父も歩いた道

 博多発釜山行きの船の出発は12時半である。

 手続きは1時間前にはしてほしいとチケットの予約票には書いてあるが、あまり遅く行くといい席を人に取られてしまう。
 1人3000円出せば個室(1等船室)を取れ、船中泊の場合にはそうすることにしているのだが、今回は6時には釜山に着いてしまうので大部屋(2等船室)にしたのだ。

 2等船室は昔はただの大きな部屋だったが、私達の乗る「笑ってトンヘ号(仮名)」では壁の部分に仕切りがあって6つに分かれていて、前後の壁を合わせて12人がこの「半個室」に座るようになっている。

 窓際にはコンセントがあって電子機器の充電ができるようになっているし、廊下側には広いスペースがあって大きな荷物はそこに置けるようになっているが、真ん中の席は両側から挟まれていてそのいずれのメリットもなく、結構圧迫感があるのである。

 したがってまずはスペースの広い廊下側を目指して少し早く行くことにした。手続きの開始は10時半である。

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 7時に自宅を出て博多港の国際ターミナルに着いたのが10時ちょっと過ぎ。予定通りである。

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 「笑ってトンヘ号」はもう停泊している。

 まず乗船手続き。
 予約票の釜山発博多行きの便が18:20といつもの時間になっていたのでその点について尋ねると、「間違いですね」とあっさり。1月1日は臨時便で12:00発なのである。

 出国税(人頭税?)を払う。

 Wi-Fiをはじめとした観光客が快適に旅行するための環境整備に使われるというのだが、それなら入国する外国人から取ったらどうなのだろうか。受益者負担は資本主義国の基本原則である。国会で審議しているときも誰も反対した形跡すらないのが不思議である。

 納得いかないが仕方がない。私は日本国に住む日本国民であるからその義務は忠実に果たすのである(大袈裟)。一言文句を言ってやりたいが船会社の受付の人にそんなことをしても何もならない(当たり前)。

 さて、11:30頃から18:00まで船内に居るわけだから、昼食は船内ということになる。
 船内のレストランは結構美味しいことは既に経験済みだが、これから3日間は韓国料理のオンパレードになる訳だから、最後に日本らしい料理を食べたい。ただでさえ我が家は最近韓国料理率が異常に上がっているのだ。

 隣接している商業施設に食品が沢山売ってあったことを思い出し、私が買い出しに行くことにする。妻は荷物番である。

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 ところが、外にうちいでて眺むれば、何処も同じ秋の夕暮れ、じゃなかった、ターミナルと施設の間には港が存在していて、えらく遠回りをしなければならないのだった。

 まず左に約300m、さらに真っすぐ約300m。全部で1kmくらい歩かなければならない。

 意を決して歩き出したのだが、暫くすると背中が痛くなってきた。我慢して歩いていると更に痛みは腰に移った。このままぎっくり腰になってしまいそうな不気味な痛みである。そういえばここのところ寒さに負けて早朝散歩をサボっている。完全な運動不足のところにいきなり運動をしたからだろう。

 やっと施設に着いて寿司のバイキングを物色する。

 店の中は韓国人だらけなのだが、前回来た時より客が明らかに少ない。「嫌韓不況」という言葉が頭をよぎる。海の向こうでも「反日不況」が起こりかけている。

 日がなPCの前に座って偏った情報を探しては互いに対する敵意を募らせている人たちが政府を動かすことで、リスクを負って投資をし、努力して互いの言葉を学び、文化や習慣の違いに寛容を以て耐えている人々の邪魔をし、生活を脅かす。
 「〇〇人なんかと付き合うからいけないんだ。〇〇人と付き合えばいい。」
 同じことだ。
 隣の友人を大切にできない民族がどれほど世界中に幻の友達を探したところで、また同じことが繰り返されるだけだろう。

 閑話休題(ああ、かわいそうなほんこんのひとたち。なにもしてあげられない。ぜんぜんかんけいないが)。

 「海鮮ならば釜山でいくらでも食べられるじゃない」という人がいると思うが、私は基本的に海外で生ものを食べないことにしている。これは別に現地の衛生状態を疑っているのではなく、持論による。
 その持論。人間は住んでいるところによって曝露されている微生物が違う。ということは、他の土地では地元の人は免疫を持っていて何ということのない菌が別の土地から来た人にとっては恐るべき病原菌になりかねないということだ。

 これはもちろん日本でも起こりうることだから、少なくとも私は生水は飲まないようにし、酒を飲むことにしている(アル中の言い訳)。
 ただ、日本ならば保険制度によってどこでも安価な医療を受けられる。しかし海外ではそうはいかない。娘が韓国に滞在中虫垂炎の手術をしたとき、手出しで80万円以上の医療費がかかったのだ。

 閑話休題(いつになったらしゅっぱつするんだ)。

 縞鯵だの𩺊だのと普段食べない高級魚が100円なので興奮しながらパッケージングしていると、携帯が鳴った。
 妻からである。もう出国手続きが始まったそうだ。かなり焦った声である。

 急いで切り上げてターミナルに向かう。

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 精一杯の早足で歩くのだが、気ばかり焦っている割にちっとも進まない。前のめりにコケそうである。

 やっと近くまで来た時には出発前とは思えないくらいにへとへとであった。

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 ふと見ると、石碑がある。

 70数年前、大陸から引き揚げてきた日本人が最初に上陸したのがこの博多港だったのだ。

 亡き父もまたその1人だった。

 父は満州に侵攻してきたソ連軍(ロシア軍)と戦って捕虜となり、シベリアに連行される途中でアメーバ赤痢(大陸で猖獗を極めていた感染症)に罹患して八路軍(現在の人民解放軍)に治療のため引き渡され、満ソ国境付近の牡丹江病院に入院、その後日本人の収容所で過ごした後、この博多港に引き揚げてきたのである。

 アメーバ赤痢はひどい下痢が症状だ。
 父は何度も何度も道端にしゃがみ込んではソ連兵からときに尻を蹴られて急かされつつ歩かされたという。父が病魔によって斃されていたら私がこうしてこの世に存在することもなかったのだ。

 栄養失調によって青黒く膨れた顔(亡き叔母の証言)の父が博多港に帰ってきたのは1年後のことだった。

 父も、当時の父のことを知る人も、もう誰もこの世にいない。

 が、私が海外で生ものを食べないのは、あるいはこの父の体験を幼いころから聞かされて育ったからかもしれない。
 戦争俘虜という最も弱い立場で東亜の人々と接し、彼らの援けで日本に帰ってこられた父は、彼らへの感謝と親愛の気持ちを生涯忘れなかった。

 ターミナルに到着。

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 あ、レンタルの自転車があったのだ。これを借りれば楽チンだったのに。
 まあ今はこの世に存在しない父のことを一時でも思い出すことができたからよしとしよう。

 妻は「今か今か」という表情で待っていた。
 「もう、何してるの!」と言いかけたようだったが、私の買ってきた寿司を見せるとそれが美味しそうだったからか、「行くよっ」とだけ言って搭乗口に向かった。

 いよいよ12回めの渡韓開始である。