食中毒ではありません

 釜山の新市街、西面でのショッピングを楽しんだ私達は懐かしの(というほど来ていないが)南浦洞に戻ってきた。
 またホテルで惰眠を貪った後、昨日はゆっくり味わえなかった夜の街に出かける。

IMGP3884
IMGP3885
IMGP3892
IMGP3902
IMGP3906

 毎年のことだが釜山の年末年始のイルミネーションは素晴らしい。韓国随一と言ってよいだろう(ソウルで年末年始を過ごしたことはないけどね)。

IMGP3916

 特にトナカイの馬車のイルミネーションに実際に乗ることが出来て、子供が乗って親が写真を撮っているのが微笑ましかった。
 西面で結構歩き回った後だから結構腹が減っといる。

 夫婦で話し合ってこの日はプルコギ、それもソウル風のタレの薄いものを食べようと決めていた。

IMGP3932t

 ところが、いざ探してみると無いのが目当ての食い物屋である。

 行けども行けども「プルコギ」の文字はない。
 そのうちに妻の股関節が限界に達したので、ホテルの方に引き返す。

IMGP3941

 何のことはない。ホテルの近所にデカデカと「ブルコギ」の看板を掲げた店があるではないか。

IMGP3942

 私は完食、妻も相当部分を食べ進めてから写真を撮ることを思い出した。
 私たちが如何に空腹であったかを示す写真である。

 「ソウル式」をさらに進めてもはやプルコギパン(プルコギ専用の鍋)すら使わないプルコギである。
 今後韓国のプルコギはこのような方向に進んでいくに違いない。知らんけど。

 取り敢えずの空腹は満たされた私達であったが、空腹で彷徨った時間が長かったせいか、どうも物足りない。

 メニューを見てみると「ユッケ(牛肉の刺身)」がある。

 「ユッケ」はもはや日本語になったといってもよい言葉だと思うが、私には韓国語ネイティブの発音が「ユクフェ」に聞こえる。
 元々「フェ」は膾(なます)という意味の韓国語である。「膾」は「ゴーグル先生」に聞いてみると、「昔の食品の一種。生魚の肉を細かく切ったもの」とある。これが転じて、現在では大根や人参などを細かく切って酢に和えたものをいうようだ。韓国ではこの古からある中国語がほとんど固有語のような顔をして生活の中に溶け込んでいるのだ。

 孔子は愛弟子の子路が政争に巻き込まれて殺害され、膾にされてしまったという悲報を耳にして、生涯この食品を食べなかったという。

 実はこのユッケ、私たちのテーブルの近くの客が頼んでいたので、さっきから食べたかったのだ。

 8人ほどの客に2皿出ていて、1つが4人前だと思っていたから、1人前ならば夕食の終了した私達夫婦2人でちょうどいい量だろう。

 店のアジュンマに「ユクフェ1つ」と韓国語で注文するのだが、通じない。「は? もしかして、『ユッケ』かい?」と言われる。またも敗北感。

 人間というものは難しいことが嫌いで、できれば簡単に事を済ませたいのだ。どう考えても「ユクフェ」より「ユッケ」の方が発音しやすい。
 「ざうひやうのくび、ねじきりてすててけり」よりも、「ぞうひょうのくび、ねじきってすててんげり」の方が発音しやすいのである。


IMGP3944

 しかも、「ユッケ」が実際に来てみると、あの1皿は1人前だったのだ。これは後で勘定を確かめてみたから間違いない。知っとるけど(2020年流行語大賞)。

 私などはソウル風プルコギの汁まで飲んで、「腹ぁパンパン」である。これを更に食うのか。

IMGP3945

 私たちは「食糧難世代」ではないけれど、「食べ物を粗末にして食糧難世代からこっぴどく怒られた世代」なのである。
 仕方ない。全部平らげた。

 そういえば、大陸でアメーバ赤痢になってエラいメに遭った亡き父は、「他所の土地で生ものを喰うな」というのが口癖だった。
 ユッケって生肉だったよな。
 平らげてから気付いた。

 この教訓を噛み締めることになったのは妻だった。
 
 時々呼吸が止まりながら爆睡している私をよそに、妻はトイレに通いどおしだったという。

 そういえば、私達の泊った部屋の「唐山唐人(仮名)」は偶々調子が悪かったのだ。

 洗浄しようとするとビデの部分、男の私の場合は〇裏(下品ですみません)に水流が行くので座っていた「でんぶ」を前にズラさねばならず、スイッチを止めると今度は水流が水戸方面を遥かに越えて白河の関まで飛んで便器の外に噴射されそうになるので己の「おいどん」でこれを阻止する必要があった。

 私はこの程度のことは旅行ではよくあることと受け止めて妻と話題にもしなかった。日本国内でも公衆便所の「唐山唐人」が暴走を始めて慌ててコンセントを抜いたことがあるからだ。
 しかし、妻が夜通しこれをしなければならなかったとすれば、気の毒と言うほかない。

 明け方頃になって私の消化器にも一度だけ危険なマグマが濁流となって駆け下りたが、その一度だけで治まったのは幸いだった。

 私が父の教えと孔子の教えを破ったが故である。ここに深く反省したい。

 まあ父は食あたりのおかげでシベリアに送られずに済んだともいえるので、妻にもそのうち何か良いことがあるに違いない。 

IMGP3892

 と、いうことで、2019年12月30日の釜山からさようなら(まだ続きます)。