第1HP「天草の海風」を全面リニューアルしました。
さて、「シェフ型」→「パン屋型」→「運転手型」を経て現在の形となり、いまは消滅しつつあるナースキャップだが、そもそもなぜNs.の頭に登場することとなったのだろう。
これには、そもそも「Ns.とは何か?」という、 極めて重大な歴史的命題がかかわっている。
ヒポクラテスの昔から病気に苦しむ人、「患者」は存在していた。ところがこの頃から「医者」はいたが、Ns.は存在しなかった。 もちろん医者以外に病人の世話をする人はいたわけだが、彼らには名前がついていなかった。また、「看護」という概念もなかったようである。
看護の直接の起源と考えられるのは、中世の教会に病人を集めて世話をしたことだといわれている。ここで病人の世話をするのは修道士や修道女であった。文字通りの「白衣(この時代には黒衣だが)の天使」である。
Ns.の制服が長らく詰襟であったのは、こうした起源の名残だったのだろう。確かに神父や修道女の現在の制服は詰襟が多い。
詰襟でなくても初期のNs.の制服は確かに教会関係者を思わせるものである。
しかし…。
上の絵は18世紀の画家メイテンスの描いた「ひざまずく修道女」という作品である。この作品にはとんでもない裏面があるのだが、このブログは公序良俗を守ることを旨とし、未成年や家族連れにも楽しんでいただけるのがモットーであるから、そんな下世話な話は他のサイトでごらんになってほしい。
これを見ると、近代の修道女の格好はあまりNs.に似ていない。
特に、修道女は必ず被り物をしているが、ナースキャップとは全く形が違う。
どの時代のナースキキャップもこの被り物から進化してきたと思われる形はしていない。
私はもう少し時代を下ることにした。
中世から近世、近代にいたるまで人類の病気といえば感染症という疾病構造は長く続いた。人々の信仰心が薄まるにつれ、感染症に罹患する可能性の高いNs.という職業は次第に忌避され蔑まれるようになっていた。近代まで女性は主婦になることが最上の生き方とされていたから、好き好んでそんな危険のある職業に就く人はよほどの事情のある女性(たとえば娼婦)であったようだ。
こうした状況を劇的に変化させたのがナイチンゲールである。
ご存知の通り現在の看護学を創始し、それまでのNs.の地位を「志ある聡明な女性のなる職業」へと変えていく嚆矢となったのが、この貴族出身の女性であった。
ちなみに私は言語聴覚士という医療職なのだが、患者さんを観察する際に彼女の「看護覚書」を参考にしている。それくらい偉大な女性である。
今ナイチンゲールのキャップに注目してみると、当時の女性が身に着けていた一般的なキャップであるようだ。
昭和初期の非赤十字系の病院のNs.たちの被っていたナースキャップはおそらくこれが起源である。
しかし、これは私たちにお馴染みの「あの」ナースキャップとは似ても似つかない。私たちがナースキャップと聞いて思い浮かべるのは、糊のバシッと効いた扇形の白い帽子である。主任→婦長→総婦長と昇進するにつれてこれに軍隊の階級章のようにだんだん線が増えていくのが何だか怖かった。
私はこのタイプのナースキャップを「身分章型」と名付けたい。
閑話休題(いらんはなしはこれくらいにして)。
私は今度はもっと時代を遡ることにした。
時計の針をナイチンゲールから逆回しにすること400年、私は遂に見つけた。
上の絵は1400年代に生きたワイデンという画家が描いた修道女である。
この女性の被り物をぐっとシンプルかつスポーティにしたら、私達がお馴染みのナースキッャプに似ていないだろうか。
今回ナースキャップについて書くに当たって現役やOGのNs.の書いたものを見てみたのだが、ナースキャップは支給されるときは1枚の長い布なのだそうだ。これをああしてこうして、折って畳んで裏返し、私達の目にするあの形にするのだという。
14世紀の修道女の被り物も1枚の布を折り畳んで作ったものであることが伺われる。
やはり「ナースキャップ修道女ヴェール起源説」は正しかった。
それにしてもこの形になってしまえば衛生面での意義はないか、むしろマイナスであろう。
どうしてこのような「先祖返り」が起こったのか、そこまではわからない。
ただ、「身分章型」はなくなりつつあることだけは確かだ。大学の卒業式の時の角帽と同じで、戴帽式の時以外には見なくなるだろう。もはや「ナースキャップ」と言っても看護関係以外の人には通じなくなる日が来るかもしれない。
ところが、「パン屋型」は「シャワーキャップ型」に進化して手術室などで生き残っている。
これには衛生面の確かな根拠があるからだろう。
ナースキャップの運命は「費用対効果の低いものは生き残れない」という現代社会の象徴なのかもしれない。