困ったことに古銭の蒐集熱が再燃してしまい、ブログの更新がすっかり滞っている。
カメラ熱の場合は撮った写真を公開したいという動機からブログの更新にはプラスに働く面もあるが、古銭収集はそうはいかない。仕事をしている以外の時間はフリマだのオークションだの古銭の本だのを 見ているから、ブログの更新などする暇がない。
しかも、古銭というのはあまり笑いの種にならない。要はカネなのだから。カネの話というのは人間の欲望が生々しく現れるから、笑いの中でも「ヒヒヒヒヒ」というような卑しい笑いとなる。
ではどんな古銭をまた集め始めたかといえば、韓国は朝鮮王朝末期に発行された「二銭五分白銅貨」というものである。この白銅貨については仁川旅行に行ったときに一度書いた。
韓国仁川ミステリー?ツアー7-古銭マニアの見た韓国近代化への苦悶-(河童亜細亜紀行66)
この硬貨は国を傾ける程濫造されているから値段が安い。ときにはサンドイッチ1つより安く買うことが出来る。もっともそういうものは極めて状態が悪い。
本来蓄財として古銭を考えるならばいわゆる「並品」「劣品」とよばれるようなそんな状態のコインは何の価値もないのだが、私にとってはむしろ「未使用品」や「極美品」と呼ばれるような良好な状態のものよりもよほど価値がある。
その理由についてはこの文章を最後まで読んだ人には氷解することだろうが、そんな人は100人に1人もいないだろう。だからこの文章は人に読んでもらうものというより、本来の意味でのブログ(日記・備忘録)である。
さて、せっかく収集するからにはその銭貨についてできるだけ勉強したい。
またぞろ仕事とは何も関係ない学問にのめり込みつつある私である。
そんな中、甲賀宜政「近世朝鮮貨幣及び典圜局の沿革」という論文に巡り合った。
著者は戦前の「末は博士か大臣か」と呼ばれたころの工学博士で、ネットで検索するとその著者名と著作はたくさん現れるのだが、ご本人がどういう人かはほぼ情報がない。明治末から大正・昭和初期にかけて活躍した人らしい。
「典圜局」というのは朝鮮王朝末期の韓国における日本の造幣局のような役所である。
この論文を読むと、前回韓国の古銭について書いたときよりも格段にこの国の近代貨幣の黎明期の知識が深まった。前回参考にした「亡国の白銅貨二銭五分」や「韓国貨幣価格図録」の記述だけでは分からなかった部分である。
この論文は日韓併合後の大正3年(1914)に日本の朝鮮総督府の月報に掲載されたものであるから、「遅れた韓国、近代化してやった日本」という論調なのは致し方ないが、事態の推移(日本人視点の)や人事など、現在ではなかなか分からない部分が書いてあるという点で貴重である。
既に前回の文章で書いた部分もあるが、「貨幣価格図録」と「沿革」を照らし合わせながら、韓国近代貨幣の黎明を簡単になぞってみたい。