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卵かけ御飯の後のお茶

 父は昭和25年から30年間阿蘇の小学校の教員であった。公立の小学校であるから、身分としては公務員である。
 今でこそ公務員といえば民間より労働条件が良すぎるとして、ポピュリストの攻撃の格好の標的になっているが、かつてはそんな妬みや嫉みの対象となるような職業ではなかった。
 私が子供の頃、父の月給は20,000円くらいであった。民間企業の給料については資料がないので分からないが、大工の手間賃が1回2,000円だったことを考えると、「安月給」といってよかったのではないだろうか。文字通りの「公僕」だったのである。
 しかも父は日教組の支部長で、 ストなどの闘争をするたびに減給されていた。
 当時母は専業主婦だったから、父の給料が我が家の収入の全てである。
 当然家は貧乏だった。
 これは決して謙遜ではない。
 父がある保護者に教え子のことで意見したところ、「お前のような貧乏人に言われる筋合いのことではない」と言われて激怒していたことがあったくらいである。
 もちろん「極貧」や「赤貧」というものではなかったと思うが、「家に金がない」というのは子供心にも分かった。
 家は井戸から黄色い水が汲みあげられるような教員住宅だったし(こうした福利厚生がなかったら当時の公務員はとても生きていけなかっただろう)、服は姉や兄のものをほどき直した「お下がり」であった。 
 私が吝嗇なのはおそらくこの頃の経験に基づいている。 
 住衣がこの状態だから、 食の方も貧弱なものである。
 母は調理師の免許を持っていて栄養的な知識があったから、私たちには蛋白質をできるだけ摂らせようとしたが、そうした食品には限りがあった。
 まず、肉類は全滅である。これは当時の物価からすると相対的に高かった。 鯨だけはたまに食卓に上がった。
  特に当時は流通が悪かったから、阿蘇の山の中では新鮮な魚は食べられなかった。やたらと塩の効いた鰯・鯖が常食で、稀にマンビキ(標準和名シイラ)がごちそうとして食卓に出てきた(「万引きの煮びたし」参照)が、これもやたらと塩が効いていた。
 最近久しぶりに潮焼けしたような塩万引きが手に入ったので「マンビキの煮びたし」を作って食べてみたのだが、激マズ、じゃなかった、「本当に懐かしい味」だった。半身買ったそのまた半分を使ったのだが、残りの半分はいまだに冷凍庫で熟成されている(「熟成させた方がいい食べ物」参照)。
 そんな我が家の朝食は、炊き立てのご飯と、味噌汁と、阿蘇高菜の漬物が定番だった。阿蘇高菜は他所の高菜とはちょっと違って、とうの部分を食べるのである。 
 高度成長が始まって父の給料が上がり始めると、たまに朝食に上がるだけだった鶏卵がしょっちゅう出て来るようになった。この卵の話は昨日した。
 私たちは毎日牛乳を飲まされた。最初は決して好きではなかったが、そのうちに好きになった。
 そんな我が家の朝食の後、父と母だけがするある儀式があった。 
 それは、「御飯を食べた後の飯茶碗でお茶を飲む」というものである。
 御飯のつがれていた茶碗には米粒がこびりついている。当然そこに注がれたお茶は「お米風味」である。玄米茶ほど香ばしくはないが、普通のお茶より少しマイルドで甘い風味がある。もしかすると玄米茶も飯茶碗に注いだお茶の美味しさをヒントに生まれたのかもしれない。 
 「米は1粒でも無駄にしない」という、戦中戦後の食糧難を経験した人たちのこだわりだったのだと思う。
 ただ、これはかなり貧乏くさい感じもある。 
 飯粒が原型のままで残っていたりすると、蛆っぽく、なんだか汚い。
 卵かけ御飯の後はどうだったか。お茶が黄色く汚れ、水面には薄い脂肪の膜が張り、 蛆っぽい米粒が底に沈み、汲みとった直後の汲み取り〇所に溜まった水のような外観を呈する。
 父や母がこれを飲んでいたかどうかは記憶にない。これはさすがに一度捨ててからお茶を注ぎ直していたような気もする。
 私は父や母が飯茶碗でお茶を飲むのを「美味しそうだな」と思ってみていたが、なぜか自分ではそれをしていた記憶がない。
 子供たちは牛乳を飲むのが習慣だったからお茶そのものを飲まなかったのか。でも味は覚えているからときどきもらって飲んでいたのだろう。
 もしかすると両親は子供たちにはこの習慣を禁じていたか、少なくとも奨励はしていなかったのかもしれない。
 この習慣は私が中学に上がるくらいまでに我が家から消えた。
 父も母も朝食後のお茶は湯呑で飲むようになった。 
 これは我が家の収入が好転するのと軌を一にしているから、あるいは父母もこの習慣を「貧乏くさい」と思っていたのかもしれない。
 今でも食事を終えるときに米粒が器に残っていたりすると、急にあの頃の両親のこの習慣が思い出されて、箸で1つ1つ取って食べてしまうことがある。 
 消えてしまった麗しい風習である。