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以下の文章は10年ほど前に大学時代の友人が本を出版した時にレビューとして書いたものである。
私がアマゾネス(仮名)の会員でなくなったために現在は削除されている。
随分気合を入れて書いた文章なので「勿体ない」精神でここに再掲する。
大いなる期待とともに読み始めたこの本だが、第1章、小学校時代によく読んでいた趣味の入門書を思い出した。これらの書物の第1章はカメラであればカメラの、釣りであれば釣りの、原初の歴史から説き起こし、筆者の古今東西に渉猟する蘊蓄が披露され、本を紐解く読者が決して使用することのないであろうピンホールカメラや湘南リールや、読者が決して一緒に趣味を楽しむことはないであろうカメラや釣りの好きだった有名人に関するエピソード等々が延々と続くのであった。
この本もまた大気からアンモニアを精製するのに成功した独逸のハーバー博士に始まり、農業には素人の私にはまったく初めて目にする有機農法の先人たちの業績が次々と羅列されて延々と続き、危うく大口を開けて意識を失うところだった。
この本もまた大気からアンモニアを精製するのに成功した独逸のハーバー博士に始まり、農業には素人の私にはまったく初めて目にする有機農法の先人たちの業績が次々と羅列されて延々と続き、危うく大口を開けて意識を失うところだった。
ところが第2章からは俄然面白くなる。
この章以降は筆者の米国における有機農業の見聞録が訪れた5つの農場について綴られているのだ。
これは私たちのような農業以外の仕事に従事している者にとって、あるいはこれから農業をしようとしている人にとって、あるいは既に農業に従事していて有機農法を試してみようと思っている者にとって、実に貴重な体験の記録ではないだろうか。
第2章は日本でも多くの有機農家がこうした形態で行っているだろうと思われる小規模な家族経営の農場の見聞録である。
米国でも有機農場の90%以上がこうした経営形態だという。
この記録は筆者が実際にボランティアとしてこの農場で働いてみた体験談にもなっているから、実に興味深い。
筆者が苦も無く農作業をこなし、それどころか草取りが徹底していると農場主に感心されるところなど、日本人の面目躍如である。
私は若いころ千葉の農家にボランティアで農作業に行ったことがあるが、畑の保温のビニールを剥がす作業がきつすぎて一日で降参したことがあるから、体当たりで米国の有機農法を学ぼうとする筆者の姿勢には頭が下がるばかりだ。
ところで、米国の多くの有機農家には、ボランティアで農作業を行いながら有機農業のノウハウを学ぶWWOOFという制度により国内外の志を持った人々が集い、それらの人々によって支えられている側面もある。
これがどんなものか、この章を読むとよく分かった。
ボランティアには有機農業の志願者だけでなく、楽しみや生きがいとしてのとしての農作業を期待する人々も集まっているようだ。
第3章は打って変わって、いかにも米国らしい有機農場の紹介である。
私たち日本人は有機農法というと近代農法に疑問を抱く反資本主義(反近代主義)で理論武装した頑固者が同志である家族とやっていて、やはり同志である契約者やボランティアに支援されている農家を思い浮かべてしまう。
これには『冬子の酒』(仮名)などの漫画の影響が強いのかもしれないが。
ところがこの農場は20,000haの規模を持ち、年間580,000,000ドルを売り上げる超巨大農場であり、中南米からの農業労働者が賃金労働をしている文字通りの資本主義的農業を実践している。
私は「有機農法」と「大規模」が頭の中でどうしても結びつかず、この農場が本当に有機農法を行っているということ自体が半信半疑だったのだが、本書の記述を見る限り、さまざまな工夫によってそれを実現しているようだ。
農場長へのインタビューによれば、収量も近代農法と「ほとんど変わらない」という。
現状の日本から考えると俄かには信じがたいこの資本主義的農業の見聞録もまた実に興味深かった。
第4章は地元で加工して世界中に直販している有機のブドウ農家の見聞録である。
米国の商業というと、コマーシャルと切っても切れない関係にあると考えがちだが、この農家が世界に販路を広げるに当たって特別な宣伝は何もしていないという。
口コミによって遠く日本までこの農家のレーズンがやってくるようになり、筆者も家でパンを焼くのにこのレーズンを使っていて、この農家を訪ねるにあたっての動機の一つとなったようだ。
この嘘のようなサクセスストーリーは1990年代に始まったことに注目したい。
この時期はちょうどPCが素人にも扱えるようになり、ネットワークが世界に広がっていく時期と重なっている。
「本物を作っていればいずれ口コミで良さが広がる」という、小規模な生産者を勇気づけ、未来に希望を持たせる実例である。
第5章と第6章は日本ではほとんど不可能だと見做されている2つの有機酪農家の見聞録である。
実際、この2つの農家に関する記述を読んでも、牧草の栽培と放牧を可能にする広大な土地あってこそ、という感想を持った。
おそらく飼料を海外産のものに頼る限り、日本で有機酪農が拡大していくことはないであろう。
ただし、一頃流行った「牛乳悪玉論」にも表れているように、酪農製品に対する消費者の目は他の農産物に対するのと同様どんどんシビアになっていっているし、個人的な賛否は別にして既に参加国の合意がなされたTPP(環太平洋経済協定)が発効すればこうした米国産の有機酪農製品も比較的安価に輸入されるようになるわけだから、日本の酪農家はこうした農家との競争も視野に入れて将来を考えなければならないのではないか。
第6章の農家ではこれまた日本では不可能と見做されている有機リンゴも栽培しているようだ。
このリンゴが山積みになった写真を見たとき、私はなぜ日本では有機農法がなかなか普及しないのかわかったような気がした。
はっきり言って見てくれが悪いのである。
私は柑橘類の産地である熊本県に住んでいて、見てくれが悪くて二束三文で売られているそれらの堪らない美味さをよく知っているから、かえってこういうリンゴの方が食欲をそそるのだが、おそらく日本の消費者は有機農業の「同志諸君」でない限りこうしたリンゴを買わないだろう。
全体を通して、この力作は有機農法というものに対する旧来の日本人の偏見を米国発情報という形で打ち破ってくれるものではないかと思う。
なにより体験談・見聞録として面白い。
特に第2章では筆者が実際に農作業をしているので説得力がある。どうせならばすべての農場で下っ端の労働者として働いてみた体験談を読みたかった。
また、ただ1回行ってみた、というだけでなく、ちゃんと10数年後のそれぞれの農場についての後日談が添えられているのが素晴らしい。
このテの本によくあるのが、一時的に褒めあげてみたものの10年経ったら潰れてしまっているのに口を拭ってまた別のものを賛美している、というものだからだ。
実に地道で息の長い、大学時代に顕微鏡で1つ1つ延々と有孔虫を数えていた筆者らしい仕事である。
ただ、「有機農法と未来」という題名にしては、見聞が中心である。
もっともその見聞が面白かったのだが。
私としては有機農法の将来の展望について筆者独自のもっと突っ込んだ意見や予測が読みたかった。第1章の「ピンホールカメラからフラスコを用いたカメラを経てレンズカメラへ」的な歴史記述の代わりにそうした部分にもっと紙数を割いてくれると嬉しかったのだが。
何にせよ、私は今庭の猫の肉球ほどの土地にささやかな畑を作っているのだが、本書を読み終えて早速庭に出て作物の世話をした。
そんな気持ちにさせてくれる本であった。
最後に筆者にお願いである。
次は日本の農業がこうした農業と競争(あるいは共存)していくためには現状に対してどんな処方箋が必要か、そんな本をぜひ書いてほしいものだ。
2016.2.18Well肉桂記す。
















































































































































































































































































