大太刀の鞘の使い手

 熱田神宮では資料館にも入ったのだが、残念ながら撮影禁止だった。

 最近は短期記憶が怪しいので、写真に残っていないものは忘れてしまう。したがって中に何があったかは既に霧の中である。

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 唯一印象に残っているのはこの太刀である。
 見物人と大きさを比較してほしい。

 この太刀は「太郎太刀(一説には次郎太刀)」といい、真柄直隆(一説には直澄)という戦国時代の武将が使用していたらしい。
 直隆は戦国大名である朝倉義景の家臣である。
 義景は一時は織田信長と対峙して天下を伺ったほどの勢力を誇ったが、結局朝倉家最後の当主となってしまう。
 


 その衰運の下り坂の途中に織田・徳川連合軍と戦った姉川の戦いがあり、真柄直隆はこの戦いで奮戦虚しく戦死したらしい。
 この太刀はそのときに直隆が使用していたものだということだ。
 実際に測ったわけではないが、これは2m以上ありそうである。記録にあるものは130cmくらいだから、あるいは後世に伝説に従って作ったものかもしれない。

 それにしても130cmだったとしてもそんな長いものをよく振り回せたものだ、と思うが、実はこの太刀は「振り回す」ためのものではなかったらしい。

 「敵より遠い安全なところから攻撃したい」という心象は現代人に限ったことではないらしく、太古から長い刃物や飛び道具は発達してきた。
 長い刃物と言えば槍があるが、この大太刀は相手の槍の柄を切ってしまうためのものだったようだ。それならば切っ先を動かす範囲は肩辺りの高さから小手を打つ当たりであって狭いので、そこまでの力は要らない。
 それでもやはり怪力でないとその用途ですら使えなかったらしく、大太刀の使い手は極少数に限られていたようだ。

 それに同じ用途には薙刀の方が使い勝手がよさそうである。

 多くの人がそう思ったらしく、大太刀は江戸時代を迎えるころには多くが短く研がれて普通の太刀に化けてしまった。

 妻に大太刀の写真を送ったところ、「これ、自分では抜けないよね」と返信が来た。
 私はその迫力に圧倒されてそんな実用的なことは考えも及びなかったが、考えてみればそうで、大太刀は普通の太刀のように腰に差していたら到底抜けそうもない。
 背中に背負って、とも思うのだが、考えてみれば腕を精いっぱい天に向けて伸ばしてもそれより長いのだから、どう身に着けても抜けるはずがない。

 これは従者に持たせておいて二人がかりで抜くものだったらしい。
 これだけの長大な武器だから勇猛の象徴でもあったはずだから、当然これを使用する武士には付き従う家来がいるわけだ。

 だとすると抜いた後の鞘は従者が持ったまま武者に着き従うわけで、ということは従者は自分の武器を使用するわけにもいかず、丸腰と同じなわけである。なんちゅう迷惑な武器だ。廃れたはずである。

 たまたま出会ったトンデモ武器のおかげで想像がどんどん広がる私であった。