上の娘が婿殿の仕事の関係で韓国に行くことになったので、かつて書いた韓国に関する記事を再録してその教訓とする。
今でこそ「韓流」などといって、老若男女の日本人が韓国文化を違和感なく受け入れているが(韓国が大嫌いな人でも焼肉やキムチを食べない人はいないだろう)、30年ほど前の韓国に対する日本人の視線はそうではなかった。
まず大多数の日本人が「嫌韓流」だったといってよかろう。まず、「軍人の強権的な政治が行われている暗い国」というイメージが非常に強かった。私が大学に入ったころも「朴大統領暗殺事件」や「光州事件」などが相次いで起こり、学内ではこれに対して在日韓国人学友の意見表明の集会が行われるなど、「何か大変なことが起こっている」という雰囲気だった。
こうした雰囲気は「88(パルパル)」と呼ばれたソウルオリンピックを境に急速に変わっていったから、「88以前」の韓国旅行について記しておけばそのうちに「記憶遺産」になるかもしれない。
私の父は日教組の活動家で朝鮮総連とも付き合いのある人だったから、一度韓国に行きたいといったときは、両親から大反対された。両親にとって韓国は「米国の傀儡である軍事独裁政権の国」であり、「金大中事件」や在日韓国人の留学生が本国で次々と逮捕された事件の記憶が生々しい時代だったから、息子が韓国で捕まってしまう心配は無理もなかった。だから、AA君と韓国旅行を計画した時は、親には絶対秘密だった。
私自身にとっても、当時の韓国旅行はちょっとした度胸が要った。だが、雑誌『世界』の「韓国からの通信」などとは違った、また、「キーセン観光」と呼ばれた買春旅行とも違った、隣国を普通の国として見直そうという動きが始まっていた。だから、どうしても韓国に行ってみたかった。
結果から言えば、ほかの(米国も含めた)世界の各国と同じく、韓国も「普通の旅行客には普通の国だった」というしかない。
ただ、福岡空港から金浦空港に着いたとき、いきなり銃を持った兵隊が見回りをしているのにはぎょっとした。考えてみたら、その後ほどなくして大韓航空機が爆破されるという事件が起こっているから(((これは今このブログを書こうとしてはじめて気づいたことだ。若いって本当に怖いもの知らずだよなあ!)。)第一次韓国ブームが起こりつつも、実は相当緊迫した雰囲気があったのだろう。
当時、韓国に関して、日本では「え!!」というような信じがたい情報が政治以外でもあった。それは…1.韓国にバナナを1房持っていくと3000円になる。2.韓国では仲良くなると男同士でも手をつなぐ。3.韓国では普通にタクシーの相乗りをする。4.韓国ではバスがバス停に止まらない。5.韓国の豆腐は石のように固い。等々。
これらの情報が本当だったかどうかは、次回以降。