ニヤッとする話

ニヤッ、とする程度の笑いネタを思い出しながら書きます。

朝ドラ「らんまん」のヒロインの意味深な言葉(毒にも薬にもならない話91)

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 DHK(大本営放送協会:仮名)の朝ドラを久しぶりに飽きずに見ている。

 多分これは3年くらい前の「イエー!(仮名)」以来である。どうもその後の作品は相当我慢して見ようとしたのだがいつの間にか離脱してしまった。

 この「春ウララ(仮名)」は植物学の泰斗牧野富太郎をモデルにしたもので、何せ主人公が長年地道に植物を研究した学究の徒であるから、相当地味な話になるはずである。物語の仕方によっては何時でも睡眠剤代わりになっても不思議ではない題材だ。

 ところがこれが面白い。

 息もつかせぬ、といえば大袈裟だが、フツーの人でも振り返ってみれば本当に色々な目に遭うものだな、と思わせる。波乱万丈と言っていい。

 牧野先生、小学校中退だったのか。明治初期の混乱期とは云え、日本の学問に今なお燦然たる輝きを放っている人があの「今太閤」田中角栄元首相より学歴が低かったとは。

 とにかく驚きの連続である。命に関わることなどほぼないストーリー展開なのだが、結構ハラハラする。

 ハラハラと云えば、主人公の妻となるのだろうと予想していたヒロインが思わぬ横恋慕を蒙って二人の恋が風前の灯火となるところで今週は終わり。次週の展開が気になるところである。そんな中、次週予告でのヒロインの意味深な言葉。

 「私はもう万太郎(主人公の名前)さんを待つことは止めにしました。」

 この言葉に一緒に見ていた妻が反応した。
 「えーっ、恋敵の方に靡いちゃうの?!」

 さすが昭和の女である。

 確かに主人公はヒロインの母親の許を訪ねて、「自分を待たなくて結構です」というようなことを言い放っている。これは事実上の闘争放棄とも取れる。

 この時代の女性は親の決めた顔も知らぬ男性に嫁ぐことが殆どだった。
 私の祖父と祖母は恋愛結婚だが、それは当時周囲で評判になるほど珍しい出来事だったのだ(その割に祖父は浮気ばかりしていたが)。

 そんな時代に「自分を待たなくていい」と男から云われた女がどうするか。昭和の女である妻にはすぐに予想が付いたのだろう。

 だが、私は令和の男である(生まれは妻と同じく昭和だが)。

 すぐに妻に解説(ゴタクともいうが)を始めた。

 これはヒロインの決意表明である。他の男に靡いてしまうつもりで「待たない」と言ったのではなく、主人公と結ばれるために「追いかけていく」という意味なのだ。

 私はこの原稿を2023年6月3日16:00頃書いており、ネタバレの類を一切読んでいない。従って私は今後このドラマがどういう展開をしていくか全く知らない。
 だからこの解釈は私の全くの独断である。しかし、私はこれに相当の自信を持っている。

 昭和の脚本家ならば、ヒロインが主人公と結ばれるとしても「待ち続ける」(他の男を拒否して)というストーリーにしたに違いない。

 だが、現代は令和である。
 令和の脚本家は同業者として参考にするために韓ドラを見ている(と思う)。
 そして韓ドラの魅力的なヒロインたちが今、日本人を惹きつけてやまない。

 「愛の不時着」「梨泰院クラス」。

 日本中を席捲したこの2つのドラマに限らず、韓ドラのヒロインたちは男が自分の許を訪れるのを待ち続けたりはしない。来なければ、追いかけていく。
 彼女らの恋愛コンセプトは「私を幸せにしてね」ではない。「私が幸せにする」である。
 韓ドラのヒロインたちも2000年代くらいまでは「幸せにしてね」タイプの人が多かったが、今や大多数が「幸せにする」タイプである。

 おそらくこうしたヒロイン像が今後の東亜のドラマのスタンダードになっていくに違いない。

 ということで、来週2023年6月5日~6月9日は私の予言が見事に当たる荘厳な日々となるに違いない。

 (当たらなかったらこの項をこっそり消そう。)


 

リアル写真で花札を作る45-備えあれば憂いなしで松に赤短ゲット!-(それでも生きてゆく私320)

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松に赤短リアル河童

 とある休日。

 私は天草の本渡に向けて車を走らせていた。

 目的は家族のための刺身の買い出しである。

 同居している義母は天草の出身であり、岳父は釣り好きでしょっちゅう天草に行っている。

 天草の魚を喰いなれている人は魚に対して舌が肥える。

 かく云う私も刺身と云えば天草の物、という生活が人生の大半を占めたため、どうも現在身近で手に入る刺身を食べても何か物足りない。取り敢えず本物が手に入らないために仕方なく用意した仮初のもの、という感覚がどこかにあって楽しめない。

 従って、しばらく天草の魚を食べていないな、という休日、朝から片道3時間近くかけて本渡まで刺身を買いに行くのである。
 魚だったら上島でいいじゃないか、という意見もあると思うのだが、どうせ遠くまで行くのであれば下島まで行きたい。やはり下島の魚の方が美味いような気がする。おそらくブラインドテストでもされたら区別がつかないに違いないのだが。

 高規格道路を降りると現地の人たちには馴染みの病院が遠めに見える。天草の医療人にとっては「ああ、故郷に帰ってきた」と思う瞬間である。

 そこから本渡瀬戸を渡って下島に渡るグルグル橋(瀬戸大橋の俗称)までは意外に遠い。逸る気持ちを抑えつつ車を走らせる。

 ここからグルグル橋にかけては朝夕結構な渋滞になるのだが、今年の4月に瀬戸の新橋が開通して随分スムーズに車が流れるようになったようだ。

 私はわさもん(熊本方言で「物好き」)だから新橋が開通してから早くも2回これを渡っている。今回も渡る。
 するとこれまた地元民には馴染みの病院の近所に出る。これは相当の時間短縮である。これまでは一番渋滞しているところを通り抜けなければここまで行けなかったのだ。

 私の眼当は市内の端にある小さな物産館である。
 ここは地魚の刺身がとても安い。そして新鮮である。さすがに舌の肥えた義理の父母もここの刺身だけは食べた後必ず「美味かった、御馳走様。」という。妻もここの刺身は少々量が多くてもペロリと平らげる。

 ただし、ここには海胆がない。
 これはその近くにあるスーパーにある。
 このスーパーも〇協系だけあって魚も野菜もとても品質が良い。
 最近は不漁のせいか物価高のせいか熊本の市街地で売られている海胆は手が出ないほど高いが、ここのはたまに安くて新鮮なものが手に入ることがある。

 また、ここではキダコ(天草方言で「ウツボ」)の湯引きも売っていて、私はこれを物凄く好き、というわけではないのだが、何か懐かしくて買ってしまう。
 私が言語聴覚士として初めて生活し始めたのが天草で、ここではウツボが食生活の中に自然に溶け込んでいるのに驚いたことが、あの頃の新鮮な生活の印象と共に未だに心に残っているのだ。

 私の知る限り天草は日本で一番食べ物が美味しい土地である。

 閑話休題(はなふだのはなしをしりたいひとはいらいらしているだろうな)。

 刺身を買った帰りはわざと高規格道路を通らず、海岸沿いの旧道を帰る。少しだけ時間がかかるが、美しい天草の風景を見ながらこの懐かしい土地に別れを告げたいからだ。

 県内へのほんの小旅行だが、私にとって天草へのドライブは自分の過去への旅である。今の私はここから始まったのだ。

 旧道は白砂青松と云えば大袈裟だが、なかなか見応えのある風景が続く。赤崎あたりからの湯島の眺望は見とれてしまうほどなので、ドライブの際には注意が必要である。

 ふと、漁港に植えられた松の木が目に入った。
 まだ植樹されてそれほど時間が経っていないらしく、高さ2メートルほどの小さな木である。

 「あ、あれは『松に赤短』にぴったりの木では?!」と閃いた。

 先日私は「日の本高原(仮名)」で松のスカ札を撮影した。
 その時に赤短札も撮ろうとしたのだが、手の届く範囲に適当な松の枝がなかったのだ。ここの松はどれも樹齢を重ねていて10メートル近い物ばかりなのだ。

 しかし、赤短は家に置いていたのではなかったか。

 一瞬がっかりしかけたが、もうかなり前に紅葉札を撮影に行ったときに「まあ要らんかも知れないけど」と、青短と一緒に赤短も車に積み込んだ気がする。でも、「あかよろし」は入れてたかな。無地のものだけだったような。

 祈る気持ちでトランクを確かめると、あった!!!

 早速撮影開始。

IMGP3054

 海っ端だから風が強く、なかなかうまく行かない。

IMGP3045
PENTAXQ10+ZEIKA NOMINAR 7.5mm F1.4

 どうにか使えそうな写真を一枚ゲット。

松に赤短リアル

 水平線が傾いていたり字が光って見えなかったりしたので若干修正が必要だったが、無事「松に赤短」完成である。

 それにしても、松札の松は何故杉のように尖っているのか、謎で仕方がなかった。

松に赤短

 どう考えてもこんな枝ぶりの松はこの世に存在しない。

 しかし、松の花盛りに撮影してみて、初めて気づいた。
 これは松の花芽をデフォルメして表現しているのではないか。
 開花期の松は花芽が勢いよく上に向かって長く伸び、その先端に花を付ける。

 やはり花札の絵師たちの技量は只者ではない。

 しかし、松の開花期は5月である。何故1月札になったのか。

 これはやはり鶴をどうしても花札に登場させたかったための苦肉の策だったのではないだろうか。

 鶴の渡来時期は冬。
 この時期に咲いている花は椿や山茶花など、ちょっと地味だし、牡丹と花の形がやや似ているためデフォルメした時に区別がつきにくい。
 
 松の花はとても個性的だから他の植物と区別がつきやすい。また、冬には花は咲いていないが葉は茂っているから、鶴と同時に登場しても違和感がない。

 ということで、花札なのに花の無い季節に松が登場と相成ったのに違いない。知らんけど。


リアル写真で花札を作る44-桐は姿もないが代りに松の花-(それでも生きてゆく私319)

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松スカ札リアル河童

 花札は12ヶ月にそれぞれ季節の花が割り当ててある。

 2月の梅、3月の桜、4月の藤、7月の萩、8月の薄、9月の菊、10月の紅葉などは、旧暦であることを割り引いても私の棲む九州での開花時期にほぼ合致している。

 ところが、割り当てられた月と開花時期が全く合っていない札もある。

 まず1月の松。松の開花時期は5月頃であるから、旧暦で考えても全く合っていない。動物札に鶴を登場させるのに一番似つかわしい植物を、という趣旨で決まったのだろうが、「花札」である以上花の咲いている姿で描かれるべきではないでろうか。

 6月の牡丹。新暦で考えても5月頃に咲く花だから、6月には牡丹はもう散っている。旧暦だとすると新暦では7~8月であるから全くあり得ない。

 11月の柳。これは全くの出鱈目である。柳の開花時期は春である。旧暦11月(新暦だと12~1月)だろうが新暦11月だろうが、この時期には落葉してしまって木は丸裸である。花札の柳のようにフサフサの柳など冬には日本列島のどこにもない。しかも動物札に登場するのは燕である。どう考えても花札に描かれた季節は初夏だ。

 12月の桐。これも実際の開花時期と懸け離れている。桐の開花時期は4~5月頃である。
 
 ということで、「リアル花札本舗(架空)」設立当初、花札の季節を信じて疑わなかった私は、この4種類の札の撮影を見事に失敗してしまった。
 それも、撮影の難しい動物札が撮れない、というレベルではなく、スカ札すら撮れない、という完敗レベルだったのだ。

 今こうして明らかにしているそれぞれの花の開花時期は、完敗に懲りた私が雪辱を期して調査した努力の結晶である(大袈裟)。

牡丹スカ札リアル河童

 満を持して放った牡丹の矢が見事にド外れた話は既にした。

リアル柳に燕赤短河童

 柳はどうにか短冊札だけはまともなものが出来た。

 あっ、忘れてた。桐も開花時期は今頃じゃなかったっけ。
 と、5月の連休も終わったころに迂闊にも気付いた私であった。
 
 大急ぎでPCに向かい、「熊本県 桐の花」で検索する。

 桐はもともと熊本ではまとめて植えてあるところがないらしく、ほとんどヒットしない。しかも、昨年以前の記事ばかりである。どうやら熊本の桐は4月に咲くことが多いようだ。

 それでも藁をも縋る気持ちで検索を続けると、やっと一ヶ所見つけた。
 小国町の「日の本高原(仮名)」に桐が植えられていて、この花は例年4月の下旬から5月の上旬に咲くようだ。今年の話は分からない。

 たまたま妻が娘と外出して一人ぼっちの休日だったので、私は日の本高原まで車を走らせた。以前のように三角町からだったらこんな不確かな情報でわざわざ行ったりはしなかっただろうが、現在住んでいる場所は目的地まで1時間くらいなのだ。

  道中あちこちで紫色の花が木の梢に咲いているのを見て胸を躍らせる。あれは桐の花に違いない。が、よく見ると山藤である。去年より藤の開花が遅いようだ。

IMGP3030

 日の本高原に到着。

 あちこち見渡すと、紫色の花が木の梢にちらほらと見えている。ほとんどは山藤っぽいが、桐の花もあるに違いない。

 探し回ること2時間。駄目だ。どれも山藤である。桐の花は影も形も見当たらない。どうやら桐の花の季節は終わっているらしい。
 だいいち、藤の葉っぱらしいものも見当たらない。本当に桐が生えているのだろうか。


リアル霧に鳳凰合成

 ということで藤札は未だこの合成写真以外にない。来年の4月まで、乞う、ご期待。

 がくーっ、と来たが、見渡すと松が花盛りである。

 日の本高原には「歴史街道」という道があって、この沿道には松が物凄い数植えられている。それらの中で枝ぶりが花札と似ているものを探す。

松スカ

 何せ松札の松はこの世にこんな枝ぶりの松があるのか、とい思える程実際の松とはかけ離れた姿なのである。杉の間違いじゃないのか。

IMGP3035

 お、これは使えそうである。

松スカ札01
松スカ札02

 ということで、松のスカ札2枚完成。

 この勢いで「松に赤短」も、と思ったのだが、どう考えても「あかよろし」の赤短を松の天辺の梢に掛ける方法を思いつかなかった。ということでこれは作戦を練ることにしよう。

 まあこれも怪我の功名という奴だろうか。

 転んでしっかり握ったらババだった、という気もしないでもないが。

リアル写真で花札を作る43-燕が来てくれたのに撮れないのは私が下手なせい-(それでも生きてゆく私318)

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リアル柳に燕赤短河童

 さて、「柳に赤短」の撮影を終えて後は柳に燕が訪れるのを只管待っている私である。

IMGP0783

 撮影環境については写真の通りである。
 なぜかモノクロモードなのでちょっと分かりにくいが、愛機「ペンテコステオバQ(仮名)」に「香具師のん兵衛38mmF1.4(仮名)」を装着し、三脚に設定した状態である。

IMGP2881

 何も飛来しない構図はこうである。
 最初の1時間、私はこの構図で待ち続けた。
 しかし、周囲を飛び交う様々な鳥たちが燕はおろか椋鳥も雀も鳩も、あのデカイ烏さえまったく構図の中に収まってくれない。

IMGP2895

 仕方がないので構図を横にした。
 鳥は柳の木を横切るように飛ぶので、こちらの方が少しでも鳥の姿が構図の中に納まるのではないかと思ったのだ。

 更に待つこと2時間。

 次々と鳥たちが柳の木の周囲を飛び交う。
 燕が一番多かった気がする。それ以外にも、雀、椋鳥、鳩、烏、白鷺。次々と鳥たちが木の周囲を横切っていく。

IMGP3012

 最初は余裕をもって、しまいにはカメラを動かしながら鳥たちの姿を捕らえようとする。
 だが、どうしても構図の中に収まってくれない。

IMGP0789

 終いに飽きてきてサブカメラとして携行している別のペンテコステに「木星11号(仮名)」を付けて1枚。
 この写真を見れば決して私の写真の腕が悪い訳ではないことが分かって頂けるだろう。

 後で数えたら227枚の画像を撮っていた。

 その中で、飛翔する鳥の姿を捉えたものは唯1枚。

IMGP3023

 これである。

 最後は自棄になって柳の木よりずっと上を狙って撮った一枚でやっと捉えたのであった。

 実はこの柳の木は散歩道の沿に植えられていて、ウォーキングやジョギングやランニングの熊本市民がその木陰を通るのであった。
 燕は人間に馴れやすいとはいえ、よほど度胸のいい個体でないかぎりこの柳と一緒に撮影に応じてくれる燕はいないだろう。

柳に燕リアル合成

 縦構図には収まらないので、仕方なく合成と相成った。

 しかもこれはよく見たら燕ではなく、おそらく椋鳥である。燕はこんなにずんぐりしていない。

 リアル花札の完成は遠い。


リアル写真で花札を作る42-柳札は最初から諦め気分-(それでも生きてゆく私317)

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雷に打たれる河童

 リアル花札を作るのが一番難しいのは柳札であろう。
 別に紅葉札(鹿が登場)や萩札(猪が登場)のように身の危険があるわけではない。 
 困難の原因は柳札の設定にある。
 なぜか「動物札」が3つあるのだ。

柳に小野道風

 この人を動物と云っては失礼だが、まあ人間も動物だから。
 平安時代の書家、小野道風である。

 そしてこの札にはさらに紛うことなき動物、蛙が描かれている。
 この札は柳の枝に飛びつこうとして懸命な蛙の姿を見て道風が書道への精進を誓うという大変教訓的な内容で、是非リアル花札として製作したいのだ。

 だが、小野道風は平安時代の人だからリアル道風を写真撮影することは不可能である。
 したがって、道風の扮装をした現代人にモデルになってもらうことが必要になるが、こんな酔狂に付き合ってくれる家族・友人・知人を私は持たない。

 更に、リアル花札の主義として蛙と道風は同じ構図の中に同時に収めなければならない。
 私は今までに生きてきた軌跡から蛙とは随分縁が深い(単に田舎育ちなのと生理学の実習で数十匹体外循環させたことがあるだけ)のだが、柳の枝に飛びつく蛙を寡聞にして見たことがない。

 しかもこの場面は雨である。

 相当の困難が予想される。

柳スカ鬼札

 この札はスカ札である。
 他のシリーズであれば、役札の撮影は難しくても、スカ札だけは撮れるのが普通である。

萩に猪合成

 動物札は命懸けになりそうな萩札でも、

萩スカりある暫定05

 スカ札はそこまで苦労せずに撮影できたのだ。

 ところが柳のスカ札には次のような冗談としか思えない阻害要因が絡みついている。

 まずこの札の場面は雷雨の夜である。
 闇夜に雷鳴を轟かせながら走る閃光を、雷神を太鼓で象徴させながら表現している。

 かつ、実はこの札も動物札であるのにお気づきだろうか。
 画面右には毛むくじゃらで爪の生えた何か正体の分からない動物の手(または脚)が描かれているのだ。
 おそらく何かの怪物(これも雷神か)を象徴的に描いたものなのだろう。

 冒頭に「身の危険がない」と書いたが、この札を安全な屋内で撮影することは可能なのだろうか。

柳に燕

 そして動物札。
 私は長年この鳥が何なのか知らず、リアル花札本舗(架空)を設立することになって初めて調査したのだが、なんと燕らしい。
 燕って夏の鳥だよな。
 そもそも何で柳札は11月なんだよ、という根本的な疑問は於くとしても、燕は最も大きな種類でも雀より少し大きい鳥である。
   そして飛翔の最高速度は時速200km。
 しかも、この札の構図のように柳の葉に向かって垂直に飛び上がったりはしない。

 ということで、私は今までの慣例を破り、柳札に限ってはまず最も容易であると考えられる「柳に赤短」から撮影することにしたのだった。

 ではどこの柳を撮影するか。
 まず第一候補になったのはその名の通りクリーク沿いに柳が沢山植えられている福岡県の柳川である。
 ところが柳川は県外である。
 私は教育のほかに臨床活動も行っていて、その施設は県外に出ると1週間出入り禁止である。
 そうすると何かと制約が出てきそうなので、県内にすることにした。

 となると何処か。

 私は阿蘇の生まれだが小学校3年生から永らく熊本市内に住んでいた。
 そういえば、熊本市民憩いの場所となっているとある湖があったな。
 昔はこの湖沿いに営業の車が停まり、サボ、じゃなかった、一休みする人が沢山いた。
 確かこの湖畔にも柳が植えられていたような気がする。

 私は自宅から30分くらいのこの湖の周りを巡り、柳の木を発見した。
 しかも、燕が3羽ほどこの近辺を飛び回っている。快晴であるのでやや飛行高度が高いのが気になったが、ここで撮影することにする。

IMGP0782

 写真が何故かモノクロモードになっていて分かりにくいが、なかなかの枝ぶりである。

 早速撮影開始。

IMGP2878

 強風だったので予想よりずっと手間取ったが、それらしき写真をゲット。

IMGP2874

 「柳に赤短」完成である。

IMGP0783

 次は柳の木から50メートルほどの所に三脚を据え、燕が柳の枝の近くを飛ぶのを待つ。

 さあ、燕よ、来い。
 
 

リアル写真で花札を作る41-牡丹札は来年までお待ちください-(それでも生きてゆく私316)

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牡丹スカ札リアル河童

 リアル花札本舗(架空)である。

 全国に30名くらい存在する同志に告ぐ。

 私は「リアル花札」の作成を諦めていない。

 ただ、さっぱり進んでいないのは事実である。

 かといって、私がそのための努力をしていないというような非難に対してはそうではないと反論もしよう。ただ、私の能力が足りないのではないかという誹りにたいしては甘んじて受けなければならない。

 私はまたも「牡丹札」4種全ての作成に失敗した。
 仮に作成に成功するにしてもそれは来年以降の話である。
 私は決してそれを忘れていたわけでもない。手を拱いて怠惰に日々を過ごしていたわけでもない。

 昨年私は、牡丹が自らの棲息する熊本県では何時花を咲かせるのかという基本的な知識を持たざるが故にその花期を逃してしまった。したがって我がリアル花札本舗はスカ札の素材である牡丹の花の写真すら得ることができなかったのである。
 ここから得た私の教訓はこうである。
 「花が咲く瞬間を私が察知できるように、我が家の庭に牡丹の花を植える」である。

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 私は農業公園で行われる植木市まで足を運び、花札に描かれた赤い花を咲かせる牡丹の苗木を、定年後に元の職場からお情けで雇用されている給料からすれば、決して安くない値段で購入し、庭の一角に植えたのである。

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 この苗は、妻の「今年は花が咲かないんじゃない」という心無い言葉とは裏腹に、2月中には可愛い蕾を付けた。私が欣喜雀躍したのは云うまでもない。
 花札に描かれた牡丹の花は2つだがこればかりは自然の贈り物だから仕方がない。花1つでも構図をよく考えればどうにか花札に見えるだろう。

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 ところが、この蕾が膨らみ始めると、不穏な兆候が表れ始めた。
 そして、いよいよ蕾が綻び始めると、それはますます強くなった。
 これ、桃色の花じゃないのか。
 まさか、植木市で花栽培のプロが「赤の牡丹である」と公言して売っていたのだ。そんなはずはない。

 運命の日(大袈裟)は朝から大雨だった。

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20230406_183049

 よりによってその日に開花した牡丹の花の命はたった1日だった。開き始めると同時に土砂降りに打たれ、ピンクの花びらが地面に落ちた。翌日には花は咢の部分を残して消えていた。

 花に誘われて漂い来る蝶は勿論、短冊と共に写真を撮るいとまもなかった。

牡丹スカ札01

牡丹スカ札02

 一応スカ札は作成してみたものの、それは「暫定」と呼んで公表するのすら恥ずかしいほどの出来栄えだった(公表しとるやんけ)。
 私が植木市の苗屋から騙された証拠にはなるが。

 ヤバイ、と思った私はすぐに近所の苗屋に走った。そして店員さんに尋ねた。
 「牡丹の花はありませんか。」
 「あー、今年は終わりました。2月くらいには沢山売っていたんですが。」
 2月といえば私が赤と騙って売られていたピンクの牡丹の苗を買った頃ではないか。

 責任者出てこーい!

カメラ河童のシネレンズ図鑑63-ZEIKA ZOOM LENS 1/2to1-1/2 AUTOFOCUS f:3.2-(愛すべき機械たち)

初期のズームは良くない

ZEIKA ZOOM LENS 1/2to1-1/2 AUTOFOCUS f:3.2


IMGP2789


製造:Zeicaオプティカル株式会社
製造時期:1960年代(推定)
レンズ構成:レトロフォーカス型(推定)
鏡胴デザイン:ビアグラス型・オールクローム
焦点距離:13mm~38mm
開放値:1:3.2
絞りリング(後ろ):時計回り:F3.2, 4, 5.6, 8, 11, 16の6目盛り
絞り羽根:10枚
ピントリング(後ろ):時計回り:5feet(1.5m)~∞
マウント:カメラに固定
実用撮影可能なデジタル写真機
:PENTAX Q,PENTAX Q10,PENTAX Q7, PENTAX Q-S1,CHINON Bellami HD-1
装着方法:Dマウント金具を装着する必要あり。PENTAX機種ではD→Qマウントアダプターを使用。CHINON機には直接装着。




[レビュー]
 家畜人オークション(仮名)で安いフレンチのディナーくらいの値段で出ていたレンズである。
 私はレンズ1個に掛ける値段を普通の勤め人の昼食一回分以内と決めているので、こんな値段のレンズには絶対手を出さない。
 ところがこれはCINEMIX(仮名)という8mmに嵌っていたためDマウントであることが予測され、更にえらく鏡胴の長いのレンズが2個嵌っている(ように見えた)。
 私は最近75~80mmくらいのDマウントの超望遠を探しているのだ。これはそれではないか。しかも2本も一度に発見されたのだ。

IMGP2790

 ところが実際に来てみるとこれは見たこともないようなプラスチック製のカプラでカメラに固定されたレンズであり、カプラとの接続はDマウントには大きくCマウントには小さいという見たこともないようなマウントであった(上写真奥の捻じ込み部)。
 幸い私は改造用に使い物にならなくなったレンズから外したDマウントの捻じ込み部を3つ所有しており、そのうちの一つがこのレンズにピタリとハマったのでこれを接着して「ペンテコステオバQ(仮名)」にD→Qアダプターを介して装着できるようにした(上写真手前の捻じ込み部)。その間わずかに10分。ただし、これは不可逆的な改造であるから、具合が悪くなった時には修正不能である。

IMGP9401

IMGP9402

IMGP9403


 しかも写真を見ると判る通り、2個のレンズだと思ったのは私の勘違いで、ファインダー一体型の1個のレンズだったのである。えらく高い買い物になってしまった。

 ただ、このレンズはファインダーとレンズの間にレバーがあり、これを操作することでZoom機能が使用できる。
 おそらくこれは最初期のズームレンズであり、希少性ということで云えば寛永通宝島屋文くらいの貴重なレンズのようである。

 それでは肝心の写りはどうか。

IMGP2773

 まず13mm側にレバーを倒して撮影。
 全開放であるが酷いケラレである。また、この時代のレンズを全開放したときよくできるぼんやりしたはっきりしない写りである。発色はまあ普通か。

IMGP2774

 次は38mm側で撮影。
 どうもズーム側の方が写りはマシのようだが、やはり6.5mm並のケラレが発生する。
IMGP2775

 やや絞るとそれなりにシャキッとしてくるが、これが限界である。ケラレは相変わらずだ。望遠でケラレだったら「使い物にならない」というレベルである。何せこのクラスの焦点距離には「頭脳(仮名)」や「日光る(仮名)」「歩こう(仮名)」「讃(仮名)」「椰子呑兵衛(仮名)」などの銘玉が犇めき合っているのだ。

IMGP2758

 遠景を38mmで撮影して初めて何とか写真らしい写真が撮れた。しかし、絞るとケラれるので、望遠レンズとしても厳しいか。

 まとめると、希少性と話題性では高い金を出す価値があるかもしれないが、写りは所詮最初期のズームである。そういえばDマウントに限らず初期のズームはシャキッとしないのを思い出した。


[駄文]
 私の持っている「贅だ(仮名)」は全て映りが良いのでちょっとガッカリだった。
 だが、最初期のズームがどんな構造をしているか知らなかったので「いい勉強さしてもらいましたわ」という感じである。
 ズームレンズが発売されてからも、長い期間、カメラマニアだけでなくプロのカメラマンすら、これを拒否して固定焦点レンズを使っていた人が多数いたくらいである。
 こうした過渡期の試行錯誤を経て現代に続く優秀なズームレンズが出来ていったのだろう。
 それにしても口径に比して鏡胴の長さが長いレンズは「オバQ10」ではほぼケラれる。ましてや「オバQ7」や「オバQS-1」では写真とは云えないような代物が出来上がることが予想される。
 Dマウントファンは要注意である。
 

旧友は自分の鏡4-テレパシーで話したこと-('80京都安下宿生活)

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卒業写真の私

 黙食は楽しかった。

 たとえお上の方針で一言も喋れなくても、以心伝心の私たちはテレパシーで意思疎通ができるからだ(本当)。

 彼らは明日は柳川でC君と会食するという。
 C君も私にとってはとても懐かしい人物で、40年の時を経てどういう考え方の人物になっているのか是非確かめてみたい人物なのだ。
 また柳川は私が第二の学生生活を過ごした懐かしい土地でもある。

 しかし私は医療人であって、臨床をさせてもらっている施設は県外に出たら1週間は出入り禁止なので、無念の想いで同行を遠慮させてもらった。 

 「スマン、そういう仕事やから。」と言い訳をする。

 そのことは事前にメールで伝えてあったのだが、私は合理主義者のA君から「お前、アホちゃうか。そしたら県境に住んでる人どうすんねん。元々県外から通ってくる職員辞めなあかんのか。」と云われるのを覚悟していた。
 が、二人ともその話になったら「そやな。何かあったらアカンしな。」と素通りしたので拍子抜けであった。
 
 二人とも大人になったんやなあ。

 私が今一番好きな歌手の一人、Sondiaの「オルン(大人)」の一節が脳内に蘇る。

 갤 것 같지 않던 짙은 나의 어둠은
 覚めそうにない私の真っ暗闇は
 나를 버리면 모두 갤 거라고
 自分を捨てたらすべて晴れるって
 (日本誤訳Well肉桂)

 楽しい黙食が終わって、店の外に出た。
 A君がトイレに行って、B君と二人になったとき、彼が急に、「なあ、団交のときのこと、覚えてるか」と聞いてきた。

 団交とは正式には大衆団体交渉といい、1960年代の大学では盛んに行われていた、学生と学校当局の対話形式の一つである。
 しかし、多数対少数の話し合いがそうなりがちなように、この団交もまた多数が少数を威圧するいわゆる「吊し上げ」の場になりやすかったため、私達の青春時代にはもう他の大学では行われることはなくなっていた。

 ところが、当時のガラパゴス大(仮名)の学長たちは、わざわざ律儀にこの場に出てきては学生たちからシビアな言葉を投げつけられていたのだ。
 私の通っていた大学はもう他では滅んでしまった集団や風習が生き残っていたために「〇〇〇ガラパゴス」と呼ばれていたのである。

 「ああ、覚えてるで。D先生偉かったなあ。」
というと、B君は意外そうな顔をした。後に続く言葉を失ってしまったようだった。

 そうか。B君は30数年前に彼の結婚式に出席した後の私の変化を知らないのだ。

 D先生は私の生涯の恩師である。
 それについては一度書いた。
 「関西三都追憶旅行8-M前にて恩師を想う-(河童日本紀行265)」

 学生の、今から思えば未熟としか云いようのない主張を正面から受け止め、たった一人で説得しようとするD先生のあの時の姿を、私は生きている限り忘れないだろう。私は自分の教え子に対してあれほど誠実に向かい合っているだろうか。

 私はD先生の授業を一度も受けたことがないし、この団交以外に直接言葉を交わしたことすらない。
 それでもD先生は私の人としての指針であるし、先生が私にくださった「地の塩」という言葉は一生の宝物である。私はいつも「吾、地の塩たらん」と胸に刻んで生きてきたのだ。

 ただ、あまりにも強烈なインプリンティングだったために、その後に出会った「教育者」たちが偽物に見えて仕方がないという副作用もあるが。

 実はA君によると、この団交の様子は当時学生部長だったE先生についての評伝「ラグビー浪漫(仮名)」(岩波新書)という本に生き生きと描写されているらしい。
 私は当時の馬鹿そのものの自分を思い出したくないのでこの本を読んだことはないが。

 D先生もE先生も今は故人となられたので実名を出してもいいのかなと思うのだが、僻みっぽい人から大学自慢と思われるのも癪なので匿名のままとする。

 今は一つの学校のリーダーであるB君はD先生のことをどう思っているのか、聞きたかったが、A君が戻ってきて「ラグビー浪漫」の話を始めたので聞きそびれてしまった。

 ただ、B君の中に残っているD先生の面影が感じられる対話はあった。
 「お前、引退したらどうすんねん。」
 「ワシは〇〇市(B君が生まれ育って今も住んでいる土地)のためになることをしようと思てる。」

 二人に別れを告げて乗った電車の中で、さっきA君がテレパシーで(しつこい)した質問を思い浮かべていた。
 「もしお前が脛に傷がなくて高校の教員になれてたら、とか思ったことないか?」
 私はこの問いに対してテレパシーで(本当にしつこい)こう答えたのだ。
 「俺はならなくて良かったと思ってる。」
 これには二人とも意外そうな顔をしたので、理由も説明した。テレパシーなので(ええ加減にしとけ)得心が行くほど詳しくできたのか分からないが。

 私の教え子は私の教えた知識と技術を基にして一生喰っていくのである。勿論医学は日進月歩だからそれらは日々刷新されていくし、私自身が一生勉強する必要があるが。そして志が同じである限り教え子との付き合いも一生続くのだ。こんな素晴らしい経験をする教師がどれくらいいるだろうか。

 医療職としての私もそうである。
 当たり前のことをするだけで、「ありがとう」と云われるのだ。
 私は今私が持っているスマートフォンについて、素晴らしい技術で作られた製品だと思っている。が、それならば私はこのスマホを作った人にわざわざ「素晴らしい製品を作ってくれてありがとう」と告げに行くかと云えば、そんなことはしない。
 人と直接接し、自分のしたことの結果を他ならぬその人から教えてもらえる仕事。こんな幸せな職業は他にあまりないだろう。

 ほかにも今の教育現場への政治の介入や学校から民主的な雰囲気がなくなりつつあることなどについても話したかったが、何せ相手は「校長先生」なので止めた。久しぶりに会ったのにする話ではない。

 家に帰るとA君からメールが来ていることに気づいた。
 
 この文章はA君に許可を得ずに書いているので彼のメールをそのまま公開するのは差し控える。だいいちその後スマホが故障して交換したためにこのやり取りは失われてしまった。

 A君のメールの内容は私がかつて住んでいた「ネズミのお宿」のことである。これについては随分以前に書いた。
「ネズミのお宿(京都安下宿事情)」
 この部屋の扉を「蓋」と名付けたのはA君である。薄い壁を隔てた窓無し部屋にも住人がいた。A君はその人の本棚にトロツキーの全集を見つけ、それが印象に残っていたらしい。

 以下、私の返信である。

 「俺もあの当時は自分なりに真面目に考えていたんだが、経験が少なくて考えが狭くて浅いために過去の亡霊に憑りつかれてしまっていたな。マルクス主義が権力を握ると例外なく強権的な非人間的な体制になることは知見の広い人たちの間ではもう常識になっていたと思う。今でいう「オワコン」に一生を賭けた人たちが可哀想や。」
 「自分についてはああいうことをやっていなかったらもっと色々な人と腹を割って話せたのにと、その点だけは悔いが残るな。」
 「俺はできる範囲で修正して今は生きがいもやりがいもあるから地位や金については悔いていないが。」
 「それと、女に関してはモテなかったおかげで最高のパートナーに巡り合えたと思っている。」

 その後、A君からなぜか卒業アルバムのコピーが届いた。
 私はA君やB君がアルバムに収まったとき、まだ卒業の見込みが全く立たなかったためにこのアルバムを買っていないのだ。

 なにより驚いたのはそれがモノクロームだったことだ。

1984年

 そして、そこには懐かしい面々と共に、如何にも子供っぽくて尖った雰囲気の若造が写っていた。

 妻がそれを見て噴き出しながら言った。

「犯罪者みたい !」

「今の貴方の方がずっといいよ。」とも。
(このシリーズ了)







旧友は自分の鏡3-私はダフ屋-('80京都安下宿生活)

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私はダフ屋

  さあいよいよ 、飲み会、じゃなかった 、黙食の時間である 。

 思ったより早く、 と言うか、 むやみに早く熊本城を出てきてしまったので、 予約の時間より かなり早い。
 
 予約した店に、 時間より早くても 構わないかどうか、電話をする。

   その間、 A君と B君は、 ビルの足元の 花壇の石垣に座って一服である。

 これは地元の人間としては かなり恥ずかしい行為 だが、私や 妻も 韓国ではよくやることだから、旅行者としては 普通の行為に属するのだろう。

   予約した店は 快く引き受けてくれた。

 2人がまだタバコを吸っているので、 隣に座る。
 
  A 君がボソッと、「お前の格好、ダフ屋みたいやな。」という。
 これがツボにはまったらしく B 君が大笑いする。

   そうか、 それで最初に会った時あんな態度だったのか。
 失礼な。
 これはK-POPスターのスタンダードファッション(のつもり)なのに。

   私もやっと合点がいって大笑いになる。

   そのとき急に私は思い出したことがあってB君に尋ねる。
 
 「そういえば酒飲んだあとは大丈夫になったんか?」
   「いやー、相変わらずやな。ひどなってるかも知らん。」

   この、「酒飲んだあと」というのは若い頃のB君の酒癖のことで、合気道部だったB君はその当時は当たり前だった「神様」である先輩からの「天使」である後輩への酒の誘いによってよく記憶を失っていて、奈良の実家に帰るはずが京都の公園のベンチで寝ていたりしたのだ。

   世知辛い世の中、社会的な地位の高いB君だから一瞬心配になったが、誰か彼をタクシーに押し込む役割の人が存在するのかもしれない。
 あるいは謙譲なB君だから、本当は何も問題などないのに「わしもまだまだや」と、自分をネタに話を面白くしているだけかも知れないが。

  私などこの歳になってもペーペーだから記憶など失くそうものならこれ幸いと白川の中洲辺りにわざわざ運ばれて放置されそうだ。

  それにしても酒ひとつ飲むのに随分窮屈な世の中になったものだ。

  二人が煙草をのみおわったので(そういえば昔は熊本人は「煙草をのむ」といっていたので思い出して云ってみた) 飲み屋、じゃなかった、料理屋に向かう。   

   今から黙食である。

 彼らが県外の人間だという理由だけで私は食事のときは懐かしい彼らと話ができないのだ。

 もはやCOVID-19がどんな感染経路かわからず、どんな症状が出てどんな転帰をたどるか分からず、予防法もなく、治療法もなかった、「あの時」ではないのに。

 こんなことを思いついた人は友達が1人もいない人なのに違いない。

  COVIDの感染拡大はこの日本国の住民で誰が〇鹿で誰が〇党か見事に炙り出してくれた。

 狼狽と保身と排外主義以外に動機のない方針を権力を笠に着て押し付ける〇鹿と、それが不合理で理不尽だと分かっていて私利私欲のためにそれを嗜めるどころか増幅する〇党と。

 勿論〇の中には「白」と「甘」が入るのは言うまでもないので、ネットチクリさんやシブタレ君は安心するように。
 
 別に報酬が貰える訳でもないのに只管役割を果たすあなた達の〇〇根性に敬意を表します。

 〇〇の中に「冷奴」が入るのは言うまでもない。

 それはさておき料理屋での黙食は楽しいものだった。長年の友達である私達はテレパシーで会話が出来るのである(本当)。

 ただ、B君はこの料理屋に激怒していた。

 私達はそれぞれ一言も発しないし表情も変えないけれど、長年の友達なのでそれが分るのだ(本当)。何せ私たちは「以心伝心」の奥義を身に着けた大和民族なのだから。

 私も最初は本当に吃驚したが、この店は端末での入力以外に注文を受け付けないのだ。

 これはさすがに感染対策としても極端で、この3年でもこんな店は初めて見た。

 この店の従業員は食べ物を運んでは来るのだが、客の注文は受け付けず、「注文はタブレットでお願いします」と言って去っていくのである。

 まあ客と従業員が対話しなければそれだけエアロゾルは飛ばないので感染の確率は若干低くなるかもしれない。

 ただそれなら料理を運んでくるのもロボットにしたらどうだろうか。
 もしくはロボットを導入する予算がなければ、出来た料理を置く場所を作って客に取りに来させるとか。

 この店はよほど徹底的に感染対策をしているに違いない。というのは、その分を代金に上乗せしているとしか思えない勘定だったのだ。

旧友は自分の鏡2-熊本城は3層造ではありません-('80京都安下宿生活)

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ここは最上階じゃない
 幸い熊本城には閉門時間ギリギリで着いた。
   入場券を買って中に入る。
 
   あっ?!  思い出した。入場券は私がまとめて払ったのだ。はい、1人800円ずつな。って、後の祭りである。

   中に入るとB君がスマホで写真を撮り始めたので、前もって仕込んでいたブツをポーチから徐に取り出す。

   「おっ、ええカメラ持ってるやん?!」とB君。

   かかった !! がっちりフィッシュオンである。
なんちゃってライカ

   このカメラは私の愛機ペンテコステオバQ-Sにほのぼのライカ(仮名)のシールを貼り付けた「なんちゃってライカ」なのだ。この餌で釣れた魚はB君が初めてである。

   ネタバラシをするとB君は「な~んや」と笑ったが、A君は「お前、ペンテコステのままでエエやんか」と結構真面目な表情である。そういえばA君は何につけバッタもんが嫌いなのだった。そういう変に生真面目なところも40年前と変わらない。

 歩きながら熊本城を見てB君が云う。
 「随分復旧したなあ、後少しで元に戻りそうやん。」
 「とんでもない。後20年はかかるっていう話や。」
 私が答えると、両君とも「またまた、こいつ相変わらず大袈裟やな」という顔をする。
 「いや、ホンマなんや。ドレスデンってドイツの都市を知ってるか。」
 「ああ、知ってるで。何でも空爆で破壊された建物の破片を組み合わせて復旧し…、ああ、そういうことか。」と、相変わらずA君は察しがいい。

 このドレスデンの物語については熊本地震の直後に書いた文章があるので参照してほしい。
 ドレスデンの物語(それでも生きてゆく私212)

 熊本城はドレスデン方式で復旧しようとしているから時間がかかるのだ。

IMGP9378

 どころか、無残に壊れたままの石垣に差し掛かると、二人声を揃えて、「こらあ、後30年かかるで!」と来た。改めて被害の大きさに気付いたらしい。


IMGP9382

   天守閣に着く。

  眺望的にはここからでも熊本市街は十分に捉えられる。

  A君は神社仏閣城郭の類が嫌いなのでもうソワソワし始める。私はつい最近天守閣に登ったところである。二人で「ほな、降りよか」と言いかけたとき、危険を察知したB君が、「おいおい、熊本来て熊本城来て天守閣登らんてあんまりやろ ! 登ろうで。」

  まあこれが一番常識的な意見だろう。二人とも「ちっ、しゃーないな」という表情で頷く。

   熊本地震でダメージを受けた天守閣は再建されるときにエレベーターがついた。当然それに乗っていくのだろうと思ったら、A君が「階段で行くで!」と云うなり先導して登り始めた。おいおい、あんた、はよ城から出たいんとちゃうんか!

   ハアハア云いながら二人のあとから階段を登り、展示室を信じられないような早足で通りすぎる。誰も絶対に展示物など見てはいない。

   ところが、3階の窓の前で二人は突然立ち止まり、熊本の町を見下ろし始めた。

   B君が、「西南戦争のときは熊本城も戦場になったんか?」と私に尋ねる。 この餌により今度は私の唇にがっつりフッキングである。

   北上した西郷軍はどうしても 熊本城を抜くことができず 、 そのうちに 政府軍が南下して 来たところを迎撃した結果、田原坂の戦いが起こったのである。

   私の口が 潤滑油で滑り、 西郷さんの「私は鎮台兵に負けたのではない 、清正公に負けたのだ」という名台詞まで来た時に、2人が「ほな降りよか」と言った。

 は?   何を言ってるんだ この二人は。 なんと、 3階を最上階と間違えたらしい。

 熊本城を舐めるんじゃねえぞ 。そんじょそこらの城 と違って名古屋城や 大阪城並みに天守閣が大きいのだ。

「最上階はもっとずーっと上だぞ」と言うと 2人はしぶしぶ登り始めた。 エレベーターを使わなかったのをちょっと後悔しているような足取りである。

   最上階に来て10秒、 景色をちゃんと見たのだろうか。分からないが、A 君が、 「ほな降りよか」と言った。

 関西人は大阪城や姫路城より優れていたり匹敵するような城の存在を認めたくないのである。ような気がする。単にトイレに行きたかっただけかもしれないが。
 
 下りのエレベーターに乗ろうとすると、 そこにはもう家族連れがベビーカーと一緒に 乗り込んでいた。
 家族連れは4人連れである。

 そこに体ばかりが大きい爺様三人連れが乗り込んできたのだ。

 最後は私である。
 中の方に詰めようとするのだが、ベビーカーに阻まれて、私の体はどうしてもエレベーターに入らない。
 何せ177cm90kgの巨体である。
 他の2人も決して身体が小さいとは云えない。私の体右半分はどう考えても エレベーターの扉からはみ出している。

 A 君が「ほな降りましょう」と言いながら「閉める」ボタンを押す。
 挟まれる、と思ったが、最近の日本のエレベーターは安全装置が 完璧に近いので、 扉が閉まらない。

 遂に堪りかねた家族連れの奥さんが「無理ですよ!」と叫んだ。

  A 君が、 「そしたらわし、階段で降りるわ」とほとんど叫びながら言ってエレベーターから出て階段の方に突進していった。
 私と B 君がその家族連れと気まずい時を過ごしながら 下まで降りて行ったことは 言うまでもない。
「非常識なお年寄りだな~」と思っているのだろう。ひんやりとした空気が辛い。

   下まで降りると、 B 君はもう 降りてきていた。 どんなスピードで降りてきたのだろう。

 確かに肥満体で運動不足の私より日常的に身体を動かしてアンチエイジングに励んでいる都会人の旧友2人は間違いなく動きが速い。
 しかし、私の観察する限り、立ち直り反射をはじめとした、動作に伴う反射や反応は、確実に減弱しつつある。若者と高齢者の動作を見たものの印象の違いは実はここなのだなと今気づいた私である。

 友よ、転倒転落、気を付けよう(特にお前がな)。

   熊本城を出た私たちは 場外にある 加藤清正の像に向かう。
 
 実は、さっき 乗った タクシーの運転手さんから 面白い話を聞いていたのだ。
 何でも この加藤清正像の清正は、虎を踏みつけにしているのだという。 踏み付けにされた虎は抽象化されて頭がないのだが、虎であることはわかるらしい。 

IMGP9395

   さて、 清正像 まで来た 私たちは矯めつ眇めつ清正の 足元を観察するのだが、どう考えても それが虎には見えない。
 ガセネタなんじゃないか、という話になりかけた時、 B 君が言った。

「これ、 土台のところではなくて 清正の足元 なんちゃう。 」

IMGP9396

 よく見ると.清正の足元に動物の足らしきものが 彫刻してある。 なるほど、 これか。

  やっと合点が行った私達であった。

旧友は自分の鏡1-やってきた旦那様たち-('80京都安下宿生活)

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信じられない

   その日私は新幹線の改札口で A君と B 君を待っていた。

   A君も B 君も大学の同級生である。

   ところが 列車が到着する時刻になっても それらしき人物が現れない。 まさかあれじゃないよな 、と、 私は 相当年配であることが伺える 2人連れに注意を向けた。

   なにせ A 君と会うのが10年ぶり 、B君に至っては 30数年ぶりである。 

   2人は私の方を 一瞥したが、「やばい ! 関わらんとこ…」という感じで 目を逸らし、通り過ぎようとした。 その動作で私は確信した。この爺様二人があの懐かしいA君とB君に違いない。

   私は一行の前に 立ちはだかった。
 
  2人は「わあ ! びっくりした ! と云った体で私を見、やっと攣った顔をほころばせ、「久しぶりやな ! 」と声を合わせて言った。次に三人から異口同音で出た言葉は「分からんかったわ!」という言葉だった。本当は三人とも「信じられんかったわ」と言いたかったのかも知れないが。

   どうも大学の同級生と云うと、18くらいの頃の面影が頭に残っていて 、その後もそれなりに老けたその人に会っているはずなのに、年相応になったその人の面影は18のそれから更新するすることがなかなか難しいのだ。それが自分にとって懐かしい人だと尚更である。

   私より1歳年上の2人は、とっくに定年になっていて、と言っても、私も とっくに定年になっているのだが。

   二人がもう90歳を超えた恩師に挨拶に行った時に、急に熊本に行こうという話になったらしい。
 
 彼らは お洒落?な大学と言われていたガラパゴス大(仮名)(といってもドテラ姿で闊歩する学生もいたが)の時と同じく、ダンディーな身なりに身を包んでいるが、 A 君は白髪 、B君はそれにプラス… 、いや、これ以上は2人が「二度とお前には会わん」と言いそうなのでやめておこう。兎に角あの頃の紅顔の美少年ではない。

    私のいでたちは、といえば、黒のズボンに、黒のシャツ、黒の綿のジャンパーを着て、マスクも黒、ハ〇隠しに黒のキャップをかぶってはいるが、 その帽子のデザインは クネリながら 空を飛んでいる龍と赤の太極 マークなのだ。したがって2人が無視して通り過ぎようとしたのも当然かもしれない。

   ホテルのチェックインに向かう。

  ホテルは前もって私が予約している。少しでも安く泊れるようにとゴートートラベル(仮名)適用済みだ。

  ところがA君はワクチンを3回打っていないので適用外、B君に至っては接種証明書を忘れたという。フロントで正規の料金を払う二人の顔には少しの悔しさもない。私だったら「しまったあ ! あと何千円か安く泊まれたのに !」と後悔しきりだろうに。この時点で「悠悠自適」という言葉が二人の境遇に関して私の脳裏を掠める。

  約束の飲み会、じゃなかった、黙食の会までまだ2時間くらいある。手頃な暇潰しの先として熊本城を案内することにする。
 
 熊本の市電を初めて見たというB君の希望により、電車で向かうことにする。電停の椅子に座って待つ。

   ところが、これが待てど暮らせど来ない。確か10分おきくらいには来ているはずなのだが。A君が「あと五分来えへんかったらタクシーで行こ。」と言うので同意する。5分経っても電車は来ないのでタクシーに乗ることにする。

   A君が、「Sと電車待っても来えへんで。あんときと一緒や。」と言う。

  「あんとき」というのはかれこれ40年前の「あんとき」のことで、日曜日に飲みに行こうとした私とA君は、開いている飲み屋を探して左京の町を彷徨ったのだ。行きつけの店も、一度行ってみようかと云っていた店も、しゃーないからあんまり旨ないけどあすこ行こか、という店も、そういやああすこに確か飲み屋があったで、という店も、何故かその日は示し合わせたように全て休みだったのだ。タクシーだの代行だのというのは思い付きもしない安下宿に暮らす貧乏学生二人だから、この探索が徒歩で行われたことは云うまでもない。
   若き日を近所の安下宿で共に暮らした私とA君にはこうした二人にしかわからない符牒とでもいうべきものがたくさんあるのだ。

   「あんとき」の記憶をお互いに確かめながらタクシー乗り場に行き、タクシーを拾う。

   A君乗り込むやいなや、「熊本の市電ってめったに来ないんですか」と運転者さんに尋ねる。「いやあ、そんなことないけど。10分おきくらいには来るよ。」という返事。「ほらー、俺の言った通りだろ」とA君にドヤ顔で言おうとすると、「ほら、やっぱりそうや、Sのせいや」と、A君の方がドヤ顔で失礼なことをいう。40年前に二人で延々と続いていた掛け合いである。

   タクシーの中では近況の報告。

   A君は京都のある私立学校の教師だが、定年再雇用で給料が激減したという。俺と一緒やな、と内心共感を覚えたのだが、退職金の額を聞くと私の50倍である。B君は某国立学校の校長だから待遇は云うまでもない。

  思わず、魯迅の短編小説「故郷」の中の主人公の幼馴染みルントウのように、「旦那様!」と二人にかしずきたくなった。
   ちなみにこの部分の描写は中学校の教科書にも載っている竹内好訳が断然良い。他の人のはどうもこの部分が間延びして感じる(何様?) 忘れてしまった人は是非読んでみてほしい。

  ということで一行は爛漫の熊本城に向かう。

河童簡単(ではない)韓国料理25-恐怖のトゥッペギ-(いやしんぼ114)

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決死の運搬

 私が韓国と云う国に行き始めてから既に35年以上になる。

 世界で一番似ている日本と韓国であるが、やはり違う民族であるから、旅行者の私は何度か日韓間の文化の違いに直面した。

 私が日韓両文化の違いの最たるものと思うのはよく取り沙汰される歴史認識ではなく、食文化だと思う。日本と韓国は最も近いにも関わらず、全く違う食文化を持っている。

 たとえば韓国料理が辛いことについて。
 私が若い頃には日本には殆ど辛い料理がなかったから、初めて食べる韓国料理は現在でいうところの激辛料理よりももっと深刻な影響を私の消化器官に与えた。

親切にもほどがある

 最初にそれを食べた私は、便意があるのに出ない、という、所謂渋り腹という状態に陥り、知人の家のトイレに何時までも座っていたために遂に心配したその人にトイレに侵入されるという為体であった。
 これに懲りた私は、日本にいるうちに少しずつ辛い物を食べ慣れ、現在ではタッパル(鶏の足)や「ブルドックポックリ麺激辛(仮名)」以外の韓国料理は美味しくいただくことができるようになったのである。もっともその後の大腸を駆け下るマグマが怖いので、現地ではできるだけ「赤くないもの」を食べるようにしているが。

 そのほかにもホットックが正円にならない問題(これは「ヌルゲ」を買うことで乗り越えた)、カムジャタンに入れる豚の背骨が日本に売っていない問題(これはスペアリブで代用することで乗り越えた)、市販のユッケジャンが辛すぎる問題(これは赤酒と水飴を入れることで乗り越えた)などなど、数々の難題(こうして振り返ると全然大したことないが)を乗り越えて隣国の料理を自家薬籠中の物としてきた。

 だが、どうしても慣れないものがある。というか、私には何故賢明なる隣国人がこの料理器具を古来より使い続けているのか、気が知れない。

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 それがこれである。
 なんだ、ユッケジャンじゃないか、美味しいだけだろ、と思った人。ちゃんと文章を読んで欲しい。私は「料理器具」と云った筈である。
 私が問題にしたいのはこのユッケジャンの容れ物の方、黒い艶のある土鍋である。

 「トゥッペギ」という。

 「タン」や「クッ」と呼ばれる韓国の汁料理は大抵これに入って出てくる。

 さっき「気が知れない」と書いたが、勿論私とて汁物がトゥッペギに入って出てくる理由位はわかる。



 動画を見ていただければ分るが、トゥッペギに入ったタンやクッはコンロの火から切り離されたにも関わらず、トゥッペギに保たれた高熱によってグラグラ煮えたぎった状態で食べる人の元に運ばれてくるのである。

 これはとても嬉しいことで、特に食べ物の熱が冷めやすい冬などでもアツアツの汁物が食べられることになる。もっとも私などは既に何度も下唇の裏側の粘膜ベロンチョという数日後遺症の残る熱傷を負っているのだが。

 問題はこの土鍋に何故か把手が付いていないことだ。

 わたしは既に前回日本の鍋に何時把手が付いたかという世界史的意義のある問題について明らかにした(ええ加減にしとけ)。




 私はここに日韓カモメ-カルメギ協会(架空)の日本側会長として厳かに宣言する。
 本協会の会員は全力を尽くして韓国の鍋の歴史を明らかにすべし。

 カモメ-カルメギ協会は会長兼会員1名の組織であるから、他ならぬ私が韓国の鍋の歴史とトゥッペギの把手問題について調査し考察したい。勿論以下の文章は冗談と法螺と虚言に満ち満ちているのでくれぐれも学術的な論文やフォーマルな場で引用したりなさらぬように。

 韓国の鍋の歴史は近世に至るまでは日本のそれと極めて似通っている。
 それもその筈で海峡の両側には文化の極めて似通った人々が暮らし、相互に交流していたからだ。特に古代韓国で伽耶と呼ばれた人々と日本の人々は、実は同一の集団だったのではないかというくらいに遺した事物が瓜二つである。

私は認めない

 そのことについて私は既に5年前伽耶の本拠地であった慶尚道金海の博物館を訪れたときに実感していたのだが、先日九州国立博物館で開催された展示会で一層の確信を深めたのであった。

IMGP2451

 むしろ今回は上の写真のような日本の文物と似ていないものを選んで持ってきて大陸の先進性を強調したのではないかとすら思われたのだが、それでも製作した人々の精神世界の類似性はどんな作為によっても隠せないものに感じられた。

IMGP2570

 韓国でも原初の鍋はおそらく上の写真のようなものだったろう。
 底が尖っていないのが日本のものとちょっと違うが。
IMGP2456

 そして金属の鍋は中国から伝来した鼎が発展していったのだろう。このあたりも日本と同じである。
15645

 金属の鍋が銅から鉄に替わり、更に日本からアルマイトの鍋が入ってきて現在に至っているのだろうという話はこれまた前回既に述べた。


 ここで問題になるのは土鍋の発達である。
 日本の土鍋は金属の鍋がそうだったように江戸時代に把手が付いて現在に至っている。

 ところが韓国の土鍋は日本では多く江戸時代と重なる朝鮮時代、把手が付かなかったようだ。

百鬼夜行絵巻

 つまり日本でいえば室町時代のスタイルの土鍋のまま、朝鮮時代を経て今に至っているのだ。

 なぜそうなったのか、調べても何の情報も得られなかったが、もしかすると耐久性の問題なのかもしれない。陶磁器で一番壊れやすいのは把手の部分だからだ。取れかけているのを気付かずに運ぼうとして把手が壊れる、といった事故が重なったということは十分考えられる。
 日本の土鍋では同じ問題は起こらなかったのか、という疑問は残るが。

 実は食卓で料理を待っている人はトゥッペギに把手が付いていなくても少しも困らない。鍋に触らずともスプーン(韓国ではスッカラという)で汁を啜ればよいし、食べ終わるころにはさしもの熱せられたトゥッペギも手で触れられるほどの熱さになっているからだ。
 また、食卓に料理を運ぶ人も別に困らない。トゥッペギにはそれ専用の鍋敷きがあって、こちらの方に把手が付いているからだ。この鍋敷きはトゥッペギの熱を伝えない素材でできているから、把手を持っても少しも熱くない。だから運び手は鍋敷きを持って運べばよいだけだ。

 問題は料理人である。

 ちなみに下級国民である我が家では、食卓で料理を待つ人も、食卓に料理を運ぶ人も、料理人も、ついでにいえば後片付けをする人も、全て私である。

 これは困る。何せ直火で熱せられて煮えたぎった汁の入った熱いトゥッペギを鍋敷きの上に置かなければならないのだ。

 好奇心から中古のトゥッペギをリサイクルショップで購入した私は、すぐにこの問題に気付いた。これは鍋掴み程度で持てる熱さではない。

15648

 私は「代走(仮名)」で見つけた「これ」をすぐに購入し、使用し始めた。
 「これ」が何という名前なのか、また「これ」の本来の用途は何なのか未だに不明だが。

 ところが安物の悲しさ、2.3回使用すると「これ」は鍋を掴む力が弱くなり(元々やや力が足りなかったが)、がっちり固定できなくなってきた。
 そうなったらもう恐怖でしかない。
 
 しかも、「イエズズマート(仮名)」ができてそこで発見するまでは私はトゥッペギ専用の鍋敷きを知らなかった。したがってガスコンロから食卓までの2mくらいの距離を「これ」でトゥッペギを掴んで移動させていたのだ。(今から思えば身体が震えてくる。)

 妻は「怖いから止めて」と言って私に何度も「トゥッペギ禁止令」を出したが、私はこの鍋でグツグツ音を立てる汁物を食卓で食べることを諦めきれなかった。

 そのうちに専用鍋敷きを買ってきたので移動距離は20cmほどになったが、それでもたったそれだけの距離でもその瞬間は恐怖そのものだった。

 ある日、悲劇が起きた。

 ツルッと滑ったトゥッペギは見事にひっくり返り、キッチンの上に煮えたぎった参鶏湯がぶちまけられたのだ。翌日の昼食を兼ねるために多く作り過ぎて鍋の縁までなみなみと入っていたのも原因だろうが。誰も火傷をしなかったのが幸いだったが、参鶏湯は4/5くらいが駄目になったし、後片付けも面倒で惨めな気持ちにされられた。

 私は改めて韓国人はトゥッペギをどうやって扱っているのか調べることにした(最初からそうしろよ)。
 すると、KBSの「新鮮チョンボ(仮名)」などを見ていると、専用のやっとこ(ペンチ)があって、韓国の料理人たちはそれでトゥッペギを挟んで鍋敷きに載せていたのだった。
 これは専用鍋敷きと同じくトゥッペギ使用には必須のもののようで、通販で探したらすぐあった。

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 こうして我が家にやってきたトゥッペギ用やっとこ(本当にそうなのかは知らないが)により、今までより遥かに安全にトゥッペギは鍋敷きの上に置くことが出来るようになったのである。

 それでもこのやっとこ、実はトゥッペギのどこを挟むと一番安全なのか、未だに要領が掴めていないのだ。「これでいいのかな?」と思いながら掴み、どうにか運べているのが実情である。

 今でもトゥッペギをコンロから鍋敷きに移す瞬間は胸がドキドキする。それは決してときめきと呼べるものではない。

 ではなんでお前はトゥッペギを使い続けているのか、と云われると、それはトゥッペギになぜ把手が付かなかったのか、というのと同じくらい、自分でも不可解である。

 謎、というべきか。好き好き、というべきか。物好き、というべきか。

 
 

河童簡単韓国料理24-アルミ鍋に関する日韓歴史問題-(いやしんぼ113)

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鍋蓋ラーメン

 COVID-19の感染も随分落ち着いてきて5月の連休過ぎには感染症法の第5類になるという。
 第5類といえばインフルエンザと同じカテゴリーである。
 ただし、多くの専門家は「インフルと同じだとは思わないでくれ」と言っている。天邪鬼の私は「じゃあ何で5類?」と言いたくなるのだが、4類には野口英世を斃した黄熱や脳・肝臓に空洞を作ってジワジワと死に至らしめるエキノコッカスなどの錚々たる(?)感染症が並んでいるから、やはりこれよりは深刻ではないということなのだろう。
 だいいち5類にも日本脳炎や破傷風など、過去多くの日本人の命を奪ってきた疾患も名を連ねているから、そう舐めたものでもない。そもそもインフルエンザだって基礎疾患のある人や高齢者にとっては危険な病気である。

 閑話休題(さいしょからはなしがそれた)。

 なぜCOVID-19の話になったかといえば、私が韓国旅行が大好きだからで、かつ医療人であるためにこの間それができなかったということを云いたかったのだ。まあ何という回りくどい男だろう。

 さて、我が家では妻も韓国旅行が大好きだから、この間の欲求不満はひとかたではなかった。
 それで私たちはどうしたかと云えば、まるで若い娘たちのように「渡韓ごっこ」をしていたのである。
 旅行に行けない寂しさを物で埋めようという私たちの心理を見透かしたように、私たちの棲む熊本にも韓国食品専門店「イエズスマート(仮名)」がオープンした。
 最初に行ったときは「旅行に行ったと思えば安いもんだ」という口実と共に、一度に20000円も遣ってしまった。
 これでは破産する、ということに気付いたので、最近は随分抑えているが、それでもついつい行っては散財している。

 ここは食品だけでなく韓国特有の食器も置いてあるのが楽しい。
 ただし、私は空港に銃を持った兵隊がいたり街角に催涙ガスの臭いが立ち込めていた頃から渡韓している男だから、そんな面白そうな品物はとっくに持っている。

ヌルジ発見

 たとえばヌルゲ。
 これは知る人ぞ知る、ホットック(韓国風おやき)を作るためにのみ存在する道具なのだが、私はこんなものすら2020年には手に入れているのである(つい最近だろーが)。

 更に、日本では「レトロ」としか云いようのないアルミの鍋。

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 もっとも、前時代の遺物のように見えるこの鍋は実は意外に使い勝手がよく、かつ耐久性が高い。

 まず、把手も金属だから、コンロの火をガンガン強くしても駄目にならない。日本の鍋が駄目になって買い替えないといけなくなるのは大抵把手が日にやられてガタガタになってくるからなのだ。

 たとえば折角上等な(と云っても私に買えるのは1000円前後のものだが)雪平鍋を買ったとしても、本体は随分と厚手だから10年くらいの歳月には全然耐えられても、把手の部分の木が焦げて収縮して本体部分との寸法が合わなくなる。こうなると把手を交換しなければならないが、把手の値段と交換費用は到底元々買った値段と釣り合いが取れない。

 雪平鍋は片手鍋だろ、と思った貴方。
 では、日本の両手鍋の歴史にほんの少しでいいから思いを馳せてほしい。
 それはそもそも金属でしたか。
 勿論違う。土鍋である。
 片手鍋は、土鍋が金属の鍋になって初めて出現したバリエーションであって、太初から鍋と云えば土鍋の両手鍋なのである。

 では、日本の鍋の歴史を振り返ってみよう(大袈裟な)。
 日本の鍋の歴史はなんと14000年前まで遡る。言わずと知れた縄文土器である。
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 こういう派手な装飾の付いたものから地味なものまであるが、深鉢と呼ばれるものが現在の鍋のルーツらしい。
 この深鉢は弥生式土器でも生き残り、似たような形のものが煮炊きに使われたという。
 古墳時代の土器は須恵器・土師器と呼ばれるが、この種類にも似た形のものがあるから深鉢が煮炊きに使われた歴史は相当長いようである。
 そしてこれらの鍋には把手が付いていない。
 
 これとは別に金属製の鍋は鼎とよばれる3本脚のもので、これも紀元前300年には既に渡来していたと推測されるが、明確に歴史書に記述されるのは「延喜式(927年成立)」だから平安時代になってからである。
 当時の金属器は貴重品だから庶民には高根の花だっただろう。
 ただ、鎌倉時代成立の「徒然草」にはふざけて鼎を頭に被って取れなくなる話が出てくる。こんなおふざけに使ってしまうくらいだからこの\時代には相当の普及を見せていたのかもしれない。
 室町時代になると「百鬼夜行絵巻」という絵巻物に鍋が登場する。

百鬼夜行絵巻

 左から2番目の修行僧の被り物のようなものがそれである。底が平らでないのはそれ以前の深鉢と同様であるが、既に金属製であることが伺われる。しかし、把手がない。

浮世絵

 ところが、江戸時代の浮世絵(歌川豊国3世「両国夕景一ツ目千金」)に描かれた鍋には間違いなく把手がある。ということは、日本の鍋に把手がついたのは江戸時代のようだ。

 この絵の鍋の形を見てみると、把手を付けるヒントになったのは広東式の中華鍋ではないかと推察される。江戸時代の日本に流入してくる舶来物は中国・韓国・琉球(明治時代までは日本とは別の独立国)・阿蘭陀製のものだからだ。

 この把手の付いた鉄鍋は大正末期に発明されたアルマイト技術によって昭和初期にはアルミ鍋に代わる。そして家畜人オークション(仮名)の出品物などを見る限り、把手もまたアルマイト製である。
 現在「韓国ラーメン鍋」として韓流ファンの間で珍重されている鍋はこの形である。

 ところが日本の場合両手鍋はここから更に進化を遂げる。
 それは把手のプラスチック化である。こちらは最初アルマイト製のものに付き、ホーロー鍋ブームを経てステンレス製やフッ素・テフロン加工のものに至るまで、現在のほとんどの両手鍋に付いている。

 ちなみに日本の両手鍋に占めるアルマイト製が急速にその比率を下げたのには「アルミニウムは身体に悪い、特にアルツハイマー病の原因になる」という学説が与って力があったようだ。今となってはこの言説は「コーラで骨が溶ける」とか「味の素で馬鹿になる」とか「菠薐草を食べたら結石になる」といった類の珍説だったようだが。

 プラスチックの把手付きの鍋は極めて使い勝手のいいものだが、唯一にして致命的な欠陥がある。
 それはガスを火力として使う場合、それを全開にできない、という点である。
 おそらく初期の都市ガスは火力が弱かったからこの問題は顕在化しなかったのだろう。しかし、現在のガス(含プロパン)は「炎の料理」と呼ばれる中華料理の中でも最も強い火力を必要とする「爆(パオ)」でさえ楽々作ってしまえる位に火力が強い。
 特に小さめの鍋の場合、ガスを全開にしてしまうとプラスチック製の把手が焦げてしまう。
 実は全国民の相当数を占めるだろう私程度の注意に問題を抱える人は、おそらく一度は料理中に鍋から立ち昇るプラスチックの焦げる嫌な臭いを体験したことがあるに違いない。

 もちろん現在急速に普及しつつあるIH調理器具であれば何の問題もないのであるが。
 あるアンケートによれば、「IHに替えた理由」として実に70%の人が「ガスで把手が焦げたから」と答えているのである(大嘘。決して引用しないように)。

 閑話休題(かんこくのなべのはなしだった)。

 では、現在日本でも人気上昇中のレトロなアルマイトの鍋のルーツは、といえば、これは間違いなく日本から持ち込まれたものである。これには多くの事物に対して「元々はウリナラ(我が国)のものだ」と言いがちな韓国の「愛国者」たちにも首肯してもらえるだろう。

 なぜなら、アルマイトは日本で発明された技術だからである。

 1929年に理化学研究所の植木栄らが発明し、特許を取得したアルミニウムの蓚酸法陽極酸化皮膜を、それを引き継いだ理化学研究所の宮田聡が「アルマイト」と命名したのが由来である(Wikipediaによる)。

 では何故日本ではほとんど見なくなったレトロなアルマイト鍋が韓国では現在でも最もポピュラーなのか。
 私はこう考える。
 これは両国の高度成長の時期と関係があるのではないか。

 ご存知の通り日本の高度成長期は1960年代、韓国のそれは1970年代である。
 そして、工業製品の素材、ということでいうと、1960年以前は金属の時代、以後はプラスチックの時代である。
 ちょうど素材の転換期である60年代に成長期を迎えた日本はいち早くそれを取り入れ、巷にはプラスチック製品が溢れ返った。最近ではすっかり悪役が定着した感のあるプラスチックであるが、当時プラスチックは絶対善であった。あらゆるものにプラスチックが使われたのだ。何せ代表的な硝子製品であるはずのカメラのレンズにすら当時の物にはプラスチック製があるのだ。

 ツケは70年代にやってきた。「プラスチックは比較的短期間で劣化する」という、現在では常識レベルのことに人々は気が付いたのだ。

 そして韓国の高度成長がやってきた。
 「日本に追いつき追い越せ」という立場だった韓国は、日本の長所を学ぶことができたと同時に、日本の失敗を避けることもできた。

 その象徴がカワウソである。

 全国津々浦々の河川をコンクリートで固め、農薬で汚染させてしまった日本では、カワウソは1965年に特別天然記念物になったのも虚しく絶滅した。絶滅宣言は2012年だが、最後の目撃例が1979年だからそれ以前に事実上絶滅したことが推測される。

 一方の韓国では既に日本の高度成長の負の部分が露わになり始めた時期に成長が始まった。世界の風潮は既に自然保護へと向きを変えつつあった。農薬の有毒性や河川改修の悪影響などは世界の常識になっていった。
 勿論韓国のカワウソにも開発の波は襲い掛かったのだが、日本のように全国の隅々までいきわたるものではなかったため、カワウソたちは最も危険な時期を生き延びたのである。そしてソウルの清渓川に象徴されるような自然復帰の時代を迎え、特別探しに行かなくても目撃できるほど個体数がいるようだ。なにせ4頭のカワウソが対馬に泳ぎ着いたというエピソードがあるくらいである。相当数の個体がいなければこんなことは起こらないだろう。

 閑話休題(なべのはなしだった)。

 カワウソと同じようなことが鍋にも起こったことは十分考えられる。
 「やっぱりアルマイトが一番使いやすいよね。アルツハイマーになるっていうのもデマだったし。」「把手は日本の鍋みたいなプラスチックじゃないほうがいいよね。火を強くしても焦げないし。」

 こうして韓国のオールアルマイト製の両手鍋は彼の地のカワウソの如く生き残ったのではないか。

 このレトロな鍋にはかような日韓の近現代史が秘められているのである(大袈裟)。

 それはさておき、この鍋は実に使い勝手がいい。

 水を入れて蓋をし、ガスコンロにかけて火を全開にすると1分もしないで沸騰する。熱伝導のいいアルミならではである。
 韓国の鍋だが別に作るのは韓国ラーメンでなくてもよい。日本のラーメンだと2分も煮たらもう食べられる。韓国のラーメンは1本が長いので固まりは2つに割った方がいい。
 出来上がったら鍋のまま食卓に持ってくる。把手が熱いが鍋掴みを使えば何でもない。
 最初の一口は熱いので鍋の蓋をひっくり返してそれに載せて食べる。
 鍋の縁に唇を付けたら大火傷なのでスープは直接は飲めないが、スプーンを使えば何でもない。この場合蓮華ではなくて韓国製のスプーン(スッカラ)が似つかわしい。
 麺が少なくなる頃には把手を手で持てるようになる。アルミ製で熱伝導がいいから冷めるのも早いのだ。縁に口も付けられるようになる。
 飲み残したスープを三角コーナーに捨てて、チャチャッとスポンジで洗うと食事はおしまい。
 
 美味かったー。

チャットGPTが教えてくれたもう一人の自分(愛すべき機械たち)

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パラレルワールドの私

 最近巷ではチャットAPT(仮名)の話題で持ちきりである。
 だが、チャットAPTが何者なのか、意外と知らない人が多いのではないだろうか。

 そこで、「チャットAPTって何?」とグルグル先生(仮名)に聞いてみ、ようとしたが、こういう質問に答えてくれるのがチャットAPTではないのか。
 そこで、チャットAPTに「チャットAPTって何?」と聞いてみた。
 早速答えてくれた。

A: チャットGPTとは、GPTという技術を用いたチャットボットのことを指します。GPT(Generative Pre-trained Transformer)は、自然言語処理技術の一種で、大量のテキストデータを学習して、文章生成や文章意味解析などの応用に使用されます。チャットGPTは、GPTによって学習されたモデルを用いて、人間による会話に近い形式で、自然言語での応答が可能なチャットボットを実現することができます。例えば、SiriやGoogle Assistantなどが代表的なチャットGPTの例となります。

 わからん。
 「もう少し分かりやすくなりませんか?」と言ってみる。

A: すみません、もう少し詳しく説明します。
 何について知りたいのでしょうか?お答えすることができるように教えてください。

 ちょっとムッとしたが、機械相手に怒っても仕方ないので、主語述語をもっとはっきりさせて聞いてみる。

Q: チャットAPTについてできるかぎり分かりやすく教えてください。

A: チャットGPTとは、自然言語処理技術を使って人間のように自然な文章を生成するAI(人工知能)のことです。GPTはGenerative Pre-trained Transformer(生成型事前学習モデル)の略で、GPT-3などのバージョンが存在します。チャットGPTは、主にチャットボットや仮想アシスタントに使われ、人とのコミュニケーションの役割を担います。ユーザーからの文章を理解し、適切な回答を返すように学習します。チャットGPTは、機械学習の一種である深層学習に基づいており、大量の文章データを学習して自然な文章を生成する能力を獲得しています。近年、チャットGPTの性能が飛躍的に向上し、人間との会話に近い自然な応答が可能になりました。

 んー、分かったような分からないような。

Q: チャットGPTについてド素人でもわかるように教えてください。

A: チャットGPTとは、人工知能の一種であり、人間と同じような自然な会話ができるボットやロボットを作成するために使用される技術です。GPTは、「Generative Pre-trained Transformer」という言葉の略であり、事前学習を行ったトランスフォーマーモデルの生成によりチャットボットを作成することができます。
チャットGPTは、言語処理技術により自然言語の解釈を行い、その結果に基づいて回答を生成します。一般に、多数のテキストを収集し、そのテキストに基づいてモデルを作成しています。そのため、チャットGPTは、自然言語処理技術の進歩により、より良い回答を生成することができるようになっています。
一般的には、チャットGPTは、Web上のFAQページやカスタマーサポート用のシステムの開発に使用されます。企業は、チャットGPTを使用して、AIボットを作成し、自動返信やカスタマーサポートを行い、人員不足の問題を解決することができます。
また、チャットGPTは、教育支援や、商品情報の自動化、解決策の提示といった、様々な目的で使用されています。チャットGPTは、人間と同じような自然な応答を行うことができるため、人手不足の環境で効果を発揮しています。

 駄目だこりゃ。
 大学の先生がデキの悪い学生の質問に丁寧に説明しようとするほど分からなくなっていくパターンである。

Q:チャットAPTについてコンピューター技術について全く知らない人でもわかるように教えてください。

A: …(無言)

 この先生、学生のあまりの不勉強に怒って立ち去ってしまった。
 「自分で調べなさい!」ってか。

 ということで、この疑問については「AIが答えてくれる『家畜人知恵袋(仮名)』」という、ド素人の私の理解のもと、以前からグルグル先生によくする質問をチャットAPTにしてみた。
「S(私の氏名)って誰?」と聞いてみた。

 この質問はグルグル先生にすると、「〇〇信用金庫」についてずらりと答えが並ぶものだ。
 さて、チャットAPTの答えや如何に。

A: Sは、日本の元プロ野球選手であり、現在は野球解説者やタレントとして活躍しています。1968年に南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団し、投手として活躍。その後、日本ハムファイターズを経て、現役引退後はテレビ朝日、フジテレビ、BS9などで野球解説を務めています。また、多くのテレビドラマやバラエティー番組に出演し、タレントとしても幅広く活躍しています。

 こっ、これは、齢61となり老い先短い私の、生きたかったもう一つの人生ではないか。
 きっとパラレルワールドまで検索の手を広げて教えてくれたに違いない。

 気に入ったぞ。チャットAPT。

とても分かりやすい店名の蕎麦屋(チャンクの暴走46)


わかりやすい蕎麦屋

 とある日曜日。
 私たち夫婦は熊本県のとある県道で四方山話をしながら車を走らせていた。
 そろそろ昼。
 昼と云えば昼飯。
 妻に言わせると、私は11時が過ぎると急にそわそわし始め、運転しながらも左右をキョロキョロ確認し始め、眼をとさせたと思うと急にしゅんとし、また瞳孔を全開にさせたと思えば瞬時に収縮させ、12時が近づくとイライラし始め、「何が食べたい?」と妻に聞く癖に妻の答えは無視して「何々でいい?」と答え、タイヤを鳴らしながら急旋回して(嘘)どう考えても不味そうな料理屋の駐車場に車を乗り入れ、駐車スペースの線と明らかに平行でなく駐車して無言で店の入口に早足で突進していくという。
 これは明らかに被害妄想なのだが、私が昼飯時が近づくと関心の相当部分が食事に偏っていくのは事実かも知れない。
 その日も妻と話しつつ(彼女に言わせると口数が少なくなって上の空になりつつ)「今日はどこで食べようかな」と考えながら道端の左右の看板を運転に支障がない程度にチェックしていた。
 どうも前の日に辛めの部隊チゲを食べたせいか、あるいはややつまみを食べすぎたせいか、少々胃が重い。夕食は庭の猫の肉球ほどの畑のサンチュやらサラダ菜やらを今日摘み取らなければ育ち過ぎになるのでポッサムを作って包んで食べなければ。とすると昼食は蕎麦か饂飩の単品で軽く行きたいところだ。

 そのとき私の眼にある店の看板が飛び込んできた。
 「熊本インターそば」
 おお、蕎麦屋か。ちょうどいい。
 それにしても何と直截な、和風のものとしては風情もへったくれもない店名である。
 「砂場庵」とか、「そば処まる賀」とか、「もみじ庵」とか、「更科そば」とか、「生蕎麦やぶ」とか、古式に則った屋号に出来なかったのだろうか。
 まあいいや。腹減ってるし。(妻は昼飯前後の私のこの投げやり感が怖いらしいが)

 「ねえ、さっきの看板の蕎麦屋でいい?近いし。」
 「は? さっきのは〇〇の店だよ。何言ってんの?」
 冒頭の絵では店は焼肉屋になっているが、このブログのモットー「誰にも得をさせない、誰にも損をさせない」に従って具体的な職種は伏せさせていただく。

 おそらく店のオーナーは自分の店の利便性を宣伝したくて看板で熊本インターチェンジの近所であることを強調したのだろう。ところがこれが利きすぎて、私のような注意に問題のある(というよりこれは認知の問題なのかもしれないが)人には職種すら誤って認識されてしまったのだろう。

 そういえば、CMが強烈過ぎて、それは覚えているけれど肝心の「何のCM」「どの会社のCM」というのは覚えていないというCMはたまにある。これは宣伝が上手過ぎてそうなってしまった例の一つなのかもしれない。単に私が阿呆なだけだろうが。

 それにしても、「熊本インター蕎麦」、食べたかった。

リアル写真で花札を作る40-リアル花札本舗1周年-(それでも生きてゆく私315)

リアル花札一周年

 家の周りをウロウロしていると梅の花が咲いている。

 それで思い出したのだが、私がリアル花札を作り始めてから1年が過ぎたのだ。

 時の経つ早さに吃驚である。 

 花札のサイクルは1月から12月までの1年であるから、この1年でリアル花札がどれくらい完成に近づいたか報告したい。

 まず1月の松。
 これは全札現在作成中である。
    というよりまだ撮影に取りかかっていない。 
    これは一重に松に鶴に登場する丹頂鶴が私の棲む九州には飛来しないからで、丁度事柄忙しかったことも相まってのことだ。
   だったらスカ札だけでも撮影すればよかったのだろうが、最初から動物札だ出来ないことがわかっているからどうも気乗りがしなかったのである。飽きた、というのもちょっとだけあるかも知れないが。


   次に2月の梅。
   全品完成済み。ただし、梅に鶯の鳥は目白である。

梅4枚揃い

   3月の桜。
   全品完成済み。

桜4枚揃い

   4月の藤。
  藤に不如帰が欠品である。とりあえず合成写真で見本にしているが鳥は鳶なのでこれはかなり良心的でない代物である。

藤4枚揃い

   5月の杜若。
   全品完成済み。
   ただし、実は花は菖蒲である。

杜若4枚揃い

   6月の牡丹。
   全品欠品である。
   これは私の無知のために牡丹の花期が終わってしまって撮影できなかった。  
   もうこんなことがないように我が家の庭には牡丹が植えてある。今年は大丈夫だ。


   7月の萩。
  萩に猪が欠品である。とりあえず合成写真で見本は作っているが、猪が自分で撮影したものではないのでこれまた非良心的な代物である。せめて自分で撮影した写真で合成したいものだ。

萩4枚揃い

   8月の薄。
   全品完成しているが、薄に雁の出来が良くないので再制作したいと思っている。

 薄4種揃い
 
   9月の菊。
  スカ札のみ完成。これは他人の花だといつまでも完成しそうにないので牡丹同様庭に植えようかと画策している。

菊4種揃い

   10月の紅葉。
   紅葉に鹿が欠品である。
   とりあえず合成写真で見本は作っている。これは紅葉も鹿も自分で撮影したものなのでそこまで良心が痛まないが、奈良に行けば簡単に撮影できそうなので、来年の秋は久しぶりに大学時代の友人に会いがてら撮影に行くつもりである。

紅葉4枚揃い

   11月の柳。
   これは先日福岡県の柳川市まで撮影旅行を敢行したのだが、柳って冬は葉がないんだな。燕も冬は日本にいないし。花札の作者に完全に騙された気分である。
   ということで全品欠品。
   今は小野東風の衣装を準備して初夏の季節を待っている段階である。

   12月の桐。
   これも冬に咲く花じゃないよな。春を待とう。
   ということで全品欠品。
 実は1つだけこんな感じの合成で鳳凰だけできているのだが、これまた非良心的なのでもう少し考えてみよう。

リアル霧に鳳凰合成

 ということで今後ともリアル花札本舗をよろしくお願いいたします。

あれどうなった?という話(それでも生きてゆく私314)

菊陽生活4年目

 今年も友人知人の間に私の退職説が出ているらしい。

 これはもはや10年以上続く年中行事と言ってよく、年度末になると「Sさんが今の職場を辞めるらしい」という噂が飛び交う。

 ときには「Sさんが辞めると聞いたのでいらっしゃるうちに」と云って教え子が訪ねて来ることすらある。

 私は言語聴覚士になってから3回職場を替わっているのだが、実際に職場を替えた年にはそんな噂は立たず、私が辞意を伝えて初めて、関係者に「えっ?マジ?」という顔をされたりする。

 今年度末も私は今のところ現職を辞めるつもりは全くなく、謎の退職説である。

 ただし、一昨年定年を迎えて現在は再雇用の1年契約だから、向こうから「もう契約更新しません」と云われる可能性は十分にあるが。たまには真面目に仕事をしなければ。(冗談ですよー)

 冗談抜きでここのところ仕事が忙しく、ブログの更新を1ヶ月以上していないことに気付いた。退職説はあるいはこの辺から湧いて出るのかもしれない。

 私は職業人生の大部分で受験生の指導をしているから、この時期はどうしても他のことを考えにくくなるのだ。

 さて、私の菊陽町での生活も3年目を終えようとしている。相変わらず妻の実家へのパラサイト生活である。例のアカデミー賞を取った韓国映画の家族を思わせる。
 実際この期間はCOVID-19の感染拡大時期とほぼ重なっていたため、行動半径が三角町にいたころより狭く、「パラサイト」という語がぴったりくる生活だ。
 もっとも韓国と違って日本にあるこの家に半地下はないので、開いている2階で巣ごもりしている。

 ブログの更新がないので私を知る多くの人が「飽きたんだな」「忘れてるんだな」と思っているだろう話をする。

 まず、リアル花札を作る話である。

 これはまた詳しく経過報告をすると思うが、現在「柳に小野道風」と「牡丹に蝶」、「松に鶴」の撮影準備が着々と進んでいる。
 小野道風役の衣装を通販で買い、牡丹の苗を庭に植え、丹頂が飛来している北海道行きの飛行機の切符を買った(最後は嘘)。

 次は私の農業入門である。
 我が家(寄生先)の庭には猫の肉球ほどの畑が作ってあるが、私はここに岳父の黙認を得て(勝手にという話もある)いろいろな野菜を植え、農業入門を続けている。現在庭に植わっているのは三角から持ってきたもう10年目のアスパラガス、スナップ豌豆、キャベツ、ブロッコリー、法蓮草、葉大根、チマサンチュ、サラダ菜、青梗菜、空豆などである。
 ただ、三角より気候が寒冷であるせいか、どうも今一つ出来が悪い。先日など熊本に大寒波が来て葉野菜や豆類の芽がベロベロに壊死してしまった。これまで寒さに強い冬野菜がこんなことになった例はなかったので、吃驚してしまった。
 まだまだ試行錯誤は続きそうだ。

 動物好きの人が気になるのはメダカくんとエビくんのその後だろう。

 メダカに関しては二度の転居にもめげず繁殖して現在20匹ほどが生息中である。近親交配が繰り返されると背中が曲がったり浮袋がなかったりという形態異常が増えてくるので、ときどき新しい系統のものを補充している。

 エビは柳川から7匹持ってきたのが3匹まで減った。
 ただ、もともと私の飼っているヤマトヌマエビの寿命は2年程度だそうで、もう熊本に戻って10年目なので、この3匹はギネス並みの長寿ということになる。

 古銭収集は相変わらず続けている。
 定年で収入が激減したのであれこれ手を広げることはできず、二銭五分白銅貨に絞ってときどき家畜人オークション(仮名)に入札して手に入れている。
 ただ、この硬貨のことをブログで宣伝しすぎたせいか、最近やたらと入札値が高い。以前はカリガリ博士市場(仮名)などで二束三文で売っていたりしたのだが。もしかすると眼を付けた古銭屋が値を吊り上げているのかもしれない。そんなことをしてもそれに乗る財力は私にはないぞ。

 めっきりやらなくなったのが散歩である。
 これは健康に関わることだから是非やりたいのだが、どうも自然豊かな三角の散歩道に慣れていたためか菊陽の風景は楽しくない。といっても、畑だらけで十分田舎なのだが。三角は山だらけだったからなあ。
 野生動物は鳥くらいしか見ないし、種類が限られているのでどうも面白くない。
 だいいちCOVID-19の感染拡大でお上がいうところの「不要不急の外出」だし。
 (大きな声では云えないがCOVIDで死んだ人より廃用で死んだ人の方が多いんじゃないか。)

 ということで「鳥撮り」も回数が減った。
 新しく撮れたのは百舌鳥くらいか。目白と鵯は隣の金持ちの庭までは来るが、我が家にはなかなか寄ってくれない。これは柑橘類を用意していないからだと思われるので、要改善である。鳥にやる餌を買うような余裕はないが。

 その関連で全くやらなくなったのが登山である。
 一時は「三角岳に登る」と豪語していた私だが、加齢による不活発と膝痛でごく低い山にさえ登らなくなった。今後も自分からは登らないような気がするので誰か誘ってください。

 サイクリングも電動アシスト自転車で頻繁に出かけていたのだが、これが転居してしばらくくらいからペダルを踏むとギーギー云って物凄い抵抗がかかるようになり、買ったところに持って行ったら再起不能を宣告されてそのまま放置されている。しかたがないので昔から持っている普通の自転車を塗り直して乗っているが、これで坂道を上り下りするのは私の脚力では無理である。かといって最近の物価高で電動アシスト自転車は以前の2倍くらいの値段になっているし。月賦で買うかどうか検討中だが、収入減のこともあって躊躇している。

 同じく自動車も10年過ぎの走行20万km超えなのでそろそろ買い替えかなと思う。
 この車は本当に「当たり」で購入依頼一度たりとも故障したことがないが、普通車なので税金とガソリン代で維持費が馬鹿にならない。
 軽に替えようかとも思うのだが最近の軽は軽とは思えないほど高いので、これまた収入減との関係で迷っている。
 いっそ原チャリにするか。と、あれこれ漁っているうちに、中国製の電気自動車が原付扱いで手に入ることに気付いた。これは周囲と交渉中だが関係者全員から反対されている。

 周囲全員から反対、といえば、携帯をMy phone(仮名)からエイリアン(仮名)のフォルダブル(折り畳み)携帯に替えたときもそうだった。結局押し切って買ったのだが、これがまた経済を圧迫している。もっとも使い勝手のいい楽しい携帯ではあり、これを持つことで随分私のQOLは上がったのだが。

 それと関連して3年前に始めたデオ林檎(仮名)の韓国語学習は飽きやすい私の例に反して続いている。これは電車通勤になって乗っている間が暇、という条件に恵まれたことが大きいだろう。もともとはニュースを見ながらポイ活、というコンセプトでフォルダブル携帯を買ったのだが、違う形で役に立っている。

 何はともあれ退職説が死亡説に変わらない程度にはブログを更新したいと思いますので今後ともよろしくお願いいたします。

河童言語聴覚士国試指南 索引

河童国試指南お知らせ

第1HP「天草の海風」を全面リニューアルしました。

[索引]
あ行 あ アンチフォルマント どうしても判別出来ない2人4(それでも生きてゆく私160)
   あ アルゴリズム 飛んで飛んで飛んで回って回って回って忘れる(チャンクの暴走45)
   い 遺伝形式 武家の娘の商法(それでも生きてゆく私198)
   い インプリンティング どうしても判別出来ない2人3(それでも生きてゆく私159)
   え ADHD さようなら健さん3-言語聴覚士の見た「幸福の黄色いハンカチ」-(どうしても言いたかったこと44)
か行 か カプグラ症候群 どうしても判別出来ない2人2(それでも生きてゆく私158)
   き 共通運命の要因 年遺相 金産続 (チャンクの暴走33)
   き 近接の要因 年遺相 金産続 (チャンクの暴走33)
   げ ゲシュタルト心理学 年遺相 金産続 (チャンクの暴走33)
   こ 恒常性(こうじょうせい) リアル写真で花札を作る31-これは有り、ですか? 薄に月2-(それでも生きてゆく私305)
さ行 し 試験の受け方 余は如何にして言語聴覚士となりし乎94(出藍を信じて)
   し 尺度水準 和也と達也と文也3(チャンクの暴走24)
   し 新造語 新造語の楽しみ(余は如何にして言語聴覚士となりしか外伝17)
   じ 馴化 どうしても判別出来ない2人3(それでも生きてゆく私159)
   じ 順序尺度 和也と達也と文也3(チャンクの暴走24)
   す 刷り込み どうしても判別出来ない2人3(それでも生きてゆく私159)
   ぜ 前日の過ごし方 余は如何にして言語聴覚士となりし乎94(出藍を信じて)
   そ 相互変身症候群 どうしても判別出来ない2人2(それでも生きてゆく私158)
た行 だ 脱馴化 どうしても判別出来ない2人3(それでも生きてゆく私159)
   ち チャンク 近づいてきたらヤバい上司(チャンクの暴走41)
   ち 注意欠如多動症(注意欠如多動性障害) さようなら健さん3-言語聴覚士の見た「幸福の黄色いハンカチ」-(どうしても言いたかったこと44)
   つ ツァイガルニク効果 ツァイガルニクな二人乗り(毒にも薬にもならない話58)
   つ 月の錯視 リアル写真で花札を作る31-これは有り、ですか? 薄に月2-(それでも生きてゆく私305)
   て 典型性効果 メダカ共和国の繁栄5-がんばれタッチー-(Sea豚動物記64)
   て 転置 高いところに弱い鳥がかかる病気(チャンクの暴走40)
   で DBDマーチ さようなら健さん3-言語聴覚士の見た「幸福の黄色いハンカチ」-(どうしても言いたかったこと44)
   ど ドッペルゲンガー症候群 どうしても判別出来ない2人2(それでも生きてゆく私158)
な行
は行 ひ ヒューリスティックス 飛んで飛んで飛んで回って回って回って忘れる(チャンクの暴走45)
   ぴ ピークエンド効果 飛んで飛んで飛んで回って回って回って忘れる(チャンクの暴走45)
   ふ フォルマント どうしても判別出来ない2人4(それでも生きてゆく私160)
   ふ フレゴリの錯覚 どうしても判別出来ない2人2(それでも生きてゆく私158)
   ぷ プロトタイプ理論 メダカ共和国の繁栄5-がんばれタッチー-(Sea豚動物記64)
   ぷ プレグナンツの法則 年遺相 金産続 (チャンクの暴走33)
   べ 勉強法 余は如何にして言語聴覚士となりし乎95(ぼろぼろなてきすと)
ま行 み ミトコンドリア 迷作リメイクシリーズ55-アダムの肋骨の末-(毒にも薬にもならない話1)
   も 妄想性人物誤認症候群 どうしても判別出来ない2人2(それでも生きてゆく私158)
や行
ら行 り 臨界期 私の農業入門記12-あるヘチマの一生-(それでも生きてゆく私142)
   れ レビー小体型認知症(レビー小体症) どうしても判別出来ない2人2(それでも生きてゆく私158)
   れ レム睡眠 布団に襲われる男(旅の夜風4)
わ行


[ごあいさつ] 
 私は言語聴覚士という、コミュニケーションや食事に問題のある患者さんのサポートをする仕事をしている。
 私はこの仕事を有意義な仕事だと思っているので、この仕事を志す人が1人でも増えてほしいし、志すからにはこの職業に就いてほしい。
 しかし、「他人のためには指一本動かしたくない」「世界中の人間の中で自分だけが大好き」というような、どう考えても人格的に向いていない人は別にして、「こういう人になってほしいよね」と言われ続けながら、学力的な部分で言語聴覚士になれない人がいるのは実に残念である。
 私が言語聴覚士の養成にかかわるようになったのは、こうした人を一人でも減らすため、という動機も大きい。
 だが、特に現役で合格できなかった人の中には、常時対策授業やアドバイスを受けながら勉強するという環境にない人も多い。そんな人たちに何かできないかといろいろ考えてきた。
 今回、そうした活動の一環として、過去のブログのうち、国家試験の勉強に役立ちそうなものをまとめ、「河童国試指南」として提供することにした。
 何せ元が私の「与太ブログ」だから、効率的に丸暗記したい人には向かない。
 真面目に勉強したい人はちゃんとしたアプリが既にリハビリテーション養成校の協会などから提供されているので、そちらを使用してほしい。養成校でまとめて加入すると費用も安い。
 これはそうしたアプリで勉強して疲れた頭を馬鹿話で休めつつ、かつ多少なりとも役に立つ知識を得たいという人のためのものである。
 単にブログのカテゴリ機能を使用してまとめるだけだから、来週中には公開可能の筈である。
 勉強には役に立たなくても、文章を読むのが好きな人には絶好の暇つぶしになる(かもしれない。ならないかもしれない)。
  

河童簡単韓国料理7-タン三兄弟の末っ子カルビタン-(いやしんぼ93)

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カルビタン

第1HP「天草の海風」を全面リニューアルしました。

 「韓国料理界の団子三兄弟」と呼ばれているのがカルビタン・コムタン・ソルロンタンである(大嘘)。
 最初の文章から嘘で申し訳ないが、日本人であり牛肉食にそれほど慣れていない私にはこの3つは到底区別がつかない。
 料理を出してもらう時に「これは〇〇タンで」と言われれば「まあそんなもんかな」と思うだろうが、3つの料理を同時に出されて「どれが〇〇タンか当ててください」と言われたらまず3つとも正解するのは困難だろう。それくらいこの3つは似ている。

 昔から日本人(特に関西の)に有名だったのはおそらくコムタンである。これは在日韓国人の中にこの料理の名人がいたのか、私の若い頃から関西で牛肉のスープが出てくるときは「コムタンです」と言って出てきていたような気がする。というより、テールスープ、つまり牛の尻尾を煮出したものがこう呼ばれていたという記憶がある。もう30年以上前だから断言はできないが。

 次に有名なのがソルロンタンだが、これは由来の「先農湯」「雪農湯」(諸説あり)という漢字語句が如何にも健康に良さそう、という印象から来ているような気がする。お仕着せのツアーなどで牛肉のスープが出てくるときは大抵ソルロンタンである。

 これに対してカルビタンは旗色が悪い。

 ネットで調べても前二者がWikipediaに項目が立っているが、カルビタンだけは店の宣伝サイトしかない。

 また、「コムタンラーメン」「ソルロンタンラーメン」は韓国の大手食品会社からインスタントラーメンが発売されているが、「カルビタンラーメン」は発売されていない気がする。これは私の情報が乏しいだけかもしれないので、カルビタンラーメンを販売されている会社の広報の方はぜひ無料のサンプルを送っていただきたい(冗談)。

 実際この3者は外見はよく似ているのだが、ソウルは明洞のコギチプ(カルビ屋さん)のサイトによれば、製法にはかなりの差があるらしい。

 まずソルロンタンは牛のありとあらゆる部分の肉と骨を煮込んでアミノ酸と脂肪と骨髄を煮出す。したがって、このスープは白濁していて濃厚である。
 これに対してコムタンは足腰の骨と赤身の肉を煮込んだものなので、ソルロンタンよりもスープにに出される脂肪と骨髄が少ない。したがってソルロンタンより濁りが少なく味もあっさりしている。
 カルビタンはこれよりさらに限定された材料で、骨付きカルビ(アバラ肉)を煮込んで作ったものだから、全二者よりさらに脂肪と骨髄が少ない。スープもほとんど濁っておらず、透明感が高い。

 私はどれが好きかと言えば、カルビタンである。
 これは私の年齢と胃腸の調子によるもので、有り体に言えば「年寄りだからあっさりしたもんが喰いてえ」ということだ。

 ただ、店で喰ってみてもとても美味しいカルビタンにはなかなか出会えない。

 これはこのスープが御飯のおかずとして食べられるためかもしれない。というのは、もともと牛から出た湯だけだと御飯のおかずとしてはあっさりしすぎているので、大量の胡椒が入っていることが多いのだ。したがって私としてはいわゆる「胡椒辛い」という状態に陥ってしまう。

 今までに現地で何回か食べたが、「胡椒辛い」という印象がなかったのは1回だけだった。

IMGP1816

 これは山葵のタレで食わせるという工夫がしてあったので、胡椒の量を減らすことが出来たのだろう。

 ただし、この料理に関しては少々不愉快な思い出がある。

 この店に入ったのはちょうどこの店のある都市の日本大使館前に例の像が設置されるとかされないとかで揉めている日で、私が韓国語を知らないと思ったのか近くに座っていた常連客らしき男がさんざん日本の悪口を言った(日本人を示す蔑称を連発していたから私の被害妄想ではない)挙句に「勘定はあいつにツケといてくれ」と私を指さして出て行った。

 店のアガシの機転で実際の勘定の倍ボラれるなどというメには遭わず、勘定は自分の計算していた通りで済んだのだが、国同士の関係を口実にして少数者(この場合は旅行者である私たち)を攻撃して鬱憤を晴らす卑怯者は海峡のどちら側にもいるのだなと嫌な気分になったのだった。

 もう少し(もっとたくさん)韓国語が話せたら論破してやるのにとも思ったが、このテの輩にはおそらくまともな道理は通じないのだろう。それは海峡のこちら側の同種の人間を見ていたら分かる。

 だが、それはそれであって、この店のカルビタンは安くて美味かった。
 したがって、自分で作る時の目標はこの店の味である。

 では、レシピである。

[材料]2人前
1.レトルトのカルビタン。いきなりこれだったらもうこれだけでもいいのだが、値段からすると量が少ないし、どうしてもインスタント風味が強いので、これをアレンジすることにする。
2.牛カルビ肉100g。骨付きでなくてよい。大蒜1欠片。
3.人参小1/4、椎茸2枚、エリンギ小1本、榎茸1/2束。
4.根深葱1/4本。
[製法]
1.牛カルビ肉と大蒜を胡麻油で炒める。牛カルビの表面が焼けて肉汁が閉じ込められたらレトルトを入れる。
2.水を適当に足して浮いてきた灰汁を取る。
3.スープが澄んできたら薄切りにした短冊にした人参、椎茸、エリンギ、半分に切ってほぐしたエノキを入れる。
4.「タシダ(仮名)」や塩などで味を調え、弱火で10分ほど煮たら出来上がり。

 もともとレトルトに入っていたヤワヤワのカルビと焼肉を煮た感じの歯応えのあるカルビの二種類が味わえる至福のカルビタンである。

アヒルに噛まれた女(Sea豚動物記12)

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アヒルに噛まれた女

第1HP「天草の海風」を全面リニューアルしました。

 まだ妻とつきあい始めのころ、筑後鳥類センター(仮名)というところに行ったことがある。

 つきあい始めというのは、お互いに遠慮があったり、見栄を張ったりする。

 たとえば、「私魚の料理が得意なの」と言っていたのが、実は焼き魚ができる程度だったり、「嫌いな食べ物は何もなくてなんでも美味しくいただきます」と言っていたのが、「私ねばねばしたものは全部嫌い」だったりする(あくまでたとえ話で、実在の人物、ましてや妻の話ではありません。ブルブル!)。

 女性に割と多いのが、動物好きや子供好きをアピールする人だ。

 犬や子供を見つけると、にこにこしながら近寄って行く。

IMG_0895

 その日、私たちは鴨とアヒルがいっぱいいる池のほとりにやってきた。ここの鳥たちは人に慣れているらしく、餌をもらえるものと思ってたくさん寄ってきた。

 
「あっ、かわいー!」といいながら妻は寄ってきたアヒルに手を差し伸べた。

 鳥たちは餌を期待しているはずだから、空っぽの手を差し伸べるというのは、かなり危険な行為である。


 今の私ならば、「馬鹿! 噛まれるぞ!」と手を握ってひっこめさせただろう。だが、何せお互いに遠慮のある時だから、ヤバいと思いつつ手をこまねいていた。


 
「あっ!」と妻が声を上げた。

 案の定、アヒルが妻の手首のあたりに
パクーッと食いついたのだ。
 アヒルは、「ちっ、餌もねえのに呼ぶんじゃねえよ!」といった感じで去って行った。

「やーん、意地悪ねえ」
といいながらさすっている妻の手首には、アヒルの歯形がくっきりとついていた。なんだかギザギザのついた靴べらで叩かれたような跡である。

 今の妻ならば、噛まれた瞬間に
「あっ! こやつ! なんばするかっ!」といいながらアヒルに石を投げつけるだろうし、私は地面に寝転がって腹を抱えて大笑いするだろう。

 が、当時の私は妻の手首をさすり、「大丈夫?」と心配そうにいいながら散歩を続けた。
 内心おかしくて仕方なかったが。

 アヒルの歯形を人生で初めて見た日だった。

 あれからン十年…

墓場まで持っていくからといって本当に大事だとは限らない(それでも生きてゆく私313)

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本棚に並ぶ駄作

第1HP「天草の海風」を全面リニューアルしました。

 私は漫画が好きである。

 おそらく最多の時期には5000冊くらい持っていただろう。もっとも、漫画以外の本に関しては2万冊くらい持っていただろうが。 

 私が金持ちの息子で、特定の地方の広い屋敷に住み続けられるような身分だったら、これらの本はずっと私の身近の本棚に収まって生涯を安穏に過ごしたであろう。
 しかし、残念ながら私は貧乏人の息子で、かつ腰の定まらない男であったから、これらの本は私が次に腰を掛ける土地で構える寓居の広さに応じて増減を繰り返してきた。

 かつては本を捨てるなどという行為は言霊の祟りを招くような行為と考えられていたから、減らされる本は「売られる」という運命を辿ったが、IT化が進んで字が紙に印刷されたものでなくフォントとして保存されたものになると、これらは「捨てられる」という運命を甘受せざるを得なくなった。
 それでも漫画はよほど酷い状態のものでない限り買い手があったから、二束三文で「ブックオン(仮名)」などの古本屋に引き取られて行った。今も誰かの本棚に並んでいるに違いない。

 今私の本棚には生き残ったごく僅かな漫画本が並んでいる。

 ところが、あれだけあった本の中から精選されたはずなのに、私はこれらの漫画の背表紙を見ても「久しぶりに読んでみるか」という気に少しもならなかった。
 むしろ、「あれを残していたら座右の漫画になったのに、何でこんなものを残しちまったんだ」という気分になる。

 これらは私の考え方の変遷に耐えられなかったのだろう。
 そして、現在の若い人もまた、これらの漫画の題名を見たところで「ああ、あれ」というものは一つもないに違いない。
 まあ、漫画というのは一時の慰めであってそういうものだと云えなくもないが。

 では、実際にどんな本が並んでいるか、見てみたい。

 園山俊二「気になるあの人」
 同「花の係長」
 くらもちふさこ「いつもポケットにショパン」
 新谷かおる「戦場ロマンシリーズ」
 白戸三平「カムイ伝」
 古谷三敏「寄席芸人伝」
 柳沢きみお「すくらんぶるエッグ」
 須賀原洋行「気分は形而上」
 いしいひさいち「いしいひさいち選集」
 藤みき生「味なおふたり」

 おそらく「カムイ伝」を除けば、昭和の文化芸能史などで取り上げられるような歴史的価値のあるものではないだろう。作者について云えば現在でも活躍中の人もあり、必ずしも二流とはいえないが、わざわざ代表作ではない、現在では顧みられない作品を選んである。

 ただ、こうして並べてみて、私はなぜこれらの駄作(作者の皆さんごめんなさい。個人の感想ですから。)を手元に残したのか、その理由に思い当たった。

 名作は沢山売れるから古本屋や個人の本棚に残っていく個体数も多いだろう。駄作は手を離れてしまったら散逸してしまってこの世から消えてしまう可能性が高い。
 私がこれらの本を残したのは「今こいつを手放したらもう二度と会えないかもしれない」という気持だったのだ。

 ところがネットでこれらの本を検索してみると、電子書籍になっていたり、古本として売られていたりする。意外にしぶとい。少なくとも私の寿命の間はこいつらも生き延び、もう一度読もうと思えば気楽に読めそうだ。

 私が死んで遺品整理をする人は、「こいつ随分下らない漫画を大切にしてたんだな」と私の思想そのものの価値を疑うかもしれない。あるいは内容など見ずにボンボン捨ててしまうだろうが。
 「大切にしていたから」とお棺なんかに入れられたら堪らない。墓場まで持っていくからと云って本当に大事な物だとは限らないのだ。

 かと云ってじゃあこれらを売ったり捨てたりするか、といえば、多分私はそんなことをしないだろう。理由は「面倒くさい」からである。

 などと書いているうちに「気になるあの人」を読みたくなり、読んでいるうちに大爆笑してしまった。面白れーじゃねーか! やはり残したには残したなりの理由があるのだ。

 こうして私が生きている限りはこれらの駄作たちは私の本棚に並び続けるに違いない。

リアル写真で花札を作る39-伸びしろしかない薄札4種完成-(それでも生きてゆく私312)

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薄4種リアル河童

第1HP「天草の海風」を全面リニューアルしました。

 若い人に流行っている言葉で「伸びしろしかない」というのがあるそうだ。
 潜在力豊かという意味の誉め言葉かと思ったらそうでもないようで、どちらかというと「ほかに褒めようがない」という意味で使われる方が多いようだ。
 なかなか伸びしろのある言葉である。

 さて、伸びしろしかないリアル花札がまた完成に近づいた。字の全き意味では決して完成することはなさそうだが。
 薄札4種揃い踏みである。同じ「すすき」でも、「薄」という漢字より「芒」という漢字の方が似つかわしいが。

 特に鴨札はもう少し頑張ってみたい。

 ただ、忘れていると思われてはリアル花札本舗有限会社の存続に関わる。もう有限会社は制度そのものが存在しないが。

 ということで、暫定4枚をご覧ください。

リアル写真で花札を作る38-自己紹介する勇気がなくて菊はスカ札のみ-(それでも生きてゆく私311)

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菊スカ札リアル河童

第1HP「天草の海風」を全面リニューアルしました。
 もたもたしているうちにとうとう菊の時期が過ぎてしまった。
 既に述べたように、菊そのものは何時でも幾らでもあるのだ。

菊スカ

 しかし、花札の菊札のような大輪の紅と黄の混じった菊は、古今東西ないのである。
 ただ、このままだと牡丹のように全ての札が欠品になってしまう。
 そんなことになったら我が「リアル花札本舗」は信用失墜である。企業の存続に関わる(もともと存在しないけどね)。

 IMGP2100

 ということでやってきたのは熊本県北のとある神社。
 毎年菊祭りが行われていることで有名だが、私が札化する品種の選定に迷っているうちに行事は終わってしまった。

IMGP2101

 実施中なのはウイルス対策のみ。これはどこの施設でも年中行事になってしまった。

IMGP2107

 ところが幸いなことに、祭りは終わっても菊の方はまだ展示中である。
 どれを花札化しようか、物色する。

IMGP2111
PENTAXQ10+CINE YASHINON38mmF1.4

 色が一番近いのはこれか。黄色がベースで紅色が入っている品種が和菊にもあったのだ。でも形がちょっと違う。

IMGP2110
PENTAXQ10+CINE YASHINON38mmF1.4

 形が近いのはこれか。色は黄色一色だから花札と違うが。
 ということで、不本意ながらこの2品種の写真に決定。

菊スカ札01
菊スカ札02

 菊スカ札2種完成。勿論暫定である。

 さて、次は「菊に青短」と「菊に盃」である。
 青短と盃は既に用意してある。神主さんと交渉して写真を撮らせてもらうだけのことだ。
 私は脳内でこの交渉をシミュレーションしてみた。
 私は特に不審者に見られやすいから、いきなり「写真を撮らせてください」では駄目だろう。これは身分を明かして趣旨をきちんと説明する必要がある。
 ということは、まず名刺を渡さなければ。名刺は尻のポケットに入っている財布に数枚用意してある。私のケツ圧に押しつぶされて少し反ってはいるが。
 だが、この名刺の肩書と今私がしようとしていることには少しの関連もない。私はコミュニケーションや食事に問題がある人のサポートをする言語聴覚士という仕事で、主な業務は後輩たちにその知識や技術を教えることなのだ。その職業と、「菊を写真に撮って花札にする」という行為はベクトルの方向も長さも全く交わるところがない。
 「私、言葉と飲み込みに障害のある患者さんの手助けをする言語聴覚士というリハビリテーション専門職を養成する学校である〇〇学院の教員をしておりますSと申します。」ここまではいい。問題はここからである。「ところで現在、写真を使ったリアルな花札を作ろうと思っておりまして、その写真に貴社の菊の写真を使わせていただきたく、撮影させていただけないでしょうか。その際にこれ(自製の青短)を菊の枝に掛けたり、これ(盃)を菊の近くに置いたりさせていただきたいと思っております。菊に傷をつけないように十分注意したいと思いますのでどうかよろしくお願いいたします。」

 どうしても前半と後半が結びつかない。

 だいいち、神主さんは言語聴覚士を知っているだろうか。言語聴覚士はある程度の規模の病院や施設には必ずといっていいくらいに配置されているリハ職なのだが、世間一般の知名度はほぼゼロに近い。
 なにせ私がポイ活で答えているアンケートの職業欄の選択肢に「言語聴覚士」が出てきた試しがない。「医師」「看護師」「理学療法士」「作業療法士」の後に「言語聴覚士」の選択肢のあるアンケートは1000に1つもない。私はもう3年以上ポイ活をやっているが、この選択肢のあるアンケートに出逢ったのは数回である。言語聴覚士よりずっと数が少ない「視能訓練士」すら選択肢にあることが多いのに。だから私は忸怩たる思いのうちに「その他の医療技術職」にチェックを入れる日々なのだ。
 「言語聴覚士」と聞いた神主さんから「は?ゲンゴキンカクシ?ですか?」などと言われてしまいそうである。

 「こんな分かりにくい職種名を付けた奴出てこーい」と叫びたくなった。
 まだ「リアル花札本舗」という私の創り出した架空の会社名の方がよほど信用されそうである。

 しかも、撮影の趣旨がどうにか分かって貰えても、青短や盃で菊が痛む恐れもあるから、実際に許可してもらえるかどうかも分からない。

 「これは自分で菊を栽培するしかないな」と決意し、一旦は取り出した名刺を再び財布に戻した私であった。

リアル写真で花札を作る37-薄に雁は策略成功したが-(それでも生きてゆく私310)

薄に雁リアル河童暫定

第1HP「天草の海風へようこそ」を全面リニューアルしました。

 リアル花札本舗(架空)創設の当初から作成が危ぶまれていた札があった。
 それは「薄に雁」である。
 というのは、鴨は水辺の鳥であり、薄は葦との競合で水辺には生えにくいからだ。

鴨撮り権兵衛

 従って薄の上を鴨の群れが飛んでいる札の構図はおろか、鴨と薄を同じ構図に入れる写真すら私は撮れずにいた。

IMGP2248

 ところが私は「偶然の女神(私が今創った神)」の計らいにより、2.3ヶ月に1回は通っている道に鴨の群れている川と薄の群生を見つけてしまったのだ。

 妻が娘と出かけていて居ない寂しい日曜日、私は今度こそ「薄に雁」をものにすべくその場所に出かけて行った。

 車を駐車スペースに停めて川沿いを歩き、撮影に適当な場所を物色する。

IMGP2260

  鴨たちが警戒音を発しながら次々と飛び立つ。
  すかさずカメラを向けて連射。躍動感のある群れが写真に収まる。

IMGP2264

 ところが、「薄に雁」は確かに同じ構図内に撮れているのだが、同時に人工物が撮れてしまう。
 しかも、私が欲しいのは、

薄に雁リアル合成

 こういう構図の写真なのに、鴨は薄の下に撮れているものばかりなのだ。
IMGP2270

 しかもこの川は川岸まで降りる道がほとんど作られていない。土手の道路から撮影することになるのでどうしても鴨が薄の上にならないのだ。

IMGP2290

 あちこち歩き回って私はやっと川岸に降りられる場所に薄の群生を見つけた。

IMGP2291


 ところが、この場所は人が降りてこられるからなのか、鴨っ子一匹いない(©Well肉桂)。よくよく写真を見ると一匹だけ写っているが。余程の変わり者か、弾き出されてしまったのか。

IMGP2287

 私は三脚を持ち出して薄の群生の上に焦点を当てた構図で1時間ほど待ったが、遂に閑古鳥一匹この場所に来ることはなかった。周囲にはおそらく1000羽を越える鴨たちが群れをなしているにも関わらず、である。


 仕方がないので私は川を更に遡り、今度は鴨たちがちょっと遠くの反対の岸に群れている場所に陣取った。

IMGP2327

 ここは構図的にはさっきのところより随分落ちるが、仕方がない。こちらには鴨が推定100羽以上群れているから、そのうちに飛び立つに違いない。

 ところが、これが少しも飛び立たない。これまた1時間ほど待っただろうか。鴨と云うものは驚かないとこんなにじっとしているものか。

 頭の中に「石を投げろ」と囁く悪魔が現れた。
 「当たらないよ。投げろよ。」「お前、野球部だったんだろ。ちょっと脅かすだけじゃないか。」「さっきだって川岸を歩いて脅かしてるじゃないか。一緒だよ。」囁きはだんだんエスカレートする。

 その時、別の、もう少し狡賢い悪魔が現れなければ、私はこのリアル花札を作成する根本的なコンセプトから外れる投石という行為に走っていたかもしれない。そのコンセプトとは「愛する日本の自然を映像に残す」というものなのだ(今思いついたんだけどね)。

 私は自分の思い付きを直ちに実行した。

 その悪魔が教えてくれた思い付きは、三脚でカメラを固定し、動画を撮影している間に、車で反対岸に行き、川岸を歩く、というものだ。そうすれば鴨たちは飛び立ってこちらの岸に飛んでくるに違いない。

IMGP2263

 私が反対岸を歩き始めた途端、何百羽という鴨たちが次々と50羽くらいの単位で飛び立った。作戦成功。鴨たちを脅かさずに飛び立たせることができたのだ(脅かしとるやんけ)。



 動画を確かめてみると、薄の上を飛んでいく鴨たちが見事に写っている。作戦大成功。

 ところが、静止画にしてみると、鴨なのやら背景の木の葉っぱなのやらさっぱり分からない。

薄に雁02
薄に雁03

 別に撮影した写真の中から候補を二つ抽出したが、これは暫定だろう。
 やはりもう少しいい構図で撮れる場所で撮影すべきだ。
 鴨たちはまだしばらく日本に滞在する。頑張ってみよう。

リアル写真で花札を作る36-紅葉に鹿はニアミスで没-(それでも生きてゆく私309)

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紅葉に鹿が撮りたい

第1HP「天草の海風へようこそ」を全面リニューアルしました。

 本日はもう11月20日。
 熊本県人は今年最後の紅葉を求めて県内各地に散ったようだ。私もその一人である。
 今日は妻も一緒に熊本県の紅葉のメッカである五家荘を目指した。

 私の場合は本年最後の「紅葉に鹿」撮影の機会である。

IMGP2060

 ガードレールもないような随分山深い場所にも行ったのだが、遂に鹿に逢うことはなかった。

 実は私はスカ札と短冊札を撮影した日、鹿にも遭遇しているのである。可愛いバンビちゃんだった。

 だが、残念ながらそれは楓の群生地から10kmほど離れた農道での出来事だった。周りは杉林である。紅葉は欠片もない。しかも、後でドライブレコーダーを確認しても写っていない。私の車のドラレコのSDカードは何と2016年でその歩みを止めていたのだ。(後で妻の車のドラレコも撮影していないことが発覚。皆さん、ちょっと古いドラレコの動作の確認を。)

 これはほとんどニアミスと云ってもいいレベルの遭遇であったから、至極残念である。バンビちゃんがもう少し勇気を出して紅葉の方に向かっていれば、私のカメラは紅葉と鹿を同時に捉えられたのに。

 今年のこの札の撮影は今日が最後である。次の休日は雨の予想だし、その次の休日にはもう楓が散ってしまっていて、もう県内の何処に行っても綺麗な紅葉は期待できない。

紅葉に鹿合成写真

 仕方がないので、取り敢えず「こんな感じの写真を撮りたい」というものを数少ない読者に提示したい。

河童と鹿の友好

 これは今年撮影した紅葉と10年ほど前に奈良で撮った鹿の写真を合成したものだ。

 それにしても紅葉の綺麗なこと。これは某地で撮ったものだが、ここの紅葉は別荘の客を楽しませるためと植木を栽培するために植えられたものだから、最近増えすぎて木の皮を食べてしまう害獣として認知され始めた鹿が現れた瞬間にズドンだろう。

IMG_1651

 実は奈良の鹿公園、正式には奈良公園には楓が沢山植えられているから、「紅葉に鹿」を撮るのは簡単なのだが。それを敢えてしない理由についてはこのシリーズを最初から見ている人には自明であろう。「狭き門より入れ」である(いつからクリスチャンになったんだ)。

 本当は奈良まで行く旅費がないのと職業柄このご時世に「不要不急の」長距離移動ができないというのが理由である。

紅葉に鹿合成札

 この札がリアル写真を基にしたものだったらなかなかの出来ではないだろうか。

紅葉に鹿

 元札は若干構図が違うが。

 鹿は楓の種を食べたりはしないだろうし、元札の雄鹿よりバンビちゃんの方が可愛いし。

 ということで、紅葉札は「紅葉に鹿」が欠品と相成ったのであった。

 

リアル写真で花札を作る35-菊札を撮れないリアルな事情-(それでも生きてゆく私308)

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リアル菊に盃合成写真河童

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 私がこのリアル花札を作ろうと思い立った時、おそらく一番簡単に撮影できるだろうと思っていたのは9月の札、菊札である。
 ところが私はもう11月も半ばになるというのに、未だにスカ札の撮影にすら取り掛かっていない。というより、一体何を写していいのか分からないのである。
 「菊を写せばいいに違ってるじゃないか」という皆さん。

菊スカ

 貴方はこんな菊を現実に見たことがありますか。
 私は、ない。
 この絵に描かれた菊は、如何にも何処にでも有りそうな菊である。だが、いざ写真に撮ろうと思って探しても、少なくともこの大八洲の中には存在しないのである。
 嘘だと思いならば探して見てほしい。

菊に盃

 酒盃と同じくらい大輪の、黄色と赤の花弁が混在してる菊を。

IMGP1968

 既に私はこの札の撮影のために通販で寿銘の酒盃を入手しているのだ。この盃は直径が約10cm。大輪の菊とほぼ同じ大きさである。

 花札の歴史は古くは安土桃山時代、現在の形に纏まったのは江戸時代中期と云われる。
 私は古今東西の文献をオフラインオンライン問わず探し回ったのだが、こんな色と大きさの菊は少なくとも近代以前には発見できなかった。

 現在も含めて強いて似たものを探せば、「ハーベスト」という品種か「トムピアーズ」という品種なのだが、いずれも西洋菊であり、花札が成立した時に絵師がこれを見たとはとても考えられない。

 私の棲む熊本には「肥後菊」という伝統品種があり、愛好者も多いが、これは「小さな素朴な花を咲かせる」などと解説してある如く、花札に描かれた大輪の菊とは似ても似つかない。

 どう考えても花札の菊は和菊には存在しない。

和菊

 形は似ているのだが、花札の菊のように黄と朱の混ざりあった和菊はどこにもない。(写真はWikipedia)


リアル菊に盃合成写真

 出来上がりのイメージがまるで違う。どうも安っぽい。やはり簡単に得られる画像はそれなりの印象しかないのか。その辺の花屋で法事用の菊を買ってくればすぐ出来ると云えば出来るのだが。

 この札がリアル花札のミッシングリンクの最後のものだったら私はそうしたかも知れない。
 だが、先は長い(私の人生はそれほど長いとは思えないが)。

 やはり、現実の構図を設定して撮りたい。

 しかし、そうすると、もう一つ困った問題が出てくる。
 私には花札のような立派な大輪を育てるような知力も技量も財力もない。とすると他の人が育てた菊を借景にするしかないのだ。
 実際私はここのところ熊本県のあちこちで開催されている「菊人形展」をはじめとした菊関係の催しに押しかけてこの撮影を強行しようかとも思ったのだ。

 しかし、果たして、丹精込めて育てた菊に、持ち込んだ盃をコラボレーションさせて撮影しようとしている怪しい男を、持ち主は黙って見ていてくれるだろうか。
 「警察沙汰」「損害賠償」という、物騒な四文字熟語が頭に浮かんでならない。

 という訳で、リアル花札ならではのリアルな事情により、牡丹札と同じく入口の所で完全に渋滞している菊札であった。

リアル写真で花札を作る34-「かも撮りごんべえ」の苦心-(それでも生きてゆく私307)

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鴨撮り権兵衛

第1HP「天草の海風へようこそ」を全面リニューアルしました。

 花札にはほとんどの月に「動物札」がある。

 1月は鶴、2月は鶯、4月は時鳥、6月は蝶、7月は猪、8月は雁、10月は鹿、12月は鳳凰。11月に至っては小野道風(動物と云っては失礼だがまあ人間も動物だ)、 燕(黄色で季節も合っていない謎の燕だが)、何かの動物の手(一説には鬼の手だという)と、4つの札のうち3つが動物札である。

 そして、これはリアル花札本舗(架空)設立時からの懸念材料なのだが、シネレンズで動物を撮るのは至難の業なのだ。

 なぜなら、リアル花札撮影に使用するシネレンズは、現在では動くものを撮るのに当たり前のように使用されるオートフォーカス以前のメカニズムだからだ。シネレンズで野生動物を撮影するには、突然出現した彼らまでの距離を瞬時に判断し、ピントを手動で合わせなければならない。これをモニターで素早く動き回る動物を確認しながら行うのは不可能だ。だいいちそれだったら動物の相棒である植物を同じ構図の中に収められない。

 したがって、動物札の撮影は「待ち伏せ」になる。まず目ぼしい花を写真の構図に入れ、ピントを合わせてから、そこに動物が現れるのを待つしかない。
 ところが敵もさるもの引っ掻くもの(動物札に猿はいないが)、何せこれは一種の罠である。罠に掛かれば動物は自分の大切な命が失われてしまうから、罠っぽいものには引っかからないだけの警戒心を持っているのだ。

 その結果、私が撮影に成功した動物札は未だ「梅に鶯」しかない。しかもこれは代用の目白である。つまり、厳密な意味でいえば、まだ動物札の撮影には成功したことがないのだ。

 「薄に雁」の撮影を決意した時、私は「今度こそ成功するだろう」と思っていた。というのは、私は鴨の撮影には何度も成功しているからだ。

IMGP7396

 薄の茂みの後ろからこのような写真を撮ればよいのだから楽勝だろう。

 ところが、これが実際にやってみると難しい。これには2つの理由がある。

 いくら探して回っても、鴨が群れている水辺に薄が生えているところがないのだ。 

IMGP7328

 そんなとこいくらでもあるじゃん、ほら! と言って上のような写真を持ってきた人。それ、葦です。薄じゃない。

 もう一つ難しいのは、鴨が群れで飛んでいるところを正面から撮らなければならないというところだ。

芒に雁

 しかも結構大きい。
 先掲の飛行写真は25mmの望遠レンズで撮ったものだが、これだと手前の薄は悪くすれば像を結ばない。ということは、標準か広角で撮ってかつ鳥の像が大きく写る必要があるということだ。つまり、鳥から相当近距離で撮影しないとそのような構図は得られない。

鴨に薄

 これぐらいの距離感だ。ここまで鴨に気付かれずに接近し、飛び立った瞬間を撮影しなければ元札のような構図の写真は撮れないだろう。

 「かもとりごんべえ」という民話がある。
 池の鴨を一網打尽にしようとして飛び立った鴨たちに連れ去られてしまう、という話で、鴨を一度に捕まえるための工夫にいろいろなバージョンがある。
 私の読んだものでは、鴨が消化できないような餌に紐を付け、鴨がそれを飲み込んではプリッと肛門から出し、それを次の鴨が飲み込み、という具合で鴨たちがみんな数珠つなぎになってしまうという話だった。

 鴨にこのような罠を仕掛けるためにはコツが要る。

   鴨は他の野鳥と違って人間を見てもそう簡単には逃げない。だから家畜化されて家鴨になったのだろう。その代わり、音もなくスーッと遠ざかっていく。写真を撮ろうと近づいて行ったつもりがいつの間にか遠くにいる。したがってギリギリの所に近づくまで気付かれないようにしなければならないのだ。

  自然と近かった昔の人にはそれができたのだろうが、現代人である私にもそれが求められているのだ。

 まさに「かも撮りごんべえ」である。

  私が昔の人や達人の猟師のようにそれが出来るようになったとき、「薄に雁」は完成するに違いない。って、いつの話だよ。
 
   

リアル写真で花札を作る33-薄はスカ札がよほど難しい-(それでも生きてゆく私307)

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芒スカ札リアル河童

 話はひと月ほど前に遡る。

 「萩に猪」の撮影に没頭していた私は、そろそろ萩が盛りを過ぎ、次に移る必要性を感じていた。結局この札は欠品である。

IMGP1968

 まず通販で「寿」と書かれた朱色の酒盃を買った。 
 これは勿論「菊に盃」の撮影のためである。本来菊札は9月であるからもう撮影が済んでいるはずなのだが、これもある理由のために難航している。それについてはまた項を改めて。

  次に眼を付けたのが「薄に雁」である。そろそろ「ガーコちゃん(鴨の我が家語)が大陸から渡って来始めたからだ。しかし、これまた上手く行かない。これにも理由があるのだが、これまた項を改めようと思う。

 結局一番手っ取り早いのは薄のスカ札である。私は田舎に住んでいるから薄などどこにでも生えているのだ。
 ところが、前回書いたように、「薄に月」の撮影当日になってやっと使えそうな写真を獲得することが出来た。
 それまでにも随分撮影をし、既に花札も製作したのである。
 ところがこれがどうにも気に入らない。

芒スカ

 ご存知の通り薄のスカ札はこういう奴である。花札の数あるスカ札の中でもとりわけ地味な札だ。
 ところが、貴方はこんな風に横向きに山を埋め尽くすほど密生している薄を見たことがあるだろうか。私は、ない。

芒スカ札01
芒スカ札02

 だから、雄大な阿蘇をバックに撮っても、

芒スカ札03

 森林や他の植物を絡ませてみても、

芒スカ札04

 逆光で陽光を際立たせてみても、何か違う、という感じしかない。

芒スカ札05

 一枚はやっと「薄に月」と同日に撮ったこれにしようと思っているのだが、

芒スカ札07

 同日に撮ったこれはどうもイマイチで、これを2枚目にしようかどうか、まだ決めかねて、まあ、いいか。暫定でこれ。

 というように、簡単なように見えて難航している薄スカ札なのであった。

リアル写真で花札を作る32-これは有り、ですか? 薄に月3-(それでも生きてゆく私306)

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月の撮影は辛い

 翌日の出勤前に、私はふと空を見た。
 するとそこには巨大な有明の月が。月蝕のときより余程大きく、かつ赤い。
 その月を見た瞬間、私はもう一度月を撮影することを決意した。その日は偶々午後から半休だったのだ。
 どうせなら近所の畑ではなく、見晴らしの良いところで月の出を待ち、地上近くの月を撮影しよう。
 私は仕事もそこそこに(嘘。ちゃんと仕事しました)、家に帰るとまず惰眠を貪り、起きたらカメラとレンズの準備をし、夕方を待った。

 5時半くらいに到着するように逆算して家を出て、予定通り到着。

 まずスカ札を撮影する。

IMGP1898
 PENTAXQ10+ZEIKA NOMINAR 7.5mm F1.4

 うん、これはイケたような気がする。
 後は月の出を待つばかりである。

IMGP1904
 PENTAXQ10+ZUNOW Elmo Cine 13mm F1.1

 ところが、これが待てど暮らせど出ない。
 もう周囲はとっぷりと暮れているのに、月は頭を覗かせる気配すらない。
 その時急に閃いた。最近は私のような暇人も多い。もしかすると月の出と月の入りを知らせるサイトなんぞもネットにあるのではないか。
 検索してみると案の定あった。
 しかし、何たることぞ、今日の月の出は6時半過ぎである。まだ1時間近くある。
 今日はもう帰ろうかな、とも思ったが、今日は靄がかかって湿気の多い空模様である。こういう日の月は赤い。こんな好条件の満月の日は当分ないかもしれない。
 仕方ない。私は1時間近く、車の中で待った。あまりに退屈なのでデオ林檎(仮名)で韓国語の勉強をしているうちに6時半になった。

 だが、それでも月は全く出る気配がない。四方八方が見渡せる見晴らしのよい高台にいるのだが。もういつもだったら夕飯の時間である。
 帰る。か。今から撮影したら遅くなって妻に怒られる。一応撮影に行くことは伝えたあるが、コンビニで夕食を買って帰ることになっているのだ。

IMGP1890
 PENTAXQ10+ZUNOW Elmo Cine 13mm F1.1

 ところが、帰りの車を走らせていると、何時になく大きく赤い月が山の端から昇って来るではないか。考えてみたら月の出を見るのは生まれて初めてである。

 私は韓国ドラマの主人公のように車のタイヤを鳴らしながらUターンした(嘘)。

 再び現場に戻ると、もう周囲は真っ暗である。
 駐車スペースに車を停めたものの、ここは田舎道であるからどうも車道との境界がはっきりしない。ランプを付けておかないと追突されるかもしれない。スモールランプだけ点けておくことにする。

 薄は駐車スペースから20mくらい離れた畑の土手に生えている。
 ここは街頭一つない。道路に立っていたら間違いなく車に跳ねられるだろう。
 私は急な斜面になっている土手にバランスを取りながら立ち、薄を背景にして月を撮影し始めた。

IMGP1922

 ときどき車が猛スピードで通り過ぎる。跳ねられないことは分かっているのだが、やはり怖い。

IMGP1926
 PENTAXQ10+ZEIKA NOMINAR 7.5mm F1.4

 50枚くらい撮った中で、どうにか使えそうな1枚を得た。
 ただ、自分の車のバックライトが映り込んでしまっている。これを修正するのは結構大変である。
 しかも、広角レンズで撮ったものなので月が小さい。

芒に月

 一寸(かなり)原画と違う。いくら何でも月が小さすぎるか。
 仕方がない。リアル花札なのだ。前回も書いた通り、原画のような大きさの月が見えるのは私たちの目の錯覚であって、現実にはあり得ない構図なのだ。

芒に月リアル01

 作画ソフトでちょっとだけ月を大きくして、車のバックライトを消して、完成。
 皆の注目を浴びているような企画だったら物議を醸しそうだが、自分を満足させるものとしては十分だろう(販売するとか言ってなかったか)。

 家に帰りついたのは7時半を過ぎていたので、案の定妻から怒られた。大義のためには多少の軋轢はやむを得ない(何が大義じゃ)。

 ということで、数少ない読者の皆さん、薄に月札としてこの写真を承認していただけるだろうか。(反応ないだろうな。)




リアル写真で花札を作る31-これは有り、ですか? 薄に月2-(それでも生きてゆく私305)

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恒常性詐欺

 月蝕のときの月が赤いという情報を得た私は、仕事から帰る電車の中でやにわに撮影を決意し(何だか衝動殺人の判決文を思わせるナ)、妻を誘って「私ゃ、忙しいの。」と拒否され、さらに「夕飯までには帰って来なっせよ(帰って来なさいよの熊本方言)」と厳命され、近くの畑に向かった。
 本当は萩札を撮影した西原村の某所まで行きたかったのだが、我が家の女王様の勅命なので仕方がない。

 もう外は真っ暗である。

IMGP1872
 PENTAXQ10+ZEIKA NOMINAR 7.5mm F1.4

 月は随分高い所まで上っている。
 蝕はかなり進んでいて、月はもう半月のようになっている。
 まず、記念に薄なしで撮影。
 ところが、今回初めて知ったのだが、月蝕というものは肉眼でははっきり見えるのに、撮影すると月の照射によって満月になってしまうのだ。
 おそらく超望遠レンズで撮影すれば別なのだろうが。

IMGP6344t
PENTAXQ10+PENTAX Zoom 100mm-300mm F2.5

 これは以前私が望遠レンズに凝っていたときに撮った写真である。我が愛機ペンテコステオバQ(仮名)はフルサイズの1眼レフに換算すると焦点距離が5.5倍くらいになるから、300mmくらいの望遠レンズならば超望遠になる。マニア達が天体の撮影に使っているような高価な超望遠レンズは買う必要がないのだ。

 私はよほど家に超望遠レンズと三脚を取りに帰ろうかと思った。
 しかし、私の狙いは月蝕の写真ではない。赤い満月なのだ。このままでいいだろう。

 ただ、肉眼で見ると今日の月は相当赤いのだが、撮影すると普段と同じ黄色である。これはやはり月の照射の強さによるものだろう。

IMGP1878
PENTAXQ10+ZNOW Cine Elmo  13mm F1.1
 しかも、思ったより月の大きさが小さい。

芒に月

 花札の月は私たちが地上近くで見る月の如くとても大きいが、実はこれは「月の錯視」という現象である。
 冒頭の絵がその説明なのだが、これはヒトの感覚の恒常性による錯覚なのだ。

視覚の恒常性

 遠くの物を見るとき、私達の網膜に映る像は、近くにある像より小さい。しかし、私達は大きい物と小さい物がある、とは思わない。
 これは私たちが遠くの物を脳内で近くの物と同じ大きさに補正しているからだ。

月の錯視


 この補正は天上高くの月と地上近くの月に関しても働く。
 天上にある月は大きさの手掛かりになるような物が傍にないので網膜にはそれしか映らず、強調される。つまり近くに感じる。しかし私たちはこれが遠くにある月だと知っているので、脳内で小さく補正する。
 逆に地上近くにある月は傍らに木や建物などの大きさの手掛かりがあるので、それらとの比較で遠くに感じる。しかし私たちはこれが木や建物と同じ遠さにあるように大きく補正するのである。

月の錯視01

 したがって、私達の眼にはこう写っていた同じ日の同じ月を、

月の錯視02

 写真に撮ると、天上の月も地上の月も全く同じ大きさである。

 だから、花札の薄に月のような構図は本来不可能なのだ。

 なぜならこの札のように大きく月を写すためには超望遠レンズを使用しなければならず、そうすると近くにある薄は像を結ばない。逆に薄を鮮明に写すためには広角レンズや標準レンズを使用する必要があり、そうすると月は本来の大きさの如く小さな像になってしまうのである。

IMGP1858
PENTAXQ10+ZEIKA NOMINAR 7.5mm F1.4

IMGP1862
PENTAXQ10+ZNOW Cine Elmo  13mm F1.1

 これが月蝕の日に撮った、薄と月が同じ構図に収まった写真である。
 上は広角レンズ、下は標準レンズで撮ったものだ。
 広角の写真は薄が比較的鮮明だが、月が小さい。標準だと月はもう少し大きくなるが、薄はぼんやり写っている。

 残念。これは花札には使えない。

 私はガッカリして家に帰ったのだった。



リアル写真で花札を作る30-これは有り、ですか? 薄に月1-(それでも生きてゆく私304)

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冥王星消滅

 突然ですが、これはリアル花札「薄に月」として許容範囲だろうか。

芒に月リアル01
 
 私は正直、今回の「400何年振りの月蝕+天王星触」とやらに何の興味もなかったのである。最初は。

 というのは、これまでに何度もこのテの情報に踊らされてきたからだ。

 レンズに凝り出す前から、私はフツーの人間としてこのテのイベントには弱い方である。したがって、「〇〇彗星」や「〇〇流星群」や「〇触」について「〇〇年振り」だの「今世紀最後」だのと言われると、そのたびにカメラ片手にそれらの天体現象を写真に収めようとした。

 だが、このテの写真で何か感動的な写真を一度もモノにしたことがない。

 いつも私の手元に残る写真は、ボケボケの、ブレブレの、何だかよく分からない紺色が勝った灰色の、対象物はどこに写っているのかよく分からない写真で、花札どころか思い出にすら残せるような代物ではなかったのだ。

 これには2つの理由がある。
 一つは私が吝嗇で写真機やレンズやその他天体写真に必要な周辺機器に金をかけないからである。
 もう一つは私の写真の腕が悪いからである。
 そしてこの二つの要素は、今後悪化することはあっても、改善する見込みは全くないのだ。

 したがって、私は今回の月蝕+天王星触について、興味がなかった。
 どころか、少しだけ悪意も持っていた。

 というのは、天王星触というのは肉眼では見えないからだ。

 ということは、400ウン年振りといわれても、肉眼で見る以外の手段を持たなかった当時の人は、月蝕には気付いても天王星が月の影に消えてしまう、などという現象には気付きもしなかったはずなのだ。
 だから、「信長も見た月蝕」などというキャッチコピーは私がこのブログで日常的に垂れ流している嘘や法螺の類よりよほど性質の悪いものだ。ほとんど「これは織田信長の3歳のときの頭蓋骨です」というレベルの話である。

 それより私には太陽の惑星から冥王星が外されてしまったことの方がずっと意味を持っている。
 私達1960年代生まれが小学校の頃、太陽の惑星を覚えることは義務であり、皆が「水金地火木土っ天海冥」と呪文を唱えながらそれを暗記していたのだ。
 あの労力は何だったのだ。
 今やクイズなどで「太陽の惑星で一番外側を回っているのは?」などと問われて「冥王星」と答えたら間違いなのである。

 だいいち私は、この冥王星という星に特別な思い入れがある(今思いついたんだけどね)。この星の名前を初めて聞いたとき、何とも言えない禍々しい感覚が私に湧き上がったのを覚えている。これは「冥」という漢字の所以である。「冥途」の「冥」。明らかに人類の最も恐れる暗闇に通じている漢字だ。

 太陽系の一番外を回り、その外側はもはや生命体の生存圏ではない宇宙空間が広がる冥王星。
 この星はいわば閻魔様なのである。
 ところが、そんな重要キャラが突然「他の小惑星と大きさが変わらない」という話になって、太陽系の重要メンバーではなく、何かのお零れの利益をもらうことを目的に彼らに喰いついている小物キャラの一つとされてしまったのだ(擬人化しすぎだろ)。
 ああ、冥王星よ。いつかまた「太陽の惑星」に復帰した君と太陽系の将来を語り合いたいものだ(妄想もいい加減にしろよ)。

 ことほど左様に、私はこの月蝕を観る気がさらさらなかったのだが、急に気が変わったのは、「月が赤くなる」という情報の所以である。

芒に月

 ご存知の通り「薄の月」の月は白いが、背景は赤い。これを私は赤い月が周囲を照らしている情景のデフォルメだと考えていたのだ。

 ということで、月蝕にはとんと興味がなかったのだが、赤い月欲しさにこれの撮影をすることを突然思いついたのである。

 その成果が冒頭の写真なのだが、実はこれは月蝕当日の写真ではない。

 これはその翌日の写真を基にしたものである。
 その経緯については烏賊、じゃなかった、以下、次号。

リアル写真で花札を作る29-紅葉青短の芸術-(それでも生きてゆく私303)

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紅葉に青短リアル河童

 さて、紅葉スカ札の元写真の出来の良さに気をよくした私は、間髪入れず紅葉青短の写真撮影に取りかかった。
  ここで青短に糸を取り付けていないことが判明。相変わらずの物忘れである。しかし私はこうした失敗の取り繕いの術を沢山習得している。これは60年の人生で無数にした同種の失敗の賜物である。
  私の写真バックには常に爪楊枝が入れられている。これは最近めっきり広くなってきた歯間の掃除をするためではない。
  吝嗇な私は愛機ペンテコステオバQの電池に純正品を使わずに某国製の安物を使用しているのだが、これがよくバッテリーホルダーに詰まるのである。
  爪楊枝は詰まってしまった電池をああしてこうして、どうにかほじくりだすための必須アイテムなのだ。
IMGP1803

 私はこの爪楊枝を青短に突き刺し、更に付き出した先端を小枝と小枝の間に挟み、青短を固定した。
  これが風の強い日だったらすぐにぶっ飛んでしまっだろう。ところが、この日は日頃の行いを神様だか悪魔だかに誉めてもらえる日だったらしく、風はそよ風程度で、短冊はいい具合に靡いてくれたのである。何たる天祐か。
紅葉に青丹

  しかも実に上手いことに、青短に秋の柔らかな陽光によって紅葉の影が映っているではないか。意図しようとしたら絶対に得られないような絶妙の芸術的な構図である。

  さあ、後は鹿が現れるのを待つだけである。ってこれが一番難しいだろ。

リアル写真で花札を作る28-見よ、紅葉スカ札-(それでも生きてゆく私302)

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紅葉スカ札リアル河童

 私のことを直接知る人は、いや、最近では文章だけで知っている人すら、私が最近花札ネタを更新しないことに関して、「飽きたんだろ」「忘れてるんだよね」と思っているに違いない。

 ところが、私は飽きても忘れてもいない。

 必死になって萩の近くに現れる猪を追っていたのだ。
 だが、遂に皆さんに提供できるような吉報を掴むことはできなかった。猪は現れなかったのだ。

 そうしているうちに、私は他に撮影しなければならない対象が目白押しであることに気付いた。

 まず紅葉。もう季節である。早く撮らなければ色が悪くなる。どころか枯れてしまう。

 それから菊。これも既に最盛期を迎えた。これからは花弁がグチャッと汚くなる。

 そして芒。これも今が全盛である。冬の芒はみすぼらしい。 

 そこでまず一番手軽に撮れるはずの芒を撮影した。


芒スカ札04

 だが、妻は私が作成した芒札を見た瞬間に「ダメだね。こりゃ。」と今は亡き「長さん」のようなことを云って瞬殺した。これぞ鎧袖一触というものだ。
 仕方がない。芒はまだ季節が長いから機会を待つことにして、焦眉の急は紅葉である。これは今を逃すと来年まで待たなければならなくなる。

 ということで、私は熊本県内の紅葉の名所を検討した。

 まず有名なのは五家荘だが、ここは家から遠すぎる。2時間以上かかるだろう。今週は病院の予約やらなんやらで休日も午後からしか時間が取れない。悪くすれば撮影が終わるころには夕方である。山の中で夜を迎える、というのはたとえ車の中でも私にとっては恐怖である。弱虫だな、と思った人は夜の山の怖さを知らない人だ。猪、鹿、熊、猿、天狗、兎、山猫、狼、平家の落ち武者などなど、夜の山は何が出るか分からないのである。兎は怖くないし熊と狼は九州の山にはいないが。

 私の家から1時間以内のところを検討した結果、ある山里に向かうことにした。

 ここは知る人ぞ知る紅葉の名所である。「誰にも得をさせない、誰にも損をさせない」というこのブログのモットーに従って具体的な地名は明らかにできないが(ただの意地悪)。

IMGP1781

 とある廃校に到着(看板が見えとるやんけ)。

IMGP1783

 山は見事に紅葉している。あの中でも一際なのが楓か櫨である。花札の紅葉は楓なのだ。山頂に続く道を登って行けば確実に撮影可能である。

 だが、既に午後3時である。今から徒歩で山の中に入って行ったら撮影が終わるころには確実に夕方である。近場に紅葉は内科、じゃなかった、ないか。

IMGP1812

 あった。
 真っ赤っかに高揚した楓である。

 早速撮影開始。

IMGP1789
IMGP1799

 当日は快晴、紅葉は全盛。
 いい写真が撮れないはずがない。

 家に帰って散々迷った末に3つの写真を加工して3枚の候補を作成した。

紅葉スカ札01
紅葉スカ札02
紅葉スカ札03

 どれも甲乙つけがたいが、妻の意見も聞いて完成。
 紅葉スカ札は冒頭の2枚に決定である。

 それにしても花札の絵師たちはデフォルメの天才である。私は花札を見て「紫色の紅葉なんてあるかーい」と思っていたのだが、「真っ赤っか」に見える紅葉を写真に撮ってみると、七変化そのものなのだ。改めて昔の日本人を尊敬してしまう。

 さあ、次は「リアル花札本舗」(架空)初の青短札である。




カンガルーはおっちゃん(Sea豚動物記98)

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私の夫はカンガルー

 とある日曜日。
 私達夫婦は娘夫婦と一緒に「子規の里(仮名)」という場所にいた。
 ここは基本的にはバンガローやテント設営場所のあるキャンプ場である。
 ただ、今回の目的はキャンプをすることではない。それも楽しそうだが。
 今回の目的はここに併設された小さな動物園の動物たちに逢うことだ。

IMGP1710

  ここの動物はどれもおとなしいので、子どもでも園で売っている餌を手から直接やることができる。山羊はやはりその性格からして元気ではあるが、鳴き声を上げて食物をねだったりはしない。本来は「メエー」と鳴くらしいのだが。


山羊と羊

 羊とヤギは似ているが実は全然性格が違う、という話は随分前にしたことがある。
 迷作リメイクシリーズ8-羊とヤギの本当の違い-(Sea豚動物記8)

IMGP1771

 やはりこの動物園でも羊は格段におとなしい。餌を持った孫たちが近づいて行っても枯草の中に座ったまま黙々と草を食べ続ける程に。羊も山羊と同じく「メエー」と鳴くことが知られているが、ここのは「黙々」という言葉がぴったりである。

IMGP1773

 兎。これまたおとなしい。また、これは元々鳴かない。感情が動いても鼻をフンフン鳴らす程度である。ただし、声を出さない分、ストレスが強いと突然血を吐くらしいから気を付けなければならない。

IMGP1761

 鹿。この動物は時々ニュースなどで大暴れした話が伝わるが、ここのはすこぶるおとなしい。奈良公園で鹿が「ピィー」と甲高い声で鳴くのを聞いたことがあるが、ここのは鳴かない。黙って餌をねだるだけである。

IMGP1716

ワラビー。カンガルーの仲間なので結構気が荒いのかと思っていたが、これまたおとなしい。
IMGP1721

 黙って孫たちの玩弄に耐えていたが、「や、やめ、やめて、ください。」という感じで無言のまま後ずさりしていくのがちょっと気の毒だった。お勤めご苦労様です。

IMGP1759

ラマもおとなしい。というよりこれは私達に無関心でじっと座ったままである。お腹が一杯だったのかも知れない。

IMGP1723

 カンガルーも予想よりずっとおとなしかった。今までにTVや漫画などで得た情報により「立ちあがったら威嚇しているのだからヤバイ」とか、「ボクシングのジャブのように餌を奪い取る」とかいう「気が荒い」という印象が形成されていたのだが、危険を感じるような仕草は一切ない。おとなしい限りである。

IMGP1730

 ただ、餌をねだる時に黙って「ヌッ」と近づいてくるので、ちょっと吃驚する人もいるかもしれない。事実妻は後で「怖かった」と言っていた。

 それよりも吹き出しそうになったのは、雄のカンガルーである。

IMGP1742

 腹が一杯なのか、餌をねだることもせず横たわっている。

 この姿、どこかで見たことがあるな。

 そうだ。風呂上がりに下着姿で横になってTVで野球を見ているおっちゃんだ。

 妻からすると私もこう見えるらしく、「Sちゃんさん(妻の私に対する呼称)」みたい。とクスクス笑っている。

 私は自分のこのポーズをお釈迦様に喩えて「涅槃のポーズ」と呼んでいるのだが、そんな良いものではないらしい。これからは「カンガルーのポーズ」と呼ばれるに違いない。

 そういえばちょっと前に友人同士でオンライン飲み会をしたときに、私とA君がこの格好をしていて、B君から「あんたら、もっとシャンとしなはれ!」と叱られたことがあった。
 たしかに見ている人からみると「ダラーッ」としたポーズである。

IMGP1755

 もっとも、この後カンガルーたちは「ちょっと運動しようかな」と考えたのか、ぴょんぴょん飛び跳ねていた。

 私もたまには飛び跳ねなければ。

山中の目立たない林道の物語(河童日本紀行637)

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戦前の木材運搬

 とある日曜日。
 私は妻を美容室に送った後、2時間ほどの自分の時間を得た。妻の髪のセットが完成する時間である。
 さて何をしよう。
 「デオ林檎(仮名)」で韓国語を勉強するには時間がありすぎる。私は最近このアプリで通勤電車の中で韓国語を勉強しているのだが、「毎日15分でOK」という謳い文句の通り、あまり長いと飽きてくる。結構集中力を必要とするから、2時間もスマホと睨めっこしていたら疲労困憊して楽しいはずの休日が台無しである。
 私はこれまた最近始めた「リアル花札」のための写真を撮影しに行くことにした。
 妻の行きつけの美容室は一応は街中にあるのだが、この街は熊本県のほとんどの街と同じく、30分も車を走らせれば猪や鹿の出そうな鄙に行きつくのだ。
 ほとんど林道のような国道を東に走り、更に南に曲がると、道沿いから入っていく狭い林道が視界に入った。そしてその入り口には石碑が。
 ほんの一瞬であるが、私は石碑に碑文が刻まれているのを見逃さなかった。

IMGP1774

 それがこの石碑である。
 「林道竣工紀念」とある。

 早速撮影と解読開始。
 
[原文]
 古来九尾小岩野は森林資源に富み、村内杉の産地としてその質優良なる事市場に名あり。しかれども道路劣悪にして搬出にも不便を来し、間伐材の如きは搬出費に満たざる有様にて部落民損害甚しかりき。よりて時の村長松永常彦氏は部落有志と策(はか)り昭和10年に林道改修の運動を起し、県の助成を仰ぎ、同16年月竣工開通するに至り、その間4ケ年にわたり部落民昼夜を別(わか)たず奮斗努力一致協力して事業の完成に努めたりき。ここに至りて森林の資源開発なり、後世部落民を利する事となりと云わん。
[現代誤訳]
 昔から九尾小岩野は森林資源に恵まれ、村内は杉の産地としてその品質の良いことで市場では有名であった。しかし、地区を走る道路が劣悪で木材の運び出しにも不便で、間伐材のような利益の少ない種類の材木の場合はその売値が輸送費にも満たないありさまで村人は大損をしていた。そんな状況を見かねた当時の村長松永常彦氏は村人の有志と計画して昭和10年(1935)に林道改修の運動を起こし、県の助成を受け、昭和16年(1941)月道路を竣工開通させた。その間4か年にわたって村人たちは昼も夜も奮闘努力、一致団結して林道の完成に努めた。その結果ついに村内の森林資源を有効に活用することができるようになり、後々の村人まで恩恵を被ることとなった。

 石碑の解読はできるだけその場で目途を付けておかないと、家に帰ってみたら写真の出来が最悪で読むどころではないなどということがある。
 また、その場での解読が間違っていることがあったりするので、鮮明な写真も欠かせない。

 ところが、古い石碑のあるような場所、つまり、すこし薄暗かったり、湿っぽかったり、田んぼや池の近くだったり、草が深かったり、森林の中だったりといったエリアは、一年間の2/3くらいは「あいつら」が屯している。「あいつら」とは勿論、人の生き血を吸って子供の栄養分にしている「あいつら」である。悪くすれば10分もいられないくらいの痒みに襲われる。
 そうそうゆっくりはしていられないのだ。

 カメラを構えてみると、碑文の上に蔓性の植物が喰いこんでいて、このままでは読めないし、後で写真を見ても解読できそうにない。
 仕方がないので蔓を手で除去する。
 本当は石碑の管理者が行うべき作業なのだろうが、取り除いたら石碑が破壊されるほどの食い込みではない。

 そのとき、「こんにちは。いいお天気ですね。」という声がした。
 声のする方を見ると、高齢の御婦人がにこやかに話しかけたところだった。
 「いいお天気」も何も、今日は曇り空である。

 都会の人はこういうとき「田舎の人は礼儀正しい」とか、「田舎の人は人懐っこい」と感じるようだが、阿蘇の草深い田舎の生まれである私は彼らのこのような行為の理由を知っている。

 これは未知の人が警戒すべき人物かどうか、反応を知るための「値踏み」なのだ。というより、彼女に気付きもせずに石碑に熱中している私は、既に「警戒すべき人物」の範疇に入っているらしい。

 彼女は田舎の人がよくやる「挨拶兼取り調べ」を始めた。どこから来たのか、や、何をしに来たのか、などである。

 ここは妻のいる美容室から40分くらいの距離にあるから、早く解読を済ませないと妻を待たせてしまう。何か仕事で遅れるのならば妻も納得しようが、「石碑を読んでいたから遅れた」ではお冠になるのは確実である。
 私は生返事をしながら石碑から目を離さなかった。

 すると、強い語気で「ちょっと!」という声が飛んできた。

 びっくりして彼女の方を見ると、何か話したくてうずうずした表情なので仕方なく話を聞くことにした。おそらく勝手に蔓の除去をしたのが気に入らなかったのだろう。

 だが、彼女が話し出すと、そんなことではなかった。
 彼女の祖父はこの石碑を作った人々の一人なのだそうだ。苗字を教えてもらって建立者の名前を見ると、「委員長」という肩書で真ん中に書いてある。

 何でも彼女の家は製材所を営んでおり、彼女の祖父はこの林道を整備した中心人物なのだという。
 林道の整備は計3回行われ、石碑に刻まれた整備は2回目のことだということだ。
 「それまではこちらの道を通って木材を運んでいたのよ。」といって彼女が指さしたのは、現在の道よりもずっと上方を通るほとんど獣道のような道だった。
 なるほど、これは大変だったろう。人力でないと運べないくらいの狭い道だ。

 この、山中の目立たない石碑の語り部は昭和6年(1931)生まれで89歳だという。
 もしかするとこの人が見知らぬ旅人に石碑の来歴を語るのは私が最後かもしれない。

 彼女は今度は林道から見下ろせる田圃の真ん中にある古い家屋を指さしながら、「あすこに製材所があったんだけど、父が招集されてしまったから閉めたのよ。今はこの道の先の方に家があるの。」と言った。

 私は俄かに興味が湧いた。招集されて工場を閉めた、ということは、お父さんはどうなったのだろう。無事に帰還したのだろうか。

 だが、高齢者によくあるように、彼女は自分の話したいだけの話をしたのか、「じゃあ。」というと背を向けてさっさと下の方に行ってしまった。あるいは記憶の鉱脈が尽きたのかもしれない。

 私は彼女の話では砥用に繋がっているというこの山の中の林道を振り返った。
 重い木材を額と背中に回した縄で林道を引きずりながら降りて来る人が見えるような気がした。

カメラ河童のシネレンズ図鑑 目次

好きこそものの成就なれ

第1HP「天草の海風」を全面リニューアルしました。

 シネレンズファンという同好の士と繋がりたいという気持で始めた「カメラ河童のシネレンズ図鑑」だが、ブログという性質上個々のページに行きついてはまた道に迷うという状態になっている人が多いようだ。
 そこで、完璧ではないにせよ、少しだけでも道標があるといいと思って作ったのがこのページである。
 シネレンズ好きの沼探索の一助になれば幸いである。

 絵を見ているうちに新しい格言を思いついた。
 「好きこそものの成就なれ。」

[13mm標準レンズ]
13mmシネレンズまとめ7訂
 
CINE-ARCO 13mm F1.8 初期型(ストライプ) D
CINE-ARCO 13mm F1.8 後期型(ゼブラ) D
CANON LENS C-8 13mm F1.8 改訂
CINE ELMO 13mm F2.5 D
FUJINON 13mm F1.1 D改 Ⅰ型
FUJINON 13mm F1.1 D改 Ⅱ型 改訂
[25mm望遠レンズ]
25mmDマウントシネレンズまとめ4訂

CANON LENS C8 25mm F1.8
KINO-SANKYO 25mm F1.9 D
PRONON 25mm F1.8 Qマウント改
REXER TELE 25mm F1.9 D

[38mm望遠レンズ]
38mmDマウントシネレンズまとめ8訂

CINE-ARCO 38mm F1.8 初期型(ストライプ)
CINE-ARCO 38mm F1.8 後期型(ゼブラ)
CANON LENS C-8 38mm F1.8

[6.5mm広角レンズ]
6.5mmレンズまとめ5訂
CINE-W.ARCO 6.5mm F1.8 前期型(ストライプ) D
CINE-W.ARCO 6.5mm F1.8 後期型(ゼブラ) D
[7.5mm~10mm広角レンズ]
RESONARW 10mm F1.9 Qマウント改 改訂
Wide Angle Cine ZEIKA NOMIGAR 7.5mm F1.4

[その他]
序の詞


六本木クラスと8月15日、梨泰院クラスと6月25日、その2(毒にも薬にもならない話90)

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六本木ロス

 毎週楽しみにしていてリアルタイムで見た後翌日は録画を見ていた「六本木クラス」。私はいわゆる「コア視聴者」の一人だったに違いない(オルシン[ご老人]、意味が違うし)。

 このドラマはご存知「梨泰院クラス」の日本翻案だが、そのまま日本版にしたら不自然、というところがうまく日本化されていて「よく考えたなー」という感じだった。

 ただ、原作と違うからというのとは別の面で違和感のある部分があったので、少しだけ言わせてほしい(何か文句を付けなければ気が済まない奴だなあ)。

 それはこのドラマに登場する二人の老人の言動の根拠というか背景が腑に落ちないという点である。

 まず一人目。

 この老人は主人公が店を構えている地区に住んでいる投資家の老人である。
 彼女は主人公の会社が宿敵の謀略によって危機に陥った時に資金援助をして助けてくれる。ところがその根拠がひどく弱い。それは、「自分の住む地域でよくやってくれたから」なのである。投資家として長年やってこれたような冷徹な、いわば「資本の代理人」のような人が、それだけの理由で、この時点では相当リスクの大きい投資をするものなのだろうか。
 若者らしい冒険心は期待できない年代だけに、ひどく根拠が薄いと感じた。
 投資の根拠などほとんどが勘だ、といえなくもないが、この投資が無ければ主人公は宿敵に勝てないだけに、ストーリー全体の展開を揺るがすようなヘンな設定ではないだろうか。

 韓国版ではこの人が投資する背景にアフリカで生まれたこの人の孫が登場し、主人公がその孫がまだ見ぬ父親を捜すのを助けるという、中編くらいのエピソードが織り込まれていた。だから投資の根拠がすんなり肝に落ちた。それだけではなくこの孫は主人公の仕事仲間としてもいいスパイスになっていた。

 だが、韓国版ではこの孫がヒロインにあからさまな差別発言を投げつけられる場面があったのだ。おそらくこれを日本版でどう処理するか、判断に困ったのだろう。この20年くらいの日本で特に蔓延が目立っている「都合の悪いことはなかったことにする」という処理がなされたのか。それは私には分からないが。

 二人目。
 この老人は主人公の宿敵そのものである。

 この人の人格は日本版でも韓国版でもほぼ同じなのだが、「なぜそういう人格なのか」ということに関して、日本版の方が「そりゃ生まれつきだからそうなんだろ」という印象を持ってしまう。

 元々「その人はなぜそういう人格なのか」、ということに関しては、発達が科学として探求され始めてから2つの潮流が鬩ぎ合い、現在では「どちらも」という話に落ち着きつつあるも、それでも問題が何度も蒸し返されては斯界が揺れ動く問題なのだ。

 それは大雑把にいえば「生得説」と「経験説」である。「遺伝説」と「環境説」とも云われる。また、「成熟説」と「学習説」とも呼ばれる。
 これだけ術語があるということが、この問題が重大でありかつ結論の出しにくいものであることを表しているに違いない。知らんけど。(というように大の大人が責任回避したくなるような大問題なのである)。

 そして、これは私の個人的な体験にすぎないからあまり普遍性を以て語れることではないのだが、日韓のドラマを見比べると、登場人物の性格について、日本ドラマでは「経験説」「環境説」「学習説」によって説明することが多く、韓国ドラマでは「生得説」「遺伝説」「成熟説」によって説明することが多いような気がするのである。

 日本ドラマでは特に悪役の人格について、「こいつがこうなったのはこんな生い立ちでこんなことがあったから」という説明が韓国ドラマに比べて詳しいような気がする。もちろん「水戸黄門」に代表される勧善懲悪ドラマでは「こいつは殺されて当然の生まれつきの悪人」という人物が登場するが。

 「六本木クラス」での主人公の宿敵は「偉大な実業家だが倫理観がかなりおかしい」という人で、その倫理観が彼の息子に伝わってしまうことで問題行動を引き起こさせてしまう。実際この息子はこのドラマの狂言回しのような役割を果たしているのだ。

 そして、彼の経営する企業の原点のコンセプトは「家族を腹いっぱい食べさせたい」というものである。ここから明確に分かることは、彼の少年時代から事業で成功するまでに経済的に困窮していただろうことだ。ただ、逆に言えば、それしか分からない。
 なぜ彼は歪んだ倫理観を持ち、必要以上に貪欲なのだろうか。なにせ座右の銘は「弱肉強食」である。かつ、歪んでいるとは云え強い家族愛を持っている。

 「梨泰院クラス」はこれを戦争体験を暗示することによってうまく説明していた。「梨泰院クラス」で説明された店のコンセプトは「家族を飢えさせない」だった。これは「六本木クラス」と微妙に違うように見えるが、実は全く別物である。

 大国を後ろ盾にして左右両陣営が激突した内戦である6.25戦争では、戦禍がローラーのように半島を往復するたびに敵陣営に協力したと見なされる人々が虐殺されるという極限の悲劇が展開された。
 同族相食む骨肉の争いの中で半島全体に食糧不足が発生する。15年戦争中の日本に限らず、戦争と飢餓は仲のいいきょうだいなのだ。

 「あしたのジョー」というボクシング漫画の金字塔の中で、ライバルの韓国人選手が僅かな食料のために父親を石で殴り殺してしまったという過去を告白する場面がある。人間を獣にしてしまうほどの飢えを経験する人間が発生してしまったのである。

 「梨泰院クラス」の主人公の宿敵(何回も宿敵宿敵と書くのが面倒になったので以下ドラマのとおり「チャン会長」と呼ぶ)は「家族の餓死」を経験している。単純な経済的困窮ではなかなか説明しにくい事態である。
 6.25戦争の停戦は1953年。「梨泰院クラス」のウェブトゥーン連載開始は2016年である。チャン会長が1943年生まれだとすると停戦当時10歳。2016年には73歳。十分現役の経営者として辣腕を振るっていて可笑しくない歳である。「梨泰院クラス」の構想は連載よりもっと前だろうから、年齢設定が70歳前後、あるいは60歳台だったとしても矛盾はない。息子の年齢がやや若すぎるという気もするが。
 日本国内の餓死者も戦争中より終戦直後が多かったことを考えると、戦争中でなかったとしても「家族が餓死」「家族を飢えさせない」という、現代の日本ではなかなか理解困難な設定は6.25戦争との関係抜きでは成立しにくいだろう。血で血を洗う内戦の経験者、と考えるとチャン会長の底流にある人間不信(特に親族以外の人間に対しての)と血統主義も腑に落ちる。

 息子に鶏を捻らせてわざわざトラウマを作ってしまう、などというのも、後で思い出話として語れないようなことをして生き延びた人であることを想定して初めて理解できる行動だろう。

 「六本木クラス」の長屋会長の店のコンセプトが「家族を飢えさせない」ではなく「家族を腹いっぱい食べさせたい」なのは6.25戦争と15年戦争の現代からの隔たりの差である。
 15年戦争の終戦は1945年。終戦時10歳だとすると1935年生まれでなくてはならない。「六本木クラス」の放映は2022年で物語の設定は現在である。したがって会長は87歳ということになる。現在60歳の私の岳父と同い年だ。
 エイジズムの誹りを逃れないかもしれないが、やはりまだ青年の域にあると云ってよい主人公の宿敵としては少々お年を召し過ぎているのではないだろうか。いくら悪党でも土下座などさせたら可哀想だ(実際このドラマでは韓国版では土下座していた会長が土下座を止められている)。だいいち息子たちの歳が合わなすぎる。主人公と上の息子は同級生なのだ。

 これもエイジズムなのかもしれないが、「弱肉強食」が座右の87歳。ちょっと考えにくい。この人は若い頃から少しの人間的成長もしなかったのだろうか。目先にこだわった倫理観のなさは前頭側頭葉変性症による人格変化を思わせるともいえるが。

 先に考察した「梨泰院クラス」のように、会長を70歳前後に設定してみよう。
 彼の生年は1953年前後。10歳のときは1963年。完全な戦後生まれだ。
 日本では1956年に「もはや戦後ではない」と経済白書で謳われ、いよいよ高度経済成長が加速している時期である。もはや私の父のように戦場で心に傷を受けた人以外は戦争を過去のこととして水に流してしまって明るい未来の方を向いている時代なのだ。(そして天祐のようにやってきた明るい未来は実は他ならぬ隣国の戦争特需によってもたらされたことを覚えておきたい。)

 だとすると、長屋会長の方の性格の歪みと奇妙な倫理観は戦争体験ではまったく説明できない。
チャン会長の「鶏の首捻り」には共感はできなくとも何となく根拠があるように思ってしまうが、長屋会長のそれは単なる異常な性格にしか思えない。

 6.25で説明できることが8.15で説明できないのは、両民族の戦争からの距離を示しているのだろう。 
 考えてみたら1930年に始まった戦争が1945年8月15日に終戦したのに対して、1950年6月25日に始まった戦争は2022年の今も終戦していないのだ。

 それにしても面白いドラマだった。細部を忘れ始めたらまたフリフリ(仮名)で見よう。

 
 

六本木クラスと8月15日、梨泰院クラスと6月25日、その1(毒にも薬にもならない話89)

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戦場場面で泣けなくなった


 NHKの今期の朝ドラが終わった。

 ここのところ2作連続で中途脱落している。3年くらい前までは結構熱心に見ていたのだが、どうも最近途中で「かったるく」なる。

 今回の朝ドラはストーリー展開が杜撰だとか主人公に共感できないだとか随分叩かれたようだが、私が中途脱落したのはおそらくドラマ側の要因ではなく、私の側の要因が大きいように思う。

 一言で云うと韓ドラの「辛さ」に慣らされてしまったということかも知れない(これは何かのニュースで読んだ表現で私のオリジナルな表現ではない)。日本のドラマを見ていると何だか展開がまったりして刺激が足りない。「急報を受けて現場に行く」などというときも自分で走っていくかせいぜい「運転手さん急いでください!」というくらいで、「タイヤを鳴らして他の車にぶつかりそうになりながらUターン」などしない。母親が結婚に反対するにしても陰湿な口撃をするくらいで、顔にコップの水をぶっかけたり、キムチでビンタを張り飛ばしたりしない。どうも物足りない。「もっとコチュジャンを足してくれ!」と云いたくなる。

 朝ドラの定番ストーリーといえば15年戦争に関するエピソードである。韓ドラでも朝ドラに当たるものは6.25戦争に関するエピソードがよく挿入される。

 これは人の生き死にが絡むので刺激が強いし、大抵の場合誰か身内が死んでしまってこちらは嗚咽を漏らすほど泣いてしまったりする。

 だが、やはり終戦からの時間がもうその頃に生まれた人がそろそろ人生を終わるくらいの時間が経ってしまったので(円楽師匠とアントニオ猪木氏のご冥福をお祈りします)、どうしても不自然な部分が年々増えてきていて、共感できなくなってきた。

 一つには前後の脈絡や背景と関係なく「残酷シーン」に文句を云う人に対して忖度せざるを得ないという事情も関係しているのかもしれない。

 あのねえ。戦争は「残酷」なんです。戦争を描こうとしたら「残酷」にならざるをえないんです。人が人をミンチにするのだから。もっとも、あなたは「残酷」を口実に戦争を描かせたくない人なのかもしれないが。こういう人には私の言葉はひとことも通じない、ということは60年の人生で学んだことだ。私のブログも見ないだろう。

閑話休題(こんなごじせいでもわたしのぶろぐをみてくれるひとたちありがとうございます)。

 だいいち、それならミステリードラマなどどうなるのか。毎週人が死んで死体が転がっているシーンがある。「そういうのが嫌いな人は見ないでください」と最初に断ればいいだけではないのか。

 とは言っても、残酷シーンなど描かなくても、愛する人が突然消滅してその後の人生を一緒に歩めなくなってしまうという悲しみは十分に表現できると思うのだが。
 それができないというのはやはり脚本の問題なのか。あるいは若くして理不尽に死んでしまう人が減ったという、受け手の側の問題なのか。

 そんなことを想いながら「六本木クラス」というドラマを見た。これは「梨泰院クラス」という韓国ドラマの日本リメイク版である。

 リメイク版は日→韓にしても韓→日にしても、名作であればあるほどにオリジナルの影が大きく被さってきて「これだったら本物を見ればいいや」という気になるのだが、「六本木クラス」はうまいこと日本化されていてほとんど違和感なく見ることができた。「これはこれで面白い」という感じである。

 特に、主人公が宿敵に土下座をさせなかったのはよかった。これは韓国版で唯一私が違和感を感じた場面で、若造と小娘が生い先短い老人に土下座をさせて冷たく見下ろしているのである。いくらそれが「親の仇」であってもだ。私の価値観に合わない。「この二人も本当は宿敵と大して変わらない人格なんじゃ?」と思ってしまった。
 もっとも日本版の方も末期の膵臓癌(脂肪分解酵素が出なくなる)の人に脂っこい唐揚げを3個も食べさせたうえに一人残して置いて行ってしまうというのも十分虐待である感じはあるが。

 まあそれにしても毎週見るのが楽しみだったし、翌日録画したものをもう一回見るのがまた細かいツッコミができて楽しかった。

 ただ、二つだけ言わせてもらいたい。それはこの若者中心のドラマに登場する二人の老人の言動の根拠である。私は老人だから若者よりもそちらが気になるのだ。

 次回はこれについての話である。


リアル写真で花札を作る27-とりあえず半年間のまとめ-(それでも生きてゆく私301)

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河童花札堂創立半年記念

 我が「リアル花札本舗(架空)」もはや創業6ヶ月を過ぎた。
 この間に作成した花札も、2月梅、3月桜、4月藤、5月杜若、6月牡丹(全品欠品)、7月萩と、5種18品を数える。
 ここにそれを記念して、一旦まとめた姿をお目に掛けたい。
 では、公開である。

 2月梅
梅4枚揃い
 3月桜
桜4枚揃い
 4月藤
藤4枚揃い
 5月杜若
杜若4枚揃い
 6月牡丹全欠品

 7月萩
萩4枚揃い

 同じ構図の中にどうしても収められなかったものは本来欠品とすべきで、「藤に不如帰」と「萩に猪」は現在まで欠品であるが、完成形をイメージしていただくためにとりあえず合成写真で作ったものを掲載した。「梅に鶯」は「梅に目白」であるが、これは昔の人の勘違いもあると思うし、奇跡的に花札と同じ構図の写真が得られたので正式採用した。

 それにしても、返す返すも牡丹札の全欠品が悔やまれる。「牡丹に蝶」は牡丹の苗を自分の庭に育てれば十分に撮影可能なだけに、自分の迂闊さが悔しくてたまらない。現在寄宿している妻の実家の庭は猫の肉球ほどの広さだが、隣に金持ちの大きな畑があるので色々な蝶が次々に訪れるのだ。

 参考までに本物の札と対比させて掲載してみよう。
2月梅
梅4種本物
梅4枚揃い

3月桜
桜4種本物
桜4枚揃い

4月藤
藤4種本物
藤4枚揃い

5月杜若
杜若4種本物
杜若4枚揃い

6月牡丹(リアル札は欠品)
牡丹4種本物

7月萩
萩4種本物
萩4枚揃い

 それでは皆様、「リアル花札本店(名前が冒頭と違うだろ)」を今後ともよろしくお願いいたします。

 

リアル写真で花札を作る26-現れたのは猪ではなく…-(それでも生きてゆく私300)

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萩札リアル河童完成イメージ

 いよいよ「萩に猪」企画発動である。

 IMGP1283

 ところでそもそも萩の生えている場所というのは上の写真のように日当たりの良い場所である。
 植物図鑑などにも「日当たりのよいところに生息」と書いてある。

 一方、猪は夜行性であるから、人間が彼らを見ようとすれば、暗い所に行かなければならない。
 私は今までに野生の猪を2回見たことがあるが、それはいずれも薄暗い山の中であった。1回はそれは三角の一応人の住んでいる駅の近所だったから、地元の人からすればこの表現はえらく失礼かもしれないが。

 つまり、「萩に猪」というのは、花札の成立した近代以前の日本のような自然豊かな環境でなければ成立しない構図なのかもしれない。

IMGP1308

 したがって、真昼間にこの萩が群生しているような野原で待っていても猪は現れないに違いない。

 実は私は一ヶ所だけ、「ここは萩が生えているけれど猪が現れるかもしれない」という場所を知っているのだ。

 スカ札と短冊札の元写真を撮影した私は、早速その場所に向かった。

 秘密の曲がり角を曲がると(嫌な奴だなあ)、あまり車の通らないだろう、かつ人気もない道に入った。

 すぐに道にうずくまっていた動物がガードレールを越えて林の中に逃げて行った。
 「ああ、兎だな」と思ったのだが、どうもそれにしては身体が大きすぎる。
 「大きな兎」は木の陰に隠れてこちらを伺っている。

 「何だ、猿じゃないか。」

 私は今までに何度も野生の猿に遭遇している。珍しくも何ともない。

新長崎漁港の猿

 新長崎漁港の住宅地で見事な体格の猿を見ただけでなく、

魔手迫る河童

 三角の自宅近くでは子猿に餌をねだられたことすらある。

 三角では頻繁に猿が出没していて、これは写真に撮り損ねたのだが、自宅の向かい側のアパートの非常階段に猿が座っている、などということもあった。

 だいいち日本では高崎山や比叡山など、野生の猿を見物させることを売り物にしている場所が何ヶ所もある。これらの場所にも私は行ったことがある。

 私は日本猿の生態というか社会性が人間を思わせてあまり好きではない。
 ときどき人間の行動を見ていて「嗚呼、これは猿そのものだな」とうんざりすることがあるからだ。

 権力争いなど本人たちは大義の実現のために奮闘しているつもりだろうが私には猿山のボス争いにしか見えないし、児童虐待もジェンダーやボスのDNAを受け継いでいるかどうかに関係なく猿にはよくある話である。

 もっともこれは猿と人間が似ているということによって私という一人の人間の脳内に発生した認知やそれに伴う感情に過ぎないのであって、もっと知的能力の低い動物や生物は人間から見たらもっと惨いことをする。
 カマキリの雌が交尾のあと雄を食べてしまうのは有名な話だ。これは本能という形でプログラミングされた行為だから本来人間たる私がそれに感情移入すべき話ではない。

 ただ、猿は知能が高いし人間に行動がよく似ており、逆にいえば私が猿並みの知能で猿に行動が似ているがゆえに、猿の気持ちが分かってしまって不快感を覚えるのだろう。

 そのてん私は猪の生態を知らないし、猪の気持ちも分からないので、彼らの行動によって不快感を覚えることもない。人里に出没するのだって「腹が減った」と思っているだけだろうし。実は争いに負けた成体や虐待から逃れようとしている幼体を執念深く追いかけてきているのかもしれないのだが(ないない)。

 閑話休題(たかがはなふだひとつでここまでなまぐさいはなしになるのはまだせんそうがつづいているからだろう)。

 猿は葉陰からしばらく私の方を伺っていたが、10秒ほどでいなくなった。

 周りを見渡すと、薄暗い場所で、萩も生えていない。
 ここに留まっていても目当ての写真を撮れることはないだろう。

 私はもう少し先に進むことにした。

 既に書いたが萩は満開でもどうかすると見落としてしまう。私は車を30kmくらいのスピードで動かしながら山道を進んだ(迷惑な奴だなあ)。

 すると、某所についに見つけた。
 萩が群生している明るい場所だが、猪が出没しそうな場所である。

IMGP1438

 それはここである。と云っても、いくら何でもこんなアップでは信用されないだろうから、もう少し遠ざかってみよう。

IMGP1441

 ここである。って、わかるかーい!

IMGP1445

 ここ、といえば、地元の人はもしかすると分かるかもしれない。

 「ここ」は、30度くらいの斜面の低い場所に萩が生えている。

 この「低い場所」というのが「萩に猪」を成功させる鍵である。
 なぜなら、通常萩は「下草刈り」によって駆られてしまい、猪と同時に構図の中に収められるようなところには生えていないのだ。

IMGP1283

 じっさい私がスカ札と短冊札を撮影した場所でも、低い所に生えた萩は雑草として刈られてしまい、人の眼の高さより上にしか生えていなかったのだ。

 私が発見した場所にもし猪が現れたら、

萩に猪合成

 こんな感じの札ができるはずである。

リアル写真で花札を作る25-ヨレヨレになって一層フ〇ドシ臭が-(それでも生きてゆく私299)

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萩札リアル河童欠品か

 萩の群生地に通い続けてやっとその花の美しさに目覚めた私である。

萩に赤短リアル

 そうなれば「萩に赤短」もこれでは駄目だろう。

 スカ札用の写真を撮影した私は、早速赤短用の写真撮影に取り掛かった。

IMGP1370

 ところが折から九州に接近中の台風の影響による強風のため、撮影は困難を極めた。

IMGP1365

 しかも赤短の保存方法が悪かったため、ますます強いフン〇シ臭がしはじめてしまった。

萩に赤短リアル

 敢えて「肌理の勾配」でなく「重なり」による遠近法を採用することでどうにか短冊札を作成できたが、これはまだ改良の余地ありのような気がする。

 取り敢えず短冊札を不完全な出来で我慢したのは、本命をとる必要があったからだ。
 本命、とは勿論、「萩に猪」である。

 おそらく我が「リアル花札本舗(架空)」の今後の道のりの中で最も困難を極めるだろうこの作業に、いよいよ社員一同(社長以下1名。妻すら賛同してくれない。「これ、売れるよね?」という私の言葉に対する反応は一言「売れないよ。」だった)がその死力を尽くす場面がやってきたのだ。

 ところが、この死闘は思わぬ方向に向かい始めた。
 以下、次回。

 

リアル写真で花札を作る24-萩ってこんなに美しかったんだ-(それでも生きてゆく私298)

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萩スカリアル河童決定版

 この2月ほど萩の花を追い求めている私なのだが、この花は日本人の心を魅了して止まないほど(つまりは花札に採用されるほど)美しいものなのか。どうも疑問に思う場面が多い。

萩スカリアル河童02

 暫定札は採用したものの、これが

2月梅札遂に完成

 梅や、

桜4種リアル河童

 桜に比べて美しいものなのか。
 どうも緑ばかりが目立ってジミジミである。
 何せこれは「花」札なのだ。

 暑い時期であれば猿滑だってあるし、もう少し涼しくなれば秋桜だってある。

 そんなことを思いながらも、これは私がその花の盛りを知らないからだと自分に言い聞かせて萩の群生地である某所に通い続けた。

 萩は地味な花なので、車でそれなりの速度を出していると気付かずに通り過ぎてしまうことが再三ある。
 その日もそうだった。この辺だったな、と思いつつ、通り過ぎてしまってまたUターンして帰ってきたときのことである。

IMGP1303

 ああ、これか、と思った。

IMGP1292

 これもそうだ。なるほど、これが萩の花か。

 遠くから見れば気付かずに通り過ぎてしまうようなただの雑草に過ぎないのだが、これは本当に驚きである。
 何だか女性に喩えたくなるのだが、野暮なことは止めておこう。(というより単なる保身だが。)

萩スカリアル01
萩スカリアル02

 ただただ美しい花である。

 他の月のスカ札と比べても遜色のない札が完成した。

 ということで、7月の札である萩にかまけているうちに、もう仲秋の名月が通り過ぎてしまったことに気付いた私であった。

迷作リメイクシリーズ105-国破れて山河リア-(毒にも薬にもならない話4)

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国破れてサンガリア

第1HP「天草の海風」を全面リニューアルしました。

  国破れて山河あり
  城春にして草木深し

 [現代誤訳]我が国は戦乱に逢い、多くの人が逝ってしまったが、美しい山河は残った。荒れ果てた春の古城に登ってそれを眺めている。

 この杜甫の「春望」は私の大好きな詩である。

 敗戦後の多くの日本人がこの詩に自らの心情を託したという。日本は焼け野原になり、多くの人々が犠牲になったが、美しい国土が残っているということを改めて思い起こし、復興への勇気をもらったに違いない。この詩は父の好きな詩でもあった。

 このシリーズの「大阪人的」に「なんでもちゃかす大阪人」と書いたが、私は関西に来てあるTVコマーシャルを見てジュース(何のジュースだったか覚えていないが多分「みっくちゅじゅーちゅ」だったに違いない。知らんけど。)を吹いてしまったことがある。

 それは、「サンガリア」という飲料水のメーカーのCMである。女の子と子供が次の歌詞を曲に合わせて歌い、踊る。

 「一、二、サンガリア、二、二、サンガリア、国破れてサンガリア! 

 意味わからんし。本当に何でもちゃかすんだな。でも、おかしい。

 生真面目な九州人には絶対に思いつかないジョークである。ただ、このCMを関西にいた間見せられたために、私はこの杜甫の詩に心から浸ることができなくなってしまった。

 私たちの世代はブルーコメッツの名曲「ブルーシャトー」にも心からロマンチックな気持ちになれないのと同じである。絶対に「森トンカツ、泉ニンニク、かコンニャク、まれテンプラ、静かニンジン、眠ルンペン」という替え歌が蘇ってくる。

 「国破れて…」と思い起こした瞬間、「サンガリア!」というあの能天気な絶叫が蘇ってしまうのだ。

  今から11年前の2011.8.26に私は上のように書いたが、実はこのCMの挿入歌はこの会社の社歌で、意外と真面目な動機から作られているようだ。社名そのものが「山河あり」から来ているというのだから驚きだ。以前はこの会社の缶コーヒーの缶に書いてあったらしい。「恐れ入り谷の鬼子母神」である(対抗して駄洒落)。

  国破れてサンガリア

 のフレーズの後にはこう続く。

  敵も味方もヨンダリア
  みーんなで仲良く飲んだりア

 この会社の設立が日本だけで310万人の犠牲者を出した15年戦争の終戦からまだ5年くらいしか経っていない時期であることを考えると、聞いた当時は「ふざけている」としか思わなかった歌に何だかジーンとしてくる。

 もしかすると冒頭の絵のような事情があったかもしれないのである(ないない)。

リンゴの歌に激怒す

 亡父は「リンゴの唄」に激怒した九州男児であるから、聞かせたら顔を真っ赤にして怒ったかもしれないが。当時九州ではこのCMが流れていなかったのが幸いである。
「リンゴの唄」に激怒する男(それでも生きてゆく私185)

 今思えば父もこの歌詞の作詞者も、戦争をどうしても水に流せなかった人たちなのだろう。掌返しをした人たちが「もはや戦後ではない」と言って高度成長に邁進し始めても、彼らはいつまでも拘って、周囲からは
「兵隊ボケ」「戦争バカ」「もう戦争の話は飽きたよ」と言われながら、それでも機会を窺っては戦争の痕跡をどうにかして人々に見せつけ続けた。今ではもう統計学的例外くらいの数になってしまった戦場経験者。

 遠くない将来の戦争がもはや既定の路線のように語られ、それが何の実感もない他人事のままに圧倒的に支持される昨今、彼らがひどく懐かしい。
 「反戦」というただ一点において、彼らは本当に頼もしかった。もはや老骨となっても、命に代えてでも戦争だけはさせない、という気魄が脊柱となってかれらを支えていた。

 比べて、蒟蒻のように惰弱なくせに好戦的な1960年代生まれの自分を思う。私だけでも彼らを忘れないようにしなければ。
 といっても、私も既に人生の折り返し地点をとっくに過ぎているが。私の余命は若者の血を吸っては膨れ上がる戦争という怪物の命より長くは続かないだろう。

 それでも、後僅かの時間でも、ほんの片隅ででも、「私は戦争に反対である」と云い続けよう。でないとこのままだと黄泉で父に叱られそうである(というか昔のように「馬鹿もん! 大馬鹿もん!」と怒鳴られそうだ)。

 2022.8.15 77回目の終戦記念日に記す。

リアル写真で花札を作る23-萩に赤短は限りなく地味-(それでも生きてゆく私297)

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萩に赤短リアル河童

 萩スカ札ではその選考にさんざん迷った私だったが、 萩に赤短はすぐに決まった。
 というのは、赤短の大きさが決まっているために、一枚の札の中に赤短と花を収めようと思えば、構図も一定のものに決まってしまうのだ。


梅に赤短リアル
桜に赤短リアル
藤に赤短リアル
杜若に赤短リアル

  過去の短冊札を見ても短冊の制約により構図はほぼ同じである。
  杜若だけはあまりにも面白くない構図だったので手前の枝に引っかけて少し変えてあるが。

萩に赤短リアル
PENTAXQ10+ZUNOW-ElMO Cine 13mm F1.1

 ということで萩に赤短も他の短冊札とほとんど同じ構図であるが、何せ花が少ないので地味なことこの上ない。

IMGP1160

 もっと沢山咲いているところで撮ろうとしたのだが、俄かに降り始めた雨と俄かに吹き始めた強風によってどうしても構図の中に赤短が入らない。断念。

 ということでこちらも暫定でこの地味な札を選定。こりゃもう一回だな。

 猪どころか花を撮るのすらなかなかままならない。

 もっとも萩の花は開花時期が長いから何度でも行けるのが取り柄だが。

リアル写真で花札を作る22-萩スカ札は未だ暫定-(それでも生きてゆく私296)

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萩スカリアル河童02

 さて、前回萩スカ札の暫定札を一枚得た私だが、この札は花の時期に何らかの事情で撮影に行けなかったり悪天候だったりしたときのいわば保険であるから、もっとよい札を作成する努力をせねばならない、というほど真剣ではないが、暇が出来たのでまた撮影に行ってきた。

 IMGP1120

 場所は例によって家から30分ほどの某所である。
 何故某所としか書かないかといえば、私の性格が意地悪だからではなく(それもあるが)、ブログ内でうっかり楽しい場所の手掛かりを出してしまったためにそこが楽しい場所でなくなってしまったことが再々あるからだ。
 私のブログは大して見ている人は多くないのだが、怖いのはその後の口コミである。ブログを直接見ている人は1日〇〇〇〇人程度なのだが(白髪三千丈)、その見た人が友人・知人に話し、聞いた人がまた友人・知人に話し、とするうちにその場所がスポットになってしまったりするらしい。
 実際私はブログに出したばっかりに待たずに汲める湧水や抜群に美味いのに客が少なくてゆっくり食事のできる食堂などをいくつか失ってしまった。
 ここは近い駐車場が1台やっと停められる狭いものしかないので、人口に膾炙しなくてもほんのちょっと口の端に上がっただけで私はそこに駐車できなくなってしまう。
 肝心の「萩に猪」撮影のときはここに長時間駐車するつもりだから、少なくともその撮影が終わるまではこの場所は対外秘なのだ。と言っている割には写真を出してしまっているが。自己顕示欲が強い人は本当の意味では得しないというのを私がよく表している。

 閑話休題(きょうはけっこんきねんびでもあるしゅうせんきねんびなくなったかたのごめいふくをおいのりいたします)。

IMGP1142

 私はこの日生まれて初めて満開の萩の花というのを見た。もしかすると今までにも見たことがあるのかもしれないが、気を付けてみたことがなかったのだ。
 生憎天気が悪くて青空と美しいピンクの花の対比を写真に収めることはできなかったが、花札の中の花よりずっと華やかである。

萩スカリアル01
PENTAXQ10+CINE-NIKKOR 38mm F1.4

 以前萩スカ札の暫定にしたものは5分咲きくらいだからこれに比べるとぐっと地味である。
 これは没かな、と思いながら満開の花の写真を加工してみる。

萩スカリアル暫定01
PENTAXQ10+ZUNOW-ELMO Cine 13mm F1.1

 うーん、確かに綺麗なのだが、何か焦点の定まらない、あまり花札らしくない札である。

萩スカリアル暫定02
PENTAXQ10+ZUNOW-ELMO Cine 13mm F1.1

 もう一枚やってみたのだが、これも何かまとまりがない。
萩スカリアル暫定04
PENTAXQ10+ZUNOW-ELMO Cine 13mm F1.1

 遠景だったらどうかと思ってやってみたが、構図はいいのだが生憎の悪天候で暗い雰囲気になってしまう。どうもうまくいかない。

IMGP1062

 ほかにもこれはどうかなと思ったらアスファルト道路がセンターラインごと映り込んでいたり。第一これは花が少ない。

IMGP1063

 蝶が映り込んでいるものはもう札の趣旨が違ってしまうし。

IMGP1089

 遠景に山が写っているものはなかなか面白い構図なのだが、残念ながらすべてに電線が映り込んでいる。山を残すと電線も残り、電線を消すと山も消えてしまう。

萩スカりある暫定05
PENTAXQ10+Cine ZEIKA NOMIGAR 7.5mm F1.4

 一応ギリギリの線で作ってみたが、これまたどこかまとまりのない花札らしくない絵である。
 だいいちよくみると交通標識が写っている。艶消しもいいところだ。

 やっぱりこういう小さい花は難しいなあ。

萩スカリアル暫定03
PENTAXQ10+ 自製レンズ

 ヤケクソでアップにしてみた。撮影レンズは花を撮らせたら天下一品だが、それ以外はまったく駄目という、レンズは「協賛(仮名)」、鏡胴は「ノンプロ(仮名)」という自製レンズである。このレンズは過去2回読者に名称を募集したのだが、「いいね」や「拍手」すら、一切の反応がなかったので未だに名前がない。私は「お花はん」と呼んでいる(それが名前だろ)。

 ということで、散々迷った末、萩スカ札はこの2枚。ただし、暫定である。

萩スカリアル01
萩スカリアル暫定03

 次は萩に赤短である。






リアル写真で花札を作る21-萩に猪は早くも暗雲-(それでも生きてゆく私295)

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萩スカリアル河童

 さて、いよいよ7月も後1日となり、我が(有)リアル花札本舗(確か有限会社って制度そのものがなくなったんだったよな。これだけで嘘だと判る)の社運をかけたプロジェクト、「7月萩」である。
 リアル花札の中で最も困難が予想されるものの一つが7月萩札の中の「萩に猪」だろう。
 ご存知の通り猪は猛獣であって、出没注意と関係者が神経を尖らせている動物である。襲われて大怪我をした、などという話が全国ニュースとなってTVなどの電波に度々乗っている。
 それをわざわざ撮影しようという酔狂だから、まず世間の目が鶯や蝶を撮影する場合とはまるで違う。細菌、じゃなかった、最近巷間を賑わせているCOVID-19に喩えるならば、公衆のど真ん中でマスクを外して咳を百連発、というくらいの顰蹙ものの行為である。
 だから勿論わざわざ猪の出現しやすい早朝や夕方・夜は避け、あくまでも本当の僥倖によって萩の傍に彼(もしくは彼女)が現れたときにのみ100m以上離れたところから撮影しようというスタンスである。「餌付け」などという不埒な考えがチラッとだけ頭を過らなかったといえば嘘になるが、私は良識ある市民であるから、そんな考えは私の揺るぎない良心によって遠く彼方に吹き飛ばされてしまって跡形もない。
 基本的には季節の萩の花を撮影し、本当に宝籤に当たるくらいの確率で「萩に猪」を期待する程度に留めるつもりである。
 ということで、まず萩の花はどこにあるか、家の近くを探してみると、車で30分くらいの某所に野生の萩が群生しているという情報を得た。
 その日、妻は娘と出かけるというので、「まだ萩の花には早いんじゃないの」という妻の忠告も無視して1人で車に乗って出かけた。
 例によって誰とも喋らず買い物も外食もしない、最近の私の小旅行スタイルである。

IMGP0980

 着いたのは熊本平野を一望し、遠く有明海までを望む某所である。

IMGP0969

 何と車を停めたすぐそばに萩が自生している。しかも、まだ2分咲きくらいの感じだが早くも美しく可憐なピンク色の花を咲かせている。
 流石に花札にはまだ使えないか。妻の言うとおりである。
 しかし今までの経験から云って作る時に作っておかないと機会を逃してしまうことになりかねない。暫定ということで作成開始。

萩スカリアル01

 萩スカリアル札1枚目(暫定)完成。

萩スカ

 それにしても実際に撮影してみると判るのだが、花札の絵師たちの植物の特徴を捉える眼の凄さには敬服である。それまでは「何だこの黒豆と赤豆みたいなのは」と思っていたのだが、なるほど、これが萩というものか。
 日本人のものをまとめる力には驚いてしまう。

IMGP0988

 ただ、この萩の木は相当な急斜面の道まで登りきる直前のところに生えている。

萩に猪

 果たしてこんなところまで猪が登ってきて丁度萩の花の間から顔を出す、などということがあるのだろうか。どうも宝籤に当たるより難しい気がする。

 あと少し出てきやすいところを遠くから車の中で監視するというスタンスで考えたい。するとここは不適である。もう少し花が咲いて見つけやすくなってから撮影地を探すとしよう。






河童簡単韓国料理24-野菜たっぷりマッククス-(いやしんぼ114)

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マッククス

 かつては焼肉と白菜キムチくらいしか知られていなかった韓国料理も、現在は日本の津々浦々まで多彩な料理が食べられるようになった。
 カルビやビビンバなど今や日本語である。

 コムタン、カルビタン、ソルロンタン、サムゲタンなどの汁物や、カルビ、テジカルビ、タッカルビ、サムギョプサルなどの焼肉類、冷麺やビビン冷麺などの麺類 、オイキムチやカクトゥギなどの漬物類などなど、一時のブームを越えて、今や日本の食卓に定着しつつある。

 ところが、そうした中でほとんどの日本人が「は? 何、それ?」というくらいに知られていない韓国料理がある。

 それが「ククス」類である。

 韓国人はククスをよく食べる(と思う)。 
 実際に旅行に行ってみると、あちこちにククスの専門店があって、老若男女の韓国人たちで大入り満員である。

 私がよく見る韓国の番組に「キムヨンチョルの街頭散歩(仮名)」というのがあって、韓国の国民的俳優が韓国の巷間を訪ね歩くのが趣旨なので当然その中には食堂も含まれるのだが、この俳優さんが大好きでよく口にするのがククスなのである。韓国で「麺好き」というと、その相当部分の人が「ククス好き」を指すようだ。

 事程左様に韓国人から愛されているククスだが、日本ではほとんど知られていない。
 これはククスの何たるかが日本人には分かりにくいからのようだ。

 「冷麺とどう違うのか」「素麺とどう違うのか」「冷や麦とどう違うのか」「饂飩とどう違うのか」と聞かれた時、私は正確に答える自信がない。

 ククスは元々麺類という意味らしいからその解釈に従えば冷麺も素麺も冷や麦も饂飩も全てククスと呼んでよさそうだが、韓国人は少なくとも冷麺はククスと呼ばない(と思う)。

 では韓国人はどんな料理をククスと呼んでいてククス屋で出てくる料理はどんなものか、といえば、温かい出汁の中に入って出てくる小麦で作った麺である(と思う)。つまり、一般に「ククス」と呼ばれているのは小麦の温麺である(と思う。自信ないけど)。

 これは特に饂飩との区別が難しい気がするし、実際韓国には「ウドン」と呼ばれている料理も存在し、暖かい出汁の中に小麦の麺が入っているのでこれをククスと呼んでも差し支えなさそうだし、事実私から見るとどう考えても饂飩にしか見えないものがククスと呼ばれていたりする。
 ただこれは印象に過ぎないのだが、韓国で饂飩とされている料理は鰹の出汁が思いっきり利いた日本風の出汁(また物議を醸しそうな表現だが)に太麺が入り、上に蒲鉾などの日本的な具(これも元祖論争が起こりそうだな)が乗ったもののようだ。

 一方、ククスと呼ばれているものはもう少し出汁が薄い(ような気がする)。事実多くのククス屋では麺とは別に薬缶に入った出汁が出てきてこれを湯のみでお茶代わりに飲むことができるが、これは湯呑み1杯くらいなら軽く飲み干せるくらいにあっさりしている。饂飩の出汁を丼のものとは別に一杯飲めるか、というと、これは後で喉が渇いて堪らなくなるだろう。

 ということで取り敢えず「ククスとは何か」については一応の解決を見た。
 今後はこの結論を基に日本でもククスが普及していくに違いない(傲慢)。

 ところが、ここにもう一つの「ククス問題」が勃発した。

 マッククスである。

 マッククスは蕎麦粉で作ったククスである。マッククスには2種類ある。冷たいスープに入れて食べるものと、赤くて辛いタレをかけて混ぜて食べるものである。

 これは先ほどの「小麦の温麺」という「ククスの定理」に反しているが、普通のククスではないから「〇〇ククス」というのである。例えば冷たい豆乳で食べる麺はコングクスと呼ばれている。したがって何の問題もない(苦しい言い訳)。

 問題はマッククスの性質である。
 「蕎麦粉で作り、冷たいスープで食べるものと、赤くて辛いタレをかけて混ぜるものがある」。この料理、どこかで聞いたことがないだろうか。

 そう、冷麺である。
 冷麺は蕎麦粉で作り、冷たいスープで食べるムル冷麺と赤くて辛いタレをかけて混ぜるビビン冷麺がある。
 マッククスは先年オリンピックが行われた平昌のある江原道の名物らしく、ムル冷麺の本場である平壌やビビン冷麺の本場である咸興と同様韓国の北部の料理である。

 マッククスと冷麺はどう違うのか。

 この問題を解決するべく、マッククスを作って試食してみた。最初にTVで見たのが野菜がものすごく沢山入ったビビンマッククスで、とても美味そうだったので、こちらを作ることにした。ムルマッククス(というのか知らないが)はまた後日。
 以下、レシピである。
[材料]
1.マッククスの麺。これは韓国食品の専門店ですら売っていないことがあるが、気長に探してほしい。蕎麦粉100%で出来たものが本物らしい。私達夫婦は蕎麦麺と嚥下能力の相性がよくないので、前もって半分の長さに切っておく。もちろん本場風に器に盛ってから切っても良い。また、夏場で食欲が減退しているし、野菜を大量に喰うので、麺は2人で1人前である。こうすると2人分のセットが2回使える。
2.マッククスのタレ。これは麺とセットでないと入手困難なので、自分で作ってもいいが、ビビン冷麺のタレで代用するという方法もある(ますます冷麺との区別がつきにくくなるだろ)。
3.錦糸卵。これは市販のものでなく、自分で作った方が絶対に美味い。中華鍋に薄く油を引いてかき混ぜた卵を入れ、鍋をぐーりぐーりと回すと薄くて丸い1枚ものの卵焼きができるから、これをまな板にポンと裏返して千切りにすればいい。3分もかからない。
4.ポッサム(煮豚)。ラーメン用の焼き豚でもいいが、自分で作ると美味さ倍増である。詳しい作り方は

河童簡単韓国料理17-さっぱりポッサム-(いやしんぼ103)

を参照してほしいが、簡単におさらいしておくと、豚バラか豚肩の塊を生姜と葱と大蒜を入れた水で煮たものである。圧力鍋を使うと20分くらいで出来る。これを千切りにする。どうも年齢や夏バテで豚の脂はどうも、という人はしゃぶしゃぶ用の豚を茹でて短冊切りにしてもいい。
5.南関揚げ。これが入るとWell肉桂風になる。丸まま1枚を出汁で茹で、千切りにしておく。
6.そのときその場にある野菜。基本的にマッククスを食べるのは夏だから夏野菜が中心になる。胡瓜、トマト、人参、キャベツ、チマサンチュ、大根、カイワレ、ベビーリーフなどなど。ただ、紫蘇(大葉)は日本人がマッククスを美味しくいただくために欠かせない気がする。韓国人だとエゴマの葉ということになるのだろうが。また、モヤシを使う時は生でなくナムルにした方がよい。
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下拵えした具である。

[作り方]
1.麺をたっぷりのお湯で茹でる。茹で時間は製麺会社の指示に従う。
2.麺を笊に開け、冷水に晒す。ムル麺と違い、ビビンマッククスはあまりキンキンに冷やさない方が美味しいような気がする。
3.麺を器に盛り、タレをかける。

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 このとき写真のように具を器に並べると見栄えは良いが、Well肉桂風はドカッと野菜を使うので、混ぜにくい。

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 したがって夫婦二人の気取らない食事のときは具を別にしておく。

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 混ぜてしまえば同じである。

 私は正直生野菜があまり好きではなく、いろいろなドレッシングを試してみても今一つ満足できない。だから外食の定食などでサラダを残そうとして妻に叱られ、涙目で無理やり口に押し込むこともしばしばなのだ。
 しかし、これは喰える。韓国風の大きな丼一杯くらいペロリである。多分これ以外の料理でこれだけの生野菜を食べるというのは無理だ。野菜中心の食生活に変えたい方はこの料理がその一助になるだろう。

 もともとビビン麺のタレは相当な辛さである。あの世界一辛い「地獄麺(仮名)」やタッパルほどではないにしろ、辛さが苦手な人には敬遠されるだろう。しかし、野菜を大量に入れることで「ちょっと辛いかな」くらいの味になる。辛いのが苦手な人はビビン麺に大量に野菜を入れるこのWell肉桂風(僭称。本当は本場のものも大量に入れます)をお勧めする。

 ただ、肝心のマッククスと冷麺の違いについては、「どう違うんだろ」というのが正直な感想である。「どちらも美味い」としか言いようがない。

困難も功績も目立たない所にある(河童日本紀行636)

河童が灌漑に感慨する

 この石碑を見つけたのは私の棲む熊本の隣県大分の久住町である。

 私は大分県で誰とも喋っていないし、車から降りたのは人のいない場所で数回です。お勤めご苦労様です。
 今回私はいつものように妻に昼食用のおにぎりとちょっとしたおかずを用意してもらい、誰とも喋らず、何も買わず、人のいない所でだけ下車するドライブの旅に行ってきました。非常時ですから(苦笑)。

 閑話休題(だれとしゃべってるんだ?)。

IMGP0872

 その石碑は不思議な碑文だった。「水恩記念碑」。初めて見る碑文である。
 運転中にほんの一瞬目に入っただけだったのだが、興味を惹かれた私はちょっと離れた駐車スペースに車を停めてその石碑の近くまで歩き、碑文を見たのだった。

[碑文]
 本水路中には従来架樋と隧道との両難関あり。即ち架樋は字花小野において隧道を横断せるため、初め水管となし、次いで土管に改め、吹上工法を用いたるに、共に数年を出でずして損傷し、修理困難通水不能に陥るより、再び木樋に改めたるも、耐久力乏しく、経費また多額を要せり。
 隧道は〇〇の口にあり。その延長80間余にして、土質脆弱、年々崩壊。ために通水支障を来し、灌漑意のごとくならず。時にあるいは死を決して隧道内の崩壊土砂取除き作業に従事する等、その惨状真に言語に絶す。時あたかも昭和8年11月、内務省においては、時局匡救事業として、本樋を混凝土樋に改修の必要を認め、経費総額1200余円中、国費補助金599円交付せられ、同年12月竣工す。また隧道は、昭和10年10月、干害応急施設として隧道内部を混凝土巻となし、その公費金1300余円中、県費補助金967円を授け、同年12月完成せり。以上のほか、水路中大改修を施し、永久保全の策を講じ、もって灌漑の困苦を除き、当初の目的を達成し、関係者一同聖世の余沢を〇仰す。よりてここに碑を建て、その来歴を叙し、永く水恩を感謝す。
昭和14年1月 久住町長渡邊丈平

 碑文そのものは漢文調だがそこまで難しいものではない。

 ただ、これは水路というものについて知らない人にはえらく専門的な内容ではないだろうか。
 「架樋」?「隧道」?
 「隧道」はトンネルだが、水路に関する隧道がなぜ難関になるのか。この文章の内容からすると、少なくともトンネルを掘る際の困難に関する話ではなさそうである。
 「架樋」に関しては全く見当もつかない。
 「樋」が「雨どい」であることくらいはさすがに無教養である私も知っているのだが、「架樋」とは何か。「かひ」?
 もしかしてこの単語は「かけひ」のことか? これは1語にすると「筧」という漢字になって、その昔(高校生の頃)ひいきの野球団に同名の選手がいたから読み位は知っているのだが、それにしても一体何のことかは分からない。
 ここは「グルグル先生(仮名)」に尋ねてみなければ。
 するとこうある。

 地上に仮設して水を流す筒状の樋は筧(かけい・かけひ)と呼ばれる。「ひ」(=樋)とは堤などから排水するための門のことで、「とい」の語は「戸樋(とひ)」のこと、筧はすなわち「懸樋(かけひ)」である。

 そうか。
 「架」と「懸」は同義語(言語学的にいうと異形態)だから「架樋」と「懸樋」と「筧」は要は同じである。
 一般に知られている筧は手水鉢に水を灌ぐ道具で末端に鹿威しが接続されるのだが、この場合にはそんな小規模な施設ではあるまい。なにせこの辺り一帯の灌漑のためのものなのだ。

 碑文によると水路のトンネルになっている部分をかけひが横切る部分があったらしい。ここに脆弱性があったのだ。
 なぜこうした構造が必要だったのか。おそらく下図のような事情である。

久住町灌漑予想図01
 この脆弱点は地名の部分の碑文がちょうど削れて見えなくなっているので、仮にC点とする。
 C点はA点に水を送る灌漑施設とB点に水を送るそれの交差点だったのだ。


久住町灌漑予想図02
 なぜその部分にそんなややこしい構造が必要だったかといえば、おそらく上図のような事情である。上図は最初の図の断面図である。

    私はこの構造を思い付いた人の頭脳に驚くのだが、確かにこの部分には脆弱性がありそうである。
    大雨のときなど隧道の水位が上がると架樋は強い水圧を受けそうだし、樋が通っている部分はいろいろなものが詰まりそうである。

    実際碑文によれば隧道も架樋も何回も壊れているようだ。

 それなら何故トンネルからB点に向けて支流を作らなかったのか、という考えが湧くのだが、おそらく上図のようにB点への傾斜がA点への傾斜より極端に急だったために、ほとんどの水がB点に殺到することになったか、あるいは分岐点が水圧によって崩壊するような状態だったのだろう。

   現代の私たちならば隧道も架樋もコンクリートにしてしまえばいいのに、と思うところだが、この当時の人もそう思ったらしく、双方をコンクリートにすることでこの問題は解決したようである。
    碑文の中の「混凝土」というのがそれで、コンクリートを漢字で書くとこうなるそうだ。60歳にしてはじめて知った。

 改めて現代誤訳してみる。
[現代誤訳]
 この水路の途中には元々懸樋とトンネルという2つの難関があった。つまり、懸樋が字花小野でトンネルを横断するため、初めは木製の樋にし、次に粘土製の土管に改め、吹上工法を用いたのだが、どちらも数年もしないうちに損傷し、修理困難で通水不能に陥ってしまったから、再び木製に改めたのだが、耐久力が乏しく、費用も多額を必要とした。
 トンネルは〇〇の入口にあった。その長さは145m以上あり、、土質が脆弱で、年を経るごとに崩壊した。そのために水の流れに支障を来し、灌漑がうまくいかなかった。地元民たちが時には決死の覚悟でトンネルの中の崩れ落ちた土砂を取除く作業に従事する等、その苦労は言葉に出来ないほどだった。時あたかも昭和8年11月、内務省では、公共事業として、木製懸樋をコンクリート樋にする改修の必要を認め、経費総額1200余円中、国費補助金599円を交付していただき、同年12月に竣工した。またトンネルは、昭和10年10月、干害応急施設としてトンネル内部をコンクリート製とし、その公費金1300余円中、県費補助金967円を授け、同年12月に完成した。以上のほか、水路中に大改修を施し、永久保全の策を講じ、灌漑の苦労を除き、当初の目的を達成し、関係者一同恩恵を受けた。したがってここに碑を建て、その経緯を記述し、永久に水恩に感謝する。

    それでは気になる費用はといえば、昭和初期の金の価格が1g3円くらい、現在が6,500円くらいだから、当時の1円は現在の2,200円くらいと考えると、架樋の建設費用が2,640,000円、隧道の方2,860,000円。総計5,50,0000円。

 私は過去の貨幣価値と比較するのに金の価格を使うのが一番合理的と思っているのだが、これでいくと、総工費5,500,000円のために石碑を建てるという行為はどうも私の感覚にそぐわない。今これだけの規模の石碑を建てようと思えば石碑の値段は総工費の1/10くらいのものになってしまうだろう。

 これは別の指標で考えた方がいい話だと思う。考えてみれば現在の日本と当時の日本では経済の規模が全く違うのだ。

 これは国家予算で考えた方がいいような話なのではないか。

 昭和9年度の国家予算は216,300,000円、令和4年度のそれは107,596,400,000,000円。
 「公共団体の負担感」や「人々にとっての金の有難味」ということでいったらこういう比較の方がいいと思うのだ。
 この指標で計算した架樋と隧道のコンクリート化の費用は596,928,710円。
 何だかこれくらいではないかという感じである。今の私の感覚からするとスッと胸に落ちる値段である。勿論今同じ技術を使用した場合の工賃は人件費を除けばずっと安いだろうが。

 碑文にある「時局匡救事業」とは、世界大恐慌への対策として行われた日本版ニューディール政策である。全国的には864,870,000円が投入されたが3年間で終了している。これを国家予算を指標として現代の金額に換算すると430,221,444,604,716円。これはあくまでも「負担感」「有難味」という話だが、公共工事の規模と予算としてはこの方が私の感覚にはしっくりくる。

 まだ貧乏国家でかついまよりずっと小さな政府だった日本で公共事業にこれだけの金額が費やされたのに驚く。もっとも金換算でいくと実にショボイ金額であるから、これは指標にするものを何にするか、つまり解釈の仕方によって全く変わって来るともいえるが。

 いずれにせよ、苦労も功績も、携わった人にしか分からないような細かいところにあるのだということを教えてくれた石碑であった。

 やはり石碑は面白い。

リアル写真で花札を作る20-無知により牡丹札全て欠品-(それでも生きてゆく私294)

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牡丹の季節終了

 2度にわたる撮影によって5月の杜若札4種の制作に成功した私は、次の作業に取り掛かった。というより取り掛かろうとした。

 次は6月の牡丹札である。

 妻に「県内で牡丹の名所ってどこだろうね?」と尋ねる。
 「確か孟子の里(仮名)に牡丹園があったと思ったけど。なんで?」
 「なんで」も何も、妻は私がリアル花札の制作に心血を注いでいる(大袈裟)のは知っているはずである。
 「そろそろ6月だから次は牡丹札用の撮影にいかなきゃ。」
 「は? 牡丹の花なんてとっくに終わってるよ。いつもは連休くらいで咲くけど、今年は花が早いの知ってるじゃない。4月には咲いてたよ。」

 茫然とした私である。なんと、牡丹の花の季節を完全に逸してしまい、牡丹札全部が欠品になってしまったのだ。

 (株)リアル花札本舗(架空)存亡の危機である。

 妻は「阿蘇とか小国の方に行ったらまだ咲いてるんじゃないの?」と慰めてくれたが、いろいろと情報収集してみても、今咲いているという情報は全く得られない。

 情報収集の過程で得たところによると、牡丹の花は私の尊敬する宮崎兄弟の生家にもあるということである。今年は断念して撮影は来年まで待つしかない。

 何だか自分の肩が「がくーっ」と落ちるのが実感できた。こういうのを「肩を落とす」というのか。

牡丹に蝶
 それにしても、花札の作者はなぜ牡丹を6月にしたのか。
 旧暦で考えると連休の頃はたしかに6月に属するが、どう考えても杜若の方が牡丹より後に咲く花である。5月牡丹、6月杜若だったらこんなミスは犯さなかったのに。

 それと、この蝶は何だろう。
 私は昆虫には詳しく、子供の頃はファーブルのように昆虫学者になろうと思っていた(何にでもなりたがる奴だ)くらいなのだが、その私から見てもこの蝶の酒類、じゃなかった、種類が分からない。

 閑話休題(じぶんのみすをひとのせいにするのはさいていだぞ)。

 ということで、次は萩札、ということになるのだが、これがまた考えてみると変なのだ。
 
 私の知る限り萩は秋の七草である。
 「ぼくはふなをすき」の「は」である。
 ついでに 春の七草は せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろ である。

 三角の散歩道にたくさん生えていた萩の花は7月から10月くらいに咲いていたような気がする。旧暦の7月といえば新暦では6月。どう考えても梅雨のころに萩が咲いていた記憶はない。

 おかしくないか、花札。

 と再び責任転嫁してみても事態は好転しない。
 「萩に猪」はこのリアル花札計画で最も困難が予想される撮影である。
 萩の花と猪を同じ構図の中に収めるための方法を十分に練るしかあるまい。

 それにしても牡丹札、欠品かー。
 私は牡丹も蝶も大好きだから撮影を楽しみにしていたのに。本当にがっかりだ。(その割に開花の時期を知らんかったくせに。)


リアル写真で花札を作る19-杜若札完成-(それでも生きてゆく私293)

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杜若4種リアル河童

 人出が少ないうちにと杜若札を事前に撮影した私である。
 翌週の最初の休日は危惧した通りの雨。
 翌日も雨だったらもう暫定札で決定するしかない。

IMGP0774

 ところが幸い翌日はスカッ晴れ。
 行ってみると菖蒲の名所も満開である。

IMGP0782

 ところが、「この構図で」と思っていた場所の菖蒲はまさかの蕾のまま。

IMGP0749
IMGP0756

 あちこちで撮ってみるのだがどれも何か違う。

IMGP0784
 ZEIKA NOMIGAR 7.5mm F1.4 + PENTAXQ10

 構図としてはかなり違うのだが一番雰囲気が似たこの一枚に決定。

 「杜若に赤短」もいくらなんでも花が小さくて少ないので再度撮影することにする。

IMGP0765

 これかなと思ったのだが、

杜若に赤短リアル不採用

 札にしてみると分散しすぎである。

IMGP0763
ZEIKA NOMIGAR 7.5mm F1.4 + PENTAXQ10 

 赤短が全部写っていないが、こちらに決定。

杜若に赤短リアル採用

 花札にしてみるとやはりこちらの方が出来がいい。

 残りのスカ札であるが、

IMGP0752
IMGP0799

 花が沢山あり過ぎてどうも散らばってしまった。

 ということで、

杜若スカリアル02
杜若スカリアル

 万一のためにと保険のつもりで撮った2枚に決定。

 次は6月、牡丹札である。

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