妻が私を見つける方法

 先日後輩たちに臨床実習について講義していたときのことである。

 話が「実習のコツ」に及び、まさに佳境に入らんとし、私は身を乗り出して後輩たちに話しかけた。

 すると後輩たちのうちの女性たちがクスクス笑いだした。

 どうした? 口角泡でも飛ばしたか。

 「写ってます!」

 は? 何が?

 後で聞いてみると、私が話に夢中になるあまり、スライドを映していたプロジェクターがスタンバイになってしまい、プロジェクターの製造元の名前が私の頭の皿に映っていたのだそうだ。
「ISSOP(仮名)」の光のエンブレムが頭で輝いていたわけだ。

薄毛大作戦

 私にはもともと70代でツルッパゲになるという遠大なる計画があるのだが、どうもこれを前倒しする必要が出てきたようだ。

自己欺瞞

 最近私の髪の毛は妻がバリカンで刈るのだが、これが1厘になるように設定されているため、買った直後は白髪も相まってほとんど「ツル」なのである。

 それは一向に構わないのだが、どうも丸坊主という髪型は特定の思想と結び付けて受け取られやすい(個人の感想です)。

 小説家のあの人も、芸人のあの人も、キャスターのあの人も、職業として坊主にしている人は別にして、考え方として「強面」に属するような気がするのだ。

 周囲の人も私の文章を読んだことのない人は私をそういう人たちと同じカテゴリーに入れているのではないかと思うと、「強面」とは正反対の考え方の私としては不本意である。

 特にこの「強面」の人達には嫌韓が多いので、時々韓国に旅行に行くのを楽しみにしている私としては一層のこと「仲間にして欲しくない」という気持ちがある。

 だから韓国旅行が近づくと、「少々伸び過ぎかな」と思っても髪を切ってもらわないくらいだ。

 ところで妻はどんな人混みでもすぐに私を見つける。
 だから国内の旅行の時は自分の興味を惹いた物などがあると、すぐ私の側を離れてしまうのだが、すぐに私を見つけて追いついて来る。

 ところが韓国では殆ど側を離れない。これには言葉が出来なくて不安、という要素も勿論あるようだが、それ以上に一旦見失うと見つけにくいから、という理由があるそうだ。

 日本、特に熊本では私くらいの年格好の人で私よりデカい人はまずいない。
 ところが韓国ではザラである。
 どころか、私より老人なのに私より背の大きな人すら決して珍しくない。
 流石は大陸である。

 なるほど、背が高い、という特徴が失われるから見つけにくいのか。だけではないらしい。

 何でも、私は平均的な中高年の日本人より頭ひとつ高く、丁度そこで皿が光っているらしい。冒頭の絵のような具合だ。

 ちなみにこの絵は旭日旗が元ではない。私は植民地主義や軍国主義に強く反対する男であるし、帝国主義時代の日本人がしたことにはもっと反省する気持ちを持つべきだと思っている。
 ただ、頭が輝いて周囲に光が満ちている、という状態を表現するにはこれが最も適した表現だと考えたまでのことだ。
 これが旭日旗に見える人は現在の自分の物の見方にひん曲がったバイアスがかかっていないか省みた方が良い。

 閑話休題(ゆかいなはなしをなぜこじらせる)。

 韓国人の中に混じると、日本では見えていた私の皿の光が妻には見えなくなるらしい。

 やはり和に置け河童の頭、というべきか。

 というか、見えないところからハゲる、というのは本当のことだと改めて知った。