ミクロ菩薩

 弥勒菩薩といえば釈迦入滅後56億7000万年に地上に現れて人類を救うという信仰のある仏様である。
 弥勒菩薩の仏像はどれも日本人好みの上品なもので、神も仏も信じない私にも何か畏敬の念を抱かせるお姿である。
 ところが、この「ミロク菩薩」、長らく「ミクロ菩薩」だと思っていた。
 中学だか高校だかになって、「弥勒」という漢字を見て初めて、「ああ、これはミクロとはどう考えても読めないな」と、勘違いに気付いたことだった。
 「勒」という字も「菩薩」という熟語も当用漢字ではなく、かといって「弥ロクボサツ」と書くわけにもいかなかったのだろう。小学生が読むような文章には「ミロクボサツ」と表記してあった。当時は「ミクロの決死圏」などという映画もあったし、「ミ」「ロ」「ク」の3文字は私の中で「ミクロ」というチャンクで記憶されていたのだ。
 それと、釈迦牟尼や観音菩薩の仏像には巨大なものが少なくない(というか最近は巨大さを競っている節すらある)が、なぜか弥勒菩薩には大きいものがない。あるのかもしれないが私の中では広隆寺の半跏思惟像と韓国中央博物館の半跏思惟像しか頭になく、2つともあまり大きくない。そんなこともあってか、「ミロク」が「ミクロ」に見えたのだろう。
 思い違いが解けてからも、
「木製の仏像の中に小さな金の仏像発見 !」とか、「仏塔と一緒に小さな仏像が発見された」とか、「米粒に仏様を描く名人」などというニュースを聞くと、反射的に「弥勒菩薩だな…」と頭に浮かんでしまう。
 弥勒菩薩から来ているのか、ミロクガニ(ミルクガニともいう)という蟹の種類がいるのだが、これがまた小さい。だからこれも「ミクロガニ」に見えてしまう。
 最近の子供は微生物や遺伝子の世界の単位として「ミクロン」ではなく「ナノメートル」を使うので、こんな勘違いはしないのだろう。
 もっとも、日本人は手先が器用だから、そのうちに「ミクロ菩薩」を本当に作ってしまうかもしれない。