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ベニテングタケ汁

 先日茸鍋を食べた。 
 あるスーパーで「キノコなべの汁(仮名)」というレトルト食品を見つけて思いついたのだ。
 どうせだからこの商品のレシピに書いてある茸だけではなく、入手できる限りの茸を全部入れてやろうと思って、そのスーパーにあった茸をすべて入れてみた。
 椎茸、ブナシメジ、なめ茸、エノキタケ、エリンギ、ブナピー、舞茸、マッシュルーム。
 正直、「話のタネ」以上のものは期待していなかった。
 これだけ茸が入ったら、「キノコ臭くて仕方がない」鍋になるのだと思っていた。
 ところが、この出汁には「茸臭」を受け止めて旨みに変える力があるらしく、すばらしく美味かった。
 いくらなんでもこれだけの種類の茸を全部1株ずつ入れたら、とても夫婦2人では食べてしまえないので、鍋には半株ずつ入れて、 残りは炊き込みご飯にしたのだが、これもまた素晴らしい味であった。茸御飯には「南関揚げ」が似合う。茸の旨みを全部吸いこんで、無闇に美味い小片になる。
 「南関揚げ」は熊本県と福岡県の境目にある南関町の名物で、どこの地方にもある「お揚げさん」を長期保存できるようにしたものである。これがいろいろな旨みを吸い込みやすく、また大豆本来の旨みも併せもっている。台所に常備すると本当に便利な食品である。 
 「これは『あの鍋』に随分近いな…まだまだだけど」と思った。
 「あの鍋」とは…?
 私がまだ小学生のころ、担任の先生がクラスの全員を熊本市の立田山に連れて行ってくれたことがあった。
 まだ舗装されていない立田山の登山道を登っているとき、先生が道から外れたところに茸を見つけ、それからはハイキングがキノコ狩りになった。
 希望者には茸が配られ、私は10本ほどの茸を家に持って帰った。
 父と母は茸を見て大変喜び、キノコ汁にしてくれたのだ。
 そのキノコ汁の美味さといったら、自分が調達してきた材料で作ったという喜びも相俟って、生涯忘れられないものになった。
 父と母に教わったところでは、私の持ち帰った茸は、

ヌメリイグチ

大半が「ヌメリイグチ」という茸で、

ハツタケ

1.2本「ハツタケ」があった(いずれも写真はWikipedia)。
 いずれもとても美味しい茸で、野生の茸としては定番の食糧である。
 担任の先生は何の躊躇いもなく私たちにこれらの茸を持たせたし、両親も何の躊躇いもなく料理して私に食べさせ、自分たちも食べた。
 これはこの年代の人たちが自然の物についてよく知っていたからだろう。
 私も一応食べられる野草や茸について知ってはいるが、人様の子供に食べさせるかといえば、おそらくそんなことはしない。
 茸には「万一」ということがあるからだ。
  「食後6~24時間後にコレラ様の症状(おう吐、下痢、腹痛)が現れるが1日でおさまり,その後24~72時間で内臓の細胞が破壊され肝臓肥大,黄疸,胃腸の出血などの肝臓,腎臓機能障害の症状が現れ,死亡する場合がある。」
 これは厚生労働省のHPに載っていた「ドクツルタケ」の中毒症状であるが、なかなかおどろおどろしい。

ドクツルタケ

 ドクツルタケやタマゴテングタケは茸にあるまじき不自然な色の白さがなんだかヤバイ感じがする(写真は厚生省HP)。「天然の白い茸は食べない」というのは茸喰いには鉄則である(養殖の「ブナピー(実名)」は別)。「綺麗な花には棘がある」というが、「綺麗な茸は人を殺す」のだ。
 冒頭の絵は毒キノコの代表格「ベニテングタケ」をモデルにした茸だが、これは外見のおどろおどろしさに比べて意外に毒性が低い。
 今この2種の毒キノコを悪女に喩えたいという欲求が湧いてきたが、関係各位から非難轟轟となるのは必至なので我慢する。
 ところが、きわめてポピュラーに食べられている茸にも、そっくりの毒キノコがある。

ハイイロシメジ

 写真は「ハイイロシメジ」だが、本物のシメジと間違えてしまいそうである。
 ますます女性に喩えたくなったが、我慢、我慢。
 ちなみに、私たちが普段「シメジ」といって食べている人工栽培の茸は「ヒラタケ」か「ブナタケ」である。
 そういえば、上述の「ヌメリイグチ」も皮に弱毒があるので、皮を剥いてから料理しなければならない。
 なんにせよ、茸をあげる方も貰う方も、茸のことをよく知っていたから成り立った料理だろう。
 両親は私たちきょうだいが小さいときは毎年1回は阿蘇の山にキノコ狩りに連れて行ってくれた。
 場所は父が阿蘇谷のある小学校に勤めていたときに住んでいた教員住宅の裏山で、転勤になってからもその山に行っていた。
 父は「かんなし(熊本弁で「限度を知らない人」)」だったので茸を根こそぎとってしまおうとして母からたしなめられていた。父がこの裏山の天然のナメコを根絶やしにしてしまったのは我が家では有名な話である。
 しかし、よく考えてみれば、あの山は誰のものだったのだろう。
 日本は資本主義社会であるから、すべての事物には持ち主がある。あの裏山も誰かのものだったはずである。坂梨の山ではないから我が家の物ではなかったのは確かだ。
 だが、両親は当たり前のようにその山に登って茸を採っていた。これはよその家の人も同様だった。
 その後、青年になって京都の山を歩いている時に私の知っている食べられる茸をたくさん見つけたのだが、山に縄張りがしてあり、「キノコの採取を禁じる」と雨曝しの張り紙がぶら下がっているのを見て、「そうか、茸にも持ち主があるんだ」と初めて思いが至ったのである。
 私が子供の頃はマツタケ以外の茸など誰も価値を認めていなかったから、「財産」だと考えていなかったのだろう。それは見かけた誰でも「ちょこっと」採って食べてよいものだったのだ。
 「ヒゴタイ」や「エビネ」などの野の草花も同様で、「ちょこっと」採って行っていいものだった。
 いつからか、トラックなどで来て「ごっそり」採っていく(要は窃盗)人が現れたのは、これらの価値が世間に認められ、「金になる」ということを人々が悟ったからに違いない。
 そのうちに春の野原を賑わすあのつくしんぼすら「無断採取を禁ず」という張り紙をされてしまうかもしれない。
 「あのキノコ汁」は、あの時代の我が家だからこそ食べられたものなのだろう。平成の日本ではもう食べられることはないに違いない。