にわかっていながら生みたくはないという人たちを、誰が非難できるでしょうか。


人間の幸せに奉仕する科学技術(通算76)

遺伝子操作はどこまで許されるか

 遺伝子情報を運ぶDNAの構造が解明されたことは、コンピューターの開発とともに、人類の科学技術史上の大事件として長く記憶されるでしょう。
 遺伝子操作による動植物の品種改良は、現在すでに実験段階を超えようとしています。それに対して、未知の生物を人為的に作り出すことの危険も指摘され、さらには人間の医療行為への応用も連想されて、倫理面からの批判も絶えません。
 人間は長い年月をかけて動植物の品種を変えてきました。繁殖の組み合わせを工夫し、時として現れる突然変異も利用して、人間にとって有用な性質を持つ品種を作り出してきました。その努力は今も続いています。大型哺乳類などは、人間によって家畜化された種類のみが繁殖を続けていて、野生のままの動物は、ほとんどすべて絶滅危惧種として細々と生存しているのが現状です。食用、産業用、観賞用の植物についても、状況は似たようなものです。そのおかげで今の人類が生活できているのですから、品種改良そのものを今さら否定することはできません。
 問題は、伝統的な品種改良では、交配や突然変異によって自然に遺伝情報が変化するのを待ったのに対して、遺伝子操作では直接に遺伝子に加工することで変化を起こしてしまう点です。当然ながら、変化は確実に、そして大幅に起こります。品種改良としては画期的な能率の向上で、事業として魅力的であることは充分に理解できます。ただ、人工的に発生させたものだけに、未知の危険な性質を持っていないか、世代を重ねても安定した性質を保てるかなど、自然発生の品種よりも厳格な観察が必要になることは当然です。安全が確認されるまでは隔離した環境で育成するなどの対策が必要でしょう。
 さらに、遺伝子操作の農産、畜産などへの応用を、企業の自由な研究開発に任せることはできません。危険な性質を持つ新種が環境に流出した場合、その被害の拡大は予測がつかないのですから、専門機関による厳重な管理体制を作っておく必要があります。その審査を経て導入されるのであれば、結果として得られる新種は、従来の品種改良で得られたものと、本質的な違いはないと言うことができるでしょう。
 それにしても、人間はどこまで身勝手な生きものなのでしょう。品種改良で紫色のバラが咲いたというニュースをテレビで見たことがありますが、作った人は本当に紫色のバラが見たかったのでしょうか。珍しいから売れて儲かると思った、ただ自分の技術を確かめてみたくて作った、というのなら、やめて欲しかった気がします。紫色のバラに、私はむしろ悪趣味と人間の傲慢を感じたのです。
 遺伝子操作は次の段階として、必然的に人間の遺伝に迫ってきます。


人間の幸せに奉仕する科学技術(通算75)

IT化社会と個人情報管理

 社会のIT化が個人情報の管理と結びつくことについて、あまり良い印象を持たない人が多いように感じますが、私はむしろそこに人間が大切にされる社会の可能性を期待したいと思っています。人間は全く自由気ままであることが幸せではないと思うからです。
 すべての人が基本的人権を尊重され、公正な扱いを受けるために、個人情報は正確に管理されなければなりません。日本では戸籍や住民票の制度があって、ある程度の機能を果たしていますが、これは早く世界中に普及したいものです。ただし戸籍は住民票と統合して、一種類で用が足りるようにすべきでしょう。
 出生とともに人は公的に登録されて社会の一員となります。住民票は便宜上は同居している親族を単位に管理されますが、基本的には個人の記録の集合です。個人の識別記号と番号は、生涯を通して変りません。成人に達したときにDNA情報を追加して、顔写真入りの証明書を発行すれば、なお万全です。全員のDNA情報が登録されていれば、犯罪の防止や事故の際の身元確認などに威力を発揮するでしょう。それは犯罪や事故の被害者になるかもしれない人たちの人権を守ることです。
 個人の経済活動なども、必要に応じて個人情報として集積することが可能になります。情報が公的に一元管理されれば、各種の公的保険や納税についても、公正な処遇が期待できます。個人の所得が正確に把握されることは、脱税や非合法所得を困難にし、社会の健全化につながるでしょう。しかし公的な個人情報管理は、個人の匿名性を否定することではありません。ふつうの社会生活の場では、もちろん個人情報の開示は本人の自由であるべきです。ただ、社会生活の場が広域化して行く現代では、昔の小村落時代に村人が全員のことをよく知っていたことに代わる、個人情報の共有化がどこかで必要です。人は孤立して生きるのではなく、社会の一員であることを自覚すべきなのです。
 個人情報の蓄積そのものは、コンピューターの能力向上によって、さほど難しくなく実行できるでしょう。問題はその情報を誰がどのように管理し利用するかということです。公的管理といっても、管理の実務をするのも管理のルールを決めるのも人間です。どこまでを公開すべきかは、個人の自由と公益とのバランスで決まります。それはその時々の社会の状況によって変動することでしょう。
 私は基本的に、本当に自由な社会とは、自らの姓名身分を明らかにしても、自由に発言し行動できる社会であるべきだと思っています。第五章でも述べましたが、匿名性は往々にして犯罪者になる自由のために使われます。犯罪者といえども、一定の制裁を受けた後は差別されずに生活できるのが、人権の尊重される社会ではありませんか。


人間の幸せに奉仕する科学技術(通算74)

脳科学とコンピューター

 最近の脳科学についてのテレビ番組を見て、衝撃を受けたことがあります。視力を失った障害者の視力を回復させるために、眼科の医療によらず、ビデオカメラの映像信号を直接に脳に送り込む試みが、ある程度の成果を上げたというのです。また、脳から発生する電気信号を取り出すことで、義手や義足を意思に従って動かす実験も行われていました。さらには脳と外部のコンピューターを回路で結ぶ、脳とコンピューターのインターフェースまでが、具体的に考えられているというのです。
 脳とコンピューターの類似については、以前から論じられていました。すべての情報を電気回路のオン・オフに置き換え、その膨大な集積で所定の作業をするコンピューターの働きは、シナプスで結ばれた脳細胞の集積である脳の働きと、驚くほどよく似ています。現在では人間の頭脳の能力は、どんな大型のコンピューターをも桁違いに上回ると言われていますが、人間の脳細胞の数は有限であり、しかも一代で死亡します。コンピューターの能力が人間の脳を上回るようになることは、いずれ避けられないように思います。
 それでは人間に特有と思われている判断力、信念、宗教心、愛情などでも、人間はコンピューターに負けるようになるのでしょうか。それはないだろう、というのが私の希望的観測です。人間の脳は、コンピューターに類似する計算や記憶などを司る部分ばかりでなく、動物として生きるのに必要な各種の感覚や本能を支配する、起源の古い部分との複雑な組み合わせで働いています。それはDNAが運んで来た、人類の長い進化の歴史が刻まれた遺伝情報に由来しています。コンピューターにそうした歴史の古い遺伝情報がない以上は、人間の脳になることはできません。
 しかし心配なのは、脳とコンピューターが回路で直結された場合です。遺伝情報までがすべて正確にインプットされた場合、コンピューターは元の脳と同じ個性を持った人間の脳として、働き始めることが絶対にないとは言えない気がするのです。そのようなコンピューターが人間の外部に出来上がったとき、私たちはそれをどう扱ったらいいのでしょうか。肉体を離れて、脳だけがコンピューターに保存されたら、その人の脳は不滅になります。偉大な指導者の頭脳が保存されて、その人の死後も長く人々を支配しつづけるようなことになったら、それはもはや人類の未来を閉ざす一つの悪夢です。
 脳とコンピューターを直結するインターフェースは、人間の学習をも無意味にしてしまいます。必要な知識を苦労なしに頭に入れてくれるロボットは、今は子供たちのマンガの世界ではあこがれの的ですが、それは思想信条も恋愛感情も注入されるままになることを意味します。「できても、やらない」科学技術の禁じ手であるべきです。


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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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