熊本地震の本震からおよそ2週間後、私は父祖の地である阿蘇に向かって車を走らせていた。
目的はそこにある先祖代々の墓が無事かどうか確かめるためである。
阿蘇谷の中に住む人々は阿蘇神社に祀られる健磐龍命(たけいわたつのみこと) とその家来たちの子孫であるという伝説がある。
我がS家もその例に漏れず、阿蘇家の庭番であった山部一族の末裔であるという家系伝説がある。実際、S家の墓がある墓所は山部姓だらけである。以前は親戚だったのだろう。
途中大きく崩落して剥きだしになった山肌が不安を募らせる。
一体阿蘇はどうなっているのだろうか。
切り離されたまま止まっている列車を横目で見ながら墓所へと急ぐ。
我が家の墓所はやたらと見晴らしがよくなっていた。
直系の最古の祖先だといわれる儀助和尚の墓も、曽祖父以来の家族たちの寄せ墓も、倒壊して石材に戻ってしまっていた。
私は「神も仏も信じない」と公言している男である。
しかしこれは、「神仏を信じる」=「神仏が私たち個人の運命を決めたり国の命運を定めたりすると確信している」という意味ならば「信じない」という意味であって、「神仏を信じる」=「自らの祖霊を大切に祀り他者の信仰を尊重する」という意味ならば「強く信じている」と言ってよい。
したがって、祖先の墓所の無残な姿は私の心を揺さぶるに充分であった。
「ああ、お気の毒に」と思ったし、本当に辛く悲しかった。
「S家に墓を造りに来た」といわれる曽祖父の建てた墓だけがズレた程度で済んでいるのが不思議であり、ホッともした。
ズレた墓石を汗だくになって修復した。
ほかの墓も一刻も早く元に復したい。
しかし、実家は修復が必要なのは確実だし、母も姉のところに避難したまま未だ身の振り方も決まっていない。
ご先祖様には本当に申し訳ないのだが、生きている人間が優先である。
「もうしばらく我慢してください。必ず元に戻しますから。」と心の中で呟いて、墓所を離れた。
帰途にはS家の氏神である阿蘇神社がある。
私は既にその倒壊の情報に触れていた。もし妻が同行していなかったら様子を見に行くことはなかったかもしれない。何か「忍びない」気がしたのだ。
阿蘇神社の楼門は「日本三大楼門」の1つに数えられる堂々たる建築物である。国の重要文化財に指定されている。
毎年正月には大変大勢の人が参拝に訪れる。
境内には「高砂の松」があり、縁結びの神様として有名である。
多くの男女が将来の伴侶を求めてこの松の周囲を巡るのは見慣れた風景である。
私は妻に促されて阿蘇神社を参拝するとき、倒壊した建物を撮影して全国に発信し、支援を募るつもりだった。
しかし、実際に倒壊した建物を見て、どうしてもそれを撮影することができなかった。
「ああ、お気の毒に…」
ただ、そんな感慨が沸き起こってきた。
常々神も仏も信じないと公言しているにも関わらず。
阿蘇神社の周囲には「水基巡り」と呼ばれる商店街が広がっている(画像は去年のもの)。
とある店でコーヒーを頼み、ベンチに座って飲んでいると、全身の力が抜け、涙がはらはらとこぼれた。
妻が「大丈夫?」と聞いた。
私は感激屋で(というか歳のせいで前頭葉が萎縮してきたせいか)よく感涙に咽ぶのだが、ふだんとは違うものを感じたらしい。
なんだか猿を騙した報いで背骨を抜かれてしまったクラゲのように私はしばらく茫然としていた。
「嗚呼、俺はやはり阿蘇人なのだ。」と、ぼーっとした頭の中にとりとめのない考えが浮かんだ。
帰途、被災を免れた牛たちがのんびりと草を食べているのがなんとも心を慰めた。
この写真だけ見たら何事もなかったようだ。
阿蘇神社の復興には10年以上かかるかもしれないという。費用も随分かかるにちがいない。
だが、阿蘇神社は必ず復興する。
おそらく私のようにこの神社を自分の背骨にしている人が日本全国にいると信じるからだ。