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ピラミッド建造に匹敵する偉業

 三角岳登頂の前哨戦として天翔台に登頂した私である。

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 山頂から見た南側。

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  西側。

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  北側には湯島が見える。
 湯島が霞んでよく見えないので、望遠レンズに交換して撮影する。

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 私は鳥を撮りたくて望遠レンズを買ったのだが、なかなかいい写真が撮れなかった。今回初めて「一眼レフを買ってよかった」と実感した。
 一日も早く澄み渡った冬空を取り戻したいものだ。

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 天草は美しい。
 苦労して登ってきた甲斐があった。

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 それにしても、これは何だろうか。 
 もちろん石碑なのだろうが、なぜこんな高いところに石碑があるのだろう。そもそもどうやってこんな大きな石(コンクリート?)をこんな高いところに運んだのだろう。

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 ここは海抜203メートルもあるのだ。しかも、登ってくる道は本当に険しい。私の身一つを運んでくるのがやっとの峻嶮である。

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 この山頂には携帯電話か何かのアンテナも建っているが、こちらは何の興味も惹かない。ヘリコプターか何かで運んだに違いない。現代の技術からすれば「仰天」というようなことではない。
 だが、この石碑は相当以前のものであることがその傷み方からわかる。
 「宇城市報」によればこの石碑は昭和37年(1962)に建てられたという。いったいどうやって石を運んだのだろうか。まだいろいろな機械が十分に発達した時代ではなかったと思う。
 そういえば、いわゆる「山城」には石垣が築かれているが、この石はどうやって運んだのか、もっと謎である。
 ネットで調べると「コロを使った」とか「ソリを使った」とか書いてあるのだが、私がさっきまでハアハアいいながら登ってきたような山道を石垣の石のような巨大な石を運んでくる場面がどうしても想像できないのだ。
 山から下りてから(カッコいいなあ、この台詞、一度言ってみたかったのだ)、妻に「何であんな高いところに石を運べたんだろうね」と尋ねると、「それは上からロープでこうやって固定して、下にソリかコロを入れて、こうやって引っ張って、また固定して」と、微に入り細に入り教えてもらった。なるほど。ところでこの女性はなんでそんなことを詳しく知っているのだろう。まだまだ私の知らない妻がいるのかもしれない。
 それにしてもその方法が、確かにそうすれば運べるのだが、とんでもなく面倒くさくてしんどい。よくそんなことをしてまで運んだものだ。
 「昔の人は偉かった」と改めて思う。 

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 この石碑は後藤是山の句碑らしいのだが、碑に彫られているのは是山の名前ではなく、この碑を建立した人の名前なのだ。それはこうした苦労を称えるために違いない。 
 おかげで最初この碑に刻まれた句の作者をこの人と勘違いしてしまい、解読に時間がかかってしまった。
 これだけの苦労をした池田清蔵という人は、本当は「宇土・天草の偉人達」に登場させたいのだが、ネットでは姓名判断以外には登場しない。
 「三角町史」にも載っているかどうか。
 しかたがないので次回はこの句碑の作者である後藤是山についてである。