チマサンチュ

 転勤によって職場が三角町から熊本市に移り、私も菊陽町にある妻の実家に転居(居候)することになった。
 職場の方は一族郎党を引き連れての移転だったので「人との別れ」ということに関しては特別の感慨はなかった。

 むしろ、人でないもの、猿や、猪や、梟や、狸や、鹿や、鳩や、烏や、雀や、燕や、頬白や、目白や、鵯や、鶯や、青鷺や、白鷺や、朱鷺や(嘘)、熊や(嘘)、椋鳥などとの別れの方が辛かった。
 朝に夕にこれらの動物たちと出逢う度にどれほど心慰められたことか。猿や猪は怖かったが。 

 菊陽町は私が子供の頃までは三角町と変わらぬくらいの「ド」の付く田舎で、一面に芋畑が広がるところだったのだが、今では全国でもトップクラスの人口急増地帯であり、三角町にはいたような動物たちが急速にいなくなってしまった。したがって三角にいたような動物のうち、人里でも暮らせるような動物しかいない。これはかなり寂しい。近所を散歩していても「あっ!」というような動物に出遭うことはない。

 唯一嬉しかったのは三角では見たことがなかった百舌鳥が隣の家のTVのアンテナに現れることだが。

 もう一つ辛かったのは、折角手入れして色々な作物が採れるようになった我が家の庭の猫の肉球ほどの畑を手放さなければならなくなったことだ。といっても借家だから単に大家さんに返しただけだが。

 この畑では本当に色々な種類の野菜を作った。
 ブログに書いただけでも胡瓜や、トマトや、茄子や、オクラや、ピーマンや、スナップ豌豆や、玉蜀黍や、ゴーヤーや、向日葵や、糸瓜や、瓢箪や、時計草や、芽キャベツや、ターサイや、子宝菜や、明日葉や、フェンネルや、山葵菜や、空豆や、絹鞘や、アスパラガスや、ズッキーニや、落花生や、大根や、葉大根や、二十日大根や、甘藷や、馬鈴薯や、南瓜や、隼人瓜や、高麗人参や(嘘)、バナナや(嘘)、サクランボなどなど、こうして振り返ってみてもあの狭い畑にどうやってこれだけの野菜たちが犇ていてたのか、謎というほかない。

 これらの野菜については「私の農業入門記」というシリーズで纏めてあるのだが、その第一回に登場するのがチマサンチュなのである。

 そして私が何故再びチマサンチュについて取り上げるかと云えば、私はまたチマサンチュを栽培しているのだ。
 何せ居候であるから、大っぴらに岳父の庭に私の植えたい野菜を植える訳にはいかない。岳父は家の近所の畑の他に、庭にも山芋などの野菜を植えているからだ。
 引っ越してきてすぐ、南側の庭に不要になったレンガやタイルなどを捨ててある1畳ほどの土地を見つけた。ここを手にマメを作りながら苦心して耕し(嘘。土と堆肥を買ってきて植えただけ)、またもや猫の肉球ほどの畑をでっち上げたのである。

 1年目はトマトと茄子を植えたのだが大失敗に終わった。
 おそらくまだ堆肥が十分土とこなれていないのに焦って植えたからだろう。全滅の憂き目に遭った。
 特に堆肥がまだ十分熟成していない(つまり田舎の香水の臭いのする)牛糞を入れすぎたのがいけなかった。

 これに懲りて1年目の秋から土づくりに励み、と云っても妻が台所の野菜屑を地道に穴を掘って植えただけだから私は何もしていないのだが、
 堆肥も三角の時に入れていた「苓州堆肥(仮名)」という実績十分のふかふかの十分こなれた堆肥を入れ、十分時間をおいてからまずは胡瓜とゴーヤーを植えてみた。
 これが大成功、とまではいかないが、なかなかの出来だったので、秋には満を持してチマサンチュを植えたのだ。成功すれば晩秋と秋の長い期間焼肉のお供が食べられる。

 ちなみに一度書いたが、チマサンチュは今では世間一般でも「サンチュ」「チマサンチュ」と韓国語で呼ばれ、韓国原産のものだと思っている人がいるが、これは「カキチシャ(掻萵苣)」といって日本に古来からある野菜である。ただし原産は欧州の方で、中国や韓国を経由して奈良時代以前に日本に入って来たらしい。西洋レタス(玉萵苣)が入ってくるまではこちらがチシャと呼ばれて一般的だったのだ。
 最近は宗教的な韓国嫌いがいて、韓国のもの、というだけで使わない、食べないなどという人がいるが、安心して食べてほしい。これは我が日の本で昔から食べられてきた、かの聖徳太子もお召し上がりになった野菜である(眉唾)。

 チマサンチュは種から育てた方がずっと美味く、これは店で売っているものとは別の野菜ではないかというくらいに柔らかくて癖がないのだが、何せ南側の畑なので小さいうちに直射日光で溶けてしまった。
 仕方がないので近所の店から苗を借りてきて植えた。あまりいい苗ではなく最初は元気がなかったのだが、今年の初秋の長雨で見事に元気を取り戻し、葉をどんどん伸ばし始めた。むしろ三角のときよりも育ちがいいかもしれない。口に入れてみると実生のものほどではないが、なかなかの味である。店で売っているものより美味い。

 三角と菊陽では土が違うからよく育つ植物が違うのかもしれない。

 次回はそんな野菜について。