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DHK(大本営放送協会:仮名)の朝ドラを久しぶりに飽きずに見ている。
多分これは3年くらい前の「イエー!(仮名)」以来である。どうもその後の作品は相当我慢して見ようとしたのだがいつの間にか離脱してしまった。
この「春ウララ(仮名)」は植物学の泰斗牧野富太郎をモデルにしたもので、何せ主人公が長年地道に植物を研究した学究の徒であるから、相当地味な話になるはずである。物語の仕方によっては何時でも睡眠剤代わりになっても不思議ではない題材だ。
ところがこれが面白い。
息もつかせぬ、といえば大袈裟だが、フツーの人でも振り返ってみれば本当に色々な目に遭うものだな、と思わせる。波乱万丈と言っていい。
牧野先生、小学校中退だったのか。明治初期の混乱期とは云え、日本の学問に今なお燦然たる輝きを放っている人があの「今太閤」田中角栄元首相より学歴が低かったとは。
とにかく驚きの連続である。命に関わることなどほぼないストーリー展開なのだが、結構ハラハラする。
ハラハラと云えば、主人公の妻となるのだろうと予想していたヒロインが思わぬ横恋慕を蒙って二人の恋が風前の灯火となるところで今週は終わり。次週の展開が気になるところである。そんな中、次週予告でのヒロインの意味深な言葉。
「私はもう万太郎(主人公の名前)さんを待つことは止めにしました。」
この言葉に一緒に見ていた妻が反応した。
「えーっ、恋敵の方に靡いちゃうの?!」
さすが昭和の女である。
確かに主人公はヒロインの母親の許を訪ねて、「自分を待たなくて結構です」というようなことを言い放っている。これは事実上の闘争放棄とも取れる。
この時代の女性は親の決めた顔も知らぬ男性に嫁ぐことが殆どだった。
私の祖父と祖母は恋愛結婚だが、それは当時周囲で評判になるほど珍しい出来事だったのだ(その割に祖父は浮気ばかりしていたが)。
そんな時代に「自分を待たなくていい」と男から云われた女がどうするか。昭和の女である妻にはすぐに予想が付いたのだろう。
だが、私は令和の男である(生まれは妻と同じく昭和だが)。
すぐに妻に解説(ゴタクともいうが)を始めた。
これはヒロインの決意表明である。他の男に靡いてしまうつもりで「待たない」と言ったのではなく、主人公と結ばれるために「追いかけていく」という意味なのだ。
私はこの原稿を2023年6月3日16:00頃書いており、ネタバレの類を一切読んでいない。従って私は今後このドラマがどういう展開をしていくか全く知らない。
だからこの解釈は私の全くの独断である。しかし、私はこれに相当の自信を持っている。
昭和の脚本家ならば、ヒロインが主人公と結ばれるとしても「待ち続ける」(他の男を拒否して)というストーリーにしたに違いない。
だが、現代は令和である。
令和の脚本家は同業者として参考にするために韓ドラを見ている(と思う)。
そして韓ドラの魅力的なヒロインたちが今、日本人を惹きつけてやまない。
「愛の不時着」「梨泰院クラス」。
日本中を席捲したこの2つのドラマに限らず、韓ドラのヒロインたちは男が自分の許を訪れるのを待ち続けたりはしない。来なければ、追いかけていく。
彼女らの恋愛コンセプトは「私を幸せにしてね」ではない。「私が幸せにする」である。
韓ドラのヒロインたちも2000年代くらいまでは「幸せにしてね」タイプの人が多かったが、今や大多数が「幸せにする」タイプである。
おそらくこうしたヒロイン像が今後の東亜のドラマのスタンダードになっていくに違いない。
ということで、来週2023年6月5日~6月9日は私の予言が見事に当たる荘厳な日々となるに違いない。
(当たらなかったらこの項をこっそり消そう。)