ニヤッとする話

ニヤッ、とする程度の笑いネタを思い出しながら書きます。

リアル写真で花札を作る18-これだけ雨が降れば保険が必要-(それでも生きてゆく私292)

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杜若に八橋構図暫定

 杜若札は「杜若に八橋」だけになった。
 これが撮影できるのはおそらく5月の下旬なのだが、「藤に時鳥」のように肝心な時の雨で欠品をだしてはいけない。「(株)リアル花札本舗(架空) 」は信用第一なので、とりあえず暫定でこの札を作らなければ。

IMGP0712

 ということで再びやってきた菖蒲の名所。
 ツツジは満開なのだが、菖蒲の花は殆ど増えていない。

IMGP0702

 一番密生して咲いていてもこの程度である。

IMGP0703

 「ここで撮ろう」と思っているアングルの菖蒲の蕾はまだ小さい。

IMGP0699
Zunow Elmo 13mm F1.1+PENTAXQ10

 何とか八橋と写せる菖蒲を発見して撮影。取り敢えず保険として取って(撮って)おく。

杜若に八橋リアル暫定

 PCでトリミングして「杜若に八橋」完成。

 これで一応杜若札は完成だが、どれも花が少なくてかなり無理をした構図なので、来週の何時か現地に行く暇があればもう一度撮影したいと思っている。
 ただ、最近熊本県ではどうも天候が不順で、もとかすると菖蒲の満開の日に大雨、などということになる可能性はゼロではない。
 また、県内では有名な菖蒲の名所なので、花札に使うために三脚や小道具まで持ち出して立ち止まって撮影している報道関係者でもなんでもない数寄者を「菖蒲祭り」のスタッフが果たして許してくれるのかという問題もある。
 したがって、杜若札は代替でありかつ暫定であることをお許し願いたい。

リアル写真で花札を作る17-八橋って食べ物じゃないの?-(それでも生きてゆく私291)

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杜若に八橋構図

 私がリアル花札杜若札の撮影地を探したとき候補にしたのは、県北の有名な水辺公園と、県南の有名な庭園であった。どちらも熊本県では菖蒲(杜若ではない)の名所である。
 ではなぜ県南の庭園ではなく県北の水辺公園になったかというと、決め手になったのは「八橋」の存在である。
 杜若の役札は「杜若に八橋」である。
 そもそも「八橋」とは何だろう。私は第一の学生生活を京都で送ったから、それが肉桂の利いた菓子の名前であるのは知っている。

八橋

 それはこういう奴(写真はWikipedia)であって、私はこの焼いた奴より生のものの方が好きなのだが、その話題はまた別のところで。

 しかし、その菓子が「八橋」の語源であるとは思えない。これはこの菓子が「八橋」に似ていることから準えて命名されたのだろうことは容易に想像できる。 

 では、花札に登場する八橋とは何か。

 これまたWikpediaに頼るとこうある。

 日本庭園などで設けられる歩道橋で、この名の由来は八橋かきつばた園のカキツバタの生育する池にある板の私橋が八つの板でジグザグにつけられて構成されているからきている。現在では、八枚とは限らず、数枚の板をつかって一直線でなくジグザグ橋にして景趣を出す庭の橋は基本的に八ッ橋と述べられる。また庭池もカキツバタの生育池とは限らず、ハナショウブの池などや湿地帯を人を渡らす場でジグザグ形式の橋はつくられる。(引用終わり)

 なるほど。要は杜若や菖蒲などを鑑賞するために池に渡らされた板の橋のことなのか。

 私は県北の水辺公園と県南の庭園の写真を見比べた。すると、県北の方に本格的な八橋が作ってあるようなので、県北を撮影地にすることにしたのだ。

IMGP0602

 行ってみると確かにかなり長い本格的な八橋が設置してある。
 これだけあれば花札の「杜若に八橋」と同じ構図で撮影できる場所があるに違いない。

IMGP0644

 これとか、

IMGP0647

 これなんかもそれっぽい。

 ただし、まだ花は全く咲いていない。
 
 次、またはその次の休日あたりに咲きそうである。ただ、次の次の休日はこの場所で「菖蒲祭り」が行われる日で、相当密になることが予想される。また、一ヶ所に立ち止まって構図を決めて撮影、などということが許されるのだろうか。

 ここは何か工夫が必要である。菖蒲の満開までに妙手を編み出さなければ。乞うご期待。

リアル写真で花札を作る16-何となくフ〇ドシ臭のする赤短-(それでも生きてゆく私290)

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杜若に赤短リアル河童

 スカ札が割と楽に作れて上機嫌の私はすぐに「杜若に赤短」の制作に取りかかかった、じゃなかった、勢いが付きすぎた、取り掛かった。

 まだ咲いていない蕾を避けて葉の部分に傷をつけないように糸を引っかける。


IMGP0638
Sun TELEPHOTO 38mm F1.9 + PENTAXQ10

 うーん。前回の「藤に赤短」の時からどうも気にかかっていたのだが、「赤ベ〇風」というか、もっと露骨に云うと「赤フ〇ドシ臭さ」がある。これは本来紙製の短冊を布で作っているからかもしれない。「あかよろし」や「みよしの」のように字が書いてある時にはあまり目立たなかったのに。
 おそらくこれは青短でもそういった印象はないに違いない。

締め込み姿
 これは私が過去に赤フ〇を締めて祭りに出たことがあるからに違いない。知らんけど。

IMGP0631
Sun TELEPHOTO 38mm F1.9 + PENTAXQ10

 仕方がないのでできるだけそうした印象を与えないようにわざと風に吹かれてめくれているものを採用。何だか花がちっちゃくて地味だが仕方がない。

杜若に赤短リアル

 どうにか完成だがこれも暫定っぽいな。

杜若に赤短

と思ったが、元々の札の花も赤短の陰に隠れて地味なのであった。

 杜若札って大した役にもならないし、地味だよなー。

 次は「杜若に八橋」なのだが…。

リアル写真で花札を作る15-いずれが菖蒲か杜若-(それでも生きてゆく私289)

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杜若スカ札2種完成

 さて、残念ながら4月藤札では欠品を出してしまったが、めげてはいられない。次は5月杜若札である。

 前回も書いた通り今年は全体に花が早いから、うかうかしていると杜若も欠品を出してしまう。
 これを書いているのは5月の上旬なのだが、旧暦は新暦より1月以上早いから、本来杜若は新暦でいうならば6月のものである。しかし、今年の花は早いのだ(しつこい)。

 もし2月連続で欠品を出してしまったら私のモチベーションはダダ下がりになってしまい、この企画そのものがポシャってしまうかもしれない。ポシャったところで人類はもちろん我が日本国にも我が熊本県にも私の友人知人にも、家族にも、どころか私自身にすら何らの影響もないだろうが。 

 早速家から行ける範囲に杜若の名所を探すのだが、「カキツバタ 熊本」で検索してもどうも思わしい結果が出ない。杜若って確かアヤメやショウブに似た花だよな。

 いずれがアヤメかカキツバタ

という、女性の美しさを讃えた一節にもあるように、これらの花は兄たり難く弟足り難いほどによく似ていて優劣が付きにくいらしい。

 「アヤメ ショウブ カキツバタ 違い」で検索して説明を読むのだが、どうもよく分からない。

 読めば読むほど分からなくなるので、この際アヤメや菖蒲でもよいことにする。
 どうせ「梅に鶯」も「梅に目白」なのだ。如何ほどの違いやあらん。(どんどんいい加減になっていくな)

IMGP0611

 ということで、毎年「菖蒲祭り」が行われる県内某所に参上。
 COVID-19パンデミックの影響で2年間行われなかったのだが、今年は開催されるらしい。

IMGP0602

 ただ、花はまだほとんど咲いていない。
 といっても、藤の花のように丁度盛りの休日に雨続き、などということがあり得るので、念のために既に咲いている僅かな花で保険の暫定札を作っておくことにする。

IMGP0615
 Zunow ELMO 13mm F1.1 Dmount + PENTAXQ10

 まず一番杜若っぽい花。
 ただし、これは花弁の根元が黄色だから本当は菖蒲なんだろう。説明によれば杜若は花弁の根元が白らしいから。

杜若スカリアル02

 これでオーソドックスなスカ札は完成。さて、もう一枚。

IMGP0616
 Zunow ELMO 13mm F1.1 Dmount + PENTAXQ10

 今度は手替わりが欲しかったので川の流れを背景にして一枚。

杜若スカ

 本当は花札の杜若は単独だが群生ものも趣が変わっていいだろう。

杜若スカリアル

 ということでスカ札2枚完成である。
 次に来た時にもっといいのが撮れたら変更するとして暫定である。

 さて、次は赤短札だが…。

リアル写真で花札を作る14-無情の雨で欠品第一号-(それでも生きてゆく私288)

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藤4種リアル河童

 残念ながら欠品のお知らせである。
 5月の藤札のうち「藤にホトトギス」製作は来年に先送りである。

 そうなった最大の原因は今年の春の異常な気候である。
 春から初夏にかけて日本列島各地では木蓮→梅→桜→桃→藤、と、見どころのある花がまるで約束してでもいるかのように順番に咲いていく。それは私の棲む九州でも例外ではない。他の地方より全体に少し早いだけだ。

 ところが今年はモクレン科の花からおかしかった。通常は辛夷→白木蓮→紫木蓮の順に咲いていくのだが、これが2月の中旬位に一斉に咲いてしまった。
 そしていつもは2月中旬から3月の初めにかけて徐々に咲いていく梅が2月の中旬くらいに一気に満開になってしまい、さらにいつもは3月の下旬に満開を迎える桜が3月の中旬くらいにはもうほぼ満開になってしまった。
 つまり、木蓮も梅も桜もほぼ1ヶ月くらいの間にわーっに咲いてしまったのだ。それぞれの花の満開にはもちろん若干のタイムラグはあるのだが、咲き始めと咲き終わりまでは花があるから何だか同時に咲いてしまった印象なのである。

 これはマズいことになったぞと思ったのは、藤の花の開花である。
 私が現在作成中の「リアル写真花札」は季節の花と風物が同一の構図の中に映らなければならない。ところが、この調子で藤の花が咲いてしまうと、これとコラボするはずの不如帰が間に合わない。
 杜鵑は渡り鳥であって初夏の頃に大陸から渡ってくる。

 卯の花の匂う垣根に♪ 時鳥はやも来鳴きて♪
 忍音もらす♪ 夏は来ぬ♪
 (佐佐木信綱作詞、小山作之助作曲)

なのであって、この歌謡には時鳥とともに「卯の花(宇津木)」や「蛍」や「水鶏」や「早苗」などが登場する。これらはどう考えても5月から7月にかけての風物なのだ。

 今年はこの調子だと藤の花が早く咲いてしまいそうである。
 藤はいつもなら他地方よりやや季節が早い九州でも4月の下旬から5月上旬の、つまりゴールデンウイーク辺りに咲いて観光客を楽しませる花なのである。これなら沓手鳥もぎりぎり間に合う。
 しかし、それ以上早く咲いてしまうとまだ霍公鳥は大陸にいるので、藤と不如帰を同時に撮影するのは物理的に不可能になってしまう。


IMGP0304

 私の心配した通り、藤はまだ4月の中旬だというのに満開になってしまった。
 周りでは霍公鳥が托卵する鶯は盛んに鳴いているが、肝心の沓手鳥は声すら聞こえない。


藤スカ札2種完成
藤に赤短リアル河童

 私はどうにかスカ札と赤短札の撮影には成功したが、「藤にホトトギス」は後日撮影することにした。



IMGP0425

 山藤は藤より多少開花が遅い。その分花も遅くまで残る。いずれにせよ今年のこの花の早さからすると後一週間くらいしか時間は残っていないだろう。

 ところがよりによって次の休日は一日中の雨。諦めきれない私は山の中にも行ってみたが、鳴いているのは烏のみ。こいつの鳴き声が「バカーバカー」と聞こえる。

 いよいよ切羽詰まった私は平日の午後に有休を取って撮影に行くことを考えた。
 ところが、それを申請するつもりの前々日に私は持病の心房細動の発作を起こしてしまい、仕事を休まざるを得なくなってしまった。
 同僚に迷惑をかけて休んだのに、流石にその翌々日に道楽のために有休を取る訳にはいかない。

 やっとやってきた晴れの(晴天と云う意味ではありません)定休日、何とまたも無情の雨。これでもうほぼ絶望である。

 次の定休日。あちこちを彷徨っても、もはやどこにも咲いている藤の花は無いのであった。

 皮肉にもホトトギスらしき声は聞こえてくる。
 「特許許可局」「特許許可局」という奴だ。私は彼らの実物は見たことがないが、おそらくこの鳴き声の持ち主だろう。

 ということで、「藤にホトトギス」は残念ながら欠品。来年以降にご期待ください。

リアル写真で花札を作る13-そもそも飛んでいる鳥を撮れていないよね-(それでも生きてゆく私287)

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藤に鳶

 嫌な予感はしていたのである。

 私は、4月のお題である藤に、鳥が集っている記憶がなかったのである。

 見たことがあるのは全くの偶然でこの花とはかなり離れたところを飛んでいる燕。
 もしくはおそらく蜜を吸いに来たクマンバチ。

 いずれも私の撮りたい「藤に不如帰」とはかけ離れている。

 しかも、花札に登場する藤は人間が人為的に作った藤棚で咲き誇る花房の長いタイプで、花の季節には好事家がぞろぞろとその棚の下を犇めき合うのが普通で、人に慣れている燕ですら近寄るのを躊躇うのも当然なのであった。

 だから私は最初からこのテの藤と不如帰(ホトトギス)を同じ写真の構図の中に入れることは殆ど期待していなかった。

 花は山藤。一緒に写る鳥は理想的には杜鵑(ホトトギス)だが、同じ科である郭公でも「あり」かなと思っていた。というか、ガタイが大きい分むしろ花札で藤と相棒になるのには相応しいかもしれない。あるいはこの際土鳩でもいいか、と思っていた。

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 私の棲む熊本県内で私ができるだけ長い撮影時間を確保できる藤の名所は3ヶ所である。
 しかし、そのうちで「人が邪魔しない」という条件を満たしている場所は1箇所のみ。

 まずはその場所で練習することにした。
 ここもそれなりに人が来る所なので、ホトトギスが出現することは殆ど期待できないのだが、少なくとも鳥が花の近くを通り過ぎたときは一枚ものにする練習をしたいと思ったのだ。

 時間としては4時間くらいいた。

 雀が何回か花の近くを通り過ぎた。

IMGP0416

 ちょうど画像の真ん中付近に雀が写ってあるのが分るだろうか。
 飛んでいる姿を撮ったつもりだったのだが、一瞬留まっていたようだ。というか、これは本当に雀なのだろうか。

 鳩も一回くらい通り過ぎたような気がする。

IMGP0425

 しかし、これも写っていない。

 そのうちに「カァー、カァー」と鳴きながら例の鳥が通り過ぎた。

IMGP0433

 これは流石に撮れないと拙いだろう、と思いつつシャッターを切った結果である。

IMGP0427

 烏は藤の花を通り過ぎて近くの枝に留まり、「カァーカァー(アホーアホー)」と鳴いていたが、しばらくすると行ってしまった。

 いずれにせよ、ここに不如帰はいない。
 「特許許可局」「特許許可局」という鳴き声が聞こえないからだ。
 
 残念だがもう少しだけ時間をズラして山の中で撮影をしよう。

 それにしても何時もの年より花が咲くのが早いような気がする。鳥はいつも通り来るだろうから、ミスマッチが怖い。「杜若に不如帰」などということになりそうだ。

リアル写真で花札を作る12-赤短の作成は自分との闘い-(それでも生きてゆく286)

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藤に赤短リアル河童

 Wikipediaで「短冊」と検索してみると、次のようにある。

  薄い木や竹の皮、紙を細長く切って短文の字を書くためのもの。

 つまり、短冊の材料は木、竹の皮、または紙であり、風にそよいでフラフラと形を変えるような代物ではないのだ。

 もしも私が家を建てたなら、じゃなかった、もしも私が短冊の意味を正確に理解していたら、短冊札は簡単に撮影できただろう。

 ただ、そうだったとしたら、それはPLAYとしての花札をする際に単に点数が高いということの指標を備えた札に過ぎなかったに違いない。つまりは「これはスカ札と違わないのだがゲームのルール上点数が高いだけの札でっせ」というような。

 花札のようなとことんデフォルメされて抽象化されたアイテムにとってはそれは当然備えておくべき特性なのである。
 ところが、これを一旦リアルに戻してみると、「短冊」という抽象化され象徴化されたパーツは違和感全開なのである。
 私は合成写真で「〇〇に短冊」を作った画像を見たことがあるが、何だか短冊が金属製の作りものに見えて仕方がなかった。それだけ人工的なイメージなのだ。

 ということで、このシリーズでは短冊札はあくまでも布の端切れで作成していく。自然のど真ん中で自然に恋して生きてゆく(どっかで聞いた台詞だな)。

IMGP0314

 するとこういうことが起こる。
 折角綺麗に撮れたのに。これでは短冊札にならない。

 特に藤札の赤短には「あかよろし」や「みよしの」のような文字が書かれていないために、ついつい「このへんでよかろ。どうせ赤札は変形していても文字が読めなくてもいいからな」という心理に襲われるのだ。
 実際、この日に撮った写真では「赤短札」の出来が一番良くなかった。


IMGP0318
KINO-SANKYO 13mm F1.4 + PENTAXQ10

 撮れている写真を色々と吟味した末に選んだのがこれだが、どうも今一つ藤らしさがない。

藤スカリフル01

 何せスカ札が「フジフジ」しているのだ。

 仕方がない。


藤に赤短リアル

 暫定ということで、「藤に赤短」、完成である。

 さて、いよいよ「藤にホトトギス」である。ホトトギスは来てくれるのか。

リアル写真で花札を作る11-藤スカ札楽々完成-(それでも生きてゆく285)

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藤スカ札2種完成

 私を身近で知る人はとっくに「飽きて止めてるよね」と思っていると思うのだが、私はまだリアル写真で花札を作ることを続行している。

2月梅札遂に完成
 既に2月の梅と、

桜4種リアル河童
 3月の桜は完成し、次は4月の藤である。

 ただ、4月の藤は難航が予想された。
 というのは、私が藤とコンビで登場するホトトギスという鳥をほとんど知らないからだ。

 したがって私はこのコンビを同じアングルの中に収めるに当たって相当量の予習を行った。
 「ヨウツベ(仮名)」で不如帰の動画を見たり、杜鵑の鳴き声を聞いたり、古今東西の文献を漁ってこの鳥について調べたりした(不如帰も杜鵑も読みは「ホトトギス」。この鳥には無数の漢字表現があるのである。)。

 まず鳴き声。これはやはり「特許許可局」と聞こえる、と覚えておけばこの鳥の鳴き声に初めて出会ったときには外さない。
 外観は郭公の小さな奴、ちょっと色違い、としか言いようがない。実際時鳥(これもホトトギスの漢字表記)はカッコウ科に属する同じ仲間の鳥なのだ。
 
 河童の托卵

 カッコウ科の鳥といえば、托卵という習性があることで知られている。

 托卵とは同じ種または違う種の鳥の巣に産卵し、卵を育てさせる習性である。

 カッコウ科の托卵は異種托卵として有名で、

カッコウのオオヨシキリへの托卵

 オオヨシキリのような小さな鳥がカッコウの巨大な雛を育てている映像は人間に何か理不尽なものを感じさせる。(写真はWikipedia)

 ただ、沓手鳥(これもホトトギスの漢字表記)の場合はこの点については身の丈に合ったもので、見方を変えればより巧妙で悪質といえるかもしれない。
 というのは、霍公鳥(これもホトトギスの漢字表記)の托卵はほぼ大部分鶯に対して行われるのだ。
 私が巧妙かつ悪質という訳は、子規(これもホトトギスの漢字表記)は体長28cm、これに対して鶯の雌の大きさは13cmと、杜鵑(これもホトトギスの漢字表記)の倍以上なのだが、卵は鶯のそれとほとんど変わらない大きさなのだ。かつ色はそっくりの赤褐色である。
 したがって鶯が托卵を拒否しようとしても、彼ら(彼女ら)にプログラミングされている育児行動からして、それは不可能なのである。

 閑話休題(いませかいでいちばんかわいそうなろしあのわかものたちなんじのもちばをほうきせよいっしょうのこるきずをおわなくていい)。

 私はこの話を知った時、「じゃあ鶯のいる藤の名所に行けばいいじゃないか」と閃いたのである。

 熊本の凄いところ、海にせよ山にせよ湖にせよ高原によ渓流にせよ中心地からだとほぼ1時間以内に行くことが出来ることだ。

 思った通り、「鶯のいる藤の名所」は自宅から車で30分ほどのところですぐ見つかった。


IMGP0304

 来てみると「ホーホケキョ」「ホーホケキョ」と五月蠅いくらいである。
 「梅の木には近寄りもしなかったくせに」とちょっと恨みがましい気持ちになる。
梅に鶯

 2月のお題「梅に鶯」は遂に撮れず、

梅に目白リアル

 結局目白で代用したのだ。

 さて、それはいいのだが、ホトトギスの声が聞こえない。
 もしいたら「特許許可局」「特許許可局」と鳴いているはずなのだ。

 取り敢えずスカ札から先に撮影することにする。

IMGP0323
KINO-SANKYO 13mm F1.4 + PENTAXQ10

 如何にも「藤色っ!」という感じの花房と、

IMGP0326
KINO-SANKYO 13mm F1.4 + PENTAXQ10

 ちょっと手替わりだが背景に水があって爽やかな感じの1枚である。

藤スカリフル01

藤スカリアル02

 PCで加工して完成。
 スカ札は柳札以外は構図が簡単だからいい。

 さて、次は「藤に赤短」である。



リアル写真で花札を作る10-桜札完成!次は藤札なのだが…-(それでも生きてゆく私284)

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桜4種リアル河童

 梅札に続いて桜札完成である。
 写真そのものはあまりいい出来とは言えないが、天候に恵まれたのと、何より桜そのものの美しさに助けられてどうにかそれらしいものが出来たと思っている。
藤に不如帰藤に赤短藤スカ

 さて、次は藤札なのだが、スカ札や赤短は別にして、藤に不如帰は果たして撮影可能なのだろうか。

ホトトギス

 ホトトギスは古来から日本人に親しまれ、文学作品などにもよく登場する。明治の文豪国木田独歩にはそのものズバリ『不如帰』という小説もあり、私も若かりし頃読んだことがある。しかし、実際に見たことがあるかというと甚だ心許ない。ネットで検索してみると写真も見ることが出来るのだが、どうも見覚えがない。もしかすると「やや小さい土鳩」と認識してそのまま見逃しているのかもしれない。(写真はWikipwdia)
 鳴き声は大昔の人は「ホ・ト・ト・ギス」と聞こえていたようでそれが鳥の名前にもなっているのだが、近代人には「特許許可局」と聞こえる、というのは人口に膾炙している。

 因みに「特許許可局」というのは冠に「東京」を付けて「東京特許許可局」という早口言葉にもなっているが、これは「血腫除去手術」並みの難題である。舌が幾つあっても足りない。
 ところが特許の許可に関する手続きは「特許庁」が行うのであって、特許許可局などという役所が存在したことは明治以来一度もないのだという。つまり早口言葉のために作られた架空の役所なのだ。

 閑話休題(そろそろはなふだのはなしにもどして)。

 不如帰は事程左様に私には馴染みのない鳥なのである。ましてや、藤の花の近くに飛来したのを見たことは一度もない。藤の花に飛来するものといえば、一番はクマンバチ、次が燕、それ以外は思いつかない。

 季節的には渡り鳥である不如帰は初夏に日本列島に飛来するのは山口素堂の

  目には青葉 山ほととぎす 初鰹

という俳句に読まれたとおりであるから、藤の花に飛来する可能性は十分にある。

 ただし、

  その声で蜥蜴(とかげ)喰らうか時鳥(ほととぎす)  榎本其角

 という俳句にもあるように肉食の鳥なので、目白(鶯の代替)のように花の木にわざわざ群がったりはしないだろうが。

 俳句で思い出したが、近代俳句の父と呼ばれる正岡子規のペンネーム「子規」もまたホトトギスの別名である。そして子規の創刊した文芸雑誌がそのまんま「ホトトギス」なのだ。子規がなぜそれほどまでにホトトギスに固執したかと云えば、この鳥は口の中が真っ赤だそうで、子規は持病の結核で吐血した自分の口腔をそれに準えたのだとか。あまり気味のいい話ではない。

 この「口の中が真っ赤」というホトトギスの容貌は古代中国人の想像力も刺激したらしい。
六朝時代の宋の劉敬叔という人が書いた志怪小説集『異苑』の南方随筆にはこうある。

[原文]
 杜鵑始陽相催而鳴、先鳴者吐血死。常有人山行。見一群寂然、聊學其聲、便嘔血死。初鳴先聽其聲者主離別。廁上聽其聲不祥。厭之法:當為大聲以應之。
[書き下し文]
 杜鵑(とけん)は始陽(しよう)に相催(あいもよお)してしこうして鳴き、先に鳴きたる者は吐血して死す。人山を行くに常に有り。一群を見て寂然(じゃくぜんとし)とし、いささかその声を学べば、すなわち血を吐きて死す。初鳴(しょめい)に先ずその声を聴く者は主に離別す。厠上(しじょう)にその声を聴けば不祥(ふしょう)なり。これを厭(いと)う法:まさに大声をなして以てこれに応ゆるべし。
[現代誤訳]
 ホトトギスは明け方に群れで競い合うように鳴くが、最初に鳴いた鳥は血を吐いて死ぬ。人が山の中を行くときには常についてくる。一群を見ると侘しい気分となり、ちょっとでもその声を真似したならば、たちまち血を吐いて死ぬ。初夏に鳴き始めた声を聴いたものは大事な人と死別してしまう。便所に入っているときにその声を聴くと大変不吉である。これを避ける方法:大声を出して鳴き声に答えるとよい。

 おいおい、随分と物騒な鳥じゃないか。撮影して大丈夫か?

 ただ、「常有人山行」とあるから、昔は随分沢山いたらしい。極めてありふれた鳥だったようだ。

 そう云えばWikipediaでこの鳥の鳴き声を聞いてみると、確かに登山などの時に山の中で聞いたことがあるような。ただし、やはり姿は見たことがない。

 ところで、『異苑』を書き下し文にするときに「始陽」という単語の意味が分からなくて苦慮したのだが、花札にヒントがあった。

松に鶴

 私は「松に鶴」にある赤い丸を月だとばかり思っていたが、
芒に月
 月は白で表現されているからこれは月ではなく太陽なのではないか。梟などは別にして、鳥は夜には活動しないから、いくら花札の絵柄は象徴的なものだといっても月と鳥が一緒に描かれるのはおかしい。鶴は夜は片足を上げて寝ている。唐の詩人白居易に「五弦弾」という詩がありその中に
[原文]
 夜鶴憶子籠中鳴夜鶴
[書き下し文]
 夜鶴は子を憶(おも)い籠中(ろうちゅう)に鳴く。
[日本誤訳]
 夜になると鶴は子のことを思って捕らわれた籠の中で鳴く。

という一節があるが、これは文学的表現というものであってリアルな話ではない。

 昔の人は現代の私達よりずっと自然の風物が身近だったから、花札にあり得ないように取り合わせはしていないと思う。やはりこれは赤い月ではなく太陽を描くときに月と区別するために取り入れられた技法だと考えた方が自然である。
 太陽だったら旭日を描けばよいではないかと考えるかもしれないが、花札の絵のすっきりしたシンプルさをもう一度見てほしい。ここに旭日を描いてしまったらどれほど違和感があるか。風流が台無しである。

藤に不如帰
 ということで少々強引な説になってしまったが、そうした目でよく見ると、ホトトギスの後ろにも赤いものが。ネットで調べると、この三日月形の太陽は明治時代までの花札にはなかったもので、「背景の差し色として」各地で描かれていたバリエーションの一つだそうだ。松札の赤い丸が海岸に昇った朝日だとすると、これは山の中に射し始めた朝日に違いない。つまりこの絵札は『異苑』の記述を踏まえたものなのだ。もっとも、野鳥図鑑などを見るとホトトギスは夜も鳴きながら飛ぶらしいから、赤い月であるという可能性も否定できない(結局どっちなんだ)。
 
 よくよく花札の絵を見ると、デフォルメされていて構図的に写真では撮れないというものはあるが、風物の組合せが絶対にあり得ないというものはほとんどない。桐と鳳凰くらいである。これは鳳凰が架空の動物だから仕方がない。しつこいようだが昔の人は自然のことを本当によく知っていたのだ。

 とすると、ここに登場する藤(私は子供の頃これを「黒豆」と呼んでいたが)はやはり山藤なのだろう。藤に不如帰の撮影は山の中でということになりそうだ。


リアル写真で花札を作る9-人間辛抱の桜に幕-(それでも生きてゆく私283)

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桜に幕リアル河童

 スカ札と赤短札が撮れたらいよいよ「桜に幕」である。

 ただ、私はこの幕札について、どういう方法で札の構図を実現するのか、頭を悩ませていた。

桜に幕

 これはおそらく花見の宴を取り囲んだ幕の外からそれを少し小高い所から見下ろした構図である。
 ところがこの構図をまるっきり忠実に再現したら、私はそれを作るための費用で破産してしまうだろう。
 群生する桜を取り囲む幕は半端な金では買えないだろう。第一この札と同じ模様の幕など見たことがない。これを特注したら一体幾らになるのか。
 しかも、これで桜の生えた場所を取り囲んでいたら、地域の住民が一体何をしているのかと不審に思うだろう。悪くすれば警察に通報である。

 仕方がないので、スケールをぐっと小さくすることにした。

IMGP0120

 これが私が端切れで作った「幕」である。
 青・赤・紺の端切れを布用のボンドで張り合わせ、さらに幕っぽくするために黄色の端切れで輪っかを作り、それに札の絵のとおりのバッテン印を刺繍した。
 私は中学校の家庭科で裁縫をして以来40何年振りかに裁縫をしたので、針になかなか糸が通らなかったり、裏から針を通すその場所に指先があって針先が突き刺さって痛い目にあったり、まあエラいことだった。 妻が興味津々で見ていたのでよほど泣き付こうかとも思ったのだが、これはやはり自力で成し遂げなければせっかく「リアル花札」を思いついた甲斐がない。

IMGP0191

 ところがこれが赤短より面積が大きいため、吹き抜ける風に揺れてなかなかうまく行かない。
IMGP0193
KINO-SANKYO13mmF1.4 + PENTAXQ10

 どうにか使えそうな画像の撮影に成功。

桜に幕リアル

 画像に比して幕の面積が大きすぎるため、普通に枠を掛けると紺色が画面に入らない。
 苦心惨憺してどうにか花札に仕上げることが出来た。

 これで桜札4枚揃い踏みである。

リアル写真で花札を作る8-困難を極めた桜に赤短-(それでも生きてゆく私282)

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桜に赤短リアル河童

 さて、桜スカ札2種の撮影は無事終了。
 次は桜に赤短である。

 花札の赤短には3種類ある。

 一つは「あかよろし」(現代誤訳:明らかによろしい)。これは梅(撮影終了)と松に登場する。

 もう一つは何も書いていない赤短。これが一番多くて杜若・藤・萩・柳。

 最後に今回の主役である「みよしの」である。


桜に赤短

 この赤短も「あかよろし」と同じく「みなしの」と誤読している人が多いが、これは「みよしの」と読むのが正しい。

 由来は

[短歌]
 み吉野の 高嶺の桜 散りにけり 嵐も白き 春のあけぼの
[現代誤訳」
 吉野の高峰の桜が散ってしまったなあ。春の明け方の朝日に照らされる明るい嵐によって。

 という後鳥羽天皇の歌によるらしい。

 後鳥羽天皇は後に後鳥羽上皇となって三大集の一つである「新古今和歌集」を編纂した歌人である。
 ところが、鎌倉幕府の執権北条義時に対して承久の変を起こして敗れたために隠岐の島に流され、そこで没した。

 後鳥羽上皇の歌で有名なのは百人一首に収録された歌で、

[短歌]
 人も惜し 人も恨めし あじきなく 世を思ふゆえに もの思う身は
[現代誤訳]
 人が愛おしくも恨めしくもある。思うようにならない世情を考えるゆえに憂いを深める私にとっては。

 この歌は多少でも古典文学に触れたことのある人なら誰でも知っている歌であろう。

 閑話休題(はやくしゃしんのはなしをしろよ)。

 桜スカ札の次は短冊札である。

IMGP0188

 ところが、この桜は目立たない場所にある。
 目立たない場所にあるということは、山でいえば尾根でなく谷にあるということだ。
 谷は風の通り道になる。
 短冊がうまいこと吹かれてそよいでいる構図にどうしてもならない。

IMGP0184

 しかも、比較的うまく写っているものは、よく見ると背景に人家が写り込んでしまっている。

 これを我が愛機ペンテコステオバQの小さなモニターで確認しなければならないのだから骨である。
 「スマホで撮ったらどんなに楽だろう」という考えが脳裏をよぎる。

 私は最近スマホを替えたのだが、この「平安京エイリアンZホールド3」はカメラが無茶苦茶鮮明で、しかも撮影直後にモニターで写真の出来を確認できるという、一昔前のデジタル一眼よりはるかに高性能のカメラを搭載しているのだ。

 閑話休題(すまほじまんはまたこんどにしろよ)。


IMGP0242
KINO-SANKYO 13mm F1.4 + PENTAXQ10

 なんとか満開の桜の雰囲気を残せそうな画像をゲット。


桜に赤短リアル

 周囲が明るすぎて短冊の文字が鮮明でなかったのでちょっとだけ手を入れたが、合成したわけではないからこれでよしとしよう。
 それにしても桜が綺麗なこと。スマホで撮ったらもっと綺麗と云う話もあるが。でも桜、特に染井吉野はオールドレンズで撮った方が印象的な写真が撮れるような気がする。

 とりあえず「桜に赤短」完成。
 次はいよいよ「桜に幕」である。

リアル写真で花札を作る7-さあ次は桜-(それでも生きてゆく私281)

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桜スカ札2種完成


 2月梅札4種は完成した。
 次は3月桜札である。
 花札の季節は旧暦の世界なので、私達日本人が生きている新暦の世界とは1月半くらい遅れる。
 つまり、梅は花札では2月の風物なのだが、これを写真に撮って花札を作ろうとすれば3月に撮影しなければならない。
 そうでないと、
  梅一輪 一輪ほどの 暖かさ    服部嵐雪
という状態になってしまう。
 新暦の2月に花札のように満開で咲いている梅など、日本列島の中では一番暖かい九州ですら新暦の世界ではありえない。 琉球列島では1月の下旬には満開になるらしいが。

 閑話休題(さくらのはなしだった)。

 事程左様に旧暦と新暦にはズレがあるのだが、どういう訳か、桜に関しては我が九州ではそのまんま3月なのである。つまり、新暦でも桜が満開になるのは大抵の場合3月なのだ。といってもこれまた大抵下旬だが。私の人生60年で4月に桜が満開になったのは(少なくとも九州に在住していた限り)1度しか記憶にない。これは私の人生の大半が「人にものを教える」という私にとっては最も苦手なことに費やされており、ほとんどの年の4月上旬には入学式に仕事として出ているからほぼ間違いない。

 それどころか多くの日本の歌手は「桜歌(今思いついた新造語)」を卒業に相応しい歌詞で作詩して歌っているが、温暖な西日本で「桜舞い散る」景色の中で見送られた卒業生など古今(東西と言いかけたが日本列島はものすごく東西に長いのだった)存在しないのではないだろうか。

 ということで、梅札の撮影から2週間も経たないうちに慌ただしく桜札の撮影に出かけた私である。

 自然豊かな熊本県には桜の名所が数多あるが、桜札の撮影のためには桜の花と幕および短冊を絡ませる必要がある。
 これを衆人環視の中で行う度胸は私にはない。
 熊本県人は過去の調査では日本一「日本人度」の高い人たちである。
 この日本人度についてはいろいろな要素があるのだろうが、少なくとも熊本県人である私が痛感しているそれは熊本弁でいうところの「世話焼き」である。標準語では「親切」というのだろうか。あるいは、少々否定的なニュアンスでは「お節介」ともいうが。

 そこで、私達夫婦が普段飲料水を汲みに行く湧水への裏ルート(「グルグル先生(仮名)」に教えてもらった)にある、目立たない桜で撮影することにした。

 とある日曜日、最近開店した韓国食品の店で私達夫婦の大好物である生マッコリを買った後、水汲みに向かう。件の桜の横を通り過ぎるが、ここで「撮影しよう」などと云うと「水汲みが先でしょ!」と怒られるのは必定だから、黙っている。
 幸い水汲み場は今日は空いていた。多い時には随分待たされるから、もしそうだったらイライラはピークに達していただろう。
 ところが、水を汲み終わった妻が、「ねえ、土筆が生えてるよ。」と目敏く見つけた。
 二人で土筆を摘み始めたのだが心はさっきの桜に飛んでいるから上の空である。内心「土筆なんかいいのに…」とも思うのだが、優しい妻は自分は土筆を食べないのにそれを楽しみにしている私のために毎年袴を取ったりなんだりと面倒な調理をして土筆の佃煮を食べさせてくれるのだから、それを口に出したら罰が当たる。というより、妻の激怒に当たる。

 やっと土筆を採り終わって、出発。

 桜は水汲み場のすぐ近くである。

IMGP0177
KINO-SANKYO13mmF1.4 + PENTAXQ10

IMGP0213
CINE-NIKKOR38mmF1.8 + PENTAXQ10

 まずはスカ札用の撮影である。
 スカ札は2種類作る、という前提で2枚。

 いつもながらDマウントレンズ特有の柔らかな写りである。鮮明でない、ともいうが。

 この2枚はスカ札に生まれ変わった。

桜スカリアル
桜スカリアル02

 染井吉野は色が薄いから花札には合わないかな、とも思ったのだが、なかなか上品な仕上がりである。梅と区別がついて却っていいか。

 さあ、次の短冊だが、これが困難を極めることになる。以下、次号。

リアル写真で花札を作る6-おっと忘れてた梅スカもう一枚-(それでも生きてゆく私280)

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2月梅札遂に完成

 どうも忘れっぽくていけない。
 考えてみたら花札のスカ札は2枚ずつあるのだ。
 しかも、「どうせスカだから同じデザインが2枚あるんだろう」と思っていたら、よく見るとデザインが違う。
 だから、2月の梅札はもう一枚スカがあって初めて完成なのだ。
 ということで、慌ててそのとき撮った梅の写真を漁る。
 早く短冊札と鶯札を撮りたかったので実にぞんざいにしか撮っていない。

 IMGP9848
PENTAXQ10+CINE-NIKKOR38mmF1.8

 どうにか使えそうな写真を発見。どうせ作るのだからもう一枚とは趣の違うのがいいかと思って白梅を採用。これは桜をソメイヨシノにする場合には色が似ていて若干紛らわしくなるのだが。まあ花札をする人は風流を解する人だから梅と桜の区別位つくだろう。

梅スカリアル02

 ということで梅スカリアル2完成。

梅4枚揃い

 これで2月梅札揃い踏みである。

リアル写真で花札を作る5-梅に鶯(目白) 暫定-(それでも生きてゆく私279)

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梅に鶯リアル河童
 都会に住んでいる人の中にはウグイスの生の声を聞いたことがないという人がいるかもしれない。
 鶯は熊本県で云えば私が以前住んでいた三角町のような田舎でないと生息していないからだ。
 ところが、田舎に住んでいる人でも、実は鶯を見たことがない人が結構いる。
 こういうことを云うと、「失礼なっ!鶯ぐらい見たことあるぞ」と口角泡を飛ばして反論してくるのだが、「どこで見ました」というと、「梅の花や杏の花に群れで来るじゃないか!」などと答えたりする。それ、目白です。

恐怖の鶯色

 鶯は本当に用心深い鳥で、声は聞けても姿を見ることができるのは類稀なる幸運に恵まれたときだけである。

恐怖の鶯色02

 しかも人々が思っているよりずっと地味な色をしている。

未知との遭遇

 私は三角町に6年間居住し、毎日人気の無い早朝に散歩をし、春から秋にかけてほぼ毎日「ホーホケキョ」という鳴き声を聞きながら歩いていたが、「あのへんにいるんだろうな」というくらいの見当は付けられても、見ることができたのは2回だけ、しかも止まっていたのは2回とも電線だった。

 集団でいるのは見たことがないから、相当縄張り意識の強い鳥に違いない。

 この日の梅林にも鶯の姿は勿論声すら聞こえず、いるのは目白とヒヨドリとヒタキだけだった。

 目白v.s.鵯の争闘もバードウォッチャーたちの間では有名である。これは大抵身体の大きい鵯の勝ちになるのだが、これに人間が絡むと彼らの可愛いもの見たさというか、判官贔屓というかで鵯ほどには人間を恐れない目白の勝ちになったりもする。

IMGP0109

 特に目白もまた鶯同様縄張り意識が強いから番以外ではほぼ単独行動なのだが、この季節はなぜか集団でいることも多く、そうなるとタイマンでは負けない鵯も数の力に負けて近寄れず、目白の我が世の春が実現しているのだ。

IMGP0047

 こうして可愛いメジロが梅や杏の花を啄むという、人間にとっては極めて好ましい風景が実現するのである。

 どう考えてもここに鶯が単独で割り込んでくる構図は考えにくい。

IMGP0114

    ただ、ほぼ同じ大きさのヒタキは隙を見て入り込んできていたから、あるいは鶯も何らかの条件が揃えば梅の花を啄む姿をカメラに捉えられるかもしれない。

 少なくとも今年のこの場でそれを待ち続けるより、取り敢えず「暫定」で目白を鶯の代替として花札を作成することにした。

 本物の「梅に鶯」は来年以降の梅の季節に期待である。

IMGP0051

 だが、花の蜜を求めてすばしこく動き回る被写体をマニュアルフォーカスで捉えるのはなかなか骨である。梅の木の位置の関係で近くに座ったりする場所がない。2時間立ちっぱなしで付け狙う。レンズは「木星11号135mm(仮名)」というロシアレンズである。愛機ペンテコステオバQに装着するとフルサイズ換算で750mmくらいの超望遠撮影だから、目白がちょっと動くとすぐに画面から消えてしまうのだ。特に花札作成のために普段あまり撮らない縦長の画像を取ろうとするからなおのこと難しいのだ。

IMGP0021
JUPITER11 135mm F4 + PENTAXQ10

 遂に一枚、奇跡としか思えない構図で目白を捉えた。

梅に目白リアル

 家に帰って早速花札化。
 多少トリミングした以外は一切加工していない

 「リアル梅に鶯」完成である。

 ただし、本当の鶯がいつか梅の木に来訪するかもしれないので、その時までの暫定である。生きてる間に作れるかな。

3月梅3種

 2月梅3種完成。次は3月桜である。

リアル写真で花札を作る4-梅に赤短 暫定-(それでも生きてゆく私278)

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梅に赤短リアル河童

 さて、初回の梅撮影ではスカ札しか作れなかった私である。

梅スカリアル

 dマウントレンズの特徴を生かしたなかなかの出来だと自分では思っているのだが、「ただの風景写真に額縁を付けたもの」と云えなくもない。
 やっぱ花札っつやー花だけじゃなく動物がなきゃいけない(江戸っ子調で)。

IMGP9857

 ということで再び家の近所の梅林に登場。前回は多少なりと人がいたので、もっと無人に近い平日に仕事をサボって、じゃなかった(冗談)、用事で年休を取ったついでである。
 ついでに「梅に赤短」も撮ってしまおう。

梅に赤短

 ご存知のように梅に赤短といえば「あのよろし」と書いた短冊が梅の前で風にそよいでいるデザインである。
 ところで、この短冊はおそらく世間の90%以上の人が「あのよろし」と書いてあると思っているのだが、実はこれは「あかよろし」と書いてあるのであるのである(大隈重信調で)。「の」に見えるのは「か」の変体仮名で「可」の草書体をさらに崩したものなのだ。
 あかよろしは「明宜し」で、「明らかに良い」という意味である。

 しかし、いろいろな種類の花札を見ても、「の」と書いてあるとしか見えない。おそらく花札の絵師たちも「あのよろし」だと思っていたのではないか。

梅に鶯

 これは「梅に鶯」の鶯が何となく目白っぽいのとご同様である。

 閑話休題(としよりははなしがくどくていけねえやとえどっこちょうで)。

 花札の赤短には2つだけ字の書いてあるものがあって、一つが「松に赤短」「梅に赤短」の「あかよろし」、もう一つが「桜に赤短」の「みよしの」である。

 「リアル花札」であるから、私はこれを写真に撮るために作らなければならないのだ。

 私は画家の孫の癖(本当)に手が不器用で、中学校の技術の時間などで自分の組み立てたラジオが鳴ったためしがない。自分で作った本箱も机の上に置くとガタガタして腰が据えられない。字も下手だ。

 そこで一計を案じることにした。
 まずパソコンで作った文字を紙に印刷し、それをくりぬいたものを布に貼り、黒のスプレーを吹きかけるという手法を考案した。
 1時間くらいかけて字の部分をくり抜き、近所のホームセンターで買ってきたラッカースプレーを吹き付ける。層になるくらいに厚く吹き付けたのでなかなか乾かない。倉庫に入れて一晩置くことにした。

無残な失敗

 これが一晩おいて完成?した無残な短冊である。
 布だから油性でも染み込むということを忘れていた。

 幸い、紙をくり抜いたときに出たゴミが見事な文字の形をしていたので取っておいたのが幸いした。これを布に貼りつければいい。
 あとはこれに掲示用の糸を取り付けて完成。

 梅林に来てみると、人がほとんどいないせいか、目白たちがぴゅるぴゅるいいながらあちこちで花を啄んでいる。これは時間がかかりそうだから後回しにして、「梅に赤短」の撮影にかかる。

IMGP0071

 ところがその日は風がやけに強い。というより、この梅林はどうやら地形的に風の通り道になっているようだ。
 撮影は困難を極めた。

IMGP0060

 最初は「梅スカ」と揃えようと薩摩梅という品種のもので写真を撮ろうとしたのだが、どうも短冊を懸けられる枝に適当なのがなく、花札らしくならない。

IMGP0103

 仕方がないので別の品種のしだれ梅で撮影することにする。

IMGP0036

 これまた風に邪魔されてなかなかいいアングルのものが撮れない。

IMGP0034

 綺麗に撮れていても合成写真っぽいのは嫌だし。

IMGP0039
KINO-SANKYO 13mm F1.4 + PENTAXQ10

 50枚近く撮った中で「まあこれかな」という1枚に決定。短冊の一部が花の後ろに隠れているのがリアルでよろしい。あかよろし。

梅に赤短リアル
 (PENTAXQ10+Cine-NIKKOR38mmF1.8)

 「梅に赤短」、暫定である。

 この項を書いてしまってから気付いたのだが、短冊って紙製だよな。まあ、いいか。布製の方がリアルっぽくて。


 さあ、次はいよいよ「梅に鶯」だ。

リアル写真で花札を作る3-リアル花札の自分ルール-(それでも生きてゆく私277)

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花札プロジェクト

 突然の思い付きで「リアル写真花札」を作ることになった私である。
 先述のように「リアル花札」を作った人は既に存在するから、二番煎じにならないためにルールを決めておきたい。これは全くの自分ルールであるから、「これがリアル花札じゃーい!」という触れ込みでネットで公開する人がいたとしても、私は「ルール違反だっ!」などとは言わないし、ましてや「アイディアを盗まれたっ!」と言ってガソリンを買いにいったりもしない(当たり前だ。と思ったが、最近当たり前じゃない人の不満が高まっているようだから)。
 それでは、私の自分ルールである。
1.撮影するレンズはオールドレンズ。
 できればシネレンズ、贅沢をいえばDマウントレンズ。
 なぜかといえば、現在のデジカメやスマホのレンズは近い物から遠い物まで一つの構図に鮮明に収めてしまうことができるからだ。これだと「スマホに写真を撮って貰っている」だけで、「自分で写真を撮る」楽しさなどありはしない。
2.写真を合成しない。
 たとえば「月に雁」の絵札を作るときには、月と雁を別々に撮って編集ソフトで同じ構図に入れない、ということだ。現在のバーチャルリアリティーの技術ならば清少納言(リアル、は無理か。)と綾瀬はるかが手をつないで写っている写真でも容易に作成可能だろう。
 あくまでも、同一の場所で同一の時間にその写真の構図の中に入っているものだけで勝負である。
3.代替物はできるだけ映りが近いものを。
 花札にはもはや過去のものになって写真に収めるのが不可能なもの、たとえば小野道風や、想像上のもの、たとえば鳳凰などが登場する。1.2.のルールに従えばこれらの被写体の登場する札は絶対的に撮影不可能ということになるので、これについては代替物を認めざるをえない。
 取り敢えず通常の撮影では絶対に無理なこの2つについては、小野道風は平安貴族の格好をしている現代人、鳳凰は花札の絵師がおそらく念頭に置いて描いたであろう雉を代替物にして撮影しようと思っている。
 もし賛同いただけるのであれば、全国に同好の士を募ってコンクールを行ったら楽しいだろうな、と思うのだが、このテの呼びかけをして一度たりと反応があったことがないし、何かを主宰するのは面倒くさいので、忘れてください。

妻は大根の夢をみる(それでも生きてゆく私)

大根切ったら腐ってた

 熊本は農業大国である。

 藺草、カスミソウ、西瓜、トマト、デコポン、夏蜜柑、葉煙草は全国1位の生産量を誇る。
 さらに栗、土耳古桔梗、茄子、生姜が全国2位、メロン、苺、カリフラワーが全国3位、温州蜜柑が全国4位、アスパラガス、鞘豌豆が全国5位、甘藷が全国6位。米は生産量こそ全国15位だが、食味に関するコンクールで何度も全国1位に輝いている。(「くまもとの農業2020」による)

 そんな中、大根の生産量は全国18位で、1位の神奈川県の10分の1程度で遠く及ばない。同じ九州の宮崎県(2位)や鹿児島県(7位)にも後れを取っている。

 しかし、その食味は決して上位の県には劣らない(んじゃないかな)。

 特に湯島大根は最近全国的にも名が売れてきた。

 この大根は品種はタダの青首大根だが、有料で売られている、という定番の我ながら下らない冗談は別にして、どういう訳かありふれた青首大根が、天草の離島であり天草五橋の架橋に尽力した森慈秀の故郷である湯島で育てると、そんじょそこらの大根とは全く違う性質の大根になるのである。

 まずデカい。普通の大根の2倍は優にある。
 そして甘い。ヒネた大根はどうかすると口が曲がるほど辛いものだが、生で食べても「砂糖が塗してあるのではないか」というくらい甘い。というのは大げさだが、「生でも食べられる」という触れ込みのとれとれのスイートコーンくらいの糖度はあるのではないかというくらいに甘い(本当)。
 そして加熱しても煮崩れしないから、安心して長時間煮られる。
 しかもいくら加熱してもあの大根独特の少しオナラに似た変な風味が出ない。実は私はこれが湯島大根の最大の特長なのではないかと思っている。

 さて、我が家で湯島大根を料理するのは妻の役割である。これは別にジェンダーに基づく分業ではなくて、大根を使った料理が妻の得意な料理の分野だからだ。私の得意な料理は中華料理・韓国料理・刺身であって、それ以外の和食は妻が得意である。
 妻は湯島大根を主におでん、鰤大根などにする。薄切りにして唐墨を挟むのもこの大根の甘みをよく生かした料理なのだが、これは主に後者の値段が原因で滅多に食卓に上がることはない。それにしてもこうした料理ではまず大根に箸を付けたくなるほど美味い。

 先日、妻はいつものように調達してきた湯島大根を調理しようとしていた。
 まず葉を少し身を付けたまま包丁で切り落とす。包丁は隣国からやってきてとうとう妻の常使いにまで出世した韓国製の手打ち包丁である。

 ストン、と包丁が大根の首を切り落とした瞬間、妻は眉を顰めた。
 くっ、臭い!
 よく見ると、中が腐って変色している。
 えーっ、こんなことあるの、と思いながら、大きな大根のあちこちを切ってみるが、やはり腐っている。なぜ買う時に気付かなかったのか。中はほとんど全部腐っている。
 なにより臭い。煮すぎた大根の臭いを100倍凝縮したような、いわゆる鼻が曲がる臭さである。
 ああ勿体ない、貴重な大根を腐らせてしまった。
 それにしても臭い。臭いっ! たまらない!

 と思ったとき、妻は眼が覚めた。寝汗をぐっしょりかいている。
 ああ、夢だったのか。妻はほっとした。

 だが、鼻の中にあの腐った大根の臭いが残っている。いや、残っているのではなく、臭いのだ。
 煮すぎた大根の、あの、オナラを思わせる臭い。ではなくて、これは「それ」そのものではないのか。

 妻は自分の隣に横たわっている男に眼を向けた。
 尻をこちらに向け、いびきをかいて眠っている。

 こいつか?!

  

リアル写真で花札を作る2-梅スカ札暫定-(それでも生きてゆく私276)

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梅スカリアル河童

 ということで、(何がということでかよく分からないが)、まずは2月の札である「梅に鶯」「梅に赤短」「梅スカ」の札を作ることにした。

 家の近くに梅の名所がないため、日帰りで撮影して帰れる範囲を探す。
 「梅に鶯」を撮るためにはできるだけ沢山の梅が咲いているところを選定するべきだが、沢山梅が咲いているところには沢山の人がいる可能性が高い。

 去年や一昨年ならばそんな所でもガラガラだったかもしれないが、もうどんな医学の権威が「自粛してください」と言っても、人流が減っているとは思えない。おそらく私のような職域の人間以外はもう自粛に「飽き飽き」(最近いろいろな人からこの言葉を聞く)のようなのだ。
 候補地の中から一番人が少なそうな場所を探して出発。


IMGP9857

 家から30分ほどの梅林公園で「梅まつり」が行われていた。
 いつもの年だったら撮るまいと思っても人が写ってしまうほどの人出だが、今年はこの通り。

IMGP9846

 紅梅、

IMGP9849

 白梅、

IMGP9843

 しだれ梅などを撮影。

 これでスカ札は確保である。
 
 ここで短冊を忘れていることに気付く。「リアル」と銘打っているからには画像の加工ではなく1回で撮影した中に短冊を入れなければ。仕方がない。布を買って自製することにする。もう一回来なければ。盛りに間に合うかな。

 次はメインの「梅に鶯」である。
 さっきから鳥の鳴き声は五月蠅いくらいに聞こえてくるが、「ホーホケキョ」は聞こえない。いないのか、まだ鳴いていないのか。確か鶯は3月くらいまでは「笹鳴き」といって全然鶯らしくない鳴き方らしいのだ。

 よく見ると、全開になってもう萎みかけている紅梅に群れでたかっている小鳥たちがいる。
 目白である。
 そう、古来から日本人の中にはこの鳥を鶯だと誤認している人が沢山いるのだ。

 私は何とか鶯を自分のカメラの映像に捉えようと執念を燃やしてきたから、幾ばくかの静止画と映像はものにしている。
 だが、この鳥が滅多なことでは梅の花を目当てにこの木に来ないことは知っている。というより、古来から本当に来たことがあるのか。

 私は取り敢えず「梅に目白」を映像に捉えようとした。
 私たちの生きているデジタル時代は、「とりあえず撮っておいて後から差し替える」ということが可能なのだ。

 ところが、少ないとはいえ、0ではない人たちが皆カメラやスマホを構えて自分たちを狙っている状況に目白君たちは何か居たたまれないものを感じたらしく、一斉に飛び立って近くの竹林に逃げ去ってしまった。

 私はじっと彼らが梅の木に戻ってくれることを待ったのだが、その場に居合わせた人々もまた私と同じようにじっと待っているのである。
 彼らは別に人間に受けようとしてその場に集まっているのではなく、単に梅の蜜を吸いたくて来たにすぎないのだから、そんな好奇の目線に耐えられるはずもない。何時まで経っても梅の木に帰ってこないのだった。
 「平日に年休を取って来よう」と私が決意するまで30分もかからなかった。

 したがって、今回の獲物は一つだけ、「梅スカ」である。

梅スカリアル
Cine-Nikkor38mm F1.8 +PENTAXQ10 

 花札の縁といえば黒か赤なのだが、実際に紅梅と合わせてみるとまったく不自然だったので、エビ茶色にしてみた。これを他の札と比較して調整できるのもデジタルの良い所である。

 「梅に鶯」と「梅に赤短」はまた近々撮影に出かけようと思っている。

 「ネットチクリ」や「ネットシブタレ(©白土三平)」のために一言。
 私はこの梅林で一言も喋っていないし、食事も撮っていない。念のため。

リアル写真で花札を作る1-巣籠り生活の暇に任せて-(それでも生きてゆく私275)

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リアル花札の難問集

 COVID-19のパンデミックが始まってからめっきり減ったのが外出である。趣味の韓国旅行はもちろん、ちょっとした国内旅行さえ出来なくなってしまった。何処にも寄らずに帰ってくるドライブを「旅行」と名付けて1ヶ月に1回くらいするくらいである。ほぼ「巣籠り」と呼んでいい状態だ。

 それだったらブログでも更新したらいいじゃないかと言われそうだが、部屋でじーっとしていると碌な考えは浮かばない。TVやMeTube(仮名)を見て人が発信している情報を面白がっているばかりで、自分から何かを発信しようという気にちっともならない。

 そんなとき、ふと頭に浮かんだ、というより湧いてきた考えでやっと元気が出てきた。

 花札の構図で写真を撮って「リアル花札」を作ったらどうだろう。

 わくわくしてきたが、妻がいつも私を窘めるときにいう「私たちの考えているようなことはとっくに誰かが考えてるよ」という言葉が甦ってきて、類似のことをしている人がいないかググってみた。

 ああ、やっぱりいた。もう12月分完成している。がっかりである。
 ただ、花札の構図をそのまま写真に撮るのは相当難しいらしく、個別に撮った写真を合成して作ったものである。

 もし花札の構図のままに1枚の写真として撮ることができれば、「本邦初」と云えそうだ。

 ただ、実際に撮ることが可能なのだろうか。困難、ならばやってみる価値があるが、不可能、だと時間と労力の無駄、ということになってしまう。(まあ有り体に言えば私の人生そのものがそんなもんだが。)

 そこで暇に任せて、まず花札のそれぞれの札にはどんな事物が描かれているのか検討することにした。

1.月:松に鶴:松・鶴・満月 松に赤短:松・あかよろし赤短冊 松スカ:松
   松に鶴松に赤短松スカ

2月:梅に鶯:梅・鶯 梅に赤短:梅・あかよろし赤短冊 梅スカ:梅
   梅に鶯梅に赤短梅スカ

3月:桜に幕:桜・幕 桜に赤短:桜・みよしの短冊 桜スカ:桜
   桜に幕桜に赤短桜スカ

4月:藤に不如帰:藤・不如帰・三日月 藤に赤短:藤・無地の短冊 藤スカ:藤
   藤に不如帰藤に赤短藤スカ

5月:杜若に八橋:杜若・八橋 杜若に赤短:杜若・無地の短冊 杜若スカ:杜若
   杜若に八橋杜若に赤短杜若スカ

6月:牡丹に蝶:牡丹・蝶 牡丹に青短:牡丹・無地の短冊 牡丹スカ:牡丹
  牡丹に蝶牡丹と青短牡丹スカ

7月:萩に猪:萩・猪 萩に赤短:萩・無地の短冊 萩スカ:萩
  萩に猪萩に赤短萩スカ

8月:芒に月:芒・月 芒に雁:芒・雁 芒スカ:芒
  芒に月芒に雁芒スカ

9月:菊に盃:菊・寿の盃 菊に青短:菊・無地の短冊 菊スカ:菊
  菊に盃菊に青短菊スカ

10月:紅葉に鹿:楓・鹿 紅葉に青短:無地の短冊 紅葉スカ:紅葉
  紅葉に鹿紅葉に青短紅葉スカ

11月:柳に小野道風:柳・蛙・小野道風・曲水
   柳に燕:柳・燕
   柳に赤短:柳・無地の短冊
   柳スカ:柳・雷・何か獣の足の一部
  柳に小野道風柳に燕柳に赤短柳スカ鬼札

12月:桐に鳳凰:桐・鳳凰
   桐スカ:桐
  桐に鳳凰桐スカ黄色桐スカ白色
   
 こうして抽出してみると、早くも無理筋のものがいくつかある。
桐に鳳凰

 まず12月の鳳凰。これは想像上の動物であるから写真に撮るのは無理だ。これは代替の鳥を考えなければならない。
柳に小野道風

 11月の小野道風。この人は1000年以上前の平安時代の人だから、現代の蛙や柳と同時に撮影するのは無理だ。これは誰かに扮装してもらうことで誤魔化そう。
梅に鶯

 2月の鶯と梅。これは鳥のことをよく知らない人ならば「撮れそうじゃん」と思われるだろう。もしかすると「私は梅に鶯が止まっているのを見たことがある」という人もいるかも知れない。それ、目白です。確かに目白はよく梅や桜の花を啄んでいる。だが、私はもう60年田舎に住んでいるが、鶯が梅に止まっているのなど見たことがない。第一鶯と云うのは物凄く警戒心の強い鳥で、「ホーホケキョ」という鳴き声は春になれば何時でも聞けるが、姿はそう簡単に見せないのだ。私は何年も付け狙ってやっとのことでこの間電線に止まっているのを辛うじて撮影出来たくらいだ。
 ただ鶯の撮影は不可能という訳ではないので、梅のそばで気長に待つしかない。
萩に猪

 7月の萩と猪。以前住んでいた熊本県の天草や三角では餌の少なくなる冬場になると時々見かけた。しかし、萩の葉蔭から顔を出しているこいつを猟師以外の人が冷静に見られるものなのだろうか。
 それに花札のこいつは妙に象徴化されているにも関わらず、明らかに勇み立っている。
 「リアル花札を撮影しようとして遭難」というシチュエーションは、現代の日本人にあまりにも増えてしまった「自分の利害とは関係なく他人が得することや楽しそうにすることは許せない」という人々の格好の標的になりそうである。「死屍に鞭打つ」という、かつては大陸でしかお目に懸かれなかったメに自分が遭いそうだ。
 まあ私の愛機「ペンテコステオバQ(仮名)」は超望遠撮影が可能だから、100mくらい離れたところかな狙おう。

藤に不如帰

 4月の不如帰も私は60年の人生で一度も見たことがない。もしかしたら遭遇したことがあるのかもしれないが、知識が乏しくて気付かなかったのかもしれない。これが藤の花房の間を飛んでいるのは勿論見たことがない。クマンバチはよく見かけるが。
 ただこれは普通の観賞用の藤棚での話だから、山の中の山藤だったら不如帰と同時に写真に収めるのは可能なのかもしれない。

松に鶴
 1月の鶴。満月と一緒だが、鳥だから夜は寝てるんじゃないのか。
 これは有明の月と一緒に撮ればいいか。鹿児島は出水市のクレインパークまで行く必要があるが。

松スカ梅スカ桜スカ藤スカ杜若スカ牡丹スカ萩スカ芒スカ紅葉スカ桐スカ白色

 第一、スカ札は季節の植物だけだからこれは撮影可能である。とりあえずここから完成させ、だんだん難易度を上げていこう。

柳スカ鬼札

 と思ったら、11月のスカ札は雷とどうも空想上の動物らしい足を撮影する必要があるようだ。これは難航しそうである。
柳に赤短

 でもこれは短冊札が何とかなりそうだ。

 ということで、毎月花札用の撮影に出かけるということで、やってみることにした。乞う、ご期待。(飽きて投げ出すの必至だな。)

カメラ河童のシネレンズ図鑑52-WOLLENSAK CINE RAPTAR 13mm F1.9 D改訂- (愛すべき機械たち)

Wollensak 13mm F1.9

WOLLENSAK CINE RAPTAR 13mm F1.9 D

 IMGP0335

製造:Wollensak Optical Co.
製造時期:1950年代(推定)
レンズ構成:ペッツバールタイプ4枚(推定)
鏡胴デザイン:バベルの塔型・オールクローム
焦点距離:13mm
開放値:1:1.9
絞りリング(前):反時計回り:F1.9,2.8,4,5.6,8,11,16,22の8段階
絞り羽根:6枚
ピントリング(後ろ):時計回り:1feet~
マウント:D
実用撮影可能なデジタル写真機
:PENTAX Q,PENTAX Q10,PENTAX Q7, PENTAX Q-S1,CHINON Bellami HD-1
装着方法:PENTAX機種ではD→Qマウントアダプターを使用。CHINON機には直接装着。

IMGP0329

IMGP0331

IMGP0332

[レビュー]
 私が現在所有している唯一の舶来Dマウントレンズである。
 「家畜人オークション(仮名)」で普通の勤め人が3食外食したくらいの値段で売られていた8mmカメラのターレットに3本一からげて嵌っていた。一瞬「頭脳(仮名)」のF1.1かと思って写真を拡大して見てみると、「メリケンサック(仮名)」と英語で書いてあるので吃驚した。
 どうせ締め切り直前になってとんでもない値段に跳ね上がるのだろうと思って手をこまねいていたのだが、思い切って入札してみるとそのまま値上がりもせずにあっさり私の落札となった。関係諸氏は「あっ、忘れとった! しまったあー!」という感じだったのではないだろうか。
 もっともこの「しね・ラップだー」は大抵Cマウントで、こちらは色々なカメラで使えるから大人気なのだが、Dマウントは「オバQ(仮名)」か「べらりミーちゃん(仮名)」でしか使えないから、意外と気付いていたが誰も手を出さなかったのかもしれない。
 このカメラにはほかに「ヨハン・シュトラウス(仮名)」の6.5mmF1.4と「贅だ(仮名)」の38mmF1.9といういずれも珍品が嵌っていたのでお買い得であった。

IMGP8204

 まずF4で遠景。
 奥の方が鮮明に写っているのに対して四隅は回転というより流れた感じである。レンズの大きさからして2段絞ればカッチリした雰囲気になるかと思ったが、このあたりも「頭脳」13mmF1.1の写りにちょっと似ている。

IMGP8205

 逆光で撮っても同じ感じだが、奥の方が想像以上にカッチリ写るのは嬉しい。

IMGP8206

 いつもの鉄塔も金属の触感がよく出ている。

IMGP8257

 赤はそれほど酷くないがやはり若干浮き上がりがある。

IMGP8261

IMGP8259


 白の滲みもご同様で、この時代のレンズにはよくある現象である。

IMGP8260

 紫の発色が自然なのはこの色が大好きな私にはとても嬉しい特徴である。

IMGP8258

IMGP8274

 黄色やオレンジも合格だろう。

IMGP8201

 四隅の流れが止まるのは大体F5.6あたりのようだ。このあたりも「頭脳」に似ている(しつこい)。

 まとめると、全開放に近い部分では四隅が流れた独特の写りになるが、ピントの合った部分はかっちり写っている。流れは3段絞ると消え、どんどん画面全体がかっちりした感じの写りになっていく。発色はどれも素晴らしいが、開放に近いと赤の浮き上がりと白の滲みが出る。

 F1.9でこの個性は凄い。
 しばらく常使いの標準にしてみようかと思う。

[駄文]
 「メリケンサック社」は1890年代に創設された会社だから日本のカメラ会社とはその歴史が桁違いに古い。残念ながら1972年に廃業していて今はない。したがってこのレンズの子孫は現在存在していない。会社名を見て独逸系の人が創設したのだろうと思っていたが、案の定そうであった。
 ネットで「メリケンサック」と検索してもほとんど商品の説明だけで、この会社に関する情報はほとんど見つけられない。英語で検索してすらそうだったのだが、今回全くの偶然で「甕ペディア(仮名)」という、カメラの辞書的なサイトで初めてまとまった記述を見つけた。以下はその記述による。
 この会社は、1899年から1972年まで、医学の世界ではメイヨークリニックによって知らぬ者のない米国ロチェスターを拠点にレンズやシャッターを製造していたアメリカの企業だということだ。1950年代に「シリアカメラ社(仮名)」に買収され、1960年には「3CM(仮名)」に吸収され、1972年に閉鎖された。 現在、「ソープラス社(仮名)」という会社がメリケンサック工場の建物と一部の余剰品を保有しているそうだ。
 スチルカメラやムービーカメラ、プロジェクター、引き伸ばし機、マイクロフィルム装置、軍事用など、さまざまなレンズを製造してきました。彼らの優れたレンズはしばしば "Velostigmat"、最高のレンズは「ラップだー(仮名)」というラベルが貼られていた。「ゴタック(仮名)」のエクターと同様に、「ラップだー」も「鉄鎖ー(仮名)」設計であることが多かったが、特に広角レンズや望遠レンズには他の方式が使われた。
 私はネットでこの「しね・ラップだー」13mmの写真を見て勝手に「日光る(仮名)」13mmの初期型と双璧の世界最小レンズだと思い込んでいたのだが、「歩こう(仮名)」13mmの初期型くらいの大きさは優にある。

IMGP5053

 それにしてもこのレンズと「頭脳」13mmF1.1初期型は似ている。特に鏡胴の形状は同じバベルの塔型で、違いは大きさだけのようにも見える。ほとんど兄弟のようである。
 レンズの形式もペッツバールタイプ4枚で同じだが、これは口径が全く違い、「頭脳」の方がずっと大口径である。
 絞り羽根も6枚で同じ。
 写りにも若干共通点があるような気がするのは私の僻目かもしれない。
 ただ、少なくとも形も写りも「頭脳」のF1.1とF1.9よりはこの両者の方が似ているような気がする。

雪 (笑えない夜のために34)

雪


尹東柱
Well肉桂誤訳
 ゆうべ
 雪がこんもりと降った

 屋根の上にも
 道にも 畑にも

 雪は布団のように
 寒さから護ってくれる
 
 だから
 寒い冬にしか
 降らないのだ


再びなぜ尹東柱なのか(どうしても言いたかったこと61)

なぜ尹東柱なのか

 急にまた尹東柱の詩を思い出し、私の勝手な解釈で訳してみた。
 これは私の中で定期的に蘇ってくる「序詩」と呼ばれる一節の所為である。

  命尽きる日まで天を仰ぎ
  一点の恥なきことを
  草をそよがせる風さえ
  我が胸をかきむしる

  星を讃えるごとく
  死にゆく者たちを
  愛するのだ
  そして私は私の道を
  歩いていかなければ
  今夜も星が風に吹き晒されている

 Well肉桂誤訳ではピンと来ない人にはちゃんとした訳(金時鐘訳)を。 

  死ぬ日まで天を仰ぎ
  一点の恥じ入ることもないことを。
  葉あいにおきる風にさえ
  私は思い煩った。
  星を歌う心で
  すべての絶え入るものをいとおしまなければ
  そして私に与えられた道を
  歩いていかねば。

  今夜も星が 風にかすれて泣いている。

 プロの詩人と比べられるとアラが目立ち尽くしてガサガサだと感じられるだろうが、私はこの100年以上前に生を受けた詩人のこの詩を、初めて彼を知ったこの40数年折に触れ思い出しては反芻している。何せ私の記憶力であるから思い出すたびに変容しているのだが、特にこの詩の最初の2行

 죽는 날까지 하늘을 우러러
    한점 부끄럼이 없를、

は何度思い出しては反芻したかしれない。

 この部分は訳者によって随分違うのでグルグル先生(仮名)の翻訳ソフトに従って直訳すると、

 死ぬ日まで天を仰ぎ
 一点の恥ずかしさがないことを。

となるだろう。

 なんと恥ずかしい人生を送って来たことか。
 だが、この60年の人生の中で、恥ずべき行為をしてしまう度に、この80年近く前に非業の死を遂げた詩人の畢生の詩の一節が私を叱咤する。

 それは亡き父が私を怒鳴る時の決まり文句と似ている。生前は何度怒鳴られたことか。

 お天道様に恥ずかしいことをするな!

 この一節は、いわば、人一倍強いイドに流されそうになる私の超自我を為しているのかもしれない。

 そしてもう一つの節が甦ってくる。

 그리고  나한태  주어진  길을
    걸어가야젰다

 この部分も直訳すれば、

 そして 私に 与えられた 道を
 歩いて行かなければならない

となるだろう。

 志操高く生きることの難しい人の世である。

 奪われた民族の言葉で詩を書くという、自分に与えられた道を歩いた結果、尹東柱はわずか27歳でその生涯を閉じなければならなかった。

 自分の民族の言葉を話し、文字を書く。当たり前のことだ。その当たり前のことが許されなかった時代が韓国人にはあったのだ。

 一方で、それを韓国人に強いた帝国日本では、若者は人を殺して自分も死ぬことが理想とされていた。

 家族や友人と平和に幸せに暮らしたい。人として当たり前の願いである。しかし、日本人もまたこの当たり前の願いが許されなかった時代を共有していたのだ。

 尹東柱の生きた時代を「帝国主義」「軍国主義」という形で総括してしまうと、それは過去の一コマになってしまうだろう。おそらく古典的な意味での帝国主義も軍国主義もこれからの日本や韓国で復活することはないだろうからだ。尹東柱も遠い過去の異国の詩人に過ぎなくなってしまう。
 
 歴史は繰り返さない。

 だが、尹東柱の時代と私の時代に通底しているものがあり、それがずっと強弱を付けながら続いていると考えたらどうだろう。
 これがあるから私は時代も民族も違うこの詩人に共感することができるのだろう。

 ただ、通底し、継続しているものを一言で表すのは難しい。自分の中に探すとすると、ご都合主義、大勢順応主義、権威主義、事大主義、同調圧力、事なかれ主義、マイノリティに対する迫害、レイシズム、反知性主義などなどの言葉が次々と出てくるのだが、ピン、とくるものはない。
 強いて言うならば、人の内心を裁くことすら厭わない人々の中で自分を保つことの難しさ、だろうか。

 幼児は「おもちゃかたずけよーっ」と云いながらおもちゃを片付けるが、次第に意思決定は内心の言葉に拠るようになる。こうして自分が出来上がっていく。ヴィゴツキーはこの内心の言葉を内言と呼び、幼児の言葉を自己中心的言語と呼んだ。
 
 内言によって語られるものは、低次の欲求に属するものはあまり人によって変わらない。「眠たい」「腹減った」などである。しかし、人間らしい高次の思考は人によって実に様々である。それは人によっては他人とあまりにも異なっていたりするから、他人の共感を得られるような言葉に翻訳され修正されて誰にでも分かる言葉として発される。これを外言という。

 人はこうやって困難な現実をやり過ごしていく。
 そして、内言を保つことが実は人間を人間たらしめる人間の尊厳なのだ。
 しかし、そのことに実感として気付いている人は本当に少ない。

 たとえば日本が「軍国主義」だったとき、「本当は平和に暮らしたい」と内言で考えながら、「不逞な輩から東亜の民を解放せよ」と外言で叫んだ日本人は多かっただろう。

 だが、人間はいつまでもこうした外言と内言のギャップに耐えられない存在なのだ。これはフィスティンガーに言わせれば認知的不協和という状態であり、人はこの不協和を解消して自己の同一性を取り戻そうとする。
 困難が大きければ大きいほど、長ければ長いほど、不協和に耐えられる人は少ない。
 自分が置かれた困難な状況が何時までも何時までも続くことなのだと思われた時、多くの人が自分の内言と外言を一致させようとするだろう。

 尹東柱が生きた当時の多くの日本人は外言に内言を一致させようとした。おそらく戦争に勝利していたら無自覚なまま「私たちは東亜を解放した」という認識を持ったままで戦後を過ごしただろう。
 310万人の同胞の犠牲を払ってすら、強い米国に逆らったことが自分たちの唯一の瑕疵だという反省しか持てない人が少なからぬ数いるのだから。

 韓国人はどうだったのだろう。自分の民族が他の民族に蹂躙され、国境を奪われ、家族や恋人や友人を奪われ、名前を奪われ、言葉すら奪われそうになっている状況が、もう無限に続くのだと思っていたとしたら、内言を外言に合わせた人が多かったとしても、それについて論難する資格は日本人にはないと私は思う。それは余りにも恥知らずな行為である。

 ただ、尹東柱はそうしなかった、ということだけは言える。

 それを私に確信させたのは、COVID-19のパンデミックだった。

 過去の栄光とその帰結としての無為無策、狼狽と保身、縁故主義と血縁主義、隠蔽と圧殺、無知と蒙昧と愚劣、気まぐれと思いつきのゴリ押し、そして前述の1900年代前後から、それどころかもっと以前から通底する宿痾。

 外勢(ウイルス)の怒涛と真綿で首を締めるようなセサン(世間)。

 私は尹東柱がそんな時代を懸命に生きたことを知っている。

 私は再び尹東柱の詩集を開いた。

 すると、再び、ああ、そうだったのか、という詩たちが私の前に立ち現れた。
 勿論、単なる錯覚かもしれない。私は早とちりが多いうえに思い込みが強いのだ。

 一つ一つの詩について話を始めるとキリがないのだが、今まで全く意味が分からなかった詩たちの意味がおぼろげながら分かった気になったのは嬉しかった。

 たとえば「明日はない(Well肉桂誤訳では「明日なんかない」)」という詩だが、私はこの詩の最後でなぜ作者が憤りを顕わにしているのかが分からなかった。しかし、「明日があるさ」という言葉が言い訳に使われているうちに失われてしまった我が国の時間と未来をこの2年ほどで痛感してみると、この詩が「幼い日の問い」などではなく、民族の運命を深く憂うる人の悲痛な叫びであることが分かる。

 そしてそうした詩たちに共通する心情、というよりは確信は、いつかこの苦しみの向こうに光が射す、つまり、解放の日がやってくる、というものではないかと思えたのだ。

 もし植民地支配が100年続いたら完全に埋もれていたであろう尹東柱の詩が、韓国の解放からわずか2年で発掘されたのはそのためではないかと思う。
 
 COVID-19はいつかCOVID-2〇となって弱毒化し、子供の病気になっていくだろう。それが何時なのか、明日でないことは確かであるが。
 私は尹東柱の詩を口ずさみながらその日を待とう。

大分県はツッパリにいちゃん(毒にも薬にもならない話88)

大分県はツッパリにいちゃん

 今年も成人式が各地で行われたようだ。
 昨年は随分と自粛ムードだったが、今年は皆がいい加減それに飽きてきたのか、例年通り新成人の馬鹿騒ぎが復活したようだ。

 そもそも一人の人間が20歳になるという極めて個人的な出来事を何故国家が費用を払って祝う必要があるのか、私は自分が20歳のときから理解できない。

 たとえばこれが隣国の韓国だったら、成人になると辛い兵役の義務が発生するから、覚悟を促すという意味で国家がこれを行うというのも分からなくもない。

 しかし日本人は成人になったからとて何か義務が発生するわけではない。
 納税は日本国民の義務だが、これは殆ど全ての国民が幼少のみぎりから消費税という形で果たしている。
 子弟に教育を受けさせる義務は14歳くらいで子供を作らないと成人の時に子供が義務教育の学齢には達しないし。
 勤労の義務。これも今は大抵の高校生がバイトをしているし、正規雇用で働く、という意味でいえば成人の年齢で正規雇用で働く人は今は少数派である。

 では権利についてはどうか。
 かつては成人になれば酒・煙草は解禁、というのがあったから大騒ぎになるのも必然で、だからこそ成人になって「飲んだるぞ!」「吸ったるぞ!」という人達が一堂に会するという危険な集いは止めた方がいいと思っていた。
 しかし、今や成人は18歳で、しかもどういう流れでそうなったのか、成人になったとて酒と煙草は20歳にならなければ許されないのだ。今はCOVID-19感染の関係で「おとなしく帰ろう」という人達も多いだろうが、感染の心配がなくなったとき、久しぶりに友人たちと会った新成人たちが何もなしに帰るとは考え難い。国が違法行為を煽っていると言ったら言い過ぎだろうが。
 成人になって認められる権利といえば、選挙権くらいだろうが、これを新成人たちが必ずしも喜んでいないことは、この世代の投票率を見てみれば一目瞭然である。
 これは年金についてもそうで、本当は年金を払う、というのは将来年金がもらえる、という大切な権利なのだが、人間は目先の損得に弱いので、「年金を取られた」という感覚になる。したがってこれも喜ばしいと思っている人は極少数派だろう。自分が20歳のときのことを考えても、年金受給年齢というのは想像もできないほどの遠い未来だったから、これは仕方がないことだ。
 もう一つはアダルトな権利についてなのだが、この権利については20歳成人の昔から18歳で認められることになっていたから、これも何か変りがある訳ではない。
 これで終わろうと思っていたら急に思い出した。成人になったらローンが組めるのである。これはとても喜ばしいことなので銀行やローンの会社はもっとお国の儀式に協力し、会場で大々的に宣伝する、くらいのことはやってもいいのではないだろうか。要らん世話だが。

 ことほど左様に私はこの儀式の意義が理解できないので、自分の成人式にも出席しなかったし、娘たちの成人式にも出席しなかったし(これは当たり前か)、これからも出席することはないだろう(これも私は何か偉いサンではないから当たり前だ)。

 したがってTVなどで成人式についてのニュースなどやっていたからといって強い興味を以てそれを見ることはない。
 ただ、馬鹿騒ぎの場面だけはアナウンサーの声量も上がるし、憤りを以て報道されるので耳目を惹きつけやすい。
 派手に飾り付けた車が同じ場所を旋回しているのを「猛スピードで走っています。危ないっ! 危ないっ!」と大声を出しているので見てみると、車の速度は30kmくらいで、たまに見物人に接近するのだが、何せ彼らも若者だから反応が良くて轢かれそうな感じは全くない。これが危ないのだったら〇〇インター(自粛)の方がよほど危ない。

 私は決して彼らを庇うつもりはないし、成人式なんか止めてしまえばいいのにと思っているのだが、そうやってマスコミが騒ぎ立てるからますます目立ちたがり屋の騒ぎがエスカレートするのだ。

 某国みたいにさーっと連行されていなかったことにされ、「当局の庇護の下で幸せに暮らしています」などという引き攣った笑顔の写ったビデオが家族に届いたら翌年からこんなことをする若者は一人もいなくなるだろう。別に何か信念があってやっていることではないのだから。

 だんだん考えが不穏になってきたのでこれはいけないと思ってTVから眼を逸らし、感染が収まった時はどこに行こうかな、などとPCに向かって九州の地図を見ていたら、大分県が急にさっきの若者たちの顔に見えてきた。

 つくづく私は情報に踊らされやすいらしい。

かな入力の孤高(どうしても言いたかったこと60)

迷惑なかな入力

 米国との戦争に負けて占領され、戦後の日本の体制をどうしていくかという議論の中で、「日本語ローマ字化計画」というものが提議されたらしい。

 具体的には連合軍総司令部(GHQ) のペルゼルという人が、「日本語は漢字が多いために覚えにくく、識字率が低いために民主化を遅らせている」という理由で日本語をアルファベットで表記することを諮問し、その線に従ってまず日本人の識字率が調査されたところ、98%というあらゆる諸外国より高い数字が明らかとなり、議論の前提部分が崩壊してこの計画は沙汰止みになったということだ。

 だが、これは決して笑い話や冗談に属する話ではなく、実際に漢字文化圏であるヴェトナムでは仏蘭西の植民地時代を経て独立後には漢字が廃止されてローマ字表記(チュ・クオック・グー)が定着し、今に至っている。

 ヴェトナムが漢字文化圏であるということは日本では意外に知られていないが、たとえば対米戦争を勝利に導き現在でも南ヴェトナムの地名に名を遺すホーチミン氏は漢字で書くと胡志明氏であり、ヴェトナムの人々は今も中国風の名前を持ち、日常使われるヴェトナム語の中にも漢語由来の言葉が実に7割を占めているのである。

 それでもヴェトナム語で書かれた文章をつらつらと眺めるに(意味は私には分からないので)、それが漢字文化圏の言葉であるとはとても思えない。たとえば「初めてお目にかかります。」をヴェトナム語で表記するとTôi gặp bạn lần đầu tiênであるが、一体どの部分が固有語でどの部分が漢語なのか、まるで分からない。そしてこれをTôigặpbạnlầnđầutiênというように繋げて書いてしまうと、もはやどの音とどの音が音節を構成しているのかすら分からなくなる。

 実はヴェトナムにはかつてチュノムという固有の(というか日本の国字にあたるもの)文字があり、これと漢字を混用して表記していたのだが、漢字の廃止と共にチュノムも消えてしまった。

 もしペルゼルの主張が実現していたなら、現代の日本人は漢字だけでなく平仮名も片仮名も擲って先述の文をHajimete omeni kakarimasu.と表記していたわけだ。

 ヴェトナムの場合は植民地時代の仏蘭西文化の影響というワンクッションを置いてからのローマ字化であり、西欧諸国が亜細亜から引き揚げた後は長く圧迫された歴史を持つ中国に対するナショナリズムの側面もあってそこまで違和感がなかったのかもしれない。

 しかし、異文化に蹂躙された経験のなかった日本人にはもし「日本語ローマ字化計画」が実現したとしたら物凄い違和感だったに違いない。

 もっとも文豪志賀直哉などは日本語そのものを廃止して世界で最も美しい言語である仏蘭西語を採用せよという主張をしていたらしいから、こういう人は意外とすんなりと受け入れたのかもしれないが。

 閑話休題(ところで)。

 私が専門でもないことに関する知ったかぶりを延々と並べてきたのは、実は最近私の身近で密かに「日本語ローマ字化計画」の陰謀が遂行中だからだ。しかも、多くの日本人、私の隣の席のA君も、前の席のBさんも、その他、職場の同僚の大多数、果ては私の妻や娘、婿殿など、私の親(ちかし)い者に至るまで、この計画に加担し、積極的に遂行しているのである。

 彼らは自分たちが日本語ローマ字化を着々と進めるのみならず、少数の同志と共に何とかそれを食い止めようとしている私を迫害し、ローマ字党への転向を勧めてくる。

 彼らが日々確実に実行している「ローマ字化」は、PCで日本語を入力するときにIMEを開いて「ローマ字入力」のボタンを押し、ローマ字で入力する、という彼らの嗜好に基づいた行為のほかに、もう一つ、それを本来の入力形式である「かな入力」に戻さずに置くという、私達愛国者(?)に対する妨害行為である。

 あまつさえ、隣の席のA君などは大抵はGAFAの製品である様々なソフトや周辺機器が米国仕様であるためにかな入力で不都合が出るたびに、「Sさん、もういいでしょう。ローマ字入力にしましょう。」などと、西村晃になってからぐっと悪人色の強くなった水戸黄門のような台詞で私に転向を勧めてくるし、向かいの席のBさんなどは「私、入力し始めたら変な文字がだーっと出てきて、入力のところ見たら元に戻してないの見て『イラッ!』て来るのよね…などと私の顔をちらちら見ながら嫌味を言ったりする。なっ!?元に戻してないのはあんたらだろう?!

 彼らの陰に陽にの策動によって今や私の身の回りで私と同じ愛国者はCさんただ一人である。

 昔はこうではなかった。

 多くの同志たち(大抵私より年上だったが)がいて、香しい日本の伝統文化を守るために「一本指打法」を駆使してローマ字党に対抗していた(迷惑だったろうなあ)。

 それが、彼らが年齢によって一人去り二人去りするたびに入社して来るのはローマ字党ばかりで、遂に私たちは崖っぷちに追い詰められているのである。

 これは何でも文部科学省によるPC教育でローマ字入力が教えられているからに他ならないらしい。

 何より悔しいのは、私が「年寄りだから」かな入力をしていると思われていることである。違わい!(昭和のワルガキ漫画の主人公調で)

 私は皆がまだ湿式の青摺りコピーを取り(若い人は絶対に知らんだろうな)、謄写版を切って(これは言葉だけは知っている人がいても具体的なイメージは絶対にわかないだろう。実際に切った事のある人はもう忘れてたりして)印刷していた1980年頃から真っ先にワープロを使い始め、常に時代の最先端を走ってきた男である。My phone(仮名)だって発売当初から四苦八苦して自分でセットアップして使い始めたし(初期のMy phoneはその必要があった)、今も私のポッケ(誤字にアラズ。年が分る言葉だなあ)には最先端の折り畳みスマホ(ダブルフォールト、じゃなかった、フォルダブル)が忍ばせてあるのだ(使いこなせていないが)。

 私がかな入力をする理由は2つある。

 一つはローマ字入力よりかな入力の方がスピードが速い点だ。おなじかな一文字を打ち込むのにローマ字入力だとキーを2回押さなければならないのに対して、1回押すだけでよいからだ。たとえば「か」を入れるのにローマ字党は「k」「a」の2つのキーを押す必要があるが、かな党は「か」のキー1回で済む。理論上はかな入力の速度はローマ字入力の2倍である。

 もう一つの理由は、頭の中の日本語をそのまま入力できることだ。
 ローマ字党は頭の中の日本語をわざわざアルファベットに変換して入力し、かつそれを再び変換キーを押して漢字仮名交じり文に変換するという複雑で無駄な作業をしているのである。

 私のいうことが嘘だと思う人は、同じ文章をどちらが短時間で入力できるか私と勝負をしてみてほしい(本気にしないように)。おそらく100人と勝負したら特殊な職業に就いている1~2人以外の98~99人は私と対等か劣勢に陥るだろう。

 私はこれからもかな入力を続けていく。ただ、かな入力のできない可哀想な人のために共有のPCを使った後は本来の設定からローマ字入力に変えておこう。忘れていなければ(自信ないなー)。

明日なんかない(笑えない夜のために33)

明日はない

明日なんかない
-幼い心の問い―

尹東柱
Well肉桂日本誤訳

明日、明日、というから尋ねてみたら
夜に寝て 朝起きたときが 明日なのだと

新しい日を 探していた 僕は
眠りから覚めて 見廻してみた
今は 明日じゃなく 今日じゃないか

何のこたあない!
明日なんか ないんだ

陽だまりにて(笑えない夜のために32)

陽だまり

 陽だまりにて
尹東柱
Well肉桂日本誤訳

 国じゅうに 黄土を運んでゆく この地への西域からの春風が 
 その地の民の糸車のように 廻りながら通りすぎ

 雲に見え隠れする太陽の手が 
 壁を背に立たされて命尽きそうな者の胸を
 次々と 分け隔てなく なぜてゆく。

 陣取り遊びに熱中する どの地の民かも知れぬ子供が二人
 自分の指の短さを悔しがる

 もう止めなさい!
 ただでさえ脆い平和が 壊れるのが 心配だ。

懺悔録(笑えない夜のために31)

懺悔録

 懺悔録

尹東柱
Well肉桂日本誤訳

 私がこんなに辱しめられるのは
    どの王朝の
    緑青の葺いた古ぼけた銅の鏡の中に
 私の顔貌(かお)が残っているからなのか

 私は私の懺悔を一行の文に纏められる。 

 -満二四年一か月を どんな喜びがあって生きてきたのか

 明日か明後日かいつの日か      
 ある喜ばしい日に
 私はまた一行の懺悔録を書かなければならない。

 その時その若い私に なぜ そんなことを言ったのか

 夜になれば夜毎に 
 私の鏡を 磨いてみよう
 掌で優しく 足の裏でぞんざいに 

 そうしたら 
 降ってくる隕石の下に歩いていく 悲しい男の後姿が 
 現れてくる

帰ってきて見る夜(笑えない夜のために30)

帰ってきて見る夜

帰ってきて見る夜

尹東柱
Well肉桂日本誤訳

 まるで世間から帰ってきたかのごとく 

 今 俺は 狭い部屋に戻ってきて
 灯を消すのだ

 灯を点けておくことは
 あまりにもしんどい苦行だ

 それは世間で暮らさなければならない昼を
 更に延ばすことだから

 今 窓を開けて 空気を入れ換えなければならないのに
 外をそっと伺うと 部屋の中と変わらず暗い

 まるで世間そのもののように

 俺が雨に打たれながら来た道が
 文字通り 雨に濡れそぼっている

 一日の鬱憤を 洗い流す術もなく
 静かに眼を閉じると 心の中に溢れ出る声
 今 思いが 落ちる寸前の林檎のように 熟してゆく

向日葵の顔(笑えない夜のために29)

向日葵の顔

向日葵の顔
尹東柱
Well肉桂日本誤訳

  姉の顔は 向日葵の顔
  朝陽を浴びて 職場に行く

  向日葵の顔は 姉の顔
  首をうなだれて 家に帰る

にわとり(笑えない夜のために28)

にわとり

にわとり
尹東柱
Well肉桂日本誤訳

 狭い鶏小屋のすぐ上には青空が広がっているのに
 自由なふるさとを忘れた鶏たちは
 しけた生活をぶつぶつ言い合い
 産卵の苦労をわめきちらした。

 陰惨な鶏小屋で押し合いへし合いしている
 外来種のレグホン。
 学園から新たな群れが排出されて加わる
 三月の晴れた午後もある。

 鶏たちは蕩けた厩肥を撒き散らしながら
 お上品な二本の脚で駆けずり回り
 かつえた嘴の動きがせわしない。
 両目が真っ赤に充血するほどに―

うちの女たち(笑えない夜のために27)

悲しい一族

うちの女たち(原題 슬픈族屬)
尹東柱
Well肉桂日本誤訳

 白い手拭いを 黒い髪に 被せ
 白いゴム靴を ごつごつした足に 履く。

 白いチマ・チョゴリで 痩せた体躯を 包み
 白い帯で 細い腰を ぎゅっと 締める。

雪の降る地図(笑えない夜のために26)

雪の降る地図


雪の降る地図
尹東柱
Well肉桂日本誤訳

 スニが旅立つ朝 舞う牡丹雪は俺の心
 言いようもない悲しみが 窓の外に広がった地図の上に降りつのる

 部屋の中を見廻しても もはや何もない
 壁と天井がやけに白々しい
 部屋の中にも雪が降るのか
 本当に君は失われた歴史のように消え去ってしまったのか

 行ってしまう前に言いたいことがあったのに

 手紙を書こうにも君の行った場所が分からない
 どの街なのか どの村なのか どの屋根の下なのか
 君は俺の心の中にだけ残っていようというのか
 君の小さな足跡を 雪が覆い尽くし 辿ることもできない

 雪がやむと 小さな足跡にも 花が咲くだろうが
 花の間を足跡を探していく俺の心には
 一年中 いつまでもいつまでも 雪が降り続くだろう

 


自画像(笑えない夜のために25)

自画像


自画像
尹東柱
Well肉桂日本誤訳

 稜線を巡り
 山奥の農家の離れの井戸に
 独りで行き そっと覗いてみる。

 井戸の中には
 月が明るく 雲が流れ 空が広がり 蒼い風が吹き 秋なのだ。

 そして一人の男がそこにはいる。
 まっすぐで単純な男。
 
 俺はなぜかその男が憎らしくなり、踵を返す。

 道すがら考えて、その男が可哀想になる。

 引き返して見てみると、その男はそのままそこにいる。
 汚れなく純粋な男。
 
 またその男が憎らしくなり、背中を向ける。
 
 帰り路でまた考えて、その男が愛おしくなる。

 井戸の中には
 月が明るく 雲が流れ 空が広がり 蒼い風が吹き 秋があって
 追憶のように その男がいる。

自家製柑橘サワーを巡る東奔西走(いやしんぼ114)

柑橘サワー

 「健康のために」と夫婦で柑橘類を摂取しはじめてからもう10年になる。
 この10年で果たして「健康」になったか、というと私の場合は甚だ疑問である。特に柑橘類は髪の健康には効かない、ということは見事に証明されてしまった。
 もっともこれは柑橘類と共に摂取したアルコールの害によるものかもしれない。

 ただし、ビタミンCの効果なのか風邪はひかなくなった。私は元々呼吸器が弱くよく風邪をひいていたのだが、柑橘を摂り始めたこの10年ほど風邪らしい風邪はひいていない。

 河童柑橘漬

 10年前は柑橘とアルコールを同時に摂取する場合酒造メーカーが作った「チューハイ」という名前のお仕着せの酒類を飲むのが世間様では当たり前で、私達夫婦のように自分で柑橘を絞って酒と混ぜて飲む人種は極少数派だった。
 だが最近は柑橘の絞り汁と酒類を自分で混ぜて自家製の柑橘風味アルコール飲料を飲むのは普通のことになっているようだ。
 したがって各メーカーからはそれ専用の柑橘飲料も出ているようだ。
 そしてそれは柑橘好きの酒飲みから好評を得ているようだ。 
 よく「どこそこのメーカーの〇〇というレモンサワーの素は美味い」などという声を聞くようだ。
 最後のそれは無理矢理だが、「ようだ」を4回重ねたのは、私自身にはメーカーの作った「〇〇(柑橘の名前)サワーの素」の類を使用してアルコール飲料を作って飲んだ経験がほとんどないからである。

 この場合の「ほとんど」は具体的に云えば、1回こっきりであって、しかも、その一回で私は「酷く〇〇い」という感想を得てしまった。それ以来私はこの「〇〇サワー」を飲んでいない。もしこれが「美味い」という体験だったとしても私は「〇〇サワー」を買わないだろう。

 何故かと云えば、私の郷土熊本県は柑橘の一大産地であり、自分で柑橘類を調達してきてそれを絞れば、わざわざメーカーの製造した「〇〇サワーの素」を買う必要がないからだ。

 「人が美味いって言っているものをくさすんじゃないよ」とご立腹の人もいると思うが、そんな人は私がふだん飲んでいる「Well肉桂式柑橘サワー(以下Wサワー)」を是非一度飲んでほしい。
 「今まで自分が喜んで飲んでいたアレは何だったんだ」と思うこと必定である。

 ではWサワーの作り方である。

 まず、九州在住の人は車のガソリンを満タンにするか、JR豊肥線の切符を買って欲しい。それ以外の人は航空券の用意を。


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 これは阿蘇の天然水を汲みに行くためである。
 この水は同名のものがメーカーからミネラルウォーターとして売られているほど美味しい。本当は我が家の氏神である「あっそう神社(仮名)」の境内で湧いている水が最高なのだが、ポリタンクを持って神社の境内まで行くわけにはいかないので、地元の水汲み場で汲ませてもらっているのだ。この水も十分美味い。

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 次に炭酸ガスの注入装置を買って欲しい。諭吉さん1人分しないくらいの値段で手に入るはずである。
 この装置で阿蘇の天然水は「阿蘇の炭酸水」に変わる。

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 次に熊本県内の道の駅や物産館を回って柑橘を買いあさる。今の時期ならばいろいろな柑橘が「嘘?」というような値段で手に入る。
 ちなみに上の写真は私が昨日飲んだWサワーに使用した柑橘類である。左上から柚子、酢橘、シークワサー、カボス、温州蜜柑、右上は岳父が栽培している同じく温州蜜柑だが、同種のものにあるまじき大きさである。岳父が作る作物はなぜかデカい。そしてグレープフルーツとライム。これは国産のものがないので輸入物の貰い物と絞って瓶詰にしたものである。
    真ん中上の柑橘のことを 言い忘れていたが 、これはレモンである 。そして 実はこれは 熊本産ではない 。長崎県は 平戸産の レモンである 。たまたま柑橘を 調達しに行った 道の駅が イベントをやっていて、 柑橘をかき集めるために 長崎まで 手を伸ばしたのではないかと推察している。

 夏蜜柑がないのは残念だが、これは他の柑橘と旬が違うから仕方がない。最近出回っている「甘夏」ではなく、昔ながらの夏蜜柑は単独で主役を張れるほどバランスが良くて柑橘サワーの材料としては最高だが、妻の実家にあった木が枯れて以来植木市などでも見ない。もちろん実も売られているのを見たことがない。幻の柑橘になってしまった。

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 これらを輪切りにしてハンドプレッサー(我が家では「ぎゅうぎゅう」と呼ばれている)で絞る。
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 絞ってしまうとあれだけあった柑橘もこれくらいになってしまう。考えてみたら無茶苦茶に贅沢な飲み物である。

 車を球磨郡多良木町まで走らせて球磨焼酎「米万石(仮名)」を買う。本当は同じ蔵で作っている「熊本拳(仮名)」は品評会で何度も金賞を獲っているくらい美味いのだが、日常飲むには値段の面で厳しいから、これは特別な日のためにとっておく。
 焼酎は甕に入れて寝かせておく。

 阿蘇の天然水を冷蔵庫で凍らせて氷を作る。

 ここまでの下準備はまさに東奔西走である。ただし、金に糸目をつけなければ流通の発達した現代ではこれは自宅のPCの前で出来るに違いない。私の場合は休日に気晴らしも兼ねてうろろんころろんしているだけの話だ。

 さて、いよいよ作成である。

1.ジョッキに底から半分くらい氷を入れる。
2.甕から柄杓で100mlくらい汲み、ジョッキに注ぐ。
3.柑橘の絞り汁をお好みの量入れる。
4.炭酸水をいっぱいまで注ぐ。
5.マドラーで炭酸が抜けないように注意しながら混ぜる。

ああ、生きてて良かった、というくらい美味い。
爽やかで少しの雑味もない。
ただし、酒類の常として、飲み進めると感動も薄れ、有難味もなくなってくるから、1人あたり1杯くらい作るのがいいような気がする。

私の農業入門記40-チマサンチュ再び-(それでも生きてゆく私)

チマサンチュ

 転勤によって職場が三角町から熊本市に移り、私も菊陽町にある妻の実家に転居(居候)することになった。
 職場の方は一族郎党を引き連れての移転だったので「人との別れ」ということに関しては特別の感慨はなかった。

 むしろ、人でないもの、猿や、猪や、梟や、狸や、鹿や、鳩や、烏や、雀や、燕や、頬白や、目白や、鵯や、鶯や、青鷺や、白鷺や、朱鷺や(嘘)、熊や(嘘)、椋鳥などとの別れの方が辛かった。
 朝に夕にこれらの動物たちと出逢う度にどれほど心慰められたことか。猿や猪は怖かったが。 

 菊陽町は私が子供の頃までは三角町と変わらぬくらいの「ド」の付く田舎で、一面に芋畑が広がるところだったのだが、今では全国でもトップクラスの人口急増地帯であり、三角町にはいたような動物たちが急速にいなくなってしまった。したがって三角にいたような動物のうち、人里でも暮らせるような動物しかいない。これはかなり寂しい。近所を散歩していても「あっ!」というような動物に出遭うことはない。

 唯一嬉しかったのは三角では見たことがなかった百舌鳥が隣の家のTVのアンテナに現れることだが。

 もう一つ辛かったのは、折角手入れして色々な作物が採れるようになった我が家の庭の猫の肉球ほどの畑を手放さなければならなくなったことだ。といっても借家だから単に大家さんに返しただけだが。

 この畑では本当に色々な種類の野菜を作った。
 ブログに書いただけでも胡瓜や、トマトや、茄子や、オクラや、ピーマンや、スナップ豌豆や、玉蜀黍や、ゴーヤーや、向日葵や、糸瓜や、瓢箪や、時計草や、芽キャベツや、ターサイや、子宝菜や、明日葉や、フェンネルや、山葵菜や、空豆や、絹鞘や、アスパラガスや、ズッキーニや、落花生や、大根や、葉大根や、二十日大根や、甘藷や、馬鈴薯や、南瓜や、隼人瓜や、高麗人参や(嘘)、バナナや(嘘)、サクランボなどなど、こうして振り返ってみてもあの狭い畑にどうやってこれだけの野菜たちが犇ていてたのか、謎というほかない。

 これらの野菜については「私の農業入門記」というシリーズで纏めてあるのだが、その第一回に登場するのがチマサンチュなのである。

 そして私が何故再びチマサンチュについて取り上げるかと云えば、私はまたチマサンチュを栽培しているのだ。
 何せ居候であるから、大っぴらに岳父の庭に私の植えたい野菜を植える訳にはいかない。岳父は家の近所の畑の他に、庭にも山芋などの野菜を植えているからだ。
 引っ越してきてすぐ、南側の庭に不要になったレンガやタイルなどを捨ててある1畳ほどの土地を見つけた。ここを手にマメを作りながら苦心して耕し(嘘。土と堆肥を買ってきて植えただけ)、またもや猫の肉球ほどの畑をでっち上げたのである。

 1年目はトマトと茄子を植えたのだが大失敗に終わった。
 おそらくまだ堆肥が十分土とこなれていないのに焦って植えたからだろう。全滅の憂き目に遭った。
 特に堆肥がまだ十分熟成していない(つまり田舎の香水の臭いのする)牛糞を入れすぎたのがいけなかった。

 これに懲りて1年目の秋から土づくりに励み、と云っても妻が台所の野菜屑を地道に穴を掘って植えただけだから私は何もしていないのだが、
 堆肥も三角の時に入れていた「苓州堆肥(仮名)」という実績十分のふかふかの十分こなれた堆肥を入れ、十分時間をおいてからまずは胡瓜とゴーヤーを植えてみた。
 これが大成功、とまではいかないが、なかなかの出来だったので、秋には満を持してチマサンチュを植えたのだ。成功すれば晩秋と秋の長い期間焼肉のお供が食べられる。

 ちなみに一度書いたが、チマサンチュは今では世間一般でも「サンチュ」「チマサンチュ」と韓国語で呼ばれ、韓国原産のものだと思っている人がいるが、これは「カキチシャ(掻萵苣)」といって日本に古来からある野菜である。ただし原産は欧州の方で、中国や韓国を経由して奈良時代以前に日本に入って来たらしい。西洋レタス(玉萵苣)が入ってくるまではこちらがチシャと呼ばれて一般的だったのだ。
 最近は宗教的な韓国嫌いがいて、韓国のもの、というだけで使わない、食べないなどという人がいるが、安心して食べてほしい。これは我が日の本で昔から食べられてきた、かの聖徳太子もお召し上がりになった野菜である(眉唾)。

 チマサンチュは種から育てた方がずっと美味く、これは店で売っているものとは別の野菜ではないかというくらいに柔らかくて癖がないのだが、何せ南側の畑なので小さいうちに直射日光で溶けてしまった。
 仕方がないので近所の店から苗を借りてきて植えた。あまりいい苗ではなく最初は元気がなかったのだが、今年の初秋の長雨で見事に元気を取り戻し、葉をどんどん伸ばし始めた。むしろ三角のときよりも育ちがいいかもしれない。口に入れてみると実生のものほどではないが、なかなかの味である。店で売っているものより美味い。

 三角と菊陽では土が違うからよく育つ植物が違うのかもしれない。

 次回はそんな野菜について。

河童簡単韓国料理23-フライパンで焼く無煙サムギョプサル-(いやしんぼ113)

サムギョプサル

 妻の実家に引っ越して2年になる。いわゆる「カツオさん」状態である。

 義理の親と一緒とはいえ、部屋は1階と2階だから特別な窮屈さや不便は感じない。

 ただ、やはり世代の違いから食い物が違う。私たち夫婦は伝統的な和食のほかに中華料理や韓国料理が好きだが、高齢者は中華の脂っこさや韓食の辛さにはついてゆけないらしい。かといってお互いに好きなものを食べられないというのでは長く同居できないだろう。食はヒトにとって生きてゆく喜びの最大の要素の一つである。
 だから食事は時間をずらして2組で食べるようにしている。

 ただ、それでも遠慮して食べられなくなった料理がある。

 それは煙をもくもくと出しながら食べる焼肉である。特に私たち夫婦の好きな豚肉はその脂が溶けて火の上に落ちると焦げて煙が凄い。それどころか発火してしまって折角焼いている肉を焦がしてしまうほどの炎が立ち上がることすらある。また、行った後の始末も大変である。調理器具だけでなく、部屋のテーブルや床も油でぎっとんとんだから綺麗に拭き取らなければならない。これを高齢者がいる家ではできない。

 韓国の焼肉屋のように肉から立ち昇る煙をすぐさま吸い込んで外の排出する器械でもあればいいのだが、月に1回もしないような焼肉のためにそんな大仰なものを大金をかけて台所に設置するのはホンマもんの阿呆である。

 サムギョプサルという韓国料理があり、最近ではその美味しさが日本でも知られてそれ専門の店も賑わいを見せているようだ。サムギョプサルは豚の三枚肉を焼いて食べる料理の総称である。

 韓国では同じ豚の三枚肉の焼肉としてタレに漬け込んだ肉の塊を焼いた後鋏で食べやすい大きさに切って供する料理があり、こちらはテジカルビ(豚カルビ)と名付けられていて、私はいわゆるサムギョプサルよりこちらの方が好きなのだが、これを屋内で行うには前述の排出器械が必要である。さもないと家中が豚の脂でギトギトになってしまう。一度妻が座布団に付いていた脂で油で滑ってすってんころりんと転んだ話は既にした。骨が脆くなっている高齢者にこんなことがあったら大変である。

 一方のサムギョプサルは鉄板で焼くのであまり煙が出ない。特に鉄板に穴が開いているタイプではなく、鉄板を斜めに傾けたり、中央が盛り上がっていて余分な脂を除去するタイプの鉄板だと、ほとんど煙が出ない。。
 ただこのやり方だと大きな肉の塊を焼くには相当の時間がかかる。また、加熱に斑があったりすると寄生虫が怖い。
 豚の寄生虫感染症は嚢虫症といって致命的になりうる怖いものなのだ。

 そこで、鉄板で豚肉を焼く際には最初から食べやすい大きさに切って焼くことになる。塊を焼いて食べている人には物足りないかもしれないが、これはこれで美味い。そのためには後述する工夫が必要だが。

 さて、レシピである。
[材料]
1.豚の三枚肉。切ってあるものでもいいが、塊の方が自分の都合のいい大きさに切ることができるので塊をお勧めする。また、「三枚肉は脂っこくて最近は辛くて」という諸兄は肩ロースと呼ばれる部分の塊を試してみるべし。熊本県は「舞肉ポーク(仮名)」「林道ポーク(仮名)」「餅豚(仮名)」など、名だたる銘肉が生産される養豚王国である。
2.野菜パウダー。いわゆる「野菜パウダー」というものはほとんど売っていないので、「かぼちゃパウダー」「ごぼうパウダー」「さつまいもパウダー」「にんじんパウダー」「ほうれんそうパウダー」などの名前で売っているパウダーを自分でミックスしてお好みのものを作る。私は南瓜・牛蒡・紫芋・人参・法蓮草の「お試しセット」という奴を通販で買って自分で混ぜている。もちろん自分のお好みの野菜パウダーを単独で用いても構わないだろう。
3.チマサンチュ。いわずと知れた焼肉レタスである。これは種から育てた自家製のものの美味しさを是非都会の皆さんにも知って欲しいところだが、猫の肉球ほどの畑を持つことも難しい住宅事情に同情差し上げるしかない。
4.もやし。別に1袋18円の安物でも構わない。十分美味い。ただし、その日に買ったものに限る。薬品を使わないだけに傷みが早い。
5.チャンジャ、オジンオチョッカルなどの海産物の塩辛。これは調味料として使う。どういう訳か豚には海産物の調味料が合う。ポッサム(茹で豚) を食べるときはセウジョッ(アミの塩辛)が合うが、これはサムギョプサルには今一つである。
6.その他お好みの野菜。人参、法蓮草、椎茸など。ナムルを作るためだが、なければ別にモヤシがあれば十分である。
7.サムジャン。野菜を食べるための味噌だが、豚肉を韓国風に食べるためには必須の調味料である。

[調理法]
1.豚肉を食べやすい大きさに切る。包丁は切れ味の良い物でないと脂で滑って危ない。また、刺身と一緒で一枚一枚に角が立っていた方が焼いた後の焦げ具合がカリッとして美味くなる。よく洗うことを前提に柳葉包丁や出刃包丁などでも好みの大きさに切れるので良い。私は10年近く前に県の無形文化財の包丁鍛冶が打った柳葉包丁を分不相応な値段で買ったが、これで切ると頗る出来がいい(何という勿体ないことを)。切っていくときに脂身の方を上にすると上手く切れる。包丁あるいは包丁さばきに自信がない人は肉の塊を一旦冷凍庫で軽く凍らせてもよい。素人でも角が立って綺麗に切れる(偉そうに)。
2.もやしや千切りにしたお好みの野菜はただ茹でても美味いし茹でた後で塩と胡麻油で和えてナムルにしても良い。
2.豚肉をフライパンの上に並べる。フライパンは焦げ付き防止の加工をしたものがよい。油はひかない。上から野菜パウダーをかけ、更に裏返して再度パウダーを振りかける。
3.最初は強火で、表面の色が変わったらすぐに裏返して中火にする。そのまま中火で両面に焦げ目が付くまで焼く。その際に豚肉が厚すぎると中が生焼けになってしまうので、1のときに如何に上手に薄めに切るかが決め手となる。台所の換気扇は勿論「最強」である。
4.焼けたらフライパンのまま食卓に持ってくるか皿に盛って持ってくる。
5.サンチュにサムジャンを塗り、上にもやしやナムルを乗せ、その上に豚肉を乗せ、更に塩辛を乗せる。包んで食べる。
6.予算の関係で肉が少ない時にはサンチュにさらにご飯を包んで食べる。

 さっぱりしているので正直いくらでも食べられるが、まあ一人100gくらいにしておくのが中高年には身体に優しいといえるかもしれない。若い人だと多分200gくらいは普通に食べられると思う。

河童簡単韓国料理22-ビビン冷麺のコペルニクス的転回-(いやしんぼ112)

ビビン冷麺

 私が隣国韓国に行き始めたのは、この国のコペルニクス的転回の契機となったソウル五輪の前年、1987年のことである。 もう34年前になる。
 そのときのことは「88以前の韓国旅行記を世界遺産に」というシリーズにまとめているのでご覧いただきたいが、その中で、私は「韓国料理の不味いもの」の1つとしてビビン冷麺を登場させている。

韓国最辛料理

 その項の中で私はこの麺のことを、

 同じく番外のピビン冷麺(咸興冷麺)は美味しいのでワーストに入れるのは申し訳ないのだが、とにかく辛い。真っ赤っかである。これを食べたのが胃腸を壊す直接の原因になったような気がする。

と書いている。

 実際最初に食べたときから「不味い」とは思わなかった。むしろ「美味しい」と思った。
 しかし、同時に「辛すぎる」という感覚も喚起する食品であった。私の弱い胃腸にはどう考えても好影響を与える食品ではなかった。「シャーシャー」と「燃える〇門」を覚悟してから、「よし、喰うぞ」と気合を入れないと食べられない麺であった。

 だが、34年といえば、バブバブ言っておしゃぶりを咥えていた赤ん坊が男盛りの中年男になる年月である。当時は社会人になったばかりの私ももう定年の歳になった。

 歳月は人間を変える。

 歳月は私から色々なものを奪っていったが、その代りに与えたものもあった。それは「以前より辛い物が大丈夫になった」ということである。
 実はこれも「味覚障害が始まった」ということで奪われたものの一つなのかもしれないが。取り敢えず以前より快適に食べられるものが増えた。ビビン冷麺もその一つである。

 あるいはタッパル(鶏の足先)や「ブルドック麺(仮名)」などの食べ物を知ってビビン冷麺の辛さがそれらの食品の地獄のような辛さに比べればまだマイルドだということに気付いたからかもしれない。
 
 何はともあれ私はビビン冷麺が好きになった。

 今のような秋なのに何時までも残暑が去らずに暑い日、私はビビン冷麺を食べる。

 これは30数年間のうちに行った韓国旅行で覚えた「シウォナダー(日本誤訳:さっぱりしたー)!」という感覚を求めての行為である。

本当はシウォナダー

 この感覚は論山に頭の大きな仏像に逢いに行く旅でヘムルグッ(二日酔いスープ)に出逢ったことで病みつきになった。

 最近の私は暑い日でも「普通の冷麺」(平壌冷麺)を差し置いてちょくちょくビビン冷麺を作っては、「シウォナダー」しているのだ。

 30数年間で少しずつ起こった「コペルニクス的転回」である。

 さて、レシピである。

[材料]
①.細麺の饂飩。我が家では私達夫婦の嚥下能力の関係で、やたらと腰の強い蕎麦粉由来の麺ではなく、小麦で作られた我が日の本の饂飩が冷麺の麺として使われることが多い。これは釜山旅行でミルミョン(小麦の麺で作られた冷麺)と出会って私達の先入観が壊されて以来の我が家で頻繁に行われる風習である。もちろん蕎麦粉で作られた麺も美味しいが、少々嚥下に自信の無くなってきた私たちの御同輩にはこちらをお勧めする。特に奈良の〇〇製麺のものは最近の私たちのお気に入りである。
②市販のビビン冷麺のタレ。「アウディ(仮名)」の奴が辛すぎず日本人の舌に合うようだ。
③卵。これは国産のものはどこのものでも美味しいし安全なので特に拘らない。
④胡瓜。自分のところの農園(庭でもプランターでも可)で育てた無農薬の胡瓜は本当に甘い。ただし、私の大好きな四葉(スーヨー)はこの場合には甘みが足りないのでタレの辛さに負けてしまうようだ。やはり野菜は品種によって適応があるな。
⑤梨。秋が旬だが入手できるならば是非入れるべし。ムル冷麺(平壌冷麺)に梨はつきものだが、実は日本人にとってはむしろ辛いビビン冷麺に必須である。タレの辛さが実に自然に円やかになる。
⑥豚肉。肩肉か腿肉の脂の少ないところが美味い。これは煮豚にするためのものだから、別に市販のそれでもいいし、市販のロースハムとかプレスハムとか、とにかく豚の加工肉であれば特に問題なし。
⑦大蒜。二つ切りにしておく。
⑧生姜。適当な大きさに切っておく。
⑨長葱。5cmくらいの長さに切っておく。
[調理法]
③卵を中華鍋かフライパンで薄焼きし、千切りにする。要するに錦糸卵。
④胡瓜を千切りにする。秋の胡瓜は皮が固いのでピーラーで剥いておく。
⑤梨を千切りにする。
⑥⑦⑧⑨豚肉と大蒜・生姜・長葱を圧力鍋で煮る。シュンシュンいいはじめて10分くらい弱火で。出来上がったら粗熱を取って千切りにする。
①饂飩を茹でて柔らかくなったら笊に取り、水で洗って丼に入れる。丼は出来ればステンレスか真鍮製の韓国風のものがよい。
②面にタレを掛けてしっかり混ぜる。
③④⑤①錦糸卵・胡瓜・梨・煮豚を麺の上に載せ、写真撮影。
⑩全部を混ぜ、食す。

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 写真は左がビビン冷麺、右がムル冷麺である。
 というか、小麦粉の麺であるからビビンミルミョンとムルミルミョンと云った方がいいかもしれない。
 妻はこの日検診でバリウムを飲んだ後だったので胃腸を刺激しそうなビビン冷麺は避けたのだ。
 飲み物は「比喩―ガーデン(仮名)」という世界的に有名な白ビールだったのだが、このビールのコクと甘さが辛い食べ物に抜群に合うのである。マッコリよりもビビン冷麺に合うかもしれない。

 至福の夕食である。

耳なし芳一-住職はどこへ-(笑えない夜のために24)

耳なし芳一

 以下の文章はもう随分まえ、高校生に怪談をしてほしいと言われて書いたものである。
 1904年に書かれた'THE STORY OF MIMI-NASHI-HOICHI'という小説を小林幸治氏が翻訳したものをさらに短くリメイクしたもので作者の完全オリジナルではないことをお断りしておく。


耳なし芳一
改作:Well肉桂
原作 Lafcadio Hearn,P.
訳:小林幸治

 「わが平家一族の命運も、もはやこれまで。おのおの方、覚悟はよろしいか。」
 「おーっ!」
 叫ぶやいなや、鎧武者たちが次々と海に飛び込んでいく。
 かつては京の都で栄華を極めた平家も、奢れる者は久しからず。東国で挙兵した源氏にどんどん追い詰められ、ついに本州の西の涯、壇ノ浦で最後の決戦を挑んでいた。
 戦い利あらず、ついに平家の敗北が決定的となった。
 平知盛は、ここまで平家と行動を共にしてきた幼い安徳天皇のいらっしゃる船に乗り移った。
 「みなさま、もうすぐこの船には東国の野蛮な者どもがやってまいります。辱めを避けるため、覚悟なされよ。」
 その言葉を聴いて、祖母である二位尼は宝剣を腰に差し、玉璽を身につけると、天皇の小さな身体を抱きかかえた。
「おばばは私をどこに連れて行くのじゃ。」
 天皇はまだ5歳の誕生日が来ていなかった。
「これから私と一緒に海の底の極楽浄土に参りましょう。」
 そういうと、二位尼は天皇を抱いたまま、何のためらいもなく壇ノ浦の急流に身を投げた。それを見て、天皇を守っていた女性たちも次々と海に飛び込んだ。
 こうして平家は滅亡したのである。

 それ以来、この壇ノ浦の周辺ではさまざまな怪しい出来事が起こるようになった。
 よく知られているのはこの地方で取れる蟹である。蟹はこの合戦以前には何の変哲もない蟹だった。ところが、合戦の後、ここでとれる蟹は無念のうちに海に沈んだ武者の顔が甲羅に浮かび上がるようになった。「平家蟹」と呼ばれている。
 そしてこの海峡では夜な夜な無数の人魂が浮遊し、風が吹くときには合戦の雄たけびが聞こえる。
 これらの亡霊に沈められた船や引きずり込まれた人があまりにも多いので、下関に阿弥陀寺が作られ、平家の霊を供養することになった。しかし、あまりにも深い恨みのゆえか、なかなかその祟りがなくなることはないのだった。

 もうずいぶん前の話だが、下関に芳一という琵琶の名手がいた。琵琶はそのころ盛んだった弦楽器で、楽器を弾くと同時に物語を聞かせるのである。そして、このころの琵琶弾きには盲目の者が多かった。芳一もまた盲目であった。芳一は幼いころから源氏と平家の合戦を聞かせることで知られていた。特に壇ノ浦の合戦のくだりでは「鬼ですら涙をこぼす」といわれた。

 ある晩、芳一は阿弥陀寺の住職の留守番をしていた。
 蒸し暑い夜だったので縁側で涼みながら琵琶を爪弾いていると、突然足音が聞こえてきて、自分の正面で止まった。芳一は盲目であるからもちろんそれが誰であるか見えない。
 「芳一。」
 足音の主が名前を呼んだ。ずいぶんと高飛車な、呼びつけるような声である。もちろん住職の声ではない。
 芳一がびっくりして黙っていると、また「芳一。」と呼ばれた。ほとんど叱るような声である。
 「何でしょう。私は目が見えませんので、どなたが呼ばれるのか分かりません。」
 芳一がおびえながら答えた。
 「恐れることはない。実はさる高貴なお方が近くに泊まっておられるのだ。それがお前の琵琶が漏れ伝えてくるのをお聞きになっていたく感動され、ぜひ目の前で聞きたいとおっしゃっている。急ぎその方のところに行って琵琶を弾いてみよ。」
 相手は言葉遣いなどから武士のようである。しかも、声だけ聞いてもひどく短気そうである。芳一は仕方なく武士の後ろについていった。男が歩くたびにガチャガチャと音がする。鎧を着ているようだ。

 しばらく歩くとどこかの屋敷らしきところに通された。座布団が用意されていたので、座って琵琶を調律した。すると、いつの間に芳一の前に座ったのか、女の声がした。
 「芳一よ、お前の源平合戦の語りが巧みであることは以前から伝え聞いている。今日はぜひ壇ノ浦の戦を聞かせてはもらえまいか。」
 「わかりました。」
 すでに恐ろしさは消えていた。それどころか、迎えの武士の言うとおり高貴な身分の相手ならば、褒美も大きいに違いない。

 芳一は全力を尽くして壇ノ浦の戦を語った。
 ヒョウと鳴る弓矢、ガシャガシャとなる兜、刀同士がぶつかり合ったときに立てる甲高い音、渦巻く波音、命が絶えるときの人の雄叫び、そうした音を、芳一の琵琶と声が巧みに奏でた。
 芳一が視覚以外の感覚で受け取ったことは、聴衆がずいぶんと多く、老若男女そろっていることだった。
 いよいよ物語は安徳天皇と女性たちの入水の場面にさしかかった。女や子供達の哀れな最後。幼子を腕に抱いた二位尼の身投げ。
 聴衆の全てが一斉に、長く長く打ち震える、悲痛な泣き声を上げた。それは芳一自身が作り出した悲嘆と凄まじさに怯える程だった。長い時間に渡ってすすり泣きと慟哭が続いた。
 しかし、嘆き悲しむ声は次第に弱くなっていき、再び大きな沈黙につつまれた。長い沈黙の後、芳一は老女と思しき女の声を聞いた。
 「ありがとうございました。天下一の名人とはそなたのこと。かしこどころにあってもぜひもっとそなたの琵琶をきこしめしたいとのおおせ。ぜひ後6日、あわせて1週間、そなたの琵琶を聞かせてはもらえまいか。褒美はたんまりと取らせよう。今宵お前を迎えに行った者を使いとするので、今日と同じく阿弥陀寺の縁側で待っておいてたもれ。」

 「たんまりと褒美」といわれては断るわけもない。
 芳一はそれから続けて5日、夜中に寺を抜け出しては高貴なお方の滞在場所に行き、琵琶を弾いて源平合戦を語ったのであった。

 ところが、さすがにそれだけの回数で夜中に寺を抜け出せば、住職も気づく。
 夜中に一人でどこに行っているのか、問いただすのだが、芳一は口をつぐんで話さない。その不自然さに心配になった住職は、芳一が寺を出るのを待って、寺男にこっそり後をつけさせた。

 するとどうだろう。芳一はたった一人でまっすぐ寺の裏の墓地へと歩いていった。そして、そこにある安徳天皇の慰霊碑の前に座り、一人琵琶を弾き、源平合戦を語っているではないか。折から降り出した雨で芳一はびしょ濡れである。
 芳一の周りには無数の鬼火が蝋燭のように燃えていた。これほどの数の人魂を寺男は見たことがなかった。

 寺男は芳一をひっかかえると、抗議の声を上げるのもかまわずに無理やり寺に引きずり戻した。
 住職は一部始終を聞いて言った。
 「芳一さん、なんて気の毒に。あなたの音楽の才能が仇となったのです。あなたは平家の亡霊たちに取り付かれているのです。あなたが約束したという最後の日、あなたはきっと彼らに取り殺されてしまうでしょう。おそらくは彼らのお抱えの琵琶弾きとして黄泉の国に連れていかれるのです。」
 そういわれると、初めてなりゆきの異常さを悟った芳一は急に怖くなった。
 「いったいどうしたらよいでしょう。」

 「私があなたのそばで読経をしてあなたを守りましょう。しかし、彼らの力から考えて、私の法力では守りきれないかもしれない。そこで…」
 というと、住職は芳一を裸にし、彼の身体一面に般若心経を書き始めた。
 「こうすれば彼らから身を守ることができるはずです。」
 芳一の全身がくまなくお経で覆われると、住職は言った。

「自分で縁側に座っていてください。もしかすると私が彼らに負けて、声をかけられるかもしれません。しかし、何が起ころうと返事をしても動いてもなりません。一言も口をきかず座り続けなさい。少しでも動いたり音をたてたりすれば、八つ裂きにされます。怖がらないで、助けを呼ぼうなどとは思わないで下さい。そのときは私はもういませんから、あなたを救える助けは来ないのですから。言うとおりにしていれば危機を乗りきり、これ以上怖ろしいことは起こらないでしょう。」

 墓で目撃した死霊たちにすっかり怖気づいてしまった寺男は、どうかお暇をいただきたい、というと、寺から避難することになった。

 暗くなると、芳一はじっと縁側に座って黙っていた。
 じきに住職がお経を唱える声が聞こえてきた。お経の声は次第に大きく、必死の声になっていったが、「渇!」という声を最後に途絶えた。

 芳一はだんだん近づいてくる足音を聞いた。門をくぐり、庭を横切り、縁側に近づいて芳一の正面で、止まった。
「芳一。」太い声が呼びかけた。しかし息を殺し、微動だにせず座っていた。
「芳一。」二度目は厳しい口調だった。
 それから三度目。怒りを露あらわにしていた。
「芳一!」
 芳一は石のように動かずにいた。
「返事がない。困ったことだ。奴が何処にいるのか見極めねばならん……」
 重量のある足が縁側に上がり込んでくる耳障りな音が在った。

 ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン。
 その音はゆっくり近づいてくる。そして傍らで止まった。
 それから長い間、芳一は心臓の鼓動が全身を振るわせるのを感じた。
 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。不気味な沈黙があった。

 やがて間近にしわがれた呟き声が聞こえた。
「琵琶はここにあるが、琵琶法師は、なるほど、耳ふたつだけだ。何故返事がないのか納得がいった。返事をする口がないのだ。耳の他には何も残っていないから。ならば殿様のため、この二つの耳を取ろう。これまで尊い使命を果たすため、出来るだけのことをしたという証しとして。」

 芳一が鉄の指で掴まれたと感じた瞬間、耳は引き千切ちぎられた。猛烈な痛みがあったが、恐ろしさに叫び声を上げられなかった。
 重々しい足音は縁側を歩いて遠ざかり、庭に下りると、そのまま道の方角へ出て行き、やんだ。頭の両側から、どろどろと生暖かいものがしたたるのを感じたが、敢えて手を上げなかった。

 翌朝。
 寺から聞こえてくる不気味な音に一晩中おびえていた寺男が、村人たちを連れて様子を見に来た。そして、床一面に溜まっているぬるりとした液体に滑って、「ぎえーっ!」と叫び声を上げた。
 そこには全身に般若心経を書かれた裸の芳一が座っていた。両方の耳がなく、その傷跡からはまだ血がしたたっているのだった。

 寺男の話ではおそらく慌てていた住職が芳一の耳にだけお経を書き損なったのではないかということだった。

 芳一はじきに耳の傷も癒え、鬼神さえ泣かせたという琵琶の名手として一段と有名になった。

 住職の行方は誰も知らない。

湖の畔で-恋人たち-(笑えない夜のために25)

湖の畔で

 以下の文章はもう随分まえ、高校生に怪談をしてほしいと言われて書いたものである。
 2015年に韓国で放映された「深夜食堂fromソウル」(阿部夜郎原作漫画)の第10話「麦クルビ」のストーリーに着想を得て怪談に仕立てたもので、作者の完全オリジナルではないことをお断りしておく。

  次はお隣の韓国で本当にあった話です。

 私たちは職場の釣り仲間である。
 よく5人くらいであちこちに釣りに行く。
 日本のことはよく知らないが、韓国では海釣りも川釣りも盛んである。
 私たちが特に好きなのは、会社から50kmくらい離れたムル湖という湖で釣りをすることだ。
 私たちがムル湖を好きなのは、ここに鯉や鮒や、韓国でもめっきり少なくなった鰻や鮎が多く棲んでいるからではない。
 この湖では3年くらい前に世間を騒がせたある事件が起こり、訪れる人がめっきり減った。おかげで釣り人も減り、そんな話は少しも気にしない種類の人間である私たちは、この湖のほとりをほとんどプライベートビーチのように使って豊富な魚を釣っているのである。

 それはこんな話だ。
 3年前の夏の日、あるカップルがこの湖に流れ込む急流で川遊びをしていた。
 ところが、川の怖さを知らぬ若い娘は、不用意に深い流れに踏み入れ、足をすくわれてしまった。急流をどんどん流れていく恋人を助けようと若者が川に飛び込んだ。しかし、なにせ川で泳いだことなどない都会っ子である。しかも、服を着て泳いだことなどない。彼は自分が溺れないのがやっとで、顔を辛うじて水面より上げながら流されていった。そして、運の悪いことに流されている娘に追いついてしまった。自分が溺れているので娘を助けようとするどころではない。
 溺れようとする者の藁をも掴む力をおそらく世間のたいていの人は知らないだろう。これは本当に海坊主より強いのだ。だから溺れている人に近づくときは絶対に背中から近づかなければならない。そうしないと、あっという間にしがみつかれて、自分も水の中に引きずり込まれる。
 気の毒な若者は気の毒な娘に正面からしがみつかれ、必死になって振りほどいたのだそうだ。
 おそらくこの若者は、自分にしがみつく娘の必死の形相と、振りほどかれて突き飛ばされた時の絶望と無念の形相を一生忘れることはないだろう。
 結局若者は助かったが、娘は水死体で見つかり、その手には若者の大量の髪の毛がしっかりと握られていたという。

 こんな話が平気なのは、私と、私の釣り仲間くらいらしく、私たちはこの3年というものこの豊かな漁場を独占し続けていたのである。

 その日は夜釣りで鰻を狙おうという話になった。私たちは湖畔にずらりと釣竿をならべた。そして竿先に鈴をつけて、針につけたミミズに鰻が食いつくのを待っていた。用心しないと、鰻という奴は、少しも鈴を鳴らさないままに、餌のミミズだけを盗ってしまうのだ。

 その日はちょうど満月で、街灯一つないこの人里離れた湖の畔もそれなりに明るかった。私たちは自分の出した竿先を眺めながら、とりとめのない話をしていた。

 そのときである。
 おそらく500m以上は離れている湖畔に人影が現れた。どうも若い女性のようである。
 彼女は美しい月を見ようともせず、真っすぐに前を向いたまま、岸辺に向かってどんどん歩いていく。とうとう彼女の足は湖に踏み込み、どんどん深い方へと進んでいく。
 まずい、彼女は湖に入ろうとしているのだ。入水自殺だ。

 すると、一人の男がこれまた突然現れて彼女のところまで走っていった。そして彼女の足をすくって抱き上げ、岸の方に連れて行った。
 彼女は男の胸を両手で駄々っ子のように叩き、何か叫んでいる。おそらく「ほっといてよ!」「死なせてよ!」と言っているのだろう。
 私たちも中年太りした身体を必死で動かし、彼ら二人のもとに駆けつけた。
 案の定、自殺未遂だった。
 彼女の体を持参していた毛布で包み、アウトドアグッズで火を起こした私たちは、119番で呼んだ救急隊が来るのを待ちながら、彼女の話を聞いた。

 彼女の話では婚約者がこの湖の近くの病院に入院しているそうだ。彼はもう3年も意識不明で、一度も目を覚ましたことはないのだとか。
 その原因は自分にあるのだと彼女は言った。
3年前の夏の日、この湖に流れ込む川で遊んでいるときのことだ。彼女は足をとられて急流に飲まれてしまった。彼はそんな彼女を助けようとして溺れてしまったのだという。
彼がもう目を覚まさないほど深刻だと医者から告げられたとき、彼女はずいぶん彼の父親や母親に責められた。母親に頬を叩かれたことすらあったらしい。それでもこの3年間必死で看病してきたのだという。
でも、半年くらい前からだろうか。
 彼女はふと、「この苦しみは何時まで続くんだろう。」「もう彼が目を覚ますことはないんじゃないか。」って考えることが、少しずつ、少しずつ、増えてきたらしい。そして、それを必死で打ち消して、そんな邪な自分を最悪の人間だと責めている時間も、少しずつ増えてきたのだという。
 そしていつしか、「死にたい」「死ねばこの苦しみから逃れられる」という考えが彼女を捕えて離さなくなってしまったのだ。

ほどなくして、救急隊が到着した。しかも、112番に掛けてもいないのに、警察も来た。
警察でいろいろと聞かれるのは面倒である。私たちはここはチャンホとドンヨルに任せることにした。彼ら2人の父親は警察の偉いさんなのである。彼女の病院への付き添いにチャンホ、警察関係はドンヨルに任せることにした。彼女を助けた男もそれで何かほっとしたように見えた。

私たちは自殺しようとした女を見事に救助した男を中心に車座になって、男の話に耳を傾けた。

 何であの娘を助けられたかって?
 実は、この数週間ってもの、あの子の恋人がずっと俺の夢枕に立って、あの子を助けてほしいって頼むんだよ。
 男はあの子の婚約者なんだ。
彼が言うには、意識のない人の魂は、死者に近いから、肉体から離れやすいんだって。
 で、肉体から離れると、その場にいる人の考えていることが分かってしまうんだって。
 肉体から離れた彼の魂が知ってしまったのは、彼のお父さんはもうとっくに彼から関心を無くしてしまっていることだった。お父さんは彼のそばにいても、仕事のことやら、その日の昼食のことやら、病院に来る途中で出会った可愛らしい女性のことやら、関係のないことばかり考えていたことらしい。
 でも、彼はそのことでお父さんを責める気にはなれなかった。だって、彼が意識を失ってからもう三年も経ってるんだから。彼が事故に遭った直後、なんとか治療法はないかと必死で探していたお父さんの姿を彼は忘れていないから。
 彼のお母さんと恋人は、少なくとも彼と一緒にいるときはいつも彼のことを考えていた。そして、いつか目を覚ましてくれることを祈っていた。
 でも、半年くらい前からだろうか。
 恋人はふと、「この苦しみは何時まで続くんだろう。」「もう彼が目を覚ますことはないんじゃないか。」って考えることが、少しずつ、少しずつ、増えてきたらしい。そして、それを必死で打ち消して、そんな邪な自分を最悪の人間だと責めている時間も、少しずつ増えてきたんだ。
 彼には自分の死ぬ日が近いことがわかったらしい。死ぬ日が近づくと、魂は肉体から離れる時間が長くなる。彼に周りの人の気持ちが分かるようになったのも、それだけそうした時間が長くなったからにほかならないんだ。
 そして彼は、俺の夢の中に現れるようになった。俺はこの湖の畔でたまたま彼女と出会ったことがあるんだ。
彼が俺の夢に現れるようになったのは、何より、彼女は自ら死を選ぼうとしていることが分かったからだと思う。
何で彼の魂は彼女の夢に現れなかったのかって? 
彼に言わせると、魂は愛する人の胸に現れた瞬間、その人の胸の中で永遠に生きることになるんだそうだ。肉体としっかり結ばれた魂ならばその大部分は再び肉体の中に戻っていくことが出来る。でも、肉体から離れかけている魂は完全に肉体と切り離されて愛する人の胸に閉じ込められてしまう。しかも、決して消えない辛い記憶として。そのとき、彼の肉体は死ぬ。それ以外の道はない。そして、残された多くの人は自分の胸に閉じ込められてしまった辛い記憶のために、また死を選ぶ。自殺が連鎖しやすいのは、こうした理屈らしい。
こんなときには全然関係ない人とか、野次馬のような人の夢に現れるのが一番いいんだそうだ。これだと肉体から離れかけている魂でも再び自分のそれに戻ってくることが出来る。
彼はほぼ毎晩俺の夢の中に来たよ。そして、何とか彼女を助けてほしい、っていうんだ。魂は海や湖の近くにはいけないらしい。あっという間に「母なる海」に吸収されてしまうんだ。
特に彼が必死だったのが、彼女が入水しようとした前の晩、つまり夕べの夢だ。
そのときの彼はもうほとんど生霊だった。いつものボーッとした姿ではなくて、もう悪魔のような姿と声になっていた。そして、明日は絶対にあの湖に行ってなんとか彼女を助けてほしいって、半分は哀願で、半分は脅しなんだ。もしかすると、もう悪魔と契約を結ぶ寸前だったのかもしれない。あれ以来彼は夢に現れないから、ひょっとすると、契約を結んでしまっていて、今頃は彼の魂は悪魔のものになったのかもな。
これが、入水しそうになった彼女を助けられた理由なんだ。

じゃあ赤の他人のためにわざわざこの湖まで車を飛ばして駆けつけたのかって?
そうじゃないよ。俺は毎晩寝る時間が近くなるまでこの岸辺に座っているのが習慣なんだ。

今話した恋人たちの話とは全然関係ない話なんだけどな。
この湖で溺れそうになった彼女を突き飛ばしたという噂の男はあんたたちも知ってるだろう? それは俺のことなんだ。

そのとき、チャンホとドンヨルの私たちを呼ぶ声がした。病院と警察署から帰ってきたのだ。

私たちが彼らに気をとられて、もう一度男の方を見たとき、彼はもういなかった。足跡が残っていて、それは湖の中に続いていた。

猿の手-三つの願い-(笑えない夜のために23)

猿の手

 以下の文章はもう随分まえ、高校生に怪談をしてほしいと言われて書いたものである。
 1902年に 書かれた"The Monkey's Paw"という英国の小説をリメイクしたもので作者の完全オリジナルではないことをお断りしておく。


猿の手-三つの願い-
Well肉桂
原作:Jacobs,W,W.

 19世紀のイギリスの話である。
 カーナーボーン卿のもとに息子からの手紙が届いた。1ヶ月後に帰ってくるという。
 「ジョンが帰ってくる。私が破産してしまったばっかりに、ジョンには進学を諦めて船乗りになってもらったが、やっと契約が終わったんだな。」
 「久しぶりにあの子に会えますね。」
 「きっとたくましくなってるだろうな。」
 夫婦はとても喜んでいた。

 黒い服の男が夫婦のところにやってきたのはそれから2週間後のことだった。背が高く痩せているその男は、ひどく悲しげな顔をしていた。
 「お借りしていた猿の手を返しに来ました。おかげさまで願いが3つともかないました。」
 言葉とは裏腹に、男はちっとも嬉しそうでなかった。

 男の話ではもう30年ほど前、夫婦のところにお金を借りに来て、代わりに「願い事が3つかなう」という猿の手を渡されたのだという。
 男は一礼すると、帰っていった。

 「そんなことがあったっけ。あのころは金持ちだったからいろいろな人がお金の無心に来たもんな。いちいち覚えていられないよ。」
 「それにしても、気味の悪い男だな。猿の手を置いていくなんて。こんなもので願いがかなうなら、みんな金持ちになってるよ。私だって破産なんかしなかっただろう。」

 紳士は猿の手をてのひらの中で弄びながら言った。
 「息子が帰ってくるのは嬉しいけれど、あいつに進学をあきらめさせたときのことを思い出すと今でも胸が痛む。船乗りの年季が明けたのなら、もう一度学校に戻ってもらいたいな。しかし、それには金が要る。私たちの少ない蓄えをすべて使っても、4年間の学費には足りないだろう。あと500ポンドは必要だ。」

 紳士は掌の中の猿の手を見つめながら軽口を叩いた。
 「お前が本当に持ち主の願いをかなえてくれるのなら、500ポンド作ってくれないか。はははっ! まさかな。」

 翌日、また見慣れない男が夫婦を尋ねてきた。
 こちらは昨日の男よりも沈痛な面持ちである。手には皮の鞄を提げている。
 「エドワード・カーナーボーンさんですね。息子さんのジョン・カーナーボーンさんの乗務されていたわが社の船が氷山と衝突して沈没しました。息子さんは残念ながら死亡されました。そこで、保険の出るのを待たずに会社からの見舞金500ポンドを持ってまいりました。」
 「そんな馬鹿な。私は2週間前に息子の手紙を受け取ったばかりなんだ。」
 「まことにお気の毒ですが、会社の同僚が息子さんの遺体を検視して確認しております。間違いないということでしたので。」
 かわいそうなカーナーボーン夫人は大きな声を上げて気絶してしまった。

 カーナーボーン卿は叫んだ。
 「ああ、まさか、こんなことになるなんて。私が冗談でも500ポンドほしいなどと言ったばっかりに。どうか息子よ、生き返ってくれ。」
 だが、もちろんそんな奇跡が起こるはずもなく、会社からの使いは気の毒そうに卿の家から帰って行ったのだった。

 その日の夜。
 風一つない、妙に静かな夜だった。
 夫妻は夕食も摂らずに、互いの手を取り合って悲しみに沈んでいた。

 そのときである。
 コンコン、コンコン。ドアをノックする音がした。
 こんな夜中にこの屋敷を尋ねてくる人などいるものではない。風に運ばれた小石がドアを鳴らしたに違いない。

 だが、今度はもっとはっきりと、コンコン、コンコン。
 確かにノックの音である。

 夫妻は互いの手をとりながら、息を潜めてドアのほうに耳を澄ませた。

 ドンドン、ドンドン!
 無視されたからか、ドアの向こうから少しいらだったような音が聞こえてきた。

 カーナーボーン卿は大きな声でたずねた。
 「どなた?」
 返事はなかった。

 カーナーボーン夫人が、「きっとあの子ですよ。ジョンが帰ってきたんですよ。」
 「そんなはずはない。あいつが帰ってくるためには後2週間かかるはずだ。こんなに早く帰ってこられるはずがない。」

 ドンドン、ドンドン、ドンドン。
 今度は、荒々しくドアが叩かれた。

 「どなた?」
 「ジョンです。あなた方の息子のジョンです。帰ってきたんです。」
 「ほら、あなた、やっぱりジョンですよ。開けてあげましょう!」
 夫人は立ち上がってドアのほうに行こうとした。
 カーナーボーン卿は夫人の手をつかむと、引き止めて言った。

 「ジョンは死んだんだ。こんな時間にジョンを名乗ってくるのは化け物に違いない。」
 「化け物だって何だって、私たちの子どもじゃありませんか!開けてあげましょうよ!」
 「お父さん、お母さん、開けてくれよ。冷たい海に投げ出されたから寒くてたまらないんだ。暖炉で身体を温めさせてくれよ。」
 「ほら、早く開けましょう。ジョンが寒がってるじゃありませんか。」
 「だめだ。あいつは化け物だ。開けたとたんに私たちの命はなくなる。」
 「ジョン、ジョン、かわいそうなジョン!」夫人が泣き叫んだ。

 ドアの外の男の声の調子が急に変わった。
 「おいっ! お前たちは血を分けた息子が入れてくれといってるのに入れないのか? なんて薄情なやつらなんだ。おいっ、開けろ。」
 「開けろうっ!」
 ダンダン、ダンダン、ダンダンダン!

 カーナーボーン夫人はついに夫の手を振りほどき、ドアの方に向かって突進しようとした。だが、カーナーボーン卿が彼女の長い白髪をつかみ、床に引きずり倒したのでドアまでいけなかった。

 カーナーボーン卿は再び夫人の身体を強く抱きしめた。
 そのとき急に、ボーア戦争のときに狩りをして2匹の猿を仕留めたことが蘇った。そう、一匹は母猿、もう一匹はその子猿らしかった。仕留められた母親のそばから離れないので、簡単に撃つことができたのだ。あの猿たちの手を切り取って干した合計4本の「猿の手」はお守りとして知人たちに配ったのだ。

 「おいっ! どうしても開けないつもりか。ようし、それならこっちにも考えがあるぞ。」

 ボーン!
 屋敷中の窓ガラスが粉みじんに割れた。
 そして、その破片の一つが飛んできて、カーナーボーン婦人の首筋を掠めた。婦人の頚動脈が切断され、大量の血が天井まで噴出し、ガラスのシャンデリアの上に降り注いだ。夫人は声一つ立てることもなく、夫の腕の中で白い蝋人形のような死体になった。

 それと同時に、誰かがものすごい勢いで屋敷の壁と屋根を駆け上がった。
 ダダダダダッ!

 それは人間業では絶対できないことだった。まるで猿が木に駆け上がったような音だった。

 カーナーボーン卿はすでに死体となった妻を床に放り投げると、いつの間にか掴んでいた猿の手をまるで十字架のようにかざして叫んだ。

「お前はお前の帰るべきところに帰れっ!」

  気づいたとき、カーナーボーン卿の手の中から猿の手が消えていた。
 あれほどの騒音は嘘のように消え、屋敷をいつもの静寂が包んでいた。

 結局、ドアの向こうに誰がいたのかは分からない。
 妻と子を殺された猿が復讐のために息子を騙って現れたのだろうか。それとも、息子が両親に一目会いたいばかりに幽霊となって現れたのだろうか。

 一つだけはっきりしていることは、カーナーボーン卿が一日にして最愛の妻と息子をなくしたことだ。
 
 猿の手はあと3つ、どこかにある。

自動車の運転をすると鼻毛を抜きたくなるのはなぜか(それでも生きてゆく私274)

車に乗っていると鼻毛を抜きたくなるのはなぜか

 小学生の頃のことだったと思うが、「ハナゲの唄」という歌があった。特に流行ったわけでもなかったのだが、最初に聞いたときには爆笑してしまった。

  ハナゲが伸びる じわじわ伸びる
  剃っても抜いてもまた伸びる
  伸びて縮んでまた伸びる

で始まって、最後は、

  ハナゲで一億人窒息死

で終わる。もう50年近く前にほんの数回聞いただけの歌なのに、いまだに鼻毛の手入れなどしているとふいに思い出してニヤッとしてしまう。

 私はもう間違いなく初老と言ってよい歳になり、頭髪の方はめっきり伸びるのが遅くなった、というよりは生えるより抜ける方がずっと多くなったのに、鼻毛は相変わらず元気に生えてくる。
 困ったことに、最近は全身の毛に白髪が混ざり始め、鼻毛も例外ではない。

 白髪の鼻毛は目立つ。
 お年寄りがTVのインタビューなど受けていると、随分ダンディーな格好をした人でも鼻毛が出ていたりして「あーーあーー人前に出る時くらいちゃんと鼻毛を切りなさいよ」という気持ちになるのだが、これは一つには白髪の鼻毛が目立つために、余計出ているのが発見されやすいからに違いない。知らんけど。

 私の鼻毛も白髪交じりになってから妙に目立つようになったから、マメに手入れをしている。といっても、何時も鼻毛切り用の鋏を持ち歩いているわけではないから、ふとトイレの鏡など見ているときに「あ、出てる…」ということになっても、それを取り除く器具を持たない、ということが多い。

 そういうときは人類が生まれながらに持ち合わせている最も原始的なピンセットによって除去するということになる。
 が、これは大抵の場合やたらと痛い。涙が出てくる。
 しかも、抜けてきた鼻毛は黒くて短く、標的のものでなかったり、甚だしい場合には人差し指と中指の間には何も挟まっていなかったりする。痛がり損である(今思いついた新造語)。

 夏目漱石の「吾輩は猫である」には主人公が鼻毛を抜いて原稿用紙に並べるシーンが出てくる。
。また、抜いた鼻毛が白髪だったためにこれを自慢したりするシーンもある。してみると、漱石の鼻毛は私とは違って白髪が珍しかったのだろう。考えてみたら漱石の享年は49歳。私は漱石が死んだ歳よりもう10年も長く馬齢を重ねているのだ。
 ところで「吾輩は猫である」にやたらと鼻毛抜きの話が出てくるのは、作者の習癖がそのまま小説化されたものなのだろう。漱石は執筆に行き詰まると鼻毛を抜きたくなったらしい。

 私が鼻毛を抜きたくなるのは先述のトイレの鏡の前の他に、自動車の運転をしているとき、というのがある。むしろトイレの鏡の前より頻度は高いかもしれない。
 助手席には大抵の場合妻が座っていて、彼女はこの行為を不潔そのものとして忌み嫌っているから、私は彼女が風景に見とれたりしてこちらを見ていないのを見計らって除去術を駆使するのだが、これがどういうわけか必ず気付かれて金切り声で怒られる。
 「汚いっ! それを床に捨てなすなよ!(捨てないでよの熊本方言)」と、普段の温和な妻とは思えないくらいの剣幕である。

 ところで、どうして自動車の運転をしていると鼻毛が抜きたくなるのだろうか。これはおそらく私一人の習癖ではなくて、全国に同好の士(というより同病の士)が少なくとも100万人はいると推計する。
 なぜこんな強気な見積もりができるかというと、私はつい先日、「自動車の運転をしていると鼻毛を抜きたくなるのはなぜか」、その理由を発見してしまったからだ。

 そもそも人はなぜ鼻毛を抜きたくなるかといえば、根本的な原因は「痛いことしたさ」という、一種の自虐、マゾヒズムなのだろうが、もっと表面的には「ムズムズするから」だろう。自動車の運転をしているとなーぜか鼻がムズムズしてくるのだ。この「ムズムズ」をもう少し細かく分析してみると、鼻腔の中の鼻毛の先が鼻腔の粘膜をくすぐる閑職、じゃなかった、(それは俺だ、)感触である。

 先日運転しながら無意識のうちに鼻毛を抜いていて妻に怒鳴られた私は、「だって鼻がムズムズするとだもん」と言い訳しながら、ふと気づいた。
 それは自分の顔の斜め下の方からそよいでくる涼風だった。これが鼻毛をそよがせ、それによって鼻の粘膜をくすぐらせ、鼻をムズムズさせ、私の脳の「鼻毛抜き中枢」(大脳辺縁系にあることが既に研究によって明らかにされている。もちろん嘘。)に信号を送っていたのだ。

 ではその涼風とは何か。もちろんカーエアコンの風である。
 通常のエアコンの風が上方から来るのに対して、カーエアコンはその構造上、風が下から来るのである。 

 私は100万同志に告げる。車の中に鼻毛処理器具を常備しておくべし。
 幸いなことに鏡は既に備え付けてある。
 鋏か電気鼻毛切りか。それには拘るまい。
 それより大切なのは切ったものの処理である。一本でも残っていたら、それがカーエアコンの風によって鼻腔の更に奥に入り、次は「クシャミ中枢」(これは研究によって延髄にあることが既に明らかになっている。もちろん嘘、だと思うと思うが、本当。)を刺激することになる。

 ちなみに、運転中の鼻毛処理は法律によって禁止されている。道路交通法には「運転中に鼻毛を切っていけない」と明記、してあるはずはないが、鼻毛切りは第70条の「安全運転義務違反」にあたり、免許点数の2点減点と9000円の罰金も罰則として適応されると推測される。ただし、判例は寡聞にして知らない。

 運転中に鼻がムズムズしたら抜くのではなく安全なところに車を停めて器具で処理しましょう。(真面目に提言するようなことか。)

カメラ河童のシネレンズ図鑑35-25mmDマウントシネレンズまとめ4訂-(愛すべき機械たち)

25mmDマウントレンズ

[コレクション自慢]

 レンズ名をクリックすると各レンズの項目に飛びます。

KERN-PAILLARD 25mm F2.5
IMGP7081

REXER TELE 25mm F1.9
IMGP7073

 以下は25mmレンズおよびそれに準ずるシネレンズに関して知り得ることである。推測も多いのでシネレンズファンの御意見を取り入れて改定したいと思っている。

KINO-SANKYO 25mm F1.9
IMGP7602

CANON LENS C-8 25mm F1.8

IMGP9197

【レンズの意義】
8mmフィルムカメラの望遠レンズ。

【35mmカメラ換算の焦点距離】
PENTAX Q, PENTAX Q10に装着時:約137.5mm
PENTAX Q7, PENTAX Q-S1に装着時:約115mm

【25mmレンズの製造会社(Dマウントのみ)】
〈国産〉[五十音順「株式会社」除く]
瓜生精機(ブランド:CINEMAX)
オリンパス光学工業株式会社(ブランド:CINE-ZUIKO)
キヤノン株式会社(ブランド:CANON LENS C-8)
ズノー光学工業株式会社(ブランド:ZUNOW-CINE,ZUNOW-ELMO)
レクサー光器(ブランド:REXER)
〈舶来〉[アルファベット順]
Kern&Co.AG [瑞西](ブランド:Kern-Paillard YVAR,Kern-Swittar)

【鏡胴デザインの変遷】
〈形態〉
フジツボ型orバベルの塔型(1950年代)→筒型orアサガオ型型(1960年代)
〈色彩〉
オールクローム(1950年代前半)→クローム黒ストライプ(1950年代後半・1960年代前半)→クローム黒ゼブラ(1960年代後半)→ブラック(1970年代)

【マウント】
Dマウント:内径15.675mm (5/8inch)、ピッチ0.794mm(32山/1inch)、フランジバック12.29mmのねじ込み式マウント。
 またはカプラによりDマウント変換し得るマウント、たとえばバヨネットマウント(CANON)。

【ピントリング】
1.6feet~無限遠
1feet=0.3048m

【絞りリング】
F1.1~F28
F1.9~16のものが多い。
クリックするタイプと無段変換タイプがある。

【実用撮影可能なデジタル写真機】
PENTAX Q,PENTAX Q10,PENTAX Q7, PENTAX Q-S1,CHINON Bellami HD-1
装着方法:PENTAX機種ではD→Qマウントアダプターを使用。CHINON機には直接装着。CANONのシネレンズにはDマウント変換するカプラが必要。

【判明している種類(Dマウントのみ)】
〈国産〉[アルファベット順'CINE'除く]
CINEMAX 25mm F1.4
CANON C-8 38mm  F1.8
REXER 25mm  F1.1
REXER 25mm  F1.2
REXER 25mm  F1.4
REXER 25mm  F1.5
REXER 25mm  F1.9
ZUNOW-ELMO 25mm  F1.1

【筆者が確認済みのバリエーション】
〈国産〉[アルファベット順'CINE'除く]
CANON LENS C-8 F1.8
:筒型ストライプ
REXER TELE F1.9
:筒型ゼブラ
ZUNOW-ELMO F1.1
:アサガオ型オールクローム、アサガオ型ストライプ
〈舶来〉[アルファベット順]
Kern-Paillard YVAR
:フジツボ型ストライプ

 [まとめ]
 25mmはCマウントシネレンズの標準レンズという位置づけで「アンニュイー(仮名)」のものなどは世界的に有名だが、Dマウントのものは望遠レンズになる。こちらは38mmと違って種類も数も少なく、マイナーなレンズである。
 実際画角が狭いのであまり多くの情報を一つの画面に入れられないし、かといって手元に見えるほど対象を拡大できるわけでもないので、ちょっと使い道に迷うレンズである。

 13mmとの比較でいえば、あとちょっと対象が大きいといいな、という場合であり、38mmとの比較でいえばもう少し画角が広いといいな、という場合であろう。後38mmにはDマウントにしては大きくて重いレンズが多いので、もう少し軽くて小さなレンズが欲しいという場合か。

 これらの条件を総合すると、「あまり近づけないもの」「動くもの」を「風景の中に入れたいとき」ということになる。

IMGP7246

 つまり、あまり近づくと危険のある大型動物や、

IMGP7396

 群れで上空を飛んでいる鳥や、

IMGP8905

 近づくと逃げてしまう中型~大型の鳥などがそれに当たるか。いわゆる「鳥撮り」には随分使った。

 本当はポートレート向きだとも思うが、これは肖像権やプライバシーの問題で公に出来ないのが残念である。

 いずれにせよあらゆる場面で使えるという万能レンズではない。

 6.5mm, 13mm, 38mm,と3本ポーチに入れていて後1本、というとき、25mmか135mmかということになると、国産の重い奴だったら135mmより軽くて小さい25mmということになるかもしれないが、「木星11号(仮名)」のようなアルミの削り出し鏡胴で軽い奴ならば私は135mmを選ぶ。
 事実そうやって私のポーチからは25mmが消えていったのだ。

 ただ、残っている写真を見ると意外に出来がいい。
 「これでしか撮れない」という条件ではこちらも頭を絞って考えるからだろう。

 もっといろいろ使い方を考えたいレンズではある。

 

カメラ河童のシネレンズ図鑑62-CANON LENS C-8 25mm F1.8-(愛すべき機械たち)

山羊の撮影拒否

CANON LENS C-8 25mm F1.8


IMGP9201

製造:キヤノン株式会社
製造時期:1960年代(推定)
レンズ構成:不明
鏡胴デザイン:筒型・クローム黒ストライプ
焦点距離:25mm
開放値:1:1.8
絞りリング(前):時計回り:F1.8,2,2.8,4,5.6,8,11,16,22の9目盛り
絞り羽根:8枚
ピントリング(後ろ):時計回り:2feet~
マウント:D
実用撮影可能なデジタル写真機
:PENTAX Q,PENTAX Q10,PENTAX Q7, PENTAX Q-S1,CHINON Bellami HD-1
装着方法:PENTAX機種ではC8→Dマウントのカプラを装着して更にD→Qマウントアダプターを使用。CHINON機にはC8→Dカプラを装着した後装着。カプラが入手できない場合はアダプターを自作するしかないが、8mmごと入手した場合にはターレットのネジコミ部が取り外せるからその部分を加工してD→Qマウントアダプターに接着すればPENTAX Qシリーズに装着可能となる。

IMGP9198

IMGP9197
[レビュー]
 「家畜人オークション(仮名)」で普通の勤め人の昼食1回分くらいの値段で出ていたレンズである。
 「加農(仮名)」のこのタイプのレンズはDマウントではなく独自のバヨネットマウントで、同社製の8mmカメラに装着するのは容易だが、Dマウントの他社製8mmに装着するためには専用のカプラが要る。一連のシリーズのレンズはよく「カチオク」などで見かけるが、このカプラは「もうこの世にないのではないか」というほど希少なので、さしも物好きのDマウントファン達もこのレンズには手を出さないことが多いようだ。

IMGP0470
IMGP0469

 ただし、このレンズの嵌っていたカメラのターレットにはカプラが2個固定されているので、これのフランジバックを調整してD→Qマウントに接着するとCANON→Qマウントのアダプターが出来上がる。
 この25mmレンズの出品者もそのことを知っているらしく、私のところに送られてきたこのレンズにはターレットがカメラから外されて同梱されていた。親切なことだ。
 ただし、私は同じシリーズの13mmと38mmを入手した時にこのアダプターを自製済みだから、好意を有難くいただいて予備のアクセサリーとして保管しようと思っている。

IMGP0722

 しかし、この自製アダプターは少しだけ調整が甘いために全開放だと無限遠が出ない。したがって遠景はちょっと困った画像になる。しかし、元々25mmで遠景を撮影する趣味は私にはないので、それほど困らない。
 困るのは今回入手した個体の保存状態で、長らく放置されていたレンズによくある前玉の裏前面の黴、塗装の剥がれ、ピントの固着とほとんどフルコース状態であった。

IMGP0730

 この図鑑の35「25mmDマウントレンズまとめ」でも書いた通り、私は25mmは「鳥撮り」にしか使わないのだが、一応試写なので近景も撮ってみた。近景では無限遠を出す必要はないのでまあ普通の写りである。この時代のレンズの通弊として白が少し滲む。

IMGP0732

 花を変えたが同様なのでこれはこのレンズの特徴と言っていいだろう。
 これがこのレンズの構造上の問題なのか、それとも黴の所為なのかはもっと状態の良い個体と比較しなければ分からないだろう。

IMGP0734

 緑や赤はいい色で発色するからやはり構造上の問題なのか。

IMGP0752

 試写の日は生憎の雨で鳥がいなかったので、飛び回っている蜻蛉を追っかけてみる。Dマウントの25mmは愛機「ペンテコステオバQ(仮名)」に装着するとコンパクトな望遠になるから、こうした飛翔物を追いかけるのは得意なのだ。連射しなくても簡単に捉えた。

IMGP0755

 蜻蛉を中心に置いて背景を入れる。これが25mmの真骨頂である。

IMGP0756

 動物もあまり近づくと思わぬ火傷をするから少し離れたところから撮るには実に適当な焦点距離である。ポートレートなどを撮るのにも良いと思う。

IMGP0764

 この山羊は私を見つけるとすぐに近寄ってきたが、私が餌をやらずに撮影だけするつもりと気付くとシャッター音がした瞬間に眼を逸らすという高度な性悪テクニックを使ったので、10枚以上撮ったのにろくな写真はなかったが、もっと動物好きの優しい性格の人だったらとてもいい表情の写真が撮れるのではないだろうか。

IMGP0766

 これぐらい遠景になるとピントの甘さが目立ってしまう。これだと38mmで撮影した方がよい。

 まとめると、鳥や動物などをちょっと遠くから撮るのに適したレンズということだろう。ただ、やはりカプラの問題を解決しないとどうしてもピントが甘くなるのであまり遠景では撮れず、かなり撮影条件が限られるレンズである。

[駄文]
 38mmの項でも書いたが、8mmカメラに回転式のターレットがあるにも関わらずバヨネットマウントという不思議なレンズである。
 したがって、他の会社のDマウント8mmに取り付けようとすればそれ専用のカプラを使用せざるを得ず、「加農」の8mmにはDのマウントレンズは装着できない。
 これは「加農のカメラとレンズを買った人はずっと加農を使うしかない」ということを意味する。いわゆる「囲い込み」である。
 ただ、「加農」のC-8シリーズは6.5mm,13mm,25mm,38mm,75mmと、Dマウントレンズでいえば広角、標準、中望遠、望遠、超望遠が揃えられており、しかも写りがすこぶる良いから、ユーザーも「困らないっちゃあ困らないんだよな」という状態である。
 実際、「歩こう(仮名)」のようなDマウントに懸けたといってよい会社は現在まで存続しておらず、現在でもレンズ交換式カメラの市場は「加農」の一人勝ち状態と言われている。
 つまり、技術力が高くて資本力の大きい会社が顧客を囲い込むと他は潰れてしまうということだ。Dマウントレンズ全盛の1950年代には雨後の筍の如く存在したカメラ会社で現在残っているのは「加農」「ニコニコ(仮名)」「悧巧(仮名)」のわずか3社である(「悧巧」のブランド名は「ペンテコステ(仮名)」)。
 現代は女生徒の下着の色まで校則で統一させようというような教員ですら建前上は「多様性」を口にする時代だが、実は資本の論理が貫徹すると画一化が進むということか。
 もっともカメラ市場そのものがスマホによって食い潰されそうになっており、これがまた世界的な超巨大企業の為せる業である。
 シネレンズ遊びをしていると、「勝負がつく前」の敗者になった技術者たちの熱い思いが指先に伝わってくるような気がする(格好つけすぎ)。

カメラ河童のシネレンズ図鑑24-38mmDマウントシネレンズまとめ8訂-(愛すべき機械たち)

38mmレンズまとめ

【コレクション自慢】
レンズ名をクリックするとそれぞれのレンズの項に飛びます。

CINE-YASHINON 38mm F1.4 D
IMGP6599

ZUNOW-CINE 38mm F1.9 D
IMGP6562

Sun TELE-PHOTO 38mm F1.9 D
IMGP6847

 WALTZ TELE-PHOTO 38mm F1.9 D 後期型
IMGP6873

CINE-ARCO 38mm F1.9 初期型
IMGP6902

CINE-ARCO 38mm F1.8 後期型(ゼブラ)
IMGP6910

 CANON LENS C-8 38mm F1.8
IMGP6893

 SANKYO 38mm F1.4 D
IMGP6941

WALTZ TELEPHOTO 38mm F2.5 D 初期型
IMGP7497

CINEMAX TELE 38mm F1.9
IMGP7585

ZEIKA Cine-Tele 38mm F1.9
ZEIKA Cine-Tele 38mm F1.9改
IMGP0347

Tele Photo SUPER 38mm F1.9
IMGP8554

KINOTEL 38mm F3.5
IMGP8590

Cine-NIKKOR 38mm F1.8
IMGP0717

 以下は38mmレンズおよびそれに準ずるシネレンズに関して知り得ることである。推測も多いのでシネレンズファンの御意見を取り入れて改訂したいと思っている。

【レンズの意義】
8mmフィルムカメラの望遠レンズ。

【35mmカメラ換算の焦点距離】
PENTAX Q, PENTAX Q10に装着の場合:約209mm
PENTAX Q7,PENTAX Q-S1に装着の場合:約175mm

【38mmレンズの製造会社】
〈国産〉[五十音順「株式会社」除く]
アルコ写真工業(ブランド:CINE-ARCO)
市塚光学(ブランド:KINOTEL, KINO-SANKYO)
瓜生精機(ブランド:CINEMAX TELE)
オリンパス光学工業株式会社(ブランド:CINE-ZUIKO)
キヤノン株式会社(ブランド:CANON LENS C-8)
興和光学株式会社(ブランド:PROMINAR)
国際ホト(ユナイトレンズ社)(ブランド:MAIKAR)
株式会社ザイカ(ブランド:ZEIKA Cine-Tele)
サン光機(ブランド:Sun TELE-PHOTO)
三協精機(ブランド:SANKYO)
ズノー光学工業株式会社(ブランド:ZUNOW-CINE,ZUNOW-ELMO)
日本光学(株式会社ニコン)(Cine-NIKKOR)
明治商会(ブランド:MEIKOR)
株式会社ヤシカ(ブランド:CINE-YASHINON)
レクサー光器(ブランド:REXER)
ワルツカメラ社(ブランド:WALTZ TELEPHOTO)
製造元不明(ブランド:Tele Photo SUPER)
〈舶来〉[アルファベット順]
Kern&Co.AG [瑞西](ブランド:Kern-Paillard YVAR,Kern-Swittar)
Keystone International Co.LTD [米] (ブランド:Elgeet)
Schneider-Kreuznach [独] (ブランド:Xenoplan)
SOM Berthiot Pari [仏](ブランド:Cinor)
Wollensak Optical Co [米](ブランド:Cine Raptar)

【鏡胴デザインの変遷】
〈形態〉
フジツボ型orバベルの塔型(1950年代)→筒型orアサガオ型型(1960年代)
〈色彩〉
オールクローム(1950年代前半)→クローム黒ストライプ(1950年代後半)→クローム黒ゼブラ(1960年代前半)→ブラック(1960年代後半)

【マウント】
Dマウント:内径15.675mm (5/8inch)、ピッチ0.794mm(32山/1inch)、フランジバック12.29mmのねじ込み式マウント。
 またはカプラによりDマウント変換し得るマウント、たとえばバヨネットマウント(CANON)。

【ピントリング】
1feet~無限遠
1feet=0.3048m

【絞りリング】
F0.9~F28
F1.9~16のものが多い。
クリックするタイプと無段変換タイプがある。

【実用撮影可能なデジタル写真機】
PENTAX Q,PENTAX Q10,PENTAX Q7, PENTAX Q-S1,CHINON Bellami HD-1
装着方法:PENTAX機種ではD→Qマウントアダプターを使用。CHINON機には直接装着。CANONのシネレンズにはDマウント変換するカプラが必要。

【判明している種類】
〈国産〉[アルファベット順'CINE'除く]
CINE-ARCO38mm  F1.8
CINEMAX 38mm F1.9
CANON C-8 38mm  F1.4
CANON C-8 38mm  F1.8
KINOTAR 38mm F1.4
KINO TELE 38mm  F1.5
KINO TELE 38mm  F3.2
KINO TELE 38mm  F3.5
KINO-SANKYO 38mm  F1.9
Cine-NIKKOR 38mm  F1.8
MAIKAR 38mm  F1.0
MAIKAR 38mm  F1.2
MAIKAR 38mm  F1.4
MAIKAR 38mm  F1.8
MEIKOR 38mm F1.4
REXER 38mm  F1.0
REXER 38mm  F1.4
REXER 38mm  F1.9
REXER 38mm  F2.5
CINE-PROMINAR 38mm  F1.9
CINE-PROMINAR 38mm  F2.5
CINE-PROMINAR 38mm  F3.5
SANKYO 38mm F1.4
Sun 38mm  F1.1
Sun 38mm  F1.4
Sun 38mm F1.9
Sun 38mm  F3.5
Sun DX 38mm F1.9
Tele Photo SUPER 38mm F1.9
WALTZ 38mm  F1.4
WALTZ 38mm  F1.9
WALTZ 38mm  F2.5
CINE-YASHINON 38mm F1.4
ZEIKA 38mm  F1.4
ZEIKA 38mm  F1.8
ZEIKA 38mm F1.9
CINE-ZUIKO 38mm F1.4 
ZUNOW-ELMO 38mm  F1.1
ZUNOW-CINE 38mm  F1.9

【筆者が確認済みのバリエーション】
〈国産〉[アルファベット順'CINE'除く]
CINE-ARCO F1.9
:筒型ストライプ、筒型ゼブラ
CANON LENS C-8 F1.8
:筒型ストライプ
CINEMAX TELE F1.9
:ビアグラス型ストライプ
KINO-SANKYO F1.9
:筒型ストライプ
KINO TELE 38mm  F3.5
:ビアグラス型ストライプ
Cine-NIKKOR F1.8
:筒型ブラック
OLYMPAS CINE-ZUIKO F1.4
:筒型ゼブラ
REXER TELE F1.9
:筒型ゼブラ
SANKYO F1.4
:筒型ゼブラ、筒型ゼブラ距離計連動
Sun TELEPHOTO F1.9
:ビアグラス型オールクローム
Tele Photo SUPER F1.9
:ビアグラス型ストライプ
Waltz TEREPHOTO F1.9
:ビアグラス型オールクローム、ビアグラス型ストライプ
CINE-YASHINON F1.4
:ビアグラス型ゼブラ
ZEIKA Cine-Tele F1.9
:ビアグラス型オールクローム
ZUNOW-CINE F1.9
:バベルの塔型ストライプ
ZUNOW-ELMO F1.1
:アサガオ型オールクローム、アサガオ型ストライプ
〈舶来〉[アルファベット順]
Kern-Paillard YVAR(36mm)
:ビアグラス型ストライプ
Keystone Elgeet
:バベルの塔型オールクローム(カプラと合体すると筒型)

[まとめ]
 38mmレンズは状態の良いものが多い。したがって現代のカメラである「オバQ」に装着して撮影してもはっきりくっきりした画像が得られることがほとんどだ。
 ただ、大口径レンズであるため、「オバQ」の小さなモニターにバーッと光が入ってくるので、真昼間の撮影などだとピントが合わせにくい。この場合はモニターにフードを付けたりして対応すると多少はマシになる。

 ところで、状態のいいレンズが多いというのは38mmレンズがあまり使われなかったことを象徴するともいえる。

 38mmレンズはDマウントが何故滅んでいったかを表しているレンズなのかもしれない。

 13mmレンズが8mmカメラの構造上の制約でその多くがペッツバールタイプ4枚のレンズ構成だったのに対し、38mmはスチールカメラの望遠レンズを縮小した形から次第に標準レンズそのままの形に変化していったように見える。それは鏡胴のスタイルの変遷から推測できる。
 おそらくレンズ構成も「ほのぼのライカ(仮名)」の「ぞなー、もしー(仮名)」や「鉄鎖ー(仮名)」を真似たものになっていったのではないだろうか。あるいはその外見の通り「頭脳(仮名)」の55mmや「トプカピ宮殿(仮名)」の50mmを模したものもあったかもしれない。
 絞り羽根もまた当初の6枚から最終的には12枚を備えたものもあるほどに複雑化していった。
 こうした変化は「大型化」「重量化」「高級化」である。レンズ交換式の一眼レフならばそれでもいいだろう。使わないレンズはバッグに納めればよい。
 ところが8mmカメラはその撮影の性質上リアルタイムに場面の変化を捉える必要があり、そのために素早くレンズ交換ができるように多いものではレンズを3本装着できるターレットを備えていたのだ。しかも一眼レフは両手で支えるが、8mmは片手で支えなければならない。そうした条件にカンブリア紀の怪物のような巨大な38mmはそぐわない。

 動画が珍しかった時代、多くのユーザーにとっては画面が動きさえすればよかったことは、その後固定式の小さなレンズを1個備えたシングル8がDマウントに取って代わったことが示唆している。もっともその後結局それも巨大化するのだが。

 結局商品と云うものは売れなくなればその寿命を終えるわけで、そういう意味でいえばカメラそのもの(スマホのカメラを除く)がDマウントと同じ運命を辿りつつあるのではないかと少々肌寒い思いがする。

カメラ河童のシネレンズ図鑑61-Cine-NIKKOR38mmF1.8-(愛すべき機械たち)

Qシリーズ勢ぞろい

Cine-NIKKOR 38mm F1.8D 


IMGP0715


製造:株式会社ニコン
製造時期:1960年代(推定)
レンズ構成:レトロフォーカスタイプ(推定)
鏡胴デザイン:筒型・ブラック
焦点距離:38mm
開放値:1:1.8
絞りリング(前):反時計回り:F1.8,2,2.8,4,5.6,8,11,16,22の9段階
絞り羽根:12枚
ピントリング(後ろ):反時計回り:2feet~
マウント:D
実用撮影可能なデジタル写真機
:PENTAX Q,PENTAX Q10,PENTAX Q7, PENTAX Q-S1,CHINON Bellami HD-1
装着方法:PENTAX機種ではD→Qマウントアダプターを使用。CHINON機には直接装着。

IMGP0716


IMGP0717

IMGP0718


[レビュー]
 以前から欲しかった「日光る38mm(仮名)」の高級版である。
 F1.8の開放値と9段階12枚絞りがこのレンズが廉価版ではないことを示している。
 絞りやピントを回してみると、只者ではない精密感がある。
 あまり沢山作られたレンズではないはずだ。
 ところが、私は「家畜人オークション(仮名)」で普通の勤め人の昼食1回分くらいの値段であっさり落札してしまった。欲しいものが手に入る時というのは得てしてこういうものだ。恋焦がれている時には姿さえ見えず、競争相手に敗れて胸をかきむしるが、忘れたころに「あれっ?」という感じで我が家に来る。
 ただ、このレンズを覗き込んだ途端に、安かった訳、競争相手がいなかった訳が分かった。レンズ黴が前玉の裏一面に生えていてほんの少しだが白濁しているのである。レンズ黴は完全には除去できないし、放置しておくと悪性腫瘍と一緒でどんどんガラスに浸潤していくから、これがあるとレンズの価値は一気に1/10程度に下落してしまう。
  したがってこのレビューはそれを頭に入れて読んでいただきたい。

IMGP0680
IMGP0681

 試写の日は生憎の雨だったのだが、遠景がなんとなくぼやけた感じなのは天候のせいではなく黴のせいかもしれない。

IMGP0710

 というのは同日の午後晴れてからの青空の写真も何となくぼんやりした感じだからだ。
 元々望遠レンズは画角が小さいから遠景が苦手なのだが、それにプラスしてレンズの状態の悪さが拍車をかけているようだ。

IMGP0686

 気を取り直してそろそろ穂の出てきた田圃の近景を撮影する。
 緑の発色はいいし、穂に付いた雨粒もよく描写できている。

IMGP0691

 調子に乗って花を撮影。
 この時代のレンズにはほぼ例外なく赤の不自然な浮き上がりがあるのだが、これは比較的自然である。
 白の滲みもご同様だが、これはご多分に漏れず、というところか。

IMGP0690

 最近よく使う「ペンテコステオバQ(仮名)」は「オバQ10」に比べて若干ピントが合わせにくいのだが、ぴたりとハマったときはなかなかである。ピンクになると浮き上がりというよりは立体感になってむしろ好ましい。

IMGP0697

 とにかく水滴が綺麗である。「瑞々しい」とはこのことだ。

IMGP0695
IMGP0692

 黄色も合格だろう。
 やはり何となくぼんやりした感じがあるのは個体の状態のせいだろうと思う。
 ただ、こんな豪勢なレンズが完全な状態だったら私の入手した価格の20倍くらいにはなりそうである。
 大口径レンズであるにもかかわらず、ガタイのコンパクトさも好ましい。「香具師のん兵衛(仮名)」や「頭脳君(仮名)」の同時期の38mmに比べるとずっと小さくて軽い。
 まとめると、コンパクトな中に豪華な機構が盛り込まれ、発色もよい銘玉だが、状態が悪すぎてこの個体だけでは判断ができない、というところだろう。

[駄文]
 Dマウントレンズのデザインは初期のオールクロームからゼブラ、そしてブラックへと変遷していったようである。そしてブラックのものは概して値段が高い。というのは、やはり年代が新しい(といっても60年くらい前のものだが)ために状態のよいものが多いこと、また、機構としてそれ以前のものより高度であること、さらにDマウントとしては末期のものであるため、そもそも製造された個体の数が少ないことが考えられる。
 したがって私の100近いDマウントコレクションの中でもブラックのものが一番数が少ない。
 ところがこれを「オバQ」や「オバQ-S1」のブラックカラーのものに装着するとたまらなくカッコいい。「オバQ10」「オバQ7」はほとんどがシルバーなのでレンズもシルバーデザインのものの方が似合うが。 

IMGP0719ボカシ

 特に私は最近入手した「Q-S1」にイタズラをして「ほのぼのライカ(仮名)」風にしているのだが、これとブラック系レンズの組合せは秀逸である。イタズラの度が過ぎて当局に眼を付けられそうなので鮮明な写真を披露できないのが残念だが。

カメラ河童のシネレンズ図鑑31-6.5mmレンズまとめ5訂-(愛すべき機械たち)

6.5mmまとめ

 以下は6.5mmレンズおよびそれに準ずるシネレンズに関して知り得ることである。推測も多いのでシネレンズファンの御意見を取り入れて改定したいと思っている。

【コレクション自慢】 
レンズ名をクリックするとそれぞれのレンズの項に飛びます。


KINO-SANKYO 6.5mm F1.9
IMGP7032

Sun 6.5mm F1.9
IMGP7043

WALTZ 6.5mm F1.9
IMGP7051

WIDE ZUNOW-CINE 6.5mm F1.9
IMGP7097


CINE-W. ARCO 6.5mm F1.8 D前期型(ストライプ)

IMGP7175

CINE-ALCO 6.5mm F1.8 D 後期型(ゼブラ)
IMGP7182

MAIKAR 6.5mm F1.9 WIDE ANGLE
IMGP7444

WALTZ WIDE ANGLE 6.5mm F1.4
IMGP0322

WIDE ANGLE ZEIKA NOMIGAR 7.5mm F1.4

IMGP8529

【レンズの意義】
8mmフィルムカメラの広角レンズ。

【35mmカメラ換算の焦点距離】
PENTAX Q, PENTAX Q10に装着時:約35.75mm
PENTAX Q7, PENTAX Q-S1に装着時:約29.9mm

【6.5mmレンズの製造会社】
〈国産〉[五十音順「株式会社」除く]
アルコ写真工業(ブランド:CINE-ARCO)
株式会社エルモ(ブランド:ELMO)
市塚光学(ブランド:KINOTAR, KINO-SANKYO)
瓜生精機(ブランド:CINEMAX)
オリンパス光学工業株式会社(ブランド:CINE-ZUIKO)
キヤノン株式会社(ブランド:CANON LENS C-8)
興和光学株式会社(ブランド:PROMINAR)
国際ホト(ユナイトレンズ社)(ブランド:MAIKAR)
株式会社ザイカ(ブランド:ZEIKA, NOMINAR)
三協精機(ブランド:SANKYO)
ズノー光学工業株式会社(ブランド:ZUNOW-CINE,ZUNOW-ELMO)
日本光学(株式会社ニコン)(Cine-NIKKOR)
明治商会(ブランド:MEIKOR)
株式会社ヤシカ(ブランド:CINE-YASHINON)
レクサー光器(ブランド:REXER)
ワルツカメラ社(ブランド:WALTZ)
〈舶来〉[アルファベット順]
Kern&Co.AG [瑞西](ブランド:Kern-Paillard YVAR,Kern-Swittar)
Keystone International Co.LTD [米] (ブランド:Elgeet)
Schneider-Kreuznach [独] (ブランド:Xenoplan)
SOM Berthiot Pari [仏](ブランド:Cinor)
Wollensak Optical Co [米](ブランド:Cine Raptar)

【鏡胴デザインの変遷】
〈形態〉
ビアグラス型orアサガオ型(1950年代)→ビアグラス型or筒型(1960年代)
〈色彩〉
オールクローム(1950年代前半)→クローム黒ストライプ(1950年代後半)→クローム黒ゼブラ(1960年代前半)→ブラック(1960年代後半)

【レンズ構成】
多くレトロフォーカスタイプ
【マウント】
Dマウント:内径15.675mm (5/8inch)、ピッチ0.794mm(32山/1inch)、フランジバック12.29mmのねじ込み式マウント。
 またはカプラによりDマウント変換し得るマウント、たとえばバヨネットマウント(CANON)。

【ピントリング】
ないものが多い
0.5feet~無限遠
1feet=0.3048m

【絞りリング】
F1.1~F28
F1.9~16のものが多い。
クリックするタイプと無段変換タイプがある。

【実用撮影可能なデジタル写真機】
PENTAX Q,PENTAX Q10,PENTAX Q7, PENTAX Q-S1,CHINON Bellami HD-1
装着方法:PENTAX機種ではD→Qマウントアダプターを使用。CHINON機には直接装着。CANONのシネレンズにはDマウント変換するカプラが必要。

【判明している種類】(5.5mm, 6.0mm, 7.0mm, 7.5mm, 9.0mm,10.0mm含む)
〈国産〉[アルファベット順'CINE'除く]
CINE-ARCO6.5mm  F1.8
CINEMAX 6.5mm F1.9
CINEMAX 10mm F1.4
CANON C-8 6.5mm  F1.8
CINE-ELMO 6.5mm F1.1
CINE-ELMO 6.5mm F1.9
KINOTAR 6.0mm F1.9
KINOTAR 6.5mm  F1.8
KINOTAR 7.0mm F2.5
KINO-SANKYO 6.5mm  F1.9
CINE-NIKKOR 6.5mm  F1.9
NOMINAR 6.5mm F1.9
MAIKAR 6.5mm  F1.9
MAIKAR 6.5mm  F2.5
MAIKAR 7.5mm  F1.2
MAIKAR 10mm  F3.2
MEIKOR 6.5mm F1.9
REXER 5.5mm  F1.4
REXER 6.0mm  F1.9
REXER 6.5mm  F1.2
REXER 6.5mm  F1.4
REXER 6.5mm  F1.9
REXER 6.5mm  F2.5
REXER 7mm  F1.4
REXER 7.5mm  F2.2
CINE-PROMINAR 6.0mm  F1.9
CINE-PROMINAR 6.0mm  F2.5
SANKYO 6.5mm F1.4
Sun 6.5mm F1.4
Sun 6.5mm  F1.9
Sun 7.0mm  F1.4
Sun 7.5mm  F1.4
Sun 9.0mm F2.5
Sun DX 6.5mm F1.9
WALTZ 6.5mm  F1.4
WALTZ 6.5mm  F1.9

WALTZ 7.0mm  F2.5
CINE-YASHINON 6.5mm F1.4
ZEIKA 5.5mm  F1.4
ZEIKA 6.5mm  F1.9
ZEIKA 7.5mm  F1.4
CINE-ZUIKO 6.5mm F1.8

ZUNOW-ELMO 6.5mm  F1.1
ZUNOW-CINE 6.5mm  F1.9

【筆者が確認済みのバリエーション】
〈国産〉[アルファベット順'CINE'除く]
CINE-ARCO F1.9
:筒型ストライプ、筒型ゼブラ
KINO-SANKYO F1.9
:ビアグラス型オールクローム
Cine-NIKKOR F1.8
:ビアグラス型ブラック
OLYMPAS CINE-ZUIKO F1.4
:筒型ゼブラ
REXER TELE F1.9
:筒型ストライプ
SANKYO F1.4
:筒型ゼブラ、筒型ゼブラ距離計連動
Sun WIDE F1.9
:ビアグラス型オールクローム、ビアグラス型ストライプ
CINE-YASHINON F1.4
:筒型ストライプ、筒型ゼブラ
ZUNOW-CINE F1.9
:バベルの塔型ブラック
ZUNOW-ELMO F1.1
:バベルの塔型オールクローム、バベルの塔型ストライプ
〈舶来〉[アルファベット順]
確認なし

[まとめ]
 6.5mmレンズの場合最も問題になるのは殆ど全てのDマウントファンが撮影に使用している「ペンテコステオバQ」との相性だと思う。
 つまり、6.5mmレンズのイメージサークルが「オバQ」のセンサーより小さいという問題である。
 これは実際の撮影ではケラレという問題として生起する。

 ケラレはケラレとして、「昔のレンズだから仕方がない」と考えるのであれば、それは個人の嗜好であるから特に問題はない。

IMGP7123

 たとえば上のような写真が撮れたとしても、元々昔のレンズなのだし、解像度も今のレンズとは全然違うのだから、これはこれで良し、という考えである。

IMGP7123t

 だが、昔のレンズで撮った写真だと分かっていても、上の写真のように加工したくなるのが人情と云うものである。

 やはりいくら昔のレンズで撮ったものでも、現在の写真鑑賞の基準からあまりに外れたものに対しては違和感があるということだ。

 では、6.5mmレンズで撮った写真が出来るだけそれに近くなるためにはどんな心掛けが必要なのだろうか。

1.全開放で撮る。

IMGP7140

IMGP7146

 2枚の写真は「頭脳」の6.5mmで撮ったものだが、上は全開放のF1.9、下はF11で撮影した。
 F1.9では周辺減光がそれほど目立たないのに対して、F11ではこの写真が6.5mmとしては相当有利な条件で撮影されたにも関わらずケラレとしか言いようのない周辺減光が発生している。

 少なくとも私の所有している6.5mmレンズでいえば、「頭脳」のものと「讃」のもの、それと「紀伊國屋」のものは全開放の場合そこまで目立ったケラレは出ない。

2.フィルターやフードは付けない。

IMGP5736

 注意すべきはフィルターやフードであって、3mm程度鏡胴の長さが長くなっただけでもケラレの部分は大きくなったりする。
 上の写真は「紀伊國屋門左衛門」のフィルターなしで撮影した写真である。僅かにケラレが発生している。

IMGP5736t

 しかしこの程度だと殆ど構図を変えずにトリミングすることができる。

IMGP7158

 ところがフィルターをつけたこの撮影ではかなり大きなケラレが出現した。

IMGP7158t

 この画像を周辺減光がなくなるまでトリムすると、もはや元の構図とは全く違った写真になってしまう。何だかこちらに向かって走ってくる白いワゴン車のナンバーを割り出すために撮られたオービスからの写真みたいである。

3.隅から隅まで写った風景写真は諦める。
 なぜ風景写真に広角レンズを使うかといえば、一般的には、広い画角を利用し、ある程度絞って画面の隅から隅までくっきり写した写真が欲しいから、という動機だと思うのだが、広い画角はトリミングの必要によって台無しになるし、絞るほどケラレの範囲は大きくなってしまう。

IMGP1286

 私の持っている6.5mmの中で最もケラレが少ない「頭脳6.5mmF1.9」でピントと絞りと画角のバランスに精一杯気を遣って撮っても被写界深度はこれが限度である。


IMGP1286t

 トリミングすると鮮明さは更に低下する。

 隅から隅まで何もかも写ったような風景写真は諦めた方がよい。

4.空や海は撮らない。青天の真昼間は撮らない。
IMGP3660

IMGP3657

 青天の海や空のような「青一色」「〇一色」といった感じの色と構図は6.5mmと「オバQ」の組合せが最も苦手とするところではないかと思う。

IMGP3660t

IMGP3657t

 減光が目立たないところまでトリミングすると、もはや構図が全く変わってしまう。

5.トンネル効果を利用する。

IMGP5257

 ではどんな構図だと広角の良さが使えるかというと、道や廊下など、前方に収斂されて行くような構図だと四隅の減光がむしろ奥行きを強調する小道具となって邪魔に感じない。この写真は特に曇天で撮影しているからより欠点が目立たない。

 コンテストにでも出すのであればピントも減光も完全にアウトだろうが、個人的な記録に使用するのであればノープロブレムである。

6.近づいて撮る。

IMGP7147

 焦点距離が近いほどヘリコイドによって前玉がセンサーから遠ざかるので、ケラレなくなる。
 虫や花に近づいて撮るのに適したレンズである。

IMGP6771

 これはその応用編であって、敢えて中央手前の花にピントを合わせたことによって風景を入れても周辺のケラレが気にならなくなる。

7.ピントリングを使わずアダプターのねじ込み部でピントを合わせる。

IMGP7208

 「頭脳」のようにケラレの少ない機種ではヘリコイドを一番近く(0.6feet)に固定しておき、更にアダプターのねじ込みを緩めて最短撮影距離より更に近くにピントを合わせ、ケラレが出ないように慎重に絞っていくと周辺減光程度で近景~遠景の全てを同じ画面に収めることができる。
 それにしても「頭脳」の全開放での被写界深度の大きさには驚いた。やはり皆が「頭脳」「頭脳」と騒ぐはずである。

7.逆光で撮る。フレアを出す。

IMGP2995

 逆光で撮ってフレアを出せば四隅の減光はむしろ陽光を強調する効果となる。

 以上のように、撮影条件に気を遣えば個人的な映像を得るには十分使えるレンズである。

カメラ河童のシネレンズ図鑑15-13mmシネレンズまとめ7訂-(愛すべき機械たち)

歴史はここから始まった

【コレクション自慢】
レンズ名をクリックするとそれぞれのレンズの項に飛びます。

CINE-ARCO 13mm F1.8 D
IMGP6206

Cine-ARCO 13mm F1.9 ゼブラ D
IMGP5286

CANON LENS C-8 13mm F1.8
IMGP6309

KINO-SANKYO 13mm F1.9 D
IMGP6165

KINO-SANKYO 13mm F1.9 D TypeⅡ
IMGP6198

Cine-NIKKOR 13mm F1.9 D
IMGP6223

OLYMPAS Cine-Zuiko 13mm F1.8 D
IMGP6113

SANKYO 13mm F1.4 D
IMGP6239

CINE-YASHINON 13mm F1.4 Ⅰ型 D
IMGP6578

CINE-YASHINON 13mm F1.4 Ⅴ型 D
IMGP6285

ZUNOW-CINE 13mm F1.9 D
IMGP6301

Zunow-Elmo Cine13mm F1.1 D
IMGP6123

Kern-Paillard Switzerland YVAR 12.5mm F2.5 D
IMGP6181

WOLLENSAK  CINE-RPTAR 13mm F1.9
IMGP0331

CINE-ELMO 13mm F2.5

IMGP0339

KINO-SANKYO 13mm F1.4 D

IMGP8731t


 以下は13mmレンズおよびそれに準ずるシネレンズに関して知り得ることである。推測も多いのでシネレンズファンの御意見を取り入れて改定したいと思っている。

【レンズの意義】
8mmフィルムカメラの標準レンズ。

【35mmカメラ換算の焦点距離】
PENTAX Q, PENTAX Q10に装着時:約71.5mm
PENTAX Q7, PENTAX Q-S1に装着時:約59.3mm

【13mmレンズの製造会社】
〈国産〉[五十音順「株式会社」除く]
アルコ写真工業(ブランド:CINE-ARCO)
市塚光学(ブランド:KINOTAR, KINO-SANKYO)
株式会社エルモ(ブランド:CINE-ELMO)
オリンパス光学工業株式会社(ブランド:CINE-ZUIKO)
キヤノン株式会社(ブランド:CANON LENS C-8)
興和光学株式会社(ブランド:PROMINAR)
国際ホト(ブランド:MAIKAR)
株式会社ザイカ(ブランド:ZEIKA)
サン光器(ブランド:Sun)
三協精機(ブランド:SANKYO)
ズノー光学工業株式会社(ブランド:ZUNOW-CINE,ZUNOW-ELMO)
日本光学(株式会社ニコン)(Cine-NIKKOR)
株式会社ヤシカ(ブランド:CINE-YASHINON)
レクサー光器(ブランド:REXER)
ワルツカメラ社(ブランド:WALTZ)
〈舶来〉[アルファベット順]
Kern&Co.AG [瑞西](ブランド:Kern-Paillard YVAR,Kern-Swittar)
Keystone International Co.LTD [米] (ブランド:Elgeet)
Schneider-Kreuznach [独] (ブランド:Xenoplan)
SOM Berthiot Pari [仏](ブランド:Cinor)
Wollensak Optical Co [米](ブランド:Cine Raptar)

【鏡胴デザインの変遷】
〈形態〉
フジツボ型orバベルの塔型(1950年代)→筒型orアサガオ型(1960年代)
〈色彩〉
オールクローム(1950年代前半)→クローム黒ストライプ(1950年代後半)→クローム黒ゼブラ(1960年代前半)→ブラック(1960年代後半)

【レンズ構成】
多くペッツバールタイプ

【マウント】
Dマウント:内径15.675mm (5/8inch)、ピッチ0.794mm(32山/1inch)、フランジバック12.29mmのねじ込み式マウント。
 またはカプラによりDマウント変換し得るマウント、たとえばバヨネットマウント(CANON)。

【ピントリング】
1feet~無限遠
1feet=0.3048m

【絞りリング】
F0.9~F28
F1.9~16のものが多い。
クリックするタイプと無段変換タイプがある。

【実用撮影可能なデジタル写真機】
PENTAX Q,PENTAX Q10,PENTAX Q7, PENTAX Q-S1,CHINON Bellami HD-1
装着方法:PENTAX機種ではD→Qマウントアダプターを使用。CHINON機には直接装着。CANONのシネレンズにはDマウント変換するカプラが必要。

【判明している種類】
〈国産〉[アルファベット順'CINE'除く]
CINE-ARCO13mm  F1.8
CANON C-8 13mm  F1.4
CANON C-8 13mm  F1.8
CINE-ELMO 13mm F2.5
KINOTAR 13mm  F1.9
KINOTAR 13mm  F1.4
KINO-SANKYO 13mm  F1.9
NIKKOR 13mm  F1.8
MAIKAR 13mm  F1.2
MAIKAR 13mm  F1.9
REXER 13mm  F1.2
REXER 13mm  F1.4
REXER 13mm  F1.9
REXER 13mm  F2.9
CINE-PROMINAR 13mm  F1.9
SANKYO 13mm F1.4
Sun 13mm  F1.4
Sun 13mm  F1.9
WALTZ 13mm  F1.9
CINE-YASHINON 13mm F1.4
ZEIKA 13mm  F1.4
CINE-ZUIKO F1.8
ZUNOW-ELMO 13mm  F1.1
ZUNOW-CINE 13mm  F1.9
〈舶来〉[アルファベット順]
Kern-Paillard YVAR 12.5mm F1.9
Kern-Paillard YVAR 13mm F1.9
Kern-Paillard Swittar 13mm F0.9
Keystone Elgeet 13mm F1.9
Keystone Elgeet 13mm F2.5
Keystone Elgeet 13mm F2.8
Schneider-Kreuznach Xenoplan 13mm F1.9
SOM Berthiot Cinor
:筒型オールクローム
Wollensak CINE-RAPTER F1.9
:バベルの塔型オールクローム
【筆者が確認済みのバリエーション】
〈国産〉[アルファベット順'CINE'除く]
CINE-ARCO F1.9
:フジツボ型ストライプ、筒型ストライプ、筒型ゼブラ
CANON LENS C-8 F1.8
:アサガオ型ストライプ
CINE-ELMO 13mm F2.5
:フジツボ型オールクローム
KINO-SANKYO F1.4
:バベルの塔型ストライプ
KINO-SANKYO F1.9
:バベルの塔型オールクローム、バベルの塔型ストライプ
MAIKAR F1.2
:フジツボ型オールクローム
Cine-NIKKOR
:フジツボ型オールクローム、筒型ブラック
OLYMPAS CINE-ZUIKO
:筒型ゼブラ、筒型ブラック
SANKYO
:筒型ゼブラ、筒型ゼブラ距離計連動
CINE-YASHINON F1.4
:バベルの塔型ストライプ、筒型ゼブラ
ZUNOW-CINE F1.9
:バベルの塔型ストライプ
ZUNOW-ELMO F1.1
:バベルの塔型オールクローム、バベルの塔型ストライプ
〈舶来〉[アルファベット順]
Kern-Paillard YVAR 13mm F1.9
:フジツボ型ストライプ(ピントリングあり)
Kern-Paillard YVAR 13mm F1.9
:フジツボ型ストライプ12.5mm(ピントリングなし)
Kern-Paillard Swittar 13mm F0.9
:筒型ストライプ
Keystone Elgeet 13mm F1.9
:アサガオ型オールクローム、筒型オールクローム
Keystone Elgeet 13mm F2.5
:バベルの塔型オールクローム
Keystone Elgeet 13mm F2.8
:バベルの塔型オールクローム
Schneider-Kreuznach Xenoplan 13mm F1.9
:バベルの塔型オールクローム
SOM Berthiot Cinor 12.5mm F1.9
:筒型オールクローム
Wollensak CINE-RAPTER 13mm F1.9
:バベルの塔型オールクローム

【まとめ】
 私の知る限りではDマウント8mmカメラに改造なしで装着して標準レンズとして使用できるレンズは国産では上述のものである。舶来品については他にも私の知らないものがあるかもしれない。
 8mmカメラの標準レンズに使えるということはD→Qマウントアダプターを介すれば「オバQ(仮名)」にも使える、ということでもあるが、周辺減光が現れるものもあり、中には絞るとケラレが出るものもあるので特性を生かした構図が必要となる。
 また、開放に近い絞り値で被写体を中心に置いて撮影すると、ほとんどのレンズで「ぐるぐるボケ」といわれる収差が出現する。これを面白いと感じるかどうかでDマウント13mmレンズに対する態度はほぼ決まるといってよい。

 筆者の経験から得た購入する際の注意である。
 まず、新しいものでも1960年代(今から60年前)に製造されたレンズなので、オーバーホールされたもの以外はゴミ、黴の混入はあるのが当然と思った方がよい。
 また、ピントリングがスカスカ、または異常に固い、絞りが利かない、動かない、ということもよくある。ストレスなく使えるレンズが欲しい人はカメラ屋さんが整備したものを買った方がいい。ただし、そうしたレンズは同じものでも値段が一桁違ってくる。
 私は素人のくせに勉強のつもりで幾つかレンズを開けてみたが、取り返しのつかなくなったものもある。やはり開けない方がいいと思う。特に汚れているからといって安易にレンズを拭かないこと。
 特に資産としてレンズを考えている人は、売り買いも整備も専門家に任せた方がいい。
 もっともDマウントレンズは使用できるデジタルカメラが既に製造停止になっており、今後そうしたデジタル一眼が発売になる可能性も零に近いから、資産として考えて投資するのは止めた方がいいと思う。
 また、レンズの材質上劣化が避けられずどの個体も状態が悪いものもあるので実写したサンプルを見て購買を決めた方がいい。

 以上、シネレンズを楽しむための基本中の基本、13mmDマウントレンズについてのまとめでした。

カメラ河童のシネレンズ図鑑60-KINOTEL 38mm F3.5-(愛すべき機械たち)

KINOTEL 38mm F3

 KINOTEL 38mm F3.5

IMGP8593

製造:市塚光学(三協精機株式会社製造の8mmフィルムカメラに供給)
製造時期:1960年代(推定)
レンズ構成:不明
鏡胴デザイン:ビアグラス型・ストライプ
焦点距離:38mm
開放値:1:3.5
絞りリング(前):反時計回り:F3.5,4,5.6,8,11,16の6段階
絞り羽根:8枚
ピントリング(後ろ):反時計回り:0.9feet~
マウント:D
実用撮影可能なデジタル写真機
:PENTAX Q,PENTAX Q10,PENTAX Q7, PENTAX Q-S1,CHINON Bellami HD-1
装着方法:PENTAX機種ではD→Qマウントアダプターを使用。CHINON機には直接装着。

IMGP8583

IMGP8590

IMGP8589

[レビュー]
 「頭脳13mmF1.9(仮名)」とセットで8mmカメラに嵌って「家畜人オークション(仮名)」に出ていたレンズである。
 「頭脳」は既に持っているから気乗りしなかったのだが、過去の経験からいって「紀伊國屋(仮名)」銘のレンズは外れたことがないので、取り敢えず入札したところ、筆者以外に入札がなく「不本意落札」してしまったレンズである。

IMGP2787

 試写の日は生憎の黄砂とPM2.5で視界が1kmもなく、遠景を撮っても無意味な感じだったので、中景で列車を撮影。こんなに近くても何処となく霞んでいる。これはレンズの所為ではない。

IMGP2783

 ちゃんと隅から隅まで写るレンズである。ただし、F3.5というカタログ値ほどには感じないが、やはり暗い。

IMGP2799

 その分明るい色の対象物は目立つ。

IMGP9170

 花を撮って発色を確認する。やや白が滲むか。
IMGP2778

 話は違うがこの試写は最近入手した「オバQ」のタイプ1で行った。このカメラは値段の割にほとんど撮影されたことがないようでとても状態がよかったのだが、何とフォーカスアシストのピーキング機能がインストールされていない。ピーキングのない「オバQ」というのはこれほどピント合わせがしにくいのか。まさに「苦行」である。今後「オバQ」のような製造停止になったカメラは今回のようなファームアップの問題が出てくるに違いない。せっかく状態のいいものを入手したのに必要な機能がインストールされておらず、もはやメーカーからもファイルが手に入らない、というような。

IMGP9169

 この時代のレンズは赤が不自然に塗り潰されて浮き上がることが多いのだが、この写真では大丈夫である。

IMGP2770

 しかしややそれに近い描写はある。

IMGP2774

 これは艶のある被写体だから許容範囲か。

IMGP9172

 ツツジや、

IMGP9166

 カタバミなどの桃色になると落ち着く。

IMGP2800

 緑の発色はとても良いような気がする。鏡胴の形からしてDマウントレンズの中でも後期に属するものだから、現代レンズに近いのかもしれない。

IMGP9174

 紫の浮き上がりはガッカリである。私の一番好きな色だけにこれは痛い。

IMGP9171

 黄色は合格である。

IMGP9162


 おまけで庭で育てているアスパラガスの写真。単なる自慢である。

 まとめると、隅々までくだきりはっきり良く写り、小型軽量なので普段使いにしても良い感じである。
 ただ開放値が低いからあっと驚くような意外な写真は撮れないし、発色がやや人工的であまり昭和っぽくない。
 「頭脳」好きにはあまり食指の動かないレンズではないだろうか。

[駄文]
 「昨日だー(仮名)」や「機能TEL(仮名)」は「一里塚光学(仮名)」のブランドだが、この会社のレンズは「協賛(仮名)」にOEM供給していた一連のものの方がずっと玉が多く、「カチオク」などでよく見かける。
 いずれにしても写りは頗る良い。
 もっとも、38mmは会社によらず写りの良いものが多いから比較はやはり13mmということになるか。
 「昨日だー13mm(仮名)」の状態の良いものを求む。って、仮名にしてる時点で本気度ゼロだな。

カメラ河童のシネレンズ図鑑50-鏡胴分離型レンズまとめ(注意喚起)3訂- (愛すべき機械たち)

入札者は俺だけ

[確認済みのカメラとレンズ]
 〈カメラ〉
CINEMAX-8 TRIAUTO
〈レンズ〉
IMGP5983

CINEMAX 6.5mm F1.9(前玉のみ)
CINEMAX 13mm F1.9(鏡胴のみ)
CINEMAX 25mm F1.9(前玉のみ)

〈カメラ〉
ELMO 8-V
〈レンズ〉
CINE-ELMO 10mm F1.8(鏡胴のみ)
CINE-ELMO 25mm F1.8(前玉のみ)

〈カメラ〉
FUJICA8 T3
〈レンズ〉
IMGP1460

FUJINON 6.5mm F1.9(前玉のみ)

FUJINON 13mm F1.9(鏡胴のみ)
FUJINON 26mm F1.9(前玉のみ)


〈カメラ〉SECONIC ELMZTIC8
〈レンズ〉
IMGP6660

RESONAR-W 9mm F1.9(前玉のみ)
RESONAR-S 13mm F1.9(鏡胴のみ)
RESONAR-T 32mm F1.9(前玉のみ)

〈カメラ〉
SANKYO MOVIMAT8
〈レンズ〉
IMGP6657

PRONON 6.5mm F1.8(前玉のみ)
PRONON 13mm F1.8(鏡胴のみ)
PRONON 25mm F1.8(前玉のみ)

〈カメラ〉
YASHICA8-EⅢ
〈レンズ〉
未確認(YASHINONと推定)

〈カメラ〉
ELMO 8-V
〈レンズ〉
CINE-ELMO 10mm F1.8(鏡胴のみ)
CINE-ELMO 25mm F1.8(前玉のみ)

[まとめ]
 現在オークションやフリマでシネカメラを買う人には2つの動機があると思う。
 1つはシネカメラそのものが好きで、昔のフィルムで撮影するのが趣味の人。しかし、これは少ないと思う。
 もう1つは8mmカメラに嵌っているレンズが欲しくて買う人。これもカメラ人口からすると極僅かだろうが、シネカメラ購入者の大部分はこちらだと思う。
 そして、前者の目的であれば少しも困らないが、後者の目的で購入すると困惑してしまうシネカメラとレンズがある。
 それはターレット付き8mmダブルエイトとズームレンズ8mmシングルエイトの過渡期に存在したカメラとレンズである。
 これらのカメラでは、固定式の標準レンズが本体内にあり、標準の鏡胴と広角・望遠レンズの前玉がターレットに嵌っている。
 一見完全体のレンズがターレットに嵌っているように見えるので、カメラ本体から外すと像を結ばないレンズの鏡胴を3個買ってしまうことになる。
 これはよく見極めると分るのだが、珍しいメーカーだったりするとつい目を眩まされてしまうので十分注意してほしい。
 このタイプのレンズを買ってPENTAXQシリーズやCHINON BELLAMIに装着しても、全く撮影不可能である。必ず改造が必要だが、この図鑑の作例をみてもお分かりのように写りはすこぶる悪い。
 また、せっかく今まで伝えられてきた文化遺産としてのオリジナルのレンズを壊すことにもなる。
 したがってオリジナルのカメラとレンズで撮影したいという人以外は手を出すべきではない。

カメラ河童のシネレンズ図鑑59- Tele Photo SUPER 38mm F1.9 D-(愛すべき機械たち)

TelePhotoSUPER

 Tele Photo  SUPER 38mm F1.9 D

IMGP8556


製造:(推定:ワルツカメラ社)
製造時期:1960年代(推定)
レンズ構成:不明
鏡胴デザイン:ビアグラス型・クローム黒ストライプ
焦点距離:38mm
開放値:1:1.9
絞りリング(前):反時計回り:F1.9,2.8,4,5.6,8,11,16の7段階
絞り羽根:12枚(推定)
ピントリング(後ろ):反時計回り:3feet~
マウント:D
実用撮影可能なデジタル写真機
:PENTAX Q,PENTAX Q10,PENTAX Q7, PENTAX Q-S1,CHINON Bellami HD-1
装着方法:PENTAX機種ではD→Qマウントアダプターを使用。CHINON機には直接装着。

IMGP8552

IMGP8554

IMGP8555

[レビュー]
 レンズ単体で普通の勤め人の昼食と急に残業になって夕食も外食になった飯代くらいの値段で売られていたレンズである。
 困ったのは、写真を見てもメーカーが分からなかったことだ。鏡胴には「Tele Photo SUPER」と刻まれているが、「Tele Photo」は「望遠レンズ」という意味であり、「SUPER」もブランド名とは思えない。
 ただ、私はこれにそっくりのレンズを既に手にしている。


IMGP6866

 それはこの「ヨハンシュトラウスⅡ世(仮名)」である。
 外観は瓜二つと言っていいし、前絞り後ろピントという一風変わった構造も同じである。

 おそらくこのレンズはOEM生産されてある会社の8mmビデオに嵌っていたのだが、何らかの事情で名を名乗ることができなかったのだろう。おそらく当時の欧米先進国への輸出用である。

 ただ、「シュトラウス」と刻んである個体との違いは絞りで、前者は8枚羽根なのに対してこちらは綺麗な遠景に絞られていくからおそらくは12枚羽根である。この部分が「SUPER」なのかもしれない。

IMGP8962s

 まずは遠景。
 曇天なのに隅々まで写ることに感動である。少なくとも50年は経っているレンズなのだ。同じタイプの「シュトラウス」銘の写りの悪さは個体の保存状態の故だと判明した。元々は素晴らしいレンズなのだ。ジャンクレンズの怖いところである。

IMGP8950s

 相当強い逆光でもフレアが現れない。光に強いレンズである。

IMGP8948s

 しかし、本領は中近距離撮影か。集団の被写体を背景に埋没させない解像度がある。

IMGP8954s
 私の好きな紫の発色もバッチリである。

IMGP8952s

IMGP8955s

 普通に絞ると白は全く滲まない、

 この時代のレンズにありがちな赤の不自然な浮き上がりもない。

IMGP8957s

  しつこいようだが解像度が良いために花の群生など集団の被写体を撮るのに本領が発揮されるようだ。

IMGP8993s

 細かいところまで写るが現代レンズのようなカリカリした感じはないから、ポートレートを撮るにも良いのではないか。

 まとめると、解像度よく、立体感があり、発色よく、バランスの取れた完成度の高いレンズである。そして同クラスのものより軽い。38mmのベストレンズかもしれない。
 残念なのはメーカーがはっきりしないことだ。おそらくは「シュトラウス」だと思うのだが。
[駄文]
 メーカー不明の無銘レンズが一番写りがいいとは皮肉である。
 製造されてから今まで派手なスポットライトを浴びたことがなく、おそらく今後も表舞台に躍り出ることもないDマウントレンズらしい話である。
 「オバQ」も最後のS1が製造されてからもう6年。彼らがだんだん壊れていくにつれてDマウントレンズも仕舞い込まれて長い眠りについていくのだろう。
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