志村建世のブログ

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no more war 池田幸一メール

池田幸一メール・今こそ自主独立を

 久しぶりの「池田幸一メール」ご紹介です。満96歳になられました。

皆様。 池田幸一です。
 私は昨日、満96歳になりました。若い頃はさして頑健な生まれでもなかったのですが、(1941年の徴兵検査では、甲種、第1乙種、第2乙種、丙種のうち、第2乙種でした)思わぬ長壽に恵まれました。 しかしいつの間にか周辺から同輩の姿が消え、そのうえ私も入退院の繰り返しで日常が随分淋しく、不自由になりました。頭の方もボケて来ましたが、何より困るのは思った通りのことが巧く書けない事です。
 中国人から授かった恩義に感謝し、その徳に報いるように付き合おうではないか、なぜ大恩ある中国を疎外し、アメリカの手先になって中国包囲網に汗をかかねばならないのか?西洋の功利に比べ東洋の道義の方が付き合い易いのではないか。トランプ時代の到来をチャンスに、せめて米中等間隔のスタンスに立てないだろうか、この簡単なことが満足に述べられないのです。
 お前の見方は浅はかだ、中国はそんな御人好しではない。ましてや戦争は国府軍や中共軍に負けたわけではない。我が国はアメリカの物量に負けたのであって、“勝った勝ったと自慢する中共軍は逃げ回っていただけのことだ。「長征」という名の逃亡は1万2500キロにも及ぶ「避戦」であって、その健脚ぶりは褒めてもよいが、国府軍を精鋭無比の日本軍と戦わせると言う驚くべき奸智こそが彼らの戦略で、「他人のフンドシで相撲を取った」だけのことである。”と説くのは産経新聞の「野口裕之の軍事情勢」です。
 一事が万事、このような目で見ると中国人の偉大さは何一つ見えてこないでしょう。蒋介石は一家一族を挙げてアメリカを味方に引き込み、日本軍を泥沼に追い込んで自滅させました。中共軍は兵力を温存してゲリラに徹し、共に力を合わせて日本軍が構築した大石の目を潰し、いつの間にか死に石にしてしまったのです。まさに名人芸、鮮やかな完勝でした。碁だけではありません。私は中国が好きでしげしげ訪れていますが、残された遺跡と文物の偉大さにはいつも圧倒されます。
 この中国で我が国は戦争中にどのように振舞ったか? 私の原隊は京都伏見の9連隊で、南京攻略の主力となった中島今朝吾中将の部隊です。“我隊ハ捕虜ハセヌ方針ニテ”つまり、捕虜は捕え次第皆殺しという猛烈な部隊で、それがため当時の古兵から残酷な武勇伝を耳にタコができるほど聞かされました。いずれも悪魔の所業で「チャンコロ」と軽蔑して人並みには扱わず、悪いことの限りを尽くしています。“にい公には悪いことをした、オレは地獄へ落ちるだろうな、”これが古兵たちの述懐でした。
 多年紛糾の尖閣諸島領有の問題は、“子孫の叡智に任そうではないか”という東洋的棚上げを双方が認め合い、1972年、周恩来と田中角栄の骨折りで成立した「日中共同声明」は、以後40年の日中蜜月時代を生みました。誰がこの友好平和を潰したのか? 一つは拿捕した中国船を帰さずに、国内法で裁こうとした前原誠司外相のミス、更に致命的な失敗は尖閣を東京都で買い取ろうと全国に寄付を呼び掛けた石原元都知事、それに動揺して国で買い取った野田佳彦元首相の浅慮。これですべてがパーになりました。なぜなら、約束した棚上げが無視され、中国が怒ったからです。
 戦後アメリカの占領下、軍事同盟と核の傘に守られ、ひたすら従属の道を歩んだ我が国ですが、いつの間にか中国の大恩を忘れてしまいました。彼たちは忘恩の徒の裏切りを後悔しているでしょうか。また尖閣を巡る40年の平和を台無しにしたのも我が方ですが、どうして謝り、元のさやへ帰るよう努力しないのか。自分のことが自分でできる自由独立を、今こそ考えるべきではないでしょうか。
 前回に引き続き、これだけ述べてもまだ充分でないから困るのです。

池田幸一メール・トランプショックの感想

(久しぶりですが、池田幸一さんのメールをご紹介します)
皆様。 池田幸一です。
 世界中に衝撃を齎したトランプショックについて思いつくままを述べたいと思います。この異変についてはいろいろに言われているようですが、私が驚いたのは泡沫候補と馬鹿にされていた時から、99%大統領間違いなしと断言していたジャーナリストの木村太郎氏のことです。その理由としてこの人は、昨年12月の時点で、“アメリカ人が言いたくても口に出せないこと、また移民や経済格差などに対しての不平不満を率直に代弁してくれたのがトランプだった、その言葉に心を打たれた「隠れトランプ支持者」が彼を次期大統領に押し上げた”というのです。
 世界の有識者やメディア、世論調査機関の殆どはこのような鋭い嗅覚を欠き、常識的な予想の羅列、そのため自らの不明を釈明したり謝罪する体たらくでした。ただ映画監督のマイケル、ムーア氏がほぼ正確にトランプ勝利を予言していたそうですが、その理由はアメリカのどうにもならない閉塞感、それに既得権益に毒された与論からの脱出などを挙げています。パックスアメリカーナの栄光を失った焦慮と閉塞感、それを口に出せない「沈黙の多数派」の存在を多くのメディアが軽視していたというのです。
 マスコミによるこのような釈明や謝罪の前例は今までにあったでしょうか? 常識、良識とされてきた既成の権威や概念がガラガラと崩壊してゆく姿はメディアだけではありません。既成政治に対する信頼も権威も共に崩れ去ったのではないでしょうか。心のもやもやを毒舌、暴言という形で直接暴いて見せる、既成概念を遠慮会釈もなく粉砕する素人候補者の新鮮さ、トランプは選ばれるべくして選ばれました。
 世界が戦慄する筈です、何故なら完璧とされていた既成概念が素人候補者の毒舌によって粉砕されたから。今からの秩序や価値観を誰がどのようにして作り上げるのか? トランプという次期大統領の切り札は、ジョーカーのように人類に不幸を齎すのでしょうか、ましてや属国並みの我が国はどのように対処すればよいのか、まさに岐路に立つ日本ですが、私は独立日本の絶好のチャンスではないかと思うのです。全ての既成概念を払拭して一から出直せば、自らの活路が見えてくる筈です。 11月11日付朝日の「経済気象台」に(供砲箸い人がトランプ現象について概略次のように述べています。

 この番狂わせは英国の離脱にも似た歴史的必然かもしれない。21世紀が乱世に向かう気配を刻しているからだ。その兆候の第一は民心の離反である。無能な既成指導者に有権者が背を向け始めたのであって、異端トランプの資質が評価されたのではない。だが既存の政治力学に固執し、民心を読み切れない統治機構の衰退は世界的に広がる。
 第二は民心の乱れである。グローバリゼーションを進める力、それに抵抗して主体性を取り戻そうとするナショナリズムに挟まれて民心はもがいている。2016年はグローバリゼーションの分水嶺になるであろう。第三は民心の錯覚だ。民主主義の最重要機能であるべき選挙が民心の錯覚から独裁的リーダーを生み、プーチン、習近平、トランプなどがリードする乱世を迎える。安倍独走も右へ倣えする恐れは無きにしも非ずだ。

 私は卓見だと思うのですが、これらを踏まえて我が国は、自分の力で歩むべき道を自分で決める必要に迫られています。トランプ政権が我が国に及ぼす影響は大まかに言って安保とTPP,この二つではないでしょうか。安倍政権はご主人様に忠勤を励む必要から露払いの役目を買って出て、本来急がねばならないパリ協定の批准を後回しにしてTPP法案を優先致しました。しかし二階からの梯子をトランプに外された安倍総理は立ち往生、引き続き地球温暖化はいったいどうするつもりでしょうか?
 最も厳しいのは安全保障です。「米国第一」と「公平」をモットーとするトランプが、“日本が対価を払わなければ、数百万台もの車を我々に売りつける日本を守ることは出来ない” また“駐留米軍経費の全額負担に応じなければ米軍撤退もありうる”と、このようにはっきり口に出されては我々も根底から考え直さねばならないと思うのです。
 “長い間ご苦労様でございましたが、これ以上はびた一文払う気はありませんので、どうか一兵残らずお引揚ください”と慇懃にお断りすればどうでしょうか。相手の言い分に便乗した日米安保の廃棄です。その後はどのようにするのか? ここで持論は繰り返しませんが、マッカーサーから押し付けられたという憲法通りの国造りを目指すべきです。
http://www.freeml.com/no_more_war

池田幸一メール・テロについて判らないこと二つ

 久しぶりに、池田幸一さんの7月18日のメールです。最近のテロ事情について、わからないことが2つあると言っておられます。この2つは、私にもわからないので、以下に紹介させて頂きます。
(以下引用)
 皆様。池田幸一です。
 私には次の二つがどうしても判りませんので教えて頂きたいのです。その一つは、現在我が国はイスラム国(IS)とはどのような関係にあるのでしょうか? ダッカでのテロも予想された通りIS一味の犯行のようで、私はISと我が国は目下のところ戦争状態にあるのだと認識しております。“私は日本人だ、撃たないで!”と叫んだところで無駄、日本人だからこそ殺されたのですが、政府や世間はそのようには感じていないようで、戰爭下であるという緊張や危機感が全く見られない、いったいISのテロのために同胞の何人が命を失ったか?このままで良いのでしょうか。
 “お前たち愚かな有志連合は、我々がアラーのご加護により、権威と力のあるイスラム教カリフ国家であり、お前たちの血を欲しがっている軍であることを理解出来ていない。 安倍晋三よ、勝ち目のない戦争に参加するというお前の無謀な決断のために、このナイフは後藤を殺すだけでなく、お前の国民がどこにいようが虐殺をもたらすだろう。日本の悪夢を今から始めよう。異教徒である安倍晋三は、愚かにも遠い極東アジアからのこのこやってきて、十字軍戦争の敵であるキリスト教徒に加担したいと言っている。”
  これは安倍総理の挑発に答えて出された彼らの宣戦布告文ですが、2015年1月、安倍総理はカイロにおいて、賢者気取りのパフォマンスで「中庸」を説いたのですが、相手はそれをISに対する挑戦と受け取ったのです。彼らの中近東戦争に対する感覚は我々と異なり、中世から続く十字軍戦争の延長だと見ているのです。日本人の信仰は八百万の神であって一神教ではありません。一神教対一神教の妥協のないサバイバルゲームに巻き込まれるとは、愚の骨頂と申せましょう。今危ないのは中国でも北朝鮮でもなく、明らかにこのISです。
 果てしなく続くISテロの恐ろしさについては、人質の後藤さん惨殺以来、私は多くを投稿しています。特に1月、2月においては連日のように発信してまいりましたが、その気持ちは今もって少しも変わることがありません。結論は有志連合から一刻も早く抜け出して絶対中立を維持すること、このような事態を引き起こした安倍総理は直ちに辞職、後継内閣は宣戦布告以前の線まで引き戻す修復作業に努めること、それには憲法9条がいかに有益であるかを痛感することでしょう。
 前便の「チルコット報告」は、“サダーム、フセインが濡れ衣を着せられたままで殺された顛末を知らせて呉れましたが、このイラクの大統領は独裁とはいえ、それなりの国造りに励んでいたように思います。それをぶち壊したのが米英主体のイラク戦争で、さしたる罪もないのに殺されたフセインの遺産がISに引き継がれ、シリアに広がってテロの温床となった事実を見逃すわけにはいきません。テロの遠因は米英のイラク戦争にあるのです。さしたる罪もないフセインを追い詰め、逮捕し、殺してしまった有志連合は、フセインの亡霊を相手に日夜爆撃機を飛ばしているのでしょうか。
 判らない事の二つ目は、アメリカをはじめ有志連合の空爆とISのテロをどのように見ればよいのかの問題です。ISが言う通りキリスト教徒とイスラム教徒の果てしない争い、即ち十字軍戦争の延長と考えるべきか。憎しみが新しい憎しみを生む悪循環は被害をますます広げています。いったいどちらに大義はあるのでしょうか? 爆撃には参加していないまでも有志連合に加盟している国として、ISのテロにやられている日本人としてこのように言うのは不謹慎のそしりを受けるでしょうが、私には弱いもの虐めに見えて、つい判官びいきになってしまいます。
 ニースのテロでも各国首脳から一斉に非難の声が上がりました。モンゴルで始まったアジア欧州会議の冒頭で安倍総理は、“残虐な攻撃、日本はフランスと共にある。テロは決して許されない”と戦う決意を表明し、それぞれがテロは悪しで一致していますが、誰一人ISへの猛爆を咎める人はありません。2014年8月、アメリカをはじめ有志連合は、地上軍は損害が大きいとみて犠牲の少ない空からの爆撃を開始したのです。以後爆撃は数千回、罪もない婦女、子供がどれだけ犠牲になっているか、誰も無差別爆撃を咎めないのです。
 空軍を持たないISは反撃する術もなく、ぼろくそにやられっぱなしですが、彼らにはテロという手段のほかに復讐の方法がないのです。圧倒的な戦力に刃向かうにはテロ、これがISが考え出した新しい戰爭です。空からの爆撃には殆ど死者は出ませんが、テロは我が国の特攻と同様に自爆です。爆撃があるからテロがあるのであって、その逆はありません。テロを防ぐ唯一の方法は、爆撃を中止して休戦に持ち込むことです。
 更に判らないのは、テロは残虐だから非難されているようですが、人を殺すのに上品な殺し方があるのでしょうか、それとも咎められない爆撃はテロよりも優れた殺し方なのでしょうか?

急がれる「受け皿」作り(池田幸一メール)

(池田幸一さんの2015年10月26日深夜のメールです。)

 皆様。池田幸一です。
 拝啓岡田克也様。“長年お世話になりながら誠に心苦しいのですが、次の選挙では貴党に投票する気にはなれませんので、この段ご通知申し上げます。”近頃の民主党を見ていると、こんなハガキを出したくなってしまいます。維新の残党と手を組もうなどとは以ての外、政治家としての資質を疑います。貴方は、多くの国民が本能的に安倍政権の危うさを知り、翕然と全国的に湧き上がった戦争法案反対の声は、戦後70年をかけてやっと芽を出した「本もの」のデモクラシーだとは受け取れないのでしょうか?
 今急がれるのはこの国民の声の受け皿で、これでは折角湧き上がった「アンチー安倍」の声が生かされないのです。どうして「国民連合政府」を作ろうという共産党の呼びかけに賛成出来ないのか?国民の切ない声を吸収し、国民と共に考え、戦うことが野党としての義務ではないのか?折角その気になった「打倒安倍政権」の流れを汲み取るどころか、自公政権を後押しするような愚かさ、このような民主党に投票することは自殺行為に他なりません。
 政界再編成は天の声、またその第一歩は民主党の解体です。おそろしく右から左へ幅の広いこの党が、まともな統一見解を打ち出せる筈はないのであって、これでは野党第一党として失格、国民の負託に添えない欠陥政党と言わざるを得ない。
 このたびの戦争法案反対の司令塔は、超党派議員連盟の「立憲フオーラム」であることは、多くの人の知るところ、これこそが今後の国民の声をキャッチする核ではないでしょうか?民主、社民の混合チームは現在44議員、代表は近藤昭一、副代表に阿部知子、福島みずほ、水岡俊一、、幹事長に辻元清美、事務局長に江崎 孝、事務局次長に那谷屋正義、顧問には横路孝弘,又市征治、照屋寛徳、江田五月、菅直人、など・・・この中には「シベリア特措法」成立に力を貸して下さった方々の名も多いのです。
 「受け皿」の形は二年前から既に出来ていたのです。長妻 昭さんの名が見えませんが、民主党をぶっ壊せの荒療治はこの人の役目、誰かがやらねばならない仕事ですが、この国民の声を叶えるには相当の腕力と知恵が必要です。
 “幾ら説明したところで、今の国民は理解してくれないが、そのうちだんだん判ってくる。政治とはそんなものだ。”この声に腹を立てた母親や若者の怒りがどのようなものか?これに全国各地の「憲法9条を守る会」「反核」のグループなどが団結し、今こそ「打倒安倍」一点に集まるべきだと思います。
 私は映画俳優の故菅原文太氏の言葉が忘れられないのです。“凡そ一国の宰相たるものは、国民に腹いっぱい飯を食わすこと、そして戦争で一人も国民を殺さない事、この二つが出来れば一人前”ですが、まさに至言と申せましょう。安倍総理は果たして適格か?彼はすでにバングラデッシュで国民の一人を殺し、あと何人やられるか?。何はともあれこの愚かな政権を倒すことが第一で、共産党の画期的な提案に耳を傾け、早急に共同戦線を展開すべきです。
 そうでないと「安倍ファッショ」には勝てません。国民をご主人様とは見ず、専らワシントンに忠節を尽くす安倍総理は、アメリカ国会で約束した通り9月17日には戦争法案を強行採決いたしました。一強多弱,バラバラの野党が束になってかかっても叶わない。広範な国民の支持を味方にしてこその勝負です。
 私は手術後一か月、幸い順調のようですが、体力気力の衰えで暫くはしっかり発信が出来ないのが残念です。しかしそのうちに、親しい方々に直言し、「受け皿」作りを急ぎたいと思います。

総理の訪中キャンセル(池田幸一メール)

(池田幸一さんの2015年8月26日のメールです。後追いですが当日の日付で掲載させて頂きます。)

 皆様。 池田幸一です。
 もういい加減に饒舌は慎もうと思うのですが、この度の訪中キャンセルを聞けば私は黙っておれないのです。安倍総理と云う人はいったい何を考え、何がしたいのか? 私は前述の「安倍談話への直言2」において、総理の心の中で革命が起きているのではないか?右に叩かれ左に気を使い「談話」作りに苦しんでいるうちに、自らの哲学の貧困に気が付き、世界観が変わったのではないかと喜んだのです。
 苦心の末に生まれた「安倍談話」は半獣半神のケンタウルスのように、得体の知れないメッセージになったのですが、この談話は総理自身の言動を自らが縛る結果になり、言行一致、今からは談話の通りに振舞わねばならなくなりました。と同時に、あの鼻もちならぬナショナリズムも変更を迫られ、世界に通用する新しい安倍外交が必要となるだろう、その第一歩が、毎日新聞がスクープした9月3日の訪中でした。
 今迄、“私のドァは何時でも開けてある”とお高く止まっていた総理が、突然自らが出て行くと云うのですから驚いた。ご存知の通り、いま自公政権が強引に押し通そうとしている「戦争法案」は、明らかに中国を仮想敵国とし、それに対抗するために必要だとする法案です。その審議で揉めている最中に中国を訪れ、習主席と話がしたいというのです。いったい総理は何がしたいのか? いつまでも中国を敵視することなく仲良くしたいための会談か、それが成功すれば「戦争法案」は不要です。
 中国は敵ではなく友達なのだ、これに気が付いてその為の訪中であるのなれば、これは日本外交180度の転換であり、総理の心の中の革命とより考えられない珍事です。しかし中国の要人と逢うためには厳しい条件があります。1)日中の基本4文書の確認 2)村山談話の踏襲 3)靖国不参拝 4)尖閣領有に問題ありの確認 ですが、これをクリアーしない限り政府要人は逢って呉れないと聞いております。
 この訪中の工作を谷内NSC局長が水面下でやっていたそうですが、予定通り安倍、習のトップ会談が実現すれば、総理はこの4条件を呑んだことになります。二重人格はこの人のお家芸ですが、いったいこの人の精神構造はどのようになっているのか?9月3日は日中戦争勝利70周年と銘打ち、中国は世界の首脳を招待して軍事パレードも行うそうですが、戦敗国の総理がのこのこ顔を出せる雰囲気であるのか、身内やお友達がそれを許すのか?
 中国も“パレードはわざわざ見なくてもいいよ、トップでゆっくり話しましょう”と歓迎のようですが、両国はこれで漸く常道に立ち帰ったわけで、私はこの画期的な珍事を喜んでいたのですが、果たして総理にそこまで踏み込んだ考えがあったのかどうか? 八方塞がりを打開するため、いつもの通りの“やってまっせ”のパフオーマンスに過ぎないのではないか。期待と不安の訪中も、いとも簡単にキャンセルされました。何故か? 私はアメリカの“アホな事はやめとき”の一声だと思います。
 実に不見識も甚だしい恥ずべきキャンセルですが、これと対照的な見事な談話が今朝の朝日新聞にありました。「積極的平和の真意」と題したノルウェーの平和学者ヨハン、ガルトゥング氏の卓見です。安倍総理が唱える怪しげなそれと異なり、「積極的平和主義」の家元の言葉は、これからの日本の得難い指標です。この談話は大見出しにある通り、「軍事同盟は不要、東北アジア共同体創設に向け協力を」と、「米国追従なら植民地主義加担、独自外交で望め」を軸に展開されていますが、是非読んで頂きたい。
 自らを自慢するわけでもありませんが、この碩学の考え方は日頃私が述べている主張と瓜二つなのです。安倍政権の暴走の中にあって、どうしてこの方向に気が付かないのか?どうして憲法を大事にしないのか、安倍総理の心の中の革命は、私の買いかぶりでした。

安倍談話への直言その2(池田幸一メール)

(池田幸一さんの本日のメールです。)

 皆様。  池田幸一です。
 <承前> 「安倍談話」の曖昧さもさることながら、その後に行われた記者会見における総理の説明はピンボケで、逃げの一手という印象でした。共同通信記者の“国内外に最も伝えたいメッセージは何か?”は、焦点が定かでない、掴みどころのない美辞麗句に業を煮やした質問でしたが、総理はまともに答えられない。その中で折角苦労して作った談話を根底からひっくり返す総理の本音が出てしまいました。“具体的にどのような行為が侵略に当たるか否かについては、歴史家の議論に委ねるべきだと考える”です。
 また東京新聞記者の“月刊誌の対話の中で「村山談話」の継承を迫られ、個人的な歴史観に日本がいつまでも縛られることはないと貴方は述べている。今回の談話との整合性は?”と痛いところを突かれて立ち往生、まともに返事が出来ませんでした。冒頭の共同通信記者と同じように、何を言わんとしているのか掴みどころのないじれったさから日本テレビの記者が“この談話のどこを国民に伝えたいのか”とその核心を尋ねても、納得が行く回答は得られませんでした。
 右顧左眄、支離滅裂、これらは談話を書いた本人自身に確たる信念が無いからで、これでは相手の心に伝わりません。このバカげた一連のコメディが何を世界中に知らせたのか?眼を覆うばかりの二転三転、力を失くしたアヒルのような迷走を続けるうちに、総理の精神分裂症と稀に見る「歴史修正主義者」の正体、またその欺瞞に満ちた手の内がすっかりバレてしまったのです。これでは朝日新聞の社説が言う通り“何のために出したのか、出すべきではなかった”がご正解でしよう。
 いみじくもこの騒ぎで、メディアの世界も真っ二つ、政府の太鼓をたたく御用新聞と、そうでない新聞がますます対立の度を深めてしまいました。国論もはっきり二つに割れたのですが、今回の「安倍談話」は果たしてお友達や支持層にどのような影響を与えたか? 安倍政権を倒すのは野党や政敵ではなく味方のお友達であろうとの、私の予想は残念ながら見事に外れたようです。6年前の安倍政権は「慰安婦」の問題で日頃の広言が仇となり、支持者やお友達が怒りだして引きずりおろしたのですが、今度は少し様子が違うようです。
 先輩たちが出した屈辱的な談話を改め、愛国的な決定版を打ち立てるのだと意気高らかに取り組んだ「安倍談話」ですが、蓋を開けて見れば事志と違い惨憺たる敗北です。6年前の自滅と同じく、“日頃の広言に似ず、この有様は何事だ”とお友達が怒るのかと思いきや、誰も怒らない。それどころかよくぞ書いて呉れたと礼賛するのです。安倍政権を陰で操る「日本会議」や側近中の側近である稲田朋美女史を始め、右翼陣営挙げて、“バランスのとれた立派な談話だ”と誉めるのです。
 日頃の勇ましい安倍イズムが影を潜め、苦渋の全面敗北ですが、右翼の方々はこの裏切りを前回のようになぜ怒らないのか?ぼろぼろになった連隊旗のような「安倍談話」の、どこに惚れ込んでの賞賛か。どうやらこの一節が利いたらしいのです。>日本では戦後生まれの世代が今や人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。<
 私は今回の「安倍談話」が内外に及ぼした影響について考えるのですが、最も大きく刺激され変質を迫られたのは総理自身と、安倍政権を支持する右翼の方々ではなかったか。戦後レジウムからの脱却を唱え、先ず手始めに二つの談話をぶっ潰せと始めた運動が、戦後国際秩序の固い壁に遮られて立ち往生、右に配慮し左に牽制されて悪戦苦闘を繰り返すうちに談話の構想が次第にやせ細り、この経緯を見ているうちに偏った右翼ナショナリズムの限界を知ったのではないでしょうか。
 怒るどころかこの四面楚歌の中でこれだけの譲歩で済んだのは上出来、ましてや総理は、方々に心の琴線に響くような台詞を巧みに入れて呉れたではないか。頭を下げるのはこれが最後と高らかに宣言して呉れたのも大手柄、こんなことで右翼陣営は内心喜んでいる、安倍総理もお仲間も、この談話作りのお陰で少しは眼が覚めたのではないか、この談話は歴史認識を見直し、新しい価値観を探るコンセンサス元年になるのではないでしょうか。
 諸外国、特に中国や韓国は複雑です。二つの談話からはかなりの後退ですが、大筋で踏襲するというのですから満足はしていないものの文句は言えない。後は言行一致、談話に相応しい今後の行動を見守るのみ、俄然有利に立ちました。安倍総理は大きな言質を取られたのです。「安倍談話」と云う借用書を渡した上はその内容に相応しい行動を形で示す義務がある、「安倍談話」は自分で自分の手足を縛ったことになります。
 何かが急速に変わりつつあります。毎日新聞は安倍総理が、9月3日に中国を訪問する意向だと伝えています。中国の戦勝記念パレードに参加し、習主席と会談したいというのです。ドァは何時でも開けてある とお高くとまっていた総理が、ドァから出ると云うのです。総理の心の中に革命が起こったのか? 「安倍談話」の功罪は暫く見守る必要がありそうです。 
<この項 完>

安倍談話への直言1(池田幸一メール)

(安倍談話についての池田幸一さんの昨日のメールです。あの談話については、私はまともに取り上げる気にもならずにいましたが、大先輩の池田幸一さんは、きちんと全文を読んだ上で、理路整然たる批判をして下さいました。心からの敬意を表し、やや長いですが全文を紹介させて頂きます。志村建世)

 皆様。 池田幸一です。
 この度のバカ騒ぎがいったい何であったのか? その賛否についてはいろいろご意見が寄せられていますが、私は私なりの見解を申し述べたいと思います。先ず「侵略と植民地化」への認識ですが、「安倍談話」はあらまし次のように述べています。>帝国主義による「侵略」とそれによる「植民地化」の家元は先進国の欧米列強であり、我が国はその後塵を追ったに過ぎず、何故我が国だけが非難され、謝らねばならないのか?それのみか我が国は、日露戦争の勝利によって植民地支配の下にあった多くの人々を勇気付け、民族自決の道を切り開いたではないか。< 
 総理はこれが言いたくてたまらないのです。更に、>なるほど我が国は満州事変以来、世界経済のブロック化による行き詰まりを、力によって打開しようとした過去を持っているが、これは敗戦と云う厳しい酬いを受けている。戦後70年にあたり、内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の哀悼の誠を捧げます。< と一応は謝っているのですが、それは誰に対してか。被害を与えた相手国よりも先に、内なる国民に対してであるのは如何なものか?
 さらに>先の大戦では300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。< とありますが、これは暗に連合軍側の無差別攻撃を非難しています。 
 次に肝心の相手に対してですが、>戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ犠牲となりました。何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお言葉を失い、ただただ断腸の念を禁じ得ません。<
 この美辞麗句の中には“悪うございました、どうか赦し下さい”という心のこもった言葉が一つもありません。何処かよそ事で、“私は”という主語のない談話では相手の心に響く筈がない。見た目に美しい花束をよくよく見れば造花なのです。また多くの人が指摘されるように間接法で、自分の言葉を巧みに避け、他人の言葉で誤魔化しています。総理は「侵略」であった云うのが嫌で素直に謝りたくない。その典型的な例が、次のような負の要素のなかに連記して味を薄めようとする小細工です。
 >事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならないのです。先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針をこれからも貫いてまいります。<
 「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」といったキーワードをこのように巧みに切り抜けた談話は、意外な事に「慰安婦」らしい事項にも触れています。“戦場の陰には、深く名誉と尊敬を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。”の一節と、後段にある“私たちは20世紀において、戦時下多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。21世紀こそ女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。”ですが、盗人猛々しいとはこのことです。
 詳しくは2014年12月9日の拙文、癸械隠娃娃靴鬚翰になれば判りますが、事の起こりは2007年7月、前の安倍内閣が「従軍慰安婦」のことで大恥を掻いた事は未だ記憶に新しい所です。心ない右翼の集団が軍の関与を否定したいために1ページの意見広告をワシントン、ポスト紙に掲載し、これが藪蛇となってアメリカ下院を怒らせ、4項目に渉るお灸を据えられた不祥事です。時の総理大臣安倍晋三氏は周章狼狽、釈明これ努めた醜態は、いまだ忘れることの出来ない恥辱です。
 驚いたことに、このたび性懲りもなく同じことを繰り返し、今度はニューヨーク州上院で懲罰決議を受けたと云うではありませんか。2012年11月4日にニュージァージー州の地方紙に出した意見広告は、“「従軍慰安婦」は「性奴隷」などではなく売春を業とする「公娼」であり、「慰安所」は業者が勝手にやっていたこと、日本政府の関与は一切ありません”という内容でした。「歴史事実委員会」代表の桜井よし子氏を筆頭に、自民党議員26名、民主党議員11名、その他議員2名の39名が署名し、その中には総理大臣安倍晋三、公安委員長古屋圭司、行革担当大臣稲田朋美、文部科学大臣下村博文、総務大臣新藤義孝と、5人の閣僚が名を連ねています。
 安倍晋三氏とはこのような人なのです。僅か3年足らずのうちに変心されたのか? それともジキル氏とハイドのような二重人格者であるのか? 心と言葉が反対ではありませんか。このような恥ずべき振舞を、お友達や支持者はどのように見ておられるのか? 以下、戦争の苦痛を舐めつくした中国人の温情に感謝したり、連合軍の元捕虜たちにお世辞たらタラ、この有識者懇談会の永田町文学は“私の談話を否定もしないし踏襲もしていない。焦点がぼけて何を言いたかったのかさっぱり分からない”と、村山元首相にばっさり切り捨てられました。
 最も大きな失言は、“もうこれ以上に謝らないよ、お詫びもしない”と云い切ったことです。>日本では戦後生まれの世代が今や人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。<
 私の気に入らないことの一つは、なぜこの談話が私たちであって私ではないのか? 私は相手が赦してくれるまで未来永劫にわたり謝るか、またはそれに相応しい行動をすべきだと考えます。何故子供たちが謝り続けて悪いのか、過去の歴史に真正面から向き合い、謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ、未来へ引き渡す責任とは、いったいどういう事であるのか。誰に向かって何が言いたいのか?支離滅裂の談話です。
 最後に聞きづてならないのは、>私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。< これは明らかに中国への挑戦状です。私たちとは私も含まれるのか?それであるなら断固私は拒否致します。
(以下次項>
(追記・「安倍談話」は、日本語のもつ「ぼかし」効果を最大限に利用した作文です。これを英語にした場合は、主語を入れないと構文が不可能です。この談話の不誠実さは、英語訳だけを読んだ人には露見しない可能性があります。同時に発表した英訳版との整合性を検証する必要がありそうです。)
(追記2・官邸サイトに掲載された英語版の日本語訳を「サマンサ」さんが教えて下さいました。)

憲法に忠実な国造り(池田幸一メール)

(池田幸一さんの2015年7月13日のメールです。)
 皆様。  池田幸一です。
 アベ、ファシズムに押し潰されるのか、それとも押し戻せるのか。我が国はいま、世界環視の中で戦後民主主義を試されているのですが、一面、これから先の国造りを考える絶好のチャンスではないでしょうか。我々は敗戦の原点に立ち返り、もう一度憲法を読み返すべきだと思うのです。どんなことがあろうが二度と武器は使わない、全てのトラブルは話し合いで解決するのであって、従って我が国は陸海空軍やその他の戦力は保持しない。憲法はこの通り国の交戦権を認めていないのです。
 国連憲章では各国それぞれの自衛権は認められているそうですが、我が国は武力を用いず、普段の外交努力と話し合いで国を守る、我が国の自衛権とはこのように理解すべきではないでしょうか。安倍総理の考え方が憲法違反であり、そんな法案は廃案だというのであれば、憲法通りの代案を提示すべきだと思うのです。憲法に違反するのではなく、憲法に最も忠実な方法をやればよいのであって、決して難しいことではありません。「自衛隊」を解散するのです。持っているから生じる悩みなら、いっそ思い切って無くしてしまえばよいではありませんか。
 そもそも軍隊とは厄介な存在で、平和が続けば軍人は失業です。職業の安定を願うのであれば戦争状態が望ましく、出世、栄転を願うのであれば平和では困るのです。机上の作戦だけではもの足りない、一度で良いから実弾で試したい。新しい刃物を持てば試し斬りをやってみたくなるのは人情です。日常公然と武器を持てるのは自衛官に限られていますが、戦前はしばしばこれが暴発し、それがため政治家は軍人を恐れました。国や国民を守るための軍隊が、そうではなかった悲しい例が随所にありますが、軍隊が守るのは軍隊であって、それがために多くの国民が犠牲になった例を、国民はまだ忘れてはいないのです。
 戦後はシビリアン、コントロールだといって、安倍総理のような人に任せたのでは「なんとかに刃物」で物騒極まりない。これらはすべて刃物があるからの心配で、思い切って無くしてしまえばどうなるか?自衛隊が無ければ今の騒ぎも無かった筈で、なまじ持っているからの争いです。朝日歌壇にこんなのがありました。“憲法に合う世にすべき政治家が、憲法を世に合わす策を練る”  
 “自衛隊を世界災害救援隊に”の言い出しっぺは亡くなった長岡 豊さんでした。私も諸手を挙げて賛成しましたが、この考えの行き着くところは「無防備国家宣言」でした。そこまで行けば大したものですが、憲法の具体化はまだまだ序の口で、名前だけのことですが、それでも国際的に評価は高く、ノーベル平和賞の候補に擬せられているのです。今度のアベ法案が憲法違反であるのなら、憲法通りの国造り法案を示せばどうでしょうか。
 憲法改悪を党是とする自民党により、憲法はますます形骸化を強いられています。この度改訂された日米安保ガイドラインによって憲法は骨抜きにされ、我が国はアメリカを軸とする有志国連合に連なるイスラムの敵とされ、安倍総理はますますアメリカに忠勤を励んでいます。同じく朝日歌壇に狢膵颪里Δ靴蹐砲弔韻舒汰瓦、おまえ前へ行けと言われたらどうする”と云うのもありました。
 こうして憲法に忠実な国造りが進めば、特定な国との軍事同盟が廃棄されるのは必然で、そこで初めて我が国は自主独立、何処の国とも等間隔の民主国家として存在感を発揮することが可能です。そのような夢のような話を誰が信じ、同調して呉れるのか、軍隊も持たずに敵が攻めてくればどうする気か、呆け老人の寝言だと一蹴されるでしょうが、安倍路線を非難し廃案を望むのであれば、その正反対を行くこの方法より無いではありませんか?
 狹┐攻めてくればどうする気だ”は、“どこの誰がなに用あって攻めてくるのか?”から議論を始めねばなりません。願わくば今の論争のように、80時間から100時間を費やして結論を得たいテーマです。憲法に忠実な国作り、これを多くの人々に考えて頂きたいのです。天木直人さんが、その名もずばりの「新党憲法9条」を立ち上げ、護憲の具体化を推進するユニークな運動を近く示されるそうですが、どのような展開になるのか、果たして共通項が得られるのか、老人の寝言も少しは現実味を増してきたように思います。

誰がご主人様か?(池田幸一メール)

(池田幸一さんの2015年7月7日のメールです。)
 皆様。  池田幸一です。
 毎日新聞(7月6日)の世論調査を見て、国民の多くがまだまだ健全であることを知りました。安倍内閣への支持率は42%と急落、遂に支持しない(43%)に追い越されました。法案に反対が58%、賛成は29%、憲法違反であるが52%、そうは思わないが29%、説明が不十分が81%、法案を成立させてはいけないが61%、これまた賛成28%を大きく上回りました。
 この国の主権者は国民です。国民こそがこの国のご主人さまであり、そのご意向に忠実であるならば、廃案出直しが本来の民主主義ではないでしょうか?しかし政府、与党はこれらご主人さまの声に耳を貸すどころか、会期末までには成立させると豪語、6日には沖縄と埼玉の地方参考人会を終え、採択の前提となる中央公聴会を8日に開くよう野党に要求、16日にはこの委員会で採決するつもりのようです。
 定められた手順を着々と無表情でこなして行く、このやりかたを粛々と云うのでしょうが、なぜそんなに急ぐのか?安倍総理のご主人さまは国民ではなくアメリカさまだからです。中国有事の際に助けてほしい一心から、“この夏のうちには通してご覧に入れます”と、大見えを切ったからで、約束を守らないことには内閣が潰れます。国と国民を守るためにはこれしかないと云いますが、そうではなく、本当は新しいご主人さまへ忠誠を尽くすためでしょう。
 安倍総理にはもう一人のご主人さまがあります。全国の商工会議所をアジトに幅広い保守層を持つ「日本会議」がそれで、安倍内閣はその操り人形に過ぎません。財界を中心に神社本庁や右派宗教団体、学者、それに超党派の「日本会議議員連盟」、更には右派政界の要人たちを網羅した一大勢力です。目指す所は「大日本帝国」の復活であり、スローガンは「忠君愛国」。司馬遼太郎さんが礼賛する明治時代の「坂の上の雲」を理想としているのでしょう。
 その「議員連盟」の国会議員は289名、安倍内閣の閣僚19人中15名がそれで、その他自民党の党役員の多くが絡んでいます。公明党を除き政府与党は「日本会議政権」で、安倍総理を先頭に一路改憲を目指しています。今の憲法はマッカーサーが押しつけた屈辱憲法として、目下1千万人署名に取り組んでいます。王政復古と従米従属、安倍政権は双頭の蛇のような存在で、国民はいま主権者の座を追われようとしています。
 「戦後レジームからの脱却」を掲げ極端な国粋主義を説く安倍総理は、果たして「保守」なのか「右翼」なのか? 民族派団体「一水会」の鈴木邦男氏に聞くと、昔は右翼も左翼も「保守」を嫌って軽蔑したそうで、良いイメージではなかったと云います。それが近頃は逆に「右翼」とは云いづらくなり、多くが「保守」を名乗るようになったそうですが、その線引きはあいまいだというのです。
 私のスタンスは真ん中だと思っておりますから、安倍総理や「日本会議」は右も右、一番右のように見えるのですが、“自分に誇るべきものが無いから、日本に生まれたことだけを誇りにする。だから“前の戦争は正義の戦争であり、日本のお陰でアジアの国々が独立した”と平気で云う。父祖が悪い事をしたと云えば「自虐」と称して退け、負け戦を勝ったように云えば強くなったように錯覚する”鈴木氏はこのように指摘されるのですが、私は安倍総理やそのお友達は極端なナショナリストだと思います。
 この幅の広い仲間や多くの支持層に守られた安倍政権が、果たして盤石かと云えばさにあらず、安倍総理を倒すのは野党ではなくこの味方なのです。“日頃大きな口を叩いて喜ばせ、期待を抱かせながら、いざと云う時に裏切るとは赦せない”と味方やお友達が怒りだし、持病の腸が痛んで退陣を余儀なくされるのがこの人の宿命です。自らの体質から出来そうもないことを広言し、現実と期待の板挟みの自縄自縛、第一次安倍内閣の転落がその良いひな型です。
 排他的な国粋主義は歴史修正主義に繋がり、自らの体質と相まって本音が出てしまいます。この8月には「安倍の談話」を出すそうですが、当初の大言壮語も影が薄くなってきたようです。総理の二元性は次第に馬脚を現し、追い詰められていますが、これまた味方やお友達を怒らせ、失望させることになるでしょう。日頃の広言のツケに自らが苦しみ、結局は石もて追われることになるのです。
 安倍総理や日本会議のやり方、考え方は、いくら騒いだところで世界に通用しない、やればやるほど恥を曝す事に繋がります。この際すっぱり諦めて別の道を考えること、思い切って憲法通りの国造りを考えてはどうでしょうか。国民を主権者と認めない安倍政権のファシズムがこのまま押し切り、新しい二君にまみえる時代になってしまうのか?国民の良識がこのクーデターと日本の黒幕を打ち破り、正常なデモクラシーを回復出来るのか、安倍総理は安保を巡る周辺環境の危機を言いますが、実はこの方が問われるべき正念場ではないでしょうか。

政治の劣化ではなく、クーデターではないか?(池田幸一メール)

(池田幸一さんの2015年7月2日と4日のメールです。少し長いですが2回分をまとめて掲載します。)
 皆様。 池田幸一です。
 自民、公明両党は「戦争法案」を15日を軸に採決を目指す方針を確認したと新聞が伝えています。審議も今週中には80時間を超えるからもうこれで十分だろうと、有無を言わさぬ強引さです。これは酷い、見せかけだけの審議でどれだけの国民が納得したというのか、このような重戦車さながらの暴走が許されてよいのでしょうか?この年になってこのような目に逢おうとは、私は安倍総理から宣戦布告を突きつけられたような気分になりました。
 前便でも訴えたのですが、この凶暴なファシズムの暴走を具体的に止める手立てがあるのでしょうか?いったいどうすれば止めることが出来るのか、我々が敗戦の代償として手にした民主主義とは、これほどか細いものであったのか。このような法治国家の裏を突かれたクーデターには弱いのか?野党を始め多くの市民団体の反対、連日のデモ、世論調査に見る国民の否定、それぞれが憲法違反を叫んで廃案を望むのですが、政府与党は「砂川判決」による合憲性を主張して聞く耳を持たず、数を頼んで押し切ろうとするのです。無理矢理採決をしたところで、憲法違反の法律は98条に示された通り、全て無効の筈ですが・・・・。
 問題の焦点は、安倍総理が唱える合憲性が果たして正しいか、否かにあるのではないでしょうか? それを誰がどのように決めるのか、それが為には安倍総理自らの手で合憲を証拠立てる義務があります。云い出した者の立証責任ですが、それを国会の場で明らかにして下さいと、私は野党のお一人にお願いしたばかりです。良心と理性豊かな相手であればともかく、巷間伝えられるような方々ばかりでは無駄であり、戦後最大の不祥事が粛々と進められようとしています。
 これらの暴挙にはそれなりの理論武装があることを、私は産経新聞の「正論」で知りました。「安保法政論議に揺らぎを見せるな」として桜田 淳教授が概略以下のように述べておられますが、衆院憲法審査会での憲法学者の違憲見解は、「永田町」に大きな衝撃を与えたが、それは法律家の意見であって、政治家としての価値判断とは別のもの、国の運命を担った政治家は動揺したり、聊かも迷ってはいけないと、激励しているのです。
 >外交・安全保障を含む広い意味での政治を語る際に避けなければならないのは、「宗教家」や「法律家」の発想を持ち込むことである。宗教家にとって物事の価値判断の基準は“道徳上、それが正しいか正しくないか”である。そして法律家にとっての価値判断の基準は猖[Ь紂△修譴正しいか正しくないか”である。故に彼らに安保法制についての見解を求めれば、憲法学上の多数学説に拠った「違憲」見解が示されるのは寧ろ当然であろう。その後に報じられた歴代内閣法制局長官の「違憲」見解もまた、彼らが法務官僚として「法律家」の発想に拠る評価を示したものに過ぎない。<
 更に筆者は、“自分が政治学徒ではなく憲法学者であれば、多分、彼らと同様に憲法学上の多数学説としての「違憲」見解を披露するのであろうと想像する。”と述べ、>一方、政治家にとっての価値判断の基準は「それが必要か必要でないか」である。政治家の採るべき態度は、“道徳上、不実であろうと、あるいは法律上、怪しかろうと、それが国家、国民の利益のために必要であるかどうか」である。さらに「それが賢明であるか愚劣であるか」という価値判断の基準が加わる。<
 >現下の安保法制論議の奇観は、前に触れた3教授の見解に引っ張られる体裁で安保法制の「憲法解釈」に議論の焦点が過剰に当たった結果、その「必要性」に絡む議論が消えていることにある。そもそも、現下の安保法制整備の下地になっているのは、多くの政治学者や外交専門家を中心にした議論の上で公表された「安保法制懇」報告書である。現下、政治家が手掛けるべき議論とは、その安保法制の「必要性」の検証に他ならない。安倍晋三内閣・与党は、「憲法解釈」論議に付き合うのではなく、安保法制の「必要性」を国民各層に説くことに専念すべきである。< 
 私はこの尊大なご高説を読み、これが安倍政権爆走の、またファシズムのバッグボーンであると確信致しました。一国の存立が危ういピンチには、いかに道徳上悪いことであろうと、法律上怪しかろうと、これらよりも国の舵取りを担う政治家の判断が優先する、選ばれたトップの判断は国の指標である憲法よりも大事である、その信念を以てやりなさいと激励しているのです。何時の間にこのような恐ろしい世の中になったのか、この夏からは護憲かファシズムかを問う正念場、、思わぬ非常時の到来です。
 このように政治家と称する方々は、人道に外れたことであれ、法律に反することであっても、必要とあればいつでも思う通りにやることが出来る、否、やらねばならないというのです。この考え方の根底をなす「正論」は、国家、国民の利益のために必要だと思えば、ルール違反であれ大量殺人であれ是とされる、これは従来の価値観を根底からひっくり返す程の理論ですが、いったい何時から、誰の判断でこのように変わったのでしょうか?
 まさにファッショそのもの、私は思い上がった安倍政権の正体をここに見るのです。劣化どころか甚だしい増長慢です。人類は先人たちが残してくれた知恵の積み重ねによって多くのルールを作り、宗教家はいろいろ有効ななタブーを設けてくれました。我々は多くの試行錯誤を重ねながらも、それでも争いを未然に防ぐために謙虚な努力を続けているのです。それらの叡智を一笑に付するように、“政治家は彼らに騙されてはいけない、国家、国民の利益のために必要だと思えばそれらを無視して突っ走れ”というのです。   
 神ならぬ身の人間に、それだけの判断が出来るとでも思っているのでしょうか?思い上がりも甚だしい、我々はこのような権限を何時総理に与えたのか。冗談ではない、総理就任以来、一つでもまともな仕事をした事があるのなら聞かせてほしい。私たち「シベリア抑留」は先日特措法成立5周年を祝ったばかりですが、僅か5年前に比べて周囲の環境はどのように変わったか。四方八方敵だらけ、北朝鮮には舐められるは、従米従属のアメリカに対してでさえ、しっくり行かない体たらく、すかたんばかりではありませんか。
 鳩山内閣を良く言う人は少なく、アメリカに逆らって短命に終わりましたが、今に比べれば平和でした。従って5年前にはこのように怪しげな法案を審議する必要もなかったのです。特に中国を仮想敵国に見立て、平地に乱を呼び込んだ失態は顕著ですが、それよりも取り返しのつかない大失敗はイスラムを怒らせ、そのために二人の人質を殺され、更に宣戦を布告されたことです。現在我が国は交戦中で、既に戦時下にあるのです。
 衆議院平和安全法制特別委員会は1日、参考人5人を呼んだのですが、その中でジャーナリストである鳥越俊太郎氏の話は傾聴に値すると思います。イスラムを敵に回した安倍総理の大失態を鋭く咎めているのです。この人は元特派員として中東事情に詳しいのですが、彼らが日本を見る目は好意と尊敬に満ち、アメリカに2度も原爆を喰らいながら不死鳥の如く蘇り、平和に貢献している戦後日本の姿を高く評価していたというのです。
 それが安倍総理の軽率な振舞によって信用を失い、人質を二人も殺されたうえ宣戦を布告されたのです。いま世界の対立構造はアメリカを中心とする国々と、テロリスト集団と言われるイスラム過激派の争いとされていますが、我が国は何時の間にやら有志国と見られ、テロの標的とされているのです。特攻隊のようなジハードの戦士が、何時新幹線を襲うのか、甲子園球場を狙うのか、予断を許さない危機にあるというのです。
 よせば良いのに目立ちたがり屋の安倍総理は、エジプトやイスラエルにまで足をのばして軽率にも、2億ドルの援助を約束したことが彼らを怒らせました。まさに飛んで火に入る夏の虫、このような愚かな総理に、どうしていつまでも一国の舵取りを任せるのか、私は今、何らかの手を打たない限りジハード戦士のテロにやられ、オリンピックも返上させられる危険性があるように思います。
 政治家や軍人にルールやタブーの制約を解き、その判断に任せた結果がどのようになったか?彼らの愚かさが国や国民の幸せや利益に寄与した事が一度でもあったでしょうか。国を亡ぼした事実はご存知の通りですが、私は卑近な例を二つ挙げ、このクーデターのような自公政権の暴走への警告にしたいと思います。
 「南京事件」ですが、“うちは捕虜を取らぬ事にしている”と云って皆殺しにした部隊がありました。捕虜にまで食わせる食糧が無いというのがその理由でしたが、それであるなら国際法に従って捕虜を解放すべきところ、後日の安全のために皆殺しにしたのです。人道的配慮や国際法よりも、中島今朝吾司令官個人の爐修譴必要であるのか、否か”の判断に忠実であった結果です。略奪や婦女暴行は兵士への論功行賞で、その理由も同じです。
  自分の姉妹や娘たちがその境遇に泣いたと知れば、誰でも逆上することでしょう。「慰安婦」はその経緯がどうであれ、女性の尊厳を踏みにじった地獄でした。「性奴隷」としての残酷さもさることながら、忠勇無双の皇軍兵士に軍自身が不貞、不倫を取り持った事実は、留守を預かる妻女に対してどのように申し開きが出来るのか? しかし人道的、法律的に好ましくない事であっても、大局的判断からの司令官命令が全てに優先したのです。1932年の上海事変の時、初めて慰安所を作ったのは岡村寧次参謀副官でした。

安倍政権の暴走を止めるには(2)(池田幸一メール)

(池田幸一さんの2015年6月29日のメールです。)
 皆様。池田幸一です。
 <承前> 以上のように田中耕太郎の「砂川判決」は、“米軍基地は憲法違反であり、それをを容認した日本政府は憲法9条を犯している”とする伊達判決を覆したもので、時の最高裁はアメリカ大使に内通して裁判の中立性と守秘義務を踏み外し、また司法のトップがそれらを意図的に犯した稀に見る売国行為は我が国司法の尊厳を地に落とし、対米従属の原点をなす不祥事であります。それらの中に憲法への合憲性が何処にあるというのでしょうか? 
 日刊ゲンダイが伝えたこれだけのビッグニュースを、マスコミのどこが国民に伝えたでしょうか?東京新聞と毎日新聞が小さく報じただけ、国会でも誰一人問題にせず、「砂川判決」には秘められた緘口令が出されているのでしょうか。私は昵懇に願っている「選良」さんにお願いし、更に論点を練り上げて「砂川判決」と、それを根拠の「砂川合憲説」を正してほしいのです。この売国奴になぜ我が国最高の菊花大綬章を与え、従2位に遇せねばならないのか?その理由も合わせて知りたいのです。
 自民党の軍師とされる高村正彦議員がでっち上げた「三段論法的合憲論」は、柄のない所に柄をすげた牽付会の強引さが目立ちます。憲法学者の殆どが違法とされるのも当然、一つの「高村の談話」であって学問には程遠い。これを国辱的な「砂川判決」弾劾と合わせ、この際決着をつけてほしいのです。評論家の天木直人さんが翻訳されたアメリカの極秘電報3通を、以下添付いたしますので、ご覧下さい。
   1)1959年4月24日付電報
 最高裁判所は4月22日、砂川裁判の東京地方裁判所判決に対する最高検察庁による上告趣意書の提出期限を6月15日に設定した。これに伴い、被告の弁護側は彼らの立場を示す文書を提出することになる。外務省当局者は大法廷での上告の審理はおそらく7月中旬までに始まるだろうと我々に伝えている。しかし、現時点では、判決が下される時期を推測するのは不可能である。田中裁判長は大使(筆者註:マッカーサー駐日米国大使)との内密の会話の中で、本件訴訟は優先権が与えられているが、日本の手続きでは、判決に至るまでには、審理が始まった後少なくとも数か月はかかる、と述べた。
   2)1959年8月3日付電報
 共通の友人宅での会話の中で、田中耕太郎裁判長は駐日米国大使館首席公使に対し、砂川裁判の判決はおそらく12月になると今は思うと語った。田中裁判長はまた、弁護団は裁判の結審を遅らせるためにあらゆる可能な合法的手段を試みているが、彼(筆者註:田中裁判長)としては争点を事実問題ではなく法的問題に限定することを決めていると述べた。この考えに立って、彼は、9月はじめに始まる週から週一回、それぞれ午前と午後の二回開廷すれば、遅くとも三週間で口頭弁論を終えることができると確信している。問題はその後に生じうる。なぜなら彼の14名の同僚裁判官たちの多くがそれぞれの見解を長々と論じたがるからだ。裁判長はまた、結審後の評議が、実質的に全会一致の判決が下されるような、そして世論を”乱す“少数意見が回避されるようなやり方で行われるよう希望していると付言した。コメント(筆者註:これは米国公電に書かれている言葉で米国大使のコメントである。私のコメントではない)
 (米国)大使館は最近、外務省や自民党の情報源から、日本政府が新日米安全保障条約の提出を12月から始まる通常国会まで延期する決定をしたのは、砂川裁判判決を、最高裁判所が当初意図していた晩夏ないし初秋までに出す事が不可能になった事に影響されたという複数の示唆を得た。これらの情報源は、砂川裁判の進捗状況が新条約の国会提出を延期した決定的理由ではないが、砂川裁判が審理中であることは、そうでなければ避けられたであろう、社会主義者やその他の野党に論争点を与えかねないと受け止められていることを教えている。さらにまた社会主義者たちは米軍の日本駐留は憲法違反であるという地方裁判所の判決に強く傾倒している。もし最高裁判 所が地方裁判所の判決を覆し、国会で審議が行われているその時に、政府側に有利な判決を下すなら、新条約を支持する世論の風潮は大きく助けられ、社会主義者たちは政治的柔道の中で、みずからの奮闘により逆に投げ飛ばされることになろう。
   3)1959年11月5日付電報
 田中裁判長との最近の非公式の会話の中で、我々は砂川裁判について短い議論をした。裁判長は、時期については明言できないが、いまや来年のはじめまでには最高裁は判決を下すことができるだろうと言った。彼は、15人の裁判官にとって最も重要な問題は、この裁判に取りかかる際の最大公約数を確立することだと見ていた。田中裁判長は、可能であれば、裁判官全員が一致して、適切で、現実的な、いわば合意された基本的規準に基づいて裁判に取りかかることが重要だと言った。彼は、裁判官の何人かは「手続上の観点から事件に取りかかろうとしているのに対し、他の裁判官は「法律上」の観点から事件を見ており、さらにまた「憲法上」観点から問題を考えている者もいることを、示唆した。
 (私は田中との会談からつぎのように推測できた。すなわち何人かの裁判官は、伊達判事を裁判長とする第一審の東京地方裁判所には米軍駐留の合憲性について裁定する司法権はなく、東京地方裁判所は、みずからの権限と、米軍基地への不法侵入という東京地方裁判所に最初に付託された争点を逸脱している、という厳密な手続上の理由に基づいて判決を下す考えに傾いている。他の裁判官は、最高裁判所はさらに踏み込んで、最高裁判所自身が米軍の駐留が提起する法律問題を扱うべきだと考えているようだ。さらにまた他の裁判官は、日本国憲法の下で日米安保条約は憲法より優位であるかどうかという、憲法上の問題に取り組むことを望んでいるかもしれない。)
 田中裁判長は、下級審の判決が支持されると思っているような様子は見せなかった。それどころか反対に、彼は、それは覆されるだろうが、重要な事は、この事件に含まれている憲法上の争点について判断が下される場合は、15人の裁判官のうち、できるだけ多くの裁判官が一致した判決を下すことだと考えている印象だった。すなわち、伊達裁判官が憲法上の争点について判断を下したことは大きな誤りであったと、彼は述べた(了)
       <この項完>

お知らせ・明日7月1日は第一水曜日なので、昼休みの国会一周に行きます。12時に地下鉄丸ノ内線「国会議事堂前」駅の改札出口前からスタートして議事堂を一周し、その後適宜に昼食するのを例にしています。
追伸・雨天なので来週に延期します。

安倍政権の暴走を止めるには(1)(池田幸一メール)

(池田幸一さんの2015年6月28日のメールです。)
 皆様。  池田幸一です。
 選ばれる人のことを「選良」と云うのだそうですが、この度の騒ぎをしげしげ見ていると、失礼ながら「選バカ」とより申し上げようがない。これで自民党と安倍総理の支持率は暴落したのでしょうが、桜里さんが仰せのように、いったい自民党とは何なのか?「保守」と位置づける事自体が間違っているように思います。異常な異論封じと数を頼んでの傲慢、独断と専権は明らかにフアッショです。
 しかしこの「選バカ」さんは、一人ひとりが“賛成”と右手を挙げるだけのロボットであって、党議に従って確実に一票を稼ぎます。自らの判断すらも出来ない「選バカ」を選んだ国民の良識が問われるところですが、ボスの安倍総理は“何処かの時点で議論が尽くされたという判断がなされれば、決める時には決める”と、早くも採決に前のめりです。この人にとってはアメリカとの約束が至上命令で、近いうちに有無を言わさず採決する気でしょう。そうでないと内閣が潰れるからです。
 国民各層の激しい反対も総理には通じず、60年安保や92年のPKO法案の例を挙げ、“法案が実際に実施される中で理解は広がるものだ”と取り合いません。大庭さんは“野党が一丸となって廃案に持ち込むしかないでしょう”と仰せですが、果たして今の野党にそれだけの力があるでしょうか。マスコミも牙を抜かれた状態で頼りにならず、連日の激しいデモも蛙の面に何とやら、このように我が国のひ弱い民主主義は、あれよあれよのうちに押し切られようとしています。さて、この暴力に立ち向かうにはにどうすればよいのでしょうか?
 私は迷うことなく素直に問題の核心を突くべきだと考えます。安倍総理は26日の答弁で、従来の高村正彦根拠を踏襲し犧2鵑痢岼楕欖慙∨^董廚郎柔酥酬茲旅佑方に沿ったもので、その判決は自衛権の限定容認が合憲である根拠たりうる”と言明致しました。つまり、法案に盛り込まれた集団的自衛権行使容認が憲法9条に反しないというのです。しかしこの考え方は殆どの憲法学者や法曹界の違憲判断に真っ向から反する主張であることは明らかです。
 いま論じられている些末な事象よりも、私はこの法案が果たして合憲であるのか、否か?これを徹底的に正せばどうかと思うのです。憲法98条には“この憲法は国の最高法規であって、この条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。”とあります。いくら無理矢理法案を押し通したところで、違憲であれば折角の「安保関連法案」も全て無効、喧々諤々と論じる事自体がナンセンスです。
 安倍総理が合憲の根拠とする「砂川判決」を洗い直し、白黒をはっきり検証することが最も判り易くて早道です。国会の場で「砂川判決」が裸にされ、安倍総理の言い分が間違いだと証明されれば忽ち廃案。それなら国民も納得するのではないでしょうか?総理は目がくらんでいる、“飛んで火に入る夏の虫”とはこのことで、「砂川判決」には我が国司法の拭いがたい汚点でいっぱい、藪を突いて蛇を出した事を後悔することになるでしょう。白崎さんは癸械隠僑隠靴念焚爾里茲Δ法¬簑蠅粒某瓦魃圓突いておられます。
 >砂川判決における「統治行為論」なるインチキをおこなった「田中耕太郎」なる人物こそ、無法日本、そして対米従属の象徴なのです。ここをもっと、マスコミは報道しないとダメです。この「砂川判決」を総括しない限り、日本の憲法はまともにならない〜と判断しました。また、いまの「解釈改憲」のインチキもここに根拠があります。本来、憲法解釈は最高裁にあるのに、その最高裁が米国に従属している。それをいいことに、閣議決定と言う三権分立を無視した憲法停止政府が大きな顔をする。こうして、日米安保>憲法という戦後史の枠組みができあがったのです。国民はもっと怒るべきです。これは、集団的自衛権云々以前の基本の基本の問題が無視されていることなのです。<
 私もまったく同感で、この度図らずも脚光を浴びた「砂川判決」は、時の最高裁裁判長田中耕太郎の売国行為を始め、スキャンダルに満ち満ちています。今に至るも諸悪の根源になっている事実を、この際はっきりすべきどと思います。アメリカに内通し、圧力に屈し、基地を憲法違反とした伊達判決をひっくり返し、最高裁の権威を失墜させた判決は、いま元被告人の手によって再審請求の訴訟中です。私は安倍総理の怪しげな合憲根拠を暴くと共に、この訴訟の解明にも拘りたいのです。6月19日の日刊ゲンダイは次のように報じています。
 >安保法案“合憲”の根拠…砂川裁判の当事者が怒り「許せない」・・・・・ 安倍政権は集団的自衛権の行使容認が合憲である根拠として、1959年の砂川事件の最高裁判決を“錦の御旗”にしているが、この上告審は裁判長(最高裁長官)が米国に魂を売って書き上げた「デタラメ判決」だったことを国民はよく考えた方がいい。当時の田中耕太郎最高裁長官がマッカーサー在日米国大使と密かに話し、砂川判決を政治的にねじ曲げたことが、米国の公文書で明らかになっているのだ。そんな判決文を安倍政権があえて持ち出したことに対し、裁判の元被告人である当事者が18日、ついに怒りの声を上げた。<
 >衆院議員会館で会見を開いた元被告人は土屋源太郎氏(80)。1957年に米軍立川基地の拡張反対闘争で基地内に侵入したとして逮捕・起訴されたひとりだ。土屋氏らは米国の公文書を根拠に、最高裁判決が憲法37条の「公平な裁判所」に違反しているとして、現在、砂川事件の再審請求訴訟を行っている。「(安保関連法案で)この汚れた、まさに無効の判決を持ち出して引用することは大きな欺瞞だ。国民をだます方便でもあり、我々当事者は絶対に許せない」(土屋源太郎氏)<
 >米公文書では、田中最高裁長官と米大使の密通がクッキリだ。極秘公電は3通あり、裁判の日程や進め方、判決の見通しについてまで事細かに報告されている。当時、日米安保条約の改定の議論が始まっていて、砂川事件の1審判決(米軍駐留は違憲)がネックになっていたことから、米国は最高裁の早期の逆転判決を希望していた。公文書には〈田中裁判長は、来年のはじめまでには最高裁は判決を下すことができるだろうと言った〉〈田中裁判長は、下級審の判決が支持されると思っているような様子は見せなかった〉とまで書かれているのだから驚く。<
 >こうした事実を政府が知らないはずはない。再審請求訴訟で極秘公電の翻訳をした元外交官の天木直人氏は、「判決の成立過程を知りながら合憲の根拠にしたなら、これほどフザケタ話はない」「安倍政権の安保法制の合憲性の議論以前に、田中最高裁長官が憲法違反」と憤った。土屋氏は、そもそも「砂川裁判の最高裁での審理で、自衛権の議論はなかった」とも明言した。デタラメ判決が再審となれば政府は赤っ恥をかく。悪いことは言わない。安保法案をいますぐ引っ込めるべきだ。<
   <以下次項へ>

「木を見て森を見ず」とは?(2)(池田幸一メール) 

(池田幸一さんの2015年6月8日のメールです。管理人の不注意で掲載が遅れました。)
 皆様。 池田幸一です。
 <承前> “自国の存立を全うするために必要な自衛措置を容認した1959年の最高裁の砂川事件判決を踏まえたものである”と、読売新聞の社説は法案の正当性をこのように主張するのですが、この論旨の出所が「高村仮説」であることは広く知られています。この騒ぎの震源地も自民党の軍師である高村正彦副総裁で、この人のシナリオを下敷きに作られたのが「戦争法案」だと思います。私はかって公明党が落ちた時、次のような投稿をした事があります。
 >公明党の北側一雄副代表は、自民党切っての策士高村正彦副総裁にものの見事に籠絡されました。歯止めは掛けたと云いますが、ブレーキのつもりがアクセスになっています。そもそもこれは砂川判決からの牽強付会によるもので、「限定的であるなら個別的、集団的を問わず自衛権の行使は容認される」とした法的根拠のあいまいな「高村仮説」を引用しています。これらはアメリカの圧力に屈服し、無罪の伊達判決をひっ繰り返して全員有罪を命じた最高裁田中耕太郎裁判長の判例によるもので、これまた司法史上悪名高い判断からの引用です。策士の土俵で相撲を取らされては手込めに遭うのも当然です。<
 基地拡張に反対するデモ隊が基地に侵入したとして起訴された7人を、無罪としたのが伊達判決ですが、検察は直ちに最高裁へ異例の跳躍上告、この判決を怒ったアメリカの圧力で差し戻され、逆転して全員罰金刑の有罪となりました。その時の田中耕太郎裁判長の判断は次の通りです。“最高裁は日米安保のように高度な政治性を持つ条約については、法的判断を下す事は出来ない”
 独立国の最高裁が判断出来ない、このような屈辱に腹を立てるどころか巧みにこれを逆用し、柄のない所に柄をすげて憲法違反の法案をでっち上げ、アメリカに自衛隊を貢ごうとするのが「安全保障関連法案」であり、更に従米路線を強化してアメリカの手先になろうとするのが政府であり、与党です。どうして無理矢理敵を作るのか、敵を作らないような外交が何故出来ないのか?私はこの知恵者を失礼ながら「小利口の大バカ」の見本だと思っています。
 国民が今なすべきことの第一は安倍政権の暴走を止めること、それが為には声を挙げ、町へ出ることです。者や日弁連に続いて真宗大谷派が明快な反対を表明しましたが、あらゆる団体がどうして後に続かないのか?今をおいては無いように思うのですが。また全国津々浦々に怒涛のようなデモが必要です。一強多弱の国会は当てに出来ない、戦前と同じように権力は戦争に近付き、国民の多くが無関心、この雰囲気は実に危険です。
 なぜ市井の一老人がこのように心配するのか?国民の代弁者である議員先生が、全てとは云いませんが当てにならないからです。戦前の議会は国民を裏切り、軍の暴走を止めることが出来ませんでした。それのみか戦争を支持し権力に同調致しました。今の野党も弱いのです、解散総選挙を恐れて途中で政府与党と妥協する恐れがあります。伝家の宝刀を抜かれると困るのは野党であって、惨敗の傷跡は深く未だ立ち上がれず準備不足、加えてカネがありません。
 憲法違反とされた法案を数を頼んで押し切ろうと、議会での攻防は更に続くのでしょうが、最後にブレーキを掛けるのは国民です。“そんなにこの法案が嫌いなら、国と国民を守れる代案を出すべきだ、”の声もあるようですが、それなら野党も憲法違反でない法案を出せば良いではありませんか。憲法の理念に沿った平和で敵を作らない仲良し法案を、どの国とも争わず愛され、尊敬される法案を出せばどうでしょうか。
 いま安倍政権が目指す道は沖縄が象徴するようにどんつまりです。地元の声を尊重する民主主義は崩壊し、このままでは流血の騒ぎが避けられません。違憲法案を巡る争いも深刻で出口すらも見出せない、このような八方塞りの場合は発想の転換が必要で、この際思い切って自衛隊を無くせば新しい視野が開けて来るのではないでしょうか。気違いに刃物、なまじ持っているからこその心配で、世界災害救援隊に変えるのも良し、丸腰になればすっきりすると思うのです。
 一度憲法通りの国造りを考えてみませんか、そこからは無限の展望が開けてきます。やってみて不味い所があれば変えれば良いのであって、折角の憲法を殆ど使うことなく変えるのは如何にも惜しい、私は勇気を以て護憲の道を歩むべきだと思います。
 >この項 完>

「木を見て森を見ず」とは?(1)(池田幸一メール) 

(池田幸一さんの2015年6月7日のメールです。)
 皆様。  池田幸一です。
 安倍総理の“木を見て森を見ず”とはいったい何を言いたいのか?巷間いろいろに論じられているようですが、私は総理の言う森とは、アメリカの軍事力で守られている抑止力のことであり、木とは野党がうるさく質問するリスクへの心配だろうと思うのです。つまり虎の威を借る狐であって、アメリカに戦争を吹っ掛けるほど愚かな国は無い筈だ、従っても はや戦争はあり得ない。木の心配などはバカバカしい取り越し苦労であってナンセンス。この人は森による安心が全てなのです。
 この安心を得るためには条件があります。日米安保が今のように片務的であっては安心は得られない。アメリカに限り無く近寄り、従米のパーセントを高めれば高めるほど安心の度合いは増えて行く。従って属州のようになってしまえば完璧です。つまり独立性を失えば失うほど抑止力は高まるのです。安倍政権は中国の攻勢を恐れ、この従米一辺倒の道をまっしぐらですが、そのための「戦争法案」強行で、この攻防がいま国会で見られる風景です。
 安倍総理が“この夏までには通して見せます”とアメリカに約束し、強引に押し通そうとする「安保関連法案」を、3人の憲法学者が口を揃えて違憲だと決め付けました。とりわけ自民党が選んだ学者の見事なオウンゴールにより、自公政権は自らの墓穴を掘ることになりました。まさに天佑神助、気まぐれな「神風」が思いがけない時に吹いて呉れ、我が国は辛うじてピンチを脱したように思います。この参考人の発言はまた、木と云う枝葉末節の各論に拘らず、根幹をなすところの総論をこそ論考すべきである、即ち議員各位は森を見ていないではないか の忠告のように私には思えるのです。
 私が“土俵を変えないと押し切られる、自分の相撲が取れる土俵を作れ”と言ったのはこの事で、権力が仕組んだ各論の土俵では負けるに決まっています。これで漸く自分の土俵で相撲が取れる。各論と云う木ばかりを見るのではなく、森という総論を展望しつつより良き道を見出して貰いたい。有利な展開を願って送り込んだ学者が、期待に反して憲法違反だと断じるような法案を、なぜ国会で審議せねばならないのか?こんなお粗末な法案を国会に出す事自体が糾されねばならないのであって、廃案必然です。
 3人の憲法違反宣言に呼応して186人の学識者が法案廃棄を要求し、日弁連はこれに先立って5月29日に「戦争法案反対」を声明し、直ちに共産党との共闘を明らかに致しました。このような願ってもないチャンスを野党は果たして廃案に追い込み、安倍政権を倒す力があるのでしょうか。私が関心を持つのはもう一つ、専門家の意見を聞くまでもなく、無学の老人でさえこれはおかしいと危うんだ「戦争法案」を、マスコミはどのように扱ってきたでしょうか。
 事毎に政府の提灯を持つ御用新聞は、何の疑いも差し挟まず憲法違反の法案を一貫して支持し、権力に迎合して読者を扇情してきたではありませんか。今回も自らの不明を恥じる事なく産経新聞は沈黙、僅かに乾 正人編集長の「勉強が足りぬ国会議員」と題した記事があるのみです。>衆議院憲法審査会に出した参考人の失言は「人選ミス」であると強調し、もっとしっかりした学者を選ぶべきであったと議員不勉強のせいにしているのは笑止です。
 読売新聞も直後の釈明が無く、一拍置いた形で6月6日の社説は[集団的自衛権 限定容認は憲法違反ではない]と、以下のように反論しています。>昨年7月の政府見解で決着したはずの憲法問題が今、蒸し返されたことに違和感を覚える。中谷防衛相は安全保障関連法案審議で、集団的自衛権の限定行使について、「憲法違反にならない」と答弁した。「これまでの憲法9条の議論との整合性を考慮し、行政府の憲法解釈の範囲内だ」とも語った。<
 >参考人の長谷部恭男早大教授は「従来の政府見解の基本的論理で説明がつかないし、法的安定性を大きく揺るがす」と述べた。首をかしげたくなる見解である。政府は、集団的自衛権の行使について「我が国の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険」という、極めて厳しい要件をつけている。この要件は、自国の存立を全うするために必要な自衛措置を容認した1959年の最高裁の砂川事件判決を踏まえたものだ。<
 以下は省きますが万事がこの調子で、挙句の果てには“看過できないのは、政府提出法案の内容を否定するような参考人を自民党が推薦し、混乱を招いたことだ。参考人の見識や持論を事前に点検しておくのは当然で、明らかな人選ミスである。”と自嘲し、法案審議は重要な局面を迎えている。政府・与党は、もっと緊張感を持って国会に臨むべきだ。と結んでいます。
 防衛大臣の否定は歯切れが悪く、幹事長も意味不明の答弁を繰り返すばかり、これらは国民の目にどのように見えるでしょうか。これで世論の風向きは逆転、自公の面目は地に落ちましたが、今から自公必死の巻き返しが始まることでしょう。全右翼とマスコミを動員し総力挙げての反撃は見ものです。場合によっては伝家の宝刀の解散総選挙、国民の信を問う事になるでしょう。そうでもしないとアメリカに顔向けが出来ないのです。
 最後の答えは国民が握っています。万事問題の解決は双方の当事者ではなく、いつの場合でも第三者が決めるのです。即ち今から日本が目指す方向の決定権は国民の手にあります。紙数が尽きました。私の言いたいことの続きは次項で・・・・

小利口の大馬鹿 2、3(池田幸一メール)

(池田幸一さんの2015年5月30日のメールです。2回分をまとめてご紹介します。)
 皆様。 池田幸一です。
 戦争をするのかしないのか、なんだか戦争前夜のような雰囲気ですが、戦争を経験した一人として気になるのはやはり「小利口の大馬鹿」です。前の戦争の発端は1936年9月、関東軍が引き起こした謀略による満州事変で、その結果としての国際連盟脱退、世界の孤児になった我が国は中国大陸の奥にまで攻め入り、泥沼に足を取られて挙句の果ては国を亡ぼす事になりました。なぜこのような無謀な事をやったのか?
 私はここでも随所に「小利口の大馬鹿」現象を見るのです。同盟国のドイツは破竹の勢いでヨーロッパを席巻し、瞬く間に英仏を制圧致しました。我が国の小利口はその勢いに目を奪われ、“バスに乗り遅れるな”を合言葉に空き家となった仏領インドシナに進駐致しました。棚から牡丹餅、その先には喉から手が出るほど欲しくて堪らぬ石油がある。濡れ手に泡と喜んで踏み込んだ行為がアメリカを怒らせました。
 そのアメリカに宣戦を布告したのはご存知の通り12月8日でしたが、その僅か3日前の12月5日にドイツ軍は、ソ連軍の反撃を受けてモスクワから退却しているのです。さしものドイツもこの日を境に非勢に陥るのですが、小利口の目にはこれが見えなかった。“もしも”は禁句だそうですが、もしこの情報を知っておれば、また大局が見通せば果たしてハワイを襲ったでしょうか? 我が国はいつも何かが足りない、大きな知恵と云うのでしょうか、きざな言葉で云うところの「哲学の不足」ではないでしょうか。
 惨めな敗戦の原因はいろいろあるでしょうが、小利口の大馬鹿の外、軍による言論統制とマスコミの屈服が大きいと思います。大本営発表は戦争の実態を何一つ知らせませんでした。近頃の新聞がなぜ面白くなくなったのか? 「二本国」現象で明らかな通り、大手新聞の対立がそれを象徴しているように思います。御用新聞と言われる新聞と、そうでない新聞、その主張する所は水と油ですが、それが余りにも類型的でつまらない。これでは国論が二つに割れるのも当然ですが、私はそれでもよいと思っています。戦前は全ての新聞が御用新聞でした。
 私は5月の初めの5日ほどを北海道へ湯治の旅に出かけていたのですが、意外や地元の新聞は権力に迎合せず、その健全性?に安心致しました。この度の「安保法制」で割れた各紙の社説を比較したデーターがありますが、これは在京6紙と主な地方紙8紙のもので、この法制を是とするもの、否とするものは次の通りです。賛・・・読売、産経,日経、北国、中国の5紙。否・・・朝日、東京、北海道、河北、信濃毎日、西日本、琉球、沖縄タイムスの8紙。毎日新聞はは三角マークでした。
 面白くない記事の中にも時々は意表を突かれる記事もあるもので、次は「まぐまぐニュース」の「アメリカ人質論」です。
 >アメリカに「占領されている」日本側にとって、中国との最前線である沖縄に駐留を続ける米軍は非常に重要な存在です。なぜなら、ひとたび沖縄が攻撃されれば、その被害は駐留米軍に及ぶ確率が高く、そうなると米軍自体は望む・望まずにかかわらず、ほぼ自動的にその争いに介入せざるをえなくなります。日本にとっての対中国最前線に自分たちを支配している米軍を配置する。これにより、仮に中国や北朝鮮のような仮想敵国が日本を攻撃してきた際には、図らずも米軍をも攻撃することになってしまう…。このようなメカニズムをつくることによって、無理やり駐留米軍を「抑止力」つまり「人質」にしてしまおうというものです<
 いま審議中の「戦争法案」を安倍政権が強引に通すような事になりますと、我が国の独立性はますます失われ、事実上アメリカの属州のようになることでしょう。そのアメリカの兵士たちが属州日本の人質とは… なお申すまでもないことですが一番先に狙われるのは何処か? 沖縄と基地でしょう。核や軍事力を背景に、世界はこのように新しいてこ味方の相関関係を作って行きますが、その渦中に自らが飛び込んでゆくような愚は避けるべきだと思います。
 NPT会議はそれぞれむき出しの本音がぶつかり合い、良い合意が得られないままに終わってしまいました。唯一の被爆国としての我が国はその立場から廃絶を奨め、世界恒久平和に貢献すべきところ、核の傘に守られている矛盾から折角の機会を失ってしまいました。いったい私はこの項で何を言いたいのか? 意を尽くせませんのでもう少し、拘らせて下さい。
(以下は3回目)
 明治、大正、昭和、平成と四代を生きた私が最後に行きつく命題は何か、日本人としてのアイデンティティの確立です。私は何を根拠に生きてきたのか?その一つのキーワードは忠君愛国です。古いと言われようともこれは確かな感触で、我が国が重大な岐路に立つ今、これだけははっきり確かめておきたいと思うのです。戦後我が国は全土をアメリカに占領され、独立国とは名ばかりの現状ですが、更に政府は従米路線を強化しようとしています。これに対して右翼を自負する人々は腹が立たないのか、先ず「愛国」の面から確かめたいのです。
 このような情けない国が世界の何処にありますか?大和民族の誇りは地に落ちたのか、なりふり構わずアメリカに忠誠を尽くす媚態を眼の前に見て、よくも平気でおられるもの、特に右翼の総本山「日本会議」の沈黙は理解に苦しむ所、なぜ街宣車は官邸を取り囲んで、国を売ろうとしている裏切り者を弾劾しないのか?痩せても枯れても日本は日本、どうして誰からも支配されない自前の国を、自主独立の中立を目指さそうとしないのか?
 次は「忠君」ですが、我々日本人には古くから皇室を敬う伝統がありました。戦後は価値観の変化により昔ほどではありませんが、それでも国の象徴として多くが崇め、畏敬の念を抱いています。国事に口を差し挟めない立場にありながら、近頃漏れて来る護憲や平和への願望は、明らかに安倍政権の暴走を意識されたものとして、これまた我が国は「二本国」の様相です。安倍総理は明らかに叡慮に逆らっていますから、昔風にいうならば不忠のやからで「逆臣」ですが、これを国民はどのように捉えるべきでしょうか?
 天皇は昨年の傘寿の記者会見で、次のような注目すべき発言をされています。人生で特に印象に残ることとして「先の戦争」を挙げ、“日本は平和と民主主義を守るべき大切なものとして日本国憲法を作り、様々な改革を行って今日の日本を築きました”と指摘。更に“当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならない”と付け加えられました。皇室の活動と政治との関わりについての質問には、“今後とも憲法を遵守する立場に立って事に当たっていく”と、日本国憲法を“平和と民主主義を守るべき、大切なもの”と最大限に評価された上で、米国による押しつけ憲法という右派の批判を牽制するような発言をされたのです。
 また美智子皇后は昨年の誕生日にも、憲法をめぐってかなり踏み込んだ発言をしています。この1年で印象に残った出来事について聞かれた際に皇后は“今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます”としたうえで、「五日市憲法草案」に触れ、安倍政権を意識されているのでは、と思われる部分が随所にありました。天皇と皇后は安倍総理の改憲、右傾化の動きに危機感を持たれている、近頃はかなり具体的で踏み込んだ護憲発言が聞かれるようになりました。
 そもそも「忠君愛国」は右翼の専売特許のように扱われ、意に従わない人々を国賊とか売国奴と称しておとしめました。それが今や逆転して、叡慮に逆らう右翼こそが不忠逆族ではないのか?ゆくゆくは象徴を元首に戻して昔のように操りたいようですが、天皇はそれを好まない。その間にはさまざまなギャップがあるようですが、更に大きな食い違いは靖国参拝で、戦犯合祀以来天皇は参拝をしておられない。ところが右翼の要人は“国に殉じた英霊に何故参拝されないのか”とこれ見よがしに参拝しています。親の心子知らず、これまた叡慮を理解しない不忠の臣ではないでしょうか。
 象徴天皇を国政の場で論じるなどは、国民として差し控えるべきでしょうが、大きな岐路に立つ大事な時ですからこのギャップを整合すべきだと思います。天皇が大切なものとされる憲法を、安倍政権は踏みにじろうとしています。つまり叡慮に逆らう不遜な行為を安倍総理は粛々とやっているのです。これらを国会は何故問題にしないのか。「忠君愛国」が無視されて良いのであろうか。問題が提起され、国民は初めて事の重大さに気が付くことでしょう。
 アメリカの抑止力を期待し、従米従属が強化されればされるほど我が国の独立性は低下致します。日本が日本でなくなります。安倍総理を賛美すればするほど天皇を困らせることになります。保守系大手の読売、産経紙には錚々たる論客が政府の代弁をしておられますが、安倍政権の路線が国を売ることに繋がり、天皇に逆らう不忠の振舞であることに気が付かないのでしょうか?なぜ右翼のお家芸である「忠君愛国」を真面目に論じないのか?それどころかこの人たちは天皇を悩ませ、国の独立を損なうというおおきな誤りを日々繰り返しているのです。
 <この項 完>

小利口の大馬鹿(池田幸一メール)

(池田幸一さんの2015年5月28日のメールです。冒頭の一部を省略しました。)
 皆様。 池田幸一です。
 国会でのやり取りを見ていて、私はつくづく我が民族の宿痾とも云うべき「小利口の大馬鹿」を感じるのです。手先が器用で何をさせてもソツなく利口に立ち廻る、一見長所のように見えますが、大局を見る目がいつも曇っていて先々が見透せない。今回の安倍総理も虎の威を借る狐のように小康を得たのですが、いずれそのうちに無事では済まなくなるでしょう。敵が存在する限り安全は無いのであって、そんなに心配なのであればその敵と仲良くし、友達になればよいのです。
 習主席はいつでも大局的見地に立って考えるタイプのようで、その懐の深さやスケールの大きさは利口気に振舞う何処かの総理と対照的です。なるほど相手は戦争に手を出すほど愚かではありません。しかし戦争になり兼ねないこのピンチを、相手の聡明さに頼らねばならない危うさ、どうして戦争を根元から断ち切る手段を考えようとしないのか?難しいことではありません。大賢は大愚に似たりと云いますが、相手と仲良くして敵そのものを無くしてしまえば済むことです。
 それであるのにどうしてわざわざ敵を作って危ない橋を渡らねばならないのか。反戦不戦の憲法を忠実に守っておれば何一つ心配する事もなかったのです。今からでも遅くはない、不毛の国会審議はいい加減に切り上げて、ネーミング通りの「平和安全法案」を考えては如何、このような馬鹿げた「戦争法案」が国会に出されるほど、この国の民主主義は衰弱し堕落したのか、私は小利口と能吏の手で作られた土俵の上で相撲を取らされ、アメリカの手先になるなど真っ平御免です。
 私は「小利口の大馬鹿」の典型を、この法案の生みの親である高村正彦副総理に見るのです。“原案を作った本人する質問”と早速朝日川柳が叩きましたが、国会審議の先陣に立ったこの軍師が、総理と掛け合い漫才よろしく「平和安全法案」のキャンベーンをやってのけました。何たる茶番、言語明晰意味不明確、八百長国会丸出しですが、好まぬことながらいま我が国の未来はこれら俗論に押し流されようとしています。
 中国怖さになりふり構わずアメリカに助けを求め、それと引換えにアメリカの手先となって地球の裏側へでも銃を担って進軍する。それを可能にする物騒な法律を、数を頼んで粛々と押し切ろうとする、こんな乱暴なことが許されて良いのでしょうか。私はこれを阻止する多くの存在を信じているのですが、果たしてこれらの人々は立ち上がるのか?私はそろそろ心配になってきました。
 「小利口の大馬鹿」を、これは危ない、放っておけば大変だと気が付いた人々も多いと思うのですが、これらの人々はいつになったら立ち上がるのか?誰が音頭を取って呉れるのか。津々浦々に翕然とデモが続き、安倍政権を追い落とす日は果たして来るのでしょうか?私は以前に比べてマグマのような情熱と、国を愛する心の衰えを感じてならないのです。 国難来るのいま、最も顕著に反対しているのは共産党のようですが、そのほか最も心配されているのは皇室ではないかと思うのです。“安倍のやり方は間違っている、憲法を大事に守り、戦争はしてはいけない”と。
 国の象徴としての制約から表立ってはものが言えないお立場ではありますが、事あるごとに叡慮が聞こえて来るのです。共産党と天皇、このかけ離れた存在は戦前に於いても戦争はしてはいけないと反対の立場で一致して居ました。そのため多くの党員が獄に繋がれ殺されました。天皇はもともと英米派でしたからそれを敵に戦う事を嫌ったのでしょうが、ギリギリまで乗り気でなかった事は“四方の海、皆同胞と思う世に、など波風の立ち騒ぐらむ”と明治天皇の御製を示して最後まで抵抗されたことで知られています。
 近頃は敵と味方の判別が付き難くなり、特に中東のそれは複雑で判断に苦しむようになりました。我が国においても敵味方の相関関係が混乱し、遂には天皇と共産党が共に忠君愛国をモットーとしていた右翼と対峙するようになったのでしょうか?特に最も右に位置する安倍総理の天下ではそのギャップが方々に露呈し、今や我が国は新しい相関図のもとではっきりと「二本国」になりました。私はそのような感覚でこの難局に拘りたいと思っています。

4月27日この日を境にして(池田幸一メール)

 皆様。 池田幸一です。
 ほぼ予想されていた事とは申せ、このように露骨に決められてしまいますと怒り心頭で、それと同時にこの国が哀れで情けなくなりました。2+2の「日米防衛協力のためのガイドライン」の変更ですが、4月27日は後々の国民を苦しめる屈辱の日になることでしょう。何が屈辱か?、このような愚かな政府を選んだ口惜しさと、この恥ずべき取り決めに大半の国民が怒り、立ち上がろうとしなかった鈍感さです。
 これが鳴り物入りで訪米した安倍総理の手土産か、不戦反戦の憲法を看板に平和国家を宣言し、一時はノーベル平和賞の候補にも擬せられた我が国が、この日を境に世界の裏側まで行って戦争が出来る国に転落し、事実上アメリカの属州に甘んじる国になったのです。条約でもないこのガイドラインが今日からは形骸化した憲法に代わって事実上の宝典になるのです。
 読売、産経の二紙は例によってこれを支持し賛成していますが、他の殆どは反対で、相変わらず世論は別れて「二本国」ですが、果たしてこれで一人前の独立国と云えるのでしょうか。右寄りの人、左と目される人を問わず、この国に生を受けた日本人が、よくも黙って見ておられるものだと泣きたくなります。国を愛する心は何処へ行ってしまったのか、更に今後の首脳会談や上下院での演説がどのように演じられるのか、おそらくは平身低頭の無条件降伏で、その代わりに“どうかお見捨てなく中国から守って頂きたい”のひと言、アメリカへの忠誠を誓う儀式になるのでしょう。
 何故このようになってしまったのか?憲法の通りに平和路線一筋道でやっておれば何の心配もなかったものを、逆らったばっかりに近隣諸国との間に摩擦を生じ、特に中国を仮想敵国として一触即発の危機を招くに至りました。その戦争を恐れてのアメリカ頼み、これらの遠因を考えると、全てが自らが播いた種によるものだと判ります。中国を挑発して更にピンチを呼び込むのを「積極的平和主義」と云うのでしょうか?虎の威を借る狐のような虚勢が、果たして平和といえるのか。
 どうして中国や韓国と仲良く付き合う方法を考えないのでしょうか?武力の行使による手段は永久にこれを放棄すると憲法9条は明示し、更に戦力は所持せず、国の交戦権は認めないとしています。国を守る方法としては敵を作らない工夫と努力であって、また何事も話し合いで解決せよと命じています。特に隣近所に敵を作るなどは下の下であり、そもそも中国や韓国など、お隣さんとの争いなどはあってはならない事であります。
 このような戦後の日本にありながら、戦前のように軍隊を持ちたい、戦争も厭わない考えの人々が作ったのが自衛隊であり自衛権ですが、「砂川判決」の中から拾い出し、これに柄のない所に柄をすげ替えて捻り出したのが知恵者を誇る町村信孝副総裁でした。その延長が今回の「集団的自衛権」の行使容認に繋がり、今回のガイドライン変更にも効き目を挙げたように思います。
 沖縄県民の民意も一蓮托生、本土と共にガイドラインの支配するところとなり、第2の占領が始まります。安倍内閣はさしずめアメリカの代官でしょうが、昔から代官は庶民の味方ではなく殆どが悪代官でした。いったいこの逆境をどのようにひっくり返せば良いのか、野党は弱くメディアや学問のある人たちは無言、そのどん底から、憲法を守り原発の再稼働を認めない良識が何時立ち上がるのか?長い廻り道ではあれ、これこそが本物の日本民主主義だと思います。
(追記・不覚でした。新緑を眺めている場合ではありませんでした。首脳会談も国会審議も、ガイドラインに合わせた「つじつま合わせ」のセレモニーになるでしょう。この国では、ものごとの決め方が倒立しているのです。)

岡目八目の弁(池田幸一メール)

(池田幸一さんの2015年3月22日のメールです。)
皆様。池田幸一です。
 よく世間では岡目八目と云いますが、碁打ちよりも傍で見ている人の方が良く見透せる、つまり客観性の大事さを言うのでしょうが、過日のメルケル首相発言などが地平軸でいう所の傍観者であって、老人や子供は時間軸の岡目八目と申せましょう。従って中間の働き盛りが碁打ちと云う事になり、現在その代表が安倍総理であります。その安倍政権が20日、自公による「安全保障法制」の基本方針を正式に合意致しました。
 自衛隊、海外活動を拡大、などの大きな活字が新聞のトップに躍っていますが、政府は再び国民に銃を担えというのでしょうか、戦争をご存知ない安倍総理が国民を何処へ導こうとしているのか?戦争の辛さを骨の髄まで味わった老人と、今から最も多く血を流すであろう若者の意見をどうして聞こうとしないのか。この度の自公合意は如何にも尚早、昨年7月の「集団的自衛権の行使容認」共々、早急に撤廃されて然るべきだと考えます。
 記念すべき戦後70周年に、何故このような白を黒とする政策転換が必要なのか? 一連の安倍路線は憲法を形骸化し、平和国家の日本をアメリカの尖兵としていつでも戦争が出来る国に変えたいという、実に驚くべき転換で、この日は戦争への一里塚として歴史に残ることでしょう。それを株高とベアで誤魔化され、事の重大性が判らない国民の無関心、野党は力を失いメディアは分断され、学者知識層は無言、この状態は戦前よりも酷いのではないでしょうか。
 戦争の辛さを知っている老人は今やごく僅かになりましたが、身近な誰にでも聞いて下さい。誰もが戦争はしてはいけないと反対することでしょう。310万の命を失い国土を焦土と化した戦争で少しは利口になった筈の日本人とは、やはりこの程度の民族であったのか。もう一度痛い目に会わないと目が覚めない。若者よ、他人ごとではありません、戦場へ狩り出されるのは君たちなのだ。また今からの戦争に前線も銃後もないのです。
 この危機に際して、御用新聞は別として普通の新聞はさすがに危機感にあふれ、国民に緊張を呼び掛けています。しかし警鐘の乱打が足らない、私は毎日新聞の“どんな国にしたいのか”が最も核心に触れた社説ではないかと思います。“これだけの大きな政策転換をするのであれば、大前提として日本が国際社会の中でどんな国として生きて行くかという骨太の議論がなされるべきで、それは日本のグランドデザインを描く事である”
 戦後日本はいろいろな経緯を経て自衛隊と呼ばれる軍隊を持つようになりましたが、国際的には概ね戦争をしない平和志向の国としてそれなりに評価されて70年、試行錯誤はあれこれはご立派、先人たちの見挙げた業績でありました。その描くところのグランドデザインは“武力の行使は国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する“とした憲法9条の理念でした。
 この理念による政策が現状に会わず、随所にほころびが生じたのであればともかく、かなり味を薄めた形での平和路線でさえ立派に通用しています。その何処が悪くて変えねばならないのか?なるほど東アジアの波高く、急激な情勢の悪化は無視出来ないところですが、しかしそのピンチを招いたのは果たして何処の誰であったか? 暴走老人の妄想に端を発した尖閣問題は日中40年の蜜月を一挙に粉砕し、それを更に深刻化したのは他ならぬ安倍総理の偏ったナショナリズムでした。
 度重なる失政から中国を怒らせ、一触即発の脅威に慄く安倍政権が、アメリカの助太刀を頼む余りの属米従米がどれだけの危機を我が国に齎したか。中東紛争に巻き込まれてISから戦争を吹っ掛けられたのも、なりふり構わぬアメリカべったりが遠因です。それに加えて歴史認識の狂いに基づく韓国との不和、安倍総理の描くデザインは、憲法の理念をかなぐり捨てた戦争志向ではありませんか。
 我々国民はこのデザインのどちらかを選ばねばなりません。即ちアメリカに付くのか、東アジアを重視するかの二者択一ですが、それよりも急がれるのは全てのくびきを脱して自立し、厳正中立を第一に考えるべきではないでしょうか。一方に組しては酷い目に遭う、この事は先々の見通しの大局を誤った日独伊の三国同盟が教えてくれます。これがために米英を敵に回し、国を亡ぼしました。
 自公における二人三脚の与党協議はいろいろな事を教えて呉れました。平和を表看板に、“生命・生活・生存を最大に尊重する人間主義を貫き、人間・人類の幸福追求を目的とする、開かれた国民政党”を自負し、政権のハト派を標榜する公明党が、自民党切っての策士高村正彦副総裁に物の見事に籠絡されました。歯止めは掛けたと云いますが、ブレーキのつもりがアクセスになっている、これまた渦中の人には見えない盲点です。
 そもそもこれは、砂川事件最高裁判決からの牽強付会によるもので、「限定的であ
るなら個別的、集団的を問わず自衛権の行使は容認される」とした法的根拠のあいまいな「高村仮説」です。これはアメリカの圧力に屈服し、無罪の伊達判決をひっ繰り返して全員有罪を命じた最高裁田中耕太郎裁判長の判例によるもので、これまた司法史上悪名高い判断からの引用です。策士の土俵で相撲を取らされては手込めに遭うのも当然です。

出口のない沖縄の股裂き現象(池田幸一メール)

(池田幸一さんの2015年3月20日のメールです。原文のまま全文です。)
 皆様。 池田幸一です。
 いま我が国が当面する諸問題の遠因が「歴史認識」と「原発問題」の狂いにあることは過日のメルケル発言の通りですが、我が国首脳はこの忠言に不快感を露わにし“日独を単純に比較することは適当ではない”と一蹴致しました。友情を込めた折角の親切も不発に終わり,国民も無関心、相変わらず安倍政権の唯我独尊が続いていますが、自らの弱点が見えないのであれば、どうして第三者の指摘に耳を傾け、謙虚に受け止めようとしないのか。
 私はこの二つに加えて沖縄の股裂き現象についても触れてほしかった。いま辺野古で行われている醜態をいったい誰が告発し裁いて呉れるのか。このような理不尽極まるごり押しが白昼堂々まかり通って良いものか。ジュゴンが泳ぐという美しい珊瑚礁の島で展開される悲劇は心に重く、私はあまり触れたくもありません。しかしこの暴挙は無学の私でさえも敢えてひと言言いたくなる、それも以下のような最も不謹慎な表現で。安倍政権のやり方はこれ以外では表しようのない醜さだと思うからです。
 嫌だ嫌だと抵抗する女性を無理やり押し倒し、劣情を満たすべく下着を剥ぎ取ろうとしているあられもない姿、そのシーンを見せられても平気の平左のヤマトンチュ。官房長官はこれを粛々と行うのだそうですが、昔の人はこのような振舞を“あわれや落花狼藉”と云いました。そういえば「へのこ」とは男性の或る部分の俗称ですが、このセクハラを誰が、どのようにして遮るのか、19歳の学生から70代の年金生活者までの10数人が、カヌーに乗って辺野古の沖合で阻止している実情を、13日の朝日新聞オピニオンが報じています。
 これが「対立の海で」と題した芥川賞作家の目取真俊さんの報告ですが、アメとムチでここまで追い詰められた沖縄県民は、怒りを通り越してもう憎しみに近い。残された道は体を張って工事を止める以外にないのだ。他人任せでなく自分でやるしかないのです。「オール沖縄」の民意は度々の選挙に於いて明らかで、これ以上どうしろと云うのか。この抵抗もヤマトウ離れの自立に向けた大きなうねりの表れだというのです。政府の粛々はそのうちに流血の惨事を避けられそうにありません。
 出口のない股裂き現象とは、相反する主張が激突しても双方が一歩も引かず、解決の糸口さえも見出せない状態です。この場合は民意が優先されるのが民主主義ではないのでしょうか。また“ここに主権が国民に有することを宣言し・・・”とした憲法前文に従えば、当然翁長知事の言い分を政府が尊重するのが筋ではないのか。我が国はアメリカのガイドラインに頭が挙がらず、憲法は既に抜け殻にでもなってしまったのか。この歪みを糾して呉れるのはいったい何処の誰なのか、私にはさっぱり判りません。
 この人は更に云うのです。“自民党にも昔はもっと歴史を肌で知る政治家が居ました。戦争で沖縄に犠牲を押し付けたという意識を心の何処かに持っていた。それが今では歴史認識も配慮もない。物凄く高圧的な姿勢が中央に見られます。その上考えないといけないのは、若者の無関心です。ニヒリズムなのか、あきらめか、無力感か。”この人は辺野古を強行すればその場で死ぬ気でしょう、これは護憲を忘れたヤマトンチュへの厳しい遺言です。
 この出口のない桎梏を脱したいのであればどの様にすれば良いのか?。先ずアメリカへ辺野古は無理だ、難しいと申し入れる。しかしそれでは普天間をどうするのか、県外は知っての通り何処の県もが嫌だという。日本人の誰もがノーというのであれば基地そのものの存在が悪と云う事になる。沖縄県民のノーを尊重するのがデモクラシーの本義であるのなら、国外より他に打開の道はない事に気が付きます。
 民主主義を唱える国家であれば出口はこれより無いのであって、“長い間いろいろお世話になりましたが、貴国との軍事同盟は廃棄させて頂きたい”と慇懃に申し入れ、日本国の津々浦々からアメリカ兵をお引き取り願いたいのです。これにて全ては解決、これ以外に道は無いのであります。そこで初めて我が国は正常に立ち返り、自立日本の新しい道が開けることでしょう。ヤマトンチュは長い間苦労を掛けて来たウチナンチュに酬いるため、辺野古沖のカヌーに呼応して一斉に立ち上がるべきだと思います。しかし誰がそれを呼び掛けるのか?
 1879年、島津藩の強引な武力干渉により琉球王国が消え、廃藩置県で新しく沖縄県が出来ました。以来戦火の中を136年、果たしてそれが沖縄にとって良かったかどうか、その優れた立地からヤマトやアメリカに利用され支配されました。一旦有事ともなれば基地があるから安心なのではなく、真っ先に狙われる最も危険な島であります。この島は先ず何よりも平和でなければいけません。近い将来に東アジア共同体が出来れば、EUにおけるブリュッセルのような使命を担う運命にあります。
 私がこのように沖縄に拘るのには理由があります。忘れもしませんが敗戦の日の直前に奉天(瀋陽)で召集令状を受け取り、その日のうちに親しくしていた沖縄生まれの女性に逢い、いろいろあって一夜を共に致しました。急遽三々九度の杯を挙げ、僅か3日ではありましたが新婚生活が出来ました。しかし慌ただしい日程では入籍の手続きが出来ませんでした。当時から世間では朝鮮人や沖縄生まれの人々を一段下に見る差別がありました。
 敗戦後私が抑留されている間に新婚の妻は無事満州から引き揚げたのですが、これが別れになろうとは露知らず、そのまま沖縄へ帰ってしまったのです。戦後沖縄はアメリカの占領下に置かれた外国で、一度渡航すれば帰ってこられない厳しい制度になって居ました。つまり行ったが最後二度と帰ってこられないのです。離れ離れになった私たちは別れるより他はありませんでした。彼女は名護市の生まれ、辺野古とは山一つを隔てた港のある街ですが、私には記念の品も写真一枚も残っていないのです。

「大正気質」が泣いている(池田幸一メール)

(no more war MLに投稿された池田幸一さんの2015年3月7日のメールです)
 皆様。 池田幸一です。
 私はこのところ、銃を担った大正生まれの生き残りとしての経験から、“戦争だけは絶対にしない、してはいけない”と叫び続けて参りました。明治と昭和という長い年代に挟まれた短い大正は、明治男の頑固な帝国主義に操られ、そのために多くが血を流しました。戦後はその律儀さと馬鹿正直を利用されて焼け跡からの復興、経済大国造りに、これまた層の厚い昭和生まれに酷使された哀れな世代と申せましょう。
 15年という短い大正に生を得た男子は1348万人、そのうち約200万人が戦争で死んだと云われていますが、この数字は世界でも最も高い死亡率だそうで、私と同じ大正10年生まれは最も多く戦陣に倒れました。それだけに筒井筒の同級生が懐かしい、それぞれの大正男にはモダニズムのほか、或る種の「大正気質」とでも云うのでしょうか明治、昭和には見られない一種の美学があるように思います。
 私の親しくしていた優秀な友達は早くに死に絶え、後に残された二流以下の大正男が主力となって戦後の国造りをしたのではなかったか。同級生の中でもあいつは偉いなと皆から慕われた若者は、突撃ラッパを聞くや真っ先に立ち上がり、多くが待ち構えた敵の餌食にされましたが、一拍置いて様子を伺ったずる賢い兵隊が生き残りました。しかし大正男の殆どは素直で純情、それに明治男から受け継いだ“恥を知れ、名を惜しめ”それに加えて“悪いと思ったらすぐに責任を取れ”の気概がまだ強く残っていました。
 今は亡き高倉 健さんの台詞にある「草野球のキャツチャー」の意味は、当時の多くは捕手専用のミットが無かった事から出た洒落で、“男たる者は「ミットもない」ことはするな”になったのです。「大正気質」では「見っともない」は男の恥とされ、人様から後ろ指を指されるような振舞は一切してはいけない、これが大正男の心意気でした。自慢ではありませんが万事ずぼらな私でも、ホテルを離れる時には使った羽織や浴衣の類をきちんと畳み、そこら中を泊る前のように綺麗に戻してから出るように心掛けています。
 このように取るに足らない些事をわざわざ大袈裟に言うのは、平成になって影を潜めた「大正気質」への哀惜です。いま国会で行われている恥を恥とも思わない泥試合を、議員先生はいつまで続けるおつもりでしょうか。我が国の憲政史上、このようなミットもない醜態があったでしょうか?国会の権威は今や見るも無残に踏みにじられ、民主主義の基盤はぐにゃぐにゃに液状化しつつあります。それを毎日見せられている国民の嘆き、失礼ながら国会議員の多くの先生方は、国民の選良と云う聖職の当事者能力を失っておられる。
 争われているというよりも、お互いがもみ消し合い、早くも幕引きが談合されている政治献金の問題は詳しく知りません。しかしこのミットもない不祥事は「大正気質」の美意識を著しく傷つけるのです。戦争をご存知ない安倍総理の舵取りも、その能力そのものよりも先に品格の欠如や節度のなさを先に感じてしまうのです。何故なら、総理の振舞の全てが「見っともない」の連続です。大正男はそれが気に入らない。
 誰が見てもこれらは補償金の迂回献金であり、違法行為であることはそれぞれの貰った人たち自身が認めておられる事実です。“返せば文句はあるまい”で済めば警察は要らないし検察も不要です。国民の浄財である政党助成金は毎年、共産党以外の各党に支給されているというのにこの有様、“知らなかった”みんなでやれば怖くない、“このようになったのも法律が悪いからだ”というような開き直りは、盗人猛々しいを絵に描いたような「見っともなさ」です。
 一番初めに血祭りに上がった西川農水相に詰め腹を切らせておきながら、安倍総理を始めその後にバレた方々はのほほんと生き残る。この「見っともない」行為がなぜ不問に付せられるのか?天知る、地知る、我知る、政府からの圧力を恐れて検察が告発を怠ったところで、この「みっともなさ」が歴史から消える事はありません。「大正気質」で申せば、身に覚えのある方は潔く聖職を退き、政界を去るべきです。
 この度流用された「補償金」なるものは、“直接的または間接的に公益上必要がある場合に、民間や下位の政府に対して交付する金銭的な給付”だそうですが、このような曖昧な制度があろうとは、私たち国民も“知らなかった”ことでした。長妻 昭議員は珍しい事に企業や組織からは一銭も受け取らず、政治パーテイもせず、すべてを公的収入と個人の献金でやりくりされています。私も貧者の一灯を捧げ続けている一人ですが、この人は政治家であって政治屋ではありません。
 反骨の財界人であった故品川正二さんに名言があります。“理由のはっきりしない金品を人に贈れば贈与であり、また贈った企業の役員は株主に対する背任である”カネを集めて子分の面倒を見られないボスは派閥の長にも大臣にもなれないのがこの世界の常識で、それを言うのは野暮の骨頂、政治屋の資格がありません。安倍総理は5社から220万円を受け取り与野党の要人たちも同罪、貰わなかった議員さんは贈る値打ちのない堅物か、たいして重視されていない議員の証明です。
 これら見っともない不祥事に対しての自浄能力が麻痺したのは何故か。権力に対するメディア服従と奉仕、知性の沈黙と国民の無関心は戦前を思わせ、今回の事件はこの国の末期症状への警鐘ではないのか。なぜこのようになってしまったのか?政治家の多くが世襲されて「政治屋」に退化した事もさることながら、私は“恥を知れ、名を惜しめ”の士魂の衰弱によるものと思います。
 一部を除き一流の人物が政治の世界を見捨てたこと、そのうえ国政を支えてきたお役人の極端なまでの堕落です。日本の官僚システムの確かさ、強さには定評があり、広く世界に喧伝されていたにも拘わらず、どうして急激に落ち込んだのか?文官の衰弱に代わり権力を握ったのは戦前の武官であって、遂には国を亡ぼす羽目になりました。とりとめのない投稿に終わりましたが、70年に渉る平和と引換えに、失ったものの大きさを惜しんでいます。
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
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昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
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