釜山女性は逞しい

第1HP「天草の海風」を全面リニューアルしました。

 翌日は大晦日である。
 韓国や中国の正月は現在でも太陰暦を基にして祝われるのだが、一応太陽暦の正月を普及させようという努力も続けられていて、世の中に余裕が出てくるにつれて両方の正月を祝おうという機運が出てきているようだ。
 従って、街を行く人々の様子も何となく休日っぽいのだが、実は休日ではないのだ。だから店は基本的に開いていて、観光客には助かる。
 本日の予定はまずホテルの近所の「映画体験博物館」に行って、そこから光復路を歩いて国際市場を抜けるルートでショッピングである。買い物候補は妻のダウンジャケットと「お一人様用」の拉麺鍋と、名前の分からない「あれ」である。「あれ」は実物を見たら多くの人が「ああ、これね」と頷く代物だが、いったい何という名前なのか、寡聞にして知らない。

 まず、ホテルの近所の「映画体験博物館」だが、入ったはいいものの何が何だかよく分からないうちに閲覧と体験が終わってしまった。自分達が入り込んだ凝ったムービーが作れたりしたのだが、もう少し予備知識を入れてから行った方がいいような気がする。

 もやもやした不完全燃焼感を抱えたまま博物館を出る。これはもう一度来る必要があるようだ。

 光復路を歩いていると、我が家で「オルシンズボン」と呼ばれている韓国独特のズボンを見つけた。

 このズボンは伸縮性のある生地でよく足にフィットするので履いていてとても楽である。また、左右のポケットが二重になっていてしかも右ポケットにはファスナーが付いていて、ここに入れておけば小銭や鍵を落とす心配がない。さらに尻ポケット2つともファスナーが付いているのでここに財布やカード入れを入れておけばスリにやられる心配もないから、外国旅行や私のような田舎者の都会旅行などには最適である。 

 しかも夏用は通気性が良くて涼しく、冬物はボアの裏地が付いていて暖かい、という、至れり尽くせりのズボンなのである。

 店先に吊るしてあるものは1本20000ウォンである。安い。
 ただ、どう見ても私にはサイズが小さい。

 また店先であれこれ妻と詮議していると、店の人が出てきた。アラフォーくらいの中年女性である。ジェスチャーで促されて店の中に入る。

 この人は韓国語以外の如何なる言語も話せず、ズボンのサイズがインチであるかセンチであるかさえ理解していないようである。しかも早口だ。これは私の韓国語力ではお手上げである。

 と思ったら、この人は妻に働きかけ始めた。妻もそれに応える。2人の会話、というか、会話ですらないブロークンな韓国語の単語と出鱈目英単語の応酬なのである。

 ところが驚くべし、交渉はお互いの呵々大笑のうちに進み、私は店の奥の在庫置き場で試着をさせられ、交渉は成立してズボンは2本40000ウォンで私のものになったのだった。

 更に妻はここで自分のダウンジャケットまで買ってしまった。物の値段がどういう機序なのか分かる私に言わせれば(何様)、それは品質に比べて随分と割安の商品だった。

 中高年女性のコミュニケーション力にはいつも驚いてしまう。
 妻と店員さん、互いを繋ぐ言語はごく限られた、数字などの英単語のみである。
 それでなぜ「2本で40000ウォン」とか「カードは駄目で現金で」などという結構複雑な交渉が成立してしまうのか。私には謎というほかない。  

 それと釜山の女性はやはり逞しい。

 この店員さんは日本人の基準(おそらく世界で一番厳しい外国語能力の評価)でいえば韓国語以外の如何なる言語も喋れないのに、店の外で迷っている何人かも分からない外国人を店に招き入れ、100000ウォン超の取引を成立させてしまったのだから。その手段となったのは殆ど笑顔のみ、だったのだが。

 釜山にいるとよく店員さんに話しかけられるが、彼らの殆ど全てが多少は日本語が喋れる。
 日本語の二の字も話せない人から話しかけられたのは初めてだったので一層強い印象であった。

 そして「反日感情が強い」というのはどういうことなのだろうか、とも思う。

 私はこれまで釜山人と接していて無視されたり嫌な態度を取られたりしたことがない。勿論それは道を聞いたり物を買ったりするレベルの接触である。しかし、本当に日本人に悪感情を持っているのならば、やはりそれは表情や態度に現れるはずである。

 これはやはり「日本人と韓国人は鏡」という視点から考えてみる必要があるだろう。

 よく「韓国人は何時迄も過去の歴史に拘る」と日本人は批判する。

 だが、たとえば原子爆弾や特攻隊のことについてはどうだろうか。もう75年も前のことである。

 普段私達は日常生活の中ではそれを殆ど忘れているし、米国人と接したからといって、「こいつらが原爆を投下した憎っくき敵か」などという態度は取らない。それどころか、日本に来てくれた客人として厚く遇するだろう。
 もし彼らが「日本人は愛想が悪い」と感じたとしたら、それはその日本人がそういう性質の人なのか、または語学に自信がないからそれの必要な相手を避けようとする心情の故であろう。少なくとも反米感情のせいではない。

 だが、沖縄戦終結や原爆投下の日、終戦記念日など、節目節目にはマスコミはその特集をし、多くの日本人はその番組や記事に目を向け耳を傾ける。

 そしておそらく「原爆投下についてどう思いますか」というアンケートを取られたら、「戦争終結のためにやむを得なかった」という選択肢ではなく、「人類に対する許し難い犯罪である」という選択肢を選ぶに違いない。
 また、もし「特攻隊は洗脳された狂人集団だ」などという妄言を吐く米国人がいたとしたら、多くの日本人が激怒するに違いない。非人間的な作戦を立案し実行した戦争指導部に対する評価は人によって違うとしても。

 勿論米国人は日本人との付き合いで日本人の琴線というものを知っているから、そんな妄言を吐く米国人は少なくとも日本人と接する人にはいないが。万一いたとしても現在の日米の力関係からしてそんな情報は揉み消されてしまって日本人には伝わらないだろう。

 日本人の歴史に対するこのような態度を「日本人は何時迄も過去の歴史に拘っている」とは誰も言わない。それぞれの民族が他民族とは違うそれぞれの叙事詩を持っていることを知っているからだ。
 
 ではここで、「原爆投下」を「日本による植民地支配」、「特攻隊」を「独立運動家」と入れ替えてみよう。これが韓国人の叙事詩である。
 多少の誇張や自民族の美化、敵役となった民族への卑下が混じっているのは日本人の叙事詩と御同様である。

 こうした叙事詩を心の中に持っている人を「反日である」と言えるのか。そうだとすると、殆どすべての日本人は「反米」の筈である。

 実は2年前、私はいわゆる「慰安婦像」が釜山で日本大使館前に設置されようとしていたその日その時にその場に居たのだ。それは確信的ではなく道に迷った結果だったのだが。

 日本のマスコミは「釜山市民の8割が像の設置に賛成」と大々的に報じ、TVや新聞に「極度に緊張が高まっている」という記事が躍っている最中のことだった。

 私の見た光景。

 もの凄い数の機動隊に対し、設置しようとしている人々の数は300人くらい。
 その場の雰囲気は「極度の緊張」とは程遠いものだった。私は最初新年のカウントダウンをする準備と間違えたくらいである。
 三々五々移動中の若い機動隊員に道を尋ねてその場を離れたが、もしデモ隊の若者に道を尋ねていたとしても、道を親切に教えてくれただろう。

 私は「反日」といわれる人たちが少数で孤立していると言いたいのではない。

 おそらく私たちの出会った逞しい釜山女性も、アンケートを取られれば「像の設置に賛成」と答えるだろうし、私が独立運動家を人格レベルで貶したら「店から出て行ってくれ」と怒鳴るか、私のズボンの値段を「1本400000ウォン!」と言ったっきり口を利かなくなったかもしれない。とてもオープンな性格らしい女性だったからだ。そんな極端な行動に出なくても、内心は激怒するだろう。

 むしろ、普通の(まともな)人間はそういうものだ、ということだ。

 嫌韓や反日を商売にしている人以外は、相手がどこの民族だろうが、初めて会った人には初めて会った人なりに、二度目に会った人には二度目に会った人なりに、知り合いには知り合いなりに、軽い友達には軽い友達なりに、親友には親友なりに、「普通に」「まともに」接するのだ。

 人は自然な環境に置かれている限り、初めて会った相手とその瞬間に敵になったり親友になったりはしない。それはとても不自然なことだ。第一印象というものはあるにしても。

 日本人と韓国人の間に何時かそうした自然な環境が整うことを祈りたい。