「満漢全席」のような刺身定食で腹一杯になった私は天草下島を北上する。
車は河浦町に入った。
この町には私が一度泊まりたいと思っているコテージがある。
「コテージ」というと、知らない人は
「ああ、山の中にあるんだろうな。」と思うだろうがそうではない。
このコテージは海の中にあるのだ。
「庭で釣りのできる家」は釣りや海の好きな人の永遠の憧れだろうと思う。
しかし、人が「こぴっと(NHKの朝ドラに便乗してみました)」住める家というのはなかなか「こぴっと」釣りができる場所に建てられないのが現実である。
海や川に面した家は常に災害の危険性があるし、第一家の傷みが半端ではない。
私はこのコテージも「形式上あなたの願望は叶えられますよ」という類のものかと思っていたのだが、ここでは「海上コテージ釣り大会」が開かれ、そこではスズキ、チンダイ(クロダイ)、コーベ(カワハギ)、ミズイカ(アオリイカ)、コチなどの馬鹿に出来ないサイズのものが釣れているのだ。
釣り大会の写真は河浦町にある「花夢里(仮名)」という温泉施設に掲示されているから、疑う人は見てほしい。
この文章を書いているのは今まさに九州を巨大台風が襲おうかという日だから、読む人もそれどころではない、どころから、不謹慎に思うかもしれないが、喉元過ぎて熱さ忘れたときに思い出していただきたいものだ。
「コテージの中庭で大きな魚が釣れる」という事実を。
さらに行くと崎津の天主堂が見えた。
私はこの天主堂が好きで、見るたびに写真を撮りたくなる。
とくに漁村の家々から教会の尖塔がそそり立っているようなアングルが好きだ。
もう同じような写真を何枚も撮っているにも関わらず、私はまた写真を撮るために車を停車させた。
ところが、これもいつものことなのだが、国道沿いには駐車スペースがないのである。
しかたがないので道ひとつ挟んだ体育館の駐車場に停める。
写真を撮って車に戻ってくると、小学校が見えた。
小学校は昔から地域の文化の拠点になっているから石碑が建っている確率が高い。
私はその小学校に行ってみることにした。
確かにその小学校には石碑があった。
しかし、それはその廃校記念の石碑であった。
随分大きな小学校が廃墟になっている光景は何だかショックだった。これはものすごく不便な山の中で起こっていることではない。
私の大好きな天草だけにショックはなおさらである。
これだけの大きな学校が鉄筋コンクリートで建っていたということは、つい最近まで相当多くの子供がこの地域にいたという証拠である。
そして、その学校が廃校になったということは、それだけ急激に子供が減ったということである。
なんだか木造の古い校舎が廃校に建っていても「ああ、時代の流れなんだな」と感慨に耽るだけなのだが、これは何か深刻な変化が日本に起こりつつある証拠なのではないだろうか。
少々突っ込んだ表現をすれば、
「地方で地道に普通に生きてきた人たちがそこでの生活を次の世代に渡せない日本になりつつある」というような。
高度成長期のように上り調子のときではないだけに、一層深刻な気がする。
いかん、どうもニヤッとする話にならないな。
そうした話を期待して初めてこのブログを訪れた人は「名作リメイクシリーズ」をごらんください。