ニヤッとする話

ニヤッ、とする程度の笑いネタを思い出しながら書きます。

テイクアウトより限定予約制では(毒にも薬にもならない話87

炉端焼き

 COVID-19に対する防疫措置として緊急事態宣言が延長された。

 本当は韓国旅行をするはずの連休にほぼ家に籠っている状態のうえ、COVIDとは違うウイルスのことで多くの人に迷惑をかけ、少々滅入ってしまった。

 ちょっとだけ気晴らしに飲食店のドライブスルーテイクアウトのイベントに 支援のつもりで行ってみたのだが、これが「忘れられているのではないか」というくらいに待たされ、結局妻が店まで料理を取りに行くという状態で、まあ非常事態なので仕方がないのだが、とにかく一言で言えば「楽しくない」。

 熊本地震でも経験したことだが、人というものはどれほど有意義で人のためになっても「楽しくない」ことは長続きしない。

 正直、ずっと来店客との交流で繁栄してきた店が突然ドライブスルーやテイクアウトに方向転換しても、「楽しさ」という点ではどうなのだろうか。
 最初は常連客が支えようとしても、人は「楽しさ」に流れるものだ。楽しくなければ人は去っていく。

 お気に入りの店の行末がとても心配である。

 では、私のような我儘な客の立場からはどうすれば望ましいのか。

 「客数限定完全予約制」というのはどうだろうか。勿論もう少し感染が収まってからのことだろうが。

 これは大まかにいえばこういう感じである。
 1.店の営業時間を昼と夜の2部制にし、2時間2時間くらいにする。
 2.来店人数を制限し、その店の客のキャパシティーよりずっと少なくする。客の数は席と席の間をどれくらい開けられるかで決める。この場合の距離は最低2mである。
 3.来店は完全予約制にする。先着制にすると暇人や人を使役できる金持ちばかりが行けるようになるので抽選制で来店客を決める。これで行列ができるのを防げる。
 4.店に入る時に体温を測定する。発熱がある人はお断りである。また、店に入るまではマスク着用をお願いする。明らかにしてこなかった人はこれまたお断りである。
 5.店までは徒歩・自家用車・タクシーで来てもらうようにお願いし、公共交通機関はできるだけ使わない。
 6.客の手元にマイクと耳元スピーカーを置き、大きな声を出さなくてもほかの人に話が聞こえるようにする。

 こういう方式を取れば感染リスクは相当下がるはずである。

 勿論これだと料理の値段は倍以上になりそうだ。薄利多売の店はやっていけないかもしれない。
 駐車場のない店も厳しい。都会にはそういう店も多い。

 ただ、「COVID前」の私達は「人に場所や食器を用意してもらって食べ物を作ってもらって安い値段で食べる」ということに何の疑問も持たなかったわけだが、実はそれはとても脆弱な基礎の上に建つ砂上の楼閣だったのだということを思い知らされている。

 「COVID後」にはこうした生活様式に戻ることは不可能かもしれない。
 「人に場所や食器を用意してもらって食べ物を作ってもらうのには高いお金がかかる」という覚悟をした方が良さそうだ。

 私は元々日本の食堂の値段は安すぎると思っていた。(私だけ高く取ってもらっていい、という意味ではないのは言うまでもない。)

 「COVID前」にインバウンドが殺到していた要因の一つもこれで、日本の飲食業の人は相対的に安い収入で諸外国より相対的に高いサービスを提供していたから「お得感」があったのだ。これはホテルなどの観光業もそうだ。
 そして実はこれは少子化の重大因子の一つでもある。日本人の多くが結婚し子を産み育てるに足る収入を得ていなかったのだ。


 COVIDとそれに伴う防疫は、ただでさえ脆弱なこれらの経済基盤を根底から壊そうとしている。

 私たちが「今まで通り安くて美味しいものを外食したい」と考えるとすると、すぐ「3密」が出来てしまい、何時までも「緊急事態」のままだろうし、たとえ解除されたとしても何度も揺り返しが来るだろう。

 少なくともCOVIDの特効薬やワクチンが開発されるまでは今までとは違う物の考え方と生活様式が必要ではないだろうか。

 外食を「文化」として守っていくという視点も欠かせない。

 私たちは腹の足しにならない「文化」に、少なからぬ金を払い、それを惜しいと思っていない。また、私達の払った税金からも相当の部分が「文化」につぎ込まれているのは、「人はパンのみにて生きるにあらず」だからだ。
 外食もまた単に腹を満たすだけの行為ではない以上、食堂はかけがえのない文化施設なのだ。馴染みや懐かしい食堂が無くなったときの喪失感を思い出してほしい。

 やはりもっと気合の入った公の支援が必要とされていると思う。

 ということで、一刻も早いCOVIDの終息を祈って駄文を終わる。

こんなマスクがあればいい(毒にも薬にもならない話86)

ペリカンマスクをはめた河童

 みなさんお久しぶりです。

 COVID-19(新型コロナ感染症)で世界が揺れる中、何を書いても人の心を逆撫でしそうで、こういう時の私の対処法「洞ヶ峠」を決め込んでおりました。

 「自主的時差出勤」で5月の連休明けまで午前もしくは午後の4時間は外出せずに家に籠っているので、暇に任せてブログを再開することにした。

 幸い私は未だ感染していないが、感染防御が限定的である以上、自分は例外ではないという覚悟を持って日々暮らしている。

 どうもCOVID-19との闘いは長期戦になりそうで、「ウイルスと共生する日々」が現実のものになりそうである。

 おそらくマスクや手洗い、社会的距離は私たちの日常に必須のものになりそうだ。

 ところでマスクについては欧米を中心に結構根深い勘違いがある。
 それはマスクは自分が感染者の感染飛沫に被曝して「うつされない」ためのものである、という認識であり、そうした目的では効果が薄いので「私はしない」という人が結構多い。
 この間「マスクは感染防御に効果なし」という記事がネットにも上がっていたが、記者は「感染防御」=「自分がうつされない」という認識なのだろう。

 しかし、マスクの主な目的は感染者である自分の感染飛沫によって他人に「うつさない」であって、そうした意味では評判の悪い例のマスクでも一定の効果は期待できる。
 つまり、「感染防御」=「人にうつさない」という認識の人にとっては「マスクは感染防御に効果あり」なのである。

 そしてこのウイルスが一定数の無症状感染者(キャリア)によって感染を拡大していくという性質を持っていることが分かっている以上、「人に迷惑を掛けたくない」という発想を持っている人であればやはりマスクをすべきだと思う。

 もちろんマスクは万能の防御兵器ではないので、どれほど細心の注意を払っていても感染したり感染させたりという不幸な結果になってしまう可能性は当然あるのだが、やはりその予防に向けては全力を尽くすべきだと私は思う。

 熊本地震のときもそうだったのだが、切迫した状況になると「0か100か」に走る人というのがいるものだ。

 たとえば自分の家にはもう「一生分」のマスクがあるのになおマスクに群がって医療現場の供給状況を切迫させている人。そんなにしょっちゅう人混みに行くと感染しますよ。

 たとえば「医療現場でマスクが足りないから」と布マスクさえしない人。あなたがキャリアだったらスーパースプレッダー(1人で複数に感染させる人)になりますよ。感染が拡大するとベッドが足りなくなって医療現場がますます窮迫します。

 望むと望まざるとに関わらずこの状況は長期化しそうなので、それぞれができる範囲のことを気長にやりましょう。

 いつもの通り前置きが長すぎた。本題である。

 長期間にわたって社会の構成員が感染防御を意識せざるを得ない状況になると一番困るのは、実はマスクができない人ではないだろうか。

 それは「顔」で生きている人である。

 たとえば俳優さん。これは困るだろう。
 俳優さんや芸人さんは世間の人に「あ、あの人だ」と好感を以て認識してもらって初めて職務を遂行できる。そのためには自らの個性をできるだけ発揮できなければならない。「顔」はそのための最大の設備である。こういう職業は顔を隠してしまっては商売にならない。

 人は顔を認識するときは眼をその最大のキューにしているらしいが、もちろんそれだけではない。鼻や口、あるいはその配置のバランスなども大きな材料になっているはずである。

 俳優さんが顔の半分以上をマスクで隠さなければならない、これは困った状況だろう。

 たとえば中国風の「ペリカンマスク」をはめたら、輪郭から変わってしまう。

 冒頭の図は私Well肉桂が中国風のペリカンマスクをはめてみたものである。

 考えてみたら元々河童は嘴があるから輪郭は変わらない。
 どうもサンプル適当でなかったようなので、韓国風の「黒マスク」をはめてみた。

黒マスクをはめた河童

 これもサンプルが適当でないな。
 もともと人が「あ、河童だ」と認識するのは髪の毛を見る、というのが最短のルートである。

 閑話休題(とにかく)。

マスクをするとその人の印象が変わってしまうので、「顔」で商売をしている人は困るのである。

 そこで…

透明マスクをはめた河童

 このマスクならば俳優さんのような「顔」で商売する人も、マスク嫌いの欧米人も納得ではないだろうか。

 もちろん、現時点で顔に密着しても呼吸が楽にできるほど通気性がよく、顔が隠れないほど光透過性がよく、かつウイルスを通さないほど粒子間の距離が小さい素材は私の知る限り存在しない。

 しかし、この項を書くために「新素材」で検索してみると、「嘘!」というほどの未来的な素材が既にある。

 たとえば99.8%が空気のシリカエアロゲルや、TVでも紹介された「透明人間」素材、スケスケスニーカーや下着を作れるほとんど透明の布などという、驚きの素材が既に実用化されたり、実用化に向けて開発が進んでいる。

 今のところ一番有望なのはポリウレタン樹脂だが、これをどこまで透明にできるか。
 普段は中にフィルターを入れておいて、収録中は外せばよい。マスクの目的がもともと飛沫防止であることを考えればその目的は遂行できる。

 こんな画期的な新素材はもちろん高価だろうが、普及するにつれてそれなりに価格が下がって行くはずだ。
 それでも布や不織布に比べれば高価になるかもしれないから、「たかがマスクにそんなに金かけられないよ」という人もいるかもしれないが、「ウイルス共生社会」に必須のものと考えれば少々の価格は我慢できるのではないだろうか。

 ウイルスとの闘いは長期になりそうだから、「顔」で商売をしている人に限らずこの「楽々透明マスク」が開発され、一般の人にも普及してほしいものだ。

河童簡単韓国料理21-チャパグリを作ってみた-(いやしんぼ111)

パラサイト


 韓国映画「パラサイト-半地下の家族-」が大人気である。

 かくいう私も見に行った。

 私の棲む県は韓国や中国に関するイベントが開かれることもまずないし、たまに映画などが上映されても期間が極短いので、最初に公開された1週間の日曜日に大急ぎで行ってきたのだ。

 感想は、といえば、私は心温まるヒューマンな作品が好きなので、かなり嫌な後口だった。

 正直同時期に見た「私のおじさん」というB級ドラマの方がすとんと肝に落ちた。 

 ただ、退屈はしなかった。「息をもつかせぬ」というか、「手に汗握る」というか。
 アカデミー賞にも吃驚したが。

 閑話休題(もともとわたしはひとびとからだいぜっさんされるものをすなおにほめられないたいぷなのだ)。

 この映画に出てきた「チャパグリ」という喰い物が旨そうだったので作ってみた。

 拉麺とチャジャン麺(炸醤麺の韓国バリエーション)のミックスに高級牛肉をトッピングした料理である。

「私たちが考えてることはもうとっくに誰かが考えてるよ」という妻のいつもの言葉通り、巷にはこの食べ物のレシピが満ち溢れていたので、作り方は簡単に見つけることができた。

 この喰い物は韓国料理が好きな人なら誰でも一度は食べたことのある2つのインスタント麺から出来ている。

 一つは「オソリ拉麺(仮名)」。これは韓国のインスタント拉麺としてはあまり辛くなく、「漢城湯麺(仮名)」と並んで日本人にも人気の拉麺である。私も韓国の袋のインスタント麺を買うときにはこの2つか「仁拉麺マイルド(仮名)」を買うのだが、ここのところは「仁」の5個セットの安いのを某通販サイトで見つけたのでちょっと遠ざかっていたところだった。

 もう一つは「娑婆ゲッティ(仮名)」。中華料理である炸醤麺の韓国バリエーションであるチャジャン麺のインスタント版で、これまた日本でも広く、かどうかは知らないが、知る人ぞ知る麺料理である。
 私は仁川で食べたチャジャン麺に魅せられてしまい、色々なタイプのものを現地に買い出しに行ったり通販で取り寄せたりしたのだが、これはそれらのものに比べると私の中ではかなり評価が低く、最近は店にあっても買わないものの一つになっていた。
 何だかソースがザラザラボソボソした感じがするのだ。


 「オソリ」は確かに美味いが、「娑婆」から「チャパグリ」の味を推測してみると、それほど美味いものとは考えにくかった。

 ところが、半信半疑で作ってみたところ、これが実に美味いのである。

 特に「チャジャン麺は甘ったるくて嫌い」と感じている諸氏には是非お勧めである。

 「半地下」の中では巷で「美人奥様」と呼ばれている金持ち夫人が家政婦に命じて作らせるのがこの料理である。

 私は実はこの「美人奥様」こそが韓国の「上級国民」への「パラサイト」ではないのか、と思われるのだ。

 家族ぐるみのパラサイトはどうしても無理があり、この映画でのパラサイト家族のそれもやはりなかなか〇〇になっていくのだが(たしか監督がネタバレ厳禁って言ってたよな)、一族郎党を切り離してのそれはどうにかなる。
 これは別にジェンダーな話をしたい訳ではなく、「上級国民」に生まれなかった男の出世というのはまさにこれだからだ。

 東亜の男には自分の生育環境(要は家庭)と自分の職業環境を切り離すことでしか出世できない人たちがいる。
 分かりやすく言えば、自分の個人的な生活は配偶者に任せるか捨ててしまい、職場に没頭する人たちである。

 私は彼らを責めているのでもなければ、まして妬んでいるわけでもない。

 「上級国民」が自分の生育環境を意識的にせよ無意識的にせよ最大限利用できるのに対して、彼らはそのおのがじしのみで闘わざるを得ないのだから。

 かといって彼らにエールを送れるほど私に余裕があるわけでもないので、「身体に気をつけろよ」としかいえない。これを「パラサイト」というにはあまりにも気の毒だ(言ってるやんけ)。

 同じように、「美人奥様」の「パラサイト」も実は儚いものだったことをこの映画のラストシーンは暗示している。

 閑話休題(たべもののはなしじゃなかったのか)。

 「チャパグリ」は韓国軍の兵士の中から生まれた食物だという。
 おそらく2人の兵士が炸醤麺を2つ食べたかったのに偶々それが1個しかなく、残りの1個は拉麺だったのだろう。2人とも炸醤麺を食べたければ、必然的にこうなる。
 完全なる「ジャンクフード」である。

 ジャンクフードと高級牛肉のコラボ、に「美人奥様」の置かれた立場がよく表れているように見えるが、これは監督に聞かなければ分からないことなのだろう。

 閑話休題(はやくりょうりのはなしをしろよ)。

[材料]
1.韓国ラーメン。映画の中では「オソリ拉麺」が使用されていたが、「仁拉麺マイルド」でもいいような気がする。
2.チャジャン麺。映画の中では「娑婆ゲッティ」が使用されていたが、自分で作ってみた実感では、その他のチャジャン麺でも代用できるような気がする。ただし、中華の元祖ものは合わないかもしれない。それと、最低限麺の太さと形状は合わせる必要があるだろう。
 そうしないと駅のホームの蕎麦屋(饂飩屋)でたまにあるような、蕎麦の中に饂飩が混じっている、または饂飩の中に蕎麦が混ざっているという、あの何ともいえない不快な食感に悩まされる可能性がある。
3.高級牛肉。最初に作った時には偶々娘の嫁ぎ先から高級和牛が送られてきていたのでそれを使ったが、幸せだった。ただ、その後米国産の牛肉で作ったものもそれなりに美味かったので、「高級」に拘らなくてもいいような気もする。
[製法]
1.韓国ラーメンとチャジャン麺の麺と付属の具を煮立った鍋に放り込んで茹でる。約4分。煮汁を大さじ4杯くらい取っておく。
2.牛肉は肥後の赤酒大匙1と清酒大匙1匙と塩胡椒少々に10分ほど漬けた後、胡麻油を引いたフライパンで焼き色が付くくらいに焼く。
3.湯切りした麺を牛肉の入ったフライパンに放り込む。上から煮汁とラーメンのスープ半量とチャジャン麺のソース全量をかけ、炒める。
4.全体がよく混ざったら出来上がり。

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 貴方の韓国拉麺およびチャジャン麺に関する印象を完全に壊す味である。

 是非一度お試しあれ。

妻が私を見つける方法(それでも生きてゆく私262)


 妻が私を見つける方法

 先日後輩たちに臨床実習について講義していたときのことである。

 話が「実習のコツ」に及び、まさに佳境に入らんとし、私は身を乗り出して後輩たちに話しかけた。

 すると後輩たちのうちの女性たちがクスクス笑いだした。

 どうした? 口角泡でも飛ばしたか。

 「写ってます!」

 は? 何が?

 後で聞いてみると、私が話に夢中になるあまり、スライドを映していたプロジェクターがスタンバイになってしまい、プロジェクターの製造元の名前が私の頭の皿に映っていたのだそうだ。
「ISSOP(仮名)」の光のエンブレムが頭で輝いていたわけだ。

薄毛大作戦

 私にはもともと70代でツルッパゲになるという遠大なる計画があるのだが、どうもこれを前倒しする必要が出てきたようだ。

自己欺瞞

 最近私の髪の毛は妻がバリカンで刈るのだが、これが1厘になるように設定されているため、買った直後は白髪も相まってほとんど「ツル」なのである。

 それは一向に構わないのだが、どうも丸坊主という髪型は特定の思想と結び付けて受け取られやすい(個人の感想です)。

 小説家のあの人も、芸人のあの人も、キャスターのあの人も、職業として坊主にしている人は別にして、考え方として「強面」に属するような気がするのだ。

 周囲の人も私の文章を読んだことのない人は私をそういう人たちと同じカテゴリーに入れているのではないかと思うと、「強面」とは正反対の考え方の私としては不本意である。

 特にこの「強面」の人達には嫌韓が多いので、時々韓国に旅行に行くのを楽しみにしている私としては一層のこと「仲間にして欲しくない」という気持ちがある。

 だから韓国旅行が近づくと、「少々伸び過ぎかな」と思っても髪を切ってもらわないくらいだ。

 ところで妻はどんな人混みでもすぐに私を見つける。
 だから国内の旅行の時は自分の興味を惹いた物などがあると、すぐ私の側を離れてしまうのだが、すぐに私を見つけて追いついて来る。

 ところが韓国では殆ど側を離れない。これには言葉が出来なくて不安、という要素も勿論あるようだが、それ以上に一旦見失うと見つけにくいから、という理由があるそうだ。

 日本、特に熊本では私くらいの年格好の人で私よりデカい人はまずいない。
 ところが韓国ではザラである。
 どころか、私より老人なのに私より背の大きな人すら決して珍しくない。
 流石は大陸である。

 なるほど、背が高い、という特徴が失われるから見つけにくいのか。だけではないらしい。

 何でも、私は平均的な中高年の日本人より頭ひとつ高く、丁度そこで皿が光っているらしい。冒頭の絵のような具合だ。

 ちなみにこの絵は旭日旗が元ではない。私は植民地主義や軍国主義に強く反対する男であるし、帝国主義時代の日本人がしたことにはもっと反省する気持ちを持つべきだと思っている。
 ただ、頭が輝いて周囲に光が満ちている、という状態を表現するにはこれが最も適した表現だと考えたまでのことだ。
 これが旭日旗に見える人は現在の自分の物の見方にひん曲がったバイアスがかかっていないか省みた方が良い。

 閑話休題(ゆかいなはなしをなぜこじらせる)。

 韓国人の中に混じると、日本では見えていた私の皿の光が妻には見えなくなるらしい。

 やはり和に置け河童の頭、というべきか。

 というか、見えないところからハゲる、というのは本当のことだと改めて知った。

この人は誰 ? (京都安下宿事情83)

自動改札機を通れない男

 四国でジャーナリストをしている友人から、彼の勤めるメディアの新聞が届いた。

 大型の封筒にはある日の新聞が入っているだけで、消息はない。
 正直最初は解釈に苦しんだ。
 何か私に読んで欲しい記事があるのだけは間違いないだろう。新聞を最初から最後までざっと見てみたが、正直私の心にストレートに響いてくる記事は見当たらない。
 仕方ない。隅から隅まで読んでみるしかない。
 そうする直前、あ、と気づいた。そういえば彼は一面の、「夕日新聞(仮名)」でいえば「転生人後(仮名)に当たる記事を時々書いていたのだ。

 読んでみると、彼の若い頃の友人で、随分と非常識な人間のことが書いてある。
 以下、その記事である。


 1980年代初頭、鉄道の自動改札機は都会でもそれほど普及していなかった。田舎者ということでは相当自信のある筆者は、切符を入れるのにしくじらないか、随分と緊張したものである。
 田舎者ということでは、さして変わらない友人がいた。若さゆえの例外はあるにせよ、おおむね信じたことを一直線。曲がったことが嫌いな九州男児である。
 左利きだった。切符を扱うのも当然左だ。ところが改札機は右利きに便利なように、向かって右側に切符を入れる口がある。彼が言うにはー
 改札を通るたび、けたたましい警告音とともにゲートが閉じる。「俺は悪くないのに、どういうわけか」と、そのたびに押し開けて出た。あまりにも堂々と突破するので、駅員は何も言わない。「切符を左隣の改札機に入れていたと気づくまで、かなりかかったもんねえ」。
 JR西日本が数年後、改札機にICカードやスマートフォンをかざさなくても通過できる「タッチレスゲート」を導入するという。左利きでも、荷物を抱えていても楽々。スマホの専用アプリを活用する。
 「便利にはなるが、なんでもかんでもスマホ、スマホ。それでいいのか」。はやり物とは相性の悪かった、かつての友人なら相当腹を立てるだろうが…。人の一生は分からないもので、彼は今そこそこ人気のあるブロガーである。

 一体この人は誰なのだろう。
 まさか俺じゃないよな。

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた22-韓国雑感釜山年末年始編-(河童亜細亜紀行222)

次は高速船か

 韓国雑感も5回目の釜山編である。

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 「笑ってトンヘ号(仮名)」のエレベーター。
 行先は「1階」「2階」ではなく、「中甲板」「3甲板」「4甲板」「5甲板」である。
 大きな船は一見ショッピングモールのフロアに似ていて、しかしこういうところでやはり船であることを意識させてくれる。
 旅情たっぷりである。
 だから船の旅はやめられない。

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 焼肉屋にて。
 そろそろ宴の〆が近くなってきた頃、何時の間にか妻がテーブルの上を片付けていた。
 付け合わせは少々辛いものも含めて夫婦で平らげたのだが、青唐辛子だけが「食品ロス」になっている。これは日本人には無理だ。

 向かいのテーブルに座っていた家族連れが去った後、片付けようとしたアジュンマが、「アイゴ ! どうすればこんな風に食べられるの?」と呟いたのを私は聞き逃さなかった。テーブルの上は食べ溢しや骨付き肉の食べかすでドロドロである。
 公にできなくても韓国には間違いなく日本人が好きという人たちが存在するのはこのへんが原因なのかもしれない。

 後片付けをする人、掃除をする人、補佐をする人、主役でなくても活動をサポートする人に対して意識して思いやることは、神からは遠い私達凡人には難しい。

 だから我が日の本には「立つ鳥跡を濁さず」という諺を子供に対して繰り返しては、娯楽で楽しんだりイベントで活動するだけでなく、そのプロセスで生起する面倒臭い後片付けや副産物も忘れさせない躾が行われる習慣があるのだ。

 これを、「あったのだ」と懐かしんだ方がいいような状況が到来しつつあるのかもしれない。

 私達が乗船手続きを終えて船まで歩いていたとき、凄い勢いで追い抜いて行った二人組の若者がいた。「まあ元気のいいこと」と思っていたら、行列の先頭にサッと並んでしまった。

 大声で日本語を喋っている。

 何のことはない。
 私は嫌韓メディアのいうような「行列を守れない韓国人」を現地で一度も見たことがなかったが、「行列を守れない日本人」を目撃しようとは。

 隣国の悪口を言っている間に自国のモラルが少しずつだが確実に崩壊しつつある。
 
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 タッパル(鶏の足)。
 料理の完成品はおそらく韓国で最も辛い食べ物である。

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 韓国の野菜はどうも育ち過ぎのような気がする。

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 これはザクロなのだが、これまた私の知っているザクロよりずっとデカい。

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 「ヨッテ百貨店(仮名)」の不思議な休憩所。
 水平に使えばとても狭い空間を垂直に使うことで3倍以上の座席を確保している。
 しかし日本人だとよほど親しい関係でないと同じテーブルでお茶したり会食したりは出来ないだろう。

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 設計者は「釜山のマチュピチュ」甘川文化村にヒントを得たのかもしれない。

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 韓国の「泉の広場」。
 熊本の今は亡き「泉の広場」同様、何故か人がいない。
 
  泉の広場で♪ 逢いましょうと♪
  あなたの言葉を思い出す♪
  最後のバスはもうすぐ出るのに♪

 熊本県民なら誰でも知っているが、熊本県民でなければ誰も知らない歌が頭の中で回り始めた。

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 正月だからなのか釜山港には本当に人が少ない。
 僅かな客も日本人と思われ、日本語しか聞こえてこない。韓国人は職員しかいない。

 最短1時間あれば行き来できるところから半年近く客が来ないというのはどう考えても異常な事態である。
 「どうせ長続きしない」と言っていた人たちは何かコメントがあってもいいのではないか。

  また、中国での新型肺炎の影響は深刻なようだ。
 感染症は排外主義や差別の格好の栄養源である。中国人に対する忌避感情が日本人の中に蔓延する恐れは十分にある。
 中国政府が自国民に海外渡航禁止を言い渡す可能性も。
 「韓国人が来なくても中国人が来るから大丈夫」と言っていた人たちも何かコメントがあってもいいのではないか。

 今度は世界のどこかにある「幻の親日国」から客を呼ぶから大丈夫とでもいうのだろうか。

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 「オルシンズボン(我が家語)」付属のベルト。
 どこから見ても荷紐である。
 故園山俊二の漫画に登場する、荒縄をベルトにしたおっちゃんを思い出した。

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 帰りの荷物である。
 地面から1mmも持ち上げられない。
 飛行機だと受託手荷物の上限が最も大きい「体感航空(仮名)」でも追加料金を取られるだろう。

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 日本に向かう途中、高速船の「コッピ(仮名)」があっという間に追い抜いて行った。
 福岡-釜山間は3時間。
 最近は飛行場の手続きにえらく時間がかかるから、その時間も合わせたらこちらの方が早いかもしれない。

 今度は高速船で行ってみるか。(了)

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた21-乗船口で猛烈な不安に襲われる-(河童亜細亜紀行221)

我が民族は我慢強い

 1月1日は帰国の日である。

 いつもながら帰りたくない。

 妻も10分おきぐらいに「あーあ、帰りたくなーい!」と言っている。

 よほど今日の船便をキャンセルして、ホテルの滞在を延長して、と思うのだが、もはや路銀も尽きた。予定の倍くらいの金を使っている。

 仕方がないのでボチボチ港に向かう。

 最早自分では持ち上げられないくらいにスーツケースが重いので、タクシーを呼ぶ。
 タクシーの運転技師さんも私の荷物をトランクに入れようとして「ウッ」となった。私と2人で持ち上げて入れる。

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 タクシーは10分もかかるかかからないかのうちに釜山港に着いた(早口で言ってみてください)。

 通常私達の乗る「笑ってトンへ号(仮名)」は夕方釜山港出発で船中泊して翌朝博多港着なのだが、この日だけは臨時便で昼出発の夕方着なのだ。まだ乗船までは2時間近くある。

 妻が帰りは個室がいいというので、受付にその旨申し出る。こういう混み入った話は日本語の方が良いと思って話しかけると、私達より余程綺麗な日本語が帰ってきた。
 私は日本語の読み書きは苦手ではないが、共通語のアクセントやイントネーションは苦手なのだ。

 出国手続きに向かうと、まだゲートが開いておらず、何組か荷物が放置してある。そのまま最後の遊びに出かけているのだろう。
 この辺りは日本人と韓国人は互いに無防備すぎる気がする。

 どこの国にも悪い奴はいるのだ。

 嫌な目に遭って相手に対する感情を悪くするより、用心すべきところは用心して酷い目に遭わないようにした方が良い。

 何度も書いてしつこいが、私は東京の山手線でスリ集団をたまたま目撃して以来、財布は必ずボタンの付いたポケットにしか入れない。
 全てのポケットにファスナーの付いた「オルシンズボン(妻の命名)」を韓国で買ったのも、こうした犯罪から身を守るという意味もある。
 同じ理由で、私達夫婦はトイレなどに行く時も必ず1人は荷物の番をする。

 せっかくの旅行を台無しにしないためだ。

 時間が来て、遊びに行っていた人達も帰ってきて、ゲートに入る。出国手続きと手荷物検査が無事に済み、今度は搭乗口に並ぶ。

 私達の前の家族連れはまた全員居なくなった。今度は免税店で買い物をするのだろう。
 いつも思うが船で海峡を行き来している人には「豪の者」が多い。

 一つ気になったのは、搭乗口に私たちが乗るはずの「笑ってトンヘ号」についての何らの掲示もないことだ。
 高速船の「ビートルズ(仮名)」については張り紙がしてあるし、「コッピ(仮名)」は掲示板が設置してあって運行時刻が確認できる。

 私達と同じ疑問を持った人は列の中にもいたようで、「ここよね?」とか、「ここでいいのよね?」とかいう囁き声が聞こえてくる。

 そのうちに疑問は不安に変化したのか、「本当にここでいいの?」とか「間違ってないよね?」といった声が聞こえてくるようになった。

 最初にこの便を予約した時、確認書が間違って?夕方になっていたのだ。本当に昼の便なのだろうか。

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 乗船開始時間の5分くらい前になっても係員らしき人も現れず、扉も閉まったままだったので、皆の(実は私たちだけだったかもしれないが)不安が高まってきた頃、先頭に荷物を置いていなくなっていた家族が戻ってきた。この旅慣れた感じの人たちが全く動揺せずに待っているので、少し安心した。

 ところが、乗船開始時間になっても係員は現れない。扉も閉まったままである。

 しかも、先頭の家族の奥さんらしい人が「ねえ、ここでいいのよね。何も書いてないけど。」とご主人らしい人に話しかけるではないか。
 ご主人の答えは。「さあ?入口らしいのはここしかないから並んだんだけど?」だったので、行列の人々の不安はピークに達した(のは私だけだったかもしれない)。

 その時、職員らしき制服を着たアジュンマ(おばちゃん)の3人組が現れた。
 皆が一斉に注目する。
 しかし、彼女たちは何か喋くりながら自動ドアを手で開けて中に入っていった。乗船の係員ではなかったのだ。
  
 もう乗船開始時間はとっくに過ぎている。いくらなんでも遅い。

 また職員らしき制服を着た人が現れたので「トンヘ号の乗船口はここで合ってますか?」と尋ねると、「合ってます」との返事。
 一安心の筈なのだが何せ私の韓国語なので今一つ確信にまでは至らない。
 妻が「どうだって?」と聞いてくるので内心の不安を押し殺して「ここで合ってるって。」と答える。

 もはや妄想は乗船券の取り直しとホテルの延長まで行った頃、突然自動ドアが開いて扉の向こう側に係員が現れた。
 一同にホッとした雰囲気が流れる。もう出航30分前である。

 言葉が苦手というのはこういうイレギュラーなときに困る。もともと臨時便の上に乗船開始が遅れたのだ。手書きのハングルでも良いから1枚掲示が欲しかった。

 ところが、この時間になってやっと手荷物検査を通って乗船口に駆けて来る人達もいたのだから良い度胸というほかはない。本当に釜山旅行をする日本人は「剛の者」が多い。

 何はともあれ、無事乗船。
 程なく出航した。

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 さようなら、釜山。

 人情の厚い人々に逢いにまた来よう。

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた20-新年早々のミサイル攻撃?-(河童亜細亜紀行220)

花火でよかった

 さて、買いたいものは大方買った私達は、またホテルに帰って惰眠を貪る。
 何せチャガルチ市場から南浦洞まで荷物のぎっしり詰まったリュックを背負って徒歩で帰ってきたのだ。これで鉄砲を担いでいたら完全軍装の歩兵くらいの荷物である。
 肩凝りはもはや放散痛となって帽状腱膜を襲い、体重と荷重に耐えていた足はガクガクである。

 暫く意識を失ってから目覚めると、もう夕方である。

 昨日と同じように国際市場付近まで散策しながら食べ物屋を探そうかと思ったのだが、妻の足がもう限界だというのでホテルの近くの食堂を探すことにした。
 昨日入ったところも美味かったのだが、同じところに入っても面白くないので、新しい所を探すことにする。

 ところが新暦とはいえやはり韓国でも休日の正月である。普段より空いている店がぐっと少ない。

 牛が食いたかったので適当な店に入ったのだが、まあ可もなく不可もなしという感じで特に書きたいこともない。

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 最近韓国でもタレに漬けずに後付けの調味料で食べるのが流行のようだが、私はやはり古風にタレ漬けした「ヤンニョンカルビ」が好きである。 

 外食は早々に切り上げてホテルで二次会と洒落込む。

 まずはコンビニでつまみと酒を購入。
 韓国のコンビニつまみは相変わらず焼いていないか冷え冷えカチカチの魚の干物が多い。これは正直言って口に合わないので、つまみのところではなく冷蔵品のコーナーに向かう。

 あるある。日本には輸入禁止のポッサム(煮豚)やチョッパル(豚足)である。

 手を伸ばそうとしたときに気付いた。さっき牛を食ってきたのだ。しかも見かけによらず脂っぽかった。ここでさらに豚肉を食うのは健康上どうなのだろう。

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 肉はやめてチーカマにする。

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 チーズがあるのでチーズも買う(どこが健康上どうなのだろうじゃ)。 

 ホテルに帰って紅白歌合戦を観ながら妻と今年一年のことをしみじみと回顧する。私ももう50代後半だ。しみじみと解雇されないようにしなければ(©️いしいひさいち)。

 「日本人御用達」の「弁韓観光ホテル(仮名)」のTVではDHK(大本営放送協会)の番組が衛星で見られるから、大晦日にここで過ごせば紅白を観ながら年を越せるのだ。
 昼間図らずして蕎麦も食ったから、言うことなしの年越しである。

 紅白も終わり、「来る年行く年(仮名)」が始まった。急に眠気が襲ってくる。

 私は退屈なものの多い年末年始番組の中でもこれが最高に退屈なものだと思う。
 紅白の次番組なので視聴率は高いと思うが、視聴者の「うわの空率」という指標があったら断トツの一位なのではないだろうか。

 電気を消して寝入ったかどうかの時、突然の爆発音に飛び起きた。

 この音が何に一番似ていたかというと、20連発ロケットランチャーの発射音である。
 「シュンシュンシュンシュン、バババババババババ!」という奴だ。

 寝ぼけているから本音が出る。

 私はほんの一瞬だけだが北から飛んできたロケット弾ではないかと思った。
 妻は爆弾テロだと思ったらしい。
 この国は形式的にはまだ休戦状態なのだ。

 窓際に身を寄せて、音のした方を見上げる。

 爆発した火花が落ちてくる。
 緑と青と赤だ。良かったあ。花火である。
 これがオレンジが勝った黄色一色だったらヤバい。

 日本では新年に花火を上げたり爆竹を鳴らしたりする習慣がないので、あり得ない錯覚をしてしまったのだ。

 とんだお騒がせの2020新年であった。

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた19-やはりDAISOは面白い-(河童亜細亜紀行219)

薬のヒレ問題解決

 今回の渡韓の目的の一つに石鹸と歯ブラシと歯磨き粉を買うというものがあった。
 それはすべて「代走(仮名)」で1000ウォンで買えるものである。

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 石鹸は「護国石鹸(仮名)」である。

 我が日の本には「柔乳石鹸(仮名)」という世界に誇る石鹸がある。
 これは風呂で使うと肌がスベスベになる。

 しかし、日本の軟水と硫黄温泉に慣れた私には、少々食傷気味の感触である(旅行家気取り)。風呂嫌いの私を積極的にそこに誘う魅惑性が薄れてきた。

 最近の私のように体全体から水分が抜けてきて脂分が表に滲み出てきた中高年 にはもう少し強い刺激が欲しい。

 「護国石鹸」で身体を洗うと皮膚がサラサラになる。最初に使ったとき、なんともいえない新鮮な感覚だった。

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 次は歯ブラシ。

 同じく、我が日の本には歯科医さんたちが開発して歯の間の隅々まで磨ける小さなブラシ面の歯ブラシがある。

 齲蝕の好発部位は小窩裂溝であるから(歯科医気取り)、痒い所に手が届く日本の歯ブラシは虫歯予防という観点ではおそらく世界的に優れた製品なのだろう。

 しかし、最近めっきり面倒臭がりになった私は、小さいところまでチマチマと磨くのはまさに「重箱の隅をつつく」という行為である。

 私が歯磨きをするのは口腔ケアの最も大きな効果を狙って就寝直前である。眠い目を擦りながらこうした作業をするのは相当のストレスである。

 それより、大きな歯ブラシでガーッと短時間で磨きたい。

 歯間の方はTVを見ている間に専用のブラシでチマチマとつくじればいい。

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 さらに歯磨き粉。

 これも本当は日本のものの方が優れているのかもしれない。
 しかし、微生物相手の闘いと云うものは、常に耐性との闘いである(病理学者気取り)。
 どんな優れた薬品も微生物にかかってはふかふかの気持ちいいベッドになりかねない。
 実際、最近の私は日本の歯磨き粉でも安いものを使うと就寝前に歯を磨いても起きたときには「お口ネバネバ」になっていた。

 ところが、この「筑西元(仮名)」を使うと、その日の午前中くらいまで歯がツルツルなのである。

 これはおそらく私の口腔内のFASM(フッ素耐性ストレプトコッカス・ミュータンス。たった今出来立てほやほやの新造語である)が未知の薬品に曝露された結果で、長期間その効果が継続するものではないと思われるが、当面は極めて有効である。

 私達夫婦は今回西面、南浦洞、チャガルチそれぞれの「代走」に行き、お目当ての品物を買い漁った。

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 石鹸を10個+新種2個、歯ブラシ4本、歯磨き粉6個。これで半年くらいは持つだろう。

 これだけでリュックの中は相当の重さである。

 飛行機だとこれだけのものを買ってしまうともうマッコリ6本は無理だ。

 しかし今回は事実上重量制限なしの船の旅である。
 私の肩はリュックの紐が喰いこんで悲鳴を上げているし、足は私の体重と荷物で地面にめり込みかけているが、まだまだイケル。

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 お、こいつはいい。

 飲み忘れの多い私のお友達、お薬カレンダーであるが、日本のものよりも随分デカイ。

 私が現在飲むように命令されている薬は朝4種類、夜3種類であるから、こんな大きなものは要らないのではないかと思うかもしれない。

 しかし、日本の小さな奴だとPTP(薬の包装)をそれに合った大きさにチマチマと切らなければならない。PTPの端に付いている「ヒレ」(今命名)も事前に折り取ったり切ったりする必要があるし。

 ちなみにあの「ヒレ」は何のために付いているのだろう。
 大体ほぼ全てのPTPに付いているが、切れ目があって折り取れるものもあれば、折り目がなくてわざわざ鋏で切らなければならないものもある。
 あれがあると部屋の小さなタイプのお薬カレンダーには入らないので、わざわざ除去しているが、これがまた面倒である。

 この、実に大陸的なお薬カレンダーだと、1回に2錠飲む薬は事前の作業が全く要らず、ただ折り取って放り込むだけでいいし、1錠ずつ飲む薬でも「ヒレ」の除去作業は最低限で済む優れものである。

 個数の把握などが怪しくなってきた人には薬局からセロハン紙の分包を貰う人もいるかもしれないが、これまた二つ折りくらいで見事に収納可能である。日本で売られている小さい奴だと絶対に入らない。

 後は耐久性であるが、これは実際に使用してみないと分からない。

 嗚呼、何で4つ買わなかったんだ。
 あまり長持ちしない物ならまた買いに行かなければならない(嬉しい悲鳴)。

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 通常売られている米国製やそれに準じたスパムの半分の量の製品。

 私たち夫婦はときどきプデチゲをするが、日本で売られているスパムは中高年2人(老人と書こうとしたが妻が烈火の如く怒りそうなので訂正)には多すぎる。
 だが、これは丁度いい量の上に韓国風に塩味が弱いから塩気にめっきり弱くなった私達にはとてもありがたい。

 ただ、これも缶詰であるから重量は相当のものだ。

 「もう歩けない」「もう勘弁してくれ」というところまで「代走」の買い物は続くのであった。

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた18-釜山オデンの味わい-(河童亜細亜紀行218)

夫婦それぞれの述懐

 釜山に来たとき必ず食べたり買ったりするのがオデンである。
 
  最近は日本語由来語の追放運動の煽りを受けて「オムク(日本誤:魚のムック)」などという味も素っ気もない名前で呼ばれることも多いが。

 ムックとは韓国語でゲル状食品全般を指す。
ドングリムック

 代表的なのは団栗のムックでこれは「トドリムック」といわれるし、甲午農民戦争の指導者全琫準を悼んだといわれる有名な民謡の歌詞の中の「チョンボ」は緑豆のムックである。

 ムックは原料を擦り潰して固めたものと理解すれば良いだろう。

 韓国式では日本独自の食品である蒟蒻などもムックと呼ばれることになる。

 この伝で行くと魚を擦り潰し、蒸して固めた物もムックであるから、「魚のムック」で「オムク」となるのだろうが、何とも味気ない。

 「オデン」というのは日本の宮中の言葉で、「田楽」に丁寧語を付けて略したものである。
 「お粥」や「おなら」などと同じく優雅で由緒正しい言葉なのだ。

 元々は大衆芸能から料理名に転化した「田楽」は明らかに大陸由来の言葉であるから、これに「御」が付いたからとて突然日本語に化けるものでもない。
 何故そういえるかというと、「デン」は「た」という固有語に当てた漢字を音読みしたものであり、「ガク」もまた「たのしい」という固有語に当てた漢字を音読みしたものであり、音読みするというのはこの語の成立した時分に日本人が「これは外来語(大陸から来た言葉)でっせ」と、その由来を文字として刻み込んだ証拠(有契性という)なのである。

 つまり「オデン」は日本の固有語ではなく、「御田楽」という立派な漢語なのである。

 そしてご承知の通り、「中国は怪しからんから我が国の言葉から漢語を追放する」などといえば日本語も韓国語も崩壊してしまうことは火を見るよりも明らかなのだ。

 もっとも、日本語のネットに見られる田楽の説明はこれがあたかも平安時代に突然日本で成立したように書かれているものも多いが、勿論芸能というものは古代から脈々と続いて発展してきたものであり、こんなことはあり得ない。
 これは田楽と、猿楽のような大陸由来の芸能を、意識的に切り離しているからで、日本文化に中国や韓国の影響がなかったことにしたがる最近の日本の風潮のひとつであろう。

 この辺り、日韓両国の自称研究者の世に阿る様や、素人の偽科学に感激して思考停止する様は、何だか瓜二つになってきた。

 流石日韓はまさに互いの鏡である。

 そうしてオデンはどう考えても侵略とも植民地支配とも関係ない。

 魚の練り物は明らかに大陸から日本に伝わったものだし、オデン業界の大立者が総督府と通じていたというような歴史的逸話も聞いたことがない。
 この辺り、最近の韓国で日本製ビールがなぜか目の敵にされているのとも似ている。

 オデンは差別語でも誰かを攻撃したり傷付けたりする言葉でもない。だからこそ100年以上言い継がれてきた言葉なのだろうに。

 閑話休題(たべもののはなしなのにたべものがまずくなるようなはなしはこれぐらいにして)。

 共通の語彙で呼ばれる日韓の食べ物の通例として、オデンもまた海峡を隔てて似ている部分と全く違う部分がある。

 まず、具。

 日本では練り物のほかに大根やすじ肉、蒟蒻や巾着、卵など、多彩な具が用いられる。特に私は蛸が入っているオデンが好きで、欠かせないものだとすら思っている。
 韓国ではほぼ練り物のみ。練り物が嫌いな人には韓国のオデンはお勧めできない。
 練り物の種類は大体日本と同じだが、もちろん「バクダン(卵を丸ごと練り物で包んで揚げた熊本県天草名物)」はない。
 その代わり、日本に無いものとしてペラペラに薄い角天がある。この「ペラ天」は私のお気に入りである。これは煮付けられて定食の付け合わせに出てきたリするが、どう料理しても美味い。特に長い串にクネクネと刺されてオデンになって汁に浸かっている奴は美味い。 

 次につゆ。

 これはかなり似ているが、韓国のものの方が塩気が弱い。これは最近塩味が辛くなってきた私たち夫婦には助かる。

 後付けの調味料。

 日本では芥子が一般的だが、韓国ではピリッと辛みのある液体をスプレーで掛ける。これはおそらくカプサイシン系のものだと思うのだが、未だに正体が分からない。

 そして食べ方。

 日本では手作りでも既製品でも家でコタツを囲んで食べることが多いが、韓国では街角の屋台で買っておやつとして食べる人も多いようだ。

 不思議なのは食べる場所での味の違いである。

 韓国オデンは現地で喰うと堪らなく美味いのだが、土産に買って帰ってオデンにしてもあの堪らない感じはない。まあ普通に美味い程度である。
 これは鹿児島で食べる薩摩揚げが堪らなく美味いのに土産に買って帰るとまあ普通に美味い程度なのと似ている。
 それだけ現地の風土というか旅情に密着している食品だという事だろう。

 「やはり野に置け蓮華草」ということか。

 あるいは単に、「揚げたては美味い」というだけの話かもしれない。

 ちなみに汁で煮てオデンにしなくても素敵に美味いオデン(オムク)は「熊のプーさん駅(仮名)」の構内に入っている一見パン屋のようなオデン屋のオデンである(相変わらず意地悪な奴だなあ)。

 駅の地下道で方向を見失って(というより正反対の方向に行ってしまって)一駅先まで歩いてしまった夜、ビルの下の花壇に座って夫婦して袋から手づかみで食べたオデンはどれも美味かった。そのままホテルに帰れたらまだホカホカでもっと美味かったのかもしれないが。

 2016年12月31日釜山。
 あの夜の私は、「右だ左だ」とか、「権力だ反権力だ」とか、「反日だ嫌韓だ」とか「男性だ女性だ」とか、そうした区分けの馬鹿馬鹿しさを改めて知った。
 それと、自分の利益のために人を動かそうとして無意味な区別を強調する人たちの醜さも。

 普段はボーッとしている私である(仕事中は別ですよー。職場の皆さん、勘違いなさらぬように)。
 しかし、人間には誰しも突然感覚が研ぎ澄まされる日があるものだ。偶々あの日の私はそうだったのだろう。
 
 あの、「これは現実なのだろうか」というような不思議な夜の体験とともに私の脳裏に刻まれた「釜山オデン」の味は、おそらく生涯忘れられないだろう(その割にその後1回も店に行ってないけどね)。

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた17-やはりチャガルチ市場は広かった-(河童亜細亜紀行217)

市場は続くよどこまでも

 やはりそうだった。

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 鮮魚センターを中心とする一角がチャガルチ市場の全てであるという私達の認識は全くの誤りだったのだ。

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 行けども行けども魚市場。

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 これは昨日「韓国で一番長いのではないか」という印象を持った釜田市場より長いかもしれない。

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 これも後で分かったのだが私たちがチャガルチ市場の中心地だと思っていたビルのあるエリアは、もう南浦市場と隣接している端っこの方だったのだ。
 これだけ大きい「刺身センター」があるのだから中心地といえなくもないが。 

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 私は端の端の端まで行くつもりだったのだが、随分歩いて私も妻も足が限界になってきたので、そろそろ引き返すことにした。

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 全くのところ私達夫婦の足腰の弱り方といえば尋常ではない。大体地方の小さな市場を端から端まで行って帰って来ると完全に限界である。ましてや釜田やチャガルチのような巨大市場であれば興味に惹かれて最果てまで行ってしまうまでに自制心が蘇らなければえらいことになる。

 ここは例のホテルでの「惰眠」必至である。

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 もう一回来ようチャガルチ市場。でも、釜田市場も楽しかった。

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 よし、ファンテ(寒干明太子)の値段でどちらに行くか決めよう。

 実は帰国してからヘムルタン(海鮮鍋)を作るのに釜田市場で買ったファンテの頭を使ったところ、素敵にうまかっのだ。

 私達夫婦には韓国旅行中の暗黙の了解がある。
 私は市場などの街中を歩く時、前回の挿絵で描いたような大きいリュックサックを背負っている。前回のはストーリーの展開上兵隊の背嚢のような形になっているが勿論フィクションである。

 商店街を歩く間、私の気紛れで買った物や、妻の買った物は、私のリュックに入れることになっているのだ。
 そうするとき、私は妻の背に合わせて膝を屈してリュックのファスナーが妻の胸の付近に来るようにし,妻はそこに買った物を入れるようにしている。
  私たち夫婦には大きな身長差があるから自然とそうなるのだ。
 
 ところがファンテを買った時、妻は散々歩かされて機嫌が悪かったのか、はたまたファンテが余りにも堂々とした体躯だったのか、「これ、リュックに入らんから折っていい?」と言うや否や、私の返事も待たずに首から「バキーッ! 」と折ってしまったのだ。
 何せ私は妻に背を向けて膝を屈している最中だから、「良い」も「悪い」も意思表示をする暇もないのは言うまでもない。

 私はかつて仁川に行った時、とても誠実なアジュンマと会った。
 その時の彼女とのやりとりの媒介がファンテ(トンテ)だったのである。私にはファンテとトンテの違いは正直いって分からないが。

 何にせよ私にとってファンテもしくはトンテ、つまりスケトウダラの干物は特別な意味のある食物である。

 背中越しにファンテの首の「ボキーッ!」という音を聞いた私は一瞬だけだが「あ、勿体ない」という気持ちと共に何か大切な追憶が壊れてしまったような気がしたのだが、これは何時もの私の「大袈裟」に過ぎず、リュックからスケトウダラの頭が出たままで大都会の街中を歩くことの不利益の方がずっと大きいのだから、妻のこうした行為は私に対する限りない愛の表れであることはいうまでもない。

 そうだ、思い出の、私にとっては特別な意味のあるファンテ(トンテ)、この、韓国人にとっても馴染みのある生活に溶け込んだ食品の値段で今度どちらの市場を訪れるか決めよう。
 って、訪れないとどちらが安いか分からないよな。
 阿呆の見本である。

 チャガルチ市場のほぼ端まで行って(これも本当かどうか怪しいものだ)、駅まで引き返す道の途中に、以前はなかったオデン(オムク)の店ができていた。

 ここで如何にも「土産物」という感じのオデンを買う。

 仕方がない。きちんとパッケージングされていないものは税関を通らないからだ。

 次回は日韓のオデンについての考察である。

 

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた16-チャガルチ市場を黙々と歩く-(河童亜細亜紀行216)

何者なんだこの二人

 電車は5分ほどで隣駅のチャガルチに着いた。

 さあ、これから真相究明である。果たしてチャガルチ市場は私達が思っているエリアなのか。

 張り切って地上に出ようとした時、私の目は地下街ので店を広げている帽子屋の名札に惹きつけられた。「5000ウォン」。安い。
 早速物色を始める。

 私が特に興味を惹かれたのは、耳当て付きの防寒帽である。

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 こういう奴だ。

 「ソウル1945」などの戦前を舞台とした韓国ドラマや映画などに登場する帽子である。中国の作品でも古い時代を扱ったものでは満州など極寒になる地方の人の頭に載っていたりする。

 これは日本ではまず売っていないだろう。売っていても高いに違いない。買わなければ。

 ところが、いざ「これください」と言うと、店番のアジュンマ(おばちゃん)は「これは20000ウォン。」という。確かに5000ウォンの値札からはかなり離れているが。

 仕方がない。20000ウォンでも安い。

 お金を払うと、アジュンマは帽子の使用法の解説を始めた。「ここをこうすると頬っかむりができて、ここを引っ張り出すとマスクになって」と微に入り細に入る。なるほど、5000ウォンの帽子とはアフターケアも違うのだ。

 ところが、この帽子を被った瞬間から、私とすれ違う韓国人たちの眼が変わったような気がした。

私は北の工作員2

 これが昨日までの私の出で立ちである。

これは結構来る

 これがこう変わった。

完全装備だとこうなる

 帽子屋のアジュンマに教わった通りにこの帽子の機能をフルに活用するとこうなる。

 私は妻と共にチャガルチ市場の散策を始めた。

 それは私たちが今まで勘違いしていたのと違って、広い範囲にわたっており、道もまた延々と続く長い市場だった。

 このような場所を通る時、私はもうしつこいくらいに商人たちから声を掛けられるのが必定である。

南大門で拉致される

 それどころか、かつては友人と共に「ポッサム」(拉致)されたこともあるくらいだ。88以前の韓国旅行記を記憶遺産に4-南大門でつかまえて-(河童亜細亜紀行4)

 それくらい私は声を掛けやすいのだろう。

 ところが、私は韓国旅行を始めて以来初めて、市場で一切声を掛けられなかった。

 日本語は勿論、最近多くなった中国語や、英語、それどころか韓国語でさえ、私に「安いよ!」とか「寄っていって!」という言葉が掛けられることはなかったのである。

 どこから見ても大和撫子の妻と一緒に歩いていたのに、である。

 一体どこの国の人間なのか、というより、「一体何者なのか?」という疑念が市場の人々の間に湧いていたのかもしれない。

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 いつもは少々うざったく感じる客引きの声が全く無いことに一抹の寂しさを感じながら、黙々とチャガルチ市場を歩く私であった。 

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた15-図らずも年越しそばを食べる-(河童亜細亜紀行215)

天麩羅饂飩が冷やし蕎麦に化けた

 私は韓国語学習歴が40年になんなんとしているが、未だに日常会話すらままならない。

 私は極端に物覚えが悪い方ではない。
 一応進学して勉強するだけのそれは持っていたし、人にものを教える立場でもある。

 だが、外国語、特に会話だけはその努力に比して成果が極端に少ない。
 英語も読み書きは専門である医学の文献程度は意味が取れるし、英語の抄録程度ならネットに出回っている翻訳ソフトを用いなくても辞書を引き引き自力で書ける。

 だが、会話という事になると、自分の言いたいことの10分の1も表現することが出来ない。

 それでも英語の場合は相手が何を言っているか程度は分かる。
 学校で正式に20年学習してこの程度だから驚くべき上達の遅さではあるが。

 ところが、韓国語ということになると、道を聞いてその通りに行く、とか、買い物でちょっと複雑な交渉をする、とかいった、ほんの日常茶飯の用が足せないことがある。これは韓国語の聞き取りがほぼ駄目だからだ。

 例えば道を聞いて相手が「この道を真っすぐ」とか「交差点を左に行って次を右」程度だったらどうにか推測することができる。
 しかし、「この道を真っすぐ行って銀行を過ぎたところで右に曲がった後、チキン屋さんの手前の道を左ですよ。」などと言われると、「え? 結局どう行けばいいの?」ということになってしまう。

 これは私の専門分野の知識でいうと、私の構文理解のステラテジー(戦略)が「意味ステラテジー」レベルにとどまっているからだ。
 意味ステラテジーというのは、相手の言った文の中の単語の意味から推測して意味を取る戦略である。

 例えば「交差点を左に行って次を右」という文の中の「交差点」「左」「次」「右」という単語の意味から全体の意味を推し量っているわけだ。しかも、こうした戦略を使用する場合、単語の意味が全て取れていないことが多い。
 例えば「「この道を真っすぐ行って銀行を過ぎたところで右に曲がった後、チキン屋さんの手前の道を左ですよ。」という文の場合、私が咄嗟に理解できる単語は「この」「道」「銀行」「右」「チキン屋」「左」くらいで、しかも文の終わり頃には悪くすれば「銀行」は消え、「右」は「左」に変容していたりする。
 だから私の理解する文は「この道を行って〇〇(なんだっけ)を右に行ってチキン屋を左」となる。当然のことながら私は目的地にたどり着けない


 意味ステラテジーは人間の構文理解の中では最も初期の段階のものである。

 構文理解がもう少し高度になると、「語順ステラテジー」という戦略を取るようになる。
 これは単語の意味にプラスして語順によって動作主や語同士の格関係を推測するものである。
 この戦略だと、「太郎が花子を叩いた」という文は語順によって「太郎」を動作主と推測することができるので正確に意味が取れるが、「花子が太郎に叩かれた」というような文は「花子が太郎を叩いた」という誤った意味に取ってしまう。
 この戦略だと例文のように動作主と対象が入れ替えうる文(可逆文)の理解が不安定になってしまい、「犬が花子に噛みついた」というような、動作主と対象を入れ替えることが出来ない文(不可逆文)しか正確に理解できない。

 そこで、通常我々はもっと高度な戦略を使っている。これが「助詞ステラテジー」である。
 これはその名の通り助詞や助動詞の意味を正確に取るものだ。
 これだと上述の可逆文でも「に」「れる」といった機能語の意味から文意をくみ取れる。受け身形や使役形、過去形と現在形の違い、完了形と未完了形なども、このステラテジーになって初めて理解できる。

 私が今偉そうに説明していることは失語症の患者さんの症状の研究から分かってきたことで、「意味ステラテジー」で構文を理解しているということは聴覚的理解にかなり重い障害があるということを意味する。

 このような状態だから、韓国語で物事を理解しようとすると、さまざまな錯誤や勘違いを起こすことになる。

 閑話休題(これでもきこうぶんのつもりである)。

 ヌルゲと拉麺鍋を買った私達は、昼食を食べるために「寄って百貨店(仮名)」に来た。

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 そういえば朝食のことを書くのを忘れていたが、ホテルの近所で河豚汁と、

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河豚粥を食べた。

 皮の模様からしておそらく鯖河豚である。

 前日の生肉で痛めつけられた胃腸が癒される優しいお味であった。しかもどちらも8000ウォンと河豚としては極めて安い。

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 付け合わせに明太子があったのが珍しかった。明太子は韓国由来のように思われているが、韓国では見たことがなかったのだ。

一番のお友達
 これで私の「貧困なる河豚体験」に大きな第一歩が記されたのである。貧困なる河豚体験(いやしんぼ60)

 ただし、皮が付いているのが一寸嫌だった。虎河豚の皮はそれだけでも料理になるが、彼岸河豚の皮はどうも気味が悪い。

閑話休題(ちゅうしょくのはなしだった)。

 私は前夜のダメージから胃腸が回復したので本格的昼食を、妻はまだ回復途上なので麺類を食べることにする。
 私は今回の渡韓で久しぶりにトンカス(韓国風の豚カツ)を食べてみるつもりだったのでそれを、妻はショーウィンドウで見て天麩羅饂飩を注文する。私のトンカスにも「〇〇」と修飾語が付いていたが、何と書いてあったかもう忘れた。辛いソースのかかっている韓国風のものを頼む。

 注文は私である。
 「〇〇トンカスハナ(豚カツ一つ)」、天麩羅饂飩って何だっけ。ショーウィンドウを見てみると、「ネンネミルグクス」と書いてある。ああ、これこれ。「ククス(麺)」だもんな。

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 ところが、来てみると、私のトンカスは日本の豚カツそのもので、例の甘めの胡麻ダレソースが掛かっている。これをわざわざ韓国で食べなくてもいいが。

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 しかも、妻のものはどうみても天麩羅饂飩ではない。それどころか、妻が、「ねえ、これ、氷が浮いてるよ!」というので見ると、その通りである。スープを飲んでみると冷たい。

 あ、そうか。「ネンネミルグクス」か。「ネン」は「ネンミョン(冷麺)」の「ネン(冷)」か。そうそう。この間DHK(大本営放送協会:仮名)の「ハングル講座」でやってたな。「ミルグクス」は「蕎麦」だ。つまり「冷やし蕎麦」。隣のサンプルの値札を読んでしまったのだ。

 韓国最南端の釜山といえども日本よりは寒い。特にその日は外気温零下3度であった。
 妻は極寒の中で冷やし蕎麦を食べる破目になってしまったのである。

 ところがこれが存外美味かったらしい。考えてみれば寒い土地というのは室内は暖房がよく効いている。しかも私達は前日買ったポカポカのダウンジャケットを着ているのだから、部屋の中は熱いくらいである。

 そして今日は大晦日。

 妻の蕎麦を私も少し頂く。なんだ、美味いじゃないか。

 韓国には大晦日に蕎麦を食べる習慣はないから、それを私たちに思い出させる如何なる情報も入ってこない。
 もし私が注文を間違えていなかったら私たち夫婦は年越し蕎麦を食べ損なうはずだったのだ。そうしたら来年一年を健康に過ごせないかもしれない。

 などと散々正当化の強弁をしつつ、昼食も終わり。

 そのままチャガルチ市場に行くつもりだったのだが、またホテルに戻って一休み。この惰眠が旅行に欠かせなくなってきた。

 30分ほど横になった後、南浦の駅に行って、日本から持ってきた小銭で半端に余っていたものと新たに発生した小銭を合わせて交通カードにチャージする。
 これは妻の知人で韓国旅行が大好きな人からの情報である。前回はこの人の情報のお陰によりソウル駅で出国手続きが出来たのだ。持つべきものは同好の士(ほとんど師であるが)である。

 さあ、「本当の」チャガルチ市場を探して、出発である。
 

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた14-国際市場で「あれ(ヌルゲ)」を買う-(河童亜細亜紀行214)

ヌルジ発見

 元気者の釜山っ子のお陰で良い買い物が出来た私達夫婦である。

 買い物は続く。今度は国際市場に行って1人用の拉麺鍋と「あれ」を買わねば。

 「あれ」は一眼見れば「これ」と分かる代物なのだが、名前が分からない。

 拉麺鍋の方は「1人で使用する鍋」と韓国語で言えば事足りるとして、「あれ」の方は何と切り出せばいいのか。
 「ホットックを押す調理具」か。「押す」が出てこない。勿論スマホで検索すればそれくらいの韓国語はすぐに出てくるのだが、機械にできるだけ頼らずに自分の頭で会話がしたいのだ。
 「ホットックプッシャー」。なかなか端的に表した言葉だが、相手が英語ができない場合には厳しい。

 あれこれ考えながら歩いていたが良い言葉を思いつかず、結局「ホットック」と言いながらギューっと押すジェスチャーをすることにした。

 ところが、実際に金物屋の前に来てみると、店先の目立つところに置いてある。名前が分からなくても、「『これ』、幾らですか?」「『これ』、下さい。」と全て「これ」で用が足りたのであった。

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 今この項を書くにあたって初めてその道具を見ながら「『これ』って名前なんていうんだろう」と興味が湧いて調べてみたところ、「ヌルゲ」というそうだ。しかも驚いたことに「アマゾネス(仮名)」で普通に売っている。それだけ日本でホットックが一般的になっているのだろう。

 社長(店主)に値段を尋ねると、「4500ウォン。」とそっけない。買う意思を告げると一瞬、「こんなもん外国人が買ってどうするんだ」という表情をしたが、その割に手はヌルゲを素早く掴むと風のように店の中に引っ込んだ。そのまま出てこない。

 だが、私達の用事はそれだけでは終わらない。社長さんを放っておいて、拉麺鍋を探す。

 あった。一番小さい大きさの鍋から、4〜5人分の料理は作れそうな大きな鍋まで積み重ねて展示してある。

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 一番小さな鍋は流石に小さすぎておそらく最近の焜炉に掛けたら空焚き防止装置に持ち上げられてひっくり返ってしまいそうだったので、2番目に小さな鍋を選ぶ。

 店の中に入ってしまったまま出てこない社長さんを呼ぶと、また「夫婦もんがこんなもの買ってどうするんだ」という表情になったが、私がその鍋を取り上げて「これ下さい」という間もなく、適合する蓋を素早く裏返して鍋に重ね、またも風のように店の中に引っ込んだ。店の中を覗くともうヌルゲも鍋もビニール袋で梱包され、勘定されるのを今か今かと待ちわびている風情である。

 この社長さん、愛想はないが商売っ気はあるらしい。

 店の中に入ってお金を払うと、急に愛想が良くなって、というよりホッとした表情になって、「まいどありー(カムサハムニダー)」と韓国語で言った。きっと韓国語でストレスなく話せる相手だったら今出しているような良い表情で話す人なのだろう。

 日本人には多いが、語学に自信がなくて外国人と接したくない人が、韓国にもいるらしい。変な親近感。

 これで国際市場で買いたかったものは買ったので、今度はチャガルチ市場に向かう。 

 随分歩いた。私は過去の経験からそろそろ妻の股関節が痛くなり始めていることを知っている。一旦南浦の駅に戻って地下鉄に乗ろう。チャガルチまでは1駅である。

 ところで私は、最初に釜山に来た時から魚の骨のように引っかかっていることがあった。
 それは、この市場が言われているようにそれほど大きな市場なのだろうかということなのだ。

 確かに私は以前からこの街に来て刺身を食べたりオデンを買ったりした。

 しかし、その際に私が移動した範囲は、どう考えてもこの高名な市場にしては狭いと思われたのだ。
 その疑念は昨日たまたま釜田市場に迷い込んでその長い長い市場を歩いてみてますます大きくなった。

 確かに釜田市場は一説によると釜山で最も広い市場らしいのだが、私の知っているチャガルチ市場はその1/10の広さもありそうにないのだ。

 何かの誤解や勘違いがありそうである。

 私達は今までチャガルチに行くのに南浦洞から歩いて行ったことしかない。もしかするとそれが何らかの影響を与えているのかもしれない。

 地下鉄で行ってみると、何かが分かりそうな気がした。
 謎は解けるだろうか。

 おっと、その前に昼飯である。

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた13-釜山人の反日について-(河童亜細亜紀行213)

釜山女性は逞しい

 翌日は大晦日である。
 韓国や中国の正月は現在でも太陰暦を基にして祝われるのだが、一応太陽暦の正月を普及させようという努力も続けられていて、世の中に余裕が出てくるにつれて両方の正月を祝おうという機運が出てきているようだ。
 従って、街を行く人々の様子も何となく休日っぽいのだが、実は休日ではないのだ。だから店は基本的に開いていて、観光客には助かる。
 本日の予定はまずホテルの近所の「映画体験博物館」に行って、そこから光復路を歩いて国際市場を抜けるルートでショッピングである。買い物候補は妻のダウンジャケットと「お一人様用」の拉麺鍋と、名前の分からない「あれ」である。「あれ」は実物を見たら多くの人が「ああ、これね」と頷く代物だが、いったい何という名前なのか、寡聞にして知らない。

 まず、ホテルの近所の「映画体験博物館」だが、入ったはいいものの何が何だかよく分からないうちに閲覧と体験が終わってしまった。自分達が入り込んだ凝ったムービーが作れたりしたのだが、もう少し予備知識を入れてから行った方がいいような気がする。

 もやもやした不完全燃焼感を抱えたまま博物館を出る。これはもう一度来る必要があるようだ。

 光復路を歩いていると、我が家で「オルシンズボン」と呼ばれている韓国独特のズボンを見つけた。

 このズボンは伸縮性のある生地でよく足にフィットするので履いていてとても楽である。また、左右のポケットが二重になっていてしかも右ポケットにはファスナーが付いていて、ここに入れておけば小銭や鍵を落とす心配がない。さらに尻ポケット2つともファスナーが付いているのでここに財布やカード入れを入れておけばスリにやられる心配もないから、外国旅行や私のような田舎者の都会旅行などには最適である。 

 しかも夏用は通気性が良くて涼しく、冬物はボアの裏地が付いていて暖かい、という、至れり尽くせりのズボンなのである。

 店先に吊るしてあるものは1本20000ウォンである。安い。
 ただ、どう見ても私にはサイズが小さい。

 また店先であれこれ妻と詮議していると、店の人が出てきた。アラフォーくらいの中年女性である。ジェスチャーで促されて店の中に入る。

 この人は韓国語以外の如何なる言語も話せず、ズボンのサイズがインチであるかセンチであるかさえ理解していないようである。しかも早口だ。これは私の韓国語力ではお手上げである。

 と思ったら、この人は妻に働きかけ始めた。妻もそれに応える。2人の会話、というか、会話ですらないブロークンな韓国語の単語と出鱈目英単語の応酬なのである。

 ところが驚くべし、交渉はお互いの呵々大笑のうちに進み、私は店の奥の在庫置き場で試着をさせられ、交渉は成立してズボンは2本40000ウォンで私のものになったのだった。

 更に妻はここで自分のダウンジャケットまで買ってしまった。物の値段がどういう機序なのか分かる私に言わせれば(何様)、それは品質に比べて随分と割安の商品だった。

 中高年女性のコミュニケーション力にはいつも驚いてしまう。
 妻と店員さん、互いを繋ぐ言語はごく限られた、数字などの英単語のみである。
 それでなぜ「2本で40000ウォン」とか「カードは駄目で現金で」などという結構複雑な交渉が成立してしまうのか。私には謎というほかない。  

 それと釜山の女性はやはり逞しい。

 この店員さんは日本人の基準(おそらく世界で一番厳しい外国語能力の評価)でいえば韓国語以外の如何なる言語も喋れないのに、店の外で迷っている何人かも分からない外国人を店に招き入れ、100000ウォン超の取引を成立させてしまったのだから。その手段となったのは殆ど笑顔のみ、だったのだが。

 釜山にいるとよく店員さんに話しかけられるが、彼らの殆ど全てが多少は日本語が喋れる。
 日本語の二の字も話せない人から話しかけられたのは初めてだったので一層強い印象であった。

 そして「反日感情が強い」というのはどういうことなのだろうか、とも思う。

 私はこれまで釜山人と接していて無視されたり嫌な態度を取られたりしたことがない。勿論それは道を聞いたり物を買ったりするレベルの接触である。しかし、本当に日本人に悪感情を持っているのならば、やはりそれは表情や態度に現れるはずである。

 これはやはり「日本人と韓国人は鏡」という視点から考えてみる必要があるだろう。

 よく「韓国人は何時迄も過去の歴史に拘る」と日本人は批判する。

 だが、たとえば原子爆弾や特攻隊のことについてはどうだろうか。もう75年も前のことである。

 普段私達は日常生活の中ではそれを殆ど忘れているし、米国人と接したからといって、「こいつらが原爆を投下した憎っくき敵か」などという態度は取らない。それどころか、日本に来てくれた客人として厚く遇するだろう。
 もし彼らが「日本人は愛想が悪い」と感じたとしたら、それはその日本人がそういう性質の人なのか、または語学に自信がないからそれの必要な相手を避けようとする心情の故であろう。少なくとも反米感情のせいではない。

 だが、沖縄戦終結や原爆投下の日、終戦記念日など、節目節目にはマスコミはその特集をし、多くの日本人はその番組や記事に目を向け耳を傾ける。

 そしておそらく「原爆投下についてどう思いますか」というアンケートを取られたら、「戦争終結のためにやむを得なかった」という選択肢ではなく、「人類に対する許し難い犯罪である」という選択肢を選ぶに違いない。
 また、もし「特攻隊は洗脳された狂人集団だ」などという妄言を吐く米国人がいたとしたら、多くの日本人が激怒するに違いない。非人間的な作戦を立案し実行した戦争指導部に対する評価は人によって違うとしても。

 勿論米国人は日本人との付き合いで日本人の琴線というものを知っているから、そんな妄言を吐く米国人は少なくとも日本人と接する人にはいないが。万一いたとしても現在の日米の力関係からしてそんな情報は揉み消されてしまって日本人には伝わらないだろう。

 日本人の歴史に対するこのような態度を「日本人は何時迄も過去の歴史に拘っている」とは誰も言わない。それぞれの民族が他民族とは違うそれぞれの叙事詩を持っていることを知っているからだ。
 
 ではここで、「原爆投下」を「日本による植民地支配」、「特攻隊」を「独立運動家」と入れ替えてみよう。これが韓国人の叙事詩である。
 多少の誇張や自民族の美化、敵役となった民族への卑下が混じっているのは日本人の叙事詩と御同様である。

 こうした叙事詩を心の中に持っている人を「反日である」と言えるのか。そうだとすると、殆どすべての日本人は「反米」の筈である。

 実は2年前、私はいわゆる「慰安婦像」が釜山で日本大使館前に設置されようとしていたその日その時にその場に居たのだ。それは確信的ではなく道に迷った結果だったのだが。

 日本のマスコミは「釜山市民の8割が像の設置に賛成」と大々的に報じ、TVや新聞に「極度に緊張が高まっている」という記事が躍っている最中のことだった。

 私の見た光景。

 もの凄い数の機動隊に対し、設置しようとしている人々の数は300人くらい。
 その場の雰囲気は「極度の緊張」とは程遠いものだった。私は最初新年のカウントダウンをする準備と間違えたくらいである。
 三々五々移動中の若い機動隊員に道を尋ねてその場を離れたが、もしデモ隊の若者に道を尋ねていたとしても、道を親切に教えてくれただろう。

 私は「反日」といわれる人たちが少数で孤立していると言いたいのではない。

 おそらく私たちの出会った逞しい釜山女性も、アンケートを取られれば「像の設置に賛成」と答えるだろうし、私が独立運動家を人格レベルで貶したら「店から出て行ってくれ」と怒鳴るか、私のズボンの値段を「1本400000ウォン!」と言ったっきり口を利かなくなったかもしれない。とてもオープンな性格らしい女性だったからだ。そんな極端な行動に出なくても、内心は激怒するだろう。

 むしろ、普通の(まともな)人間はそういうものだ、ということだ。

 嫌韓や反日を商売にしている人以外は、相手がどこの民族だろうが、初めて会った人には初めて会った人なりに、二度目に会った人には二度目に会った人なりに、知り合いには知り合いなりに、軽い友達には軽い友達なりに、親友には親友なりに、「普通に」「まともに」接するのだ。

 人は自然な環境に置かれている限り、初めて会った相手とその瞬間に敵になったり親友になったりはしない。それはとても不自然なことだ。第一印象というものはあるにしても。

 日本人と韓国人の間に何時かそうした自然な環境が整うことを祈りたい。

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた12-父の教えと孔子の教えに背いた罰が当たる-(河童亜細亜紀行212)

食中毒ではありません

 釜山の新市街、西面でのショッピングを楽しんだ私達は懐かしの(というほど来ていないが)南浦洞に戻ってきた。
 またホテルで惰眠を貪った後、昨日はゆっくり味わえなかった夜の街に出かける。

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 毎年のことだが釜山の年末年始のイルミネーションは素晴らしい。韓国随一と言ってよいだろう(ソウルで年末年始を過ごしたことはないけどね)。

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 特にトナカイの馬車のイルミネーションに実際に乗ることが出来て、子供が乗って親が写真を撮っているのが微笑ましかった。
 西面で結構歩き回った後だから結構腹が減っといる。

 夫婦で話し合ってこの日はプルコギ、それもソウル風のタレの薄いものを食べようと決めていた。

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 ところが、いざ探してみると無いのが目当ての食い物屋である。

 行けども行けども「プルコギ」の文字はない。
 そのうちに妻の股関節が限界に達したので、ホテルの方に引き返す。

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 何のことはない。ホテルの近所にデカデカと「ブルコギ」の看板を掲げた店があるではないか。

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 私は完食、妻も相当部分を食べ進めてから写真を撮ることを思い出した。
 私たちが如何に空腹であったかを示す写真である。

 「ソウル式」をさらに進めてもはやプルコギパン(プルコギ専用の鍋)すら使わないプルコギである。
 今後韓国のプルコギはこのような方向に進んでいくに違いない。知らんけど。

 取り敢えずの空腹は満たされた私達であったが、空腹で彷徨った時間が長かったせいか、どうも物足りない。

 メニューを見てみると「ユッケ(牛肉の刺身)」がある。

 「ユッケ」はもはや日本語になったといってもよい言葉だと思うが、私には韓国語ネイティブの発音が「ユクフェ」に聞こえる。
 元々「フェ」は膾(なます)という意味の韓国語である。「膾」は「ゴーグル先生」に聞いてみると、「昔の食品の一種。生魚の肉を細かく切ったもの」とある。これが転じて、現在では大根や人参などを細かく切って酢に和えたものをいうようだ。韓国ではこの古からある中国語がほとんど固有語のような顔をして生活の中に溶け込んでいるのだ。

 孔子は愛弟子の子路が政争に巻き込まれて殺害され、膾にされてしまったという悲報を耳にして、生涯この食品を食べなかったという。

 実はこのユッケ、私たちのテーブルの近くの客が頼んでいたので、さっきから食べたかったのだ。

 8人ほどの客に2皿出ていて、1つが4人前だと思っていたから、1人前ならば夕食の終了した私達夫婦2人でちょうどいい量だろう。

 店のアジュンマに「ユクフェ1つ」と韓国語で注文するのだが、通じない。「は? もしかして、『ユッケ』かい?」と言われる。またも敗北感。

 人間というものは難しいことが嫌いで、できれば簡単に事を済ませたいのだ。どう考えても「ユクフェ」より「ユッケ」の方が発音しやすい。
 「ざうひやうのくび、ねじきりてすててけり」よりも、「ぞうひょうのくび、ねじきってすててんげり」の方が発音しやすいのである。


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 しかも、「ユッケ」が実際に来てみると、あの1皿は1人前だったのだ。これは後で勘定を確かめてみたから間違いない。知っとるけど(2020年流行語大賞)。

 私などはソウル風プルコギの汁まで飲んで、「腹ぁパンパン」である。これを更に食うのか。

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 私たちは「食糧難世代」ではないけれど、「食べ物を粗末にして食糧難世代からこっぴどく怒られた世代」なのである。
 仕方ない。全部平らげた。

 そういえば、大陸でアメーバ赤痢になってエラいメに遭った亡き父は、「他所の土地で生ものを喰うな」というのが口癖だった。
 ユッケって生肉だったよな。
 平らげてから気付いた。

 この教訓を噛み締めることになったのは妻だった。
 
 時々呼吸が止まりながら爆睡している私をよそに、妻はトイレに通いどおしだったという。

 そういえば、私達の泊った部屋の「唐山唐人(仮名)」は偶々調子が悪かったのだ。

 洗浄しようとするとビデの部分、男の私の場合は〇裏(下品ですみません)に水流が行くので座っていた「でんぶ」を前にズラさねばならず、スイッチを止めると今度は水流が水戸方面を遥かに越えて白河の関まで飛んで便器の外に噴射されそうになるので己の「おいどん」でこれを阻止する必要があった。

 私はこの程度のことは旅行ではよくあることと受け止めて妻と話題にもしなかった。日本国内でも公衆便所の「唐山唐人」が暴走を始めて慌ててコンセントを抜いたことがあるからだ。
 しかし、妻が夜通しこれをしなければならなかったとすれば、気の毒と言うほかない。

 明け方頃になって私の消化器にも一度だけ危険なマグマが濁流となって駆け下りたが、その一度だけで治まったのは幸いだった。

 私が父の教えと孔子の教えを破ったが故である。ここに深く反省したい。

 まあ父は食あたりのおかげでシベリアに送られずに済んだともいえるので、妻にもそのうち何か良いことがあるに違いない。 

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 と、いうことで、2019年12月30日の釜山からさようなら(まだ続きます)。

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた11-アガシとアジョシに道を教えられる-(河童亜細亜紀行211)

釜山人は本当に親切

 西面駅に戻った私達夫婦はお互いのダウンジャケットを求めて洋品店街を歩く。

 今回の渡韓は天気予報その他から相当の寒気が予想されたので、防寒用の衣服を買ってから行こうかと考えたのだが、3年向こうに住んでいた娘から現地で買った方が暖かくて良いのがあるというアドバイスを貰ったのだった。
 確かに寒い国の製品の方が要求が切実な分良いものが手に入るに違いない。

 しばらく物色していると私のものの方が先に見つかった。
 埴輪の兵士の身に着けている甲冑のようなデザインの、緑色のダウンジャケットである。
 ところが、残念ながら私の身体とサイズが合わない。
 妻とわいわい言っていると店の中から社長が出てきた。これは45000ウォンだという。
 値段が同じでちょうどいいサイズのものがあるから入ってみて、と言われて店の中に入ると、社長はハンガーからジャケットを取っては私の身体に当てがい、「どう?」と尋ねる。
 表にあったもののような奇抜なデザインではないが、元々服に拘らない私は自分の大きな身体に入りさえすれば良い。これに決定。
 カードで払おうとすると、「いいけど、カードだと5000ウォン高いよ」と言われたので、現金で払う。どうもカード社会だといわれる韓国ではあるが、意外に現金が要る。

 早速今買ったばかりのダウンジャケットに着替えて、今まで着ていたジャンパーは背負っているリュックサックに入れる。

 流石は本場のダウンジャケット、暖かい。というより、暑い。地下街は暖房が入っていて外気ほどには寒くないのだ。そのうちに汗ダラダラになってきた。

 一応私の分は買えたので、「韓国代走(仮名)」で予定の物を買うことにする。
 本来チャガルチ店で買うつもりだったのだが、「オネスト(仮名)」で調べてみると西面駅の近所にも2つあるので、ここで済ませることにしたのだ。

 妻が頼まれものの化粧品を買った「ミーシャ(仮名)」の店員さんに尋ねると、「この地下街をずーっと真っすぐ」ということだった。

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 言われたとおりに道をずーっと真っすぐ歩いていく。

 何だかさっきダウンジャケットを買った地下街とは雰囲気が違う。

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 さっきの街は主に中高年が歩いていて、店も中高年向けのような感じだったのだが、こちらは若い人、特に女性が沢山歩いている。どうやらさっきは「アジョシアジュンマ(おっちゃんおばちゃん)の街」で、こちらは「若者の街」のようだ。

 ところが、ずーっと歩いて行って、とうとう行き止まりまで来ても、「代走」がない。

 どうなってるんだとリュックからタブレットを取り出して「オネスト」を見てみるのだが、今一つ現在地との位置関係が分からない。

 すると、隣で人と待ち合わせをしていたらしい若い女の子が、「日本の方ですか?」と日本語で声を掛けてきた。「何処をお探しですか?」と丁寧な言葉づかいである。
 「代走なんですが。」と答えると、「ああ、それなら、向こう側の階段から上って…」と言った後、絶句してしまった。その次に話すべき日本語を思いつかなかったらしい。
 ただ、彼女の腕によるジェスチャーでそう分かったので、「後戻り、ですか?」と私が言うと、「ああ、そうそう! そうです!」と嬉しそうに答えた。

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 礼を言って階段を上がって今来た方向を振り返ると、「代走」の赤い看板が見えた。

 それにしても親切な女の子である。
 その子の話しっぷりからすると、彼女の日本語力は私の韓国語力くらいである。それでも道に迷って困っている私達を見つけると躊躇なく寄ってきて話しかけた。私は道に迷っている韓国人や米国人に同じことが出来るだろうか。

 「代走」で買いたいものを買って(買いたかったものについては後述)、今度は妻が「豚チゲラーメン(仮名)」を頼まれていたことに気付いた。これも南浦洞で買ってもいいのだが、せっかく釜山の新市街西面に出てきたのだから、ここで買おう。朝早く出てきたおかげでまだ時間はたっぷりあるのだ。

 このラーメンはたしか「寄ってモール(仮名)」にあったことを思い出して、また「オネスト」で検索し、地図で確かめてそちらに向かう。
 西面駅付近の地下街の位置関係は大体わかったから、もういちいちナビを使わなくてもいいだろう。

 ところが、また途中で分からなくなってしまった。西面の地下街は名古屋の地下街並みに長くて複雑なのだ。
 看板を見、地面の方向を示す標識を見ていると、後ろから英語で声を掛けられた。
 'Where are you going?'だったと思う。
 顔を上げて振り返ると、私と同じかもっと年配の韓国人男性の3人組である。

 「ああ、ロッテモールです。」と韓国語で答えると、その瞬間にその訛から私を日本人だと察したらしく、
 「日本の方ですか?」
 「ええ。」
 すると日本語が最も上手な人なのだろう、ずいっ、と前に出てきて、日本語で丁寧に行き方を教えてくれた。

 嗚呼、なんて親切な人たちなのだろう。
 何度も言っているが、ここはお互いが顔見知りの小さな田舎町ではない。韓国第二の都市の新市街なのだ。

 感謝しかない、と言いたいし、「何が反日感情が強いじゃ」とこの項をまとめたいところである。

 しかし、実は私は少なからぬ敗北感も味わっていた。

 最初の娘さんの、困っている人を自分のできる精一杯で助ける物怖じしない態度。彼女はほどなく日本語がペラペラになるだろう。
 まさに孔子の言葉、「義を見てせざるは勇無きなり」である。

 次に助けられた男性たちは最初は私達が何人か分からなかったので国際共通語である英語で話しかけたのだろう。そして日本人と分かったからすぐ日本語で話してくれたのだ。その紳士らしい親切と教養。

 考えてみれば、私達の滞在している「弁韓観光ホテル(仮名)」も、決して大きなホテルではない。しかし、従業員たちは日本語・英語・中国語を相手がストレスを感じない程度に喋れるのだ。勿論人によって得意不得意な言語は違うにしても。

 過去の栄光に浸っていたい日本人が「近代化してやった」と見下げていた人々がどんどん追いついてきている。もう追い抜かれてしまった部分も多々あるだろう。認めたくないが。英語力はまさにその部分である。

 頑張れニッポン。

 今は「近代化してやっている」と思っている国、ヴェトナムが、ミヤンマーが、そのうちにすぐ追いついてくる。そうしたら日本人には耳の痛い自己主張を始めるだろう。そうなったらカッとなって臍を曲げて「丁寧な無視」を始めるつもりか。

 もう宗主国意識は捨てた方がいい。そんな意識があるから「生意気だ」とか「(相手が)甘えている」とか、「懲らしめる」などという言葉が出てくるのだ。「丁寧な無視」などしていたら日本が放置した部分にどんどん他国(おそらく当面は米国や中国)が入り込んでくるだろう。

 虚心坦懐。

 日本という小さな島国が今まで独立を保ち、発展できたのは、他民族の優れたところを見抜き、学んで自分たちのものにしてきたからだ。世界中が先生だった。

 と、話が大きくなりすぎるところは全く老いの繰り言である。

 取り敢えずはやはり釜山人は親切だ、という話に戻して、次回。

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた10-チャガルチより大きい?魚市場に迷い込む-(河童亜細亜紀行210)

韓国最大の市場じゃないのか

 はーるばる来たぜ♪ 西面へ♪

 実際西面は私達の宿泊する南浦から結構遠い。地下鉄で30分以上掛かる。

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 しかも、例によって釜山の交通カードが、なぜ、という理由が分からずに自動改札機に引っかかる。

 仕方がないので釦で駅員を呼ぶ。「どうしました」というので拙い韓国語で説明する。チャージもしてどう考えてもお金は足りているのに改札を通過しない、という趣旨の説明は私の韓国語ではかなりキツい。この場は居間のソファで私の友人の韓国人と過ごしているのではなく、忙しい駅員さんに限られた時間の中で慌ただしく説明しなければならないのだ。

 駅員さんは自分でも私のカードを自動改札にかざして見て、原因が分かったらしく、「ああ!」と頷くと、自分の持っているカードをかざして私達2人を通してくれた。

 おいっ! 原因を教えてくれ! また通れないことがありそうじゃないか。と言いたかったが、我慢した。その後はカードか不通ということはなかった。だが、おそらくこれから釜山に行くことがあったら(おそらくあるが)、また1回は引っかかりそうな気がする。
 釜山の交通カード、不通の謎は何時解けるのだろう。

 結構長い間地下鉄に揺られて西面に向かう。
 途中やっと妻の席だけ空いたので座るように促す。別にレディーファーストなのではなく、身体の小さい妻1人分しか空かなかったのだ。

 ところが、妻が座った途端に近くの扉からハルモニ(お婆さん)が乗ってきた。

 ここ釜山では、皆が吃驚する程オルシン(お年寄り)に席を譲る。
 これは誇張ではなく、オルシンを立たせて平気な顔で席に座っている若者を一度も見たことがない。小さな田舎町ではなく韓国第二の大都会での出来事なのだから驚きだ。

 私も既に何度か同年輩の男性に席を譲られた。私は実年齢より外見が10歳プラスだから、外見だけは「オルシン」なのだ。

 今回の妻の場合も当然のことながら席を譲るのが自然である。妻は実年齢より10歳は若く見えるので、尚更である。私が立って妻が座っているだけでも「父親を立たせて座っている娘」という風情なのである。

 妻は韓国語が喋れないので仕草でハルモニに座るよう促すと、「次で降りるから」という返事。これくらいの韓国語だったら私にも分かるので「私たちも次ですから」と言ったが、結局座ってもらえなかった。

 「次」は西面である。

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 地上に出ると、まあ、大都会である。500万都市釜山の中心地なのだから当然だ。

 もう12時過ぎである。飯の時間だ。

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 手近な食堂に入り、ソルロンタンとカルビタンを頼む。
 店には一欠片の日本語もないが、少なくとも食い物に関しては私の韓国語は困らない。下手な韓国人より韓国の食べ物には詳しいかもしれないのだ(本当)。

 未だ嘗てこの2つは外れだったことがない。いつものように完食である。

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 店を出るとちょうどその方向に商店街が続いているので入ってみる。

 本当は別の目的があって西面まで来たのだが、とても楽しそうな感じなのでちょっとだけ足を延ばす気になったのだ。軽い気持ちである。

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 猫鮫が売られていたり、

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 穴子や鱈やグチや鰈が売られている魚屋が延々と続く。

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 可愛いワンちゃん。

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 歩いているうちに、ここは韓国で一番長い魚市場なのではないかと思い始めた。チャガルチ市場より長いような気がする。一番広いかどうかは知らないが、兎に角長い。
 そして、チャガルチ市場や南浦の街とは違い、日本人が歩いていない。

 私は魚市場が大好きなので、何処までも何処までも何時までも何時までも歩いていきたかったのだが、旅行者の悲しさ、生魚を買うわけにはいかない。本来の目的地に向かうことにした。

 私たちは日本の物よりも保温性に優れていると娘がいうダウンジャケットを西面の洋服屋街でそれぞれのために買う予定なのだ。

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 ファンテ(寒干鱈)を2匹買う(写真はホテルで撮ったもの)。1匹7000ウォンだから安い(んじゃないかな。相場がよく分からないが)。店のアジュンマ(おばちゃん)は魚を買う日本人は初めてだったのか、吃驚していた。

 街角で野菜を売っていたアジュンマに「服屋街はどこですか」と聞こうとするのだが
、「服」が韓国語では出てこない。「웆(ウッ)」だっけ、「옷(オッ)」だっけ。思い出せないので「洋服(ヤンボク)」と言ってみるが、通じない。やはり私の韓国語は日本人に慣れていない韓国人には通じないのだ。

 やむを得ない。

 これだけはやりたくなかったのだが、仕方がない。
 自分の服を手で引っ張りつつ、「ショピングセント、オットッケガヨ(日本誤訳:(服の)ショッピングセンターどうやって行きますか)?」。
 通じた。「ああ行って、こう行って、」というのは韓国語で返ってくるが、この程度の聞き取りなら大丈夫である。

 アジュンマに聞いた通りに行ってみる。
 妻はこういう場合疑い深そうに付いてくるのだが、今回はアジュンマのジェスチャーが分かったらしい。何のことはない。人類には相手の音声言語が分からなくても分かる共通言語があるのだ。

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 教えられた通りに行くと、地下街が現れた。
 何のことはない。さっき登ってきた地下鉄の駅の地下街である。

 後で調べてみると、私達が知らずに入っていった魚市場は釜田市場といい、釜山で最も大きな市場だそうだ。
 どおりで行けども行けども終わりがなかったはずだ。

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた9-帰りのバスはジェットコースター-(河童亜細亜紀行209)

アトラクションのようなバス

 予想以上に楽しくて大満足の甘川文化村であったが、1つだけ懸念材料があった。

 それは帰りの手段である。

 往きに来てみて分かったのだが、最寄りの地下鉄土城駅まで案外遠い。まあ公共料金の安い韓国だから運賃は500円以内だが、歩くとなるとアップダウン(というよりひたすらダウン)が凄いので徒歩では無理である。

 往路はたまたま客待ちのタクシーを捕まえられたが、帰りはそれほど上手く行くのだろうか。

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 一応「触り」の部分の大通りの終点らしき「幸せポスト」から「入口」まで引き返してみると、えらい人だかりである。

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 これが全員タクシー待ちの客なのだ。

 ネットで事前に調べたところでは、文化村と土城駅との交通手段としてはタクシーのほかに路線バスとコミュニティーバスが紹介してあるが、「〜もあります。」という表現で、実際にタクシー以外に乗る人は少ないようだった。実際「何番のバス停」と言われても外国人には場所を特定するのは難しい。特に「マウルバス(このブログを現地での移動の参考にするため実名。しかし私は嘘つきだから信用しないほうがいいですよ)」という名前のコミュニティーバスに実際に乗った人はいないのではないかと思われた。

 タクシーは待ち人数からするとどうみても最低30分待ちである。げっそりしているときに「マウルバス」と韓国語で書いてあるバスが到着した。
 運転技師さんに「土城駅に行きますか?」と聞くと「行きますよ」ということだったので乗り込む。このバスも交通カードが使えるのだ。ラッキーである。

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 バスの中から村に別れを告げる。
 タクシー待ちの人達は反対側にいる。ちらっと見て、少し優越感。

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 5分も経たないうちにバスは満席になり、出発。

 それから先のバスの動きは、一言でいえば「ジェットコースター」であった。バスは「このカーブだったらこれぐらいのスピードで曲がるだろう」という、運転経験のある私達夫婦の予想の2倍くらいのスピードを保つ。
 結構揺れる。なかなかのスリルである。勿論どれくらいならば安全、というのは運転手技師さんが一番分かっているのだろうし、実際に後でその時撮った動画を見たら全然大したことないのだが、リアルタイムではハラハラドキドキであった。

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 突然、バスの前をハルモニ(お婆ちゃん)が横切った。「轢かれた?!」と思ったが、無事にバス停のある側に渡っていて、乗り込んできた。

 ところが、普通の席に座らずに運転席の後ろの床に進行方向とは反対を向いて座った。
 思わず車椅子は下り坂を下りる時は進行方向とは反対側に向けることを思い出した。急坂の村で生きてきたハルモニは生活の知恵でそれが一番安全であることを知っているのかもしれない。

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 それでもハルモニはときどき遠心力にぶん回されて転がりそうになる。が、巧みにバランスを取って定位置に留まる。

神風バスで老婆転がる

 1980年代に韓国に留学していた友人のA君からはバスの荒い運転でハルモニが転がったという噂話を聞いていたが、運転の方も乗る方も穏やかになっているということだろう。

 バスは無事に土城駅に到着。

 遊園地のアトラクションが好きな人は是非マウルバスに乗ることをお勧めする。

実はもっと深刻

 私達が数年前に空港から仁川に行ったときのような死を覚悟するほどではない、ちょっとしたスリルを味わえるだろう。
 考えてみたらあれ以下にスピードを落とすのはバスのような大きな車体としては無理なのかもしれない。

 ただし、心臓病の人や気の弱い人は少々時間がかかってもタクシーを待ったほうがいいと思う。

 さて、次は釜山の新市街、西面である。

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた8-甘川文化村に感動す-(河童亜細亜紀行208)

人類は皆兄弟

 私の卓越した語学力のおかげで(どの口が言ってるんだ)甘川文化村に無事着いた私達夫婦である。

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 まずは案内板を見て回るルートを決定する。
 ここまで登ってくるまでに悟ったのだが、文化村は相当広範囲の地域に及んでおり、とうてい私達老夫婦の衰えた足で全部回れるようなところではない。
 本当に「さわり」の部分だけを回ることにする。

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 まずは魚の壁画から出発。

 この村の芸術はこんな感じで一般の住居にさりげなく創ってあるのが特徴である。

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 村は長崎より凄いとんでもない斜面に形成されたものである。高齢化が進んだら大変だろう。

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 街の俯瞰図はこんな感じである。

 一つ一つの芸術品を紹介していったら村のほんの一部のスペースでも切りがないので、私が心動かされたものを簡単に紹介したい。

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 まず、この猫。
 芸術ちゃうやーん!
 だが、昔祖父が飼っていた「プチ」という猫にあまりにもそっくりだったのだ。
 ちなみに「プチ」は仏蘭西語で'pttit'(小さい)という意味だ。在日外国人が小さくて可愛い犬に「スコシ」という名前をつけるというエピソードが「動物のお医者さん」という漫画に出てくるが、似たような間違いである。

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 次はこの占い。

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 ガラポンの機械に専用のコインを入れると赤い球が出てきて、この中に占いが入っている。

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 このトンカチで容器を割ると中に入っている占いの巻物が出てくる。

 私達は2人とも占ってみたが、結果は教えられない(単に全部ハングルで読めないだけ)。

 この占いの注意点を2つ。

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 1.ガチャポンだから手持ちの硬貨を入れたくなるが、入らない。無理に回そうとすると機械が壊れてエライことになる。ガチャポンの隣に専用コインの両替機があるので、そこで専用コインに換えること。

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 2.占いを入れた玉が意外に弾力があって割れにくいので、この台に置いてしっかり固定させてから割りたくなること。そのまま吸い込まれて行く。私は妻が「そこは違うよっ!」と鋭く肥を(いつものマンネリネタ)、じゃなかった、声を掛けてくれたので助かったが、要注意である(俺だけか)。

 お前、また芸術とちゃうやん、えーかげんにせーよ、というドスの利いた声が聞こえてきそうなので、芸術の紹介である。

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 この可愛い動物たちは何と綿菓子でできているのだ。

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 この店はひっきりなしに客が注文するので、客足が途切れて写真を撮るのがなかなか難しかった。

 そろそろ「電凸」が始まりそうなので、本格的な芸術鑑賞をしたい。

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 私が最も心惹かれたのはこの路地である。

 何と、路地全体が本棚になっている。

 私はとある事情でこのたび大量の本を身を斬られる思いで処分したのだ。「本に囲まれた生活」は私の理想だが、浮世というものは貧乏人にそれを許さない。

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 この路地を登って行った先にはこの地の住人の昔の暮らしがリアルな筆致で描いてある。

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 そして、その中程には井戸が。
 これは芸術品であって往時のものではないが。

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 「うっかり地面を踏めないね」と妻。
 当時の女性たちの水汲みの大変さがこの絵からは伝わってくるのだろう。

 韓国の皆さん。大和撫子というものはこれほど優しい人種なのですよ。

 「일본놈(イルボンノム=日本の奴ら)」などと言わないでください。

 実はこの通りのスタート時点でたまたま韓国人の観光客らしき一行とすれ違ったのだが、その中の一番年配らしき男性が「なんだ、ここはイルボンノムがえらくいるな」とその場の誰にも聞こえるような声で言ったのだ。

 年配の韓国人にしたら韓国語の多少でも分かる日本人がいるなどということは信じられないかもしれない。

 確かに日韓間は長い間語学の一方通行が続いた。日本人は日本語を喋り、韓国人は日本語を喋る。それは長い歴史と文化を誇るこの民族には実に不本意なことだっただろう。これには力関係だけでなく韓国人の外国語学習能力が日本人のそれより上という事情も絡んでいたのだが。

 だが、今や日本人で韓国語ができる人間も少しも珍しい存在ではなくなった。
 日本人の特性で表出は苦手だから一見全くできないようだが、この程度の韓国語は理解できる日本人は山ほどいるのだ。特に現在のような状況でわざわざ韓国に来ている人たちには。

 正直外国語で侮蔑語を言われても応えないのは、それだけお互いの距離が遠いからだろう。しかし、昨夜逢った「イルボンアガシ」のように現地に溶け込もうと頑張っている人には堪える言葉だろう。

 救いだったのはほかの若い家族たちが戸惑ったような顔をしていたことだが。

 韓国の皆さん。この時期に韓国に来ている日本人は韓国人に好意を持っている日本人です。彼らが韓国を嫌いにならないように、侮蔑語・差別語は止めましょう。

 閑話休題(いまいったことばはにほんじんにもそのままあてはまるのはいうまでもない)。

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 この井戸に関する由来が韓国語と英語で書いてあるが、錆びていてよく分からなかった(嘘。本当はどちらも苦手なため)。

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 甘川の街を眺める「星の王子様」。
 隣に座って写真を撮れるようになっている。

 面白いのは、韓国語を話す女性や中国語を話す女性は「おっとっと」という感じでも隣に座って撮影するのに、日本語を話す女性は道路側からこわごわ王子にしがみついて撮影していたことだ。
 妻もご多分に漏れずそうしていた。

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 今回ほとんど唯一の「鳥撮り」となった雀たち。
 日中でも氷点下というとても寒い日だったので、みんな達磨のようになっていて可愛かった。
 
 それにしても韓国の鳥は本当に逃げない。これも私の棲む三角の雀からすれば嘘のような距離から撮影したものだ。

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 「道の駅」を思わせる土産物屋。
 あまりにも若い女性で一杯だったので近づけなかった。

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 「小さな博物館」で見た、白黒写真時代の甘川である。
 元々は朝鮮戦争の避難民で形成された集落だったのだという。

 この集落をどうやって現在のようにしたのだろう。そのアイディアと実行力と団結力には感動するしかない。
 妻もいたく気に入ったらしい。
 旅行中あまり言わない「また来たいねー」が出たので本気で気に入ったのだろう。普通は「もう来ることもないだろうから」の方が多いのだ。

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 煌びやかなチョゴリ(韓服)を来た、中国の南方か泰国の言葉を話す娘たちが、あちらからやってくる韓国語を話す若者を見かけるや、

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 英語で'Please! shoot!'(だったっけな、photograph!だったかもしれない。何せ私の英語力と記憶力である)と叫びながら殺到した。
 韓国の若者たちはちょっとビビっている。

 めでたく'OK'となって、仲良く記念撮影。

 ああ、いいなあ。
 これからは日本語を話す若者にもこの積極性を身に着けてもらって、東亜の若者と仲良くしてもらいたいものだ。

 何だか今までのどの観光地よりも心を動かされた甘川文化村であった。
 

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた7-変わらぬ鮑粥と海胆汁の味に安心す-(河童亜細亜紀行207)

大袈裟なんだよ

 今回の釜山では、何日目には何をするという大まかな計画は立てていた。

 何せ丸々2日間は時間を気にせずに遊べるのである。

 1日目はホテルに着くだけでもう夜だろうから、夕食と少しだけの夜遊び。
 2日目は少し遠くに行く。具体的には今まで行ったことのなかった甘川文化村と、釜山の新中心街といわれる西面。 
 3日目は南浦の旧市街と韓国最大の海産物市場であるチャガルチ市場。
 4日目は買い残しの土産をホテル周辺で買ってから釜山港に直行。

 2日目の朝、まずは腹拵えである。

 前回、私達は前々回の釜山行で感動するほど美味かった鮑粥と海胆汁を食べ、妻の頼んだ鮑粥は変わらず美味かったのに、私の頼んだ海胆が苦かったので落胆したのだった。

 今回も行く気になったのは、美味しかった時の味が舌の上に残っているからで、前回の海胆は何かの間違いに違いないと思ったのだ。

 店は早朝だというのにもう客で一杯である。前回と違うのは、あの時は地元の人らしき人も半分くらいは居たのに、今回はおそらく客全員が日本人であろうことだ。
 ちょっとだけ店先で待って、一席だけ出来た席に座り、何時ものように(といっても3回目だが)鮑粥と海胆汁を注文する。

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 まずは海胆汁を味見。良かった。美味い。ただし、えらく値上がりしている。最初に食べた時のほぼ倍である。もしかすると海胆が高騰して前回`(2年前)は価格を維持するために品質を落とさざるを得なかったのかもしれない。

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 次は妻の鮑粥を味見。いつも(しつこいが3回目)通りの味である。美味い。

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 完食。 

 よかった。これからも釜山に来たらワクワクしながら朝食を食べに行ける。

 これからも贔屓にしますから美味しい食べ物を作り続けてくださいね。贔屓も何も3回目だけど(本当にしつこい)。

 どうも10年前が「この間」になったり、1年前が「昔」になったり、つい1週間前に会ったのに「久しぶり」になったり、1年振りに会ったのに「よく会うね」になったりするのは老化によって時の見当識が失われつつあるのかもしれない。

 朝食に大満足して、そのまま駅に、向かわずに、一旦ホテルに帰って一休みしてから地下鉄の駅に向かう。一遍に二つのことが出来なくなったのもこれまた老化なのだろう。

 南浦の駅で交通カードに料金をチャージする。

 前回の旅行で余った小銭を全部入れてやろうと思っていたのだが、敵もさるもの(`別に敵ではないが)、1000ウォン単位でしかチャージできないという。
 仕方がないのでそうしたが、それでも随分小銭が少なくなった。

 私は古銭の蒐集家なので旅行で余った小銭も綺麗な奴はできるだけアルバムに入れるようにしているのだが、何せ韓国にはもう11回も行っているのでこれ以上アルバムにも入れようがないのである。

 目的地の甘川文化村の最寄りの地下鉄駅は南浦から2駅のところにある土城という駅である。

 土城に着いたら地上に出てタクシーに乗る。
 本当は「マウルバス」というバスが一番料金が安いのだが、バス停がどこか分からなかったのだ。

 私は韓国語の「ㄴ(ニウン=n)」と「ㅎ(ヒウッ=h)」の間のリエゾンを発音するのが下手である。
 だから、私が「銀行(은행=ウンヘンとウネンの間くらいの音)」と発音したり、「電話(전화=チョンファとチョナの間くらいの音)」と発音したりするとまず通じない。

 おそらく地元だから「甘川」は発音しなくても「文化村」で通じると思うのだが、私の「文化(문화)=ムンファとムナの間くらいの音)」の発音が通じるだろうか。

 しかも、文化村といっても広い。散策コースの最初は何と言えばいいのだろう。あ、「入口(イプク)」だと通じるかもしれない。
 私が「文化村入口に行ってください」と言うと、一瞬間があったが、「ネー」という返事と共に車が動き出した。通じたのだ。
 今から考えれば「村=マウル」という固有語に反応したのだろう。これは発音が簡単である。そしておそらく大都会である釜山市街には「村」と呼ばれる場所は他にない。

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 タクシーに乗ってからすぐ気づいたことは、文化村はとんでもない坂の上にあるということだ。
 車はどんどん登っていく。さすが「韓国のマチュピチュ」である。ちょっと大袈裟だが。

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 散策コースのスタート地点らしきところに着くと、運転技師さんが「ここがイプク(入口)だよ」と言った。やはり「入口」でよかったのだ。俺ってすげー! (初歩の初歩ね。あんたの方が大袈裟だろ)
 
 いよいよ本日のメインイベント、甘川文化村の散策である。

「最悪の日韓関係」の中「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた6-釜山で働く日本人-(河童亜細亜紀行206)

どこから見ても韓国人

 さあ、釜山で最初の食事である。

 出航してすぐに昼食を摂ったから、もう8時間近く食事していない。
 光復通りにでると、すぐのところから路地に入り、適当なカルビ屋に入る。

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 まずは「メクチュジュセヨ(ビール下さい)。」
 すると、直近2回の旅行で必ず聞かれたことだが、「何の銘柄にしますか」と言われた。
 今まで「メクチュ」と言っただけで店の人が選んだ適当な(大抵は「キャスビール(仮名)」)銘柄が出てきていたような気がするのだが。
 愛国者である私は「ユウヒ(仮名)」で、と答えたが、なかった。このネタ、前回の旅行でもやったな。
 それにしても、不買運動の標的が何故麦酒なのか、解せない。「ユウヒ」や「カントリー(仮名)」が慰安婦や徴用工に何か酷いことをしたという話は聞かないし。「『マキビシ重工(仮名)』の機械は買わないっ!」というような話ならまだ理解できるのだが。

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 ビールは付け合わせを食べているうちにすぐなくなったので、マッコリを頼む。
 前回の釜山旅行では入る店入る店マッコリがなくて悔しい思いをしたのだが、この店ではすぐに出てきた。懐かしの「宣託マッコリ(仮名)」である。今回の旅行では予定通り美味いマッコリが飲めそうだ。

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 豚肉の盛り合わせとミノを頼んだのだが、店のアジュンマ(おばちゃん)から「ミノは盛り合わせを食べてから頼んだら」と言われた。驚くべし、私はこれくらいの韓国語だと理解できるようになっているのだ。いつの間にか上達しているのか、はたまた相性のいい釜山だからなのか。
 このアドバイスは的確なもので、私達夫婦は盛り合わせを食べた時点で完全に満腹になってしまったのだった。

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 盛り合わせのほかにも豆モヤシのナムルやら白菜の水キムチやら豆腐の焼き物やらが出てきていていやしい私達は全部食べるのだから当然かもしれない。

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 肉が焼け始めたら韓国人にしては小柄な可愛らしいアガシ(お嬢さん)が登場して「肉お切りしますねー」と日本語で言って肉を切ってくれる。
 これは韓国では普通に見られるサービスだが、最近はちょこちょこっと適当に切ってサッといなくなる店員さんが多い。中には客任せの店もある。
 だがこのアガシはとても丁寧に肉を切ってマメにひっくり返している。焼けるまで面倒をみるつもりらしい。

 そろそろ焼けたかな、と思って手を出そうとすると、「まだ !」と日本語で言われて鋏で箸を阻止された。
 もういいだろう、と思ってまた箸を伸ばす。またも「まだ !」と実力阻止。

ナムルはビビンバ

 この親切(お節介?)が韓国女性の真骨頂である。客とはいえ、生焼けの肉を食べようとしているのを放っておけないのだろう。
 妻はソウルの店でナムル定食のナムルを御飯に開けられて混ぜられたことがある。
 ましてここは釜山、ソウルっ子より親切1.5倍増しの釜山っ子なのだ。

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 やっと全部焼けてOKが出た。

 妻がアガシに「日本語おじょうずねえ」と言う。
 「え? 私日本人ですよ。」アガシではなくお嬢さんだったのだ。
 「どう見ても私日本人でしょ?」

 いえいえ、貴女はどこから見ても韓国人です。特に客の箸を鋏で阻止してでも生焼け肉を食べさせまいとするそのチョコパイ並みの「情」の深さが。

 そうか、韓国人にしては背が低いと思ったが、日本人とは。

 しかも彼女の話では私達と同じ九州人だという。
 本当は語学留学したかったのだが、経済的な関係でワーキングホリデーに来ているのだとか。

 かく言う私もその昔韓国に語学留学しようとしたことがあるのだ。
 色々な事情、特に反対していた父が脳梗塞で倒れ、病人相手に言い争いをしてまで自分の意思を通すのは忍びなかったのが一番の要因だが、結局実現せずに有耶無耶になってしまったのだが。

 先日部屋の整理をしていたら大学時代に教育実習に行ったときの実習録が出てきて、あの頃どんなことを考えていたのかなと思って自分の書いた部分を読んでみると、「日韓の架け橋になりたいという素志には何の変りもないが」などと書いてあるので1人で赤面した。「何の変りもないが」どころか、変わり過ぎである。

 お嬢さんに「釜山はどう?」と聞くと、「うーん、親切だけどなかなか当たりが強くて…」と苦笑交じりに応えた。
 「頑張りなさいよ」と言いかけたときに客から呼ばれて行ってしまった。

 偉いなあ。

 私とは実行力が違う。
 彼女の目的が何かは知らないが、きっとそれを遂げるに違いない。

 頑張れ、釜山の日本人。

 現在釜山には1000人以上の日本人が住んでいるという。

「最悪の日韓関係」の中、「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた5-船の中ではブログの更新-(河童亜細亜紀行205)

私は北の工作員2

 出国手続きも無事に終わり、日韓フェリー「笑ってトンヘ号(仮名)」の乗船客となった私たち夫婦である。
 いつもの年ならば韓国語で充満している船内であるが、今年聞こえてくるのは日本語ばかりである。しかも、例年に比べると乗客が少ないような気がする。

 私たちの荷物はまだ土産もないのにとんでもない重さだから、エレベーターを使って客室まで上がる。

 エレベーター前は長蛇の列である。
 私達の前で日本語を話していた夫婦と同じ「便(エレベーターを同じ個室にいることを何というのだろう)」で上に昇る。
 先に乗った夫婦の方が下の階だったので一旦外に出て道を譲る。こういうときはお互い様である。
 夫と思われる人が頭を下げながら「シェイシェイ」と中国語で礼を言った。私を中国人と思ったらしい。

私は北の工作員

 この私のどこが中国人だというのだろう。
 そういえばこの帽子を最初に被った時、妻は「北の工作員みたい」といってゲラゲラ笑っていた。

 ホテルで日本人らしき人と擦れ違おうとしたときにちょっと肩が触れたら、「ソーリー ! 」と謝られた。もはや同胞は私を日本人と思ってくれないようである。

 乗船券に記された船室に行ってみると、案の定既に窓側と廊下側の席は占拠されていて、真ん中の席しか残っていない。
 仕方ない。2500円で外国に行けるのだ。

 だが暫く座っているとやはり窮屈かつ退屈なので、ロビーに出てみる。
 いつもならばロビー中のテーブルは韓国人で大賑わいなのだが、空席がある。

 すぐさまタブレットとBluetoothのキーボードを持ってきて、ブログの原稿作りを始める。「ポイ活」にかまけて随分と更新をしていない。
 ネットは圏外になっているのでメモ帳に文章だけ打ち込んでいく。アップロードは帰国してからだ。

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 「代走(仮名)」で買った100円のタブレット置きでセットするとこんな感じになる(写真は自宅で撮ったもの)。

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 このタブレットは世界的に有名な会社のものだそうだが、通販で買って自宅に届いて使用しようとすると、右側のキーが全く利かない。出鱈目な字が入力されたり最初から何も入力されなかったりする。
 早速サポートに連絡したのだが、相手が日本語ネイティブでないからかどうにも話が通じず、メールに対しても返事が来ない。
 仕方ないので自分でいじっていたら入力方法を発見してやっと50音が入るようになった。今でも必要な記号などで入力方法が分からないものがあるが、「アポー(仮名)」の変換候補は相当賢くて文字を完全に入力できなくても補完してくれるので、とりあえず一通りの文章は作れるようになっているのだ。

 この船内でタブレットの画面にタッチしなくても変換候補を替えてそのまま入力する方法を発見。

 「ロジヒート(仮名)」のキーボードを買って「アポー」の製品でカナ入力をしようとしてうまく入らなくて困っている人はご一報を。入力方法をお教えします。まあ全世界でも100人もいない気がするが。

 ブログの更新をすると時間の経つのが早い。

 あっという間に3時間くらいが経過し、もうそろそろ下船のために中甲板に降りた方が良さそうである。船室に妻を呼びに行くと、両側からの圧迫感が相当強かったらしく、疲れ気味である。

 促して重い荷物を抱え、下まで降ろす。
 何とエレベーターが使えないことが判明。下船時間は止まっているらしい。
 激怒しながらガコンガコンと階段を引きずり落とす。

 このスーツケースは買ってからそれほど経っていないのに角は散々ぶつけられて変色してしまっている。
 運搬する人も「えーいっ! 何が入ってるんだっ! 重いっ!」という気持ちで扱っているのかもしれない。

 到着した釜山は結構強い雨が降っている。
 入国手続きは飛行場よりは早いが、やはり以前より厳重である。ここで20分ほど経過。

 本来は最寄りの草梁駅までタクシーで行き、ホテルの最寄り駅である南浦駅まで地下鉄で移動する予定だったのだが、荷物が重いのと雨なのとでホテルまで直接タクシーで移動することにする。
 韓国はタクシー料金が安いので、運転マナーの問題さえなければこれを利用するのに垣根が低い。ただ、草梁駅は歩いても10分もかからないくらいなので、行ってもらうのは気の毒だなと思っていた。ホテルまでだとちょうどいい距離かもしれない。

 ところが考えることは皆一緒である。タクシー乗り場は長蛇の列で、寒い中白い息を吐きながらじっと待っている。

 30分ほど待ってやっと自分たちの番が回ってきた。

 ホテル名の中の「観光」という語句が韓国語ではちょっと発音が難しいので、通じるか心配だったが、無事に通じた。
 
 私の韓国語は何故か釜山では通じやすく、ソウルでは通じにくくなり、仁川などの地方都市では全く通じない。九州と釜山ではどこかイントネーションやアクセントが似ているのかもしれない。

 タクシーは思ったよりずっと早く南浦まで来た。料金も5000ウォンかからない。
 「帰りもタクシーよね。」と妻の御宣託が下る。

 さあ、ここからは全て日本語だ。
 さすが「日本人御用達」の「弁韓観光ホテル(仮名)」である。全くストレスなく言葉が通じる。

 部屋の鍵を貰って、部屋に入ると、「あー、おうちが一番…」という気持ちになる。自宅ではないが。気付くともう8時近くになっている。

 さあ、夕食に出かけるぞ。

「最悪の日韓関係」の中、「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた4-父も歩いた道-(河童亜細亜紀行204)

父も歩いた道

 博多発釜山行きの船の出発は12時半である。

 手続きは1時間前にはしてほしいとチケットの予約票には書いてあるが、あまり遅く行くといい席を人に取られてしまう。
 1人3000円出せば個室(1等船室)を取れ、船中泊の場合にはそうすることにしているのだが、今回は6時には釜山に着いてしまうので大部屋(2等船室)にしたのだ。

 2等船室は昔はただの大きな部屋だったが、私達の乗る「笑ってトンヘ号(仮名)」では壁の部分に仕切りがあって6つに分かれていて、前後の壁を合わせて12人がこの「半個室」に座るようになっている。

 窓際にはコンセントがあって電子機器の充電ができるようになっているし、廊下側には広いスペースがあって大きな荷物はそこに置けるようになっているが、真ん中の席は両側から挟まれていてそのいずれのメリットもなく、結構圧迫感があるのである。

 したがってまずはスペースの広い廊下側を目指して少し早く行くことにした。手続きの開始は10時半である。

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 7時に自宅を出て博多港の国際ターミナルに着いたのが10時ちょっと過ぎ。予定通りである。

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 「笑ってトンヘ号」はもう停泊している。

 まず乗船手続き。
 予約票の釜山発博多行きの便が18:20といつもの時間になっていたのでその点について尋ねると、「間違いですね」とあっさり。1月1日は臨時便で12:00発なのである。

 出国税(人頭税?)を払う。

 Wi-Fiをはじめとした観光客が快適に旅行するための環境整備に使われるというのだが、それなら入国する外国人から取ったらどうなのだろうか。受益者負担は資本主義国の基本原則である。国会で審議しているときも誰も反対した形跡すらないのが不思議である。

 納得いかないが仕方がない。私は日本国に住む日本国民であるからその義務は忠実に果たすのである(大袈裟)。一言文句を言ってやりたいが船会社の受付の人にそんなことをしても何もならない(当たり前)。

 さて、11:30頃から18:00まで船内に居るわけだから、昼食は船内ということになる。
 船内のレストランは結構美味しいことは既に経験済みだが、これから3日間は韓国料理のオンパレードになる訳だから、最後に日本らしい料理を食べたい。ただでさえ我が家は最近韓国料理率が異常に上がっているのだ。

 隣接している商業施設に食品が沢山売ってあったことを思い出し、私が買い出しに行くことにする。妻は荷物番である。

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 ところが、外にうちいでて眺むれば、何処も同じ秋の夕暮れ、じゃなかった、ターミナルと施設の間には港が存在していて、えらく遠回りをしなければならないのだった。

 まず左に約300m、さらに真っすぐ約300m。全部で1kmくらい歩かなければならない。

 意を決して歩き出したのだが、暫くすると背中が痛くなってきた。我慢して歩いていると更に痛みは腰に移った。このままぎっくり腰になってしまいそうな不気味な痛みである。そういえばここのところ寒さに負けて早朝散歩をサボっている。完全な運動不足のところにいきなり運動をしたからだろう。

 やっと施設に着いて寿司のバイキングを物色する。

 店の中は韓国人だらけなのだが、前回来た時より客が明らかに少ない。「嫌韓不況」という言葉が頭をよぎる。海の向こうでも「反日不況」が起こりかけている。

 日がなPCの前に座って偏った情報を探しては互いに対する敵意を募らせている人たちが政府を動かすことで、リスクを負って投資をし、努力して互いの言葉を学び、文化や習慣の違いに寛容を以て耐えている人々の邪魔をし、生活を脅かす。
 「〇〇人なんかと付き合うからいけないんだ。〇〇人と付き合えばいい。」
 同じことだ。
 隣の友人を大切にできない民族がどれほど世界中に幻の友達を探したところで、また同じことが繰り返されるだけだろう。

 閑話休題(ああ、かわいそうなほんこんのひとたち。なにもしてあげられない。ぜんぜんかんけいないが)。

 「海鮮ならば釜山でいくらでも食べられるじゃない」という人がいると思うが、私は基本的に海外で生ものを食べないことにしている。これは別に現地の衛生状態を疑っているのではなく、持論による。
 その持論。人間は住んでいるところによって曝露されている微生物が違う。ということは、他の土地では地元の人は免疫を持っていて何ということのない菌が別の土地から来た人にとっては恐るべき病原菌になりかねないということだ。

 これはもちろん日本でも起こりうることだから、少なくとも私は生水は飲まないようにし、酒を飲むことにしている(アル中の言い訳)。
 ただ、日本ならば保険制度によってどこでも安価な医療を受けられる。しかし海外ではそうはいかない。娘が韓国に滞在中虫垂炎の手術をしたとき、手出しで80万円以上の医療費がかかったのだ。

 閑話休題(いつになったらしゅっぱつするんだ)。

 縞鯵だの𩺊だのと普段食べない高級魚が100円なので興奮しながらパッケージングしていると、携帯が鳴った。
 妻からである。もう出国手続きが始まったそうだ。かなり焦った声である。

 急いで切り上げてターミナルに向かう。

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 精一杯の早足で歩くのだが、気ばかり焦っている割にちっとも進まない。前のめりにコケそうである。

 やっと近くまで来た時には出発前とは思えないくらいにへとへとであった。

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 ふと見ると、石碑がある。

 70数年前、大陸から引き揚げてきた日本人が最初に上陸したのがこの博多港だったのだ。

 亡き父もまたその1人だった。

 父は満州に侵攻してきたソ連軍(ロシア軍)と戦って捕虜となり、シベリアに連行される途中でアメーバ赤痢(大陸で猖獗を極めていた感染症)に罹患して八路軍(現在の人民解放軍)に治療のため引き渡され、満ソ国境付近の牡丹江病院に入院、その後日本人の収容所で過ごした後、この博多港に引き揚げてきたのである。

 アメーバ赤痢はひどい下痢が症状だ。
 父は何度も何度も道端にしゃがみ込んではソ連兵からときに尻を蹴られて急かされつつ歩かされたという。父が病魔によって斃されていたら私がこうしてこの世に存在することもなかったのだ。

 栄養失調によって青黒く膨れた顔(亡き叔母の証言)の父が博多港に帰ってきたのは1年後のことだった。

 父も、当時の父のことを知る人も、もう誰もこの世にいない。

 が、私が海外で生ものを食べないのは、あるいはこの父の体験を幼いころから聞かされて育ったからかもしれない。
 戦争俘虜という最も弱い立場で東亜の人々と接し、彼らの援けで日本に帰ってこられた父は、彼らへの感謝と親愛の気持ちを生涯忘れなかった。

 ターミナルに到着。

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 あ、レンタルの自転車があったのだ。これを借りれば楽チンだったのに。
 まあ今はこの世に存在しない父のことを一時でも思い出すことができたからよしとしよう。

 妻は「今か今か」という表情で待っていた。
 「もう、何してるの!」と言いかけたようだったが、私の買ってきた寿司を見せるとそれが美味しそうだったからか、「行くよっ」とだけ言って搭乗口に向かった。

 いよいよ12回めの渡韓開始である。

「最悪の日韓関係」の中、「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた3-旅のお供はアルコ3兄弟-(河童亜細亜紀行203)

銃があれば完全軍装の兵隊

 船の旅の何がいいかというと、やはり荷物が少々多くても大丈夫というところだろう。

 私達のような「下級国民」が韓国行きの飛行機に乗る場合、当然のようにLCC(格安航空)ということになる。LCCは無料受託できる手荷物の重量が少ない。中には手荷物を預けるのは有料というチケットもある。「福岡-ソウル間が500円!」などというチケットは例外なくこれである。 

 また、手荷物検査がやり過ぎではないかというくらい厳重である。自分でも把握していなかったようなちょっとした液体、ちょっとした突起物でも目ざとく見つけられ、「所有放棄(没収)」ということになる。飲み物食べ物もロビーで買ったもの以外は没収である。
 目薬・歯磨き粉・レンズ磨き・千枚通し(なんでそんな物があるのか自分でも驚きだったが)・釣竿など、様々な物を無念の思いで「放棄箱(本当にそんな名前なのか知らないが)に入れたものである。

 その点船は良い。勿論手荷物検査はあるが、「液体類持ち込み不可」というような類の意味不明な規制はない。食べ物・飲み物も持ち込みOKである。

 今回は冬の旅でかついつもより1泊多いため、衣類を沢山持って行く必要があった。
 それと、今回は免税範囲ぎりぎりまでマッコリを買ってこようと決めていた。韓国からわざわざ買ってくる価値があるのは「生」のものである。日本で売っているものとは味が全く違う。ただ、生マッコリを持ってくるためには、保冷剤とともに保冷材に包むという厳重な冷蔵措置を講じる必要がある。免税範囲は1人3本であるから計6本、つまり保冷剤も同じ数要るということで、これが1つ1Kgの重さがあるから計6kgである。マッコリが1本800gはするから6本で4.2kg。合計10.2kgである。飛行機だったら一般的な無料受託量は15kgだから、荷物の2/3以上が「マッコリ様御一行」で占められてしまうことになる。

 と、ここまで書いて、以前全く同じ文章を書いたことがあるのに気が付いた。失礼しました。ただし、当時は無料受託量が18kgだったような。だんだん世知辛くなってくるものだ。

 あれやこれやと必要なものを詰めているうちに、私の荷物も妻の荷物も持ち上げられないほど重くなってしまった。
 フェリーに乗り込むには階段を使わなければならない。エレベーターもあるにはあるが、1つだけなので相当の時間待っていなければならない。

 私達はマッコリを何本買ってくるかで何度か論争を繰り広げたが、最終的には私の「6本」説が勝った。妻もまた生マッコリが大好きで、しかも「あの味」は日本では出せないという意見の持ち主なので論争は初めから妻の圧倒的不利なのだ。帰りは私がリュックにマッコリを入れて持ってくる、ということで一件落着。

 さて、持っていく荷物は多いし、船は荷物の重量制限がないのでいつもより買い物量が多くなることが予想される。この場合はどこかを減らさないと現地での移動にも支障をきたす。

 私の心は決まっていた。カメラ関係を減らそう。

 私は普段散歩に行くときでもショルダーバッグのなかに一眼2個、標準レンズ2本、望遠レンズ2本、広角レンズ1本、超望遠レンズ1本、魚眼レンズ1本を入れて持ち歩いている。
 と書くと、巨大なバッグを肩に掛けて気息奄々で歩いている姿を想像する人もいるかもしれないが、私はそんな本格的なカメラ好きではない。
 まず私の1眼は「ペンテコステオバQ(仮名)」という普通の1眼レフの1/3くらいの大きさの「ナノ1眼(発売当初の謳い文句)」という奴で、2つ持っていても重量・体積とも普通の1眼レフ1個にも及ばない。したがってこれの標準ズーム・望遠ズームも普通のレンズよりずっと小さい。

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 標準ズームレンズがこんな感じである。焦点距離が最大で15mmだから如何に小さなレンズか分かろうというものだ。
 ただし私は普段はこのレンズを使わない。

IMGP6413

 普段私が使っているのはこういうレンズである。標準で焦点距離が13mmしかない。通常の一眼レフの標準レンズが55mmくらいあることを考えれば如何に小さなレンズか分かろうというものだ。
 これはDマウントレンズといって1960年代くらいまで動画を撮影するのに使われていた8mmカメラに装着するために作られた。「シネレンズ」と呼ばれる。私はこのDマウントレンズの蒐集では我が国で100本の指に入る大家なのである(蒐集家の推定数100人だけどね)。
 ちなみに上の写真は「世界最小Dマウント」の呼び声高い「日光る13mmF1.9(仮名)」である。

 Dマウントはガタイが小さいから、標準ズームのほかに望遠・標準・広角の3種を持ち歩いても知れているのである。

IMG_7739

 ただし超望遠である135mmはDマウントがないので、これも昔の「ほのぼのライカ(仮名)」に付けられていたLマウントという規格の、今のレンズより一回り小さなレンズを使用している。
 写真は「木星11号(仮名)」というアルミの削り出しで作った露西亜レンズで、同時代の国産レンズよりずっと軽量なので、旅行などに持っていくのに最適である。この焦点距離で手ブレせずに撮れるというのは奇跡に近い。超望遠はいつもの通りこれで行こう。

 ただし、今回は上述のように荷物が多くなりそうなので、このコンパクトなセットをさらに縮小することにした。

 まず標準ズームと望遠ズーム。
 この2つは動物が急に目の前に現れたときにそれを撮影するために持っているものだ。「動物が急に目の前に現れる」という記述から私が如何に田舎に住んでいるか分かろうというものだ。
 この2つは旅行の際には動く車の中から素早く撮影するのに重宝する。「オバQ」はローリングシャッターなので車窓に電信柱があったりするとぐにゃりと曲がって写ってしまう。これを防ぐためにはレンズシャッターが必要となるのである。
 しかし今回は車での移動は基本的にしないつもりなので、思い切ってこの2つは外すことにした。

 また、故障した時のためと「急に動物」に備えて持っている予備の「オバQ」も持って行かない。故障した時はスマホというテがある。これはカメラマニアを自認する私としては潔しとしないところではあるのだが、すこしでも携行品を減らすためだ。

IMGP6664

 では、残りの標準・望遠・広角はどうするか。私には最初から腹案があった。「歩こう3兄弟(仮名)」である。
 これは古い8mmカメラごと昼飯1回分くらいの値段で買ったら3個ともついてきて撮影可能だったものだ。ややピントが甘いが、ゴミの写り込みなどもなく綺麗に撮影できる。

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 「ブルムベアー」こと「歩こう13mmF1.9(仮名)」が今回の旅行で常使いにする標準レンズとなる。「ブルムベアー」が何であるかはあまりに幼稚な話で恥ずかしいので自分で調べていただきたい。

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 望遠は「歩こう38mmF1.9(仮名)」である。銘玉の誉れ高い「頭脳君」こと「頭脳38mmF1.9」ほどのシャープな映りはないが、それなりの美しい画面を作ってくれる。

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 さらに広角は「歩こう6.5mmF1.9」。4.5以上に絞ると「ケラレ」(画面の四隅が丸く黒く映ること)があるが、それより明るいと殆どない。

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 それとこのレンズである。
 全東亜にニックネームを募集したこのレンズは未だに名前がない。1つたりと返信がなかったからだ。

IMGP1375

 玉ボケが出る稀有なこのレンズは無名のままでこの旅行に加わるのであった。

 これで随分カメラ関係が軽くなった。

 結果からいえば、「嗚呼、ズームがあったらなあ」という場面もなかったわけではないが、そこまで困らなかった、というのが正直なところである。

 何故か。

 スマホがあったからである。最近のスマホのレンズの進歩は素晴らしい。

 だったらもうカメラはいらないんじゃ、という疑問を抱きつつ、釜山行きの朝を迎えたのだった。

 



「最悪の日韓関係」の中、「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた2-船が飛行機か、迷ったがやっぱり船-(河童亜細亜紀行202)

日韓の距離

    単に通過しただけを除けば、私達夫婦が過去釜山に行った回数は4回、うち船で行ったのが3回で、飛行機は1回である。
 前回は飛行機で行き、その利便性の高さとコストパフォーマンスの良さに感心した私は、今回も飛行機で行こうかなと思っていた。

 巷では日韓間の飛行機のチケットが投げ売りされているということだったのだが、探してみるとこれが意外にない。
 よく「追い詰められたLCC各社が500円のチケットを売りに出した」などとあるのだが、私に言わせればこれはLCCが昔からやっている「イベント運賃」という奴で、チケット代が500円といっても、税金やガソリン代が別になっているのでこれを払えば8000円超、更に手荷物を委託する運賃も別でこれが大体どこの航空会社も3500円はするからこれを足せばもう12000円くらいにはすぐなる。
 これに最近の我が日本国では「出国税」などという人頭税が加わってこれがまた1000円。仕事で行き来している人にとってはとんでもない話である。

 しかも、チケットの値段が「500円」ではなく「500円から」というのが曲者である。
 「500円」のやつは私達のような「使われ人」にとっては「こんなツアーどうやって行くんだ」というような、平日の夜遅くに出発して帰ってくるのは平日の早朝、などといういわゆる「弾丸ツアー」と呼ばれる条件のものなのである。

 だから、税金もサーチャージもコミコミで、というチケットが10000円、などといえば本当にお買い得だが、なかなかそんな美味い話は転がっていないのである。当然だ。相手も商売なのだから。

 ところが、そんな美味しい話が転がっていたのである。

 「笑ってトンへ号(仮名)」といえば、福岡と熊本を結ぶフェリーとして知る人ぞ知る存在だが、この船がやはりイベントとして年末年始片道2500円(税金・燃油料含)のチケットを発売したのである。私はこの船会社の会員であるから、こういうイベントの話は真っ先に知ることができるのである。

 しかも、フェリーといえば大体船中泊があって3泊4日と銘打っていても実際には船中泊1泊で実質2泊3日などということも珍しくないのだが、このチケットは昼福岡発夕方釜山着なのでその日の夜が現地で過ごせ、さらに帰りも1月1日に設定すればその日は臨時便で同じく昼釜山出発の夜福岡着なのでこれまた昼までは現地で過ごすことができるのだ。つまり、釜山港の近所にホテルを取れば12月29日7:00頃から1月1日10:00頃まで現地滞在である。これは半端な飛行機のツアーよりずっと条件が良い。

 迷わず購入。こうして年末年始は釜山で過ごすことに決定である。

 往路が2500円、復路は一番安いチケットはもう売り切れ。みんな目敏い。それでも6480円だからかなりの割安である。往復運賃が1人8980円。これは滞在時間を考えればもう限界と言って良いくらいの破格の安値である。

 玄界灘を行き来する船といえば波と船酔いの心配な人が多いと思うが、「笑ってトンへ号」は船体が大きいから1〜2メートルの波ならば揺れている感じはほぼ無い。ただし、3メートルを超えると変な感じの横揺れがして、これは汽車や車の揺れとは性質が違うから結構気色悪い。したがって自信のない人は酔い止めの薬を飲んでおくことをお勧めする。

 足が決まったら今度は宿である。

 前回泊まった「むにゃむにゃホテル(誰にも知られたくないので匿名)」はコスパ抜群なのだが、今回は発着が釜山港なので遠過ぎる。

 やはりここは「日本人御用達」の名声が高い「弁韓観光ホテル(仮名)」にするか。ここは少々古いホテルだが、スタッフ全員が日本語を喋れ、かつ親切である。釜山港から地下鉄で直通で4駅。荷物が多ければタクシーでも5000ウォン以内でかつ10分以内である。ここに決定。

 韓国の旅行サイト「オネスト」を通じて購入する。ここからだとウォン建で買える。年末年始料金なのに3泊2人400000ウォン。1人1泊67000ウォン。このとき交換レートが円に相当有利だったので、円で払った金は37496円で1人1泊6249円である。

 結局交通費と宿代で1人頭27728円。
 これに港湾施設使用料が日韓合わせて1人1000円、例の人頭税(出国税)が1人1000円。これに往復の地下鉄代を加えれば、食費とお土産代を除いた旅行代金は1人30000円也。

 福岡県民ならば旅行代金が安く済んだと大喜びなのだが熊本県民はそうはいかない。福岡までの旅費が掛かるのだ。

 高速料金が私の棲む町(むら?)最寄りの松橋インターから博多港のある築地インターまで2240円。往復4480円だがこれは2人で割れば2240円のままである。さらに3泊4日だと港の駐車場料金が4000円。1人頭だと2000円である。

 福岡県民の払わなくてもいいこの6480円を熊本県民は余分に払っているのである。勿論これにはガソリン代が加わる。今回私達は低燃費の「明くわ(仮名)」で移動したから多少やすくなったが、それでも2000円くらいはかかるのを覚悟しなければならない。つまり1人前1000円。

 これらを加えれば、安いといっても旅行代金は1人前33000円。

 この金額は熊本-ソウル間の航空路線が存在していた頃の格安ツアー料金を思わせる。あの当時は「何が格安だよ」と思っていたが、実は福岡から行くことを考えれば随分安く抑えてあったのだ。

 空港まで車で行って、無料で駐車して、重い荷物を車に積んだら愛しの我が家へ1時間半くらいで直行できた2019年6月以前が懐かしい。

 それにしても熊本-韓国間の路線の運休の早かったこと。もしかするとお互いの感情その他で無理を重ねていたのかもしれない。

 ここは前向きに福岡の出入り口を利用することにしよう。

「最悪の日韓関係」の中、「反日感情の強い」釜山で年末年始を過ごしてみた1-釜山に行った訳-(河童亜細亜紀行201)

広告主は神様

 日韓関係が戦後最悪だそうだ。

 朝鮮戦争の時に自衛官が爆死したり、米軍に雇われた日本人軍属が北の兵隊と戦って殺してしまったり、李承晩大統領が強引に竹島を占拠してしまったりした歴史を知っている私は「あの時の方がずっと関係が悪かったんじゃ?」と思ってしまうのだが、逆らうと面倒なことになりそうな人達がそう言っているので、「君子危うきに近寄らず」という、尊敬する孔子の言葉通り、そうだということにする。

 もっとも私は何よりも真実を大切にする医学徒であるから、日々その探究を怠ることのなきよう、新聞TVは勿論のこと、ネットの隅々にいたるまで日韓関係のニュースをチェックしているのである。

 まあそうすると出るわ出るわ、隣国の大統領の批判から、中には韓国の国民性についての論難まで、溢れんばかりのヘイト臭のする「嫌韓」「反韓」記事である。

 私はかつて在日韓国人と学窓を共にしたことがあるし、身内が心底お世話になった韓国人の知人などもいるから、日本語の堪能な彼等がそれらの記事を読んでどれほど心痛めまた不愉快な思いをしているだろうと思うと正直言ってこれらの記事には胸糞が悪くなってくるのである。

 あまり酷いので、ニュースの配信サイトに「私は日韓関係には興味があるが『太鼓持ち新聞(仮名)』や『眉唾ニュース(仮名)』や『スパルタ俗論サイト(仮名)』は読みたくないから配信しないでくれ」ともう3回くらいレビューを送っているのだが、一向に改善されないから配信元も同じ穴の狢なのだろう。
 
 先日は某新聞にヘイト丸出しの雑誌の広告がそのまま載っていた。載せる方は広告主に逆らえなかったのか、はたまた同志なのか。「〇〇人は病気」といった類の文言が公共の眼に晒されても「雑誌の目次をそのまま載せただけですから」という言い訳が通用すると思っているのが民度というものなのかもしれない。この新聞は長らく取っていたが、もう購読を止めることにした。

 韓国人という、世界で一番日本人に似ている民族に対する批判は、そのまま日本人に帰ってくるのだから、彼等の批判をしている暇があったら日本の類似の問題を取り上げた方が余程我が国の社会の改善に寄与する愛国的行為だと思う。

 たとえばソウルの街中で日本女性に暴力を振るう不届き者が現れた時、韓国は儒教だから男女差別が酷い、などという記事が充満していたが、国際的な各種指標からいえば日韓はほぼ同列の男尊女卑の国である。
 「81年生まれキムジヨン」は日本にも沢山いる。日本の場合は彼女たちの心情を代弁する作家すらいないから、より問題かもしれない。そうでなければ翻訳文学が十何万部も読まれるはずがない。
 儒教=女性差別論者はこれをどう説明するのだろう。彼らに言わせれば中韓は儒教に捕らわれた国で日本はそうではないそうなのだから。

 まあ安全圏から反撃できない相手の批判をして「ジャーナリストごっこ」をしている方が怖い人たちに目をつけられることもなくて安全である。小心な私はその態度には思わず共感してしまいそうなのだが、それなら最初からそういうリスクのある仕事に就かなければいいだけの話だという気もする。まさに「君子危うきに近寄らず」である。
 これもまた散々迫害されつつ「人生を賭けて」日韓の問題に取り組んできたジャーナリストを友人に持っているだけに、「ただ自己顕示欲だけで文章を書いてるんだったら俺みたいに当たり障りのないブログを趣味にしてほかの仕事をしたら?」と言いたくなる。

 閑話休題(どうもなかむらてつさんがころされてからかんがえがきつくなっていけない)。

 そんな記事の中で、「釜山は反日感情が強い」という表現を見つけた。

 外見だけなら間違いなく中国人だと思われる私は別として、妻はどこから見ても「大和撫子」である。
 しかし、私達はもう4回行っている釜山で日本人であるが故の不愉快な体験を一度もしたことがない。それどころか私は電車で必ず御年寄りに席を譲る釜山っ子を気に入っている。街の雰囲気も大好きである。

 「日本人が嫌われているんじゃなくて(記事を書いた)あんたが嫌われているだけじゃねーの」と思いつつ、もしかすると曲がったことの嫌いな「慶尚道男子」(日本でいうところの「九州男児」のようなもの)」たちが今回の事態に色を為しているのではないか、との懸念から、やはり自分の眼で確かめる必要を感じ、今回の渡韓を決意したのである。

 というのは大嘘で、本当はこの数年の私たち夫婦は毎年のように年末年始を釜山で過ごしていて、今年もそうしたまでのことである。

 さあ、まずは旅行の計画である。

 

私のポイ活3−結局損なのか得なのか−(それでも生きてゆく私261)

河童国通信社

 かくかくしかじかでポイ活に忙しい私なのだが、この状態が3ヶ月も続くと、一時の情熱は薄れ、大きな疑問が湧いてきた。

 確かにポイントは金であり、しかもその金は何もないところから生み出されるように見えるから、「得をした」という気にさせられる。

 しかし、ポイ活はよく考えてみれば立派な労働なのである。

 「労働」というと人は会社や工場での「仕事」を思い浮かべるが、何がしかの行為の代償としてお金を受け取る事だと考えればポイ活もまた「仕事」の一種といえなくもない。

 ではこの場合の雇い主は誰なのか。例えばアンケートで考えてみると、それはアンケートの依頼者である。そして、私たちとアンケート主の仲介者はサイト会社として名乗っているが、実際の雇い主は匿名である。つまり私達は、仲介会社を通して身許不明の会社(非常に稀なケースでは個人)に雇用されているのである。

 では仕事の内容は。これはおそらく市場調査である。消費者である私達はどんな消費性向を持っているのか。たとえば私のような50代男性で九州在住の人間はどんな商品を過去に購入したことがあり、これからどんな商品を買いたいと思っているのか。これは物を売る業種の会社にしたら喉から手が出る程知りたい情報であろう。

 では一番気になる労働条件は。私達はアンケートに答える際に氏名以外のかなりの個人情報、性別・年齢・居住地方・職業・消費性向などをアンケート主に提供している。これを正式にそのテの会社を通して買おうとすれば、1名あたり何がしかの金を払わなければならないだろう。おそらくこれは1円で済む商品ではない。

 かつ、私達はアンケートに答える時間と労力もまたアンケート主に提供している。私の勤務先は副業禁止なのでそんなことはしないが、もし仮に私の持っている言語聴覚士の資格で勤務先の休日にじぶんがやっている施設で20分間患者さんの治療をしたとすると、現在の診療報酬では最大で2500円の収入を得ることになる。1つのアンケートに答えるのに最低でも2分は掛かるから、スマホっ首になりつつ20分間アンケートに取り組むことによって得られる収入は、仮に1つ答える毎に1ポイント貰える比較的割の良いものであったとして、大事な個人情報の値段も含めて10円。一般的なアンケートサイトのポイントは「鮎(仮名)」や「本田(仮名)」のようなリアルのお店で使えるポイントとの交換レートは110以下のものがほとんどだから、その場合には20分間で稼げる金は1円である。しかもこれには相当の電池を消費するから、これを充電する電気代もこちら持ちである。また、何度も充電することによる電池の劣化などの減価償却費もこちら持ちである。

 では、ゲームや籤はどうか。これも労働なのか。これはCM動画の視聴と同様、消費行動の一種と考えられる。

 この場合のポイントはTVの視聴者プレゼントのようなものだろう。ゲームも籤も、合間合間にCMが挟まれ、それを見ないと次のものに行けないようになっているからだ。つまり、籤やゲームはCMを見せるための餌である。TV番組と同じだ。

 ただし、TV番組は時に私達が感動の涙を流す程素晴らしい内容であることすらある。ほとんどは下らない内容だが。ところが、私がポイント目当てにする籤やゲームは私には少なくとも感動できるような内容のものではない。それどころか、すぐに飽きてしまうような単調なものをポイントのために欠伸を押し殺してやっているのが正直なところである。したがって、これまた英語でいうところのレイバーという語の全き意味での「労働」つまり苦役であるという意味で、これもまた労働だと言えなくもない。ここではやはり「時間が失われる」という部分に注目しなければならない。医療労働者としての私の最も高い報酬は202500円なのだ。籤はそもそもいつもポイントが貰える訳ではないし、ゲームは私の腕前では15分以上やっても2日で1ポイント、つまり10分で収入は1円である。CM1つが30秒以内と決まっているらしく、大抵の場合その制限時間ギリギリまで流されるから、20分間で視聴可能な本数は最大で40本、たとえば「鮎」のCM5本見ると1ポイントと決まっているから報酬は208円で、よくよく考えると実はこれが一番割が良いことが分かった。なるほど、これが一番苦痛が酷いもんなあ。

 以上のように、冷静によく考えてみると、少なくとも「費用対効果」といったところではポイ活は決して割の良い活動とはいえないようだ。この文章を書いているうちに「もう止めようかな」と思ったくらいである。


 では、「お前が駄文を書いてほんの少しの人に読んでもらっているこのブログはどうなんだ?」と言われると、これは経済的にはもう何の価値もない活動である。何せ肩がガチガチに凝るほどの取材(本当に石碑の解読などではこのまま倒れて死ぬのではないかという時がある)をし、妻に怒られながら隙を見て文章を打ち込み、酷い時は「日本語の苦手な人」(比喩ですよー)から「バカウヨ」などと言われ、ほんのたまに「いいね」やコメントを貰ったとて、この活動から得られる収入はゼロなのだから。


 では、私はもうブログを止めようと思っているかというと、そんなことはない。断固続けるつもりである。

 何故か。楽しいからである。1銭にもならなくても、楽しい。


 そうか。ポイ活も、何だかんだ言って楽しいから続いているんだな。


 というお決まりの結論が得られたところで、お後がよろしいようで。

私のポイ活2-ああ忙しい-(それでも生きてゆく私260)

監視されている


 さて、最近の私の「忙しい」は、どんな忙しさか、私の1日の生活を辿ることで説明したい。
 まず、朝起きてスマホ片手に「定期便」に行く。
 最初にチェックするのは「鮎ウォレット(仮名)」のアプリである。私は「鮎」中心に支払いをまとめているので、ここのポイントが一番欲しいのである。
 まず「ガチャ」。これは毎日6時に更新されて利用可能になるので、朝一番で回す。ただ、これは当選確率が相当低く、「10枚集まるともっと確率の高いガチャがやれます」というポイントより桁の小さい「プレポイント」のようなものが当たるのすら3日に1回くらいだが、まあ運試しのつもりで回す。本当にたまに(おそらく1月に1回くらい)ポイントそのものが当たることもあるが、これは期待していない。
 次に「チラシ」。近所の店のチラシを見ると2日に1回くらい1ポイント当たる。全くの主観だが、見るチラシの店が家から近いほど当たるような気がするので、一番近い所(といっても5km以上離れているが。私は森の中に住んでいるのだ)の店のを見る。
 さらに、「鮎」が提携している「ホイニュー(仮名)」というニュースアプリの占いを見る。これは3日に2回くらい1ポイント当たるので、「本家」のものよりよほど確率が良い。
 もうひとつ、「鮎街モニ(仮名)」というアンケートサイトの動画を見る。これは5つ見ると無条件で1ポイントもらえる。ただし、ほとんどが「〇〇を飲むと食事制限も運動もしなくても痩せる」とか、「塗ると顔のシミがきれいに消えて美容整形の医者いらず」といった類の私には何ら興味のないCMがほとんどなので、タブレットとスマホを両方テーブルに置いて前者でニュースを見ながら動画が終わるのを待つ。したがって動画の内容はほとんど覚えていない。ただし、たまに「動画終了後20秒以内にボタンを押さないとポイントがもらえません」という意地悪な動画もあるので(お前みたいなのがいるからだろ)、ニュースを見つつも注意はいつもスマホにもわずかに分配している。ニュースの内容が面白かったりするといつの間にかスマホの画面が真っ暗になっていることもある。「街モニ」の動画は1日3回見られるので重宝しているが、これは来年の1月で終わってしまうらしい。
 「鮎」の動画はもう一つあり、こちらもやはり5回みると1ポイントもらえる。ただし、更新が午前10時なので、通常は勤務時間中であるから、帰宅して夕食後に見ることになる。

 「本命」の「鮎」が終わると「帝ポイント(仮名)」である。
 これも「鮎」と同じく午前6時更新のチラシがあるので、見る。こちらは「鮎」と違って無条件に1ポイント貰える。さすがはポイント界の古豪だけあって、気前がいい。チラシは10枚見るとポイントが当たる抽選に1回応募できるようになっていて、上限は5回なので、これが上限に達するまで見るが、私の家から近い店のものは1つだけで、後は車で30分以上走らないといけない店のものなので、これまた内容はほとんどチェックせず、一定時間掲示しておいて元の画面に戻る、ということを繰り返す
 さらに「2日に1回1ポイント当たる」という謳い文句の「スロット」を回す。体感的には3日に1回も当たらないような気がするが、ときどきそろって1ポイントもらえる。この画面の「別のくじを引く」というボタンを押すと期間限定でさまざまな企業がやっているくじのページに行くので、一応引いてみるが、「当選!」の後で「ただし〇〇を買ったら」という条件が付くものがほとんどである。こういうものは当然放置する。が、たまにその日たまたまそれを買うつもりだったときは「損」をすることになるので、一応全部引いておく。
 「帝」も最近CM動画を始め(というか私が今まで気づいていなかっただけかもしれないが)、これが3回見ると1ポイントという気前のいいものなのだが、更新が12時なので、夕方に回す。
 私はTVゲームの時代からそれが好きでないので、スマホのゲームなど全く鼻にも引っかけなかったのだが、ゲームをすれば金になる、となれば話は別である。 
 「ミッションを達成したら〇ポイント」という触れ込みのゲームをやってみたが、今まで馬鹿にしていた身の悲しさ、ミッション達成など遠い彼方の出来事としか思えないほどの低得点しか出せないのであった。
 そんな私でもできる唯一のゲームが「ぷるぷる(仮名)」というタイプのもので、何だかよく分からないが画面の上から降ってくる林檎にタッチするとその色に応じて点数がもらえるのだ。葉っぱに触ると制限時間が短くなり、その分点数も低くなる。このゲームにはさらに「ミニゲーム」と称するものが付属していて、これは正方陣の形に9個並んだ箱を2回タップしていくと必ず当たりに出会え、これもなにがしかの点数になる。この2つのゲームの合計点が一定に達すると1ポイントである。これだけは朝夕2回やると2日に1回くらい1ポイントになる。もらえる点数からすれば費やす時間の方が惜しい気もするが、多少上達してきたので面白くなった。どうせ飽きてしまうだろうが、しばらくしてみようと思っている。

 「帝」が終わると次は「本田ポイント」である。
 「ほんだ」は基本的にゲーム中心で、鈍い私にはほとんど近寄れないのだが、「帝」の「ぷるぷる」とよく似たゲームがあるのでこれも朝夕1回ずつすることにしている。こちらは葉っぱが落ちてくるもので、「帝」の「ぷるぷる」では触ると-1秒なのにこちらは点数が貰えるのだからややこしい。だがどうにか慣れてきた。実は「本田」にはもう一つ同じシステムのゲームがあり、こちらは点数がボールみたいな〇である。
 「帝」にはほかにCMを見るコーナーがあって、ここには籤が5種類くらいあるのでそれも行う。この籤はヒネた顔のクマが蓮っ葉な感じの女の子と釣りをしたり野球をしたりじゃんけんをしたりダーツをしたりするもので、他愛のないものなのだが、この5種を全部やると計5分くらいで平均0.2ポイントくらいもらえる。というのは「本田」は直接ポイントはもらえず、1/100ポイントにあたる別の単位を100集めて初めて1ポイントと交換できるのだ。こう書いていてこのサイトはえらく非効率であることに気付いたのでもう止めようかな。
 もう一つ、簡単なアンケートに答えることもできて、こちらは1/10ポイントもらえるが、いちいち性別と年齢を入れてから答える必要があって作業が単調だからここのところ足が遠のいている。
 「本田」は点数の割に時間がかかるからたった今から休日のみにすることにした。

 後は「主婦(仮名)」というアプリは開けるだけで1ポイントもらえるから開けるのだが、これはいったいどういう役に立つポイントなのかよくわからない。

 それとしょっちゅうメールが来るのが「パウロ(仮名)」というサイトで、これは2択で「どちら?」という質問に答えるだけでいいので頭を全く使わないからよくやっている。これも朝から1回訪問。ただし、ここのポイントも現金に換えられるという謳い文句なのだが、そのためには一旦仮想通貨に換える必要があり、この仮想通貨の通用期限がえらく短くて300ポイントくらい消えてしまったことがあった。当然激怒したのだが、考えてみればもとはタダだし、しかも金額にしたら300円である。

 朝から御飯を食べる前後にこれだけの作業を行うのだから、私の朝は忙しい。

 仕事から帰って来たら夕方の部である。

 まず「薬天」と「ホイニュー」からアンケートの依頼メールが来ているからアンケートに答える。「薬天」はそのままポイントになるが、「ホイニュー」は何がしか溜まってから「本田ポイント」に換える仕組みである。こちらは一回換えて「労組ん(仮名)」で実際に朝飯に化けた。
 「ホイニュー」は「ニュースを見るだけで1ポイントが貯まる」という触れ込みだったので始めたのだが、見出しがわかりにくいのと配信元が記事を開けるまでは分からないので、本命のニュースの方はほとんど見ない。それより「本田」と同じ熊の籤と「ぷるぷる」系のゲームがあるのでそれをやる。ただ、これは専用のアプリがないのでつい忘れていて、メールが来てはじめて「ああ、そういえば最近『ホイニュー』やってないな」と気付いてやることが多い。それにここの「ぷるぷる」は鍬形虫と天道虫なのだが、色が紛らわしくてついつい-1秒の方をタップしてしまうので点数が低く、なかなかポイントがもらえそうにないので足が遠のき気味である。

 夕食を食べたらTV番組を見ながら10時に更新された「鮎」のCM動画と「街モニ」のCM動画と12時更新の「帝」のCM動画を見るが、先述のように内容はほとんど頭に残らない。
 
 CM動画の後はアンケートである。
 「鮎」「街モニ」「帝」「本田」「主婦」のアンケートをチェックして答えてゆく。
 大抵のものは聞かれるのが性別と年齢と居住県だが、これをいちいち入れるのはかなり面倒である。仕事のつもりで答えていく。内容は漏洩したら訴訟がどうのこうのと怖いことが書いてあるので明かせないが、どうも市場調査のようである。たまにどう見ても個人情報を欲しいだけというものがあるのでこれには答えない。
 また、これは役所から委託されているのではないかと思われるアンケートもある。やたらと質問項目が多くて、かつ回答にちょっとでも齟齬や矛盾があると、すぐそれを指摘して動かなくなる。ほんの数ポイントなのに何でこんな面倒な回答に答えなければならないのだろう、と腹が立ってくる。それでも、医療関係のものだったりすると「これも医学の進歩のためだから」とじっと我慢して質問に答える。
 あまりスマホばかり眺めていると妻が怒るから、すべてのアンケートに答えるのは平日の夜には無理である。

 そのうち8時になると「鮎」と「帝」のチラシが更新されるから、これを見る。「鮎」は朝当たっていると大抵外れるからもうこれは想定内で、「帝」は必ず貰えるから1円分足して、本日のポイ活は終了である。後は妻とTVで韓国ドラマやバラエティを見て他愛のない話をしているうちに風呂に入る時間になるので交代で入る。
 妻が入っている間にブログの更新をすれば良いではないか、という人は私にも生活というものがあるということを知らない。
 私は週の大半は夕食を作るし、妻が風呂に入っている間に洗い物をし、翌日のご飯を仕込むのである。完全平等とはいかないが、私も多少は家事を分担しているのだ。

 こうして更新されないブログはほとんど晒しものとなって順位を下げていくのであった。

 ここまで書いていて、「ポイ活」で幾つか気付いたことがあったので、次回はそれについて。と言っても、以上のように私は忙しいので、いつになるか分からないが。 

私のポイ活1-ああ首が凝る-(それでも生きてゆく私259)

スマホっ首

 すっかりご無沙汰しております。
 1日の訪問件数が50人を割り、ブログサイトからのランク付けの星が1つ減り、コメントを頂くこともめっきり減った今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 これも偏に私のブログ更新が滞っているからである。
 何故こんなことになったかといえば、「忙しい」ということに尽きる。
 といっても、仕事ではない。などと断言してしまうとまたシブタレさんたちやネットチクリさんたちの年末の仕事が忙しくなって恨まれそうなので、「仕事はちゃんとやっている」と断言しつつ、じゃあ何がそんなに忙しいのかというと、おそらく10月くらいから我が国民の多くが関心を持つようになった「例のもの」である。私はミーハーだから人の気になるものは自分も気になるのだ。
 そう、お察しの通り、それは「ポイント」である。
 今、私は「ポイントの虜」なのだ。
 発端は携帯を替えたことだった。
 私の使っている「My phone」は歴代、機器の分割代金を払い終わる頃になると急に電池の減りが速くなり、「朝の紅顔夕の白骨」よろしく、朝満タンにしたはずの電池が夕方にはもう10%`くらいになってしまっているのが常態なのである。
 契約している「鮎(仮名)」に携帯を持っていくと、案の定「電池の交換には○○円かかりますがどうなさいますか?」という御宣託だった。「どうなさいます」も何も、買い替えるしかないだろう。
 契約書を作っているときに、店員さんが、「電気を『鮎電気(仮名)』にして、『鮎クレジットカード(仮名)』払いにしたら、10000円相当のポイントをもらえますよ」と言った。
 私は目先の欲望に弱い男である。すぐに飛びついた。「じゃあ、お願いします。」
 店員さんは今までにこのテの提案を散々断られていたのだろうか、「え?嘘?」と鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしたが、その後はいそいそと契約をしてくれたのだった。
 こうして私は電気料金を「鮎クレジット」で払うようになったのだが、元々携帯やネットの料金も「鮎」だったから、この際まとめてみようかな、という気になったのだった。
 纏めてみて気付いたことは、今までは予決算があちこちに分散していたために相当無駄遣いをしていたことで、これには定年が近くなった私は戦慄した。この点については早速善後策が講じられたのは言うまでもない(嘘)。
 もう一つ気付いたことは、「日本のGAFA」とでもいうべき大手の通信各社が顧客に何とか「纏め」させようと、自社と複数の契約を結んでくれた場合の破格ともいえる優遇措置を設定していることだ。
 これは具体的にはどういう形で行われるかというと、今年10月以降にはほぼ全国民が知ることになった「ポイント還元」である。
 たとえば私の契約している「鮎」では、カード使用額の2%が精算日付近で還元されるだけでなく、「鮎」傘下のネットモールで買い物をするとポイント20%還元などということも日常茶飯事なのである(「鮎」の宣伝ではありません。)
 さらに、「鮎」の顧客専用アプリにはさまざまなゲームやCMや動画などが用意されていて、これらを利用するとそのたびに何がしかのポイントが貰えるのである(本研究に報告すべき利益相反は存在しません。アホか。)
 「鮎」ってただの携帯会社だろ、と見縊っていた私は、改めてその規模の大きさに驚いたのであった。
 ポイントは1点2点だとそれが金であるという実感がまるでないのだが、「鮎」のポイントが万点を超え、それでコンビニの商品が買えたりすると、実は金以外の何物でもないことに気づいた私である。
 そうなると、「鮎」以外のポイントも気になり始めた。
 たとえば「帝ポイント(仮名)」。今までは店頭の「帝ポイント貯まります!」の広告や「アンケートに答えて帝ポイントゲット!」などというメールも全て無視していたのだが、たとえ1円でもこれが金となれば話は別である。
 「帝」が貰えそうなサイトやアプリなどを利用してみると、あるわあるわ、ガソリンを行きつけの店で入れるくらいで特に買い物もしていないのに100点くらいはすぐ貯まるのだった。
 ただし、「帝」はネットなどで使える場面も多いから、それくらい貯まってもすぐ出て行ってしまうのであるが。
 そのうちに私はポイント界のもう一方の雄(大袈裟)に気付いた。
 「薬天(仮名)」である。
 それまではTVCMで「薬天カードマーン!」などと叫んでいても何の注意も払わなかったのだが、ここは新しいコンテンツに入会する度に何千ポイントも還元があり、また、「鮎」だったら「運動も食事制限もしないのに痩せた」という類の私にとっては何の関心もない動画を我慢して見ないと手に入らないポイントが、クリックしてその画面に行くだけで簡単に手に入るのである(私は薬天からいかなる利益供与も受けていないことをアタオコロイノナに誓う。)
 たまたま必要な物が「薬天市場」にあったというだけで、何も意識してそこで買い物をしていないのに、私のスマホには「薬天」のポイントが何千点も貯まったのだった。タダで転がり込んできた金だと思えば、すごい金額である。
 こうして私の「ポイント生活」が始まったのであった。
 「その程度でブログの更新も出来ないほどには忙しくならないだろ」と疑っている貴方のために、次回は私の1日のポイント生活を紹介したい。
 といっても、「ポイ活」に忙しいので次回がいつになるか分からないのだが。

 

人生初名古屋は学会出張7-名古屋雑感-(河童日本紀行623)

実は中国の大学


 さて、無事に学会発表も終わり、名古屋雑感である。

 
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 名古屋に着いて最初に食べた食物である。
 チェーン店らしきところのカツ丼と蕎麦なのだが、いきなり名物のソースカツ丼ではなく普通のカツ丼を食べてしまうところが私らしい。

 九州の甘い醤油に慣れていると他所の土地の醤油はとても塩辛く感じるが、これはほどほどであった。
 若い頃は少しも気にならなかった醤油の違いが、歳を取るとボディ・ブローのように効いてくる。
 それにしても以前に比べてちょっとでも塩気が多いとやたらと塩辛く感じるようになったのは、最近唐辛子の入った食べ物をよく食べるからに違いない。
 カプサイシンは痛みのレセプターに結合して塩気に鈍感にさせる働きがあるから、この物質が入っていない食物を摂る時は塩味をより鋭敏に感じるようになるらしい。
 だから韓国人が日本に来てラーメンを食べるとやたらと塩辛く感じるらしく、私が話をした韓国人の中にはお湯をもらってスープに入れるという人も複数いた。
 
 私も舌が韓国人に近くなってきたのかもしれない。そういえば妻も最近外食すると料理が塩辛く感じるらしい。
 2人とも血圧が高いから、塩分を避けるという意味ではいい変化なのかもしれないが。

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 ホテル近くに来て、周辺を歩いて感じた印象は、「信号が少ない」ということだ。
 熊本だったら街中では大げさでなく20mごとに信号がある印象だが、名古屋では結構車の通りが多い道に信号がなく、100mごと、くらいの感じである。
 と、最初は思ったのだが、滞在2日めに気付いた。
 これは信号が少ないのではなく、裏道の道路幅が広いのだ。
 つまり、熊本や博多だったら「当然信号ないよね」というような路地裏の道幅が名古屋の方がずっと広いので、「当然信号があるはずの幅の道に信号がない」と感じるのである。
 危なく「名古屋=大きな田舎」というバイアスを身に付けて珍説を展開するところだった。

 なぜこのことに気付いたかといえば、裏道ならぬ表通りに行くと、九州より間違いなく道幅が広いからだった。

 ちなみに私の知る限りでは最も道幅が狭いと感じる県は長崎である。
 熊本の天草からフェリーで島原に渡ると微妙に道が狭くなるのを感じる。あくまで主観的な感覚で実測したことはないから、単なる勘違いかもしれないが、車の幅に比してほんのわずかだが道が狭くなる皮膚感覚がある。
 長崎と愛知が隣の県だったら物凄い落差を感じるに違いない。知らんけど。

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 名古屋城にあった菊人形。
 綺麗なのだがなんとなく気持ち悪いのは、花に埋もれた御棺の中の御遺体を連想させるからかもしれない。

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 名古屋市庁。
 威風堂々たる姿のこのデザインは誰のものだろう。

 調べてみると、この市庁は現存する建物では京都市庁に次いで2番目に古いものなのだそうだ。
 設計者は平林金吾。私は「金吾」の方に反応して「すわ、東京駅やソウル駅と同じあの人か?!」と一瞬思ったが、これは「金吾違い」で、この2駅の設計者は辰野金吾だった。

 何となく大陸的な建物だな、と思ったら、よく考えてみると旧朝鮮総督府や満州の関東軍総司令部に似ているのだ。名古屋市庁の建設は1933年、旧総督府は1926年、総司令部は1934年で年代が近いから、その時代の流行の建築デザインだったのだろう。

 旧総督府は1995年に爆破撤去されてしまったが、総司令部の方はそのまま行政機関の建物として使われているそうだ。この事実を知ったのは韓国紙で、「中国人は歴史の教訓を残そうとするが我が国(ウリナラ)は」という論調だった。我が民族は、といえば、「建物は残すが文書は焚く」というところか。

 面白くなって満州や韓国の古い建物について調べていたら、吃驚の建物を見つけた。 

吉林大学

 若者言葉でいうところの「クリソツ」という奴だろう。
 これは旧満州国国務院で、現在は吉林大学の建物として使われているそうだ。
 設計者が同じなのかと思ったら別人物だった。

 なんだかニヤッとする偶然の符合である。

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 学会会場にあったレオナルド・ダ・ヴィンチの彫刻。

レオナルド・ダ・ビンチの恐怖
 この万能の天才も私にとっては身も竦む「恐怖のレオナルド」である話は既にした。
恐怖のレオナルド・ダ・ビンチ(Good Old Days48)

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 大当たりだった名古屋グルメのホルモン焼き。
 ホルモンが名古屋の名物なのかどうかは知らねども、このホルモンは「掃除」がとても丁寧にしてあって抜群に美味かった。

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 韓国にしかないと思っていた「アキレス腱健康エスカレーター」。アキレス腱をストレッチしながら移動できる優れものである。

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 名古屋空港には何と銭湯がある。

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 銭湯だけでなく、一つの階がそのままレトロな街になっていてとても楽しい。さすが大都会。

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 またいつか忍者に逢いに名古屋に来よう。(了)

人生初名古屋は学会出張6-熊本城と名古屋城の意外な共通点-(河童日本紀行622)

河藤清正公

 さて、名古屋城の思ったよりずっと壮大な姿に微かな敗北感を抱きつつホテルに帰ろうとした私だが、どこかで見た懐かしい光景を目にした。

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 それは武将姿の若者が観光客と写真を撮ろうとしているシーンである。

 しかも、掲げられている幟旗は「おもて梨武将隊(仮名)」。

 「おもて梨武将隊」といえば熊本城の専売特許ではないのか。ネットで検索してもトップに出てくるし。
 だが、名古屋城にも間違いなくいたのだ。

 しかも、その武将は「加藤清正である!」と侍言葉で叫んでいる。この、侍言葉で厳かに喋るのも、熊本城のそれと瓜二つである。

 瞬間「パクられた!」と思ったのは熊本人の浅ましさ、実は調べてみると「名古屋城おもて梨武将隊(仮名)」が結成されたのは2009年、熊本城のそれは2012年なので、こちらが元祖なのだ。

 加藤清正といえば熊本では「清正公さん(せいしょこさん)」と呼ばれて親しまれ、熊本の殿様として県民に定着している人であるから、清正公に扮した人が名古屋城でおもてなしをしているというのはとても違和感がある。

 だが、加藤清正は実は名古屋の生まれであって、熊本城を築城して城主になっただけでなく、徳川家康の命によって名古屋城も築城しているのである。

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 名古屋城には一つだけ銅像があるのだが、それは清正のものであって、あたかも彼が名古屋城主であるかのようだ。あまり歴史を知らない人は完全に勘違いするだろう。

 「加藤清正は熊本人であって武将隊は熊本発祥」という二重の勘違いに気付き、すごすごと名古屋城を後にした私であった。
 写真は「清正公石曳きの像」である。
 清正が任せられたのは天守閣の石垣の普請であり、この像は自らが督励している姿を再現したものだそうだ。

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 石垣には「清正石」という巨石もある。他の石と比べてみるとその大きさが分かる。 

人生初名古屋は学会出張5-名古屋城は天守閣を仰ぐのみ-(河童日本紀行621)

名古屋城に圧倒される

 学会の下見から帰ってもまだ日暮れまでは時間がありそうなので、ホテルから歩いて20分ほどの名古屋城へ行くことにする。

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 ここか。

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 随分な人出の場所があるので何かと近寄ってみると、

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 あれはかの有名な金の鯱ではないか。

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 先ごろ地震で傷ついた我が熊本城にも鯱がやっと据えられたが、これはやはりなかなかの見応えのある鯱である。

 ところがしばらく鯱を見ていると、ほとんどチコちゃんのような素朴な疑問が湧いてきた。
 「鯱(しゃちほこ)って何?」

 私はこんな形の動物を自分の人生で見たことがない。

 さっそくスマホを取り出して調べてみると、さすが「ゴーグル先生(仮名)」すぐに見つかった。

 鯱とは姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの棘を持っている想像上の生物なのだそうだ(Wikipediaによる)。

 海にいる凶暴な哺乳類の鯱(しゃち)とは関係ないのかと思ったら、むしろシャチホコが元祖で、後から実在の生物にその名前が仮託されたのだという。
 つまり麒麟という想像上の動物がいて、その名が阿弗利加にいる首の長い動物に付けられたようなものらしい。

 その伝で行くとカワウソに「河童」という名前が付けられても不思議ではなかったのだが、そうならなかったのはやはり河童の「力不足」というものなのだろう。

 ちなみに医療系の学生たちは今が就職活動の花盛りだから蘊蓄を披露させてもらうと、何か重責を負わされそうになった時に「私には役不足で」という断り方をする人が結構社会に出て時間が経っていてもいるようだが、これはとんでもない勘違いであって、「私のような能力のある人間にはそんな軽い仕事はやれない」という意味になってしまう。ここは「私の力不足で」というのが正しい。かな。知らん。

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 名古屋城の天守閣はさすがに徳川家康の造ったものというだけあって、威風堂々、我が熊本城と比べても負けていない。
 というか、石垣の石の大きさなど、規模の面ではもしかすると熊本城は〇けているかもしれない(「熊本営」検閲済)。「名古屋城は小天守無いし」と心慰める。この敗北感は大阪城を見て以来である。
 街の規模が全く違うのだから仕方がない。

 先日やっと熊本城の天守閣が人に見て頂いても恥ずかしくないところまで復旧しておめでたい限りである。後は両側のクレーンが早くどいてほしいものだ。

 ところが、すぐ近くまで行ってみて初めて気づいたのだが、名古屋城の天守閣は耐震性を高めるための工事のために現在立ち入り禁止らしい。
 熊本地震の余波がこんなところまで来ているとは。

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 せめて熊本城と同じく最近復元された本丸に入ろうかと思ったのだが、これはもうとんでも長い行列である。待っていたら日が暮れてしまうだろう。これも断念。

 仕方がないのでホテルに帰ろうか、というとき、私はとても意外な名古屋と熊本の共通点を見つけてしまった。以下、次号。

人生初名古屋は学会出張4-熱田神宮で大太刀を見る-(河童日本紀行620)

大太刀の鞘の使い手

 熱田神宮では資料館にも入ったのだが、残念ながら撮影禁止だった。

 最近は短期記憶が怪しいので、写真に残っていないものは忘れてしまう。したがって中に何があったかは既に霧の中である。

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 唯一印象に残っているのはこの太刀である。
 見物人と大きさを比較してほしい。

 この太刀は「太郎太刀(一説には次郎太刀)」といい、真柄直隆(一説には直澄)という戦国時代の武将が使用していたらしい。
 直隆は戦国大名である朝倉義景の家臣である。
 義景は一時は織田信長と対峙して天下を伺ったほどの勢力を誇ったが、結局朝倉家最後の当主となってしまう。
 


 その衰運の下り坂の途中に織田・徳川連合軍と戦った姉川の戦いがあり、真柄直隆はこの戦いで奮戦虚しく戦死したらしい。
 この太刀はそのときに直隆が使用していたものだということだ。
 実際に測ったわけではないが、これは2m以上ありそうである。記録にあるものは130cmくらいだから、あるいは後世に伝説に従って作ったものかもしれない。

 それにしても130cmだったとしてもそんな長いものをよく振り回せたものだ、と思うが、実はこの太刀は「振り回す」ためのものではなかったらしい。

 「敵より遠い安全なところから攻撃したい」という心象は現代人に限ったことではないらしく、太古から長い刃物や飛び道具は発達してきた。
 長い刃物と言えば槍があるが、この大太刀は相手の槍の柄を切ってしまうためのものだったようだ。それならば切っ先を動かす範囲は肩辺りの高さから小手を打つ当たりであって狭いので、そこまでの力は要らない。
 それでもやはり怪力でないとその用途ですら使えなかったらしく、大太刀の使い手は極少数に限られていたようだ。

 それに同じ用途には薙刀の方が使い勝手がよさそうである。

 多くの人がそう思ったらしく、大太刀は江戸時代を迎えるころには多くが短く研がれて普通の太刀に化けてしまった。

 妻に大太刀の写真を送ったところ、「これ、自分では抜けないよね」と返信が来た。
 私はその迫力に圧倒されてそんな実用的なことは考えも及びなかったが、考えてみればそうで、大太刀は普通の太刀のように腰に差していたら到底抜けそうもない。
 背中に背負って、とも思うのだが、考えてみれば腕を精いっぱい天に向けて伸ばしてもそれより長いのだから、どう身に着けても抜けるはずがない。

 これは従者に持たせておいて二人がかりで抜くものだったらしい。
 これだけの長大な武器だから勇猛の象徴でもあったはずだから、当然これを使用する武士には付き従う家来がいるわけだ。

 だとすると抜いた後の鞘は従者が持ったまま武者に着き従うわけで、ということは従者は自分の武器を使用するわけにもいかず、丸腰と同じなわけである。なんちゅう迷惑な武器だ。廃れたはずである。

 たまたま出会ったトンデモ武器のおかげで想像がどんどん広がる私であった。

人生初名古屋は学会出張3-熱田神宮で大吉の神籤を引く-(河童日本紀行619)

みごとな大吉

 まるで日本地図のような景色を楽しみながら中部国際空港に到着した私であった。

 明日明後日は朝から帰熊ぎりぎりまで学会なので、自由に使える時間は休日である今日の午後だけだ。 

 ホテルに到着して荷物を置き、学会会場に下見に行く。
 自分の発表は明日の夕方だが、早朝から聞きたい講演が目白押しなのだ。私は方向音痴だから初めての場所に最短距離・最短時間で辿り着く自信がない。一回行ってみた方がいい。

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 大きな会場である。
 私の発表はポスター発表だが、鋭い質問は口演発表よりかえって多かったりする。早くも少し緊張してくる。
 そういえばポスターの印刷は業者に頼むと高いので友人のA君に頼んでしかるべき場所でしてもらっている。ポスターを運ぶのには矢立のような形の専用の容器があるのだが、印刷してもらって以来その容器に入れっぱなしで出来栄えも見ていなかった。ホテルに帰ったら確認してみなければ。A君に限って「半分しか写っていない」とか「ゴミ箱から拾ってきたようにシワシワ」などということはないとは思うが。

笑えない苦行

 以前シワシワのポスターで発表したことがあるが、それに凝りて最近は綺麗な印刷のものを持っていくようにしているのだ。初の新潟は学会出張1-「く」の字に曲がった友人-(河童日本紀行567)

 下見も終わって、ホテルに帰ろうかと思ったのだが、近くに熱田神宮という神社があるのに気付いた。
 地下鉄で1駅である。すぐ行けそうなので行ってみることにする。

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 駅に着いて地上に出ると、神社の正門まではとんでもない距離である。空港からここに来るまでに既に相当の距離を歩いているから足が痛い。都会の人は本当に足が丈夫である。田舎は車に乗ってdoor to doorだからふだんこんなに歩かないのだ。

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 中学生らしき集団が沿道を清掃している。
 地元では神社の掃除といえば老人会の仕事だが。

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 鳥居まで行ってみると、どうやらとんでもなく大きな神社のようである。

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 境内も向こうが見えないくらいに広い。

 私はこの神社に関して、その名前を冠した航空機エンジンがあることくらいしか知らない。



 このエンジンは独逸のダイムラーベンツが開発したD601エンジンを日本でライセンス生産したものである(写真はWikipedia)。

飛行するBf 109G-6 (第27戦闘航空団「アフリカ」所属、1943年撮影)

 D601はドイツ軍の有名な戦闘機メッサーシュミットBf109(写真はWikipedia)に搭載されたエンジンで、当時技術力が低くてどうしても高性能の液冷エンジンを作れなかった日本軍が独逸の技術を借りてこれを模倣したのである。それでも当時の日本の工作機械では寸分同じものを作ることができず、相当単純化して性能を落としたものになったそうだ。

彗星一二型

 アツタは艦上爆撃機彗星に搭載された(写真はWikipedia)。
 この飛行機はニックネームが「彗星」という時点で「勝つ気ないだろ」という気がするのは、雷撃機の「流星」と同じである。なにせ飛行機が流れ落ちていくのであるから。
 実際この彗星はカタログ上の高性能とは裏腹に、構造の複雑さ、特に当時の整備方が液冷エンジンに慣れていなかったことにより稼働率が低く(もっと有り体にいえば機体はあっても整備不良で飛べない飛行機が沢山あったということだ)、期待外れの代名詞となっている。

 日本軍で採用されたエンジンは陸軍では「ハ〇〇」というような、現在でもJRの車輌の名称に使われているような名前が付いているが、海軍はニックネームである。
 「光」「栄」「誉」「瑞星」「金星」「木星」など、なかなか縁起のいい名前なのだが、この「アツタ」という名称に関しては表記が平仮名であることもあって最初その語源がわからなかった。

 考えてみれば日本最古級の飛行場である各務ヶ原飛行場をはじめ、東海地方には現在に至るまで航空機生産・整備の一大拠点があるから、その地元の神社がエンジンの名前についても不思議ではないわけだ。
 それにしてもほかのエンジンにはおおかた漢字の名前がついているのに、「アツタ」だけはなぜ平仮名なのか。ライセンスものだからというのも変な理屈である。

 閑話休題(いつまでひこうきのはなしをしてるんだ)。

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 本当に広い境内である。巨大神社といっていい。
 そこここに鳥居があるのだが、ここを通るたびに人々が深々とお辞儀をする。不信心な私には不思議な光景である。
 中学生の沿道の掃除といい、最近の日本人の信心深さには感心する。

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 せっかくなので後輩たちの国家試験合格祈願をすることにする。
 私は神も仏も信じないが、人の信仰を尊重する気持ちはある。
 だから、自分のために祈ることはないが、その神を信仰している人たちのために祈るのには抵抗がない。むしろ、私の祈りは自分に良い目を合わせてほしいという私心がない分、純粋な代理であるから、もし神というものがいますのならば、私心を以て祈るもののそれより直截に届くはずである。
 「後輩全員を合格させてください。」その一点のみを祈る。

 祈った後、神籤を引く。
 「八番」。巫女さんから番号の神籤を貰って開ける。

 大吉である。

 「ぐわんまうかなふべし。」「学問 安心して励め。」他の項目にもすべてに「よし」と書いてある。何も悪いことが書いていない。

 こんなにいい神籤は久しぶりである。
 

人生初名古屋は学会出張2-下界はほとんど日本地図-(河童日本紀行618)

ペラ機の旅は日本地図の上

 今回の出張の交通手段は熊本-名古屋間の航空機である。
 最近は熊本空港を利用するといっても国際線ばかりだったが、何せ専ら乗っていた熊本-ソウル線が今回の騒動で運休してしまったので、とんと熊本空港からフライトすることもなかったのだ(年に1回くらいしか乗らないくせに偉そうに)。
 国内線は本当に久しぶりである。

 空港に着いて手続きを済ませ、ロビーから滑走路を見た瞬間、私にはある疑問が湧いた。
 「熊本-名古屋間の路線を利用する客ってそんなに多いのだろうか?」

 1機が目に入った。

 「たぶんこの飛行機なんだろうな…」
 諦めにも似た気持ちに襲われた。
 ペラ機に乗るのは久しぶりである。

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 実は飛行機マニアの私は瞬間的にそれに相応しい名称を想起したのであまり詳しくない人には分からないと思うが、「ペラ機」というのはプロペラが推進力の飛行機である。
 上の写真は私の搭乗した飛行機であるが、ご覧のように6枚羽のプロペラを有している。
 現在旅客機に使われているプロペラ機の多くは専門的には「ターボプロップ」というエンジン形式である。

 おそらくこの飛行機を見た多くの人は「ああ、これはゼロ戦とかB29のような昔の飛行機と同じタイプのエンジンを積んだ時代遅れの飛行機なんだろうな」と思うと思うのだが、実は違うのである。

 ターボプロップは私たちが「ジェット機だ」と思って見る飛行機と同じジェットエンジンの一種なのである。
 この話を書き始めてまたいつものように何時までも出発できない紀行になってしまうのに気付いたのでこの話はこれくらいにするが、ターボプロップはいわゆる「ジェット機」では筒の中に付いている回転する羽根が外側に付いているジェットエンジンであって、ピストンエンジンの駆動で羽根を回すいわゆるプロペラ機(専門的にはレシプロ機という)とは明らかに違う。
 その証拠に、レシプロ機は亜音速に近い800km/hに達するためにはエンジンに物凄い負荷がかかる。昔の飛行機で音速近くを飛行するする人は振動と騒音で大変だったに違いない。
 しかし、ターポプロップ機は800km/hで飛行しても乗客にほとんど騒音と振動を感じさせないのだ。
 これは羽根の回転を推進力に変える効率がレシプロ機よりずっといいことを示唆している。

 閑話休題(しったかぶりはこれくらいにして)。

 いわゆるジェット機のあの気持ちのよい上昇加速と雲上の神秘性を味わえないことを知った私は正直少しだけ落胆したのだが、「もしかすると」という期待も湧いてきた。

 今日は嘘のような快晴。
 ペラ機は1万mよりはかなり低い中低空、つまり雲の下を飛ぶ。とすると…

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 やはりそうだ。
 離陸してすぐに分かったが、眼下には我が麗しの大八洲が一点の曇りもなく広がっている。

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 郷土熊本のホコリ、じゃなかった誇り、大阿蘇もご覧の通り。
 「下界はほとんど日本地図」状態なのである。


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 たとえば細長い半島の続くこの風景は、

四国地図
 間違いなくこの部分である。

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 美しい国だ。

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 四国を横断すると、

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 大阪を遠くに見ながら紀和半島を横切る。

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 険しい山々である。

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 あ、海が見えた。

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 アナウンスが着陸を告げる。

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 着いたぞ名古屋。
 
 何だか日本地図の上を飛んでいるような旅だった。
 ペラ機もまた楽し。
 妻と一緒だったらどちらが窓際に座るかで暗闘があったに違いない。
 それにしても簡単に機体先端の方の座席が取れたので景色が翼やプロペラに邪魔されずに済んだ。

 幸先の良い学会発表である。


人生初名古屋は学会出張1-何度も通過している三角みたいな街-(河童日本紀行617)

名古屋城を建てた人は誰

 名古屋に行ってきた。
 名古屋といえば東京・大阪に次いで日本で3番目に大きな街である。 

 それにしても私にとっては印象が極端に薄い街である。

 何か知っていることがあったっけ。

 味噌煮込み饂飩。味噌カツ。味噌手羽先。味噌ばっかりかい。八丁味噌というらしい。食べたことはない。
 名古屋城。熱田神宮。行ったことはない。
 中日ドラゴンズ。名古屋金鯱軍。これは私が「昔の野球ファン」だからなのだが、応援したことはない。

 もう尽きた。

 通過したことは何度もある。
 東京に行くとき、鉄道を使う場合は常に通過点だった。
 一度地下街で食事をしたことがある。もう40年近く前だが。
 だが、名古屋を目的として旅行や移動をしたことはない。

 急に私の棲む三角町を思い出した。この街に住む前は、三角もまた私にとっては単なる通過点であり、目的地ではなかった。
 比べるのは気の毒か。
 わが三角町は人口1000人足らずの小さな街だが、名古屋は市だけで230万人の人口を誇る大都市なのだ。

 そんな名古屋を目的地として旅行をする。
 人生初の出来事である。

 2016年、韓国仁川を訪れた私はこう書いている。


私は仁川の街を巡っているうちに日本の名古屋を思い出していた。
 名古屋市は日本第3の巨大都市である。
 古い歴史を持ち、旧帝大や歴史のある私大があって文化的にも高いレベルを誇る。博物館や美術館の類にも事欠かない。
 食べ物も美味しい。海の幸山の幸満載の料理がお手軽な値段で食べられる。私は正直名古屋人自慢の味噌はあまり好きではないが。
 金の鯱をいただく城もあり、散策にも持って来いである。
 何でも手に入り、何でも見ることができ、何でも食べられる。自己完結できる。

 にもかかわらず、私たち九州人は本州に旅行をするとき、熱烈に名古屋を目指すことはあまりない。コアなファンは別だが。
 何かビジネスや文化的なものが目的ならばまず東京であり、次は大阪、そして歴史や文化が目的ならば京都、あるいは萩や金沢などの地方都市である。
 異国情緒を味わいたかったり、完全に日常を超越したければ北海道や東北に行く。

 近いうちに名古屋に行ってみよう。私の頭の中にある仮説が正しいかどうか、ヒントがもらえるはずだ。


 あれから3年、遂にその機会が訪れたのだ。

 目的は学会で発表すること。
 一部会社にお金を出してもらうので出張旅行である。

 国内のそれなりに遠いところに行くのは久しぶりだ。
 今までは都会に行くたびに私の中の常識が壊される体験が多々あった。

 たとえば3年前の仁川旅行で持っていた私の名古屋イメージは正しいのか。
 最近は熊本でも俄かにキャッシュレス決済が普及しているようだが、都会ではどうなのか。

 いろいろな好奇心を抱きつつ、私の名古屋旅行はもう直前になったのだった。
 

 
 

河童簡単韓国料理20-〆のポックンパ革命-(いやしんぼ110)

ポックンパ

 以前に比べると随分韓国料理が好きになってきた私だが、どうも好きになれない、というより、わざわざ料理として取り上げる程のこともない、と思ってきたのがポックンバだった。 

 「ポックンパ」というのは直訳すると「焼き飯」である。
 日本で焼きめしといえば、中華風の炒飯を指すのが普通である。

 名人上手の作った炒飯の美味さは感動的である。
 圧倒的な火力の中で熟練の鍋振り技術によって中空に放り投げられた飯粒は、表面のその粘度を失って個々に分解され、食べるものの舌にパラパラという食感を残して胃袋に吸い込まれて行く。

 対してポックンパ。
 「ポックンパの素」なるものも現地には売っているが、どうも「気合が入らない」味で、それ単独で「ああ、食べた」と満足できるものではない。塩気が足りないし、旨味が足りない。

 特に韓国人が大好きだという、鍋の〆のポックンパは現地でもかなり食べたが、美味いと思った試しがなかった。
 大抵はやたらと辛い上に、御飯がベチャベチャしている。
 正直「気が知れない」と思っていた。

 ある晩までは。

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 ある晩、私達夫婦はプデチゲを食べていた。我が家では韓国風の鍋物はフライパンで作ることにしている。これは後始末が楽だからだ。

 プデチゲと言っても、本場のあの真っ赤っかな辛-い奴ではない。
 プデチゲに必須のスパムすら入っていない。夫婦そろって高血圧の私達にはスパムの馬鹿にならない塩気は敵なのだ。替りに入っているのは魚肉ソーセージである。挽肉もパン粉も卵黄も玉葱さえも入っていないくせに「ハンバーグ」を僭称している例の奴である。

 さらに、ウインナーの替りに竹輪が入っている。
 これは作る直前になってウインナーを切らしていることに気付いたのと、だいぶ前に買った日奈久竹輪(熊本では竹輪の代名詞といってよい八代市日奈久町産のもの)が残っていることに気付いたためだ。

 あとはモヤシと水菜と、エリンギ・椎茸を薄切りにしたもの。
 我が家のプデチゲには必ず茸が入っている理由については一度書いた。これは本物の「部隊チゲ」にするためである。

 スープは「豚チゲラーメン(仮名)」か「仁ラーメン(仮名)」のスープに「勉強の神(仮名)」適量。辛いのが苦手な人は肥後の赤酒を大さじ2杯くらい入れると辛さがマイルドになってよい。

 そろそろプデチゲを食べ終わろうかとしたとき、急に私はチヂミ(パジョン)が食べたくなった。

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 我が家のチヂミはこんな奴である。
 作るのには結構手間がかかる。

 そうだ、ちょっとだけ残っている鍋の具を使ってチヂミが作れないか。

 ただ、鍋の中にチヂミの粉を入れる想像をしたとき、私はおそらくそれがまともな料理にはならないことを直感的に悟った。止めたほうがいい。全部捨てなければならなくなる。

 そういえば、炊飯器の中に茶碗2杯分くらい御飯が残っていたっけ。プデチゲの残りとあの御飯をチヂミ風に焼いてみたらどうだろう。

 早速ご飯をフライパンに放り込む。
 えらく汁が多いな。これを煮詰めたらえらく時間がかかるし、御飯が溶けてベチャベチャになりそうだ。

 汁を御飯がひたひたになるくらいまで捨てる。
 さらに、残った具の中で大きいものは焼くのに邪魔なので、油掬いで掬って細かく切る。
 さらに竹輪がもう1本残っていたのを細かく刻んで入れる。

 だんだん汁が煮詰まってきてそれを杓文字で混ぜていたとき、私は鍋の中の食材(残飯)があるものを連想させることに気付いた。
 サラサラの生地の中に浮かんだ小刻みの具。だんだん煮詰まって立ち昇る香ばしい匂い。これは出汁の焦げる匂いである。
 そうだ、これは「もんじゃ焼き」に似ているのだ。

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 案の定、この「韓国風もんじゃ」は、汁が十分に煮詰まってもお好み焼きのようにはカッチリ焼けず、もんじゃ焼きのようにまとまらないままだった。

 もんじゃ焼きのおこげのような部分がどんどん増えていったとき、私はそれが私の大好きな「炊き込みご飯のおこげ」と同じ香りを立たせていることに気付いた。
 「おこげ一杯の炊き込みご飯」である。炊き込みご飯の好きな人、想像してみてください。涎の海で溺れそうでしょう。

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 「〆のポックンパ」完成。

 半分は「まだ食べるの?」などと嫌味を言っていた妻に強奪されてしまったが、残り半分に至福の味が残っていた。

 美味いぞ、ポックンパ。

 「〆のポックンバを作る時はもんじゃを焼く要領で」という、東亜の金字塔に辿り着いた夜の私であった。

 レシピである。
[材料]
1.鍋物の残り。プデチゲ、カムジャタンなどが最適である。ユッケジャン、タッカルビなどは辛いのが苦手な人には厳しいか。試したことはないがおそらくスンドゥブの残りでも海鮮風になって美味いに違いない。知らんけど。
2.竹輪。できれば熊本県八代市日奈久町で作られたもの。Well肉桂流ポックンパには竹輪が欠かせない。これは海鮮の焦げた風味を演出するためである。
3.焦げ付き防止のコーティングがしてあるフライパン。中華鍋でもよいが、よほど使い込んだものでないと焦げ付かないために大量の油が必要となる。
[製法]
1.鍋の残りの具を掬い上げ、大きいものは小さく刻む。野菜類は調理過程でほとんど溶けてしまうので心配なし。
2.スープは一旦味見してちょうどよければそのまま、辛すぎたりしょっぱすぎたりした場合には減らして水で薄める。「煮詰まる」ということを予想して少し薄めの味にしておくとよいかもしれない。
3.フライパンの中にご飯を茶碗2杯分くらい入れる。スープは御飯がひたひたになるくらい。多すぎたら捨て、少なすぎたら水を足す。
4.もんじゃ焼きを焼く要領で、平らに広げた後、外側から裏返し、巾着っぽい形で焼いていく。
5.おこげが出来始めたら4の行程を頻繁にし、本当に焦げてしまわないように気を付ける。
6.普通のかたさの御飯とおこげが半々くらいになったら出来上がり。
7.目玉焼きを半熟で作って上に載せ、食べるときに混ぜても美味い。

 「ポックンパあ? あんなベチャ飯食えるか!」というやまとをのこにぜひおすすめのポックンパです。

「最悪の日韓関係」の中、韓国の中枢に行く、ただし買い物旅行22-韓国雑感ソウル編4-(河童亜細亜紀行200)

セブンイレブンの袋

 さて、いつものように(知らんよね)韓国雑感である。

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  韓国のトラックは日本のものより何となく長い気がしていたが、よくみると後部座席があるのだ。ライトバンとトラックの良い所を取り入れているのだろう。
 しかし今まで後部座席に人が乗っているのを見たことがない。だから後部座席があると気付かなかったのだ。実際どれくらい後部座席を使う頻度があるのだろう。

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 ホテルの近所の芸術(落書き?)。

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 6年前はこうだった。
 こっちの方がシンプルで好きだったな。

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 ホテルはベッドが大きくて湯船も大きくて満足。例によってどこかは教えないが(ホント嫌な奴だなあ)。
 それでも「ウォッス! Let's!(仮名)」がないと高級ホテルとは見做されなくなったのは時代の流れか。
 確かに韓国料理の辛さに慣れていない日本人には必須の設備かもしれない。
 ただ、日本人が旅行客の大半を占めていたころには少しも普及せず、中国人客が増えたら急速に普及し始めたのは面白い。
 「中国人にはトイレで負けたくない」という韓国人の微妙な心理が伺われる現象である。

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 観光地のレンタル自転車も急速に普及した。
 しかし、坂の多い韓国では電動アシスト自転車でないとよほど健脚の人以外はしんどいと思うが。

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 「韓国代走(仮名)」で買った歯磨き粉。
 ほとんど話の種に買ったのだが、使ってみると今まで悩まされていた寝起きの「お口ネバネバ」がなくなったし、歯のツルツル感が日本のものより長続きする。
 この歯磨きの性能には妻も同じ感想を持ったらしく、どうも減りが早いなと思って聞いてみると、いつの間にか使っていた。
 これはおそらく日本の歯磨き粉でできてしまった口腔内の耐性菌を違う方向からやっつけてしまったのだろう。
 「お口ネバネバ」にお悩みの貴公にお勧めである(商品名はボカシを入れてあるけどね)。
 これにも耐性菌ができたら今度は台湾や香港あたりの歯磨き粉を使ってみようかしらん。

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 「アジアな航空(仮名)」の座席のハンガーは帽子も掛けられる。
 今回の旅行では王朝時代の韓国人が被っていた帽子(「カッ」)とできるだけ似た帽子を見繕って「ハ〇隠し」に被っていったのだが、こういう「ハット」タイプの帽子を被っている人が全然いなくて目立ってしまって嫌だった。
 「キャップ」タイプの帽子も被る人が減ったような。まあこういうのは流行り廃りだから。

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 相変わらず大賑わいの南大門市場。昔は嫌いだったこの街が何だかとっても好きになった。

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 「MINE(仮名)」ショップの可愛いキャラクター。
 日本人が列を作っている。
 韓国発祥の「MINE」だが、韓国人の間で使われるSNSは圧倒的に「ココアトーク(仮名)」が多いそうだ。
 「MINE」が韓国発祥だと知ったらそれまで熱心に使っていたこのアプリを使わなくなった人がいるそうだが、「良いものは良い」「それとこれとは別」でいいじゃないか。
 この考えができなかったら結局どこの民族とも仲違いしてしまうと思う。これは最近の一部の韓国人にも言いたいことだが。

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 ソウル市の交通カード。
 2枚1組で売っていて、2つ合わせると、

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 こうなる。
 ナイスアイディアである。

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 結婚相談所。
 現在韓国では日本以上に未婚率が高く、出生率に至っては1/1人を切ってしまった。
 これから急速な少子高齢化を迎えるのは間違いない。
 日本の少子高齢化もそうだが、こればかりは隣国のせいにするわけにはいけない。「1982年生まれ キム・ジヨン」は日本にもたくさんいる。
 「私もそうだ!」と妻に言われそうだが。

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 夜の梨泰院。
 残念ながら今回も「愛の撮影」は失敗である。

愛に満ちた夜景

 なぜ釜山でしかこれが上手くいかないのか、謎というほかない。

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 ソウル駅前のオフィスビルにあった謎のベンチ。
 座るところが指定されているだけでなく、妙に近い。熱々カップル専用かもしれない。

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 韓国人は行列ができない、などというのは嫌韓の悪質なフェイクニュースの一つである。その証拠写真を乗せておく。ソウルのど真ん中のバス停である。

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 ソウル駅警察署の前にあった石獣。
 狛犬の元祖なのだろう。渡ってきたときは「高麗犬」と呼ばれていたに違いない。知らんけど。

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 韓国独特の、平らなエスカレーター。上りの奴に乗るとアキレス腱が伸びて気持ちいい。
 このカップルはアキレス腱を伸ばしながら愛を語っているのだろう。「あー、効く効く…」(僻みっぽい奴だなあ)。

 冒頭の絵は日本にもある「ナインファイブ(仮名)」の袋である。
 「日韓は似て非なるもの」ということがこの袋を見るとよくわかる。

 この袋をもらったとき、店のアガシ(お嬢さん)が「袋は要りますか」と日本語で一生懸命伝えようとして「プクロ」になっていたのが何だか可愛かった。

 西洋人が「袋」を「プクロ」と言ってもこんな感情は湧かなかっただろう。同じ顔をしているからほんの少しの違和感が生まれ、それを可愛く感じたり、相手によっては優越的な感情が湧くこともあるのかもしれない。

 今は日韓の「非なる」部分だけが相互に強調されているけれど、本当は背景に物凄く大きな「似て」いる部分が広がっているのだ。
 きっとこの世界で最も似ている民族同士は、相手の良い所、親しみの湧く所をまた発見できるに違いない。
 その日がそう遠くないことを私は信じている。


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 我が家に帰って来たら、茄子とピーマンとオクラとアスパラガスが大収穫だった。
 妻は、我が家の野菜の不作は私が小さいうちに採ってしまうから、というのだが、それが証明された2泊3日の韓国旅行であった。

「最悪の日韓関係」の中、韓国の中枢に行く、ただし買い物旅行21-ソウル駅前で韓国ドラマ撮影に出会う-(河童亜細亜紀行199)

幻の島国

 表題と挿絵が違うことをお詫びします。

 いよいよ帰国である。

 ソウル駅で搭乗手続きと出国手続きをした私たちは、 2時間ほど時間に余裕があることに気付いた。
 実は「時間の余裕」などなかったのだが、「知らぬが仏」である。

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 さて、駅のどちらの

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 方向に、

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 行くか。

 もちろんこっちだ。

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 道を渡ろうとするのだが、横断歩道が不思議な造りになっていてなかなか渡れない。
 通常横断歩道は一直線に道を渡るようになっているのは誰しも知っているだろう。
 ところが、ここの前の道は3区画くらいに分かれており、1区画ごとに信号の変わる時間がズラして設定してあるらしく、一気に渡れない。
 しかも、それぞれの区画を渡る3つの横断歩道もそれぞれに引かれている場所がズレていて、一直線になっていないのだ。

 これは横断歩道を一直線に作ると渡るための時間がかかりすぎて信号待ちが長くなりすぎるからではないかと推測したが、あるいは性急な人が信号がもう変わり始めているのに無理に渡って途中で信号が赤になって道路の真ん中で立ち往生(というか車に跳ねられて本当に往生)してしまうのを防ぐためなのかもしれない。

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 何はともあれ道を渡り、その途中で背景が映らずにどこで撮ったかわからない花を撮影し、オフィスビルのベンチでしばらく座って足を休め、さらに我が家のTVのメーカーのビルの下でまた足を休め、反対側の駅にまた帰ろうとした時だった。

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 実は駅前の道の反対側に渡るためには複雑な横断歩道を渡る以外にもう一つの方法があって、それがこのエスカレーター付の歩道橋なのだ。

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 この歩道橋に近づいて行ったとき、私達はなぜか人だかりがしていることに気付いた。

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 スーツを着た背が高くて足の長い男性がエスカレーターに乗って上っていくのをスタッフらしき人が撮影している。男の人は何だか偉そうな態度である。

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 さらにそれを追いかけてこれまた背の高くて足の長い女性がこれを登って行った。

 どうやら二人は俳優さんで、これはドラマの撮影らしい。

 面白そうなので撮影しようとしたら、その場にいたスタッフの中の一番偉い人と思われる人が私に近づいてきて、「これはベラベラベラベラ。」と早口でまくしたて始めた。
 このスピードで話されては私の韓国語では到底分からないので、「ハングンマルモルラヨ(韓国語分かりません)」と言うと、男の人は一瞬、「はあ? 喋れてるじゃないか」という顔になったが、今度は英語で「This is ペラペラペラペラ.」とまくし立て始めた。
 これも私の英語力では到底ついていけない会話速度である。

 何を言っているのか分からないが、その場のシチュエーションと男の人の表情から、これ以上近づかないこと、写真を撮らないこと、を要求されているのだと思い、そうした。

 私はスタッフの後ろから見ていたのだし、写真も俳優さんの顔を撮らないように注意していたのでちょっと心外という部分もあった。
 俳優さんにとって自分の顔(肖像権)は最も有力な商品であるから、これを勝手に撮影することは窃盗(肖像権の侵害)に当たる。そんなことは知っているし、私はマナーを重んじる男だから一般の人の顔ですらできるだけ写真に写らないように気をつけているのだ。

 しかし、それを説明する韓国語力も英語力も私には持ち合わせがない。仕方がない。

 撮影はそれから5分間ほど続いたが、休憩なのかもう少し打ち合わせが必要なのか、一旦終了した。

 件の男の人がまた近づいてきて、「もういいですよ。サンキュー。」と英語で言った。

喧嘩してる場合じゃない

 何せ私はこの格好である。

 最初は田舎のお上りさんの韓国人と思われ、韓国語が通じないので中国人のお上りさんと思われたのだろう。
 いずれにせよ人口1000人の街から人口1000万人の大都会に観光に来ているのだからお上りさんであることは間違いないが、我々は日本人のお上りさんなのである。

 日本語を喋れる人がこの場にいたらいいのになあ、と思った。

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 歩道橋の上に上がるとまだ撮影が続くらしかったが、知らない俳優さんだったし、5分も見ていると飽きたのでその場を離れることにした。
 妻が大ファンのコン・ユさんの撮影だったら私たちは空港鉄道に乗り遅れていたに違いない。

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 歩道橋から見た旧ソウル駅の偉容である。
 この建物が旧総督府の建物のようなメに遭いませんように。「良いものは良い」「あれとこれは別」という、どちらかといえば日本人以上に韓国人の持っている大陸的な合理性を早く両国民が取り戻してほしいと願うばかりである。

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 かつてはソウルにしかなかったこうした風景も、今は韓国の津々浦々で見られる。

 私は韓国人にもっと自分たちに自信を持ってほしい。
 あなたたちの作ったこの国は、植民地時代の名残が言葉や街並みに少しくらい残っていたからといって、揺るぐことはありませんよ、と言いたい。

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 ソウル駅に戻って「切符がない!騒動」が繰り広げられた後、私達は一路仁川空港へ。
 仁川の遠浅の海を眺めながら韓国に名残を告げる。

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 仁川空港第一ターミナル駅に着いて、改札を抜けると、もう搭乗口である。

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と、言いたいところだが、ここからがとんでもなく遠い。奥の方に霞が掛かっているほど遠い(大袈裟)。

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 しかも、ロビーに着いたら手荷物検査である。

 いくらソウル駅で搭乗手続きと出国審査ができると言っても、これだけは飛行機に乗り込む空港でしかできない。
 しかし、事前に出国審査が済んでいる人は並ぶところが別なので検査はかなり速い。

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 何と、ゲートに辿り着いたのはもう搭乗時間の5分前だった。
 予約した列車の時間が遅すぎたのだ。少しでもトラブルがあったら乗り遅れるところだった。危ない危ない。



 程なく離陸。

 さようなら韓国。また小銭貯金の貯まるその日まで。

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 飛行機の窓から名残惜しく眼下の海を見ているうちに私はふとある疑問に捕らわれた。
 しかし、その疑問に答えるだけの考えが浮かばないので黙っていた。

 すると、妻が、私の抱いている疑問と全く同じ質問をしてきた。

 「ねえ、こんなに島の多い所って韓国にあったっけ? 全羅南道あたり? まだ長崎とか見えないよね。」
 こうなればこの疑問に全力で取り組まないわけにはいけない。
 私は刮目してその島々を見た。
 島々の正体はすぐ判明した。

 「あれ、雲の影だよ。海面に雲の影が映ってるんだ。」

 私たち夫婦は2人で半人前、ということがまた証明されたのであった。

「最悪の日韓関係」の中、韓国の中枢に行く、ただし買い物旅行20-韓国旅行あるある-(河童亜細亜紀行198)

バナナは貴重品

  今回韓国旅行あるあるであるある(我ながらくだらん)。

1.今回妻が人生で初めて韓国人からトイレの場所を聞かれた。

 はっきり言って私は韓国旅行に行く旅に韓国人から道を尋ねられる(大袈裟。ソウルだけ)。

河童は国境を越える

 これは中高年となった私がすっかり無国籍化して日本人やら韓国人やら中国人やら分からなくなっているから、というのもある。
 が、1000万都市ソウルでは人々のテンポが速すぎて韓国の田舎から上京してきた人には付いていけず、同じく田舎者でテンポが同じである私についいろいろな尋ねごとをしてしまうのだろう。

 今回妻が韓国人から尋ねことをされたというのは、妻もまた無国籍化したということだろう。
 もともと最近の日韓女性は化粧やファッションが似ていて区別がつきにくいが、それだけでなく私と同じく〇齢(自粛)による無国籍化が妻にも始まったということ、ではない。とんでもない。マイハニーになんてことを。そんなことを言った奴出てこーい。

2.帰国してお店で買い物をしてお金を出したら、「お客さん、これ、使えません。」
 あ、100ウォン玉だった。

 100ウォンと500ウォンは100円と500円にそっくりである。

 ただし、50ウォンは穴無しの白銅貨であり、韓国では消費税(付加価値税:VAT)用の10ウォンのみが銅貨である。

昔からのお友達

 ちなみに10ウォンはとても小さく、使いにくい。摩耗するのも早いのではないだろうか。
 白銅貨3種類も区別がつきにくいのでは。
 わざとそうして通貨のオンライン化を図っているのではないかと思ってしまうほどだ。

3.言葉は分からなくても訛は分かる。

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 2日目の夜、焼肉屋から帰る道でホットック(韓国風御焼き)を売る店を見つけた。

 値段を聞いて、注文をしたのだが、その店のアジュンマが私たちに興味を持ったらしく、何か早口で話しかけてきた。
 何を言っているのかよく分からない。2度聞き返したら、どうやら「今日は雨が降ったから蒸し暑いね」というようなことを言っているらしい。

 何せ私の韓国語であるから本当かどうか怪しいが、私はアジュンマがどこの出身であるかははっきりと分かった。
 釜山もしくはその周辺の慶尚南道である。
 文末の母音が「ア」のところが「オィ」になるような気がする。
 東京で故郷九州の方言を聞いたようなヘンな懐かしさがある。

4.韓国人が日本人お気に入りの場所やアイテムをまるで眼中にない

 南大門のA社長と話したときのこと。
 「昨日はどこに行きましたか?」と聞かれて、夫婦声を揃えて「代走(仮名)!」と言ったら、「え?代走ですか?」と呆れた顔をされ、笑われた。

 私たちは必死になって日本の「代走」と「韓国代走」の商品の違いを力説したのだが、A社長の怪訝な表情は解けることがなかった。

 日本人が八木アンテナやテレビジョンの真価を理解できずに米国がその技術を使って日本を焼け野原にしたようなことが起こらなければいいが(話を広げすぎ)。

5.「代走」で余分なものを買ってしまう。

 これは韓国旅行あるあるというより「代走」あるあるだ。

 「代走」の商品は楽しくてバラエティに富んでいるので、つい余計なものを買ってしまう。
 これは日本の「代走」でもそうなのだが、「韓国代走」は日本の「代走」とはまた半分以上商品が違っていて、楽しくてつい買ってしまう上に、「今度またいつ来て買い物できるかわからないし」という心理からつい自分が「買い物マシーン」になってしまう。
 さらに、「代走」の商品は予告なしに入れ替わる(というかどこの商店でもそうなのだがなぜか「代走」では唐突感が強い)ので、なおのこと「今買っておかなければ」と思ってしまう。
 したがってレシートは襷の如く長く、勘定は100円ショップとは思えないほどに懐を掻き毟る。

6.切符がないっ!

 これは久しぶりであるがやってしまった失敗である。

 ソウル駅で仁川空港の搭乗手続きと出国手続きを終えた私たちは、さらに空港鉄道ソウル-仁川間の切符を買った後周辺散策に出かけた。

 ところが、帰ってきて改札を通ろうとすると、切符がない。

 私は外国旅行に限らず切符はシャツの胸ポケットに入れるのが習慣なのだが、そのとき着ていた服は前日韓国で買ったもので(暑かったので汗だくになって持って行った着替えを全部消費してしまったのだ)、生憎胸ポケットがなかったのだ。
 これはそのシャツが限りなくパッチもんに近く、胸ポッケがあったらおそらく©法にひっかかる、というのが理由だったろう。

 改札を通ろうとした私は、いつものように胸ポケットから切符を取り出そうとしたのだが、考えてみれば胸ポケットはないのだ。
 ああ、そうだった、いつも大事なものはパスポートと一緒にバッグに入れるからそこだろう、と思ったのだが、ない。
 ああそうか、リュックだったか、と、リュックを開けて見るのだが、ない。

 そうです。
 慣れないことをやるからいけない。
 私は普段は財布を右の尻ポケット、名刺入れを左の尻ポケットに入れるのだが、日本衣装界の慣例として右の尻ポケットにはこれを盗難や滑り落ちから護るボタンがない。
 私は決して韓国人を信用していないわけではないのだが、やはりどんな国にも人のポケットから財布を抜き取る不届きな輩はいるものだから、旅行に行くときはそれには不要な名刺入れを左尻ポッケから家の金庫(嘘)に移し、財布をそこに入れるのだ(信用してないやんけ)。

 このとき、胸ポケットがないことに気付いた私は、切符を空いている右尻ポケットに入れて散策に出かけ、戻ってきたときにはそれをすっかり忘れていたのだ。

 海外旅行といえども、普段通りに行きましょう。

 危ない、という人は、普段から盗難対応で日常生活を送りましょう。

 今だから言える話だが、私は10年くらい前に東京のとある路線でスリ集団を見たときの恐怖を忘れられない。

 詳しい話は今でも怖くて明らかにできない。

 東京の人は気を付けて。

7.え? 大儲けのはずだったのに。

 私が今回の韓国旅行を思いついたとき、日韓関係は「最悪」と言われていた。浅ましい話だが「航空券が安いのではないか」というのが旅行計画の最大の動機だったのだ。
 もう一つの動機は、円高ウォン安である。
 「今現地で買い物をすれば、お気に入りの韓国韓国グッズがたくさん買えるのではないか」というのが、亜大(亜細亜大学の略称ではなく私の新造語)の動機だったのである。

 ところが、航空券はもちろん随分安くなったが、底値と言えるほどのものではなかったし、円ウォンレートもその後ウォン高に傾き、10000円出しても得をするのは1000ウォン札一枚程度だったのだ。

 これは隣国ゆえに意外と正確な情報が交換されるからだろう。

 その昔、「日本から韓国にバナナを持っていくと3000円で売れる」という話を聞いて、本気で持っていこうとした私である。

 「世の中そんな美味い話はない」のに、ついついそんな気になってしまうのだ。
 
 ヘンな期待をし、見事に裏切られてカッとなる。
 最近の日韓関係のあるあるそのままであるある(2回目でもっとくだらん)。

「最悪の日韓関係」の中、韓国の中枢に行く、ただし買い物旅行19-Dマウントレンズで韓国を撮る-(河童亜細亜紀行197)

花こそ全て

 みなさんご存知の通り(もちろん知らないが)、私は日本で100本の指に入るDマウントレンズの蒐集家である。
 100本の指に入るのは当たり前で、このレンズの蒐集家はおそらく全国で100人くらいしかいない。

 Dマウントレンズはまだズームレンズがなかったころ、「8mmカメラ」と呼ばれたムービーカメラに 付けて撮影が行われた、いわゆる「シネレンズ」である。

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 この写真はそのコレクションであって、一部一回り大きなCマウントやもう一回り大きなLマウントのロシアレンズなどが混ざっているが、おおむねDマウントで、「瑞鷹(仮名)」の標準と、もはや幻と言われている「頭脳(仮名)」の広角以外(の安い奴)は大体揃っていると自負している。

 ただ、オールドレンズに凝っている人なら分かっていただけると思うが、古いレンズは身体が小さくとも意外に重い「トランジスターグラマー」である。
 だから、「こんな小さなレンズなら10個くらい携帯しても全然平気だよな」などと思っていると肩に食い込むバッグの重みに青息吐息ということになる。

 特に隣国といえどもそれなりの距離がある韓国に一旦持って行ったレンズを重いからといって家に置きに帰るわけにもいかないから、「どのレンズを持っていくか」ということに関しては慎重に検討する必要がある。

 今回私は、「小さい」「軽い」「銀色」ということを基準に旅のお供を選んだ。

 「小さい」「軽い」についてはその理由は明察いただけるだろうが、「銀色」はなぜかといえば、私の経験上何となく鳥が逃げない気がするからだ。

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 標準は「世界最小Dマウント」の呼び声も高い「日光る13mm(仮名)」。

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 望遠は「讃38mm(仮名)」。
 本当は「頭脳君38mm(仮名)」や「椰子呑38mm」のようなもっと大口径のレンズの方が意図せざるぐるぐるボケが出にくいのでいいのだが、如何せん大型かつ重い。

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 広角も同じく「讃6.5mm(仮名)」。
 愛機「ペンテコステオバQ」の「イチニーサンセンサー(愛称。センサーに愛称というのも変な派内だが)」だと若干ケラレ(写真の四隅が丸く欠けること)が出るが、他メーカーの6.5mmに比べると画像処理でどうにかできるレベルである。

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 後は突然鳥に遭遇した時のためにLマウントのロシアレンズ「木星11号135mm(仮名)」。
 フルセンサーカメラ用のレンズの焦点距離に換算すると700mm弱の超望遠になるにも関わらず三脚不要の手持ち撮影でビデオも撮れてしまう優れものである。

 この4つのレンズは既に過去の韓国旅行で数々の貴重な写真をものにしてくれた相棒たちである。

 そして今回、韓国デビューするのは、未だ名前の決まっていない「ムニャムニャ13mm」である。
 「名前が決まっていないも何も、メーカーの付けた名前があるだろう」と思った貴方。「これで決まりね。あなたは固い。」

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 このレンズは後玉が別なのに1個が昼飯1杯分という私としては後ろ髪が全部引っこ抜かれてしまうような後悔とともに我が家にやってきた「不治?Non!」三兄弟を使用可能にする過程で生み出された改造レンズである(説明調で読みにくくてすみません)。
 「後ろ髪なんかないんじゃ?」と思った貴方。
 私は河童であるから頭頂部の髪はないが、後ろ髪はあるのである。

 このレンズは鏡胴(レンズの入れ物)は「ノンプロ(仮名)」という会社のものだが、レンズは「協賛(仮名)」という会社のもので、どちらもレンズの会社としては有名ではないし、何かインパクトのある名前はないかと未だに迷い続けているのだ。

 このレンズの名前を募集します。
 などといってもこのテの呼びかけに一度も反応が来たことがないので既に諦めているが。

 それでは、これらのレンズが写した韓国をお楽しみください。

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 って、花しかないじゃないか、と思ったと思うが、実際にモニターで見てみると気に入った写真は花の写真しかなかったのだ。

 これは偏に私が今花の写真に凝っているからに他ならない。

 そして、私が何故花の写真に凝っているかというと、自分が作ったレンズの写りに酔いしれているからで、これに飽きるまではほかの素材の写真に満足することはないだろう。

 ということで韓国の庭園からアンニョンヒゲセヨ(大嘘)。

「最悪の日韓関係」の中、韓国の中枢に行く、ただし買い物旅行18-バイクの街梨泰院-(河童亜細亜紀行196)

バイク界のシーラカンスに出会う

 今回の紀行は言いたいことが多すぎてなかなか話が進まない。

 そこで、ここからは時系列ではなくテーマ別にして軽く流していきたい。

 まず、宿泊したホテルのある梨泰院はバイクの街であることについて。

 この街はバイクの本場ともいうべき米国人が多く住んでいるせいか、 通りに無造作に停めてあるバイクが「おお、ここでこれが見られるとは!」というものだったりする。

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 アンティークショップには古いタイプのバイクがよく似合う。

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 これはトレッキングタイプのバイク。たぶんメーカーは「ポンタ(仮名)」である。

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 キャブトンマフラーは旧車によく似合う。これくらいの大きさだとキックも大変ではないし、持って帰りたい一台である。

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 韓国では車もバイクも「ちょっぴりオフロード」というタイプが好まれるようだ。これにはアウトドアの好きな国民性が関係しているのかしれない。そういえば「韓国人の嘱託(仮名)」という私がよく見ているTV番組でもいつも調理は外である。食堂で食べている人もよくテラスなどで食べているし。

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 これは国籍不明のヨーロピアンタイプ。
 グリップの外に付けたバックミラーはデザイン的にはカッコいいが、転んだときはどうなるのか他人事ながら心配になる。

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 スクータータイプが意外に少ないのはやはり大きなものを好む国民性の故か。

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 業務で乗っている人もスクーターより本格的なバイクに乗っている人が多いような気がする。

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 ブレブレで何が何やら分からないが、多分ヨーロピアンタイプ。

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 おお、あれは「ローヤル・トンプソン(仮名)」ではないか。

 今も続いているバイクメーカーとしては世界最古、もともとは英国の会社なのだが、性能の良い日本車の攻勢に都落ちし、インドで生き延びたという曰くつきのバイクである。
 構造が19世紀(大袈裟。せいぜい20世紀初頭)のまんまであるため、「単車のシーラカンス」と呼ばれている(かな?知らん)。
 オリーブグリーンに塗られた軍用仕様は最も人気のあるバリエーションである。
    フィッシュテールのマフラーがまた堪らない。

信バイクに乗る

 定年になったらこれに乗って昔のように風になりに行こう。って、体重30kg増だからなあ。サスペンションすぐ駄目になるだろうなあ。


「最悪の日韓関係」の中、韓国の中枢に行く、ただし買い物旅行17-ソウル駅で見た光景-(河童亜細亜紀行194)

喧嘩してる場合じゃない

 翌日はいよいよ帰国である。

 ソウル駅で出国手続きができるというので、今回の旅ではそうすることにした。

 搭乗の3時間前には行く必要がある。
 飛行機が昼の便なので、敢えて朝飯を食べずにソウル駅に向かう。

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 預けるときに重量を見たらスーツケースだけで私が21kg、妻が18kgというとんでもない重い荷物なので、タクシーを使うことにする。
 写真は帰国後に撮った写真である。

 ところがこれがなかなか捉まらない。

 予約されているのか、どんどん私達の前を通り過ぎていく。

 すると、私達の近くでやはりタクシーを拾おうとしていたらしい人が、たまたま一台のタクシーを止めると、私達に手招きをした。中年の女性である。

 30数年前の韓国ではよくタクシーの相乗りをしていたことを思い出して、「相乗りですか?」と聞いたが、違うようだ。「貴方たちが先に乗りなさいと言っているらしい」。どうやら韓国人ではないらしく、日本人が聴いても分かる拙い韓国語である。
 お互いが拙い韓国語で、「いや、あなたが先に」「いや、あなたが」と数回譲り合った後で、有難く先に乗ることにした。

 この人は親切にもタクシーの運転手さんに「ソウル駅に行くらしいよ」「急いでね」などと言って、荷物を積み込むのまで手伝ってくれた。

 運転技師さんは私たちがドアを閉めると、「なんだろうね、あのおばちゃん。韓国人じゃないよね?」
 いやいや、私達も韓国人ではないのだが。

 思わず車内に「ニヤッ」という雰囲気が広がった。

 ソウル駅までの道のり、運転技師さんはいろいろと話しかけてきた。

 普段はこういうとき9割方分からないのだが、ゆっくり話しかけてくれたせいかほぼ半分くらいは分かった。私のできる限りの脳力で返答したのだが、どれくらい的を射た答えになっていたやら。

 ソウル駅に着いて、まず搭乗手続きと出国手続きに向かう。

 この、鉄道の駅で飛行機の手続きをする、という制度はまだ十分周知されていないらしく、ひどく人が少ない。
 しかも係員は日本語がペラペラである。最近は英語がペラペラの韓国人は増えたものの、日本語が堪能な韓国人は減少傾向にあるので、貴重な存在である。

 おかげですぐ手続きが済んだ。

 今度は朝食に向かう。

 湯(汁)が主体の店で、私はソゴギクッパ(牛肉クッパ)、妻はソルロンタン(牛肉煮込みスープ)を頼む。

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 ところが何という不運か、このソゴギクッパが昨日の朝のユッケジャンのように、地獄の如く辛い。

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 妻のソルロンタンを食べさせてもらうと、こちらは実に円やかで穏当な味である。

 これは完全な選択ミスだ。

 あるいは、私の胃腸がそろそろ大量の唐辛子に悲鳴を上げ始めていたのかもしれない。
 私はおそらく今までの韓国旅行の中で初めて料理を残した。

 私は最近韓国料理に凝っているので、自宅でもよく作る。元々の私の得意技である中華料理より最近は頻度が高いかもしれない。
 以前はユッケジャンのような辛いものは駄目だったのだが、最近はOKになった。
 それはある特効薬を見つけたからである。

 自分の作った料理がどうもコチュジャンや唐辛子粉や、「勉強の神(仮名)」の唐辛子味や、韓国ラーメンのスープやらを入れすぎて「辛い」と感じたとき、私はこの特効薬を投入する。

 それは、肥後の赤玉、じゃなかった、肥後の赤牛、じゃなかった、肥後の赤旗(食えないし)、じゃなかった、肥後の赤〇である(ますます嫌な奴だなあ)。

 これを入れると、やたらと辛くなった料理がたちまち日本人好みのマイルドな味になる。

 しかしさすがに赤〇を外国旅行で持ち歩くわけにはいかないから、本場韓国の辛味の直撃を喰らってしまったわけだ。

 朝食の後、とても変わった横断歩道を通って、通りを隔てたビルに向かう。

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 ここは韓国でも有名なオフィスビルらしく、地下は食堂街になっている。

 ただ、朝飯は食べているので地下に行ったからといって特にすることはない。もちろん私たちは韓国企業に勤めているわけではないからオフィスにはもっと用がない。

 仕方がないのでここを出てもう少し歩くと、何ともう南大門の街の端である。

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 我が家のTVの製造メーカーのビルがある。

 このメーカーのビルの足元には人工的に水が流れる庭園っぽい休憩所がある。夫婦そろって図々しくここに座って痛む足を休める。
 ソウル駅から数百メートルしか離れていないのに、まったく違う雰囲気である。

 このメーカーのTVは買った当時日本メーカーの同レベルの製品の半額程度の値段だったが、スペックは上だった。

 このTVを買ったときより10年くらい前、韓国メーカーのPCが店頭に出回ったことがあって、カタログ上のスペックに惹かれて買った人がいたが、造りの雑さに後悔していた。

 しかし、我が家のTVは周辺の日本メーカー製品が何度もトラブルを起こしているのに、5年を超えてもビクともしない。

 頑張れニッポン。
 生憎私は工学系人間ではないので、エールを送るくらいしかできない。

 何せ7年前の2012年に設置された「経済再生担当大臣」がいまだに指名され続けているのだから、日本の経済は死んだままなのだろう(皮)。「再生」とは死んだものが甦るという意味の言葉である。一体いつから死んでいるのか。いつまで死ぬのか。

 そういえば私の懐の体調も頗る悪く、10月に予定していた次回の韓国旅行を諦めたくらいなのだ(単にハイエナのように狙っていた航空券と宿代が思ったほど下がらなかっただけ)。

 経済が死んでいるのに増税をする、というのも凄い話だが。私は増税に先立つ9月30日に再生大臣が解任され、日本経済の再生が高らかに宣言されるに違いないとわくわくしながら待っていた(皮)。

 ただ、韓国経済も大丈夫か、という光景をソウル駅頭で見た。

 相当の数の定住地のない人がもう日が昇ったというのに寝ていたのだ。

 これはリーマンショックの後には日本でも見られた光景である。見ていて実に辛い。

 この光景については時期が時期なので、韓国アンチたちの格好の攻撃材料にされそうなのでよほど書くまいかと思ったのだが、都合の悪い真実に目をつぶるのは私の主義に反するので敢えて記述する。

 私は人生のほんの一時期、定住地のない人に対する支援活動をしていたことがあるから、彼らがごく単純にお金がないからそうしているわけではないことも知っている。

 しかし、世間の人が思っているような、彼らが社会からドロップアウトすることが何か必然である資質を持っているわけではないことも知っている。

 妬み嫉みの強い人たちは、偏差値の高い大学を出て大企業に勤めていた人がそうなった話を好んでする。
 私はそういう話を今までにも何回も聞いた。彼らはそれで留飲を下げているのだろう。

 だが、実際には彼らの大多数は低学歴で、雇用が不安定で、景気が悪くなったときにその不安定な雇用を失って街に出なければならなくなった人々であることは、各種の統計や研究が示している。

 だから路上で生活する人が多いということは、その国の経済に何らかの問題があることを示しているといってよい。

 それを意識しているから酷い場合には「刈り込み」が行われ、彼らは人目につかないところに追いやられたりするのだが。五輪などの国際イベントなどの前にはこうした行為が横行する。

 さすがに今の韓国の政権は現在それはしていないようだが、巷で伝えられているように景気が悪いのは事実のようだ。

 私は隣国の首脳を個人攻撃するような行為がマスコミにできるのは日韓が世界でも一番仲がいい故の甘えだと思っている。
 日韓がもっとデリケートな関係ならば、たとえば蜜月と言われる独仏であっても、こういった行為が横行すれば世論が沸騰して開戦しても不思議ではないだろう。
 実は昔ほど骨のない現代っ子記者たちは、本当は自分の国の政治に物申したいのだが、その勇気がなくて「他山の石」で警世しているのかもしれないが。つくづく父たち(韓国語でいえばウリアボジ)の世代が懐かしい。

 ただ、両国の選良たちには隣国の悪口を言っている暇があったら自国の不運な人々に目を向けてほしい。
 駅の路上で寝て居る人、もしくはそれすら許されない人。
 今回の国同士の軋轢で板挟みになって生活を脅かされている人。

 彼らは「美しい国」や「統一祖国」のためにはやむを得ない犠牲なのですか。

 そんなことを取り留めもなく考えながら座っている私であった。
 


「最悪の日韓関係」の中、韓国の中枢に行く、ただし買い物旅行16-ドンドン酒に出逢う-(河童亜細亜紀行193)

これぞドンドン酒

 ホテルに帰って1時間ほど惰眠を貪った私達夫婦である。
 この行為は最近では私たちの旅行に必須になっている。

 街中をちょっと長めに歩くと、足が棒になってくる。それどころか、足を引き摺り始め、「このまま前のめりに倒れてしまうのではないか」という気になってくる。こうなったらもう休み時である。

 しばらく座ったり休んだりして足を休めていると回復するが、今度は歩き出しで足が痛い。関節が錆びついているのではないかと思えるほどだ。「ギーコ、ギーコ」と足が軋む音がするような気がする。暫くするとやっと足全体に潤滑油が回ってスムーズに歩けるようになる。

 ホテルを出て「ダラダラ坂(日本人がこんな綽名を付けていると知ったら地元の人は怒るだろうなあ)」を歩いているうちに、やっと足が回復してきた。

 今日の夕食は「オネスト(仮名)」で見つけて印刷して持ってきたクーポンのある店に行くつもりである。10%割引クーポンだから、よほど高い店でない限りお得である。

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 クーポンのページにある地図を見てみると、大通りから一筋入った道にあるらしい。

 通りに入ってみると、むしろ大通りより賑やかだ。

 ここは日本人御用達の道より流行っている気がする。

 ところが、行けども行けども、お目当ての店が見つからない。とうとう再び大通りに出てしまった。

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 私は山の神の機嫌を伺いながらそろーりそろりと歩を進めていたのだが、この通りを逆方向に戻って半分ほど来た時、遂に恐れていたご宣託が下った。

 「もう諦めて適当な店に入ろうよ。」

 それにしても、韓国の飲食店は流行っている店と寂れている店の差が極端である。

 ある店では物凄い行列をしているかと思えば、その隣の店では閑古鳥が鳴いて店主が頬杖を突いて一人で椅子に座っていたりする。

 なかなかこれという店が見つからない。

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 「ねえ、もう一度だけ探させて。」と言い、もう一度反転しようとしたとき、おそらくここではないかという店が見つかった。

 看板には「焼肉屋」としかない。(本当はもう少し長い名前なのだが、それは添え物のように小さな字で書いてある。当然のことながらこのブログの趣旨に従いそちらはモザイクをかけさせていただいた。嫌な奴だなあ)。

 この狭い通りのさらに奥の方に入り込んだ店である。私程度の韓国語力の人間が一度で見つけられるわけがない。

 店に入って店員さんにクーポンを見せて、「このクーポンはこの店のものですか」と言うと、「ちょっと待ってください。社長に聞いてみます。」と言って社長のところに直参した。

 社長は知人らしき団体と酒宴である。韓国では珍しくない光景である。

 社長さんは私たちのところに来ると、私が差し出したクーポンを見て、一瞬「俺、こんなクーポン頼んだっけ」という表情になったが、急に思い出したらしく、「ああ、これはうちのですよ。」と言って、それを受け取って私たちを席に案内した。

 この店が本当にこのクーポンの店だったのか、それとも本当は違うのだがそれを説明するのが面倒くさいから受け取ったのか、今となっては分からないが、韓国人はこういう事態のとき、大抵の場合こちらの損にならないようにしてくれる(個人の感想です)。

 実は今回の旅行で空港からホテルの近所まで来た時、私は南大門市場で買い物をする時間を捻出したくて急いでいたので(本当は地下鉄のカードを買うのが面倒くさくて)空港鉄道のカードでホテル近くの駅まで来てしまったのだが、果たして自動改札機は警告音を発して私たちを通してくれなかった。

 仕方なく駅員さんを呼んだのだが、何せ私の韓国語であるから「何かトラブル起こった」という以上のことは通じなかったらしい。
 だが、駅員さんは、(ピー)。私達はソウル駅までの運賃しか(ピー)、本当は私たちの今回の費用はあと1500ウォンくらい高かった筈なのだ。

 私は韓国人のこういう大陸的なところが好きだ。私も面倒くさい時は少々自分が損をしても相手が少しだけ得をするような形で手打ちをするからだ。

 我が日本がどんどん世知辛く窮屈になっていく中、日本に追いつこうとしている韓国人の、あるいはこういう部分がなかなか追いつけない要因の一つなのかもしれない。またタンカーが爆発していたな。

 しかし、日常のちょっとした言動やブログの書き込みまで「善意の人々」にチェックされて電凸や炎上が一個人にも簡単に起こりうる息の詰まるような我が日本に住んでいると、私はなんだか韓国人のこの大らかさとマイペースにほっとする。

 もしかすると「こんだけ関係が悪くなってるんだから分かってるやろうな!」ともう少し上の人たちに暗に示されても韓流のイベントや韓国旅行に行く人がいるのは、私と同じように感じる人が意外に多いせいではないかという気がするのだ。

 窮屈な国はどんどん縮む。
 「水清ければ魚棲まず。」
 「美しい国」には誰が住むのだろう。

 考えてみれば自分の父たちの時代の日本人の何と大らかだったことか。これには「戦争で死に損なった」「あんな酷い目にあった俺たちに戦争も知らない若造が何か言ったらただじゃすませない」という要素が大きかったのかもしれないが。彼らは「余生」を生きていたから寛大だったのかもしれない。

 閑話休題(きこうぶんだということをついついわすれてじぶんのいけんにいれこんでしまうのもまさににほんじんてきなのだろう)。

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 おお、一人17000ウォンでこの肉の量は凄い。
 ただ、私達老夫婦で食べてしまえるのだろうか。考えてみれば昨日も焼肉だったのだ。

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 鋏が大きいので肉の量が少なく見えた人がいるかもしれないのでこちらの写真をどうぞ。

 ただし、店員さんは肉の皿はまたも座っていない椅子に置いた。
 これぞ民族の違いというものだろう。どうにかテーブルの上を片付けてスペースを作ってそこに置いたのは他ならぬ客の私達夫婦である。

 驚いたことに、肉も、ナムルも、キムチも、1時間ほどでペロッとなくなってしまった。
 私達夫婦のどこにそんな食欲が残っていたのだろう。

 それよのも何よりも感動したのは、マッコリである。

 私はこのマッコリを昔風のアルミの器に注いだ時、あっ、と思った。

 注がれたマッコリの表面に、発酵しても溶けきれなかった米粒が浮いていたのだ。

 これは私が人生で初めてマッコリを飲んだとき、それを見てギョッとしたものでもある。なんだか蠅の幼虫のようだ、と思ったのが最初の印象だったのだ。

 だが、これが「本当に美味しいマッコリ」の証であることを、私は最初にマッコリを飲んだ時に知った。

 あれは同窓生であるA君の家での出来事だった。

 どういう経緯かA君の家に呼ばれた私は、そこでこの、彼の祖父が心を込めて醸したマッコリを飲んだのだった。
 それは韓国では昔ながらの製法によって米で作るいわゆる「ドンドン酒」が国策によって廃れてしまってまだ復活していなかった時代だと思う。

 急に思い出したのだが、あれは在日韓国人であるA君が、おそらく日本で初めて、本名で、誰でも知っているような大企業に就職を決めたお祝いだったのではないかと思うのだ。

 当時は今は政治学者として活躍中で私も尊敬している若き日のB先生が外国人登録証に指紋押捺拒否をしたというニュースが世を賑わしていた。

 しかし、新聞に載ることもなかったA君の地味で地道な頑張りの成果が、実は歴史を変える出来事だったのだと今になって想う。

 先祖から受け継いだ苗字と、両親に「幸せになってほしい」という気持ちで贈られた名前を持ったまま、努力して幸せになる。日本人にとっては当たり前のことだ。

 だが、韓国人全てにそれが許されなかった時代があった。それについては尹東柱という詩人の「星を数える夜」という詩を読んでほしい。日本人には意外に私の「誤訳」が一番しっくり来るかもしれない。

 閑話休題(またきこうぶんでなくなってきたのでむりやりはなしをもどす)。

 このマッコリは、あのとき飲んだ「あのマッコリ」に似ている。

 私はこれをもう1本飲んで飲み干した。というか、妻も珍しく私に負けないくらい飲んでいる。明日大丈夫か。

 宴が終わって勘定するとき、私は躊躇なく「これ、テイクアウトできませんか。」と店員さんに聞いた。
 また店員さんが社長のところに行き(まだ知人と飲んでいた)、戻ってきて「OKです。」と言った。
 現地で買うマッコリとしては結構高かったが、それだけの価値は間違いなくある。
 本当は2本頼んでお金も払ったのだが、「もう1本しか残ってないから」と言われ、1本分の勘定は返してくれた。

 全体の勘定は、「あ、忘れとった」という感じで、1割引きでまた返金があった。

 やはりこの店がクーポンの店だったのか、あるいは、「この店だ」と社長が言ったから同じだけ割引してくれたのか、よく分からないが、とにかくリーズナブルな値段だったし、思い出のマッコリを彷彿とさせるようなドンドン酒にも巡り合うことが出来た。

 いうことなしの一夜であった。

「最悪の日韓関係」の中、韓国の中枢に行く、ただし買い物旅行15-唐辛子粉を買おうとして妄想が湧く-(河童亜細亜紀行192)

唐辛子粉ゲット


 地下鉄4号線に乗って、ソウル駅に到着。

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 こちらは旧駅舎。
 赤レンガ造りの、昔の東亜スタンダード、という感じの 建物である。

 何となく東京駅に似ているので、妻に「辰野金吾が設計したんじゃないかな」と知ったかぶりの嘘を言ってしまった。
 あまりいらんことをいうと旧韓国国立博物館の建物のように取り壊されてしまうかもしれないので、この話はこれくらいにする。

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 1987年に私が渡韓した証拠として唯一残っているのはこの国立博物館の前で私が座りながら写真を撮っているところを一緒に渡韓したA君が撮った写真だけなのだ。

 久しぶりにこの写真を見つけてブログに載せたときはなぜ自分が背広を着ているのか理解できなかったのだが、今回の一連のシリーズを書いていて思い出した。

 私は仕事で渡韓している日本人サラリーマンを装いたかったのだ。
 これは自分の当時の考え方や行動に自信がなかったからだ。要は、当時の軍人政権に捕まってスパイにでっち上げられることを恐れていたのだろう。

 今から思えば在日韓国人には確かにそういう人がいた。

 しかし日本人の私の持っていた惧れは、私より一世代旧い父たちの抱いていた偏見と何も変わらない。

 自分にがっかりである。

 閑話休題(まあいい、わたしにとってじんせいはじぶんにしつぼうすることのれんぞくだからだ)。

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 こちらが新駅舎である。

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 長いエスカレーターを登っていく。

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 「寄ってモール(仮名)」の前である。ほとんど広場だ。

 ここでもリュックが重すぎて足が地面にめり込んでしまうほど買い物をした。

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 考えてみれば「寄って」で買ったものはそれだけで写真を撮るのを忘れていたので、このスーツケースにぎっしり入っているものはその一部である。

 「寄って」では妻のお土産の参鶏湯セットと唐辛子粉が主な買い物だったのだが、このうち唐辛子粉を買うのが一苦労だった。

唐辛子ついに来日

 以前ソウルで乾燥唐辛子を買うのに苦労したことはあったが、唐辛子粉はどこにでも売っている食品である。なぜそんなことになったのか。

 「寄って」に入るや否や、私は得意(?)の韓国語を駆使して店員さんに聞きまくり、妻の欲しがっていた商品をあっという間に揃えてしまった。あとは唐辛子だけである。

 唐辛子粉は日本でも普通に売っているから、簡単に見つかるだろう。

 まず私は自力で探すことにした。
 小麦粉やらホットックの粉やらを売っている列を探すのだが、ない。
 調味料を売っている列を探すのだが、ない。
 遂にはレトルトや油を売っている列も探したのだが、やはり、ない。

 仕方がないので店員さんに聞くと、「あっちの列にありますよ」と教えてくれた。なんだ、さっき見た列である。ない。
 また5列くらい見て回るのだが、ない。
 2番目の店員さんに聞く。また、「あっちの列にありますよ」と指さすのだが、やはり同じ方向である。そっちはさっき見たんだって。行くと、やはりない。
 3番目の店員さん。同じことの繰り返し。
 4番目の店員さん。同じ。
 いい加減その辺にいる店員さんには全員に声を掛けてしまった。私達がウロウロしているので、変な顔をして見ている。

 もとかするとこの人たちは今回の日本の行動に憤りを感じていて、わざと唐辛子粉の場所を教えないのではないか、そんな妄想が湧き始めていた。

 また声を掛けようとする。あ、この人はさっき声を掛けた人だ。

 もう一巡して、「この人は間違いなく声を掛けていない」という人に「唐辛子粉はどこですか」と聞く。

 この間私は、自分の韓国語がまずいのだと思って、唐辛子粉の韓国語「コチュカル」の「コ」を発音するときにより唇を丸めて「ク」に近くしてみたり、「カ」を発音するとき唾が飛沫になるほど強く呼気を出して見たりしていたのだが、もう元の発音に戻してみた。こうなりゃ自棄じゃ。

 するとこの人は初めて今までの店員さんと違う行動をした。
 「ああっ、もう!」という感じで私の手を取らんばかりにある列に連れて行ったのだ。それは私達が最初に探した小麦粉の列だった。

 「ほら、ここ!」と指さした先には唐辛子粉が。
 単に私達がそれを見逃していただけだったのだ。

 アホ丸出しである。

 私が途中で諦めていたら、私は唐辛子粉が見つからなかった悔しさで「反日の意気燃えるソウル」などという印象を持ったかもしれない。って、持つはずないだろ。

 皆の衆(またかよ)。

 言葉が不自由というのは偏見や妄想の元である。
 観光客には優しくしよう。

 何はともあれ我が家の山の神の土産は全て揃い、ご機嫌になったのだった。

 後はこの旅行を楽しく終えることができるかどうか、最大のイベント、本日の夕食である。

 私たちは再びホテル近くの梨泰院繁華街に向かう。

「最悪の日韓関係」の中、韓国の中枢に行く、ただし買い物旅行14-日本人だらけの明洞で冷麺を食す-(河童亜細亜紀行191)

冷麺の美味しいプルコギ屋

 南大門と明洞は隣の街である。

 地図を見れば当たり前なのだが、実際に歩いて移動するとこれが意外に近くて驚く。
 考えてみれば地下鉄で1駅なのだ。

 A社長と有意義な話をした私たちは、そろそろ昼飯時になっていることに気付いた。随分喋っていたものだ。

 韓国人と込み入った話をするときにはいつも日本語である。

 既に何度か書いたが人間は外国語を話す時には文法や語彙の処理に脳機能が使用されて、思考力が母国語で話す時の8割ほどになる。「外国語効果」という。

 したがって私たちは脳をフル回転させている相手と込み入った話をしているわけではないのだ。
 日本人と韓国人が日本語で話をする、というのはそういうことだ。相手の日本語が苦手であればあるほどそういう状態になる。

 歴史的な経緯で韓国人たちは日本人と日本語で会話せざるを得ない時代が長く続いた。

 私は私たちの世代より上の日本人が韓国人をどこか自分たちより下に見ている背景にはこの言語の問題が横たわっているのではないかと思っている。この話については一度した。
河童ソウル徘徊旅行2-日本の好きな韓国人と出会う-(河童亜細亜紀行36)

 にも関わらず、たとえば娘の恩人のBさんや、このA社長と話をすると、日本語を話していても相手の方が頭がいいのではないかと思えてくる。つまり韓国語で思考しているときにはこちらより随分優秀な頭脳ということだ。

 Bさんは韓国でもトップクラスの会社の関係者だから当然としても、A社長は市井の商人である。
 英語も日本語もペラペラで、社会や経済についての見識もしっかりしているこういう人が店先に座っている、というのが南大門市場の奥深いところだろう。

 さて、昼飯は以前来た時に冷麺の美味かったあの店で、と思うのだが、辿り着けるのだろうか。
 と思っていたら、またも強烈なデジャヴに襲われ、妻を引きずるようにして入った通りに果たしてその店があった。わしゃまだまだ大丈夫じゃ!(だからそういうところが症状なんだって)。

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 冷麺とパジョン(チヂミ)を頼んだら、パジョンが先に出てきた。
 韓国ではチヂミのことをチヂミとは呼ばない。これは日本語の中に残った韓国の古語であるらしい。そう考えれば貴重な言葉だ。

 それにしても日本語の中の韓国語由来の言葉も昔と比べて飛躍的に増えた。ビビンパやナムルなど、比較的古いものから、タッカルビ、ハットクなど新しいものまで。

 日本語は実にウェルカムな言葉であって、カタカナさえ使えばどこの国の言葉でもどんどん取り入れることができる。
 実は「ウェルカムな」という語もたった今私が作った言葉なのだが、ある程度の教育のある人だったら簡単に意を取ることができるだろう。
 もっとも、私が調べるのが面倒でちゃんと見ていないだけで既に誰かが使っているかもしれないが。「アイディアをパクられた」などと言って会社に火を点けて何十人も殺してしまうような輩がいる時代だから気を付けないとのう。

 人間は似たようなことを思いつくので、そのアイディアが自分だけのもの、ということはまずない。言葉や言い回しも誰が作ったというのでもなくいつの間にか広がっていくものだ。

 そして長く使われる語彙は、人々の間に不快な印象を広げなかったからこそ存続してきたわけで、突然「これは〇〇由来の言葉だから怪しからん」などと言いだすのは言語のそうした性質を知らない人の台詞である。

 ただし、差別語は別である。その言葉が弱い立場の人を傷つけることが分かっていて使い続けるのは人として道に外れている。

 ただ、韓国で間歇的に起こる「日本由来の言葉を使わないようにしよう」という運動に、私は戦時中の英語排撃で「ストライク」→「よし、1本」というような野球用語の改変を皆が大真面目にやっていたという話を知った時と同じような滑稽さを感じてしまう。「ストライク」が誰も傷つけないように、「オデン」も誰をも傷つけなかったから多くの人が普通に使い続けてきたのだろう。

 「オムク」などという味もそっけもない言葉を使わずにこれからも「オデン」という言葉を使っていってほしいものだ。

 今回言いたいことが多すぎてなかなか先に進まないな。

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 冷麺登場。

 店員さんが一緒に持ってきた鋏で麺を切ってから食べ始める。
 最近嚥下機能の関係で冷麺が喉に引っかかり始めた私達にはこの韓国の風習はとても有り難い。言語聴覚士が冷麺で窒息したなんて洒落にならんからのう。

 やはりここの冷麺は美味しい。

 パジョンと冷麺に舌鼓を打ちながら周囲を見回すと、皆プルコギを食べている。

 最初に入った時に冷麺を食べて美味かったから私たちはこの店を「冷麺の美味しい店」として認識しているのだが、実はプルコギの店だったのだ。
 プルコギがメインで、パジョンや冷麺はサイドメニューなのだろう。

 ただ、皆の食べているプルコギを見ると、私の好きな「ソウル風」ではない。ソウルのプルコギ屋なのにソウル風でない、というのも変な話だが、結構濃厚そうなタレである。

 他人の食べているものの写真を撮るわけにもいかないから写真はないが、今度明洞に来た時も私たちはやはりこの店で冷麺を食べるだろう。
 そのうちに「お客さん、うちはプルコギ屋なんで、一度プルコギ食べてみてくださいよ。」と言われそうである。

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 明洞は相変わらずの雑踏である。
 そして聞こえてくるのは日本女性の韓国女性より少し高い声だ。
 しゃべらないと本当に見分けがつかない。

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 しばらく歩くと、おやおや、これは懐かしの韓国貨幣金融博物館ではないか。前回の旅の目的はここだったのだ。

 妻に向かって「また入ろ…」と言いかけたがやめた。妻はこれから「寄ってモール(仮名)」に行く腹積もりなのだ。今回の旅は妻に計画の全てを委ねているのだった。

 「寄ってモール」は明洞にもあるのだが、「オネスト(仮名)」で見てみると、ここからだと歩くしかない。私はいつものような膝が痛くなってきているし、妻はいつものように股関節が痛くなってきている。タクシーはこの距離では行ってくれないだろう。

 ソウル駅にも「寄ってモール」があることが分かった。よし、こちらだったら会賢(フェヒョン)の駅から地下鉄で行ける。

 私たちはソウル駅に向かったのだった。

「最悪の日韓関係」の中、韓国の中枢に行く、ただし買い物旅行13-南大門で韓国人の本音を聞く-(河童亜細亜紀行190)

これが南大門でなくて南大門

 地下鉄を乗り継ぎ、南大門市場に着いた私達夫婦である。

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 まだ10時くらいだというのに相変わらずの賑わいである。

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 私は35年くらい前にこの市場で客引きに拉致されたことがあって、どうもこの街が好きになれなかったのだが、前々回の渡韓あたりから何だか好きになってきた。

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 ここで本当に恥ずかしい告白をしなければならない。

 私たち夫婦が南大門の大通りを通ってこの門の前に来た時、私は妻にある質問をしそうになった。もし私が急に悟ってこの質問を口から出さないままにモゴモゴと噛み潰してしまわなかったとしたら、私は妻から日本に強制送還されたかもしれない。

 その質問とは、「この門って、なんの門?」というものである。

 私はこの門の名を冠した市場に何回も来ていながら、南大門を見たことがなかったのだ。
 当たり前の話だが南大門の周辺に広がる市場だから南大門市場なのだ。こぎゃんありますもんなー(「この人はこういう人だからねー」という熊本弁の皮肉)。

 お目当てのものを買いにA社長の店に行く。

 この店には3年ほど前から行き始めた。

 A社長は私たちの姿を見つけると、すぐに私たちを店内に招き入れ、すばやく店の扉を閉めた。これはこの3年間繰り返されるいつもの行動である。

 A社長に迷惑を掛けたくないので、具体的にどこの店か、とか、何の店か、などという話はしない。韓国通で「あ!」と思った人も、その考えは胸の中に留めておいてほしい。

 A社長は私達と話す時商品の宣伝はほとんどせず、韓国についての有益な情報をいろいろ教えてくれるので、私達は今回の事態についてこの人がどう考えているか知りたく、この店を訪ねることは今回の旅行の主要な目的の一つだったのだ。

 話の内容についてはここで詳しく明かすことはできない。
 本当はA社長の言葉の一つ一つについて、韓国人はこう考えているのだ、ということを日本人に明らかにしたかったのだが。

 よく考えてみたら、一個人がそうした責務を負わなければならない道理はどこにもない。

 ただ、私たちは随分いろいろな話をしたが、全体を貫いていることは、「このままではお互いが損をする」ということだった。

 ここから先の話はA社長が直接言葉にしたものではなく、あくまで私の主観であり、反論のある人は私に対してそうしてほしい。
 
 やはり貿易に関する問題については「友達だと思っていたのに裏切られた」という感情を持っているようだった。これはA社長のように日本人の友人を持ち、日本にも何度も来たことのある人に特有の感情なのかもしれないが。

 東亜には遠くから日本を見ていて憧れているというレベルの「日本が好き」ではなく、実際に日本人と接して日本にも来て「日本が好き」という人がたくさんいる。私は日本と日本人にはそうした魅力があると信じている日本人である。

 彼らは東亜を脱したいと願う日本人たちが世界のどこかに探し求めている幻の親日国(バーチャル)の住民と違い、本当に存在する人たち(リアル)だ。
 彼らは日本にこうなってほしいという願望があるし、日本の現実についても詳しいから時には日本に対して辛辣になる。
 そしておそらく韓国には世界で一番多くのリアル「日本が好き」という人が住んでいる。

 A社長が私達と話す時には店の扉を閉めるように、あるいはそれが公には口にしにくい雰囲気が社会にはあるのかもしれないが。

 (日本の報道を信じるとして)不買運動の主体が若い韓国人たちであるということは、これらの人たちが今回の事態に憤りを感じているということだ。おそらく感情的なキーワードは「友達だと思っていたのに裏切られた」だろう。 

 日韓は訣別しても自力でやっていく力をお互いが持っているのかもしれない。

 しかし、今回の事態がお互いの国の若者たちの心に不信感を植え付けてしまうとしたら、それは日韓両国や東亜という地域にとってだけでなく、世界にとっての損失である(お、大きく出たな)。

 日韓は独仏のようになぜ仲良くできないのか、という人もいるが、間違いなく日韓の方が仲がいい。お互いが気付いていないだけだ。

 と、言い放った後、本当にそうだっけ、と思って、日韓と独仏の結婚する人の割合を調べようとしたのだが、驚いたことに独逸人と仏蘭西人カップルの統計をネットで得られない。「日本人女性の国際結婚の際に気を付けること」という類のものしかヒットしない。「ドイツ人とフランス人の結婚 統計」というキーワードを入れているにも関わらず、だ。

 「グルグル先生(妻の新造語)」の検索は以前より一段とおかしくなっていないか。
 いろいろとキーワードを変えて検索しても、同じものばかり出てくる。
 中国から撤退したのはそうした状況を潔しとしなかったからではないのか。猛省をお願いしたい(あんた、本当に、何様だ)。

 閑話休題(さすがにもうそうははなしがそれやすい)。

 世界は「武士道の国」と「東方礼儀之国」がどうやって不幸な過去を乗り越えていくのか、固唾を飲んで注視している。人もいる。大多数は勝手にやってくれだろうが。
 「グローバル」などという言葉を持ち出さなくても、東亜には「四海」という言葉がある。
 「武士道とは不意打ちと見つけたり」「礼儀之不買運動也」では情けない。

 少なくとも、お互いを好きになって懸け橋になって頑張ってきた庶民が軋轢の中で擂り潰されそうになっているのに、それを是認するようなことは、「武士道」でも「礼儀」でもあるまい。

 表題と中身が一致していないことをお詫びします。

 A社長の店を出た私たちは明洞に向かう。
 

「最悪の日韓関係」の中、韓国の中枢に行く、ただし買い物旅行12-コンビニキンパに日韓難題解決のカギを見つける-(河童亜細亜紀行189)

遂に見つけた

 翌日の朝はホテルの近所に美味しい粥を食べさせる店があるというので、「オネスト(仮名)」を頼りに行ってみた。

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 アンティークの店が並ぶ通りである。

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 だが、秋夕(チュソク:韓国のお盆)に連なる日曜日の朝から開けている奇特な店がそうそうあるわけはないのであった。

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 コンビニは開いていたのでホテルで朝食を食べることにし、私はユッケジャン(牛の唐辛子スープ)、妻はプゴク(鱈のスープ)を買う。どういう訳かユッケジャンの方がずっと安い。同じ会社なのにどういうことか。

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 さらにビビンパ味のおにぎりと2色キンパを買う。

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 それからヨーグルトとブラックポリ茶。

 私はこの3年くらい毎朝ヨーグルト(主に妻の作ってくれるカスピ海ヨーグルト)を食べ続けている。そのおかげなのか何なのか、薬ではどうしても下がらなかった血圧が正常範囲に収まるようになった。この習慣は外国の旅でも当然継続である。

 ポリ茶は麦茶である。
 この麦茶は論山の弥勒菩薩に逢いに行ったときに乗ったKTXの駅の売店で買って以来ファンになり、一度は日本でも通販でまとめ買いしたこともある逸品である。
 久しぶりに飲んだのだが、やはり美味い。

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 ところが、安い方のユッケジャンが地獄のように辛い。妻のプゴクを味見させてもらうとこちらは極穏当な味である。少々高くてもこちらにすればよかった。ヒーヒー言いながら何とか平らげたが、妻は「大丈夫? 後で燃える〇門になっても知らんよ。」と心配している。

 案の定、ホテルに居るうちに下行結腸を駆け降りるマグマの第一陣が到着した。

 私たちの泊まるホテルは昔からあるホテルで設備サービス共によいのだが、いかんせん旧いホテルのためトイレに「ウォッス! レッツ! (仮名)」が付いていない。これが数回繰り返されれば私の水戸方面道路はたちまち舗装が剥げた凸凹道になるに違いない。

考える河童

 またも「トイレを探す韓国旅」が始まってしまった。
 何回同じことを繰り返せば懲りるのだろうか。我ながら情けない。

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 しかしこの2色キンパは優れものである。

 私は以前からキンパ1本は2人前にしても多い、と思っていたのだが、同じように考える韓国人が多くいるということだ。

 日韓間の懸案も、意外に直接話してみたら「あんたも同じように考えてたのか!」というようなことが多いのかもしれない(海苔巻き一つで大袈裟な)。

 同じもので1本揃えたら多すぎる、というものは、2つのものをまとめて1本、としてしまえばみんなが納得するものができるのかもしれない。

 世の中同じもので1本揃えたがる人が多い。そうすると自分のアイディアを排除された人が怒る。しかも同じものが多すぎて余って無駄になる。情況の変化に弱い。

 日韓は異民族なのに顔が同じのうえに考え方も極似しているから、「俺んところの考え方で揃えれば合理的なのに」とつい思ってしまう。自分の考え方に揃えない相手が馬鹿に見える。

 「揃えずに合わせる」、異民族同士のお付き合いはこれが大事ではなかろうか。

 なんか今すごくいいことを言っているような気もするが、単なる詭弁という気もする。

 トイレに若干不安が残るものの、腹ごしらえもできた。いよいよこの旅行のメイン、南大門行きである。

「最悪の日韓関係」の中、韓国の中枢に行く、ただし買い物旅行11-カードが使えない!-(河童亜細亜紀行188)

カード社会のはずが

 「韓国代走(仮名)」で楽しくお買い物をした私たちは、一旦ホテルに帰って獲物を置くと、再度夕方の梨泰院に繰り出した。

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 生憎の雨だが、梨泰院には雨がよく似合う。何でか知らんけど。
 「ああああー梨泰院は今日も雨だった」というクールファイブの歌が急に頭に浮かぶ。

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 どういう訳かカップルが異常に多い。

 韓国の歓楽街では私の棲む九州と同じく割と同性同士の集団が多いのだが、この街の「カップル率」は群を抜いている。
 何だか同性同士の二人組までカップルに見えてくるほどだ。

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 ずーっと地下鉄梨泰院駅近くまで歩いて、そこからホテルに直通している路地に入っていく。ここが前回来たときに美味しい店が並んでいた通りだ。
 3秒前のことすら忘れるようになったのに、6年前のあの日のことは鮮明に覚えているのは不思議なことだ(あのね、それって時間的勾配っていって、前向き健忘の典型的な症状ね)。

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 まだ6時くらいなのにもう日が落ちてきた。
 以前栃木に行ったときに日暮れが早いのに驚いたが、ここはさらに緯度が高いのだ。

 本当は別の店に入りたかったのだが、行列していたので止めた。さすがに1日に3回の行列は嫌だ。

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 まずはビールを頼む。
 愛国者である私は本当は日本のビールを頼みたかったのだが、「ユウヒ(仮名)イッソヨ(ありますか)?」「カッポレ(仮名)イッソヨ?」「カントリ(仮名)イッソヨ?」という私の問いも虚しく、「オプソヨ(ありません)」という返事が返ってきたのだ(大嘘。せっかく韓国に来ているのだから韓国のビールを飲みたかった私は自ら「キャス(仮名)ジュセヨ(ください)。」と叫んだのだった)。

 メニューを見ると、カルビやサムギョプサルなど、日本でもお馴染みの焼肉に混じって、モクサルという品目があった。メニューには日本語が併記されていて、「豚の首肉」と書いてある。
 カルビやサムギョプサルは日本でも食べられるから、これを頼まなければ。

 店のアガシ(お嬢さん)を呼んで、「モクサルジュセヨ」と言うと、怪訝な顔をして、韓国語で、「これはムニャムニャですよ(よく聞き取れなかった。断じて私の韓国語が拙いのではなく、この店は客が一杯でその騒音で聞き取れなかったのだ!)。
 こういう時の私の答えは一つである。「ケンチャナヨ(構いません)」しかない。

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 来たのはこんな肉だった。椅子に置いてあるのはテーブルが一杯になったので止むを得ず私たちがそうしたのだ。ではなく、アガシがそうしたのである。たしかにテーブルはいやしい私達が目いっぱい取ってきたセルフサービスの付け合わせで一杯だったのだが、このあたりの感覚の違いが世界で一番似ている私達やまととからの微妙な違いなのだろう。

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 ビールを飲んでしまったのでマッコリに変える。
 やはり本場で飲むマッコリは美味い。なぜこんなに味が違うのだろう。

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 そろそろモクサルが焼けてきたので鋏で切って食べ始める。

 ほう?!
 素人だったら見逃すだろうが、これはまた歯応えと噛めば噛むほどジワッと滲み出てくる旨味が堪らない。豚肉1枚が15000ウォンは少し割高かなと思ったが、納得の逸品である。

 しかし私は、さっきから隣のテーブルに気を取られていた。

 どう考えてもこの店の店員としか思えないエプロンをした男性の二人組が、隣のテーブルで飯を食べ始めたのだ。この辺りも日本人と感覚が違うのだが、私にはむしろ好ましい。
 というのは、彼らの食べているものを見ていると、この店のお勧めが本音の部分で分かるからだ。

 日本でも「店のまかない」などといって店員の食べているものがメニューとして登場したりするが、どうも宣伝臭がして私は好きになれない。「本当にこんな凝ったもの賄いで食べてるんかよ」と、料理屋でのバイト経験の方が本職よりよほど身に付いている私は思ってしまうのだ。

 かれらはタレに付けられた牛肉らしき肉を美味そうにパクパク食べながら談笑している。
 よく見ると私たちの後ろの席の、何だか上流階級っぽい、いかにもインテリという感じのオルシン(ご老体)を囲んだ一団も同じメニューを食べていて、両側から匂ってくるタレの焦げる匂いとそれに付けられた肉の焼ける匂いが鼻をくすぐるのだ。

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 堪らず頼んだのが「ヤンニョムカルビ(タレ漬けカルビ)」である。

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 これを頼んだら、鉄板から網に替わった。ご覧の通り炭火焼きである。

 私は吝嗇であるから旅に出たからといってその土地の名物に高い金を出したりはしない(「旅行は消費である」なんて言ってたのは誰じゃい)。

 だから韓国に行ったからといって、「韓牛」を食べたことはない。
 だが、このカルビはおそらく韓牛だったと思う。
 私には馴染みのある、肥後の赤牛と味が似ていたからだ。といっても、私は赤牛も人生で数回しか食べたことがないが。

 私の牛肉生活は「米牛」と「豪牛」を欠いては成立しない(昨日「事大」がどうとか言ってなかったか、この河童は)。

 韓国通の人には「韓牛はコスパが悪い」という人もいるが、1人前15000ウォンでこの味ならば十分値段に見合っていると感じた。今でも舌の上に快感が残っているような気がする。

 気をよくした私は、勘定のとき韓国では初めての行為をやってみた。
 それはクレジットカードでの決済である。

 「カードOKですか?」と韓国語で言うと、OKだということなので、店員さんにカードを手渡す。店員さんがレジにカードを通して、支払い終わり、と思ったら、「済みません、このカードは使えません。別のカードはありませんか。」
 おやおや。オンライン決済大国の韓国でも使えないカードがあるのか。

 もう一つのカードを渡す。今度は大丈夫だろう。
 また駄目。

 財布にはもう一つカードがあるが、同じ会社のものなので、おそらく駄目だろう。

 冷汗が腋の下をツツーッと流れる。
 
 仕方がないので、万一のために両替しておいた現金で払う。

 よく見ると、レジのところに貼ってあるカード会社のシールは2種類である。
 「韓国はカード社会」といっても、どのカードでもOKという訳ではないようだった。

 意外なことに、店のウインドウなどに貼ってあるシールの会社は、「日本限定」と思っていたあの会社が多いのだった。我が祖国に栄えあれ。

 今回の旅行は基本的に払いは全部カードで、と思っていたので現金の両替は最小限に止めるつもりだったが、その後も意外に現金が必要な場面が多く、「万一」の現金はどんどん減っていって2回追加の両替をする必要があったのだった。

 皆の衆(村の長老調で)。
 外国では隣国といえども万一の備えを怠ってはならぬ。私達の先達がそうしたように、靴の底やらパンツの中やらに聖徳太子を潜ませておくのじゃ(聖徳太子なんて言っても分からないだろうな)。

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 いい機嫌になってホテルに帰り、「代走」で買った「美味しいっちゃあ美味しいよな」というお菓子を摘まみながら、隣国での1日目は更けていくのであった。


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