河童国通信社

 かくかくしかじかでポイ活に忙しい私なのだが、この状態が3ヶ月も続くと、一時の情熱は薄れ、大きな疑問が湧いてきた。

 確かにポイントは金であり、しかもその金は何もないところから生み出されるように見えるから、「得をした」という気にさせられる。

 しかし、ポイ活はよく考えてみれば立派な労働なのである。

 「労働」というと人は会社や工場での「仕事」を思い浮かべるが、何がしかの行為の代償としてお金を受け取る事だと考えればポイ活もまた「仕事」の一種といえなくもない。

 ではこの場合の雇い主は誰なのか。例えばアンケートで考えてみると、それはアンケートの依頼者である。そして、私たちとアンケート主の仲介者はサイト会社として名乗っているが、実際の雇い主は匿名である。つまり私達は、仲介会社を通して身許不明の会社(非常に稀なケースでは個人)に雇用されているのである。

 では仕事の内容は。これはおそらく市場調査である。消費者である私達はどんな消費性向を持っているのか。たとえば私のような50代男性で九州在住の人間はどんな商品を過去に購入したことがあり、これからどんな商品を買いたいと思っているのか。これは物を売る業種の会社にしたら喉から手が出る程知りたい情報であろう。

 では一番気になる労働条件は。私達はアンケートに答える際に氏名以外のかなりの個人情報、性別・年齢・居住地方・職業・消費性向などをアンケート主に提供している。これを正式にそのテの会社を通して買おうとすれば、1名あたり何がしかの金を払わなければならないだろう。おそらくこれは1円で済む商品ではない。

 かつ、私達はアンケートに答える時間と労力もまたアンケート主に提供している。私の勤務先は副業禁止なのでそんなことはしないが、もし仮に私の持っている言語聴覚士の資格で勤務先の休日にじぶんがやっている施設で20分間患者さんの治療をしたとすると、現在の診療報酬では最大で2500円の収入を得ることになる。1つのアンケートに答えるのに最低でも2分は掛かるから、スマホっ首になりつつ20分間アンケートに取り組むことによって得られる収入は、仮に1つ答える毎に1ポイント貰える比較的割の良いものであったとして、大事な個人情報の値段も含めて10円。一般的なアンケートサイトのポイントは「鮎(仮名)」や「本田(仮名)」のようなリアルのお店で使えるポイントとの交換レートは110以下のものがほとんどだから、その場合には20分間で稼げる金は1円である。しかもこれには相当の電池を消費するから、これを充電する電気代もこちら持ちである。また、何度も充電することによる電池の劣化などの減価償却費もこちら持ちである。

 では、ゲームや籤はどうか。これも労働なのか。これはCM動画の視聴と同様、消費行動の一種と考えられる。

 この場合のポイントはTVの視聴者プレゼントのようなものだろう。ゲームも籤も、合間合間にCMが挟まれ、それを見ないと次のものに行けないようになっているからだ。つまり、籤やゲームはCMを見せるための餌である。TV番組と同じだ。

 ただし、TV番組は時に私達が感動の涙を流す程素晴らしい内容であることすらある。ほとんどは下らない内容だが。ところが、私がポイント目当てにする籤やゲームは私には少なくとも感動できるような内容のものではない。それどころか、すぐに飽きてしまうような単調なものをポイントのために欠伸を押し殺してやっているのが正直なところである。したがって、これまた英語でいうところのレイバーという語の全き意味での「労働」つまり苦役であるという意味で、これもまた労働だと言えなくもない。ここではやはり「時間が失われる」という部分に注目しなければならない。医療労働者としての私の最も高い報酬は202500円なのだ。籤はそもそもいつもポイントが貰える訳ではないし、ゲームは私の腕前では15分以上やっても2日で1ポイント、つまり10分で収入は1円である。CM1つが30秒以内と決まっているらしく、大抵の場合その制限時間ギリギリまで流されるから、20分間で視聴可能な本数は最大で40本、たとえば「鮎」のCM5本見ると1ポイントと決まっているから報酬は208円で、よくよく考えると実はこれが一番割が良いことが分かった。なるほど、これが一番苦痛が酷いもんなあ。

 以上のように、冷静によく考えてみると、少なくとも「費用対効果」といったところではポイ活は決して割の良い活動とはいえないようだ。この文章を書いているうちに「もう止めようかな」と思ったくらいである。


 では、「お前が駄文を書いてほんの少しの人に読んでもらっているこのブログはどうなんだ?」と言われると、これは経済的にはもう何の価値もない活動である。何せ肩がガチガチに凝るほどの取材(本当に石碑の解読などではこのまま倒れて死ぬのではないかという時がある)をし、妻に怒られながら隙を見て文章を打ち込み、酷い時は「日本語の苦手な人」(比喩ですよー)から「バカウヨ」などと言われ、ほんのたまに「いいね」やコメントを貰ったとて、この活動から得られる収入はゼロなのだから。


 では、私はもうブログを止めようと思っているかというと、そんなことはない。断固続けるつもりである。

 何故か。楽しいからである。1銭にもならなくても、楽しい。


 そうか。ポイ活も、何だかんだ言って楽しいから続いているんだな。


 というお決まりの結論が得られたところで、お後がよろしいようで。