広告主は神様

 日韓関係が戦後最悪だそうだ。

 朝鮮戦争の時に自衛官が爆死したり、米軍に雇われた日本人軍属が北の兵隊と戦って殺してしまったり、李承晩大統領が強引に竹島を占拠してしまったりした歴史を知っている私は「あの時の方がずっと関係が悪かったんじゃ?」と思ってしまうのだが、逆らうと面倒なことになりそうな人達がそう言っているので、「君子危うきに近寄らず」という、尊敬する孔子の言葉通り、そうだということにする。

 もっとも私は何よりも真実を大切にする医学徒であるから、日々その探究を怠ることのなきよう、新聞TVは勿論のこと、ネットの隅々にいたるまで日韓関係のニュースをチェックしているのである。

 まあそうすると出るわ出るわ、隣国の大統領の批判から、中には韓国の国民性についての論難まで、溢れんばかりのヘイト臭のする「嫌韓」「反韓」記事である。

 私はかつて在日韓国人と学窓を共にしたことがあるし、身内が心底お世話になった韓国人の知人などもいるから、日本語の堪能な彼等がそれらの記事を読んでどれほど心痛めまた不愉快な思いをしているだろうと思うと正直言ってこれらの記事には胸糞が悪くなってくるのである。

 あまり酷いので、ニュースの配信サイトに「私は日韓関係には興味があるが『太鼓持ち新聞(仮名)』や『眉唾ニュース(仮名)』や『スパルタ俗論サイト(仮名)』は読みたくないから配信しないでくれ」ともう3回くらいレビューを送っているのだが、一向に改善されないから配信元も同じ穴の狢なのだろう。
 
 先日は某新聞にヘイト丸出しの雑誌の広告がそのまま載っていた。載せる方は広告主に逆らえなかったのか、はたまた同志なのか。「〇〇人は病気」といった類の文言が公共の眼に晒されても「雑誌の目次をそのまま載せただけですから」という言い訳が通用すると思っているのが民度というものなのかもしれない。この新聞は長らく取っていたが、もう購読を止めることにした。

 韓国人という、世界で一番日本人に似ている民族に対する批判は、そのまま日本人に帰ってくるのだから、彼等の批判をしている暇があったら日本の類似の問題を取り上げた方が余程我が国の社会の改善に寄与する愛国的行為だと思う。

 たとえばソウルの街中で日本女性に暴力を振るう不届き者が現れた時、韓国は儒教だから男女差別が酷い、などという記事が充満していたが、国際的な各種指標からいえば日韓はほぼ同列の男尊女卑の国である。
 「81年生まれキムジヨン」は日本にも沢山いる。日本の場合は彼女たちの心情を代弁する作家すらいないから、より問題かもしれない。そうでなければ翻訳文学が十何万部も読まれるはずがない。
 儒教=女性差別論者はこれをどう説明するのだろう。彼らに言わせれば中韓は儒教に捕らわれた国で日本はそうではないそうなのだから。

 まあ安全圏から反撃できない相手の批判をして「ジャーナリストごっこ」をしている方が怖い人たちに目をつけられることもなくて安全である。小心な私はその態度には思わず共感してしまいそうなのだが、それなら最初からそういうリスクのある仕事に就かなければいいだけの話だという気もする。まさに「君子危うきに近寄らず」である。
 これもまた散々迫害されつつ「人生を賭けて」日韓の問題に取り組んできたジャーナリストを友人に持っているだけに、「ただ自己顕示欲だけで文章を書いてるんだったら俺みたいに当たり障りのないブログを趣味にしてほかの仕事をしたら?」と言いたくなる。

 閑話休題(どうもなかむらてつさんがころされてからかんがえがきつくなっていけない)。

 そんな記事の中で、「釜山は反日感情が強い」という表現を見つけた。

 外見だけなら間違いなく中国人だと思われる私は別として、妻はどこから見ても「大和撫子」である。
 しかし、私達はもう4回行っている釜山で日本人であるが故の不愉快な体験を一度もしたことがない。それどころか私は電車で必ず御年寄りに席を譲る釜山っ子を気に入っている。街の雰囲気も大好きである。

 「日本人が嫌われているんじゃなくて(記事を書いた)あんたが嫌われているだけじゃねーの」と思いつつ、もしかすると曲がったことの嫌いな「慶尚道男子」(日本でいうところの「九州男児」のようなもの)」たちが今回の事態に色を為しているのではないか、との懸念から、やはり自分の眼で確かめる必要を感じ、今回の渡韓を決意したのである。

 というのは大嘘で、本当はこの数年の私たち夫婦は毎年のように年末年始を釜山で過ごしていて、今年もそうしたまでのことである。

 さあ、まずは旅行の計画である。