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人生で必要なものはすべて回転寿司で教わった

  「回転寿司の掟」でも書いたように、私はウニが大好きである。
 海から採ってきたばかりの海栗をパカッと割って食べるのはもちろん、木で作った舟に並べた生ウニ、 そのまま瓶に詰めた生ウニ、塩をしただけの塩ウニ、アルコール漬けにした粒ウニや練りウニ、どれも好きである。
 回転寿司では一応舟に並べられた奴から軍艦巻きに乗せられるようだが、これも以前に比べると随分レベルが上がってきて、
「グワーッ、何や、これは!」というようなものはまずなくなった。
 今日も夫婦で久しぶりに回転寿司に行ったのだが、頼んだウニは回転寿司の水準を完全に超えていた。
 よくあの値段であんな美味しい生ウニが出せるなと不思議である。
 私が回転寿司に初めて出会ったのは学生時代を過ごした京都で、1980年代のことだった。
 今では回転寿司でも客が食べたいネタの寿司を板前さんに注文するというのは当たり前の光景で、中には注文用のタッチパネルのある店まであるが、当時は客の注文禁止などという店があった。客は目の前を回っている寿司の中から食べるものを選ぶのが当たり前だった。
 上に乗った昆布がカラカラに乾いたバッテラや、鉄分が酸化して真っ黒のマグロや、 海苔がシワシワで内側に倒れてしまった軍艦巻きなどが当たり前のように流れている中から、多少なりとも新しそうなネタの寿司を目を皿のようにして探さなければならなかった。
 たまに職人さんが新しいものを握ると、それらは自分の「上流」であっという間になくなるのだった。 
 そんな時代、回転寿司のウニはアルコール漬けの「粒ウニ」の軍艦巻きだったような気がする。さすがに「練りウニ」ではなかったような。
 今ネットで調べてみても、草創期のウニの話には行き当たらない。
 だが、その当時も回転寿司には「ウニ」が回っていたはずだが、私がそれを食べた覚えはないので(1回くらいはあるかもしれないが)、「ウニはアルコール漬けだった」という記憶は正しいと思う。
 この記憶を補強するエピソードがある。
 京都の中心街におそらくは観光客相手の回転寿司屋があって、私は1ヶ月に1回くらい、中華料理屋のバイト代が入るとそこに行っていた。
 ここでは、「本日のサービス品」というのがあって、普段は1皿100円では登場できないようなネタが回っていた。たとえば、イクラやちゃんとした鯛などである。その中に、生ウニがあった。
 それはとても小さな軍艦巻きで、通常の寿司の大きさの2/3くらいのシャリを海苔で巻き、胡瓜を乗せ、ウニが1切れだけ乗っていた。皿の上にはそれ1貫。しかし、そのウニは国産の生ウニだった(と思う。何せ貧乏人の息子で口が卑しいし、当時は常に空腹だったので、確信はない)。 
 普段ろくなものを食べていない私にはそれは極上の味に思われた。
 そのうちに「サービス品」にウニが出る曜日が把握でき、私はその曜日(もはや何曜日かは覚えていないが平日だった)にその店に行くようになった。 
 平日の、昼食時も外した時間帯だったから、観光地京都の街中といえども客は数人だった。今ほど流通も冷凍技術も発達していない当時、京都で生魚を食べようという人は地元民以外にはあまりいなかったのかもしれない。 
  ウニは大抵1個だけ回っているからそれを食べ、たまに2個回っていると2個食べ、それで終わりにした。
 そのうちに、ウニが回っていないときや、1個だけのときは、板前さんに注文するようになった。
 板前さんはあまりいい顔をしなかったが、黙ってウニを握ってくれた。
 その頃から私は「ウニ依存症」になりつつあったに違いない。
 依存性のあるものは、だんだん量を増やさないと満足できなくなる。
 ある日、私はウニがどうしても3個食べたくなって、 恐る恐る板前さんに注文した。
 板前さんは「おっ!」という顔になったが、握ってくれた。そうか、大丈夫なのか。
 私は4個目を注文した。
 板前さんは無表情で4個目を握ってくれた。
 そうか。「回転寿司で板前さんに注文するのはルール違反」とか、「一人が同じものをいくつも頼んではいけない」というのは私の思い過ごしだったのだ。
 私は5個目を注文した。
 その時に板前さんが発した言葉は、私の生涯忘れ得ぬ言葉となった(大袈裟だなあ)。細部は別にして、こんな言葉だった。
「お兄ちゃん。人には『常識』、ものには『限度』っちゅうもんがあんねん。 サービス品は寿司の美味しさをできるだけ多くの人に知ってもらいたいっちゅう趣旨で、採算度外視で出しとるネタなんや。だからそんなにたくさん数は用意してない。1人の人間が同じもんを何回も頼むと、ほかの人の分がなくなるんや。これは「できるだけ多くの人に美味しいもんを」っちゅうサービス品の趣旨に反することや。2個くらいやったらええ。ちょっとだけ人より得したい、いうんは誰にでもあるこっちゃ。そやけど、5個はアカン。それは人としての常識にも、ものの限度にも反することなんやで。」
 こんな諭すような言葉ではなく、もっと罵倒混じりの厳しい言葉だったかもしれない。
 しかし、老人は過去を美化するから、私の中ではこんな言葉に変容しているのに違いない。 
 人生で必要なことはすべて回転寿司で教わった私である(大嘘)。