これぞドンドン酒

 ホテルに帰って1時間ほど惰眠を貪った私達夫婦である。
 この行為は最近では私たちの旅行に必須になっている。

 街中をちょっと長めに歩くと、足が棒になってくる。それどころか、足を引き摺り始め、「このまま前のめりに倒れてしまうのではないか」という気になってくる。こうなったらもう休み時である。

 しばらく座ったり休んだりして足を休めていると回復するが、今度は歩き出しで足が痛い。関節が錆びついているのではないかと思えるほどだ。「ギーコ、ギーコ」と足が軋む音がするような気がする。暫くするとやっと足全体に潤滑油が回ってスムーズに歩けるようになる。

 ホテルを出て「ダラダラ坂(日本人がこんな綽名を付けていると知ったら地元の人は怒るだろうなあ)」を歩いているうちに、やっと足が回復してきた。

 今日の夕食は「オネスト(仮名)」で見つけて印刷して持ってきたクーポンのある店に行くつもりである。10%割引クーポンだから、よほど高い店でない限りお得である。

IMGP2694

 クーポンのページにある地図を見てみると、大通りから一筋入った道にあるらしい。

 通りに入ってみると、むしろ大通りより賑やかだ。

 ここは日本人御用達の道より流行っている気がする。

 ところが、行けども行けども、お目当ての店が見つからない。とうとう再び大通りに出てしまった。

IMGP2699

 私は山の神の機嫌を伺いながらそろーりそろりと歩を進めていたのだが、この通りを逆方向に戻って半分ほど来た時、遂に恐れていたご宣託が下った。

 「もう諦めて適当な店に入ろうよ。」

 それにしても、韓国の飲食店は流行っている店と寂れている店の差が極端である。

 ある店では物凄い行列をしているかと思えば、その隣の店では閑古鳥が鳴いて店主が頬杖を突いて一人で椅子に座っていたりする。

 なかなかこれという店が見つからない。

IMG_0019t

 「ねえ、もう一度だけ探させて。」と言い、もう一度反転しようとしたとき、おそらくここではないかという店が見つかった。

 看板には「焼肉屋」としかない。(本当はもう少し長い名前なのだが、それは添え物のように小さな字で書いてある。当然のことながらこのブログの趣旨に従いそちらはモザイクをかけさせていただいた。嫌な奴だなあ)。

 この狭い通りのさらに奥の方に入り込んだ店である。私程度の韓国語力の人間が一度で見つけられるわけがない。

 店に入って店員さんにクーポンを見せて、「このクーポンはこの店のものですか」と言うと、「ちょっと待ってください。社長に聞いてみます。」と言って社長のところに直参した。

 社長は知人らしき団体と酒宴である。韓国では珍しくない光景である。

 社長さんは私たちのところに来ると、私が差し出したクーポンを見て、一瞬「俺、こんなクーポン頼んだっけ」という表情になったが、急に思い出したらしく、「ああ、これはうちのですよ。」と言って、それを受け取って私たちを席に案内した。

 この店が本当にこのクーポンの店だったのか、それとも本当は違うのだがそれを説明するのが面倒くさいから受け取ったのか、今となっては分からないが、韓国人はこういう事態のとき、大抵の場合こちらの損にならないようにしてくれる(個人の感想です)。

 実は今回の旅行で空港からホテルの近所まで来た時、私は南大門市場で買い物をする時間を捻出したくて急いでいたので(本当は地下鉄のカードを買うのが面倒くさくて)空港鉄道のカードでホテル近くの駅まで来てしまったのだが、果たして自動改札機は警告音を発して私たちを通してくれなかった。

 仕方なく駅員さんを呼んだのだが、何せ私の韓国語であるから「何かトラブル起こった」という以上のことは通じなかったらしい。
 だが、駅員さんは、(ピー)。私達はソウル駅までの運賃しか(ピー)、本当は私たちの今回の費用はあと1500ウォンくらい高かった筈なのだ。

 私は韓国人のこういう大陸的なところが好きだ。私も面倒くさい時は少々自分が損をしても相手が少しだけ得をするような形で手打ちをするからだ。

 我が日本がどんどん世知辛く窮屈になっていく中、日本に追いつこうとしている韓国人の、あるいはこういう部分がなかなか追いつけない要因の一つなのかもしれない。またタンカーが爆発していたな。

 しかし、日常のちょっとした言動やブログの書き込みまで「善意の人々」にチェックされて電凸や炎上が一個人にも簡単に起こりうる息の詰まるような我が日本に住んでいると、私はなんだか韓国人のこの大らかさとマイペースにほっとする。

 もしかすると「こんだけ関係が悪くなってるんだから分かってるやろうな!」ともう少し上の人たちに暗に示されても韓流のイベントや韓国旅行に行く人がいるのは、私と同じように感じる人が意外に多いせいではないかという気がするのだ。

 窮屈な国はどんどん縮む。
 「水清ければ魚棲まず。」
 「美しい国」には誰が住むのだろう。

 考えてみれば自分の父たちの時代の日本人の何と大らかだったことか。これには「戦争で死に損なった」「あんな酷い目にあった俺たちに戦争も知らない若造が何か言ったらただじゃすませない」という要素が大きかったのかもしれないが。彼らは「余生」を生きていたから寛大だったのかもしれない。

 閑話休題(きこうぶんだということをついついわすれてじぶんのいけんにいれこんでしまうのもまさににほんじんてきなのだろう)。

IMGP2701

 おお、一人17000ウォンでこの肉の量は凄い。
 ただ、私達老夫婦で食べてしまえるのだろうか。考えてみれば昨日も焼肉だったのだ。

IMG_0033

 鋏が大きいので肉の量が少なく見えた人がいるかもしれないのでこちらの写真をどうぞ。

 ただし、店員さんは肉の皿はまたも座っていない椅子に置いた。
 これぞ民族の違いというものだろう。どうにかテーブルの上を片付けてスペースを作ってそこに置いたのは他ならぬ客の私達夫婦である。

 驚いたことに、肉も、ナムルも、キムチも、1時間ほどでペロッとなくなってしまった。
 私達夫婦のどこにそんな食欲が残っていたのだろう。

 それよのも何よりも感動したのは、マッコリである。

 私はこのマッコリを昔風のアルミの器に注いだ時、あっ、と思った。

 注がれたマッコリの表面に、発酵しても溶けきれなかった米粒が浮いていたのだ。

 これは私が人生で初めてマッコリを飲んだとき、それを見てギョッとしたものでもある。なんだか蠅の幼虫のようだ、と思ったのが最初の印象だったのだ。

 だが、これが「本当に美味しいマッコリ」の証であることを、私は最初にマッコリを飲んだ時に知った。

 あれは同窓生であるA君の家での出来事だった。

 どういう経緯かA君の家に呼ばれた私は、そこでこの、彼の祖父が心を込めて醸したマッコリを飲んだのだった。
 それは韓国では昔ながらの製法によって米で作るいわゆる「ドンドン酒」が国策によって廃れてしまってまだ復活していなかった時代だと思う。

 急に思い出したのだが、あれは在日韓国人であるA君が、おそらく日本で初めて、本名で、誰でも知っているような大企業に就職を決めたお祝いだったのではないかと思うのだ。

 当時は今は政治学者として活躍中で私も尊敬している若き日のB先生が外国人登録証に指紋押捺拒否をしたというニュースが世を賑わしていた。

 しかし、新聞に載ることもなかったA君の地味で地道な頑張りの成果が、実は歴史を変える出来事だったのだと今になって想う。

 先祖から受け継いだ苗字と、両親に「幸せになってほしい」という気持ちで贈られた名前を持ったまま、努力して幸せになる。日本人にとっては当たり前のことだ。

 だが、韓国人全てにそれが許されなかった時代があった。それについては尹東柱という詩人の「星を数える夜」という詩を読んでほしい。日本人には意外に私の「誤訳」が一番しっくり来るかもしれない。

 閑話休題(またきこうぶんでなくなってきたのでむりやりはなしをもどす)。

 このマッコリは、あのとき飲んだ「あのマッコリ」に似ている。

 私はこれをもう1本飲んで飲み干した。というか、妻も珍しく私に負けないくらい飲んでいる。明日大丈夫か。

 宴が終わって勘定するとき、私は躊躇なく「これ、テイクアウトできませんか。」と店員さんに聞いた。
 また店員さんが社長のところに行き(まだ知人と飲んでいた)、戻ってきて「OKです。」と言った。
 現地で買うマッコリとしては結構高かったが、それだけの価値は間違いなくある。
 本当は2本頼んでお金も払ったのだが、「もう1本しか残ってないから」と言われ、1本分の勘定は返してくれた。

 全体の勘定は、「あ、忘れとった」という感じで、1割引きでまた返金があった。

 やはりこの店がクーポンの店だったのか、あるいは、「この店だ」と社長が言ったから同じだけ割引してくれたのか、よく分からないが、とにかくリーズナブルな値段だったし、思い出のマッコリを彷彿とさせるようなドンドン酒にも巡り合うことが出来た。

 いうことなしの一夜であった。