河藤清正公

 さて、名古屋城の思ったよりずっと壮大な姿に微かな敗北感を抱きつつホテルに帰ろうとした私だが、どこかで見た懐かしい光景を目にした。

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 それは武将姿の若者が観光客と写真を撮ろうとしているシーンである。

 しかも、掲げられている幟旗は「おもて梨武将隊(仮名)」。

 「おもて梨武将隊」といえば熊本城の専売特許ではないのか。ネットで検索してもトップに出てくるし。
 だが、名古屋城にも間違いなくいたのだ。

 しかも、その武将は「加藤清正である!」と侍言葉で叫んでいる。この、侍言葉で厳かに喋るのも、熊本城のそれと瓜二つである。

 瞬間「パクられた!」と思ったのは熊本人の浅ましさ、実は調べてみると「名古屋城おもて梨武将隊(仮名)」が結成されたのは2009年、熊本城のそれは2012年なので、こちらが元祖なのだ。

 加藤清正といえば熊本では「清正公さん(せいしょこさん)」と呼ばれて親しまれ、熊本の殿様として県民に定着している人であるから、清正公に扮した人が名古屋城でおもてなしをしているというのはとても違和感がある。

 だが、加藤清正は実は名古屋の生まれであって、熊本城を築城して城主になっただけでなく、徳川家康の命によって名古屋城も築城しているのである。

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 名古屋城には一つだけ銅像があるのだが、それは清正のものであって、あたかも彼が名古屋城主であるかのようだ。あまり歴史を知らない人は完全に勘違いするだろう。

 「加藤清正は熊本人であって武将隊は熊本発祥」という二重の勘違いに気付き、すごすごと名古屋城を後にした私であった。
 写真は「清正公石曳きの像」である。
 清正が任せられたのは天守閣の石垣の普請であり、この像は自らが督励している姿を再現したものだそうだ。

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 石垣には「清正石」という巨石もある。他の石と比べてみるとその大きさが分かる。